アットウィキロゴ

【奉矢祭】

 奉矢祭とは、大延国における代表的な祭りの一つである。一年の半分が過ぎた日に、全国各地で同時に行われる。
 文字通り、矢を捧げる祭りである。誰に捧げるのかと延国の民に問うたなら、彼らは一様に空を指差すことだろう。奉矢祭とは、風精との絆を取り結ぶためのものなのである。
 祭りの日になると、人々は朝から仕事を休み、おのおの大きな音が出せるものを用意する。多くは鍋や食器、薪などを打ち合わせて耳を聾する音を立て、合間合間に大声で歌うことも忘れない。笛や石琴、五弦弓などの楽器も動員され、腕自慢が代わりばんこに担当して音を切らさぬようにする。田舎の小さな村では村人総出で太鼓をたたき、ある程度規模の大きな街になれば、腕利きの楽師たちが人々を指揮して音曲を奏でる。とかくにぎやかさが尊ばれるのは、風精の興味を引いて招きよせるためである。
 風精が人々の周りに集まってくると、祭りは第二段階へと移行する。人々は楽器を置くと、風精に礼をほどこし、その後にあらかじめ用意しておいた矢を取り出すのだ。
 矢と言っても大体は鏑矢である。人々がいっせいに投げつける矢はまるで地から空に向かってさかさまの雨のように昇り、宙を舞う風精たちに受け取られる。この時、人々が鏑矢以外のものを投げ上げることもある。色とりどりの長いひらひらの付いた長尾錘、花びらのように配された薄い金属片がこすれ合って音を立てる鈴華、二つの笛を紐で結んで振り回す双鳴笛、銀糸の編みこまれた小旗などといったおもちゃの類もまた、風精への贈り物としては一般的なものである。こうした小物は職人の手によって作られる手の込んだものもあれば、子供がありあわせの材料で作るようなものまで、大延国各地でさまざまな様式を見ることが出来る。
 風精たちが矢を受け取ると、彼らはそれを持ってあたりを飛び回る。彼らの振り回す鏑矢や鈴華は風を受けて音を発し、長尾錘や小旗はひらひらとはためいて、大いに風精たちを楽しませる。この時の空には、獲物をかざしながら列を成して飛び回る風精によって、まるで色鮮やかな河のような光景が出現するのだ。
 こうして風精が贈り物を受け取れば、祭りは終了となる。三々五々解散した人々は風精の舞を鑑賞しながら、再び音曲を奏でて大いに騒ぐ。人の姿を取った風精たちがこれに加わり、宴は夜を徹して行われることも少なくない。
 奉矢祭は人の住むところならどこででも見ることが出来るが、とりわけ熱心に執り行われるのは港町においてである。異世界の船旅は水精とともに風精の機嫌を損ねては成立しないものであるから、海沿いに住まう人々は奉矢祭を行うに当たって手間を惜しむことはない。大延国における最も大規模な奉矢祭は、易河の河口に広がる辛樹の街で開催される。海上と河川の積み替え港として発展を遂げてきた辛樹では、航海に連れ歩くために適した風精を見つけ出して連れ出すいわゆる『探風』の需要も大きく、街の上空では常に風精たちが舞い遊んでいる。彼らとの絆を保つため、辛樹の街では特別に装飾を施した大きな船を用意して風精に贈る。風精たちは船に群がるとこれを持ち上げ、船に取り付けられた無数の旗をはためかせながら空中で舟遊びの真似事を行う。貴顕を招いて行われるこの行事には周辺から風伯がこぞって駆けつけ、国の代表として白王が参列することも珍しくない。大延国の祭りの中でも、とくに際立ったものである。


 さて、人々の日常に浸透しているこの奉矢祭は、一人の皇帝の故事がきっかけとなって始まったものである。
 皇帝の名はクウエン。第二十代皇帝として帝位に就いた。知に優れ、白王と麒王を兼ねる力の持ち主でもあり、なおかつ一切の妥協を許さない頑固な為人であったという。クウエンのおくり名『雷帝』とは、一つには雷を自在に呼び寄せてみせたというその精霊力を称えるものであるとともに、恐れられたその癇癪ぶりを表したものでもあるという。
 クウエンはみずから政務を行い、国事の書類も人任せにせず処理した。この時、納得行かぬことが見つかると、クウエンは必ず責任者の元を訪れて問いただした。これが並みの皇帝であったならば、責任者を呼びつけるも官僚機構の複雑さに阻まれて、責任追及を諦めざるを得なかったのであろう。だがクウエンは違った。自ら風を呼んで宙を飛んでは責任者の屋敷を訪れ、扉なり屋根なりをぶち破って責任者を急襲するのである。そして責任者を見つけると、疑問が解消されるまでこれを開放しようとしない。もし不正が見つかれば文字通り雷が落ちるのだ。なにしろ皇帝のやることであるから誰も逆らうことはできない。当時の大物官僚の中にはひそかに「雷におびえながら暮らす日々はゴメンだ」といった記録を残しているものもいる。
 政治の不正のほかに、犯罪者もまたクウエンの餌食となった。法の網をくぐる悪党の噂を風精たちに探させ、証拠が定まれば飛来して罰を下すのである。些細な罪でもクウエンは妥協せず、罰から逃れることは許さなかった。しかし法に定められた以上の罰を下すことはなく、せいぜいが雷を落として脅かす程度であったということは、クウエンのために付け加えておくべきことであろう。クウエンはただの癇癪もちではなく、神経質なまでに不正を許すことが出来なかっただけなのである。
 およそ大都は言うに及ばず、辺州や漣州といったド田舎の住民に至るまでクウエンの追求を逃れることはできなかった。どこであろうと、クウエンは単に飛んできて雷を落とすのである。さだめし官僚や犯罪者にとっては悪夢の時代であったろうと推測される。実際、クウエンが崩御した後には政務に関する書類の形式が急速に整備され、特に皇帝が触れることの出来るものは限られるようになった。この仕組みが悪用され、皇帝が意図的に政から遠ざけられていた時期も生じたが、ここでは特に触れない。
 奉矢祭の起源となったクウエンの故事は、そのまま雷帝の贈矢と呼ばれるものである。
 当時、国を騒がせていた盗賊に三尺党と呼ばれるものたちがいた。州の境をやすやすと超え、突然出没しては人々を襲って国中を荒らしまわっていた。司直もこれを捕らえることはできず、何も打つ手がなかった。記録を信じるならば明らかに常識を越える能力を持っていたものと思われる三尺党の正体としては、南蛮の浸透攻撃であったとも悪仙の仕業だとも言われている。当時はまだ塞王もなければ金衛五科も設立されておらず、人の身ではこれら異形の匪賊に対応することは不可能であった。
 そこでクウエンは各地の風伯を呼びよせ、三尺党を討ち果たすべく協力を要請した。この時、クウエンは風伯たちに将軍としての地位を与え、その印として特別に作らせた鈴を贈った。クウエンは宮殿に千人の兵士たちを集めて三万本の矢を祭壇に積み上げさせるとともに、空の弓を弾かせてその弦の音でもって風伯たちに敬意を表した。風伯たちは矢を拾い上げると大延国各地に飛び去り、三尺党が出現すると文字通り矢の雨を降らせてこれを打ち倒した。程なくして三尺党の首領であるとされていた『三隻』のシュウハイのハリネズミとなった死体が大都に届けられ、大延国に平和が戻った。
 現在でも、いまだにクウエンの贈った矢のいくたりかは空中を飛び回っているとされる。ごくまれに、どこからともなく飛来した矢につらぬかれる者がでることがあるが、こうした死者は法を犯したために風精に罰を下されたのだとみなされて断罪される。こうした罰という要素から離れ、風精に贈り物をするという風習が祭りとして確立されて広まっていった過程については、当事者である風精たちが寄与していた可能性もあるだろう。国土を横断する伝言ゲームのうちに盗賊を打ち倒すという本来の伝達事項が薄れ、贈り物をもらったという事実だけが強調されて普段付き合いのある人間に伝えられるといった光景は、風精の性質を考えれば実に容易に想像できるものである。


 精霊に贈り物をする風習の例は奉矢祭に限らない。大延国だけでも陸州の沈花譜祭や岱明山の磨石堂などが有名であるし、他国に目を向ければそれこそ枚挙に暇がない。精霊とはすなわち人々に恵みを与える世界の代表であり、彼らの機嫌を取り結ぶことは、異世界に生きるうえで欠かせない配慮なのである。


終わり

 但し書き
 文中における誤り等は全て筆者に責任があります。

  • 性格さまざまな皇帝が代わる代わる生まれる大延国は代ごとに国の風潮とかも変わったり? -- (としあき) 2012-11-11 18:15:45
  • 精霊と結びつく祭いいね。打ち上げたら落ちるのでは?と思ったけど取り越し苦労だった。 大延国皇帝はどの代もパネぇ -- (名無しさん) 2013-10-26 00:36:43
  • 歴史もあって異世界らしさも楽しめる祭りは旅の目的になるねいいね -- (名無しさん) 2014-10-21 23:39:37
  • 薀蓄と異世界の風景がするすると入ってきます。正義の信念貫く雷帝もどことなく愛嬌がありました。風の集まる祭の他も見てみたい祭がいっぱいです -- (名無しさん) 2015-04-12 18:48:09
名前:
コメント:

すべてのコメントを見る
-

タグ:

e
+ タグ編集
  • タグ:
  • e
最終更新:2012年11月06日 13:48