森の中を歩く、だが、先程の男に投げ掛けられた言葉を思い出す度に足が止まってしまう。
『理想を語って潰れろ』
その言葉を振り払おうと何とか猿野は自分にとって希望と思えることを考えながら、努力して再び歩みを進めていく。
「まず、間違いなく世界規模のトップニュースになってる。なんたってオレは県対抗総力戦で埼玉を優勝に導いた男だからな。世界遺産に認定されていたとして不思議はない。
これだけ名前の売れてる写真集まで出してるオレのことだ。突然姿を消したとなると、それはもう間違いなく噂が噂を呼び、都市伝説へと姿を変えていることだろう。
そして、オレは夜な夜な若い娘のベット下でHな本を読んでる怪しい男として永遠に語り継がれていくことに……」
「ん?」
……きっかけはほんの些細なことだった。自分と同じ仲間が巻き込まれてないか確かめただけで、自分の名前がちゃんと載っているかまでは確認していなかった。
そのため、気を紛らわせるついでにもう一度名簿を開いてみようと考えたのである。
そこで彼は見てしまう。触れてはならない禁忌に気付いてしまった。
「おれぁ生まれてから十二支高で生き、高校野球界でいろんな名前を見て来た。
だから悪い人間といい人間の区別は『名前』で分かる!
……いや、まあさすがに猪力が消えるとは思わなかったけど
こいつらはくせえッ──! ゲロ以下の匂いがプンプンするぜッ────ッ!
こんな名前には出会ったことがねえほどなァ────ッ
DQNな親につけられた名前だと? ちがうねッ!!
こいつらは偽名だッ! 早えところ警察に……」
そこまで言って、勢いで蹴り飛ばしてしまった名簿を拾って土を払いながら呟く。
「って連絡しようにも携帯取られてるか。……でもどう考えても怪しいよな。この二人」
──その二人とは──L、
ジャガージュン市。
名簿の中で、明らかにこの二人は浮いていた。他にも悪人っぽい名前のヤツや、どこかの狙撃手みたいな名前のヤツ、あげくの果てにアイドルの名前までがあったが、この二人の浮きっぷりには敵わない。
……もしかするとこれは重要なメッセージが暗号で隠されているのではないだろうか?
「……オレ達はとんでもない考え違いをしていたのかもしれない。L、アルファベットの第12字。ローマ数字では50を意味している。50……つまり五十音順、12……オレ達の高校は十二支高校、これらの数字に何か共通するものはないだろうか?
そう、並びだ。どちらも様々なものを並べる時に頻繁に使われる数。
ここで参加者の数を振り返ってみよう。59……何か中途半端な数字だとは思わないだろうか? あと、ひとつですっきりした数になるのに何故59なのだろうか、と。
それは最初にひとつ引かれていたからだ……赤木君と呼ばれていた彼が。本来なら数字は60であるはずだったが、彼が消えてしまうことによって違和感が生じてしまった。
……それこそが彼が残してくれた重要なヒントだったんだよ!!
あえて彼の名前を入れてみよう。赤木……彼は本来なら01番にくるはずだった。
つまりみんなの出席番号が1ずつ上がることになる。これで全ての並びが本来のものとなった。Lの出席番号も07になる。07……この数字に何か見覚えはないだろうか?
07、……レナ。もうここまでくれば何が言いたいのか、わかってくれたと思うけど、全ては宇宙人の陰謀だったんだよ!! そして、ジャガージュン市の出席番号は18……アルファベットの第18字を指す……つまり彼の正体はRだったんだよ!!」
「な、なんだってー!? ……ってかRってなんだよ。超人あ~るか? 自分でツッコミ入れてりゃ世話ないというか虚しいというか。……はぁ、何時間一人で彷徨ってんだ。
早くみんなを見付けてやらないと、マリファナ先輩は薬切れの禁断症状でも出てないか心配だし、もみじ様はオレのいない間にお色気シーン披露してないか心配だし、バブリシャス君にいたっては風船ガムで空飛ぶこと考えてるような時点でもうどうしようもないし、
……その点オレは……」
猿野はいつの間にかまた立ち止まってしまっている。
「……なんでこんなビビってんだろうな。オレってこんな臆病なヤツだったか?」
ディバックを何度か掴み直す。千切れた左の袖から妙に肌寒い風が触れてくる。
身体が少しばかり震えた。かぶりを振って頭から嫌な考えをふるい落とそうとする。
「……違うだろ? こんな様子じゃ沢松あたりに「新しい顔よ!」とパイ生地ぶつけられるわ。このボケ! オレはこれから綺麗さっぱりあいつら全員のっぺりぬっぺりどっぺりのし倒すんだろうが。
もちろんオレを中心にみんなが団結し合ってな。その後、オレたちは日本統一へと動き出し、やがては世界へ羽ばたくこととなるのだが、それは余談である……ってなもんだろうが」
声を振り絞るとがむしゃらに前へ前へぶつかるように走り出す。やがて視界が広がった。
ついに猿野は森を抜け、道へ出ることが出来たのだ。
「……おし! オレは森を抜けたぞ。こんちくしょうめ! こっからがオレの本領発揮だ。
さらば森よ! ……森か、……今は全てが懐かしい」
道路に仰向けに寝転んで大きく深呼吸する。……猿野の脳裏に森での思い出が駆け巡った。
「この森には魔女がいるぞ。ひゃははははは。燃やせ燃やせ、魔女狩りだ」
自分で森を歩く目印代わりに木々で作った人形や石ころを置いていったら、何度も同じ所に出てあまりのブレア・ウィッチ・プロジェクトぶりに錯乱しかけたり、
「ぎゃー、赤カブト!? ここって奥羽の森だったの!?」
と、何故か熊の幻覚を見て死んだふりしてたり、
「なんだかオレの近くを赤毛の男が走り過ぎて行ったような気がしたが、別にそんなことはなかったぜ!」
と、色々無かった事にしてやり過ごしてみたり。そして……
『理想を語って潰れろ』
……ようやく人に会えたと思ったらその男はツンデレだったり。
そうやって森の中をさ迷い歩いている時、考えたことを振り返っているとピコーンと電球が光ってあることを思い付いた。
(……この森を燃やしてみるってのはどうだ? そうすりゃでっかい狼煙みたいになって、誰かにこの島で何かが起こってるってことが伝わるんじゃないか?
それに無人島の常套手段! 砂浜にSOSでもあれば飛行機か何かが通り過ぎたときに、見付けてもらえる可能性は高くなる。
牛尾主将なら監視衛星やら軍用ヘリのひとつかふたつ持ってるだろ。非常識的に考えて。
それに檜ちゃんが猫神様占いであっさりオレ達の居場所を見付けてくれてる……かも)
「……ふう、比べてみるとバカ犬のあまりの使えなさには驚くばかりですよ。
……なんか火が欲しいよな。こんな冷めたパンが食えるか女将を呼べ! って言いたい気分になってきたし、フォークダンスで皆と交友を深めるのにも必要だし……どう考えても男が余り過ぎです。本当にありがとうございました。……むしろ惨劇が始まるわ」
……勿論森のどこに誰がいるかもわからない状況でそんな真似をするつもりもなかった。
それをするなら、全員がどこにいるかわかった時。つまり全員が仲間となった状態でしか有り得ない。
……はっきり言って別に普通に狼煙を作るだけでいい気がするのだけれども、何事も豪快コースこってり究極のまろやか至高派である猿野にとって大は小を兼ねるのである。
……ということにしてください。
何だか猿野は気分がよかった。森を抜けただけでかすかな希望が見えてきた気がする。
……そして放送が始まった。
「バーカ、迷子の放送なら遅いんだっての……」
いつもの軽口で答えてやろうとした。
『まず、午前0時から6時までの死亡者だ』
「…………」
だが、すぐにそれは閉じられることになった。
『
進藤ヒカル、
安仁屋恵壹、
小早川瀬那、外村美鈴、
清熊もみじ……清熊もみじ……清熊もみじ……』
「…………」
視界がぐるぐると回転していくような気がして眩暈がする。
『……以上三箇所が禁止エリアだ』
終わりの言葉もなく放送は唐突に消え、あたりは再び静まり返った。
「…………13人」
猿野は自分がこんな小さな声しか出せないことに驚いた。そしてそんなことに驚いている自分がひどく滑稽だと思った。
嘘だと考えることも出来ないほどに、その放送は真実とはほど遠く思えた。
……何だかひどく現実感がなかった。
放送が嘘だった場合、清熊もみじは自分が死んだという放送を聞くことになる。さらに、誰かと行動を共にしていたなら、すぐに放送の信憑性は疑われることになるだろう。
傍にいない者には真実は分からないとはいえ、やがては分かることだ。
……そこまで猿野が考えることはなかった。
だけど、いないんだな、と素直に思った。自分が死んだと聞かされる気分はどんなものかと想像してあまりの気持ち悪さに吐き気がした。だから聞かずにいて欲しいと思った。
……そう思いたかった。自分が清熊もみじを殺したいように思えてきて……涙が出た。
「あ、あははははははは。な、何やってんだよ。オレ」
涙と共に清熊もみじとの思い出があふれ出てくる。
「……はは、なんでだろな。なんか痛い目合わされたことばっか思い出してくる」
自転車で轢かれたり、顔面に漢蹴りや漢アッパー入れられたり、空中コンボ決められたり、血の池に沈められたりもした。
「あははははは、なんだ。天国さんあんた何を怖がってたのよ。この痛みに比べりゃ何が怖いってんだよ、はははは」
「ふざけてんじゃねえぞ! このクソ野郎が!」
失った痛みを堪えながら猿野は立ち上がる。瞳からまだ涙は途切れないが……
「あー、目が覚めた。やっぱお前の蹴りはよく効くわ。思い出すだけで涙が出てくる。
……ありがとよ。オレってば本当張り倒されでもしない限り前に進めないのな。だけどオレが進むと決めた以上は、もう何があろうと進んでやっからな。待ってろよ。お前の分もオレが絶対殴っといてやる。殴るとこ残しとけって言われたってお断りだぜ!」
……心は決めた。後は迷わず進むだけだ。で、どこへ?
「……っだあーっ! 地図地図……ってわざわざここが我々の本拠地です。なんて素直に載ってるわけが……」
慌てて地図を見直そうとするが当然そこに本拠地などと載ってるわけがないのだが……
「……なんでこんな目立つように赤で塗ってんのー!?」
森に降り注ぐ月の光の中では薄っすらとしか色が判別できなかったためわからなかったが……どう考えてもこれ怪し過ぎね? 罠だろ? と、猿野はぼんやりと思った。
もう鎌石村は目の前に見えている。そこから鎌石小中学校はすぐそこのはずだ。だが、8時には禁止エリアとなってしまう場所でもある。
「……ともかく行くか? 男は度胸! 何でも試してみるのさ」
自分で出した問いかけに足は間違いのない答えを返してくれた。
猿野は少しの間振り返ると、傷を負ったあの男がいるはずの方向へと大声をあげる。
「理想を語って潰れろ? 上等ォ~、オレが理想なんてチャチなもん語ってるとでも本気で思ってやがんのか。理想なんてものは語るためにあるわけねーだろ。実現するためだ!
言ってるだけのヤツなんだ潰れて当然だろうが、この伝説を越えた男、天国様に対して説教するには残念だが56億7千万年早かったな! …………絶対に死ぬなよ」
それから、猿野は再び森に入って適当な太い枝を見付けると力任せにむしり取った。
道に戻ると、ただそれを振り抜く、一陣の風が吹き抜け森の木々を揺らす。振り抜いた後には枝には一片の葉も残らない。
剛の秘打法 覇竹である。
……見据える先には川島に傷を負わせた人間やもみじを殺した人間がいるかもしれない。
だが、それでも猿野は食べてる時間も惜しいと支給されたパンを咥えながら走り出そうとする。その時──
「止まりな、そこの糞ゴリラ(ファッキンゴリラ)!」
……森から……悪魔が来たりて声を出す。