彼女はひたすら走っていた。
そうする内に、なぜ自分が走っているのかも分からなくなる。
何かから逃げているのだ。
じゃあ、何から?

誰か、助けて。
そうだ。助けて欲しいときには、必ず彼は現れてくれた。
そしてその彼を頭に浮かべた瞬間、思い出す。
優しい笑顔、力強い手、暖かな眼差し――吹き飛ぶ頭。

「……いや……いやぁぁぁ!!!」

エリナ・ジョースターは最愛の夫、ジョナサン・ジョースターの末路を思い出した。
喉から絞り出すような叫びを上げると同時に、彼女の身体から力が抜ける。
カクンと躓くように地面に倒れたエリナは、もう立ち上がることは出来なかった。

一面の暗闇と冷たい空気の中、足音がどんどん迫ってくる。
エリナは覚悟を決めることすら出来ずに、白い手で地面を握った。
その甲に、ぽつりと水滴が落ちる。
ぽたぽたと涙の落ちる音が、足音にかき消されていく。
そしてその足音は、エリナの視界の端に太い脚が映り込むことで止まった。

「おいおい……大丈夫?お嬢さん」

頭上から聞こえた、その声のする方へ顔を向ける。
自分を追ったせいで少し息を切らせながら、安心感のある笑顔を浮かべている男。
それはやはり「ジョナサン・ジョースター」だった。

エリナは、確かにその頭が吹き飛ばされるのを見ていた。
ただ何も出来ずに見ていた。
助けに走ることも、声を上げることすら出来ずに。

ジョナサンがゆっくりとエリナの前にしゃがみ込む。
今すぐにでも彼の胸に飛び込みたくなるような衝動を抑えるのに必死だった。
エリナは震える声を整えられないまま、水滴を垂らすように少しずつ言葉を紡ぐ。

「ど……どうして?」
「え?」
「貴方は……さっき確かに、死んだはず……!」
「……」
「あのホールでッ!あ……頭……を」

そこでエリナは一瞬動きを止める。
すぐに口を押さえて背中を丸めた彼女は、声を上げずに泣き始めた。
ただ、時々隠しきれない声が指の間から漏れ出ていく。

その背中を男が辛そうに見つめていたことには、エリナは気づかない。
ただ温かい手が自分の肩に置かれた時、ふっと心の中に木漏れ日が差すような感覚を得ていた。
その手を、振り払うことなど出来る訳がない。

「俺だって訳がわかんねーんだよなぁ~……。
 あそこで見せしめみたいに殺されたのは確かに俺。
 でもここにいて、今君を慰めようとしている俺も、確かに俺自身だ。
 どっちも本物の『自分自身』だと、俺だからこそわかるッ!」

肩に置かれた手に力がこもり、エリナは思わず顔を上げる。

「でも俺は自分が本物だって信じてる。
 『殺し合いになんて乗らない俺』で『君みたいな女の子は絶対に守る俺』だってな」

確信できた。
目の前の彼は、自分が生涯唯一愛すると決めた男だ。
何があっても側にいると、ずっと支え続けると誓った「ジョナサン・ジョースター」その人。
自分には、まだ何もわからない。
それでもずっとこの人を信じようと、そう思える。

まるでその血に惹きつけられるように、エリナは愛する夫の胸にそっと寄りかかった。



※※※



突然、先ほどまで泣きじゃくっていた女性に胸に飛び込まれたジョセフは、思わず息を飲んだ。
片膝を立ててしゃがんだ体制のまま、男は彼女に自分から触れることも出来ずに固まる。
思い切り抱きつかれた訳ではない。
そっと寄り添うように身体を預けた彼女は、ためらいがちにジョセフの服を握る。
柔らかい身体、どこか高貴な香り、すすり泣く声、上から覗く美しい谷間……。

(これは……まずい気がするッ!よくわからねーが、何かがまずいッ!!!)

「お……俺、一応新婚なんだけどなァ~……」
「?ええ、そうね……」

返されると思わなかった独り言への返事に、ジョセフは違和感を覚える。
確か、自分とこの女性は初対面のはずだ。
しかし涙を流しながらこちらを見上げる彼女の顔に、どことなく見覚えがある気もする。
だが、地下の暗闇の中ではハッキリと確認できない。

ジョセフに縋り付いたまま、彼女はぽつりぽつりと話し始めた。
皺になるほど強くジョセフの服を握るその女性を見て、彼はその話に口を挟まずに聞くことにする。

「『俺』と新婚旅行の船に乗ろうと思ったら、いきなりあのホールにいた」
「その時突然『俺』が消えてとても驚いて」
「その後、見せしめのように『俺』が殺されて不安に」
「でも、また『俺』に出会えて本当に嬉しい」

涙で詰まって上手く話せなかったり、混乱して支離滅裂になりつつ話したことだったが、纏めるとそう言いたかったらしい。

彼女の話を頭の中で整理しながら、ジョセフはようやく自分が彼女の夫と間違えられていることに気がついた。
しかし、自分の旦那を普通間違えるもんか?
思わずそう指摘してやりたくなったが、涙で目を腫らし唇を震えさせる様子を見てとどまる。
暗闇の中、しかもいきなりこんな状況に放り込まれて憔悴した彼女には、仕方ないことかもしれない。
幸せの絶頂から、いきなり地獄の底のような戦場に落とされたのだ。

あまり勘違いを長引かせてこの人を傷つけたくない。
ジョセフは自分の正体をさっさと明かしてしまおうと決意する。

「あのさ、お嬢さん。実はそのぉ……」
「ジョナサン……」

その名前を聞いた瞬間、彼の身は凍りついた。

目の前の女性は相変わらず此方を熱い視線で見つめながら、ジョセフをそう呼んだのだ。
祖母やスピードワゴンに常々聞かされてきた言葉が、血流に乗って脳内を駆け巡る。
そして同時に、先程感じた彼女への既視感が再び彼を襲ってきた。
首の裏を、冷や汗が流れ落ちる。
ジョセフは今まで触れることの出来なかった彼女の肩にそっと両手を置くと、澄んだ瞳を見つめ返した。

「……君の名前は?」

真剣なジョセフの表情を見て、彼女は目を見開いてから縋り付いていた手を離す。
そして、地面を掻いて少し傷ついた両手を膝の上に合わせた。

「私を疑っているのね?」
「いや……とにかく名前をね、聞かせてほしいなァ~って……」

「……エリナ・ペンドルトン。
 いえ、ごめんなさい……エリナ・ジョースター!貴方の妻です!」



(……………………う、嘘だろォォォォ!!!??)

その叫び声は辛うじてジョセフの頭の中に留められたが、驚愕の表情までは抑えられなかった。
そんな様子の夫を見て、エリナと名乗った女性は首を傾げる。
瞬間的にその女性の肩に添えた手を離すと、恐る恐る彼女の頬に触れた。
むにむにぎゅうぎゅうと、遠慮など忘れて柔らかな頬を揉みしだく。

「ひょ、ひょなひゃん!?」

彼女は顔を真っ赤にしながらも、為すがままにされていた。

確かに、その顔は自分の祖母の面影が……あるような気がする。
じっと彼女の顔を見ていると、ふと一枚の写真を思い出した。
スピードワゴンにこっそりと見せてもらった若い頃のエリナの写真、朧げなその像が次第に鮮明になり――思わず頭を抱えた。

まさにその写真の女性が今、目の前にいる。
触って確かめたその身体は温かい。
まさか石仮面でも被ってしまったかとも思ったが、彼女は紛れもなく普通の人間だった。
仮に石仮面か波紋で若返ったとしても、記憶まで飛んでしまっている様子なのが奇妙だ。

(ど……どういうことだ……!?この女は一体……何者なんだよーッ!)

いきなりの瞬間移動、殺されたもう一人の自分。
それに加えて新たな謎が浮上した。
しかもどうやらこの謎は、真っ先に解決しなければならない問題のようだ。
ジョセフはそっと立ち上がり、彼女を見下ろして考える。

彼を心配そうに見つめる『エリナ』の瞳は、どこまでも無垢で美しい。
だからこそ厄介だ。
彼女自身は自分をエリナ・ジョースターだと、更にはジョセフのことを夫であるジョナサン・ジョースターだと完全に信じきっている。
彼女は何者か――まさか本当にエリナおばあちゃん……なのか?



その女性が、自分から距離を置いて神妙な面持ちで見つめる彼をどう思ったのか、それは彼女自身しか知らない。
しかし女は何も言わずに立ち上がると、後退ろうとするジョセフに近づいていった。
ジョセフはそれを、処刑台への導きのように感じる。
だが「エリナ」は、彼の右手を包み込むように握っただけだった。
彼女の顔には、百合の香り立つような微笑が浮かんでいる。

「あ、あのぉ……」
「貴方が何をしようとしているのか……私には分かりません。
 ……でも、私は貴方がどんな事をしようとも必ずついて行きます。
 貴方を――信じていますから」
「――!」
「でも私が一緒だと戦えないのなら、そう仰ってくださいね。
 一人でどこかに隠れて、貴方を待っています。いつまででも……」

美しすぎる――ジョセフは思った。
当然彼女が持っているはずの悲痛な覚悟も、不安も、寂しさも、その笑顔からは一切感じられない。
ただひたすらに夫を想い支えたいと願う、一人の聖女がそこにはいた。

(間違いない――この人は、エリナおばあちゃんだ……。
 エリナ・ジョースターだ……)

彼の知っている祖母の手は皺だらけのくたびれた手だったが、いつでも厳しくて優しかった。
手袋ごしに、記憶の中のエリナと同じ温もりが伝わる。
本当に、此処に来てから奇妙なことばかりだ。
なぜ彼女が身体も精神も若返っているのか、ジョセフにはまだわからない。
恐らく「石仮面」でも「波紋」でもない、何らかの未知の力が存在していることは確かだ。

それでも、俺は彼女を守り抜く。
おばあちゃんを元の姿に戻して、必ずアメリカに帰す。
そしてもう一つ――。



ジョセフはエリナの手を握り返した。
そのまま彼女を引き寄せ、たくましい胸の中へ抱き止める。
右手で細い指を握り、左手はエリナの頭を包んで。
頭を撫でると、彼女は一瞬身を固まらせる。
その瞬間のエリナの顔は見たくなかった。
見られなかった。

「ジョナサン……」
「大丈夫。絶対に置いて行ったりしない……。
……君は――『僕』が守る。何があっても……ッ!」

これがただのエゴだと、ジョセフは気づいていた。
それでもジョセフには、まだ彼女の知らない「真実の未来」を伝えることなどできない。
エリナ・ジョースターは、どんなに残酷だろうと真実を求める女性だということも知っている。
それでもジョセフは、愛する人を欺き続ける覚悟を決めて甘い嘘をついたのだ。
その甘さはエリナのためのものなのか、ジョセフ自身のためのものなのか――。

「……ジョナサン?ジョナサン……よね?」
「ああ……どうしたんだ?エリナ」

エリナの髪が、ジョセフの頬をくすぐった。
彼女には、ジョセフの歯を食いしばり眉根を寄せたその表情は見えていない。
彼が、今にも抱き潰してしまいそうなのを堪えながら抱きしめていることも、何も知らなかった。

エリナはジョセフの腕の中でみじろぎを取ったが、自分を呼ぶ声にぴたりと動きを止める。

「……いいえ、何でもないわ」

エリナには、彼女を愛してくれるジョナサンの優しい声があればそれで十分だった。
もうそれ以上考えることなどない。
例え彼女の頭を撫でる左手に固く体温を感じられなくても、自分の手を握る右手にあるのは、確かに愛する人の温もりなのだから。



そして、ようやく二人の歯車は噛み合った。
エゴは救いとなり得るのだろうか?
無知は罪になり得るのだろうか?
歯車はまだ、回り始めたばかりだ。





【地下D-5 南西地下通路/1日目 深夜】

ジョセフ・ジョースター
【スタンド】:なし
【時間軸】:第二部終盤、ニューヨークでスージーQとの結婚を報告しようとした直前。
【状態】:健康
【装備】:なし
【道具】:基本支給品×2、不明支給品1~2(未確認)、アダムスさんの不明支給品1~2(未確認)
【思考・状況】基本行動方針:エリナと共にゲームから脱出する
1.『ジョナサン』をよそおいながら、エリナおばあちゃんを守る
2.いったいこりゃどういうことだ?
3.殺し合いに乗る気はサラサラない。
※エリナは「何らかの能力で身体も精神も若返っている」と考えています

【エリナ・ジョースター】
【時間軸】:ジョナサンとの新婚旅行の船に乗った瞬間
【状態】:精神摩耗(小)、疲労(小)
【装備】:なし
【道具】:基本支給品、不明支給品1~2 (未確認)
【思考・状況】基本行動方針:ジョナサン(ジョセフ)について行く
1.何もかもが分からない……けれど夫を信じています
※ジョセフ・ジョースターの事をジョナサン・ジョースターだと勘違いしています

【備考】
二人はタイガーバームガーデンから北西方面へ走り、今はE-5とD-5の境目付近にいます





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011:これはゾンビですか?いいえ、それは孫です。 エリナ・ジョースター 086:愛してる ――(I still......) 前編
011:これはゾンビですか?いいえ、それは孫です。 ジョセフ・ジョースター 086:愛してる ――(I still......) 前編

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最終更新:2012年07月19日 22:32