ミズハミシマには巨大樹に覆われた島がある。
そこは一番へんぴな島で、ほとんど一年中雨が降り島全体が良く見えないほどだ。
がっしりと太く突き上げるように立つ巨大樹の群れ、それは海のように広がる。
見上げてみると30メトルかそれ以上か、目眩がするようなそびえ方。
樹体はコケやらツルで覆われて、膨らんだり垂れ下がったり忙しい。根元には深い緑色のコケやシダの絨毯。
樹皮には雨が滴り、梢からは雨粒が絶え間なく落ちる。
木々の間に水塊が浮かぶ。小さなものは親指くらい、大きなものは一抱え程。
それら様々な水塊はぐにゃぐにゃと形を変えて浮遊する。生き物なのかそうでないのか。
時折「ボシャン」と音を立て、弾けて降る。
「本当に想像以上だな」飛沫を浴びた人影はそうつぶやいて顔を上げる。
人間、若い男だ。
雨合羽と防水靴を身に着けて、大きなバックパックを背負っている。
しょっちゅう水塊の飛沫を浴びるため雨合羽を着てもずぶ濡れになる。うんざりだ。
脛まで沈むぬかるみで防水靴には水が溜まり、いやな感触が常にまとわりつく。
前髪を伝う雨水とため息が混じって落ちる。
彼は前方をひょんこひょんこと歩く蛙人をぼんやり見つめながら歩く。いかにも楽しげな足取りが羨ましい。
その念を感じたかのように蛙人が振り向いて口を開く。
「モうすぐ抜けるからさ、コのスイカイ森をさ」
彼女がそう言うと同時にボシャンと音を立て男の頭上に大量の水が降り注ぐ。彼女は屈託の無い満面の笑みを投げてくる。
彼は苦笑いをして手をフラフラと振った。
彼女の名は「ウゲツ」森の案内人だ。
巨大樹の海を進むには森に住む蛙人の案内が不可欠だ。
蛙人とは言うが地球のカエルとあまり似てはいない。くりくりとした大きな眼と笑みを浮かべたような口元。
豊満だが無駄が無い体躯をしている。肌は透き通るような薄緑色で美しい。
性格は純粋で朗らかだ。
「ウゲツ、どうしてこの妙な水塊が出来るんだ?」
「ソれは精霊が作るんだ。ミずの精霊だなー」
「水の精霊・・・んー・・水の精霊はなんでそんなことをするんだ」
「アそんでいるんじゃないのか?」
そう言ってウゲツはケロケロ笑った。
この世界は本当に地球の常識が通じない。
けれどもそれはなんだか楽しくて、どうしてか笑いがこみ上げる。
飛沫をかぶることが嫌でなくなり始めた頃にウゲツが振り向いて言った。
「スイカイ森を抜けたからここからは薄い雨が流れるようになるぞ」
「薄い 雨が 流れる?」
「ソうだよー」
どう言うことなのだろうか。
亜人の言葉は独特で、翻訳加護を受けても理解しにくい。
地球とは文化、現象があまりにも違うため適切な表現が見つからず、単語を連ねた表現になることが多々ある。
ウゲツは相変わらず楽しそうに歩く。
リズムを刻むように脚を上げ、指先を反らせて首を緩やかに回す。
どこからか音楽が漂い聞こえるような気がする。ウゲツが歌っているのだろうか。
それにつられて足取りは軽くなる。
しばらくすると小雨が振り出した。
これがウゲツの言った薄い雨なのだろうか。
だが良く考えるとおかしい。この場所は巨大樹が覆っているため、雨は殆ど巨大樹が受けとめる。
そしてその雨は葉から滴るか樹幹を伝い落ちるはずだ。
小雨だと思っていたそれは、雨よりも霧に近く、霧よりもずっと水分が濃いように思えた。
なんだか良くわからない「それ」はうねうねと動いている。
動くと言うよりもゆらぐと表現するほうが正しいだろうか。
「それ」は踊るように流れ広がり、波を打っているようにも見えた。
吸い込まれるように見とれ不思議な光景に視界が奪われる。
「オい!なにしてるんだ!はぐらるぞ!」
ウゲツの叫ぶ声で我に返る。
「なんだい、これ」
「アめだ、薄い雨。コこらではこんな風に薄い雨が出て流れて来るんだよ」
コチラの世界でも雨は降るが通常このような降り方はしない。この場所が特別なのだろう。
それは水の精霊の影響で、彼女が言うように遊んでいると言うことなのだろうか。
男は半ばあきれたような表情で周囲を眺める。
「ソおか、面白いか!」
ウゲツはそう言うと自分の背負っていた荷を下ろし、その場に座り込んだ。
男も腰を下ろし、しばらくの間二人で「それ」を眺める。
眼が合うと彼女は嬉しそうに笑い、仰け反るように跳ね上がると小さなステップを踏み
小気味良い跳躍を繰り返す。
霧のような雨のような「それ」が踊るように跳ねる彼女に吸い寄せられる。
ウゲツの肢体は透明と乳白に波打つベールで包まれる。
それに合わせてウゲツは更に軽快に跳ねた。彼女を覆うベールは動きに合わせて波のように弾ける。
弓のようにしなり燕のような勢いで今までよりずっと大きく跳躍するウゲツ
うつろな色でたゆたうベールは翻り、ざわめく。
カゲロウが水面に降り立つようにしなやかで、繊細に着地するウゲツ。
着地点の水面が弾けて広がり舞い上がる。それは舞踏会のドレスのようだ。
彼女を包むベールが溶けるように広がって消えるとウゲツはゆっくりと顔を上げ、その円く大きな眼を細めて微笑んだ。
男はゆっくりと雨合羽のフードを取ると彼女に微笑み返した。
- 種族の特徴や異世界ならではの変わった風景が目に浮かぶ -- (としあき) 2012-09-20 23:39:06
- 翻訳加護の勝手の違いからくる会話の変化って面白いぞ -- (tosy) 2012-09-21 22:05:48
- 所々艶かしい表現がそそる -- (名無しさん) 2012-09-22 00:54:38
- 異世界の大自然というのが雨と一緒に目の前に広がるようで壮大でした。たどたどしい交流も雨の中でもあたたかく和みました -- (名無しさん) 2014-10-26 16:59:56
- とても素敵な作品 -- (名無しさん) 2018-02-24 17:31:55
最終更新:2013年08月26日 20:38