【闘火】

 子供の遊びである。主に大延国の中心付近に位置する漠州に見られる。
 漠州は風精と火精の存在が卓越し、結果として全土が乾燥した気候に覆われている。樹木に乏しく、丈の短い草原の広がる漠州の植生は地球で言うステップ気候のそれに近く、住民たちは放牧などによって生計を立てている。周辺の州、たとえば翼州や甘州などが温暖湿潤な気候で植生にも富んでいることを考えると奇妙に思えるが、これは異世界の気候が地勢の影響ではなく、精霊の分布によって定まっているためである。なんらかの理由によって水精が漠州に寄り付かないために、全土が乾燥するのだという理屈である。
 こうした説明を補強する材料として、漠州において広範に見られる昔話であるところの雨泊と詩人の物語がある。
 かつて、漠州の雲と雨とを治めていた雨泊は鉄面皮の朴念仁であり、ために漠州にはめったに雨が降ることはなかった。見かねた詩人は雨伯に雨を願い、その代償として彼女は卓越した詩才でもって雨伯に悲しみと愛とを教えた。雨伯が感情を身につけた結果として漠州には恵みの雨が降るようになり、雨伯は詩人を妻として迎え、しばらくの間は幸せに暮らした。だが詩人がこの世を去ると雨伯は再び感情を失い、それがために漠州には雨が降らないようになってしまった。そうした物語である。今でも、ごく稀に漠州に大雨が降ることがあるが、それは雨伯が妻を喪った悲しみに耐えられなくなって涙をこぼすためといわれる。雨と涙とが結び付けられるのは、異世界も地球も同じようである。
 さて、闘火に話を戻そう。このように漠州は乾燥した土地であり、そうした場所で最も気を使うべきは火の扱いである。闘火はそうした火の扱い方を、幼子たちに教育する手段として用いられているものである。
 異世界の火は火精が引き起こす現象であり、火精は他の精霊に比べて人の子に親しんでいる。文明生活に火は欠かせないものであり、火精と人とは長い共生関係にあるためである。だがそれでも、火が人に害をなすことはある。草原を多い尽くす火災から日常におけるちょっとした火傷まで、火精との付き合い方を間違えれば傷つくことは避けられない。そのために、人は子供たちに火の扱い方を教える。地球においてもこうした教育が施されるが、多くの場合は火を慎重に扱うよう教えられ、特に火遊びは厳重に禁じられることが多いだろう。これに対して異世界では、むしろ積極的に火で遊ぶことを通して、火の扱い方、火精との付き合い方を学ぶのである。
 闘火を行うのに必要なのは四つ。平らな場所と、対戦者と、おのおのが持ち寄る火精、そして適当な燃料である。
 子供の遊びであるから、場所は適当な空き地が選ばれる。対戦者もまた選ぶに不自由はない。闘火はある程度幼い子供の遊びとみなされており、年長組はあくまで観戦や仕切りなどの補助に徹する。最も向いているのは、簡単な家事をまかされるようになってきた程度の年齢からである。そして火は、おのおのの家のかまどに住まう火精に分けてもらう形で調達する。家に住まう火精はそれぞれが名前を与えられ、家族の一員として遇されるのが普通である。だから子供の遊びであるとは言えども家の名誉をかけた争いであることも間違いはなく、だが子供たちはそこまで頓着することなく、ただ自分の家の火精を信じて勝負に臨むのみである。
 場所が定まり、対戦が始まると、子供たちは火精を中心にすえて円陣になる。この円の中には立ち入ってはいけない決まりである。持ち寄った木っ端やわらクズなどの燃料を火精に向けて投げ込む。燃料を受け取った火精は燃え盛り、より多くの燃料を求めて炎を伸ばす。二つの炎が燃え上がるうちに、一方の炎がもう一方の火に投げ込まれた燃料を奪い取ることがある。奪われる側の火精も抵抗し、そうなるとたちまち炎が二つ取っ組み合いを始めるような有様となる。一方がもう一方を火勢で圧倒したことが誰の目にも明らかになれば、そこで勝負は終了である。火精同士を戦わせることが、闘火という名の由来である。
 より多くの燃料を獲得した火のほうが強力であり、有利である。そのため、対戦者は少しでも自分の火に多くの燃料を与えようとする。考えなしに投げ込めば、火勢の勝る相手の火に掴み取られてより相手の力を増すことにもつながりかねない。このため、相手との間合いを考え、あるいは火を誘導して燃料を与えやすい状況に持っていくことが、勝利を目指すうえで大変重要である。燃料を投げ込むこと自体を妨害することはルール違反となっている。あくまで火を上手く操り育てることがこの遊びの趣旨だからである。
 燃え盛る炎の周りを回りながら、子供たちは燃料を投げ込み、自らの火精を励まして戦わせる。火精が好む燃料を選び出し、火勢が弱まれば適切なタイミングで燃料を補充し、上手く誘導して相手の火精を制する。興奮しすぎた子供が火を育てすぎることも少なくないが、多くの場合は年長組が制したり、火精それ自体が勝負を放棄したりする。火精もまた、自らの役割をよく承知しているのである。勝負が終われば火精たちは火壷などに収められてそれぞれの家に戻り、元の炎に混ざって再び家事に従事する。幼い子供たちは、闘火を通じて自分の家の火精に親しむとともに、家族の一員としての自覚をも獲得していくのである。
 異世界の生活においては、精霊との関わりなくして文明的な生活は成立しないと言ってよい。故に子供たちは精霊との付き合い方をあの手この手で教えられる。闘火は、そうした教育法の一端である。

終わり

 但し書き
 文中における誤り等は全て筆者に責任があります。

  • 異国文化感が出てていいなあ -- (名無しさん) 2012-11-17 13:49:44
  • 精霊魔法が生活に根付いている感じがする -- (名無しさん) 2012-11-17 20:32:11
  • 精霊の認知や共生関係ができあがっている国の様子を見ると逆に精霊とほとんどかかわりのない国とかはあるのかな?と逆の方に興味が出てきたぞ -- (としあき) 2012-11-18 21:32:49
  • 大延国ssの文化的厚みは突出してるな -- (名無しさん) 2012-12-06 20:38:12
  • 前半の昔話の説得力がたまらなかった。精霊と身近に常に接していると自然とやりすぎない限度や理性を身に付けていくのかな -- (名無しさん) 2013-07-31 02:26:11
  • 分かりやすい気候と精霊の結びつきと昔話がしっかり世界観を表現していました。遊びの中で覚え親しむという子供の特権もなるほど納得 -- (名無しさん) 2015-05-10 20:30:32
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最終更新:2012年11月17日 13:28