【あらかじめ香草やお酒に浸しています】

東のイストモスに宿を借りる。
一本の地球の酒が何泊かの代価になった。
ケンタウロスの寝所は少し体に合わない。
狗人のテントに場所をつくってもらうことにした。

朝日が昇るとともに狗人達は起きだす。
物音に敏感なきらいがある俺も、ぼんやりと覚醒しだす。
突然だが恒例の大音が、そのまどろみを吹き飛ばす。
テントの外を見ると、地平線から染みだすように太陽が顔をのぞかせていた。
その赤色の中にシルエットが映えている。狗人が朝を告げる遠吠えをしていた。

「水の精にお願いです。ここに顔を洗う一杯の水を」
虚空に乞うと、すなわち差し出した手のひらに水が湧きだした。
「ありがとうございました」
感謝の一言を忘れずに、そして顔を洗う。

生まれ変わった五感で改めてテントの内側を見渡す。
テントの生地の黒色に、あざやかなタペストリーがいくつもかけられている。
これは夜空の星座──すべてではなく、氏族の守護星座などの一部──を模しているそうだ。
ちなみにテントの黒色は染め付けではない。
黒羊という家畜からの毛がそのまま使われているのだ。
染めることは出来ないが、夜空の意匠を好むイストモスではよく使われている。

「朝食が出来ましたよ」
狗人に食堂のテントへ呼ばれた。
ケンタウロスも使うテントはどれも大きいが、食堂は並はずれて大きい。
サーカスも出来てしまいそうだ。

中に入ると、やはり天井には夜空が広がっている。
大きなテーブルがいくつか並び、一つに付き一つの食材が大皿によそわれていた。
そのテーブルの間をみなが思い思いに行き来していた。
イストモスでは基本的に立食であるのだ。
これは、ケンタウロスが座ることを得意としていないためである。
まずは最寄りテーブルに近づく。
やわらかなチーズが大皿に並々と盛られている。
横には瓶があり、いくつもの棒が納まっていた。
その棒でチーズをからめとり、食べる。美味い。
牧畜の盛んなここで親しまれてる食材は、なんといっても乳製品であるのだ。

ふと、笛の音が届いた。
にわかに周囲が騒がしくなる。

みなが動くのに連れられて外に出てみると、賑やかな行列が通っていた。
笛の音と小太鼓の音が、鈴の音が絶え間ない。
行列を作るのはケンタウロスと狗人。思い思いの楽器を奏でている。
音楽に惹かれた精霊が舞い踊り、雲が幻が蛍火が生まれている。
先頭には二人のケンタウロスが、鈴を鳴らしながら車を引く。
車の上には大きな箱が、一つだけ乗っていた。

こちら側から老年のケンタウロスが一歩進み出た。
手には、地球の酒瓶が握られている。
「やあやあ、よいところに来ましたなあ。
 ちょうど異界の酒を手に入れたさころですぞ。もちろん異人さんも共におりますわい」
先頭のケンタウロスは目を丸くして、そして喜色を浮かべた。
「ははは、これはこれは期せずして万里を越えましたわ!
 星の導きがあったに違いない!」
「然り。然り。
 のう、異人さん。ちょいとこちらに来てくれるかの?」

呼ばれた。特に断る方法も、理由もない。
行けば酒瓶を渡されて
「そこな棺桶に、ざばっと酒をかけてくだされ」
棺桶。
これは棺桶なのか・
葬儀となら下手なことは出来ないなあと、思いつつも作法はよくわからない。
ざばっとやってみるかと、一息に酒をこぼす。
つづいて先頭のケンタウロス達が声を合わせて叫んだ。
「「ここを行くは、ジャディーカの氏族が一、イーデフが息子、ハルアートなり!!」」
歓声があがった。


幾人かがさらに加わり、行列は賑やかさを増してさらに進んでいった。


「お葬式、ですか?」
近くにいたケンタウロスに尋ねてみた。
「ええ、ああやっては半月だけ練り歩くんです。
 それで、夕焼けのころにいた場所に棺桶を埋めておわりですね」
「ほうほう。お参りが、少し大変そうですねー」
「いえ、定住の方々と違って墓石を立てることはしないんですよ。
 大地に立つ我々こそがまさしく故人の名残と、そんなわけでして。
 先ほどの方に限れば、あなたもまた名残、ええ、お墓であると」
「なるほどー。なんかいいですね」
「そういってもらえれば、ええ、もう何よりですよ」

祭り囃子はもう遠く、しかし確かに響き渡っている。


  • テーブルの上の様子はじめ風景描写が楽しい。 登場人物達が行事に沿って動いていくので内容も把握しやすいな -- (tosy) 2012-07-07 12:43:19
  • 優しい雰囲気漂う一本でした。素材も実感あるものでインディアン風にも想像できました -- (名無しさん) 2013-11-19 00:31:23
  • 人々の会話と生活風景がとてもよく馴染んでいました。東の文化が散りばめられているゆるやかな空気がいいですね -- (名無しさん) 2014-09-21 18:50:11
  • 草原の朝露を触媒に現れる水精霊とか想像した。目的ごとのテントやにぎやかで長い葬式など東イストモス -- (名無しさん) 2017-03-18 07:09:00
  • の文化も面白い -- (名無しさん) 2017-03-18 07:09:17
  • 住環境としては楽ではない遊牧民の生活も食事や歌などの楽しみを作ることで一つの文化の形として続いているのかなと -- (名無しさん) 2018-01-06 08:58:28
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最終更新:2012年07月07日 12:40