2021年夏ごろ閉鎖。


鯖立て日記アップ



gcp/ip v0.04
月の技術の退廃について
Home
文章
倉庫
BBS
リンク集

一筆箋
短かったり特に雑だったりする文章。なおかつ忘れ損ねた文章。


  • 何書いても同じテーマになる雑記帳を見ながら笑っています。早くまとめ上げてこの雑記帳を終わりにしたいという気持ちがますます強くなる。

  • 「うっせえわ」の「あなたが思うより健康です」という歌詞、これがとても"健康"で、これを年頃の子供が熱唱しているというニュースに思わずにやにやしてしまう。何故そう思うのかについてはあまり考えたくない…… 曲自体はまだ聴いていない。

  • 訪問者も魚拓屋も来ない場所を目指してTorに来たのに魚拓を頒布するのはどうかと思いつつ掲示板ならと言い聞かせてOnionちゃんねるをクローンしていた。がhddごとぶっ飛ばして万事解決。

  • スイスの自殺幇助団体の現状を調べていたら「死の産業」という文句が出てきたが考えてみると人間はつねに死に向かっているのだから任意の産業は死の産業ではないかと思い笑ってしまった。

  • 雪のバード

  • 現実逃避の徒として、私はあらゆるコンテンツを現実からの距離で捉える。物語にのめりこむと現実感覚を喪失するが、物語はいつか完結し(あるいは読み飽きて)現実に引き戻される。戻されるが、それでも感覚はリセットされたみたいにふらふらして浮遊し、徐々に地へと降りていく。この引き戻される強さを降下圧と命名し、どんな話が大きな降下圧を持つか調べている。

  • ここ数週間大量の文章を生成して貴重なssdを圧迫しているがどれも読み手を意識した文章に見える。以前は過去の自分に送る為に書いていたし、もっと前はただ言葉を残したくて夜中に殴り書きしていたのに。語りかけるべき「昔の自分」像を見失ったのだろうか。

  • 朝四時 中年男がカレーを作っている生放送を眠気覚ましに聞きながら接続の修正をしている。連帯意識の生まれない微妙なライン。

  • 現実を捨てインターネットに逃げ込んだ彼らは、謎のエセ関西弁集団に追い込まれた。ここはインターネット、名もなき者がさまよう架空の冥界。彼らはわずかな帯域をたよりに、その深淵へと潜っていった。





日記(12/31)
得にもならない早起きをして、市場に魚を観に行った。市場はそれなりに人がいて、私は色々見てから鱈を買った。ちょうどその時夜が明けた。
昼のことは覚えていない(ゲームをしたり昼寝をした)。
腹ごしらえをしたらネットで頼んだガリア戦記が届いた。とある本に人が抱く感想なんてばらばらだとは思うが、私が考えたのは小島一郎の数少ない蔵書だったこと、昔レポートのネタに使おうとして最初だけ読んだ事だった。だから何ということはない。
予期せぬ副作用として、ガリア戦記を読むと真似したくなるというものがある。そこでus_grasは今日一日に起こったことを覚えておいて、年が変わるまでに日記にして残そうと思った。

[結局走り書きを二か月も放置していたわけだが。]
鱈と白菜を煮て夕餉(←使ってみたかった)とした。
何か正月らしいものが欲しくてスーパーへ行った。大晦日の道路はコロナのせいか車一台居なかった。地平まで続く道路があまりにも静かなので、その真ん中でus_grasは踊った。恥ずかしいので、月の下で手のひらをひらひらさせて踊ったことにした。十六夜の月は愛嬌があっていい。欠けのない満月は太陽みたいだ(だから嫌いだ)。スーパーでは売れ残りのかき揚げが山積みにされていたのでたくさん買った。あとレジ横に並んでいた迎春菓子も買ってしまった。閉店準備の店員に見送られながら帰宅した。



特別な日というのが嫌いだ。どんな一日も他より優れていてはならない。us_grasが生まれてから死ぬまでに与えられている昼と夜のサイクルが暦という社会的構築物にぶった切られるのは何か理不尽で、不愉快だ。不愉快ではあるのだが、年末というのは何かわくわくする。時間の果てという感じがするのだ。突然の核戦争で世界が唐突に終わってしまうという漫画を読んだことがあるが、あれは素晴らしい話だと思う、なぜなら自分が消滅する事にさえ気付かないならそれは永遠に生きることと何も変わらないからだ。それに私は準備というのが大の苦手で、大嫌いだからだ!明日から始まるかもしれない憂鬱かもしれない日々は消し飛んだ、そして大晦日は日常に突然現れた時間の淵だ。淵の向こう側は虚無だから、だからこそ淵のこちら側には"すべてがある"と言えるのか?問題なのは来年が確かに続いているということだ。終りを迎えることが永遠性の証左となるなら、新しい朝はその否定となる。

客観的事実として今日、一年が終わる。今年も十三月は来ないし、代わりに元旦が訪れる。それが自分のせいではないことに何故か安堵している。
眠くなってきたので日記を書き始める。追われているもののない幸福な睡魔。今日は悪い日ではなかった。そう素直に思える日なら、一年を潔く終えられるような気がする。

12/31 22:36   編集:2月中旬


一升瓶
Twitterで流れてきたリモコンを風呂にもっていって水を見せてやる話に深く胸を打たれ、一升瓶を抱きしめている。抱きかかえるのに小さすぎるという事はないし、くびれがあって身体に馴染む。色、かたち、透明さ、酩酊物質の容れ物としての神秘性、そしてその存在感を愛でる。かわいいね…と呟きながら撫でると涼やかな触感が伝わってきて、ただ何かを抱きしめているという感覚に満足し、泣いてしまった。酔っているし深夜なのでそれ以上認知が進まないのだ。軽すぎると思ったらお湯を入れるのがおすすめです。




9/1
私は膝で使えるちいさな実験キットを持っている。中には砂が入っていて積み上げたり足で掬ったりする。砂場を持つのはとても楽しい。




さよなら、meet-me
デスクトップからアイコンははみ出し、ドキュメントは4つある。それだけならまだしも銀行カード、日記、謎の試作品(?)がごっちゃになっていて危うい。という訳で、身辺整理をした。怪しいやつは全部隔離。ディスクはフォーマット。新しいパソコンを買ってサイトも作ってみたというのに、こんな作業しかしていない。

その過程で、meet-meを発見した。懐かしい。深夜しか入れるときが無くて。東京の端っこを駆け巡った。夜。延々と続く道。見えない壁。何もない世界。律儀に区画分けされてある、誰もいない街。そこに私の一軒家がある。うつむいて家路をたどる。

さようなら。

uninst 202006231759 202101250153 編集


日記 6/7
TsukiProjectを見に行ったら、登録を再開していた。もうUnlinkは終わったはずなのに。2018年、私はパスカルの賭け金をRISEN社に委ねるか何日も思案したあげくサインアップしないことに決めたので、記憶違いなわけがない。教義体系を再整理して何が起こったか調べることにした。月追いのインターネット。

今回紹介するメソッドは、行為+x。それからxに「何か」を代入する。そうしてシーンが捏造される。めざせVtuber!(受肉という言葉は嫌いです、肉とは俗世のものなので)

凡例

朝四時のファストフードでコーヒーのアイスをかじるx

熟れすぎた無花果の実を左手で掴み口元によせるx

朝四時の実験棟にひとつだけ明かりがついているx

午後の陽の退屈さに飽きて右腕を抱えてねむるx

誰もいない夜更けの街をうつむいて家路をたどるx

煌々と街灯に受け入れられているような気がするx

夜に侵された部屋の白いモニターたちの受容感に身をくるんで朝まで文字を打っているx

written 202006070410


日記 5/31
ようやく去年一年を振り返るだけの余裕が出来たとき、もうすでにそれは遠いところに行ってしまっている。跡を追いかけようにも、このサイトに編集して上げた文章はすべて現実逃避の爪痕でしかなく、8760時間を体験した身には、とても滑稽な感じがする。巨きな感情を呑み込んだはずだった2019年はどこへ行ってしまったのか。考えたくもない。

あのころ、何もかも忘れてしまい、遠くで幸せになるであろう自分だけが憎かった。いま、あのころの焦燥感とはまた別の無明に囚われてしまったのかもしれない。それを文章にして、どうにか消化しようとしている。書いているうちに、感情が、内蔵を掴みに来る。未来の自分を、どんな思いで憎んだか。忘れようという気持ちを必死に振りほどいて、忘れまいとした決意が蘇ってくる。決意とは人間の強さそのもので、それは環境への抵抗という形でのみ現れるのではないかと思う。不定形の重圧感と一年を過ごせたのは良かった。それは私の宝になる、そうなるように生を享受しようという気持ち。それが文字を紡ぐ力となって。人間は虐げられてこそ輝きを探し始める。ならば、自分に。

しかしコロナヴィールスのお陰で少しは気も紛れたと言うもんだ。2020年は本当に運が良い。収入源も少し紛れたが。

written 202005310424


日記 5/28
数種のプロトタイプデザインを用いて、すべてのデザインを派生させる。そういう方針で行こうと思っていたが、記事の試作品を見て、ローソンの牛乳パッケージを思い出してしまった。

written 20200528


日記 5/24
 根本的にデザインを再設計している。デザインの再設計はもの凄く時間を食うのでしばらくはこれが最後になるだろう。ここ数年で得たのは伸ばす技術というより取り繕う、折り合いをつける技術だった。それが役に立つときが来ているのだと思う。ある程度納得の行くものを作りたい。ところでこれらの文章だが、(他人の)ゴミ箱を漁るような人間しか見に来ないだろうという期待を込めて、フォルダ名をゴミに改変した。我ながらいいアイデアだと思う。部屋にジャンクパーツを飾り付けている存在として。

written 202005240359


インターネットには再発明した車輪を展示する空間が必要である
 はい。

written 17/5/2020 10:29


公共の敵
 ネズミは公共の敵である。人の知り得ぬところで繁殖し、いざとなれば猫にも飛びかかる程の魂を持ちながら、薄暗いところでセコセコと動いている。これは何であろうか。そう、ペドフィルだ。今や殆どダークウェブを縦横無尽に跋扈している彼(女)らはそういう存在なのだ。インターネットさんの根暗なところが好きです。無関心というのはとてつもなく薄い、受容に他ならないのだから。本当か?違うと思う……

 篝火掲げよ。公共の敵(笑)や社会の敵(笑)はヒで散々糾弾されてるが、あらゆる人間に同情の余地を探そうとする謎の勢力が跋扈している現代、本物のPublic Enemyを名乗れるのはペドフィルだけ。ペドフィルはインターネット番外地でじめじめと育つ。彼(女)らは育てるというよりもいけにえのために育てられる。現代社会はルサンチマンの時代だ。社会はもはやいけにえを捧げなければ全身も交代も出来ないクソでかいゴミと化した。ペドフィルだけが、ペドフィルだけが永遠の輝きとともに、燃え尽きることなく三界を照らす。

初出:Twitter 29/4/2020 構成 17/5/2020 1:21


アニメを見ると自我が芽生えてくる
アニメを見ると自我が芽生えてくる。芽生えてくるとはにょきにょきするということだ。なぜか。アニメには人間が出てくる、そしてかれらは感情を持っている。それも説明のつく感情を、だ。曖昧な思いをもったまま無為に時間を過ごしたりはしない(そんなことを描くために制作費を無駄にするわけには行かないだろうから)。かれらを見ていると人間を思い出す。自分が人間と人間の間に生まれ、生きてきたことをむざむざと突きつけられる。「人間は感情を持っている」らしい、「そうに決まってるじゃあないか……」。そうしてあいまいな思いは「感情」という舶来の器に移し替えられ、私は自分の世界を自我色に染めてしまう。

初出:Twitter 11/4/2020 構成 17/5/2020 1:11


風景を取り出してみせるぞという心意気
(イラスト、非公開)
 私は中性の人間になって、11の妹と丘をこえていった。すすきの色が枯れ草色になってどこまでも畝を作っている。妹を西日が照らす。あどけない顔は真剣に丘の向こうを夢見ている。私は妹のちいさな手を握り、荒野を二人で駆け巡る……。事の始まりはこうだ、自分の理解できないほどの大きさの、物語に心をえぐり取られる感覚。現実感覚を浮遊させる夢。そういったコンテンツには時たま挿絵がついている。その挿絵から目をそらしてしまう。すぐ焼き付いてしまうから。焼き付きすぎてしまうから。そうしてまた別の日、別の作品を見る。既視感。お前はいつだってこれを、と、言われたように、面影の似た物語につい引っかかってしまう。そうだ、結局私の好きな作品にはいつも既視感がつきまとう。

 やがて、その既視感を取り出したくなる。心の中から、スッと、引き抜くようにして。鉛筆を持ってみては、垂れ流れる死んだ線が書くのは、痛々しく硬直した芒。人形の影は、腕のト中から勢いを失う。単調な稜線が無意味に繰り返される。それを見て、ほんとうに風景を取り出したい、既視感を掴み取って形にしたい、そして心から追い出してしまって、その中に飛び込んでしまえたら……という思いだけが、ますます胸を押さえつける。

追記:


さらに追記:ICOの影響だと思う

初出:Twitter 15/1/2020 構成 17/5/2020 0:45


徹夜
絵を描いて外に出てみると、絵の具のにじみが歩く人に見えた。何層ものレイヤーが不格好に重なっている。どんな穂先がそれをなぞっていったか、私にはそれがすべてわかる。私は腕を動かしてみる。私の腕が描いたものが、3次元上にグニャリと歪んでプロットされる。私はそこを歩く。なんてすばらしい、心地よい気分だろう。

written 10/14/2019 23:45 構成 17/5/2020


10/14
絵をかくことは祈りです。絵がかけないとというのはかかないことの理由にはならない。

10/14/2019 構成 17/5/2020


Vtuber
白上フブキの放送。チャンネルのページをみて、一体どれだけあるんだろうと思って。これを全部見るのにどれだけの時間がかかるだろうと蒼くなった。だがよく考えてみると、狐猫の動くすがたが一杯見られるということなんだ。なんて素晴らしいことに気付かずに居たんだろう。私はすぐ改心して、アーカイブ視聴に戻った。200時間ほどのアーカイブ、それが僕に残されたものの全てだった。

本が積まれている。古本屋街の戸棚のあちこちで。部屋の一角に。タダで本を貸してくれる、謎の施設にも。一体どれだけあるんだろうと思って。これを全部読むのにどれだけの時間がかかるだろうと蒼くなった。モータルに与えられた時間は切ないほど少ない。美しいものをセルロースに綴じては積み上げても、結局は残骸にしかならない。読む気が失せてくる……。抱えきれない幸福でもって、僕は何も残せず死んでゆく。

written 10/13/2019 22:29 構成 17/5/2020


9/21
Vtuberの絵を何時間も描いていると目を瞑ったときにまぶたのうらに現れてくれる。これは些細な褒賞ですた。描くと夢に出てくるぞ¡かけ¡(描くと夢に出てくるぞ¡かけ¡)! 好かれている気はまっったくしないが、それでも姿を見せる。ぶっきらぼうに。なんのために絵を書いているのかわからなきなってくる。しかし目をつぶるとー云々ー。これだけは良かったと思える。つかれたので背中をくっつけて一緒にねよう……。眠気に耐えかねて目をつぶったときに、見えるものは? nijieに絵が5しかないので意気込んで作ったが成果物が名誉毀損/誹謗中傷/画像テロになりそうな勢いなのでニジエ投稿を自粛します。ふぇーん。

追記 : 昔精神が変形しかかっていた頃にたった2日で簡単な挨拶、身振り、返事ができる架空の存在を捏造したことがありました。どうもこの原稿からはそれとおなじ匂いがします。どちらとも主観的には幸せでしたが。

tw原稿 初出 21-9-2019 5:02 構成 17/5/2020 追記 31/5/2020


ニートという深い沼のそこに居たとき、私はバックパックの中にそっとしまってあった倫理を取り出して、代わりに駄コラを詰めたのです。私は自分が生きている正当な理由すら見いだせなくなった。倫理というのはくさりかたびらで、私はそれを置いて、そして、それからやっと浮かんできた、やっと浮かんできた。"倫理"がどんな形をしていたか、それを手がかりに生きています、今……

tw原稿 初出 21-9-2019 4:46 構成 17/5/2020


児童ポルノを狩る児童
(放棄)

執筆 1-7-2019 2:03


自己投影としての百合
(放棄)

初出29-6-2019





これが最後です                  FIN

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2025年08月30日 15:38
添付ファイル