「クソッ!……もしかして、何ともなんねーのかよ!?」
レストラン・トラサルディーの二階、居住スペースの寝室。
虹村億泰は狼狽えていた。
ベッドで寝かせているのは
古明地さとり。近くのテーブルには簡素なサラダやミネラルウォーターが置かれている。
億泰はさとりを寝室に寝かせた後、予め調理室に置かれていた水やサラダなどを持ち出して気絶中の彼女に食べさせたのだ。
未だにさとりの意識は戻っていないが、彼女が重傷であることは傍目から見ても明白だった。
一刻も早く治療をしなくては。
さとりを抱えて逃げていた際の焦燥やストレスも重なり、億泰は気絶中のさとりに何とか料理を食べさせることにしたのだ。
(気を失っている彼女の口の中に申し分程度の量の料理を含ませ、少々荒っぽく飲み込ませたりと些か雑な手法になっているが)
何度か料理を口に含み、ゴクリとやや苦しそうに飲み込むさとり。
しかし、何度食べさせてもさとりに治癒の効果が発揮されているようには見えなかった。
未だに気を失ったままピクリとも動かないし、相変わらず容態は悪いままにしか思えない。
「どうすりゃいいんだよチクショオ!こんな時に、仗助の野郎でもいりゃあよォッ…!」
苛立ちと焦りのままに億泰は壁を殴りつけ、ギリリと歯軋りをする。
考えてみりゃあそうだった。トニオさんが料理を作らなきゃスタンドの効果が得られる訳がねェ。
畜生、俺のやったことは無意味だったのかよ…!
こんな時に仗助のやつがいれば。あいつはいつだって頼りになるし、機転も利く。
意思が弱い俺なんかと違って、仗助は本当に凄い奴だ。
あいつだったらこんな時にでもスタンドを使ったり、そうでなくともこの女のコを助ける為の手段を上手いこと考え出すだろう。
だが、仗助は此処にはいない。頼れる人物は此処にはいない。
どうする、億泰。
こんな時に仗助ならどうする?
考えるのは俺自身だ。俺が、このコを助けなくっちゃあ――――
「…その様子だと、お前は『乗っていない』人間のようだな」
瞬間、開きっぱなしのドアの傍から声が聞こえてきた。
突然の来訪者に驚き、ハッと億泰は振り返る。
廊下から姿を現したのは白いスーツを着込んだおかっぱ頭の男だった。
一見無防備の様にも見えるが、その実一定の距離感を保っている。
相手が『シロ』であると認識しつつも最低限の警戒をし、男は億泰と接触を試みたのだ。
「―――ッ、あんたは……、」
億泰は現れた男に対し何者か問いかけようする。
しかし直後に焦燥を表情に浮かべ、男に近付く。
普段の彼ならば少しは警戒を抱いたかもしれないが、今の億泰の心中は目の前の少女のことで手一杯だったのだ。
「……ええい!この際誰だっていい!頼む、この女のコを助けてくれッ!!ずっとぐったりしたまま目を開けてくれねェんだッ!」
億泰は男に対し口走り、必死の表情で懇願した。
一刻の猶予を争うと言わんばかりに焦りを見せていた。
男は億泰の後方のベッドで寝かせられている少女へと目を向ける。
軽く少女の様子を伺った直後に、男は億泰の傍を通り抜け少女の方へと歩み寄っていく…
「た、助けてくれるのか…!?」
「……少し、容態を見させて貰うぞ」
表情が少し明るくなる億泰を尻目に、男はベッドの傍にしゃがみ込み少女の容態を見る。
その処置はどこか手慣れている様にも見えるものだった。
「…先に聞いておく。君、名前は?」
「え?あ、あぁ。俺は…虹村億泰」
「億泰か……俺の名は
ブローノ・ブチャラティ。それで、この娘のことだが…」
ブローノ・ブチャラティと名乗った男は、少女への一通りの検査を終える。
彼はギャングの世界に身を置く男。命懸けの抗争に赴くことなんてザラにある。
自分や仲間がいつ負傷するかも解らない。その為に最低限の応急処置の手段を身に付けていたのだ。
とはいえ、あくまで最低限の知識と手段。専門的な医療技術までは習得していない。
だが傷の容態を伺うこと程度ならば十分に行える。
「…思ったよりも呼吸は落ち着いている。脈も…あるな。
命に別状は無い、と言いたい所だが……その辺りはまだ解らない。
億泰、この娘を発見した時には既に傷付いていた状態だったのか?」
ブチャラティの問いかけに対し、億泰はすぐさま答えた。
ゲーム開始から間もなく、この女のコが中学生くらいの少年と邂逅していたことを。
その少年がスタンドの拳で女のコを攻撃していたことを。
女のコもまたスタンドで抵抗するも、少年に殺される直前まで追い詰められていたということを。
そこでスタンド『ザ・ハンド』を使い、女のコを助けて此処まで逃げてきたいうことを。
(スタンドの拳が直撃、か…。道理で傷が少ない訳だ。
高いパワーを持つスタンドなら、拳の一撃で相手を瀕死に至らせることくらい雑作も無い)
ブチャラティは億泰の話を聞き、内容を咀嚼する様に考え込む。
この少女が受けた攻撃はあくまでスタンドによる一発のパンチのみ。
それは確実だろう。彼女の負傷の少なさがその裏付けだ。
近距離パワー型のスタンドに一撃を叩き込まれたとなれば、身体の『内側』をやられている可能性も高い。
他にこの娘が消耗した要因と言えば、スタンドパワーの酷使などが予想される。
「一つ聞きたいんだが、何か使えるものは支給されていないか?」
「使えるもの、っつってもよォー…」
そう言いながら億泰は自らのデイパックを漁り、折り畳まれた二枚の紙を取り出す。
そっと紙を開くと、二つの物が紙から飛び出した。
億泰に支給された所謂『ランダムアイテム』だ。
そのうちの一つを目にしたブチャラティが僅かながらも驚愕の表情を浮かべる。
彼の胸中に込み上がった物は、奇妙な既視感だった。
「俺に支給されたのは…ピストルと、この気味悪ィ生首くらいしか…」
「―――億泰、その生首…何か説明が書かれていなかったか?」
支給されたアイテムの片方をただの『気味の悪い生首』としか認識していなかった億泰。
しかし何か思い出したかの様に突然問いかけてきたブチャラティに少し驚き、彼は頭を掻いて頭の隅に置かれた記憶を引っ張りだす。
「えっとよォ……、……あー、確か…『聖人の遺体』だっけか?そんな名前で書かれてたぜ」
億泰が伝えた「支給品の名」を聞き、ブチャラティは確信を得たような表情を見せる。
相変わらず億泰は疑問を浮かべたような顔のままだが、直後にブチャラティがデイパックから「あるもの」を取り出す。
「やはり、か…。俺にも支給されているんだ…『聖人の遺体』とやらがな」
そう言ってブチャラティが自らの掌の上に置いたのは、二つの『眼球』。
淀んだ水晶体と瞳孔が不気味さを引き立てている。
億泰はそれを見て怯んだ様に身じろぎをしたが、すぐにブチャラティに問いかける。
「ア、アンタも『聖人の遺体』ってのを持ってたのかよ!?」
「ああ。もう一つ、心臓部もデイパックに入っている…何れも用途が全く解らないがな」
「心臓とはこれまた気味の悪ィ…。ともかく、この『聖人の遺体』っつうのは幾つもあるんだろーか…?」
「詳細には解らないが、お前が遺体の頭部を所持し、俺が両目と心臓部を所持している。
恐らく他の参加者にも同様に「遺体の部位」が支給されている可能性は高いだろう」
用途不明の聖人の遺体。複数に分かれた遺体の部位。
億泰は何とも取り留めの無いような様子で腕を組み、考え込む。
「…なんつうかよォ~…死体なんか支給して何になるんだろうな?ただ気味が悪いだけじゃねェかよ」
「部位毎に支給されていることから考えると、『遺体』を完成されることで初めて何かが起きるのか…。
俺達が気付いていないだけで部位そのものにも効果があるのか…或いは、どちらも正解か…だろうな」
ブチャラティは限られた情報の中で推測を述べる。
とはいえ、あくまで憶測の範疇を超えない。
現時点で確かな事実は「聖人の遺体というものが複数の参加者に支給されている」ということだけだ。
この遺体に何の意味が在るのか、どのような効果があるのかは解らない。
下手をすれば本当にただの遺体に過ぎないのかもしれないし、今はまだ確固たる判断材料が少なすぎる。
故に聖人の遺体に関する推察は後回しとした。今は目の前の少女のことが優先だ。
「ともかく、今は医療器具か何かが欲しい所だな…この娘の手当が必要だからな」
「だけど、あんたはそれを持ってねーんだろ?此処の中も探してみたけど、どうも見つからなくってよォ…」
「ああ…だからこそ、これから移動がしたい」
そう言ってブチャラティはデイパックから取り出した地図を開き、億泰に説明をした。
彼が指し示した地図の座標は、D-4の香霖堂。このレストラン・トラサルディーから目と鼻の先の位置にある施設だ。
「地図を見る限り、『レストラン・トラサルディー』の直ぐ傍に『香霖堂』という施設があるだろう?
俺は一先ずそこへ向かってみたい。地図に記載されている施設である以上、何かしらの物資が手に入るかもしれないしな。
もしかすれば―――この娘を手当て出来る応急処置の道具が見つかるかもしれない」
◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆
所々より月明かりが射す魔法の森の内部にて。
彼はただ、のらりくらりと歩き続ける。
屈強な両脚で雑草を踏み頻り、何度か周囲を見渡しながら。
その姿はまるで獲物を求めて彷徨う獣の様にも見える。
瞳には一切の感情を宿さず、表情には一切の動きを見せず。
柱の男『
サンタナ』は、深い森の中を進んでいた。
「…………」
先程は主達と共に自身を見捨てた同族と再会した。
ワムウ。サンタナに取って共に主達の下で育て上げられた、同年代の同族。
類い稀なる武力を以て主達から一目置かれた戦闘の天才。
彼はサンタナを仲間として看做した。主の下で戦うことが、己の在るべき姿であるかの如く。
落ちこぼれであるサンタナに、再び仲間として戦える機会を与えた。
ワムウにとってはそれこそがサンタナの然るべき姿であり、成果を出した際の最大の見返りと思っていたのかもしれない。
しかし、当のサンタナは――――先程まで言葉を交わしていたワムウに対し、一匙程の関心も抱いていない。
『主達に認められたいか』。
今更虫の良い話だ、としか思わなかった。
自分を捨て置いたのは彼らであり、自分に一抹の興味も抱かなかったのも彼らなのだから。
だからサンタナも彼らへの興味など持たなかった。
『闇の一族』も、『波紋戦士』も、はっきり言ってどうでもよかった。
だが、自分は彼らに―――『闇の一族』の同胞に勝てないことは解っている。
彼らに逆らう程の野心も持ち合わせていない。野心を抱いた所で何も得られるモノはない。
そして、彼らの同族であることにも変わりはない。
此処で彼らに逆らえば死ぬだけだ。
それに、この場で奴らに逆らう道理も、逆らう目的も持ち合わせてはいない。
敵わぬ相手にがむしゃらに立ち向かい、命を落とすことは御免だ。
故にサンタナは彼らに従う。
自分の行為に『意味』が介在しているのか。
がらくたの様な漠然とした生き方に満足しているのか。
今の己には解らないし、理解するつもりも無い。
考えた所で無駄なのだから。そこに意味など無いのだから。
今の俺は単純な方針だけで事足りる。虫ケラ共は殺す。同族には従う。それだけだ。
奴らに疑問を抱いた所で、自分に疑問を抱いた所で、俺は何も得られない。
ならば俺は、今はただ生きる為の道筋に流れるだけでいい。
奴らと同じ『闇の一族』として。
「…………」
漠然と歩みを進めながら、サンタナは周囲の木々が次第に少なくなっていくことに気付く。
直に森を抜け出るだろう。その身に射す月光を見上げながら、彼はそれを確信する。
そして、サンタナが深い森を抜けた矢先。
視界に入ったのは、森の傍に立つ一軒家の扉から出てくる二つの人影の姿だった。
◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆
ギィ、と扉が開かれる音が響く。
レストラン・トラサルディーの扉を開き、外へと出てきたのは虹村億泰だ。
億泰は香霖堂へ向かうというブチャラティの提案を即座に受け入れた。
すぐに息を引き取ることはないとはいえ、未だに容態が無事とは言えない少女を可能な限り早急に治療したいと思っていたからだ。
応急処置の道具さえ見つかればこのコの手当てが出来るかもしれない。
「えーと…確か…あっちだよな?」
億泰は桃色の髪の少女を抱えながら、近くに見える川辺の方を向く。
億泰に続いてレストランの扉から外へと出てきたブチャラティは彼が向いた方角を見る。
ブチャラティは億泰に対し「ああ」と短く頷いた。
『香霖堂』はこのレストランからそう遠くない。川を超えれば数分と掛からずに辿り着く程度の距離だろう。
「だったらさっさと行こうぜブチャラティ!モタモタしちゃあいられねェッ!!」
ブチャラティに対しそう言うと、億泰は足早に川辺へと向かおうとした。
こちらの反応を聞くなりすぐさま移動を開始しようとする彼の姿からは些か落ち着きの無さを感じる。
やはりあの娘のことで少し焦っているのか。
それとも、この殺し合いと言う状況下そのものに少なからず焦燥感を覚えているのか。
どちらにせよ、今の億泰からは少々不安を感じる。
ブチャラティはそう思い、焦る億泰を窘めるべく彼に声をかけようとした。
直後、億泰が唐突に動きを止める。
ぽかんとした様子で空を見上げていたのだ。
「…………?」
ブチャラティは問いかけるよりも先に、彼の視線の先を見る。
香霖堂の更に先、位置にして『湿地帯』の方角。
そちらの方を向いた二人。
その表情は、すぐさま驚愕の色へと変わっていくことになる。
呆然と宙を見上げる彼らの視界に入っていたのは―――――
紺色の空を照らしながら昇っていき、やがて拡散した『黒い太陽』だったのだから。
「…今の見たか、ブチャラティ」
「…あ、ああ…。黒い太陽が、空へと昇って……」
二人はただただ唖然とした様に取り留めの無い言葉を呟いていた。
あれはスタンド能力によるものなのか。それとも、それ以外の別次元の力なのか。
ともかく、二人はあの湿地帯の方角で何かが起こっていると言うことだけは理解出来た。
これから向かおうとしている香霖堂は、湿地帯の直ぐ傍に位置している。
ブチャラティは内心で警戒を覚える。
湿地帯の方面で何かしらの戦闘が行われているのだろうと半ば確信していた。
危険人物の排除も目的の一つとしている以上、現場へと赴き状況を確かめたいが…負傷した少女を抱えている億泰は連れて行けない。
少女にも億泰にも危険が及ぶ可能性があるからだ。
ならば現状の目的通り一度香霖堂まで赴き、億泰に少女の看護を任せてから湿地帯の調査を行うか?
今後の行動を脳内で思考していたブチャラティだったが、億泰の呼び掛けによっては一旦打ち切られることになる。
「…って、おいブチャラティ!あっち、あっち見ろよ!『誰か』がいるッ!」
振り返った億泰はそう言いながら顎でブチャラティの後ろを差す。
はっとしたように億泰を見たブチャラティは、彼の指摘を聞き直ぐさま背後を振り返った。
彼が指し示したのは南西に位置する『魔法の森』の方向だ。
ブチャラティは少しずつ慣れ始めた薄暗い風景をじっと見据える。
「――――何?」
その時ブチャラティは気付く。
億泰が指した方向から見える『人影』の存在を。
森の中から姿を現したであろう人影が、ゆらりと雑草を踏み頻りながらこちらへと近付いて来ていたのだ。
先程の黒い太陽に気付いていたのか否か、ゆっくりと空を見上げていた顔を下ろしている。
人影が男性であるということに気付くのに然程の時間はかからなかった。
やがて、宵闇に紛れるその姿が歩を進めるに連れて少しずつ露になっていく。
その男はほぼ全裸と言ってもいい装いだった。
下半身に着用している下着のような物以外一切の衣服も装飾も身に纏っていない。
彫刻の様に整った筋肉隆々の肉体を曝け出しているのだ。
右手には緋色の刀身を持つ剣が握られており、刃を地面に引き摺っている。
異様な風貌を前に、ブチャラティも億泰も一瞬驚いた様子を見せた。
そんな彼らの様子を意にも介さぬように、半裸の男は次第に近付いてくる。
直後、意を決したようにブチャラティは前へと躍り出た。
「―――先に言っておくッ!俺達は殺し合いには乗っていない!」
ブチャラティは声を上げ、半裸の大男に対し対話を試みる。
彼はあくまで殺し合いに乗っていないことを強調する。
対する半裸の男はブチャラティの呼び掛けを耳にし、その動きを止める。
二人との距離は10m前後。男は立ち止まったまま返答せず無言のまま棒立ちしている。
その顔に仏頂面を張り付け、黙りこくりながら二人見ていた。
(オ、オイオイ何だァ?あのオッサン…パンツ一丁とか…もしかして変態か?)
ブチャラティの後ろでさとりを抱えている億泰は何とも言えぬ表情で大男を見ている。
何しろ相手はほぼ全裸なのだ。その出で立ちはと言うと、下着らしき衣服のみを身に纏っている筋肉隆々の大男。
明らかに不審人物めいた装いの男が外を彷徨っているということもあってか、億泰はそんなことを思っていた。
「そして問おうッ!お前はこのゲームに乗っている人間か!それとも反抗の意思がある者か!」
「……………」
大男を牽制する様なブチャラティの言葉が響く。
ブチャラティを見据え、変わらずに無表情のまま立ち尽くす大男。
暫しの間を置いた後、半裸の大男は僅かに口を開いた。
「…………、……………」
言葉を発しているようだが、その発言の殆どを聞き取ることが出来ない。
ぶつぶつと小声でうわ言の様に何かを呟き始めたのだ。
微かに耳に拾えるのは『人間』『参加者』『能力』などの断片的な単語だけ。
彼はこちらの問いかけには答えず、ただ一人で呟き続けていた。
億泰は眼を細めながら何とも面倒臭そうに大男を見ており、ブチャラティは変わらず警戒の体勢を崩さない。
「おいッ、聞いてんのかよオッサン!さっきからブツブツブツブツ一人でよォ~ッ!」
痺れを切らした億泰も身体を前に押し出しながら大男に向けて声を上げる。
その表情からは明らかに苛立ちが見て取れる。
「ブチャラティが質問してんだからよォ、なんか一言くらい――――――――――――――」
億泰が苛立ちのまま言葉を発しようとした直後のことだった。
「………やかましいぞ、人間」
低く威圧的な声が、静かに響き渡った。
先程以上にハッキリとした声色で、半裸の大男が呟いたのだ。
え、と呆気に取られた億泰。直ぐさま身構えたブチャラティ。
直後、大男が全力で地を蹴る。
全身から『殺意』が剥き出しになったのもほぼ同時のことだ。
人間とは思えぬ程の――――否、『怪物そのもの』であるパワーを以て両脚が躍動する。
彼の名は『サンタナ』。
吸血鬼をも超越した究極の生物――――柱の男。
両脚を動かしたサンタナは、ブチャラティ達目掛けて獣の如しスピードで瞬時に駆け出したのだ―――!
「な、…あのオッサンッ…!?」
「――――億泰!今直ぐ走れッ!!」
二人は直ぐさま気付いた。あの男は『乗っている』ッ!
それも臆することも牽制することもなく、真っ正面から突っ込んできたのだッ!
危険を感じたブチャラティは、怪我人を抱えた億泰に向けて言い放つ。
あの少女を抱えている億泰を戦線に巻き込むのは危険だ!
「此処は俺が引き受けるッ!お前は避難しているんだ!」
「だ、だけどよォ!あんた一人を置いてくわけにはッ……」
「―――いいから行けッ!!」
ブチャラティが億泰へ向けて声を荒らげながら叫ぶ。
しかしそうしている間にもサンタナの行動は続いていた。
筋肉を躍動させながら接近するサンタナが左肩を突き出し、荒々しく突撃を敢行してきたのだ!
屈強な肉体による猛然たるパワーが、怪我人を抱える億泰目掛けて迫り来る――!
「くッ…!」
咄嗟にブチャラティが動き出し、億泰を庇う様にサンタナの目の前に躍り出る。
立ちはだかるブチャラティを見据えながらも、サンタナは構うことなく突撃を続ける。
そして、その突進が直撃する直前―――『それ』は姿を現した。
「―――『スティッキィ・フィンガーズ』ッ!!」
ブチャラティの正面に出現したのは、彼の精神エネルギーの化身。
近距離パワー型のスタンド―――『スティッキィ・フィンガーズ』!
細身ながらも力強さを感じさせる筋肉に覆われたスタンドの両手が、突進するサンタナを受け止めるッ―――!
「ッ……!?」
自身の身体を受け止めたスティッキィ・フィンガーズを目の当たりにし、サンタナが驚愕の表情を浮かべる。
ブローノ・ブチャラティはあのJOJOのような波紋戦士でも、最初に出会った
伊吹萃香のような人外の存在でもない。
柱の男が知るはずのない『第三の存在』―――精神力の化身を操る『スタンド使い』だ。
「―――っ、らあぁぁッ!!!」
スティッキィ・フィンガーズは両腕に力を込め、受け止めたサンタナを押し退けるように弾き飛ばした。
高い破壊力を誇るスタンドのパワーに押されるがままにサンタナの身体は軽く吹き飛ばされるも、すぐさま左手で受け身を取る。
片腕をバネに曲芸のように機敏な動きをし、地面へと着地。
両脚を地に着けたサンタナは、ゆらりと不気味な動きを取りながら体勢を立て直した。
「………………」
「やれやれ…これはまた、随分と荒っぽいご挨拶と来た。まるで血に飢えた獣の様だな」
二人の男が相対する。
視線だけが交差し、互いに睨み合いのような状況と化していた。
静寂に包まれながらも、確かなプレッシャーが周囲の空気を覆っていく。
スタンド使い―――ブローノ・ブチャラティ。
『スティッキィ・フィンガーズ』を傍に立たせ、刃の様に鋭い視線と共にサンタナを見据える。
柱の男―――サンタナ。
首を何度か鳴らし、右手に剣を携えながら無感情にブチャラティを見据える。
暫しの無言が続いた。
牽制し合う様に二人は睨み合い、身構える。
永遠に続くかのような無音を切り裂いたのは―――サンタナだった。
「……………!」
サンタナが剣を片腕に握り締めながら地を蹴り、疾走を開始したのだ。
荒々しく刃を地面に引き摺り、ブチャラティ目掛けて凄まじい勢いと共に接近していく。
究極の生物の『力』と『殺意』を、剥き出しにしながら――――!
「―――来い!お前の相手はこの俺だッ!!」
迫り来る見据えるサンタナに対し、ブチャラティは臆することなく勇ましく声を張り上げる!
それに呼応する様に逞しく拳を握りしめたスタンドは、接近してくるサンタナを真っ直ぐに待ち構えた―――――!
◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆
―――思えば、走ってばかりだ。
最初はあの中坊くらいのガキの時だったな。
この女のコを殺そうとしていた瞬間に、『ザ・ハンド』で助け出した。
そっから、俺はこのコを抱えて必死で走ったんだ。
竹林を回るなんて生まれて初めてだったが、必死に逃げてたもんだったから散歩どころじゃなかったな。
行けども行けども同じような光景ばかりが続いていた。
まるで深い深い闇の中を宛も無く駆け回っているみたいだった。
どれくらいの時間を走ったかも分かんねーけど、気がつけば竹林から抜け出せていたんだ。
あのガキを撒くことにも成功したし、トニオさんとこの店にも辿り着いた。
…そういえば、何でトニオさんの店があったんだ?
いや、今はまだ考える時じゃねえか。とにかく、そこでブチャラティの奴と出会って。
あの半裸のヤローに襲われて、ブチャラティに助けられて。
『此処は引き受けるから走れ』っつわれて。
俺は、こうしてまた走っている。
背負っているのは、勿論あの女のコだ。
「はあッ、はァッ………」
虹村億泰は浅瀬の川に足を踏み入れ、少女を背負いながら移動していた。
その最中にも何度か背後へと振り返る。
自分を庇ってあの大男との戦いに乗り出したブチャラティのことが心配で仕方が無かった。
しかし、だからこそ彼は必死に走っていた。
アイツが俺を逃がしたのは、俺がこのコを抱えているからだろう。
怪我人であるこの女の子を手当てすることが一番重要であるというのは分かっている。
ブチャラティは戦いを引き受け、この女の子を守ることを俺に託したんだ。
(――ブチャラティのことも心配だが、今はこのコを助けンのが先だ)
そう、今はまず香霖堂へ向かおう。
さっきの黒い太陽が気になっては居るが、つべこべは言ってられない。
出来るだけ早く応急処置の道具を探す為にも、まず近場に存在する施設を頼るべきだろう。
もし手当ての為の道具がそれでラッキーだ。俺はそれに賭けたい。
ただ…もしもあっちの湿地帯の方で本当にドンパチが起こっているとしたらマズい。
だからこそ、出来る限りさっさと探し出さねーとならねェ。
殺し合いに乗ってる連中がいたとして、香霖堂に訪れるとしたら…それこそ最悪だ。
億泰は余り回転の良くない頭で自分なりに思考を続ける。
いつもなら仗助の奴や承太郎さんのような頼れる仲間達が何かしらの指示を出してくれるだろう。
だが、今は一人だ。さっき、ブチャラティと出会う前と同じ――自分一人で考えなければならない。
(とにかく、今はやるっきゃねえ…!)
億泰は下唇を噛みながら草原を走っていた。
地図の通りだ。川を越えてから直ぐに香霖堂らしき施設が遠目に見えたのだ。
施設を真っ直ぐに目指し、億泰は息を荒くしながら必死に走り続ける。
それから数分と掛からぬ時間の後。
億泰は施設の前まで辿り着いた。
一軒家のような施設の前には標識やら置物やら、妙なオブジェが沢山置かれている。
荒い息を整えながら億泰は顔を上げ、その『看板』に目を向けた。
看板に描かれていた文字は『香霖堂』。
此処が地図にも記載されていた施設であると言うことを示していた。
億泰の表情が晴れるも、内心では不安を抱えている。
もしも応急処置の道具がなかったら、この女のコはますます容態が悪くなるばかりなんじゃないか?
そうなったとしたらマズい。他に近場にある施設に向かえば何かあるかもしれないが、そこまでにこのコが保つかも分からない。
それに、再び移動を開始すれば本格的にブチャラティを置いていくことになってしまう。
出来ればそれは避けたかった。故に億泰は、この香霖堂に応急処置の道具があることを祈った。
(―――頼むッ!何か、この子を助けられるモノを…!)
意を決した億泰が、戸を開けようとする。
歯を食いしばり、必死で念じるような表情を浮かべながら。
―――その直後のことだった。
「あら、先客?」
戸に手をかけた億泰の背後から、唐突に少女の声が聞こえきた。
突然の呼び掛けにハッと驚きながら億泰は振り返る。
無論、警戒混じりの表情を浮かべながら。
億泰が振り返った先にいたのは、横並びに立つ二人の人物だった。
片方は屈強な体格を持つ大柄な紳士風の男。…何故か縛り上げられた黒髪の少女を抱えている。
もう片方は男とは対照的に、小柄な体格の淑女のような少女。その背中には、悪魔のような翼を生やしている。
億泰は驚いた表情を浮かべ、まじまじと二人を見つめる。
女の子を縛り上げている時点で若干の不信感は抱いていたが、さっきの半裸の大男のような雰囲気は纏っていない。
紳士風の男―――ジョナサンが億泰に対し名乗りつつそう言う。
その声、その瞳からは確かな意志と力強さを感じられる。
何となく、何となくではあるが億泰はこのジョナサンという男が信頼出来るような気がしたのだ。
「ん?ちょっと待った。あんたが背負ってるの、もしかして……」
直後にレミリアがぐいっと億泰に近付き、彼の背負っている少女を見る。
桃色の髪。身体から伸びるコード。そして『第三の目』。
レミリアにとって、それは身に覚えのある容姿だった。
「『第三の目』…こいつ、あの地底の覚の妖怪…?」
「レミィ、知っているのか?」
「ええ、一応ね。確か名前は…『古明地さとり』だったっけな。
アンタが背負ってるそのカラスのご主人様よ」
会話を交わすジョナサンとレミリアをポカンとした様子で億泰は見つめる。
話を聞く限り、ジョナサンが背負っている女の子(空、と言うらしい)のご主人様が俺が背負っている女のコらしい。
仗助や康一が巻き込まれている様に、この『さとり』や『空』っていう関係のある奴らが巻き込まれている。
億泰は込み上げた主催者への怒りを抑えつつ、再びジョナサン達を見る。
そして、レミリアが億泰に向かって問いを投げかけた。
「―――で、随分と急いでいるようだったけど。貴方、どうしたのかしら?
背負っている覚の妖怪のことも含めて洗いざらい話しなさいな」
◆◆◆◆◆◆
◆◆◆◆◆◆
「はあァァァッ!!」
放たれたスタンドの鉄拳は迫り来るサンタナの頭部目掛けて叩き込まれる。
メキィ、と鈍い音と共に拳は頭蓋の側面に豪快にめり込んだ。
破壊力Aのパワーで頭を全力で殴られたサンタナは、壊れた人形の様に地面を転がりながら吹き飛んでいく。
ブチャラティは身構えつつ、成す術なく地面にうつぶせに倒れるサンタナを見据えていた。
どこか強ばった表情を浮かべつつ。
(あいつ…さっきから妙だ。何の抵抗も見せずにスタンドの攻撃を受けている?
それに、『手応え』がおかしい…まるで『ゴム』か何かを殴ったかの様な…)
ブチャラティの不安が的中したかの様に、サンタナはぬらりと立ち上がる。
その右手には先程と同じ様に緋色の剣を握り締めている。
全くの無傷と言う訳ではない。しかし、動じている様にも見えない。
無反応と言わんばかりの様子に、ブチャラティは言い知れぬ不気味さを感じた。
首をコキリ、コキリと鳴らしながらサンタナはブチャラティを見据える。
そして―――彫刻の様な両脚を躍動させ、獣の如し勢いで接近を行ってきた!
(来るか…)
再び迫り来るサンタナに対し、スタンドがその拳を構える。
サンタナの軌道は先程と同様に真っ直ぐ、一直線の接近だ。
無抵抗で殴られたことといい、何か策があるのか―――いや、むしろこちらのペース乗せるには絶好の機会だ。
下手に慎重に立ち回り、奴に反撃の機会を与えることは避けたい。
奴が何かしらの『奥の手』を見せる前に、こちらが速攻でカタを付ける―――!
「スティッキィ・フィンガーズッ!地面にジッパーを生成しろッ!!」
スタンドが地に右拳を叩き付けた直後、サンタナの軌道上の地面に『ジッパー』が出現。
雑草や土を貫く様に生成されたジッパーの口はスタンドの腕の一振りと共に勢いよく開かれる。
「…………!?」
サンタナの表情に驚愕が浮かび上がった。
地を蹴っていた右足が、地面に生成され開かれたジッパーの口の中へと嵌る。
目の前のブチャラティとスタンドそのものに意識を向けていた為に突然出現したジッパーへの対応が遅れたのだ。
直後にジッパーの口が閉ざされ、サンタナの右足はジッパーによって地面に固定される。
泥濘に脚を取られた様に身動きが出来なくなったサンタナの隙を、ブチャラティは見逃さなかった―――!
「アリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリアリ――――――――!!!」
放たれる拳撃。拳撃。拳撃。拳撃。拳撃。拳撃。拳撃。拳撃。拳撃――――!!
無数の拳による機関銃の如しラッシュは、身動きの取れないサンタナの身体に次々と叩き込まれる。
文字通り成す術も無く、抵抗する間もなくサンタナは何度も拳によって殴打される。
凄まじいパワーとスピードを誇る『スティッキィ・フィンガーズ』の乱打を前に、サンタナは打ちのめされていく。
しかし、何度も拳を叩き付けられながらもサンタナは『対応』を行った。
拳に叩きのめされながらもサンタナは右腕を動かしたのだ。
『緋想の剣』を、力強く握り締めながら。
そのまま『緋想の剣』が荒々しく振るわれ、『スタンドの左腕』を引き裂いたのだ。
スタンドの左腕部分に鋭い裂傷音が響き渡る。
切断にまでは至らなかったとはいえ、左腕の二の腕に決して浅くは無い裂傷が生まれる。
驚愕の表情を浮かべながら、ブチャラティはサンタナの行動を目の当たりにする。
ダメージのフィードバックによってブチャラティ本体の左腕にも傷が生まれたが、咄嗟に傷口にジッパーを生成し締めることで止血。
―――緋想の剣の持つ能力は『気質を操る程度の能力』。
他者の気質を読み、その弱点となる気質を刃に纏うことが出来る。
本来ならば他者の気質を天候へと変換させることが可能なのだが、制限下故に会場ではそれを発揮しない。
しかし、「相手の弱点となる気質を纏って攻撃する」という能力に関しては従来通りに行使可能だった。
緋想の剣は『スタンド』という精神エネルギーの化身の『気質』を読んだのだ。
スタンドの気質を覚えた刃は、その弱点となる気質を纏うことによってスタンドへの干渉を可能としたのだ。
「――――ッ……」
ラッシュを止め、傷を抑えて怯んでいるブチャラティが最も驚愕したこと。
それは刀剣の刃によってスタンドに干渉したことではない。
あの刀剣自体の攻撃は戦闘時に何度か目にしたし、奴のスタンドである可能性も十分に有り得る。
何より彼が驚いたこと、それは『近距離パワー型スタンドのラッシュをその身に受けながら抵抗してみせたこと』だ。
先程に拳を頭にブチ込んだ時にも奴は平然と立ち上がった。
それどころか、手応えが奇妙だった。まるでゴムのように柔らかい物体を殴ったかのような感覚だ。
戦闘を通じ、この男が異様だということはすぐに理解出来た。
『人間』なのか、こいつは…?
会場で最初に出会った男の姿がブチャラティの脳裏を過った、その直後だった。
(何ッ…!?)
瞬間、刃の一撃によって怯んでいたブチャラティの両脇腹を『痛み』が襲う。
サンタナの胴体から突き出した複数の肋骨が鋭利な刃と化し、ブチャラティの脇腹に次々と突き刺さったのだ。
一瞬思考が追い付かなかったブチャラティは、自身の両脇腹に食らい付く肋骨を見てそれを理解した。
(これは…『骨』!? 肋骨が伸びた…!?)
リブス・ブレード。別名『露骨な肋骨』。
腹部から一本一本が方向自在の『肋骨の刃』を伸ばし、敵を攻撃する技。
己の肉体を操作出来る柱の男だからこそ行える芸当だ。
さしものブチャラティも、このような攻撃が襲いかかってくるとは予想だにしていなかった。
複数の肋骨による攻撃によってブチャラティが怯んだことにより、サンタナの片足を固定していたジッパーが緩む。
それに気付いたサンタナは即座に片足を引き抜き、力づくでジッパーの拘束から脱出してしまう。
ジッパーによる固定から解き放たれ、自由になったサンタナ。
そのままサンタナは肋骨を突き刺して固定したブチャラティへと視線を向ける。
身動きの取れないブチャラティの腹部を貫かんと、左拳による弾丸の様なパンチを放つ―――――!
しかし、放たれた拳がブチャラティに直撃することは無かった。
ブチャラティの腹部に発現した『ジッパー』が開かれ、拳撃を擦り抜けたのだ。
直後――――ゴッ、と鈍い打撃音が轟く。
スティッキィ・フィンガーズの右足による蹴り上げが、サンタナの顎を捉えた。
頭蓋や脳に響き渡る様な衝撃と共にサンタナの身体は宙を舞う。
「はーッ……」
サンタナが吹き飛ばされたことにより自身に突き刺さっていた肋骨が剥がれたブチャラティは息を整える。
それと同時に宙に飛ばされたサンタナの身体は勢いよく地面に叩き落ちる。
ブチャラティはサンタナの様子を伺いつつ、脇腹の傷を手で抑えた。
まるで獣の牙に食らい付かれたかの様な傷と熱が苦痛を感じさせる。
出血を抑える為、肋骨による刺傷部分に瞬時にジッパーを生成し止血した。
まるで死体の如くうつ伏せに倒れるサンタナ。
僅かな時間の後、彼の屈強な両腕が動き出す。
両掌を地面に付け、腕を支えとして両脚でゆっくりと立ち上がる。
呼吸を整えるブチャラティとは対照的。姿勢を崩さぬまま直立している。
その身にはラッシュで受けた殴打の痕が確かに見受けられる。
しかし真っ直ぐに立つその姿は、負傷さえも感じさせぬ程に威風堂々としている。
息を乱すことも無く、冷静沈着に目の前の『人間』を見据えていた。
「………『スティッキィ』………『フィンガーズ』……………」
身の毛の弥立つ様な低い声で『サンタナ』は―――『究極の生物』は、目の前の男が操っていた守護霊の名を呟いた。
その口元に浮かぶのは不敵な笑み。邂逅の時より一切の感情を見せていなかった彼が、初めて表情を見せた。
彼は未知の能力『スタンド』を前に、ただ無謀に立ち向かっていたのではない。
スタンドの『能力』。『応用力』。『限界』。彼はそれを淡々と見極めていたのだ。
(やれやれ、だな…。こんなとんでもない化物と出くわすとは、な)
億泰とあの女の子を逃がす。この男を倒す。
両方やらなくっちゃあいけないのがツラい所だが―――此処で退くわけにはいかない。
再び猛然と迫り来るサンタナを見据え、ブチャラティはギリリと歯軋りをする。
あの『化物』は異常だ。あの肋骨を操る能力、人間離れした身体能力だけでは終わらない『何か』がある!
恐らく全力の死闘になるだろう。だが、負けてはいられない。
億泰達を助ける為にも、この腐り切ったゲームを潰す為にも、未来への『夢』の為にも!
こんな所で―――死んでたまるかッ!!
「うおおおおぉぉぉぉぉ――――――ッ!!!!」
雄叫びと共に、ブチャラティはスタンドを携えて地を駆け抜ける。
あの男との真っ向勝負だ。無謀な戦いとは解っている。
だが、覚悟は出来ている。奴を仕留める覚悟は、出来ている!
このまま奴を――――この手で仕留める!
半ば死に物狂いのような感覚で、ブチャラティは走る。
男との距離が次第に縮まっていく。
生死を懸けた戦いへと、再び身を乗り出した――――その直後。
そう、直後のことだった。
「へぇ。面白そうなことしてるじゃない」
―――緋色の風が、吹き荒んだ。
咄嗟に両脚にブレーキをかけ、立ち止まるブチャラティ。
そして、動きを止めたブチャラティは。
駆け抜け続けるサンタナは、その目に焼き付けた。
悪魔の如し翼を羽ばたかせる『幼き少女』を。
蒼銀の髪を靡かせ、疾風のようなスピードでブチャラティの横を擦り抜けた『紅い悪魔』を。
―――不敵な笑みを浮かべながら怪物と相対する『永遠に幼き紅い月』を!
瞬間、怪物“サンタナ”の身体が吹き飛ばされた。
少女は突撃と共にその勢いを乗せた右拳のストレートをサンタナの顔面に叩き付けたのだ。
サンタナの屈強な身体が容易く吹き飛ばされ、地面を転がっていく。
現れた少女は、吹き飛ばしたサンタナを見ながらふわりと雑草の茂る大地へと降り立った。
「あなたがブチャラティね」
少女はフッとブチャラティの方へと顔を向ける。
ブチャラティは驚愕をしたまま、呆然と彼女を見ていた。
「随分と危ない所だったわね?…下がっていなさい」
フッと優雅な笑みを浮かべながら少女はそう言う。
幼い姿とは裏腹に、表情からはどこか余裕が見える。
「貴方も香霖堂に行きなさい。私の親愛なる友が貴方の仲間と一緒にいるわ…あとは私に任せることね」
再びサンタナの方を向き直しながら少女は言葉を紡ぐ。
彼女が見据えた先、柱の男『サンタナ』はゆっくりと立ち上がっていた。
全力の攻撃を叩き付けられた顔面を軽く抑え、口から血を流しながら。
ブチャラティは少女とサンタナを交互に見ていたが、やがて少女に向かって問いかける。
「……君、は…?」
再び少女は振り返り、口元に微笑を浮かべる。
月にも似た真紅の瞳が輝いた。その様はどこか妖艶とも取れる。
傲岸不遜とも思えるその態度からは、確かな『自信』と『威厳』が感じられた。
この少女がただの少女ではないと言うことを、ブチャラティはすぐに理解することが出来た。
そして―――少女は、ゆっくりと己の名を伝える。
月光に照らされた少女の表情が、一気に不敵な笑みへと変わった。
「私の名は『レミリア・スカーレット』――――誇り高き吸血鬼よ。覚えておきなさい!」
最終更新:2014年01月16日 21:01