何のために吊るのか?
本当に大事なものはなんですか?その大事なものを決める覚悟はありますか?
吊った人が誘導していた人を吊り、バランスをとるのも大切です、人を吊るすのも勇気です。
ですが、人を村と認定するのもまた勇気。そのどちらが貴方にとって大切ですか?貴方の中の理念を決め、吊りを決めましょう。
吊られた人に質問されても、答えられるように。貴方の中のより大事な方を大切にして下さい。
何かを選べば何かを捨てなければならないのです。その覚悟が無い人に、指定先を決めてほしくはありません。
占いが真であれ偽であれ、深く考えずに切るのは、その人に失礼です。最後まで考えてあげることがその人に対する敬意です。
本当に悩んでわからないときは、他の人に一任しましょう。それもまた勇気です。
その悩んでわからない思考を話してみればいいでしょう。
ですが、選ぶべきとき、選ばない、選べないというのは、その人にとって経験として残らないのではないのでしょうか。
間違えたら負けるのは当然の結果です。その危うさを知るからこそ人狼は面白い。どうぞ間違えて下さい。
そうしたなら、選択のスリル、その楽しさに気付くでしょう。ただのグレ村人が指定するなという人がいます。
しかし何も考えずにただのうのうと村に存在するだけの人よりかははるかに価値がありましょう。誘導返しを恐れていてはつまらない。
誘導返しの存在もまた誘導をより輝かせるのです
最終更新:2012年10月06日 10:38