あたたかな陽光が街路をてらしてゆく。
 生命の素晴らしさの象徴のようなその光は、シンガポールホテルの前にうずくまる男の、熊のような巨体も柔らかく包みこんでいた。
 つ、と、男の頬にひとすじの光がはしる。


――メアリー様がこのような場所におられなくてほんとうに良かった。


 タルカスは泣いていた。
 死亡者として読み上げられた中にも、そして名簿にも、敬愛した主君の名は存在しなかった。
 それだけで、こころが慰められたことを男は実感していた。
 『死者の蘇り』などということがほんとうに起こりうるのならば、ふたたび彼女を失うこともありえたのだ。
 わが主君への辱めを一度ならず二度までも許していたとしたら……、きっと、世を怨まずにはおれぬ亡霊のように成り果てていただろう。
 さきほど死闘を演じた、戦友ブラフォードのように。

 もし……、とタルカスは考える。
 メアリー様がこの場所におられたとしたら、メアリー様だけを救うため、ほかの参加者すべてを殺すと決心していただろうか。
 たとえ彼女が涙ながらに引きとめたとしても、俺はスミレを殺していただろうか。

 彼のかたわらにはすでに事切れた少女が眠るように座していた。
 固くとじられたまぶたの先のこまやかな睫。、ふっくらとしたくちびる。すべらかで、冷たい頬。
 タルカスの大きな左手が、その手ですっぽり包みこんでしまえるほどの大きさしかない少女の頭を撫でる。
 彼が敬愛する主君がこの場にいたらという『もしも』が存在しないように、スミレと出会わなかったらという『もしも』もタルカスには存在しなかった。

「スミレ、お前がいう『人間離れした力を持ってしまった』友人が、人のこころを失っていたのならば、どうしていた?
 お前はそれを考えたことがあっただろうか」

 返事はない。男は自分がはっした言葉を噛みしめるように目を細めた。
 スミレを殺した誰かが憎い。こんな無力な少女を殺し合いの場に放り込んだ誰かが憎い。
 タルカスの胸中のほとんどを占めるものもまた怨みだった。
 手近に置いた槍の穂先が血を求めるようにギラリと光る。

 すべて殺してしまえばいい。
 神はお前などには微笑まぬ。
 求めるままに破壊しつくせばいい。
 主君が、スミレが微笑まぬとも、お前の渇きは満たされる……。

 ため息とともにタルカスは目を閉じた。

 スミレの瞳は未来を見つめていた。
 無力な少女が、怖気もなく、明日を夢見ていた。
 彼女がいたからこそ、スミレの友人である少年は人のこころを失わずにすんだのだろう。

――スミレ、俺は……

 彼は戦友を愛していた。
 息を吹き返した人としてのこころが、戦友を救わなければならないと確信していた。

――ブラフォード、わが戦友を殺す。
――メアリー様への愛ゆえに、やつを放置するわけにはいかないのだ。

 そっと、タルカスの無骨な指がスミレの首輪をなぞった。
 手首のようにほっそりとした首にまわされた首輪は固く、冷たい。
 せめてこのくびきから解放してやりたいと思った。
 だが、この首輪が爆発でもしたら……。
 逡巡し、やがて、タルカスは手をおろした。
 首輪が爆発すれば、タルカスもまた無傷ではすまされない。
 さきほどのブラフォードとの交戦ですでに身体は悲鳴をあげている。
 必ずブラフォードを救わんと決するのならば、無駄なリスクは犯すべきではない。
 決意をふいにする行為こそ、恥ずべきことだ。そう、彼は信じた。

「むっ……?」

 ふと、違和感を覚えた。
 いやに低い位置から自分を凝視している視線をかんじる。
 見やれば、道のむこうから一匹の犬が、こちらを黙って見つめていた。

 無力な少女ばかりでなく、犬まで。
 そう思ったところで、タルカスはスミレの言葉を思い出した。
『猿の化け物みたいな、怪物』
『悪人に改造され人間離れした力を持ってしまった少年』
 この犬も猿や少年と同じように改造された特殊な犬なのかもしれない。

 タルカスの左手が素早く槍をつかむ。
 犬はおかまいなしにこちらに向かって歩いてくる。
 タルカスが油断なく立ち上がった。犬に対して槍を構える。

「犬公ッ、言葉が通じるとは思わんが聞けいッ!
 貴様が哀れな改造犬だろうと俺には勝てんッ!
 腹を空かせて来たのだとしたらもってのほか、肉塊となる前に消え失せいッ!」

 犬の動きが止まった。
 利口そうな瞳で、ただタルカスを見つめている。

「あっちへ行けと言っているのだッ!!」

 声を張るタルカスを見上げながら、クーン、と犬が鳴いた。いかにも寂しそうに。
 タルカスの顔に動揺が走る。
 その隙に、犬は慕わしげな様子でスミレのもとへ駆けていった。

「こ、こら……!」

 追い払おうとするタルカスの声色にさきほどまでの覇気はない。
 まさか、ほんとうに、ただの犬? という疑念がタルカスの胸中を支配し始めていた。
 クーン、もう一度寂しげに犬が鳴き、スミレの頬をなめ始めた。
 涙の痕をかき消そうとでもするかのように。スミレの死を悼むように。

「お前は、人の死を悼む気持ちを、理解しているのか……?」

 ワン、と犬が吠えた。
 そうだ、と答えているようにタルカスは感じた。
 槍を引き、しげしげと犬の身体を検分し始めたタルカス。
 犬の首の短いゴワゴワした毛に見え隠れする、血で汚れた首輪に気付き、哀れみに、その眉根がよった。

「お前も、この殺し合いに巻き込まれているのか……」

 犬の前足がじれったそうに首輪をかく。
 この邪魔な首輪はなんだ、はずしてくれ、といわんばかりである。

「すまんな、犬公よ。
 あいにくだがお前のように無力な生き物でも、元いた場所に戻してやるのはあいかなわぬのだ。
 だが、いずれはこの殺し合いの主催者とやらを滅してみせる。
 そうすればお前はふたたび自由の身となれるだろう」

 犬ははじめ、なんのことですか? といった表情で首をかしげていたが、タルカスの力強い宣言を聞くと、嬉しそうに一声鳴いた。
 タルカスの顔にはじめて笑みが浮かんだ。
 それは一瞬でかき消されてしまいそうな儚い微笑だった。

 タルカスの巨躯がスミレの小さな身体を抱き上げる。その身をこれ以上損ねる者があらわれないようにするために。
 その後ろを、小さな影が追った。



   *   *   *



(やっぱ人間って単純だぜッ
 ちょっと感傷的になってるやつは特にな)

 『犬公』ことイギーはタルカスに付き従いながらケケケと笑った。

(ちょっとオリコーで純粋なフリをしてりゃあコロっと騙されちまうんだもんな。
 見たとこ、正義感の強いおっさんが無力なガキを助けようとして失敗したって感じだったな。
 ご愁傷様、お嬢ちゃんよう。おかげで俺が楽できるぜ)

 放送でポルナレフの死を知ってなおこの態度。
 それも致し方ないことだろう。
 彼はジョースター一行に仲間意識を芽生えさせる前の彼なのだから。

(このおっさん、すでに重傷を負ってるところが気になるっちゃあ気になるが、囮くらいにはなってくれることを期待しとくぜ)


 正義感も、危機感も、いまだこの『愚者』には存在していない。





【C-4 シンガポールホテル/一日目 朝】

【タルカス】
[能力]:黄金の意志? 騎士道精神?
[時間軸]:刑台で何発も斧を受け絶命する少し前
[状態]:疲労(大)、全身ダメージ(大)、右腕ダメージ(大)
[装備]:ジョースター家の甲冑の鉄槍
[道具]:なし
[思考・状況]
基本行動方針:ブラフォードを救い、主催者を倒す。
1:ブラフォードを殺す。
2:主催者を殺す。


【イギー】
[時間軸]:JC23巻 ダービー戦前
[スタンド]:『ザ・フール』
[状態]:首周りを僅かに噛み千切られた、前足に裂傷
[装備]:なし
[道具]:基本支給品、ランダム支給品1~2(未確認)
[思考・状況]
基本行動方針:ここから脱出する。
1:ちょっとオリコーなただの犬のフリをしておっさん(タルカス)を利用する。
2:花京院に違和感。


【備考】
スミレの死体はシンガポールホテルの周辺、人目につかないどこかへ安置される予定です。





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最終更新:2013年12月19日 10:03