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Chapter.4 『ブレイク・マイ・ハート/ブレイク・ユア・ハート』
波乱から始まった夜は明けた。
空の暁は波紋を拡げ始め、地獄のような一日の始まりを否応無く彼らに伝えてくる。
頭に霞がかった暗霊たる不安の雲がメリーの胸中をこれ以上無いほどに圧迫し、苦しませる。
あの新聞記事は……あの恐ろしき内容は果たして真実か、虚像か。
画面に写し出されていた人物は、まさしく自身の写し絵とも言える姿。聞くによれば大妖怪『
八雲紫』その人。
派手な見出しでデカデカと載せられていたタイトルは―――『八雲紫、隠れ里で皆殺しッ!?』
吐き気すら催しそうな低俗な内容には流石のメリーも憤りを覚えたが、何よりも。
会ったことすらない人物、八雲紫がそのような邪知暴虐を行うとはメリーにはとても思えなかった。
何故だろう。自身の姿と生き写しとはいえ、他人は他人だというのに。
どういうわけかメリーにはこの紫が、自分が世に生まれた時から一緒だったという錯覚が頭を支配していた。
彼女の正体を知りたい。
彼女の正体が怖い。
相反する二つの感情がぶつかり、摩擦し、火花を生む。
それでもメリーの所属する秘封倶楽部とは、世界の真実を追究し、結界を暴くことを理念として動くものだった。
この世の真実とは得てして隠蔽されるものであり、ただの少女である自分がその存在を露わにすることに何の意味があるのか。
夢と現実は違う。だから夢を現実に変えようと努力できる。
そんな親友の言が頭を過ぎった。
在り得ない事を一つずつ消去していけば、最後に残るのはたった一つの『真実』。
ならば私は『真実』を追いかけていきたい。
八雲紫が自分にとって何なのかを、私はどうしても知りたい!
人知れず決意を固めていたメリーに神子の声が掛かった。
「この辺りで一息入れましょう。みんな自分が思っている以上に疲れが溜まってるわ」
先導する神子が振り返り、足を止める。
そこは辺り一面、黄色に輝いていた。朝光の反射を輝かせながら咲き誇る向日葵畑はメリーがこれまでに見たことも無い程に綺麗な景色。
思わず感嘆たる溜め息が漏れる。
所狭しとそよ風に揺れる向日葵の海に飛び込んでみたい気持ちはあったが、それを何とか抑えて後方のポルナレフへと声を掛けた。
「ポルナレフさん……あの、幽々子さんの様子はどうですか?」
ポルナレフが背負った幽々子をチラリと見るが、その表情は芳しくない。
彼の背にてまるで眠り姫のように深く眠る幽々子だが、その目には腫れた痕が僅かに見える。
メリーの心配する声に首を振って返したポルナレフは、幽々子を草のベッドにそっと横たわらせた。
眠り続ける幽々子を周りの向日葵たちがまるで母親のように見守る。そのざわめきは子守唄のようで。
そして彼女の優美な寝姿は幼き頃に読み聞かされた白雪姫のようだとメリーは思い、不謹慎だとすぐに首をブンブンと振る。
「幽々子さんは俺がこのまま看ている。 ……メリーも阿求ちゃんも、もう少し休んだ方がいいぜ」
責任を感じているのか、ポルナレフはゆっくりと幽々子の傍に腰を下ろし、労いの言葉を掛けてきた。
根っからの紳士なのか、フランス人らしく女性には一際気を遣う性格なのか、彼は疲れひとつ見せずにここまで幽々子を背負ってきたのだ。
ジャイロが馬に乗せようかと提案するも、目立つからという理由で拒否。
メリーは彼を心から優しい人だと尊敬するようになってきた。
やはり肉の芽で垣間見た本来の彼という存在は、間違いなく『正しいことの白』に居たのだと確信できる。
この人はイイ人だ。
こんな優しい人が幽々子さんを守ってくれているのなら、きっと何とかなる。幽々子さんもすぐに正気に戻ってくれる筈だ。
だから幽々子さんは、彼に任せよう。
メリーは思い、それと同時に先程の出来事を想起し始めた―――
親友の姿を画面の中に見た時の幽々子の取り乱しようは、それは酷いものだった。
しまった、と阿求が慣れぬ機敏な動きでスマートフォンを取り戻そうとも時既に遅し。
幽々子は一瞬の呆けの後、狂ったように喚き、叫び、泣いた。
飼い猫のように穏やかで大人しい雰囲気を持つ彼女が、まるで幼子のように感情を散らした。
その光景にメリーも阿求も怯懦するばかりで、神子ですら手を焼いた。
ポルナレフの必死の呼びかけも聞く耳持たず、感情の槌の降ろし処を見失った彼女に対しとうとうポルナレフはスタンドでの当身を行使。
どうしようもなく暴れていた故の苦渋なる行動だったが、やはり女性に対して暴力を働いたという自責の念がポルナレフの心から剥がれなかった。
それも大恩がある筈の彼女へ、だ。
ポルナレフは生来お調子者と呼べる性格ではあったが、情には厚く恩を大切にする好漢。
『自分こそが彼女らを護る』とハッキリ誓った途端の有事、行為に歯軋りするポルナレフを責める者など居なかった。
目に見えて重苦する表情のまま気絶する幽々子を、ポルナレフは誰に言われるまでもなく背負い、彼女を安全に寝かせられる場所まで運ぼうと進言する。
先のいざこざによってこの場に危険人物が近づいてくると不味い。とにかくここを離れようという主旨だった。
―――そのような成り行きから数百メートル足を運んだ一行が見た景色が、この太陽の畑だった。
花は、人を落ち着いた気持ちにさせてくれる。
まるで天国にでも舞い降りたかのように現実離れした土地ではあるが、この向日葵畑に由縁ある妖怪に詳しい阿求だけは落ち着かない。
普段の幻想郷ならば『あの妖怪』の活動場所なだけに阿求は息が詰まる思いだった。
「彼女がこのゲームに呼ばれていないことが果たして幸なのか不幸なのか……何故か助かったよーな気がします」
「……阿求、どうかした?」
傍に立つメリーが独り言に反応した。
何でもないですと返し、そう…とまた黙る。
「……阿求。私、紫さんに会いたいわ」
暫しの沈黙の後、ゆくりなくメリーが呟いた。
阿求は再びメリーがその言葉をきっかけとして倒れないか心配し横を見やったが、彼女の瞳は固かった。
朧気ながらもある種の『決意』めいたものを感じ取った阿求は、「会ってどうするのですか」とは言えなかった。
ついぞ先ほど見た『記事』を忘れたわけではないだろう。
阿求とて、あの妖怪の賢者があのような惨事を引き起こすわけがないと信じたかった。
だがしかし、このデスゲームが経過して6時間。既にして18もの命が潰えている。
もはや誰が殺戮を肯定するのかわからない事態と化しているのだ。
果たしてこのままメリーを紫と引き合わせてよいものか。
『もし』……万が一、あの方が殺しに積極的な姿勢だったならばメリーはどうなる?
メリーはこんな私と友達になりたいと言ってくれた。
私もメリーと友達になることを快諾し、嬉しく思った。
だからこそ、揺れ動く。
メリーと紫を会わせるべきか。
単純な天秤で量り合わせているわけではない。友の生き死にに直結しているのだ。
しかしこのメリー、あの賢者と並々ならぬ関係があるのでは……とも思っていた。
ならば自分如きが彼女らの邂逅に楔を打ち込むことなど、水差しでしかない。
つまりは、今の阿求がメリーの決心に返す言葉などは持ち合わせていなかった。
(『感情』と『理性』……、私はどちらを選択すれば……!?)
かつて『可能性』を信じられたツェペリのように自分はなれるのか。
勇気が足りない。僅かに、一押ししてくれる何かが欲しい。
「あらら? やっぱり『カウンセリング』は必要かしら、阿求?」
出た。我らが先導士、豊聡耳様だ。
「出た、とはお言葉じゃない。人を神出鬼没みたいに」
言葉にしてませんし、まさしく神出鬼没じゃないですか。
「それはそうと阿求、またしてもお悩みのようね? 今度の選択はどちらを取るつもり?」
あくまでも対岸にて見物するかのような構えで不敵に笑う彼女。
しかし、私には分かる。
彼女はただ茶化しにきたわけではないことが。
『あの時』とは違い、今の私には神子さんがいる。ジャイロさんも、ポルナレフさんも付いてくれてる。
それはひとしおの『勇気』だ。この太子様は私に選択の勇気を与える為に現われたんだ。
もしも私が選択を誤っても、仲間が支えてくれることでしょう。
だから私の『感情』は、ひとつの答を導いてくれた。
「メリー。紫様に会いましょう。貴女はきっと、彼女に会わなくてはならない。そんな気がするんです」
「……ありがとう」
一言だけの礼を言って、メリーは微笑んだ。
ああ。益々紫様との生き写しのようだ。
「君の、いや君たちの『道』は決まったようね。それでこそ私の教え子よ」
「道教に入信した覚えはありません。 ……でも、ありがとうございます。神子さん」
「おやおや、私は高みで見物していただけよ?」
いつものように惚ける神子さんには、やはり言葉は通じないようです。
ならば心の声でせめてものお礼を。本当にありがとうございます、神子さん。
……あ、ちょっと照れてる。こうかは いがいと ばつぐんだ。
「よう。どうやらやることは決まったみてぇーだな………って、どうした神子? 顔が赤ぇーぞ」
ジャイロさんが見計らったように入ってきました。
紅潮を彼に見られたくないのか、顔を背けて咳払いしている。少し面白い。
「コ、コホン……! まあ、ともかくっ! これで総意は取れたわ。マエリベリーも良いわね?」
「はい。皆さんにご迷惑お掛けするようですけど、私はこのまま紫さんに会いに行きたいと思います」
「言っとくけど、八雲紫が虐殺現場に居合わせたのは間違いないと思うわ。
少なからず、彼女の襲撃の可能性を想定しておいた方がいい。オーケーかしら?」
「覚悟は、出来ています」
「ん、よろしい。私やジャイロは博麗の巫女とジョニィ捜索を考えていたけど、後回しになりそうね、ジャイロ?」
「ジョニィの奴はそう簡単にくたばるような男じゃねーよ。オレもメリーらに協力させてもらうぜ」
「危険から女子を守り通す事こそ、男子たる者の高尚なる気格よ。期待してるわね、ジャイロ」
神子さんから軽く肩を叩かれたジャイロさんは、おくびには出そうとしないがどこか張り切っているような目つきです。
私は本音を言えば……ジャイロさんには申し訳無い気持ちもありました。
聞くところによるとジャイロさんはそのジョニィさんとは無二なる親友らしい。
その彼よりもメリーの決意を優先し、付いてきてくれるというのは本当にありがたいことです。
それにメリーだって件の蓮子さんとは大の親友だと聞くもの。
互いが互いの無事を信じ、なおも自分の道を選択できるという心の強さが羨ましい。
……って、あれ?
「メリー、そういえば貴方、蓮子さんは探さなくて良いのですか?」
ジョニィさんはともかく、蓮子さんはメリーと同じで殆ど一般人の女の子であるはず。
放送では呼ばれなかったとはいえ、現在も無事だとは限らない。
「勿論、蓮子も探しだすわよ。私と蓮子の2人揃って初めて秘封倶楽部なの。その絆は絶対に壊させないわ。
……案外、近くにいたりしてね。なんとなくそんな気もする」
おおう、これが親友同士の絆の力という奴なのかな。私と小鈴には足りないものだ。
「その紫さんを探すの、当然俺も手伝わせてもらうぜ。
俺だってメリーには恩がある。君たちを護ると約束したんだからな」
幽々子さんの傍で彼女を看ていたポルナレフさんも少し離れた場所から会話に入ってきました。
相変わらず幽々子さんが目覚める気配は無さそうです。
「それに俺だけじゃねえ。きっと……幽々子さんだってその友人に会いたがるだろう。
だがこんな調子で2人が出会ったら、待つのが『最悪な結果』というのも充分あり得るんだ。
そんな時、誰かが彼女らを止めてやらなくちゃならねえ。俺の剣は、そのためにある」
ポルナレフさんの表情はどこか辛そうでした。
最悪の結果。私にだって、想像はつきます。
もしもそんな結果が訪れたとして、そして考えたくもない事ですが……もしも紫様と幽々子さんが袂を分かったとして。
ポルナレフさんの剣は、紫様に向けられる事もあるかもしれません。
そんな……そんな悲しい出来事、私は認めたくない。
親友同士で争うなんて事が、あっていいわけありません……!
「阿求の考えてる通り、友同士で戦うなどあっていいことではないわよ。
阿求もメリーも、ついでにジャイロも友達は大切にしなさい」
「ついでで悪ィーんだがよー、ホラ! 特に綺麗な向日葵を一本摘んできたぜ。オレの国だと珍しかったからつい、な」
「……何やってるんですか、いい大人が。あまり花をむやみに摘むものではないわよジャイロ」
無邪気な笑顔で自慢げに向日葵を神子さんに見せびらかすジャイロさんは、なんだか子供みたいでした。
もしかして元々、はしゃぐ性格なのでしょうか? 意外です。
「むやみじゃねーよ、オメーにやるって言ってんだよ。意外と花とか愛でそうな奴だからな、お前さんは」
「………………え」
おや。これはこれは。
「オメーがダチ大事にしろって言ったばかりじゃねーか。
信頼の証に花ぐれー贈ってもバチ当たらねーだろ。神子だって女の子だしよ」
「……ジャイロ。君って意外と女性に優しかったりするんですか? 驚きました」
「あのなー! オレだってオンナの子には優しくするぜ! 嫌なら返せ!」
「あっ! 返さないわよ! せっかく摘んだのに勿体無いじゃない!」
そう言って神子さんはいそいそと向日葵を大事そうに仕舞いました。
そうですよね。聖人といえど神子さんだって女の子ですし、男の人に花を貰って嬉しくないわけないですよね。
ていうか、神子さん結構嬉しそうですね。
ジャイロさんもこの様子だと向日葵の花言葉なんて知らないんだろうなあ。
「―――っ! 阿求~~っ……っ!」
心の声を聴いたのか、神子さんがちょっぴり恥ずかしそうに私を睨みつけました。
別に怒られるようなこと何も思ってないですよ。
ただなんか、そーいうの良いなって。うんうん。
「友……か」
ふと、ポルナレフさんが誰にも聞こえないぐらいに小さく呟きました。
「俺には……遠い存在、だな……」
彼の横顔に見えた笑みは今にも消えそうなほどに霞みがかっていて、私にはそれがとても寂しそうに見えたのです。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
一行が太陽の畑にて足を休め、半刻ほどが経過した。
未だ目覚めぬ幽々子を見守るポルナレフは食事も取らず、ひたすらに献身的であった。
メリーや阿求は支給された食料での朝食を取りながら会話したり、阿求は自身が書き記していく手記作成に時間を割いたりもした。
そのうちに太陽はどんどん上昇していき、向日葵畑の影の高さも伸びてくるようになった。
「本当に18人もの人が死んじゃったんでしょうか……。
この空の下でこうしていると、なんだか殺し合いに巻き込まれていること事態、遠い幻想だったんじゃないかって思えてきます」
阿求が、メリーに言った。
「本当に……こんな状況でなければお弁当持参で蓮子と一緒に来たかったぐらいだわ。
でも、私たちは尊い人を確かにひとり、亡くしてしまったわ。それだけは忘れてはいけない」
メリーが、阿求に返答した。
風が靡き、彼女らの髪をそっと撫でた。
草花の掠れ合う音の大群が、気持ちよく耳を通り抜けた。
時折、ジャイロが神子に文句をぶつける様子が見られた。
それを受け、また神子が意地悪く笑った。
たまに通る無言の空間で、阿求のペンが紙を滑らせる音だけが届いた。
思い出したかのように阿求がスマートフォンを操作し始め、すぐに飽きてまたペンを取った。
風に乗って、幽々子のおっとりした寝息が聴こえてきた……気がした。
本当に、本当に、平和と見紛うかのように何も無い時間が続いた。
「そう言えば」
阿求がまたも思い出したかのように、荷物をゴソゴソと漁り始める。
幽かな予感、でも何でもなく。
それは本当に偶然であり、たまたま思い出したから覗いてみようといった思考だった。
果たしてデイパックからはもうひとつの電子機器が取り出された。
それは先の有事で神子に使用され、そのまま阿求の手に帰って来た『生命探知機』なる道具だった。
「……? 阿求、それ…確かポルナレフさんが最初に持っていた……」
「ええ。他の生命に反応してその居場所を特定できるらしい機械、みたいです」
何の気無しに取り出したその機器の電源を入れ、電子音と共に画面に光が点る。
「―――あれ?」
阿求の軽い疑問符が口をつく。
「ねえ……メリー? 私たちって、全部で何人でしたっけ……?」
質問の意図が読めぬメリーだったが、疑問に答えるべく片手で指を折っていく。
考えるまでもなく、『6人』だ。
「ですよねぇ……。 ………あれぇ?」
阿求は周りへと忙しなく首をキョロキョロ回す。
自分たち6人の他には、広大な向日葵ばかりが風に揺れ動くのみだ。
この生命探知機の索敵範囲は半径100メートルとされている。
自身の持つこの探知機を中心として、そこから半径へと索敵されるのであれば。
間違いなく、この画面には『8人』の生命反応が存在していることを示していた。
阿求が探知機を取り出したことは、本当にただの偶然であった。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
「なあ神子。今……歌思い付いた。考えたのよ。
作詞作曲
ジャイロ・ツェペリだぜ。聴きたいか? 歌ってやってもいいけどよ」
「ずいぶん……君、暇そうじゃない」
ジャイロと神子がそんなくだらないやりとりを始めてから暫くが経つ。
飽きずに調子の良いギャグだのなんだのを聞かされ、いい加減神子も辟易……しているかと思えば満更でもない様子。
互いに余程暇だったのか、小一時間漫才を繰り広げていた。
尤もそろそろ神子の目も、付けっぱなしにしたテレビの砂嵐のように虚ろで色味が無いモノへと変貌しつつある。
「聴きたいのかよ? 聴きたくねーのか? どうなんだ? オレは二度と歌わねーからな」
「…………じゃあ、聴きたくない」
「そうかいいだろう。タイトルは『ピッツァの歌』だ。オホン……ン、歌うぜ」
「よして」
「Oh…ピッツァ ピッツァ・イタリアーノォ~~~♪」
「やめて」
「夢見るような 恋のアローマァ~~~♪」
「ちょっと」
「アナタに~♪ 届きタ・マーエェ~~~♪」
「聞きなさい」
「オレの店にィ 来てタモーレ~~♪ アン・ターラァ~~~♪
…………つぅーーー歌よ。 ……どォよ? 因みに『チーズの歌』っつぅーのもあってだな……」
「――――――ッ!!! ジャイロッ!!」
それまでとの雰囲気を一変させ、突如神子の張り裂ける声がジャイロの鼓膜を貫いた。
「うぉッ!! な、なんだよ急に大声出しやがって……、そんなにオレの歌を気に入って―――」
「チーズの歌は後で死ぬほど聴いてあげるわ! それより警戒して! 『何か』近づいてくるッ!!」
神子の鬼気迫る面持ちに只事ではない事態を察したジャイロも腰の鉄球に手をかける。
彼女の鋭い聴覚が捉えた心の声がただの人のソレであったなら、ここまで気を乱したりはしない。
しかし、ソレは邪に塗れた濁りそのもの。そして間違いなく、神子の見知った声色。
(この……蛆の如く絶えず湧き出てくるかのような底の見えぬ『欲』の塊……! 『奴』か!)
神子のよく知るその声の持ち主は、彼女の恩人でもあり、そして同時に師匠でもあった。
そして神子は、その存在の性質を誰よりも深く理解していたに違いなかった。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
初めは機器の調子が悪いのかと思った。
阿求に現代技術の知識など殆ど無かったし、だからこそ機器が示す事実を深く考えてなどいなかった。
生命探知機の反応数が合わない。
その事実がまさか『敵襲』を意味することなど、これまで禍根の中に身を置いた経験のほぼ無い阿求では認識に至らなかったのだ。
画面が映す黄点の総数は、阿求ら一行の総数とは数が合わない。
10メートル程離れた場所で点滅する2つの点はポルナレフと幽々子のものとみて相違ないだろう。
20メートル後方の――こちらへ近づいて来ているが――点2つも神子とジャイロのものだということは分かる。
そしてこの場に居る阿求とメリーの2点を合算すれば全部で点6つ。その程度の足し算を間違えるなどあり得ない。
画面を凝視する阿求の中で徹底的に辻褄が合わないのは―――
―――2人しか居ない筈のこの場に、現在『4つ』の生命反応が存在しているということであった。
「これって……どういうことなんでしょうか、メリ―――」
呼びかけて、阿求の息が止まる。
振り向いた先に居るはずのメリーの姿が見えない。
呆然も一瞬の後、阿求は自身の認識が誤っていたことに気付く。
メリーはすぐに見つかった。
視界の下、然程背の高くない阿求の腰よりも更に低い位置でメリーは立っている。
いや、埋まって―――ッ!?
「え……」
短く驚愕し、口走った悲鳴は阿求か、メリーか。
メリーの身体が見る見るうちに沈んでいく。
沼に嵌まったかのようにズブズブと、ゆっくりだが確実に引き摺り込まれていくさまに、2人の思考が追いつかない。
この場所に沼など無かったはずだ。しかもメリーの場所の地面だけコールタールのようにドロドロした粘稠の液体が彼女の腰まで包み込んでいる。
探知機の反応が故障ではなかった事を今更ながらに理解する。地面の下に何者かが居るのだ。
「メリーッ!!!」
反射的に腕を伸ばす。
正体不明の恐怖に慄き、助けを求めるメリーの腕を強く掴み、
―――しかし、それ以上に強靭な見えない謎の力によってすぐに引き剥がされ、メリーの姿はそのまま地中へと
「―――器が小さいと淵から零れ出す邪念も抑えきれないか? 『漏れて』いるぞ、欲が」
沈みゆくメリーを支え、不敵に笑う聖徳道士が窮地を救った。
彼女の腕は地面から突き出すメリーの右腕を逞しく掴み離さず、そしてもう一方の腕は何も無い『虚空』へと向けられ同じ様に掴んでいる。
「久方ぶりね、青娥。ところで貴方って仙人から忍者へと転職でもしたのかしら?
『隠れ身の術』と『土遁の術』の両方を使えるなんてねぇ。今度私にもご教授願いたいわ」
左腕のみでメリーを地面から引き揚げ、右腕は空中を掴みながら話す神子は余裕を保ったままだ。
その神子の掴んでいる空間が徐々に色を現し始めた。
次第に形作られてゆく色味は最終的に人の形をとり、そこに現われたのは頭部まで覆われたピッチリとしたスーツの女性。
艶かしいボディラインが浮き彫りになるスーツは外界で言うところの『ライダースーツ』のようだったが、
黄土色の色彩と頭部までスッポリ隠している容姿を見た神子の第一印象は「……ダサッ!」だった。
そんな神子の無粋な感想を知ってか知らずか、『河童の光学迷彩スーツ』とスタンド『オアシス』の機能を解除した彼女……
―――『邪仙』
霍青娥が陽気な挨拶と共に、非常ににこやかな笑顔で完全にその姿を現した。
「YEAH! ずぅ~~~~っとお会いしたかったですわ、豊聡耳様ぁ~?」
無邪気がそのまま大人に成長したような美女の微笑みだった。
先の不埒が無ければ、青娥の雰囲気は日常でもよく見るそれだ。
その通常営業すぎる様子に神子はどことなく安心したような奇妙な郷愁感を覚えるが、同時に不気味にも感じた。
メリーが地の沼から這い上がり、動揺と恐怖から息を切らしている。
そんな彼女をひとまず後ろに下げ、神子は臨戦体制に入った。
当初から危惧していた通り、青娥の性格から言って彼女がこの殺戮遊戯に簡単に飲み込まれる可能性は予想できた。
だがしかし、どうにも理屈に合わない。
この邪仙に何の理由があって我ら6人を襲撃する意味があるというのか。
目的はゲームの優勝か。単に殺戮を楽しむ為か。それともこれが青娥なりのコミュニケーションの手段か。
違う。どれもこれも『この女らしくない』。 ……ならば、
「私も超会いたかったですよ青娥。それで……これはどなたの入れ知恵ですか?
どうせまた惚れた相手の尻でも追っかけてるんでしょう?」
彼女のことだ、いつものように才能ある者へと入れ込んでいるのだろう。
その者の『命令』さえあれば大喜びでの二つ返事に決まっている。
問題は入れ込んでいる相手の懐次第でこの女は『善』にも『悪』にも転がり込む可能性を持っているという事だ。
今回の場合は……思考するまでも無い。
つまり今のコイツは『悪の手先』として動いている。それ以上でもそれ以下でもなかった。
「下品な言い回しはおやめ下さいな豊聡耳様。青娥は青娥ですよ。
……にしても、流石は豊聡耳様。そのセンシブルな耳の良さではうっかり陰口も叩けませんわねぇ」
「陰で話そうが何処で話そうが、貴方の欲の声は大き過ぎます。
心のボリュームを調整する術もないと、奇襲も意味を為しません」
「有難き一助の言、肝に据えておきますわ。
そうですね……やはり豊聡耳様はとても素晴らしいお方です。 ……だからこそ恐ろしい」
「……」
「このままではやはり、お使いもままなりません。
心の欲を聴かれるなんて、普通はたまったものじゃありませんもの。 ……ですので」
桜の花弁を貼り付けたような淡い色の指先がその唇へと上品にあてがわれた。
一度見れば脳裏へと悠久に残る程に蟲惑的な美貌の持ち主は、
「豊聡耳様には今この場で死んで頂きたく思います」
それはそれは残酷なまでに、
豊聡耳神子へと笑いながら告げた。
「……上等。その邪なる心に、一寸ばかし灸を据えてやろうッ!」
青娥から放たれたほんの僅かな邪気が、神子の神経を擦った。
膨れ上がる怒気は、我儘を言う稚児に親が抱く程度の、僅かな焔。
しかし青娥の掴めぬ真意に神子が感じた予感は、凄まじい凶兆。
最早、灸を据える程度で鞘に収まる事態ではなくなってきた事を本能で感じ取った。
「ジャイロ、フォローを頼む。マエリベリーと阿求は離れてなさい。ポルナレフは彼女らと、幽々子をお願い」
ポルナレフは一言頷き、一線を退く。
ジャイロが鉄球を回転させ、ギャルギャルギャルと歯車のかち合うような音を漏らせる。
神子が迎撃の構えを取り、グツグツと霊力を沸かせる。
この場において、青娥だけが不気味に笑い立っていた。
―――火蓋を切ったのは、青娥
「オラアアアァァーーーーーーッ!!!!」
いや、初動を制したのはジャイロの早業―――ッ!
「せっかちな殿方は嫌われますわよ♪」
――――― ヒュッ ―――――
否。ジャイロではなかった。
誰よりも早く初動を制したのは、この場に居ないはずの第三者。
ジャイロの鉄球投擲モーションから攻撃に至るまでの時間はコンマ1秒を優に切る。
その狭間、青娥が口を吊り上げ呟いたのを、神子は見逃さなかった。
「ジャイロッ! 攻撃をやめ―――」
バシャッ!
視界の範囲外から『何か』が発射された風切り音と、
その『何か』が回転する鉄球へとぶつかり弾けたような音が響いた。
攻撃の中止は間に合わず、代わりに響いた音はコンクリートに水を叩き付けた様な、歯切れ良い破裂音。
投擲された鉄球が青娥にぶつかる前に、その鉄球目掛けてどこからか『液体』が飛んできた瞬間を神子の目が捉えた。
液体は鉄球の回転により周りに弾け、スプリンクラーの要領で広く拡散された。
「何ッ!?」「ぐあ……ッ!!」「キャアアアアッ!?」「シルバー・チャリオッツ!!」
大きく弾け飛んだ液体がジャイロ達を襲う。
それは毒か化学薬品か。皮膚に触れたその箇所から焼けていった。
ジャイロは身体の数箇所を焼かれ、神子は頭部を押さえ蹲り、ポルナレフはスタンドの剣捌きを以って傍らの少女らを液体から護った。
(くッ! 油断、したッ! 青娥の他にも隠れた敵が……!? どこだ……ッ)
神子は蹲ったまま周りを注意深く見渡すが、背の高い向日葵に囲まれ敵の姿が視認出来ない。
ジャイロの先制は、失敗したッ!
ダメージを庇いながらジャイロは疑問を巡らせる。
自分の鉄球技術には絶対の自信と尊敬の念を置いてきた彼である。
この敵はその鉄球の早撃ちよりも早く、投擲された鉄球を狙い撃ってきた。しかも決して近くない距離から。
あり得るか? それは一体どんな反射神経と速度だ?
不可能だ。ならば収束される事実はひとつしかない。
―――この敵は、オレの鉄球の回転を『知っていて』対処してきやがった……ッ!
ツェペリ一族の『回転』の技術を知っている者はそう多くない。
この技術を知っている『誰か』が蚊帳の外から、初めからオレの鉄球を狙っていやがった。そして先制したんだ。
「『誰』だッ!? く……ッ! おい神子! 大丈夫かッ!」
「なんとか…! この耳あてが犠牲になってくれた程度で済んだみたい」
言うが神子は、ゆっくり立ち上がって無事を見せた。
代わりに彼女のトレードマークであるヘッドホンが、酸に焼かれた無残な姿で地に落ちる。
自分の不手際で彼女の顔に傷を付けるところだったと、ジャイロは安堵の息を吐く。
―――その一瞬の隙を青娥は見逃さない。
目にも止まらぬ足の運びにより、ジャイロが気付いた時には腰を低くした青娥の姿が既に足元にあった。
迎撃の態勢すら取れぬ瞬速。青娥が懐から『缶状』の物を取り出し、ジャイロの眼前に突きつけた。
「貴方の鉄球には注意しろって『彼』から御達しがあったのよ♪ 自慢の回転、ちょっと封じさせてもらうわね♪」
おどけるような声色と共にジャイロの眼球に噴き掛けられたのは小型の『スプレー』だ。
「―――ッ!?!? ぐあああァァアア……ッッ!!! て、テメ、ッ………!!」
催涙スプレー。
青娥が
魂魄妖夢の支給品から奪った携帯武器だ。
これを顔面に噴出されればしばらく涙も止まらず、とても戦える状態ではなくなる。
ジャイロは顔面を押さえ、たまらず怯んだ。おかげで視界は醜悪。つまりこれで……
「つまりこれで貴方の『黄金長方形のスケール』とやらを使った回転は封じたわけね♪
何も見えないんじゃあ周囲の風景からスケールを読み取るなんて出来ないんでしょ?」
「………!? な、に……ッ!?」
青娥が嫌味を含めて言い放った単語でジャイロは確信する。
黄金長方形のことまで知られているとなるとこれはもう容疑者は殆ど絞れる。
このやり口、そして青娥が口走った『彼』とやらの存在。
間違いなく、青娥のバックにはあのDioか大統領が付いている!
「てめえらッ! 何人組だァーーーーーーッ!?」
「ポルナレフッ! 君は離れて彼女たちを護ってなさいッ! 敵は『他に』いるっ!!」
ジャイロと神子が同時に咆えた。
見るに見かねたポルナレフも出したスタンドの剣を収めるしかない。自分には戦えない者を守護する任がある。
「く、くそっ……!」
悪態を吐きながらポルナレフはメリーらを連れてその場を離れた。確かに敵はまだ他に隠れているのだ。
自分までが出払ったらメリーらを護る者が居なくなってしまう。
「み、神子さん…!! ジャイロさーーんッ!!」
ポルナレフに強引に連れて行かれ、メリーが叫んだ。
「とっとと離れて隠れてなさいッ! この狼藉者は私が裁くッ!!
言うが否や、神子が高め上げた烈々たる霊力は彼女の周囲を取り巻き、なおも力を底上げしていく。
聖人の無尽蔵とも言うべきエネルギーが濃縮され、超常的なほどに纏め上げられたその力の向かう先は目の前の女だ。
それでも神子の膨大な力と対峙してなお笑っていられるのは、邪仙青娥本来の性格故か。
しかし一見余裕を見せる青娥も、聖人の轟然たるオーラを受けて丸裸の気合で応じるわけにもいかない。
邪悪を具現化したかのような青娥の内包する念が、静かなる唸りを上げてゆく。
「青娥ァァ…………ッ!!! 巫山戯にしては度が過ぎているわ……ッ!! もう貴様を恩人とは思わんぞ!」
「一寸先はジェノサイド、ですわ♪ 復活したばかりの豊聡耳様には申し訳ないのですが、もう一度深い眠りについて頂きます。
尤も、次は起こしてくれる方なんていませんけども……ね」
聖なる仙人と、邪なる仙人がぶつかった。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
戦いが始まった。
彼女らの戦闘に影響されぬよう、ポルナレフらは歯痒く思いながらもあの場から離脱する。
遠くに見える神子と青娥の熾烈な闘争は、阿求が普段見る弾幕戦とは一線を画すほどの修羅であった。
ゾクリと、肌に突き刺さる恐怖が阿求の身を強張らせる。
それと同時に脳裏では先ほどのポルナレフとの死闘が蘇った。
また、誰かが死ぬのかもしれない。
不吉な予感など頭を振って払い飛ばし、今は指を重ねて祈ることしか出来なかった。
そしてこの場において戦闘が不慣れな者はメリーも同じだった。
阿求が横を見やればメリーもまた、同じ様に目を瞑って祈っている。
祈る人間も捧げられる神もこの遊戯では等しく一個。その行為に最早意味など無いのかもしれない。
それでも。ただそれでも。
「神子さん……! ジャイロさん……! どうか、無事でいて……っ!」
無力な2人の少女の懸命な祈りは、自分に出来ることの精一杯の所作を表していた。
そしてポルナレフもまた、震える拳を強く握っていた。
自分に新たな居場所と生き甲斐を与えてくれた仲間が激闘を繰り広げている。
遠くでただ見守るだけの自分。
戦えぬ者を守護する事こそが自分の本分だと、頭で言い聞かせる。
現に先程も、謎の敵の酸による攻撃からメリーらを守ったのはポルナレフだ。
その謎の敵にしてもそこらの向日葵畑の陰にまだ隠れているに違いない。
隠れた敵がこちら側を襲ってきた時、迎え撃つのはポルナレフしかいないのだ。
だから、こうしてひたすら何も出来ない自分自身に耐えている事こそが己の仕事だ……!
チラリと足元に寝かせた幽々子を確認した後、ポルナレフはメリーと阿求に声を掛ける。なるべく平静を装って。
「メリー、阿求ちゃん。そこらの向日葵には近づかない方が良い。隠れた敵が何処に潜んでいるか分からない」
警戒しながら『シルバー・チャリオッツ』を顕現させる。
もし怪しい人影が覗いたその瞬間、敵をアジの開きにするつもりだ。
ポルナレフの警告を受け、阿求は立ち上がる。
……が、メリーはどういうわけか足を崩したまま立ち上がろうとしない。
「メリー……? どうしましたか?」
「……もう、いやよ」
鮮明としない呟きに、阿求の動きが止まった。
「もう嫌ッ! 戦って戦って、それで何が得られるというの!?」
ずっと抱えていたものが堰を切ったように溢れ出す。
度重なる刺戟に、只の少女であるメリーの心は限界に近づいてきた。
しかし彼女の脳裏に巡るのはかつての老獪なる波紋戦士の台詞。
―――『勇気』を持ち、自分の『可能性』を信じてほしい。わしから言えるのはそこまでじゃよ。
彼が今際に遺した真意。
ただそれだけが、メリーの心が奈落に転落するギリギリの崖際で奮い立たせる導因となっていたのだ。
「ツェペリさんは私の事を『立ち向かう最中』だって言ってくれたけど、無理よ……!
私なんかには、もう……無理なのよぉ……っ!」
嗚咽を漏らすメリーに対して、友である阿求はどう声を掛けたらいいか悩んだ。
無力な点では彼女もメリーと同じである。だから阿求は痛いほどにメリーの気持ちを理解出来た。
言い淀む阿求だったが、代わりにポルナレフの誠意がメリーの涙を止める。
「……メリー。ツェペリさんの件は本当にすまないと今でも思っている。
その俺が言うべき台詞などではないが、今の君の言葉は君たちを命懸けで守ったツェペリさんへの……
そして同じく君たちを守るために向こうで戦っている神子やジャイロへの『冒涜』の言葉になるぞ」
そしてまた同時に、メリーの言葉はポルナレフへの冒涜とも同義。
彼もまた苦しんでいるのだ。苦しみながらも必死に自分自身と戦い、メリーらを守っているのだ。
ポルナレフの言葉の節から、自分が言ったことが目の前の彼をも蔑ろにするという事に気付いたメリーは己を恥じる。
「……そうでした、ね…。 ……ごめんなさい、ポルナレフさん。私、ちょっと弱気になっていたみたいです」
「なぁーに、いいってことよ! 女の子はやっぱ笑顔だぜ! それも可愛い娘の笑顔なら尚更だな!」
ポルナレフの表情が二カッと咲いた。
メリーは彼がこれほどまで清らかに笑えることを初めて知り、また笑った。
遅れて、自分が『可愛い』と褒められたことに気付き、少しばかり頬を紅潮させた。
そのやり取りを傍で見守っていた阿求も、友として何も言えなかった不甲斐無さより、友の笑顔が見れたことが何より嬉しい。
思わず顔が綻ぶ阿求に、
―――ピピピ!
不穏のベルが新たな波乱を運んできた。
聞き覚えのある電子音。3人の中に緊張が走る。
阿求は慌てて荷物から生命探知機を取り出し、画面を食い入るように覗き込んだ。
その画面には、後方からひとつの生命反応がこちらへと近づいている事を示していた。
「さっきのヤローか!?」
ポルナレフがスタンドの剣先を相手に向ける。
向日葵畑の向こうから、走ってこちらまで向かってくるのが見えた。
メリーはすぐにポルナレフの後ろへ隠れようとして―――思わず足が止まった。
その姿を凝視する。あれは、女だ。
東から昇り来る太陽の逆光で視認し辛いが、どうやら黒い帽子を被っている。
手を振っているようだが、顔は見えない。
長めのスカートを懸命に走らせており、よほど急いでいるらしい。
どこかでみたような……。
シルエットの姿に、メリーは疑問を感じ―――
「メリーーーーーーーーーーーー!!!!!」
間違えるはずが無かった。
その声を聴き違えるものか。
その姿を見紛うものか。
親友のその笑顔を、メリーが忘れるわけがなかった。
「蓮子ーーーーーーーーーーーー!!!!!」
ああ、これは夢じゃないだろうか。
こんな酷い現実にも、希望は確かにあった。
ツェペリさんの言った通りだ。『勇気』と『可能性』さえ信じれば、いつかは光が見えてくる。
さっきまでクヨクヨしていたのが全て馬鹿馬鹿しく感じてきた。
たった1日と経っていないのに、彼女のその笑顔が随分と懐かしく思える。
私は居るかも分からない神様へと、ここへ来て初めて心の底から感謝することが出来た。
本当に……本当に、会いたかった。
無事で良かった……! 生きていて、本当に良かった……!
私の目と鼻の先で、親友である
宇佐見蓮子が嬉しそうな笑顔で駆け寄ってきたのを見た時、
私は本当に涙を流すぐらい嬉しかったの……! 貴方もでしょう? ねえ、蓮子!
「メリーーー!!! 私! 蓮子よっ! あぁメリー……!
良かった…メリーとまた生きて会えて、本当に良かったぁ……!」
「蓮子っ!! 本当に蓮子なのね!! よか……っ、良かったぁ……!」
「嬉しいわメリー。私のために泣いてくれてるの?
私だって…泣きたいぐらい嬉しいんだよ? だって貴方とまた生きて出会うことが出来たんだもの!」
「あ…あぁ…! 蓮子…っ! 蓮子ぉ…! 私…っ、わたしも…嬉しいの!
蓮子に、ずっと会いたかった…! 生きて……また貴方と話したかったの……っ!」
「うん……メリー。私もだよ。私もずっとメリーとこうして話したかったんだよ?
もう離さないわ。メリー。貴方だけは……二度と誰にも――――――」
「―――待て。そこで止まるんだ、蓮子とやら」
ピタリと、一瞬にして空気が凍った。
声の主はポルナレフ。
そのスタンド『シルバー・チャリオッツ』の銀色に光る剣先は、蓮子へと真っ直ぐ向けられていた。
彼は極めて冷静に、現状を理解していた。
駆け寄ろうとしていた蓮子の足が、メリーの5メートル目前で止まる。
メリーは困惑した。
「ポルナレフさん! あの子は宇佐見蓮子っていって、私の親友なんです! 敵では―――」
「俺達はつい先程、あの青娥とかいう女と『もうひとり』、何者かの攻撃を受けている。
向日葵の陰からあの女を隠れながらフォローしていた敵を思い出すんだメリー。青娥には『仲間』がいる」
「……えーっと、ポルナレフさん、ですか? あの、初めまして、宇佐見蓮子と言います。
皆さんがメリーをこれまで保護してくれてたんですね。友人の私から、まずはお礼をさせてください」
蓮子はポルナレフの警告に全く竦まず、それどころか笑みを崩さずに綺麗なお辞儀をして見せた。
その誠実な態度を見ても、ポルナレフは剣を下げない。
寧ろ、この緊迫した状況下で笑みを崩すことなく頭を下げる蓮子の冷静さを見て、剣を握る力を益々強めたほどだ。
「ほ、ほら! 蓮子もこう言ってます! そ、それに……ポルナレフさんのさっきの言葉を借りるなら、
こうやって頭を下げる蓮子に対して剣を向けるなんて、それは私と蓮子の友情に対する『冒涜』なのではないですか!?」
「君と蓮子の友情を軽視しているわけでは決してない。もし蓮子が『白』だと判明したならば、俺もこの無礼は詫びると約束しよう。
……時に阿求ちゃん。君が今持つ『生命探知機』で俺達以外の反応はあるか?」
唐突に自分へと声が掛かった阿求は動転するが、言われたとおりに手に持つ探知機の画面を確認する。
画面には自分や蓮子、眠っている幽々子含め『5人』。間違いなく自分たちの反応のみを映していた。
青娥急襲時のように、地面の下に潜んでいましたなんてことは無いはずだ。
そうなるとやはり、この蓮子こそが先程陰から攻撃してきた青娥の仲間だという可能性はある。
さっき阿求が探知機を覗いた時は『8人』。青娥の他に『もうひとり』近くに誰かが潜んでいたのだから。
考え込むポルナレフ、慌てふためるメリーや阿求をよそに、ここで頭を上げた蓮子が反論した。
「あの! ポルナレフさんが警戒するのもわかります! こんなタイミングで知らない人物が現われたら普通は誰だって怪しむと思います。
結果から言えば、私は確かにあそこで戦ってる『霍青娥の仲間』……と言えるかもしれません。
少なくともここまでの道のりを共に歩いてきたことは事実です」
「え―――」という短い声がメリーから漏れ、その表情が一瞬にして絶望へと転換した。
「でも! 私はあの女に強引に連れられてるだけです!
アイツは私を自分の言いように利用して吐き捨てるだけの『邪悪』なんです! 本心ではあんな奴、仲間だとか思ってないッ!」
「……さっき俺達を『酸』のようなもので攻撃した奴は?」
「青娥のスタンド『ヨーヨーマッ』です。
強力な酸性を持つ唾液を操る、召使いのような気持ち悪いスタンドです。
きっとそいつに陰から攻撃されたのだと思います」
「……青娥は何故俺達に攻撃を仕掛けてきた? 奴の狙いは何だ?」
「……正直言って、私にはわからないです。アイツの考えてることなんて、何も。
あの女は自分の気の赴くままに動いて平気で他人を害するような、自分のことしか考えてない奴です。
今回のコレも、面白そうな奴らを見つけたからと言って、大して何も考えずに襲撃しただけだと思います。
私だってあんな奴の傍に居るのは嫌だったけど、私なんかがひとりで会場を動けないから……ここまで一緒に行動していたんです」
そう言って、蓮子はもう一度頭を下げた。
今度のその行為は謝意からのものではなく、自分を信じて欲しいという訴えから来るもの。
ポルナレフはだんまりし、顎に手を当てて考える。
しかしメリーは今度こそ蓮子を100%信じれたものとし、そんな期待を込めてポルナレフに振り向いた。
「ほ、ほら! これで疑いは晴れました!
さっきのあの攻撃はアイツのスタンドだったんですっ! だから蓮子は―――」
「―――ああ。わかった、信じよう」
そう短く言って、ポルナレフはスタンドの剣を下ろした。
その言葉に、なによりもメリーと蓮子が笑顔に変わる。
「だが、君と蓮子の友情をあと『1%』信じたい」
ポルナレフは宣言した。あくまでも冷たく。
「俺は君たちの『友情』を今……100%信じることにした。しかし、もう『1%』だけ信じさせてくれ。
蓮子のメリーを想う友情の『裏』のさらなる『裏』に、『だまし討ち』と『裏切り』が潜んでいない事を…」
「な…何を言ってるんですか……? ポルナレフ、さん……?」
メリーは困惑するしかなかった。
100%信じてくれるのなら、他に何が彼を疑わせているのだろう。
「蓮子…君は先程2回、『礼』をしたな? “ありがとう”の礼と、“信じてください”の礼だ。
だが日本では知らないが、世間一般では『礼』というのは相手に対する『敬意』が含まれる。
君は先程、2度とも『脱がなかった』ね? これは大人の社会ではありえない」
ポルナレフが一体何を言おうとしているのか、メリーには理解できなかった。
一方の蓮子は、ただじっと……ポルナレフの言葉を静かに聞いている。
「君のその可愛い『帽子』の事を言ってるんだ。
目上の者へ頭を下げる時というのは普通、被っている帽子は脱がなくてはならない。だから―――」
ポルナレフは……実のところメリーと蓮子の友情を疑ってなど、毛頭無かった。
「―――だからもう一度改めて礼をお願いできるだろうか?
今度はその『帽子』をきちんと脱いで、“『額』がしっかり見えるほどに”ね。
きっと何事も起こらないのだろう。“何も起こらない”……それでいい」
ポルナレフには気の知れた友人などは居ない。
復讐に身を委ね、孤独に生きてきたといっても良いだろう。
だからこそ、メリーと蓮子の友情が、絆が何よりも羨ましかった。
「何も起こらなければ全てが終わる事が出来る…。それで『101%』信じられる」
そんな自分がよりによってこんな少女達の絆を疑うことなど、この上なく浅ましい行為だと思った。
だからこそ、ポルナレフは彼女達の友情は最初から全く疑ってなどいなかったのだ。
しかし、だからこそポルナレフには分かる事があった。
「“脱いでみろ”。宇佐見蓮子」
ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ ゴ …………… ッ !
蓮子の腕が、ゆっくりと。
ゆっくりと、トレードマークの帽子に手を掛け始める。
ポルナレフには友情が分からない。
しかし、たとえ彼に何よりも代え難い友人が、仲間が居たとして。
そんな絆の全てを喰らい尽くす様な『邪悪の芽』が存在する事を、ポルナレフは身を以って理解していた。
邪悪なる芽の支配を受けたポルナレフだからこそ、『幽かな予感』があったのかもしれない。
その邪悪の名は……
「――――――全く、油断ならない男。DIO様の仰った話では、ポルナレフはもう少しアホだと聞いていたのだけど」
殺気を感じた。
前方と―――後方から。
「―――ッ!? 『シルバー・チャリオッツ』ッ!!」
後方の向日葵の陰から、液体状のものがポルナレフへと飛び掛った。
一瞬早くそれを感知したポルナレフは、持ち前のスタンド技術を以ってそれを防御。
「きゃ……ッ!? れ、蓮子……?」
その隙を突かれ、“帽子を脱いだ”宇佐見蓮子が瞬く間にメリーを捕らえて引き寄せた。
左腕でガッシリとメリーを盾にするように押さえつけ、右腕にはデイパックから取り出したのだろうか、不気味に光る刀をポルナレフへと差し向けている。
「一手上へ行ったのは……私みたいですね、ポルナレフさん。
あ、そこを動かないでくださいね。動けばメリーを殺します」
あまりにも冷淡且つ残酷に蓮子は言い放った。
信頼する蓮子が自分を盾にする構えで、そして聞いたことの無いような冷たい声で『殺す』などと口走った。
メリーは予想だに出来ない展開に頭が回らず、自分を躊躇無く殺すと言った親友へと呂律の回らぬ口調で語りかけることしか出来ない。
「え……蓮子? な、え……一体、何を…してるの……? い、痛いわ!」
「少し静かにしててねメリー。暴れなければ、そしてあの男が何もしなければ貴方だけは傷付けない」
懸命に首を回したメリーの視界に、帽子が取れて露わになった蓮子の額が映る。
『それ』は二度と忘れる事がない、あの肉の芽の姿が彼女の額に巣食っていた。
ポルナレフの時と同じだ。よりによってDIOは、この自分の親友を眷族に選んで従わせている。
事態を完全に理解したメリーだったが、その事実はなにより彼女を絶望の奈落へと突き落とした。
「れ…蓮子ッ! 私よ! 同じ秘封倶楽部のメンバー、メリーよッ! 思い出してッ!! 貴方はDIOに操られているだけで―――!」
「―――DIO様の侮辱はやめなさい。この肉の芽は私の『恐怖』を取り除いてくれる素晴らしいおまじないなの。
あの方を悪く言うようならいくらメリーでも……本当に殺すわよ?」
メリーの首にかかる力が一層強まる。
耳元で囁いた蓮子の声色は……妖艶なる美女のように妖しく、鉄のように冷え切っていた。
メリーの腰が抜けて崩れ落ちそうになるが、掴む蓮子の腕はそれすらも許してくれない。
「……阿求ちゃん。俺から絶対離れるなよ」
「あ…ぁ……っ…」
代わりにポルナレフの傍で阿求がペタンと腰を落とした。
その瞳は僅かに潤んでいる。
『ご主人様ァ~。帽子、落ちましたァ』
不気味な声が茂みから湧いて出てきたと思えば、そこには緑色の皮膚をした不気味なスタンドがヘコヘコと姿を現した。
「ん。ありがとう、ヨーヨーマッ」
ヨーヨーマッと呼ばれたそのスタンドは地に落ちた蓮子の帽子をゆっくり拾い上げ、主人の元へ返す。
刀を握った手で帽子を被り直し、額の肉の芽は再び隠れた。
「成るほど……さっきからウロチョロしていたストーカー野郎はお前のスタンドだったってわけかい。
スタンドなら生命探知機にも反応しねーわな……ッ!」
ギリリと、ポルナレフは象をも殺しそうな殺気で拳を強く握る。
「れ……蓮子…! お願いだからやめてよ……! 私達、親友同士だったじゃない……!
何でこんな、なんで…なんでなの……!?」
「……メリー。あなた、人が何のために『生きる』のか、分かる? 理解してる?」
突然の質問にメリーは一瞬、言葉を詰まらせるもどうにか返事する。
「そ、そんな哲学的なことをいきなり言われても、私は蓮子みたいに頭が良くないから分からないわよ……!」
「そう……まあ、大学で教えてもらうようなことでもないけどね。
私はね、『恐怖』を克服することが『生きる』ことだと思ってるわ。
例えば私は……多分メリーもそうだったと思うけど、このゲームに参加させられてかつてない恐怖を味わっていたの」
その言葉にはメリーも同意だ。
思い返せばこのゲームが始まった当初は、恐怖に涙したり嘔吐までした気がする。
「でもね、DIO様に出会って私は恐怖を取り除いてもらった。克服したのよ!
その瞬間、私は人生で一番の『幸福感』を感じたわ! 安心したのよッ!
あの方はね、メリー。世界の頂点に立つ者よ。ほんのちっぽけな『恐怖』だって持たない方なの! 素晴らしいでしょう!!
……そして勘違いしないでね、メリー? 私は本当にあなたを大切に想っているのよ。 だ か ら ―――」
―――あなたの恐怖を取り除いてもらって、私と『一緒』になろう? ねえ、メリー……
突然、世界にヒビが入ったような錯覚に陥る。
メリーの視界がグルングルンと揺れた。
この得も言われぬ不可思議な感覚は、以前どこかで……
「Happy New year。おめでとうメリー。 そして
Happy New world。『新たな世界』よ…… こっちへおいでよメリー……」
そう、確か以前に……ポルナレフさんの肉の芽に、入り込んだ時のような……
そんな、得体の知れない感覚、が……私の中に―――
身も凍りつくような親友の囁きを最後の意識とし―――
メリーの意識は真っ暗な深淵へと、再び身を堕としていった―――
男のけたたましい雄叫びがほんの僅かに聴こえた、気がした。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
―――耳を背けたくなるほどの破壊音。
黄色い海を掻き散らす大津波を思わせるほどに撃滅的な衝撃が轟きひしめく。
周りの花という花は花弁すら残らず、流星群かと見間違えるような大量の弾幕と光撃の爆発音が空気を振動させる。
最終的にこの長いデスゲームを制そうという結果をまるで考えない、全力全開のスタイルだった。
霊力は今後を考えて温存する、力の消費は最小限に、などといったみみっちくてつまらない考えなど、今の彼女には毛頭無い。
―――あるのは、友に仇為さんとするたわけに怒る激情と。
自身が永き修練の末に会得するに至った、卓越した力と技量の解放感、そして快感ッ!
すなわちそれらこそが、
「仙符『日出ずる処の天子』ッ!」「光符『グセフラッシュ』ッ!」「『輝く者の慈雨』ッ!」「秘宝『聖徳太子のオーパーツ』ッ!」「名誉『十二階の冠位』ッ!」「デザイアの求魂ッ!」「道符『掌の上の天道』ッ!」「徳符『神霊のプレスティ-ジ』ッ!」「光符『救世観音の光後光』ッ!」「十七条のレーザーッ!」「光符『無限条のレーザー』ッ!」「『十七条の憲法爆弾』ッ!」「人符『勧善懲悪は古の良き典なり』ッ!!」「神光『逆らう事なきを宗とせよ』ッ!!!」「『我こそが天道なり』ッ!!!!」「ラストワード『詔を承けては必ず鎮め』ッ!!!!!」
―――豊聡耳神子という聖人の真相であった。
「――――――………ッ!!!!」
慈悲も手心も、一切合切を捨てたその聖人の暴走にも似た猛攻は、青娥の潜在能力を軽く上回る。
只でさえ視認するのも難儀なほどの物量弾幕。しかもその一発一発が殺人的に重い。
幾多もの技の中の無数に等しい流星を、全方位から襲うあらゆる弾幕を、青娥が耐え切る道理は無かった。
自分が攻撃に転ずる針の穴ほどの隙間すら、見出せない。
或いは神子の霊力切れによる自滅も視野に入れていたが、かの聖人がそんな初歩を晒すべくもなく。
即ち、青娥が取るべき行動選択の余地は、神子の繰り出す凄まじい速度と気迫の応酬の回避ただ一点。
青娥とて無益に齢を重ねてきただけの怠惰者ではない。
気が遠くなるほどの錬丹に身を委ね、強靭な肉体と精神力を手に入れた仙人なのだ。
一手誤れば深手は免れない弾幕の全てを、冷静にグレイズ(直前回避)しながらも思考は決して中断しない。
(ちょ……ッ!!! …っとォ!! 随分な挨拶じゃないッ! ま、さか…あの方の…力が……ッ…これほどとは!!)
「やりすぎよぉーー豊聡耳様! それにお花が可哀想ですわ! 私を殺す気なんです?」
「ああ、去ね!」
全く間髪置かず突き返された。
その言葉の示す通り、神子の発射する弾幕は徹底して無慈悲を貫く。
青娥は手も足も出ない状況に困ったような苦笑を浮かべるが、未だ防戦一方の展開を崩せそうにない。
そしてこの戦いに与するもうひとりの人物、ジャイロ・ツェペリも神子の圧倒的な優勢を前に傍観者となりつつあった。
青娥の不意打ちにより視覚を奪われてしまった彼が黄金の回転を攻撃手段に選ぶことが出来ない今、戦力も半々。
仮に手を出したとして、ハッキリ言って猫の手にしかなりそうにないことは自明。
故に彼はその手に握った鉄球の向け所も見つからず、半ば諦観の気持ちで2人の…いや、神子の戦いを数歩下がった位置から見ていた。
『見ていた』と言っても彼の視界は涙によって劣悪。
神子には敵うべくもないが、鉄球の回転振動から空気を伝う『音』を、耳で『視る』ことが出来るほど彼の聴覚は優れている。
だからこそ視界を殆ど奪われた状態でも、戦いの構図はおおよそ理解出来ていた。
(聖人だとは聞いていたがアイツ……! まさかここまでかよッ!?)
これは己の出る幕は無いか……?
そう思い始めていた矢先、戦いの音が止まった。
直後、隣で神子が降りる気配を感じたジャイロは霞む視界の中から言葉を掛けられる。
「フゥーーー……。流石にしぶといわね。ジャイロは大丈夫? ハンカチ、必要かしら?」
「悪ィがハンカチ一枚じゃあ足りなさそうだぜ。 ……それよりまだ仕留めきれねえのか? 苦戦してるわけでもなさそうだが」
「アイツ、致命傷に成り得る攻撃だけを最小限の動きで回避し続けているわ。伊達に仙人やってないってところかしら」
「お前さん、耳が良いんだろ? 奴さんの狙いとか目的とか分からねーのかよ」
「……あの邪仙の欲なら、さっきからずっと聴いてるわ。 ……聴いてるんだけどねぇ―――」
神子は耳の後ろに手を当て、再度敵の狙いを聴き定めるために集中した。
青娥の華麗なるその服装も数多の弾幕を掠って既にボロボロ。にも拘わらず、彼女の表情は依然余裕を含んでいる。
その余裕な邪仙の心の欲はと言えば……
(う~んやっぱり豊聡耳様はお強いかたですわねえはっきり言って勝ちの目なんてみえてこないですしでもまさかあれほどまで末恐ろしい御力を有していたなんてこれはちょっとした誤算でしたかしら…あー!! お洋服もこんなにボロボロじゃない! 全くさっきもヨーヨーマッに散々穴空けられたばかりですのに厄日かしらそうねそれにしてもあのジャイロという殿方なんだかとっても素敵な鉄球持ってらっしゃるわねぇ回転の技術って一体どんな力なのかしらそれに黄金回転って響きがなにより素敵ですしあぁまた疼いてきましたわ私の悪いクセですね豊聡耳様はともかくジャイロさんはスタンド使いかしらそれとももしかしてもしかしてスタンドDISCなんて持ってないかしらいえ彼だけではなく向こうの4人の内誰かがDISCを所持してる可能性はありますわあぁ考えれば考えるほどワクワクしてきましたわね欲しいわねえスタンドDISCもし持ってたらどんな能力? 人を紙にしたり天候を自在に操ったり出来る方々がいらっしゃるんですものきっとこの会場にはもっともっと素敵で愉快で面白いスタンドDISCをお持ちの方がいるに違いありませんわあぁDISC DISCスタンドDISC DISC DISC欲しい欲しいDISC欲しいDISC DISC DISC DISC DISC DISC DISC DISC DISC DISC DISC DISC DISC DISC DISC DISC DISC欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲欲~~~~~~~~~~~~~~)
「うるッッッッッさ!!!!!!!!!!!」
反射的に耳を押さえた。
心の声故に直接鼓膜を叩いているわけではないが、青娥の底見えぬ欲の声に神子は思わず耳を塞がずにはいられなかった。
ここまで大きい欲の声も神子にとっては初めての体験。
耳あてが無いことが更に青娥の欲の声をストレートに流して感じ取ってしまう。
殺戮劇という、この超刺激的な催しが彼女の好奇心に火を点けてしまったのか。普段からは考えられぬ声のデカさだ。
頭の中で邪なる欲がキンキンと反射を繰り返す。あまりの欲の声の大きさにジャイロやそれ以外の心が聴こえない。
そしてそのあまりにも大きな雑音故に、先の身を隠した敵の不意打ちへの反応が遅れたのだ。
皮肉だが、耳あてを失ったことで神子の事実上の能力は用を成さないモノと成り果てた。
「~~~~~ッッ!!! う~~~~~………!!
……そ、そういうわけよジャイロ。残念だけど、今この場において欲が聴けるのはあの声のデカ過ぎるクソッタレ青娥ぐらいよ。
しかもまともな思考が読めそうにない。私の頭今、七日酔いでフラフラになった鬼の脳内よりもキンキン言ってるわ」
今ならコイツにどんな暴言考えても何も気付かれなさそうだな、などと暇なことをジャイロは考える。
「コラ! 何かイヤミっぽいこと考えたでしょ!」
ポカリと頭を小突かれる。顔に出てたらしい。
「っつー事はアイツの本心で考える狙いなんてさっぱり、って事なんだな?」
「ま、そうなるわ。元々アイツだって何かデッカいことしでかしてやろう、なんて女じゃなかったと思うけど……」
そうなるとやることは単純だ。
心がまともに読めないなら、口で吐かせればいい。
「適当に懲らしめて無理矢理吐かせるわ。そう難しいお題じゃない」
「さっき『去ね!』とか叫んでたクセに」
もう一度ジャイロを小突き、さあ仕上げだと言わんばかりに骨を鳴らす。
もはや青娥との弾幕合戦など神子にとっては児戯に等しかった。
「あらあら豊聡耳様ぁ~? 得意の読心術はどうしたんですか?
私はこの通り、まだまだピンピンしてますわよ♪」
―――だと言うのに、青娥のこの余裕は何処から染み出てくるものだろう。
その解せぬ振る舞いの根源に、神子は若干の不気味を覚える。
「さっきの様なザマでほざくわね。何を企んでるか分からないけど、そう上手くいくと思う?」
「ところがいくのよ♪ ……ビジュアルがアレでしたのであまり連発もしたくなかったのですけど……
やはり貴女様を打ち倒すのは同じ土俵では難しいみたいで―――」
それならばと、言葉を続け……
「目には歯を。圧倒的な弾幕には……『スタンド』で勝負するに最早些かの躊躇も抱きませんわね!」
地を泳ぐスタンド『オアシス』。
先程、青娥がメリーを拉致せんと土中から急襲してきた能力へとスタイルを変換させる。
出る場所はしっかり出た彼女の美しい曲線を表現するようなスーツ型スタンドを纏い、
同時に勢いよく向日葵の残骸が積もる地の底へと潜った。
「あのダサいセンスのスーツもスタンドなの? ジャイロ」
「恐らくは。スーツのように身に纏うスタンドはオレも知っている。能力も見ての通りだろう」
何故あの女がスタンド能力など有しているのか?
そんな些細な疑問など端に追いやり、神子は鼻を鳴らした。
次の瞬間、彼女は大きく跳躍する!
「地中なら姿を隠せるなどという見当外れの企みならば浅慮ね、青娥!!」
叫び、大胆不敵に笑む!
空中から地へ向けて、再び怒涛の攻撃を連射した。
姿見えずとも、敵の大き過ぎる欲の声は神子にとって明らかに確然たる目印。
その欲の真意掴めずとも、神子の能力は確かなアドバンテージとして彼女の優勢を語っていた。
誤算だったのは……
「………ッ!! 疾い!?」
地中を移動する青娥の速度が、地上での動きよりも遥かに正確無比で予測不能。
欲の声を聴く神子の『先手』の、もう一段先を往く『先手』によって捕捉不可能なレベルに達していたことだ。
(くっ……! 目で追うならともかく、声を聴いて追うのでは捕らえ切れない…! カジキかアイツは!!)
上空からの攻撃が全ていなされていく。
地中にいるのだから奴からこちらの攻撃が見えているわけではない。
青娥は『適当』に地面を進み、『勘』で弾幕を回避しているに過ぎない。
しかし寧ろ、青娥の大き過ぎる欲の声に惑わされているのは神子の方だった。
普段頼りにしている『五感』の一部を封じられた神子こそが、実の所この戦いにおいて本来の力を上手く発揮出来ずにいたのだ。
波紋のように大きな“土”しぶきを上げながら猛スピードで進む青娥の先には―――!
「―――ジャイロォォオオッ!!」
黄金回転を失い、神子と同じく自身の本領が発揮出来ないジャイロが立っていた。
「……クッ!! テ、メェ……ッ!」
攻撃の目標が自分へと転換されたことを知ったジャイロは反撃の構えをとる。
その手には当然ッ! 『鉄球』が回転の唸りを上げているッ!
視界は未だ霞んでいるが、全く見えぬわけでもない。黄金回転が使えずとも、鉄球の攻撃力は強力。
眼下の地面から土が盛り上がった。
攻撃の瞬間だ。敵は攻撃する時だけは地面からその顔を出さなければならない筈だ。
(―――その瞬間にッ!!!)
青娥が上半身だけ覗かせ、右腕から繰り出される豪速の貫手を
「オレの『鉄球』を喰らええええぇぇぇぇぇーーーーーーーーーッッッ!!!!」
バ キ ィ ィ ッ !!
鉄球は―――敵への致命傷には至らなかった。
鈍く響いた低音は、青娥の左腕による防御のもの。
その防御を、鉄球は貫くことが出来なかった。
ジャイロは、鉄球の回転の技術に自信を持ってはいたが、決して『過信』していたわけではなかった。
『黄金の回転』を封じられていても、この至近距離なら敵の防御を貫けるなどという『自信』はあっても『過信』は無い。
誤算だったのは……仙人の『耐久力』。
ジャイロは、敵を見くびっていたのだ。
青娥の不気味な薄ら笑いが、頭部まで覆われたスーツの隙間から覗く。
(殺られ―――!)
青娥の上半身だけ覗かせた態勢からの、右腕から繰り出される豪速の貫手が
ジャイロを庇って間に飛び降りてきた神子の肉体の中心を―――貫いた。
「――――――が……っ…………!!」
鉄球を振り抜いた姿勢のまま、ジャイロの体が硬直する。
眼前で撒き散らされた紅い飛沫が、顔へと付着した。
ぬっとりと、生ぬるい感触。
「素敵で高尚な貴女ならきっと、彼を庇うと思ってましたわ……。豊聡耳様……♪」
ジャイロの手が彼女を救うように、
神子の手が彼を求めるように、
2人の伸ばした腕は―――
紡がれること叶わず、神子の身体は地中へと引き摺り込まれた。
「神子ォォォォオオオオオオオオオヲヲヲヲヲーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッッッ!!!!!!!!!!」
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
(ここは……地面の中か。 ……妙にドロドロしている)
腹の穴から流れ出る自身の血が、泥と混ざり合って不快な臭いを醸す。
真っ暗だ。何も見えない。
しかし、傍若無人な邪仙の声だけはこの闇の空間によく響いてきた。
「流石は豊聡耳様……あの攻撃でも即死なさらないなんて、全くもって敬服いたしますわ」
「……そう、思うなら…さっさとここから出して、欲しい……わね……!」
息絶え絶えながらも、私は奴と会話を交わす。
姿は見えないが、奴のキンキン響く欲の声は目の前数メートル先から聴こえてくる。
「駄目よ♪ 貴女はとても素敵な女性ですけれど、それでもDIO様の魅力には遠く及ばないもの♪」
DIO……!
またしてもその名か……! お前を、操っているのはDIOかッ!
「確か……いつだかの三者会談で、あの青臭い坊主に言われた言葉が…あったわね……!
『力を持つといつかは欲望に身を滅ぼされる』……この言葉、青娥は…どう思う?」
「欲望も自分自身のひとつ、切っても切り離せない真理ですわ」
参った、わねぇ……
コイツも、あの時の私と同じ言葉で返すなんて、ね……
そりゃあ、そうか。私に道教を教えてくれたのは他の誰でもない。
目の前の、コイツなんだから。
「……豊聡耳様? これでも私は貴女を敬っております。
ですからそろそろ楽にしてあげますわ。私の欲の声にもウンザリでしょうし、ね」
カキンッ―――
目の前の闇から、何かピンを引き抜いたような音が聴こえた。
マズイ……青娥は、まだ何か……ッ!
――― ド ン ッ ッ ッ ッ !!!!!!!!!!!!!!!
「ッッ!?!?!? ウアア……ッ!!!」
何、が……起きた!?
とてつもない爆音。何か、音響兵器のようなものを……!
「音響爆弾……ていうらしいですわ。
ただでさえ桁違いの聴覚をお持ちである豊聡耳様の、しかもリミッターの耳あてが無い状態で、そのうえ音をよく通す液体状の地中で喰らったんですのよ?
私はもちろん耳栓をしてましたので大丈夫でしたけど、貴女の鼓膜は確実に破壊されたでしょうねぇ?」
青娥が何か言っているようだが、声にエコーが掛かったみたいに聴き取れない。
耳鳴りが止まない……! 欲の声すらも、聴こえない……!
「私の欲の声が煩そうでしたので消してさし上げました。御気分はいかかでしょう?」
持てる力の全てを出して弾幕を生成し、発射する。
だが最早方向感覚も分からない。
頭が、痛い……!
「こんな理不尽な状況になってまで戦おうとする意思……真に尊敬の念を禁じえません。
正直言って、苦しむ豊聡耳様を私はこれ以上見たくありませんので。 ……終わりにしましょう」
―――ドンッ!!
―――ドンッ!!
「――――――ッッ!!!」
もはや遠くなのか近くなのかすら分からない、炸裂音。
直後に私の腹に新たに空けられた穴。
火傷しそうなほどの熱。痛み。
―――撃た、れた……!?
「一番厄介だった貴女を最初に消すことが出来て安心したやら、ホッとしたやら、ですわね。
……さようなら。今までありがとうございます」
そんな青娥の言葉が聴こえた気がした。
何も、見えない。
何も、聴こえない。
命の焔が、だんだんと消滅していくのがわかる。
何も見えない暗闇の空間。
腹に空けられた穴は、自身の肉体の避けられぬ『死』を予感していた。
『死』
それは私が最も畏怖し、回避しようとしてきた『終焉』。
結局、己が捧げてきた永い永い努力による『不老不死』の実現は、今この瞬間に潰える。
「…ふ、ふふっ」
笑いすら出てくる。
不死を求めた人生の最期が、赤の他人を庇った末の朽果てなど皮肉もいいところ。
死に場所が棺要らずの土の中、というのも出来過ぎた末路だ。
―――いや、赤の他人というのも彼に失礼すぎるわね。
短い時の中でも分かることはある。
ジャイロは、実に『イイ男』だった。
信頼に値し、己の背中を預けられるほどの安心感が彼には確かにあったのだ。
そんな友を最期に守ることが出来た、と言えば優越になるだろうか。
だが、『誇り』はある。
……そう、だな。
こんな幕引きも結構……悪くは、ない。
聖人も、ヒト……か。
―――薄くなっていく視界に、僅かな光が差した。
彼の声が、聴こえた気がして。
彼の腕を、無意識に手に取った。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
「テメェ……ッ! 青娥ァァアアーーーッ!!」
地中に引き摺り込まれた神子を探すため、鉄球の回転で穴を掘り出した時には手遅れだった。
ジャイロの腕には血塗れた少女の身体が寄りかかっている。
貫手によって腹に空けられた風穴。
既にその機能を失った両耳。
大型の拳銃で撃ち抜かれた2発の銃創。
医者のジャイロでなくとも、神子の死が免れないものとなっていたことは明白。
ぐったりと目を閉じ、急速に冷えていく身体。
その呼吸もだんだん薄まっていく。
自らを聖人と称し、人を超えた者だと自負した彼女は、
ただの少女のように、ジャイロの腕の中で小さくなっていた。
「最期に人の腕の中で死んでいくなんて、実にロマンチストですわねぇ。豊聡耳様もきっと本望でしょう」
ゆっくりと地面の中から這い出てくる青娥は、そう言い笑う。
表情とは裏腹のその言葉の冷たい内容に、ジャイロの中で何かが切れた。
左腕で神子を支え、右手には唸りを上げる鉄球。
「青娥アアアアアアアアアァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーッッッッッ!!!!!!」
怒りの咆哮と共に真っ直ぐ投げられた鉄球は、鈍い音を響かせて青娥の元へ飛び向かっていく。
それを見据えてなお、青娥は笑みを崩さない。
かろうじて相手の居場所は把握できるが、ジャイロの視界は未だに滲んでいる。
周りの風景から黄金長方形のスケールなど、とても発見できるような状態ではない。
回転の技術とはいかに正確なスケールで回せるかが命なのである。
故にこの攻撃が青娥の防御を突き抜ける道理など、あるわけがない。
「私、しつこい殿方もお嫌いでしてよッ! 何度やっても無駄 ―――『 パ ァ ン ! 』――― です、わ………っ?」
ブシュウウゥゥ
(―――えっ…………)
ジャイロの投げ放った黄金回転の鉄球が、邪仙青娥の右手と脇腹の肉を吹き飛ばした。
(………え、っ……な、んです……て………?)
消滅した手首から先を信じられない様な目で見つめる。
続いてボトリと、血肉を撒き散らしながら吹き飛んだ右手が地に落ちた。
ブシュウと、シャワーのように脇腹から血飛沫が噴き出る。
何が起こった……?
ジャイロの黄金回転は、視界を奪ったことで封じたはずだ。
ならば今のこの鉄球の回転の威力をどう説明する?
「………ッ!! アナタ、今…何を……ッ!!」
ダメージの衝撃で『オアシス』が解除された。
初めて焦りの表情を露わにした青娥は、目の前の男をキッと睨みつける。
対するジャイロは、それを超える静かなる怒りをその瞳に宿していた。
彼の手には、横たわる神子と―――彼女の胸に捧げるように置かれた一本の『向日葵』が寄り添っていた。
「この向日葵は……さっきオレが神子にあげた奴だ。
……神子の奴がこの辺一帯めちゃくちゃにふっ飛ばしやがったからな。まともに形残ってる花がこれしかなかった」
その言葉が何を意味しているのか、青娥には分からなかった。
ジャイロは神子に祈りを捧げるように、目を閉じて静かに語り続ける。
「オレが神子を地面から引き揚げた時、コイツの手にはこの向日葵が握られていたんだ。
言葉にされなくたって分かるぜ。オレには欲の声とやらは聴けねーが……神子の考えてることはすぐに分かった」
神子の胸に置かれた向日葵は、光を反射して悠然と輝いている。
その花にそっと手をやるジャイロの手は、震えていた。
それは怒りからか、悲しみからか。
「お前さんはよぉ、オレ達『ツェペリ一族の回転』を舐めてたんだ。勘違いしているぜ。
最初にスプレーを噴き掛けた時、“これで貴方の黄金回転を封じた”とか寝ぼけたこと言ってたな。
オレの視界を封じれば、周りの風景のスケールを読み取れねえ……『とでも思ったのか』?」
青娥は、仙人としての肉体の耐久力に自信を持ってはいたが、決して『過信』していたわけではなかった。
『黄金の回転』を封じれば、鉄球の力に耐えれるなどという『自信』はあっても『過信』は無い。
誤算だったのは……ツェペリ一族の『技術』。
青娥は、敵を見くびっていたのだ。
「目が『視え』なくてもよォー、こうやって自然の花に直接『触れれば』よォー……
黄金長方形のスケールぐらい、肌で正確に感じ取れるぜッ! そうすりゃ『完璧な回転』を生み出せるッ!
……つーか、自然物に手で触れてスケール測るなんざ、初歩の初歩の初歩の初歩の初歩中の初歩だぜッ!」
―――もっとも、これはお前がいたからこその『反撃』だぜ、神子……
唇を噛み締めながら心の中でジャイロは神子にこの上ない『感謝』を示した。
視力を奪われ、手の届く範囲にあった最後の黄金長方形のスケールが神子の託した一本の向日葵だったのだ。
ジャイロの手から伝った神子への向日葵は今、再びジャイロの元へと帰って来た。
神子の、ジャイロへの最期の『花向け』だった。
(最後の最後に、してやられましたわね……、ジャイロ・ツェペリと、豊聡耳様に。 ……ツェペリの技術、惚れ惚れしましたわよ♪)
―――でもそろそろ、『潮時』かしら。
青娥の肉片を吹き飛ばした鉄球が、弧を描きながらジャイロの元へ帰って行く。
アレをもう一度喰らうのは懲り懲りだ。腹のダメージも軽くは無い。
自分をここまで追い込んだ二人に、青娥は最後の崇敬を送り、
『河童の光学迷彩スーツ』を起動して、二人の前から姿を消した。
「……ッ!? 消えやがった……ッ! 待ちやがれテメェーーーーーーッ!!!」
咆えても敵の姿は既に音沙汰もなく。
青娥は拍子抜けするほどに、あっさりと逃亡した。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
――――――
―――――
―――
――。
あぁ、久しく忘れていたこの温かい感覚。
思えば人の温もりなどいつ振りだろう。
人の上に立つ者としてあるまじきこの堕落したような気持ちは。
でも思ったよりは、悪くない……わね。
ジャイロ、青娥を……撃退したみたい。
流石、私の信頼する友人、ってとこかしら。
もう私の耳は聴こえない。彼の言葉も欲の声も、聴く事が出来ない。
それでも誰かの腕の中で死ねるなんてことは、聖人……いや、『人』としての最期の贅沢かもしれないわね。
周りの花、全部吹き飛んじゃったわね……。酷いことをしたわ、ごめんなさい。
それでもジャイロ。貴方のくれた向日葵が、貴方自身に力を与えたはずよ。
貴方の一族の『誇り』って奴かしら? それは確かに守られた。
……私もその一助になれたかな、なーんてね。
瞼を開けると、予想通り彼の顔が近くにあった。
私の視界もぼんやりとしていて彼の表情は分からないけど、もしかして結構悲しんでくれてる?
いえ、この男だったらもしかすると怒ってるのかもね。『なんでオレを庇いやがったんだー』って、ね。
いやだって、大切な友を助けるのは当たり前でしょ?
ホントはねぇ、すっごい嬉しかったのよ? ……貴方がくれた向日葵のことよ。
こんなこと恥ずかしくて言えるわけ無いでしょう。 ……私も一応、女ですし。
―――そろそろ、眠くなってきたわね……
最期に、何か言ってあげた方が良いのかしら?
そう、ねぇ……
チーズの歌、結局聴けなかったわね、とか。
生きてたらバンドでも組む? とか。
絶対ジョニィに再会しなさいよ、とか。
違う。どれもこれも言ってあげたいけど、違うわ。
もう、本当に一言だけ言えるのだとしたら、その台詞は違う。
今、私が言えることは……ジャイロに掛けてあげなきゃいけないことは……もっと切実で、緊急を要することだ。
青娥は……『あの時』、何と言った?
思い出して。奴の言葉を、一字一句違わずに。
―――『一寸先はジェノサイド、ですわ♪ 復活したばかりの豊聡耳様には申し訳ないのですが、もう一度深い眠りについて頂きます』
いきなり地面の中から現れては舐めたような物言い。
ジェノサイド……
―――『一番厄介だった貴女を最初に消すことが出来て安心したやら、ホッとしたやら、ですわね』
聴覚を失った時、青娥が囁くように放った言葉。
うっすら、意識の深層下で聴こえたような、そんな言葉。
私を、最初に……だと?
思えば何故青娥は私を地面に引き込んだ後、『さっさと』殺さなかった?
鼓膜を破壊したり、わざわざ急所を『敢えて』外すように撃ったり……
私を『即死』させることは奴にとって『不都合』だったのか……?
おかげで奴は私とジャイロの思わぬ反撃を喰らい、まんまと逃走する羽目になった。
その逃走にしたって、いやにあっけない。
まるで最初から『逃げること』を視野にしていたかのような。
逃げる……? 奴の口ぶりは、私達を『全滅』させるかのような意思があったというのに『逃げる』……?
……意識が、霞んできた。
待って。そういえば、思い出してきた。
地面の中で私が視覚も聴覚も奪われた時。
―――奴は、私に確かに『何か』仕掛けた。
何をしたのかは、分からない。
でも、これだけは理解出来る。
―――霍青娥。あの女は、どんな者にだってその本質を制御出来ない……『大邪』。
私の敗因は、奴の『邪念』を量り違えたことだ。
奴の『邪』には底が無い。
底が無い故に、まさしく無邪気といったところか。
……奴の目的が、見えてきた気がした。
恐ろしい女だ……! あの女は、『何だって』やる気だ……!
奴は……“逃げるつもりではない”!
全員『虐殺』する気か!
あろうことか、この私を『利用』して!!
奴が私を即死させなかったのは、自分だけが逃げる時間を稼ぐ為だ!
恐らく、私の『死』をトリガーにした『何か』を仕掛けて!
彼に……伝えないと……ッ!
ジャイロ……ッ! あの女を甘く見ないでッ!!
奴は……『悪魔』!
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
「神子ッ!! おい、テメェッ!! まだ死ぬんじゃねえぞッ!!」
ジャイロが消え去った青娥を追う事は出来なかった。
透明化の術を持ち、かつ視界の速やかな回復も期待出来ない以上、追跡は不可能だと判断したからだ。
いや、実のところ彼には追跡の術はある。
支給品の『
ナズーリンのペンデュラム』をすぐさま使用すれば透明であろうと青娥の追跡は可能なのだ。
その効果範囲は半径200メートル。それ以上離れれば完全に逃げ切られることになる。
時間は残されていない。
それを理解してなおジャイロは、神子の傍を離れることが出来なかった。
ジャイロは医師だ。倒れ伏せた神子がもう長くない状態でない事は分かっていた。
それでも懸命に声を掛け、止血を施す。
助からない命だということを理解していながら、彼は敵を追う本分よりも神子を看取ることを選んだ。
行動に理論的な意味を求める自分らしくない。
だが自分がこのまま青娥を追ったとして、神子はたった独りぼっちで死を迎えることになる。
それはどれほど悲しい人生の最期だろう。
彼女の……豊聡耳神子という存在の最期に、『敬意』を払わなければいけない。
神子の生きてきた『誇り』を守ってやることこそが、友である自分がしてやれる最後の手向けだ。
「…………ジャ、ィ……ロ………」
「……!! 喋るなッ! 今、鉄球の回転で止血してるとこだ!」
そんなジャイロの思いが実を結んだ。
神子が微かに瞼を開ける。しかし、
「――――――ッ! ――――ッ!」
既に神子の耳にはジャイロの声など届かない。
聴覚を失った彼女の世界に、音が入り込むスキマなどもはや無かった。
(まいった、わね……。他人の声が聴けなくなるのが、こんなに悲しいなんて……)
それでも、目の前の男が懸命に自分の名を呼び続けていることだけは分かる。
消えかけの命を、もう一度灯らせようと一生懸命なのが分かる。
(馬鹿……、早く青娥を…追いなさいよ……)
青娥がまだ何か企んでいることは予想がついていた。
すぐにここから離れないと、ジャイロが危険だというのに。
(私なんか放っといて……早く、行って……! でないと、貴方も、危ない……ッ!)
最期に一言だけ、口を開く力が残っていた。
伝えるべき事実がある。
さあ、私から離れて奴を追いなさい。
青娥の攻撃は、恐らくまだ終わっていない。
何をやっているの。私はもう無理なんだから。
貴方は自分やメリーを守ることだけ考えなさい。
だから、もう……いいのよ。
そんな警告を、最期に伝えなければ。
「ジャイロ………あり、がと……ね…………」
―――意を決した彼女の口から出た言葉は、警告でも助言でもなく。
ジャイロ・ツェペリへの、限りない『感謝』だった。
(―――何、言ってるのよ、私……)
ジャイロへと危機が迫っていることは明白なのに。
一刻も早く彼をこの場から逃げるよう、忠告しなければいけないのに。
どうして私は涙なんか流しながら、そんな意味の無いような言葉を選んだのか。
いや。本当は、自分でも分かっていた。
彼の優しさが、彼の腕を伝わって私の心に直接響いてくるのが。
彼が敵を追うことよりも私を優先してくれたことが、きっと何よりも嬉しかった。
独りで死んでいくことがたまらなく怖かった。
不老不死を求めて生きてきた私の最期が孤独だなんて、これ以上無い屈辱だった。
彼はそんな私の最期の『生の誇り』を守るために、こうして傍に居てくれている。
その心が、本当に嬉しかった。
だから、私は本心からのお礼を捧げた。
―――幸せ者ね……私も。
神子はどこか安心したような顔で眠りについた。
彼女の最期を自分の腕の中で見守ったジャイロは、安らかに眠るその頬に伝わる雫をそっと拭き取り、ゆっくりと地面に寝かせた。
せめてもの弔いとして、一輪の向日葵を彼女の手に握らせて。
「神子……お前の気高い『生き様』と太陽のように大きくて明るい『意志』に、オレは何よりも『敬意』を払うぜ。
……そしてすまなかった。ジョニィに紹介するっつー『約束』……守れなかったな」
自分にはやるべきことがまだ、ある。
男は背を向け、歩き出した。
かつて『聖人』だと言われた、ひとりの友の意志を受けて。
その手に鉄球を携え、戦火に身を投じる。
【豊聡耳神子@東方神霊廟】 死亡
【残り 66/90】
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
自分の右腕に突如、熱い痛みが走ったことにジャイロは遅れて気付いた。
肘から先が千切れ落ち、鈍い音と共に鮮血が舞う。
何が起こったのか理解出来ないジャイロは、自分の落ちた右腕の切断面を見つめることしか出来なかった。
Chapter.4 『ブレイク・マイ・ハート/ブレイク・ユア・ハート』 END
TO BE CONTINUED…
最終更新:2014年11月24日 21:13