泣いている女の顔が見える。汚らわしい断頭台に上らされ、屈辱の果てに死んだ彼女の顔は、血の涙とどす黒い憎悪に塗れていた。
何故彼女が死ななければならなかったのか。一体彼女が何をしたというのだろうか。
痺れた頭は靄に包まれ、俺にはなにもかもがわからなかった。首筋に叩きこまれた太刀すら鈍く、遠い世界のものに思えた。
ただその時、俺は世界を呪った。
俺はその時から一人の騎士ではなく、男でもなく、人間ですらなく、一つの感情となり果てた。
俺は『怨』そのものに、なり果てることを、選んだのだ。
どうしようもなくわからない。問いが綻び、意味をなさなくなるまでに、俺は答えを探し続けた。
繰り返し、自らに問い続けた。そして、それでも納得できる答えは出てこなかった。
高貴な彼女はその身を捧げることで、民草の、我ら戦士たちの、そして愛する祖国の平和を願ったはずだ。
内に湧き上がる恐怖や絶望を押し隠し、犠牲となることを断腸の思いで決断なさったはずだ。
そんな彼女であったからこそ。そんな彼女の孤高な姿があったからこそ。
我ら戦士も身を捧げることに躊躇いはなかったのだ。悔いなく運命を受け入れ、下劣な処刑も受け入れた。
だが、だが、だが……ッ! ならばいったい何故…… そして何のためにッ!
俺はエリザベスを呪う、死を呪う、誇りを呪う、運命を呪うッ
彼女の誇りは地に棄てられたッ まるでボロ雑巾かのように、誇りは投げ捨てられ、踏みにじられ、侮辱されたッ
彼女の死がいったい何をもたらした? ……なにもない、零だッ 無だッ!
後に残ったのはエリザベスが残した偽りの物語、我々の敗北と犠牲のみ。汚名を歴史に刻まれ、我々は永久に蔑まれるのだッ
彼女が何のために死んだのかも知らない愚民たちに。彼女が守りたいと願った民衆たちに。
ならば、我々は……一体何なのだ? なぜ我々は死んだのだ? 我々は、誰のために、なんのためにッ?!
許されない……ッ 許してはならない……、この非道はッ! 悪徳はッ!
ああ、俺は全てを呪う。この世の全てを呪う。塵一つ残さず、俺はこの世の全てが憎い。この世全てを憎悪する。
死が訪れても……いいや、死が訪れた後も、俺はその悠久の闇の世界の中で、世界を呪い続けた。
呪詛を吐き、怨念を振りまき、妄執を漂わせ、噴怒を吐き散らした。
それでも運命が変わることはなかった。時は流れ、エリザベスは栄華を築き、やがて我らの汚名すら時の廃屋に取り残されても。
それでも俺は忘れられなかった。擦り切れることなく、俺は心にこびり付いた感情一つ手に、いつまで願い続けた。いつまでも、念じ続けた。
―――そして時は訪れる。
許しを請うことなんぞ、もはや求めていない。忠誠を誓ったメアリーさまの物憂げな表情は、考えるまでもなく浮かんでくる。
優しい彼女は涙を流すに違いない。心痛め、懇願するような顔で俺を見つめる彼女が思い浮かぶ。
だがそれでも、だ。俺の心に安らぎはもはや必要ない。俺の心の狂い、焦がれるような気持ちは収まらない。
いつの間にだろう、俺が求めていたもののはすり変わっていた。俺は許しを『請われる』ことを求め始めていた。
そう、あの憎きエリザベスの末裔たちが。愚かで醜い群衆たちが。安穏と平和を貪る人々が、我々にこんな結末をもたらした運命が!
俺が求めてやまないのは因果応報、それだけだ。我らに襲いかかった悲劇を、俺は奴らに突きつけてやりたい。何の犠牲の上に、誰のおかげで生きていられるのか、奴らに見せつけてやりたいのだ。
突然訪れた理不尽を味わうがいいさ。我々がどれだけ嘆き、怒ったかを身をもって知るがいい。
俺が求めるのは贖罪だ。俺はこの手で、お前たちに全てを知らしめてやる。
その時になって知るがいい。我々が、俺たちが、そして俺が。どれほど怒ったかを。どれほど苦しんだか、どれほどこの世を呪ったことかッ!
ああ、そうだ。或いはこの感情は復讐なのかもしれない。
全てを俺から奪いさり、それでものうのうと日々を過ごしていく、全ての者に対する、俺の『狂ッた』様な……
―――復讐心だ
◆
高々と振りかぶり、咆哮とともに叩きつけられる。空を切った一撃は暴走したエネルギーのままに大地と衝突、堪らず地面が陥没した。
直撃したならばどんな強靭な肉体の男であろうと、肉屋に置かれたミンチのようにひきつぶされてしまうだろう。
眉一つ表情には出さないが、その化け物じみた怪力にタルカスは冷や汗をかく。
一手でも間違えれば、嵐のような連撃が彼を襲うだろう。そうした後に、一体彼はどれだけ『残って』いられるだろうか。
そんな恐怖を微塵も感じさせないほどに、タルカスの行動は冷静だった。
男は半歩だけ後ろに下がり、鼻先をかすめる攻撃を涼しい顔で受け流す。
同時に大柄な体とは不釣り合いなほど軽やかに跳躍。鉄鎚の細い柄の部分に立ち、至近距離から槍を放とうと振りかぶる。
が、直後、即座に後退。ブラフォードの髪が大蛇かのように襲いかかり、危うく喉もとを食い千切られかけたのだ。
両者同時に引き下がり、二人はまた睨み合いの形に。一瞬だけおさまった二人の間を、風が吹き抜けていった。
風に乗るかのように、今度はタルカスが仕掛けた。獰猛な笑みを浮かべ、騎士は鋭く突きを解き放つッ!
ブラフォード、槌を振り下ろし、柄で切っ先をいなす。二人の力が拮抗し、互いの腕が力を振り絞らんと膨張した。
タルカスはそれを予期していたように、すかさずバックステップ。拮抗をいなされ、黒騎士が体勢を崩された。
すかさず足元目掛け、またも突き。ブラフォードはこれをかろうじてさける。自慢の髪が切断され、紙吹雪のように辺りを舞った。
舞う土埃、黒のベールを切り裂き、無数に襲いかかる槍の雨。今度はブラフォードが冷や汗をかく番だ。
頬をかすめ、髪を切り裂き、タルカスの槍は的確に急所を目掛け穿たれる。紙一重の攻防に、憎悪に滲んだ表情が焦燥へと色を変えた。
突き、突き、そして突きッ 突き、突き、更に突きッ!
鉄鎚は防戦となるとたちまち扱いづらい獲物へと変貌する。
重くバランスの取れない得物。刃はなく、斬撃を受け止める場所は限定されている。
ブラフォードほどの歴戦の勇者でなければ、この猛攻をしのぎ切ることなんぞ不可能であったに違いない。
そんな彼でさえも、タルカスの攻撃の前で無事ではいられなかったほどだったのだ。
かろうじて致命傷を避けるも、身体に無数のキリ傷を負い、自慢の髪の毛は無惨にも切り裂かれていった。
タルカスが大きく振りかぶった。突きから一転、今度は槍をしならせると横薙ぎでブラフォードを一刀両断ッ
これは……防ぎきれんッ! 刹那での判断、黒騎士は大地に伏せ、泥も気にせず横に転がる。頭上を心惜しげに死神の鎌が通り過ぎて行った。
そのまま低い体勢で返しの一撃も避け、ブラフォードは状況を打破しようと槌を握った。
しかし流れは変えられない。そうはさせまい、鉄鎚を振るう隙すら作らんと、タルカスは追いたてるようにその手を緩めない。
むしろ今こそ戦いに決着をつけんと、タルカスは勝負に打って出たッ
手数勝負の片手の一撃でなく、全体重を乗せた必殺の構え。隙は大きいが、今のブラフォードにその始動を止める手段はない。
刃が飛び交い、火花が散る中で、ブラフォードにできたことは髪で防御壁を展開するのみ。
この時を待っていたとばかりに、タルカスが間合いを計る。大地を踏み抜くような勢いで、足元に力を込める。
そして、瞬間、弾丸のように槍を抱え、彼は黒騎士目掛けて突進していったッ
ブラフォードが必死の努力で広げた黒の弾幕。嘲笑うように、タルカスの一撃が、黒騎士の守りを打ち砕いたッ
しかし両者はともに、歴史に名をはぜる猛者だった。
黒騎士、まるで曲芸師かのようだ。彼はすんでのところで、男の槍をあの細く頼りない鉄鎚の柄の部分で受け止めていたのだ。
タルカスの顔が驚愕と、好機を逃した自らの失態に歪んだ。
髪の毛一本の誤差も許されない。なんという技術、なんという度胸。
攻撃を防がれることを予期していなかったタルカス。あまりの重量攻撃に体が痺れたように動けなかったブラフォード。
故に二人は互いに大きな隙を見せながら、共に致命的と言えるまでのその一瞬を逃し、免れることができた。
一瞬の空白、そして同時に動いた二人。振りかぶられた鉄槌、引き絞られた長槍。
タルカスの左頭部を襲った鉄鎚は僅かに額を切るのみ。ブラフォードの右頬に長い引っ掻き傷を残し、槍は彼の体から離れて行った。
呻き声を漏らし、武器を振り切り、そして即時撤退。砂埃を舞わせ、姿勢を低く保ち、そしてまた二人はにらみ合う。
観客がいたならばその攻防はまさに拍手万雷、観衆騒然。
ブラボー、タルカス。ブラボー、ブラフォード。
ギリギリの攻防は互いの手を知りつくし、歴史に名を刻んだ英雄たちの最高のショー。
二人は動きだす。見えぬ群衆の称賛に耳を傾けることなく、互いの姿の身を見つめ、共に目指すは勝利のみ。
タルカスが吠える。ブラフォードが迎え撃つ。騎士たちの戦いは続いて行く。誇りと意志をぶつけ、彼らの決闘は終わらない。
どれだけ時間が流れたことだろうか。
斬撃の火花が幾度と散り、地面に穿たれた槍跡、陥没した鉄鎚の跡は数知れず。
流れた血液は僅か、しかし反比例するように冷や汗と脂汗は膨大。それでも一向に戦況が変わることはなかった。
押しては引き、退いては迫る。攻めては凌ぎ、切り抜けては打って出る。
拮抗状態は続き、何度となく繰り返された決め手に欠ける膠着状態が訪れていた。
ブラフォードが伸ばした髪の毛が空を切る。それでも口惜しそうに最後に一伸びした黒の大蛇。
タルカスは鎧に引っ掛かった髪を切り飛ばすと後ろに下がり、大きく息を吐いた。
戦闘の合間に流れる、束の間の静寂。視線を逸らすことなく、相手から目を離すことなく。その視線をほんの少しだけ、彼は上空に向けた。
一体戦い続けてどれほどたったのだろう。まもなく夜が明けようとしていた。
東の空が明るくなりかけているのを見て、タルカスは先のブラフォードの言葉を思い出した。
『夜に生きる者たち』、嘘か誠かはともかく、それを信じるのであれば戦いはいよいよ終盤といったところだろうか。
ここまでよく持ちこたえてきたものだ。無尽蔵のスタミナ、多少の怪我はものともしないタフネス、髪の毛と鉄鎚のコンビネーション。
考えてみれば彼はゾッとするような怪物とここまで五分の戦いを繰り広げているのだ。
称賛されるべきはタルカス、忠誠の騎士。槍一本で化け物に立ち向かう、姫を守るため闘う姿はまさに英雄譚の一節。
その時、敵が動いた。タルカスは突進してきた相手に対し、槍を突き出し応戦する。
ところがブラフォード、大胆不敵、秘術巧妙。槍の刃を伝い、身体がぶつかり合う位置まで接近。戦法を変える。
鉄鎚で相手の槍、つまり攻防の要を抑え、髪の毛で自由を奪う戦法だ。
タルカスもそれを察してだろう。絶好のカウンター機会を放棄すると、素早く跳び下がり、再び槍の距離を彼は取る。
ハンマーは届かず、髪の毛を伸ばせばその懐へと飛び込める位置。舌打ちをした怪物がまたも攻める。その顔面を掠めるように、刃が飛んだ。
焦りは瞳を曇らせる。怒りは頭脳を鈍らせる。
ブラフォードは搦め手から攻め立てるはずが、いつのまにかタルカスに、搦め手でいなされていた。
ここまで化け物相手に騎士が戦えたのも、彼がひとえにブラフォードの性格、そして感情を見事に制してきたからだ。
達人同士の争いの中、タルカスは抜群の勘と集中力、経験と冷静さで、今、戦いを掌握しつつあった。
幾度と打ちあう。何度となくぶつかり合う。そして時間は流れ、場所を変え、それでもまだ、戦いは終わらない。
レンガ造りの街並みの中、せりあい、削り合い、潰し合う。
ブラフォードの灰色の肌には、今や数え切れないほどの傷ができていた。タルカスが握る槍は互いの血で、赤く色を変えていた。
戦いの合間にタルカスが叫んだ。もういいじゃないか、もう戦うな。これ以上、俺はお前と戦いたくない。
悲痛な叫びを黒騎士は無視する。どれほど戦えどメアリーさまはもう帰ってこない。どれほどお前が勝利しようとも彼女は笑ってくれやしない。彼女の嘆きはいやされない。
タルカスの声は届かない。ブラフォードは止まらない。獣のように唸り、亡者のごとく、無機質に金槌をふり続ける。
これ以上戦いをつづけたら、俺はお前を本当に傷つけなければいけない。これ以上やったら、俺はお前を殺してしまう。
もはやこれは戦いでない、何か違ったものになっているじゃないか。だからブラフォード、目を覚ましてくれ。誇りを取り戻してくれ。
返事は鉄鎚だった。ブラフォードがタルカスに飛びかかった。騎士は苦しそうな表情で、その一撃を回避した。
タルカスはブラフォードに勝てないのだろうか。いいや、それは違う。『殺して』いいのならば、きっと彼は勝利できるだろう。
だがそれで何を手にする? それでタルカスは何をその手に掴むのだ?
戦えど戦えど友は言葉を返してくれなかった。魂を込めた一撃も、叫びと祈りを乗せた拳も刃も。全てすり抜け、ブラフォードをいたずらに傷つけるのみ。
二人はなおも激突する。互いの鎧に刃を突き立て、肌を裂き、肉を抉って急所を突く。
四本の足と二本の武器が踊るように跳ねまわり、二人はぶつかっては離れ、そしてまたぶつかる。
何故戦っているかもわからないぐらい必死で。誰のために刀を振るうかも考えられないぐらいひたすらに。
時が経ち、タルカスの息がすっかりあがったころだった。ブラフォードが槌をさげ、ぼそりと呟いた。
互いの姿が見えるぐらい近づいているのに、耳を澄まさなければ聞き落としてしまう、そんな小さな呟きだった。
「戦ったって何も戻りはしない。既に起きてしまった過去に、決して救済なんぞ訪れない。
俺たちの現在は歴史となってしまった。歴史を覆すことは決して叶わぬ、幻想でしかない。
そんなことはわかっている。そんなことはわかっているんだ」
タルカスの動きが止まった。ブラフォードは話を続ける。
「だがな、俺は忠義を誓ったのだ。俺は祖国に身を捧げ、王女に魂を捧げ、戦い続けるしかもう知らんのだ。
ならばそれを取りあげられたら、俺はいったいどうすればいいのだ。俺は何のために、誰のために戦い続ければいい?」
「ブラフォード……」
「だから、タルカス……だから俺は、俺は……―――」
柄を握り直すと、彼が顔をあげた。反射的に槍を持ち直したタルカスは、戦友の顔を見て、身を竦ませた。
メアリー王女が処刑されたまさにあの時、あの瞬間に舞い戻ったかのようだった。
たった今塗り返されたような真新しく、生々しい赤と黒。ブラフォードの顔は妄執の色に塗りつぶされ、かつて黒騎士と呼ばれた彼の面影は一切残されていなかった。
まるで一つの感情、恨みという感情そのものが、タルカスを見返していた。
「―――俺は、それでも、この世界を呪い続ける」
直後、雪崩のように彼の足元が崩れていった。沈みゆく地盤、崩壊する足元。しまったと思ったのとブラフォードが襲いかかってきたのは同時であった。
レンガ造りの道路と建物は、一見堅牢そうに見え、実は隙間への衝撃にたいそう弱い。
ブラフォードは会話の最中、そしてそれ以前から髪の毛を操り、要所要所に綻びを入れていた。
そして鉄鎚をぶち当ててはその衝撃を伝え、タルカスの知らぬところで罠を張り巡らしていた。
今その罠が牙をむき、タルカスに襲いかかった。これ以上ないほど隙だらけの姿をさらしたタルカスに、轟音を立てて鉄鎚が迫っていた。
だがブラフォードにとって唯一の誤算はタルカスの粘り強さだった。
ブラフォードは自分の力を過信していたわけではなかったが、それでもここまで粘られるとは思っていなかった。
全ての準備が整ったころに、戦いの場所は変わり、日が間もなく出ようとしていた。そしてそれが決着を変えた。
「ぐおおおおぉぉ!?」
両者にとって幸か不幸か、崩落した場所は川岸付近、崩落したのは日の出直前。
初撃をたたき込み、そのまま川にまで吹き飛んだタルカスを追おうと勢いづいたブラフォード。しかしその脚がはたと止まった。
恨めしそうに明るくなり始めた東の空を見、そして視線を戻てみれば、あの巨体が見えなくなっていたことに彼は舌打ちした。
なんて逃げ足の速いやつなんだ、そう毒づくもどうしようもない。
一撃を浴びせたというのに、タルカスのタフネスは人間離れしたもので騎士はどこへともかく、身を隠してしまったのだ。
「……ちッ」
最後に恨めしそうに、揺れる水面を一瞥すると、ブラフォードは踵を返し、建物の影へと姿を消した。
闇へ溶けて行った彼は、一度として振り返らず、そして足を止めなかった。
握りしめた鉄鎚から滴り落ちる血を気にもせずに、彼は暗闇の中に消え去っていった。
最後にザワリと揺れた髪の毛が空間を歪ませるように震え、そして彼はいなくなった。
後に残されたのは荒れ果てた戦場、窪んだ地面と決壊した河川場。
そして彼がその場を後にし、いくらか経った後。静寂を破るように唐突に、水を切る音が聞こえた。
そして水の中から、二本の腕が生え出た様に飛び出した。
満身創痍のタルカスは、川から這い出るとその場に崩れ落ちる。
血か水かもわからないぐらいに身体は液体で濡れ、鉄鎚の直撃を喰らった右腕は使い物にならなくなっていた。だらりとぶら下がる腕が痛々しい。
ぜえぜえと呼吸を繰り返し、タルカスは激しくせき込んだ。口から血を吐き大地を見つめながら、彼は唸るように言葉を口にした。血と水混じりに、苦しそうに彼は名を呼んだ。
タルカスは絶望していた。
自らの浅はかさ、愚かさ、滑稽さ。
拳と拳で語らえば、言葉を交わすまでもなく分かり合える。そんなものは虚しい幻想にすぎなかった。その事実が、彼には衝撃的であった。
それだけではない。自分は誰よりも彼のことを知っている、彼の真の理解者は俺しかいない。そう思っていた相手が、未だかつて見たことない表情を浮かべていた。
その時タルカスは恐怖したのだ。戦友の底知れない憎悪に。そして自分がああなっていたのかもしれないという事実に。
自らが築きあげたはずのものが、音を立てて崩れ去っていったかのようだった。
君主を失い戦友は立ち去り、後にはいったい何が残っているのだ。空っぽの祖国に一人きりの騎士に、一体何が守れるというのだろう。
「……―――」
タルカスが名前を呼んだ。その少女こそが、彼が唯一守れる、そして絶対に守りたいモノの名前だ。
戦いの最中何度も心が折れそうになった。友との和解が絶望となった時、それでもその名は彼を支えてくれた。
川に叩きこまれ、意識を手放しかけた時、彼を最後でつなぎ止めたのは少女の名前だった。
重い身体を引きずり、タルカスが立ち上がる。戦友が消えた先に一度だけ視線を向けるも、すぐに彼は空を見上げ歩き始めた。
ボロボロの身体と心を支えるのは、もはや少女の存在だけ。少女に会いたい、
スミレに会いたい。その感情が彼を突き動かす。
あの笑顔を見れば、元気が湧いてきそうだ。今は疲れ、すぐにでも倒れそうだが、彼女に会えばそれもたちまち治るだろう。
スミレ……スミレに、会いたい。とにかく彼女の笑顔を見たい。今はもう、それしか考えられない。
「待っていろ、スミレ……」
タルカスは進む。シンガポールホテル、そこで元気で、けれども自分のことを心配し、気を揉むように待っているはずの少女のために。
タルカスは重い体を引きずり、歩き続けた。
◆
泣いている少女の姿が見える。血と氷の海で身体を縮こめ、冷たくなっている彼女の遺体。少女の頬には、涙の跡が残っていた。
壊れてしまうことがないように、俺は震える手で彼女を抱きあげた。
幼い身体は俺の両手に収まってしまいそうなほどに小さい。かつて飛ぶように跳ねまわっていた少女は、もう、動かない。
俺の頭は凍りついたかのように何も考えられず、一面、白に染め上げられる。唯一できたことと言えば、彼女の頬をそっと優しく撫でるのみ。
傍らに刺さった氷柱が夜の終わりに合わせるかのように、ゆっくりと溶けだした。
一筋の雫が水たまりに落ちると、ポチャン……と音を響かせていった。
どうしてこうなったのだ。こんな結末、俺は望んでなどいなかった。
少女を泣かせたくない、その一心で俺は戦うことを選んだはずだというのに。
少女に救われ、そんな少女をもう二度と失いたくない、そう思ったから俺は二度目の忠誠を彼女に捧げたというのに。
救われた恩を返すことはもう、叶わない。
少女は俺一人残し、はるか遠く手の届かない所へ逝ってしまったのだ。
そう、あの時と同じ。メアリーさまと同じように。
辺りを見れば真ッ二つに折れた棒が見える。執拗に追いまわされ、それでも懸命に逃げ惑った彼女の足跡が見える。
救いを求めていた彼女を、俺は救えなかった。全て手遅れになった今になって、俺はようやくここに現れた。
そして、そこに彼女はいたのだった。悲しそうに涙を流し、冷たく、硬くなった体のままで。
何故、何故、何故なんだ……ッ どうしていつも俺の手をすり抜け、全て、零れ落ちてしまうのだ……ッ!
目の奥が焼けるように熱い。唇は震え、せり上がる感情が喉元で暴れ回る。
神よ、天よ、運命よッ! これが貴様たちの答えなのか……? これがお前たちの真意だというのか……ッ?!
ならば、問おう。何故なのだッ!? 何故彼女たちが死なねばならんのだッ なぜ彼女たちを、貴様らは殺したのだッ
死ぬべきはずでない女性(ひと)たちが死に、死ぬべき騎士(おれたち)が生き永えるッ
どうしてッ どうしてッ どうしてなんだッ! 何がいったい望みだというんだッ
俺たちが、一体何をしたんだッ 何故こうも全てが狂ってしまうんだッ? 何故誰も幸せにならないんだッ!?
大切なものがあって、そのどちらかを選ばなければならない。断腸の思いで俺たちは選択するッ
忠義か命か。個人か民衆か。友か君主か。遵守か逸脱か。
大切なものを守るために、大切なものを裏切らなければならないッ 大切なひとを救うため、大切なひとを傷つけなければならないッ
それが貴様らの答えだというのかッ それがお前たち、天のッ 神のッ 運命のッ!
『そんなもの』がお前たちがッ 俺たちにッ 彼女たちに示すッ 『救い』だとでも言いたいのかッッッ!!
「赦すもんか……俺は赦さんッ 俺は、貴様らを断じて赦さんぞォ!」
決して、決して、俺は赦さないだろう。
例え地べたに頭をつけ、泣き喚き、醜く涙を流し、懇願しようとも。それでも俺は決して赦すまい。
地の果てまで貴様らを、血が流れる限りに永久に、俺はお前たちを追いたてるッ
貴様らが俺から奪ったものは二つだ。
かつて遠い日に抱いた俺の理想。忠義の果てに夢見た、女王と戦友と過ごす日々。
少女に託した限りない明日。救われた命の限りを尽くし、彼女の行く先を照らそうと俺は固く誓ったはずだッた。
だが崩れ去ったものが、二度と紡がれることはない。
運命なんぞ、くそくらえだッ 俺は決して屈しない。どれだけ貴様らが俺を貶めようとも、俺は絶対ッ お前らなんかに屈しないッ
ああ、そうだ。或いはこの感情は復讐なのかもしれない。
俺から全てを奪いさり、それを見て嘲笑うものたちへの……運命にもまれる不運なものたちを馬鹿にする傲慢者たちへの……
―――復讐心だ
◆
【C-4 シンガポールホテル/一日目 早朝(放送前)】
【タルカス】
[能力]:黄金の意志? 騎士道精神?
[時間軸]:刑台で何発も斧を受け絶命する少し前
[状態]:疲労(大)、全身ダメージ(大)、右腕ダメージ(大)
[装備]:ジョースター家の甲冑の鉄槍
[道具]:なし
[思考・状況]
基本行動方針:主催者を倒す?
1:???
【C-4 中央/一日目 早朝(放送前)】
【ブラフォード】
[能力]:屍生人(ゾンビ)
[時間軸]:ジョナサンとの戦闘中、青緑波紋疾走を喰らう直前
[状態]:腹部に貫通痕、身体中傷だらけ、全身ダメージ(大)、疲労(中)
[装備]:大型スレッジ・ハンマー
[道具]:地図
[思考・状況]
基本行動方針:失われた女王(メアリー)を取り戻す
0:とりあえず太陽の届かない場所に身を隠す。
1:強者との戦いを楽しむ。
2:
ジョナサン・ジョースターと決着を着ける。
3:女子供といえど願いの為には殺す。
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最終更新:2012年12月07日 18:54