第039話 海のひかり、月のあかり ◆z.M0DbQt/Q
ずっと膝にくっつけていた顔を上げると、視界に入ってきたのは波間に揺れる満月だった。
どのくらいの時間、こうしていたんだろう。
10分くらいしか経っていないような気もするしもう何時間も経ったような気もする。
砂浜の端っこに広がる岩場を乗り越えた所にあった、この洞窟。
とにかく隠れたいという一心でどうにか入り込んだこの洞窟は、見付けた時と同じようにやっぱり真っ暗で。
抱えていた膝を強く抱きしめ直し、
藤崎あかり(女子11番)はひっそりと息を吐いた。
「どうして」と「怖い」。
さっきからこの言葉と思いだけがグルグルと頭の中を回っている。
誘拐、されるなんて。
殺し合い、だなんて。
“死ぬ”とか“殺す”なんて言葉をこんなに身近に感じたのなんて初めて。
もちろん日本が100%安全な国じゃないってことは知ってる。
それでもやっぱり自分にとってはこんな状況はテレビの中の出来事で。
(大丈夫……大丈夫……)
こんな場所、誰かに見つかるわけない。
洞窟の中は広くはないけど、ちゃんと入り口からは見えづらい位置にいる。
大丈夫。だから大丈夫。
一通りの混乱を過ぎた頭で、そんな根拠のない言葉を呟き続ける。
(お父さん……お母さん……)
次々に浮かぶ家族の顔。そして。
(ヒカル……)
幼馴染みがふてくされた後に見せる笑顔が、脳裏に浮かぶ。
(ヒカル……どうしてるかな……)
こんな風に突然私がいなくなっちゃって、驚いてるかな。
心配、してくれてるかな。
それともやっぱりいつもと同じように碁を打ってて、私のことなんて気にもかけてないかな。
碁盤を前にしているヒカルは、私の知っているどのヒカルよりも真剣でちょっとだけかっこよくて……本当にちょっとだけドキドキしちゃうけど。
でもなんだか知らない人みたいで、私が隣にいても、そんなことこれっぽっちも気にしてくれなくて。
だから碁を打っているときのヒカルは好きだけど――――――――嫌い。
……でも、やっぱり好き……かも。ちょっとだけ、ね。
私も碁を始めてちょっとだけそのおもしろさがわかったから、だから碁にのめり込むヒカルの気持ち、前よりはわかるつもり。
(会いたいな……)
無性にそう思う。
帰って――――お父さんとお母さんと……ヒカルに会いたい。
みんなの顔を次々に思い出していると、だんだんと目尻に涙がたまってきちゃった。
流れ落ちた滴を拭うために右腕を上げたら、肘が何か柔らかい物に当たる。
「あ……これ……」
今の今まで忘れていた。
こんな物があったんだっけ。
私の右腕に当たった物はまだ一度も開いていないリュックサック。
中に何が入っているって言ってたっけ。
あの体育館みたいな所にいる時は――――もちろん今もだけど――――本当にすっごく怖くて仕方なくて、あのおじいさんの言葉を聞くどころじゃなかったし。
砂浜で目が覚めた時も頭がこれ以上ないくらいに混乱してたから、この中に何が入っているかはまだ確認してないんだ。
鼻をすすりながら、暗闇の中で眼を凝らしてバッグの中身を広げてみる。
ペットボトルに入った水。パン。筆記用具。コレは……地図、かな。
そして、何か硬い物が手に触れて引っ張り出してみると。
「きゃっ!」
それは、ナイフだった。
怖くって思わず放りなげてしまったそれは、ガランと大きな音を反響させながら地面に横たわった。
カッターナイフとか果物ナイフとかよりもずっと大きくて重い。
これが……私の“支給品”?
こんな危ない物、見るのも触るのも初めて。
恐る恐るナイフを拾い、リュックの中に戻す。
次にリュックから出てきたのは紙だった。
何か書いてあるみたいだけど、ここ、暗いから全然読めない。
あ、そうだ。
もうちょっと入り口の方に行けば月の明かりで読めるかな。
怖々、洞窟の入り口まで移動してみると、満月の明かりが差し込んできていて中よりもだいぶ明るい。
うん。これだったら読める。
あれ、これって……名簿?
男子1番、
安仁屋恵壹。男子2番、
伊集院隼人。男子3番……。
上から読んでいっても、知らない人の名前ばかり…………――――――――え。
「……男子19番……進藤ヒカル……?!」
何度も読み返してみても、そこに記されているのはやっぱり「
進藤ヒカル」の文字。
知らない人、じゃない。
よく知っている幼馴染みの名前だ。
「そんな……ヒカルまで……」
ヒカルまでここに連れてこられているなんて。そんな。
自分がこんな状況に置かれていると知った時よりももっと強く胸が痛い。
「ヒカル……」
ヒカルがいる。私と同じ場所に。ヒカルがいる。
会いたい。会いたい。会いたいよ、ヒカル――――――――!!
――――――――――――ドプン
突然の水音に体が一気に硬くなった。
「な、何……?」
何かが水に落ちた?何かが上から落ちてきた?
そのまま水面を見つめるけど、そこには歪んだ満月しかない。
ゆっくりと上を見上げると海側に大きくせり出した岩山があった。
この洞窟、崖の下にあったんだ。
落ちてきた物は……石、かな?
あれ?上の方に何かある……?
「あ…………」
――――――――――――ドンッ
二度目の音。
今度はさっきの音よりもすごく大きい。
上の方にあった何かが落ちた?
もう一度見上げてみても見えるのは岩肌だけで、崖の上までは見えない。
視線を下に戻すと、崖から落ちてきた何かは岩場にへばりついたまま半分ほど海に浸かっていた。
「な、にアレ……?」
そんな言葉が口から出たけど、本当はわかってる。
私、目はいいもん。
月明かりの中にくっきりと見えるアレは……人だ。人が落ちてきたんだ。
あんな高い所から落ちて無事なわけない、よね。
どう考えても……あの人、無事じゃないよね。
見ちゃ駄目。これ以上見ちゃ駄目。
私の中の何かがそう警告するけど。
だけど私の目は、どうしてもソレから反らせなくって。
足が勝手に動いて、私は転びそうになりながらも岩場を渡り、ソレに近付く。
穏やかに打ち寄せる波が一歩毎に足を濡らしていくけど、そんなことを気にすることも出来ない。
だって。
「……ヒカ、ル」
暗い波間から覗くその横顔を、満月の光は残酷なくらいしっかりと照らしてくれている。
波に晒されながら岩場に横たわるのは、会いたいと願っていた幼馴染み。
「…………」
差し込む月明かりがヒカルの様子を余すところなく私に見せてくれて――――――――私の時間が止まる。
仰向けに倒れるヒカルの目は見開かれたまま。
パックリと割れた頭から流れ出てくる何かが岩場に奇妙な影を作って、すぐに波に攫われる。
胸のあたりに何かが刺さってると思ったら、それは中から飛び出してしまった骨だった。
波が寄せ、ヒカルの頭が水に浸かって、また波が引いても私は瞬きすら忘れてしまって。
ヒカルに会いたい。
ヒカルに会いたい。
ヒカルに会いたい。
ヒカルは――――ヒカルは、私の日常に当たり前にいる存在で。
だからヒカルがいなくちゃ私の日常は私の日常じゃなくて。
日常がなくなるなんてそんなわけないから、ヒカルがいなくなるなんてそんなわけなくて。
ヒカルに会いたい。
ヒカルに会いたい。
ヒカルに会いたい。
生きている、ヒカルに会いたい。
螺旋の様な思考に、絶え間ない波の音と揺れる満月が絡み合って――――――――私は、私の中の何かが弾ける音を聞いたような気がした。
どのくらいの時間が過ぎたんだろう。
もう靴の中は完全にビチャビチャだから、もしかしたら結構長い時間が経ってるのかも。
目前の光景とこの状況があまりにも私の感情の
許容範囲を超えていて、なんだか面白くなってくる。
現実じゃないみたい。
「あっ……そっかぁ。そういうことかぁ」
私の中で完全に矛盾するこの状況を説明できる言葉を見付けちゃった。
ヒカルが突然なくなるなんて、そんなことあるわけがない。
だから、コレ、夢なんだ。
きっと――――私一人だけ残れたら醒める、悪夢なんだ。
「早く醒めてくれないかなぁ。こんな夢、見たくないよ……」
こんなすっごく怖くて嫌な夢、これ以上見ていたくなんかない。
ヒカルが死んじゃうなんて……夢の中でも嫌だもん。
「がんばれば早く醒めるかなぁ」
がんばって人を殺して、私一人だけになったら醒めるかなあ。
「ヒカル」
呼びかけながら横たわったままのヒカルの側にしゃがむ。
スカートの裾が濡れちゃわないようにしっかりと膝裏に巻き込んで、私はヒカルの顔を覗き込む。
海水に浸かってしまったヒカルの表情はなんだかとても悔しそう。
まるで囲碁部の大会で、塔矢くんに負けた時みたい。
「ヒカル」
もう一度呼びかけてもヒカルはやっぱり答えてはくれない。
当たり前だよね。
夢だけど……ヒカル、死んじゃってるんだもんね。
「…………」
そっとヒカルの指先に触れてみると、思ったより温かかった。
現実だと、きっと照れたヒカルに「何すんだよ!」って振り払われちゃうけど、夢の中ならホラ、大丈夫。
右手の甲はつぶれてしまっているのか骨が飛び出しちゃってるけど、指はきちんと指の形をしていた。
いつのまにか私より長くなった指。
大きくなった掌。
右手の指先が硬いのは、やっぱり碁を打つせいなんだろうか。
中学に入ったばかりの頃は、私の方が背も手も大きかったのに。
ヒカルは「オマエが縮んだんだ」なんて言ってたけど、そんなわけないじゃない。ねぇ?
碁を始めてからのヒカルは、私が追いつけないくらいすごいスピードで大人になっていっちゃったよね。
正直に言うとね、置いて行かれたような気がしていたの。
現実に戻ったら言ってみようかな。
ちょっと寂しいって。
少しでいいから、振り返って欲しいって。
私がそう言ったら、ヒカルはどうするかな?
「欲しいな、これ。お守り代わりに。…………ちょうだい?」
やがて――――――――少女は立ち上がった。
生来の愛くるしい顔に満面の笑みを浮かべて。
月明かりを背にゆっくりと歩き出す。
その掌に、幼馴染みの少年の人差し指を握りしめながら。
【C-06/崖下の砂浜/午前1時頃】
【女子11番 藤崎あかり@ヒカルの碁】
状態:健康
装備:バタフライナイフ、ヒカルの右人差し指
道具:支給品一式
思考:1.ヒカルに会いたい
2.夢から醒めるために人を殺して一人生き残る
【備考】
1.あかりはヒカルの名前までしか名簿を読んでいないので、塔矢が参加していることに気が付いていません。
2.ヒカルの死体から、右人差し指がなくなりました。
最終更新:2008年02月11日 14:42