記紀
+ | ... |
ゆかりの寺社(御朱印視点)
引続き調査中ですので、掲載もれがあるかも知れません。
【おススメ度 ☆☆☆☆★】ゆかりの御朱印が頂けます。
都道府県 | 寺社名 | 所在地 | 備考 |
兵庫県 | 岩樟神社 | 淡路市岩屋 | 【社】①蛭子神が産まれた地。②伊弉諾尊が隠れ給うた幽宮。御朱印は石屋神社で拝受可能。 |
兵庫県 | 石屋神社 | 淡路市岩屋799 | 【社】淤能碁呂島比定地に鎮守。岩樟神社の本務社。 |
兵庫県 | おのころ島神社 | 南あわじ市榎列下幡多415 | 【社】淤能碁呂島比定地の一つ。自凝島神社の塩砂は天沼矛から滴り落ちた塩とされ、安産のお守りとされて いる。 |
【おススメ度 ☆☆★★★】普通の御朱印です。
都道府県 | 寺社名 | 所在地 | 備考 |
茨城県 | 筑波山神社 | つくば市筑波1 | 【社】淤能碁呂島比定地に鎮守。 |
三重県 | 花窟神社 | 熊野市有馬町130 | 【伝】産田神社の本務社。 |
三重県 | 産田神社 | 熊野市有馬町1814 | 【伝】伊弉冉尊が火神の軻遇突智神を生んだがために亡くなった場所。御朱印は花窟神社で拝受可能。 |
滋賀県 | 竹生島神社 | 長浜市早崎町1821 | 【噂】淤能碁呂島比定地に鎮守。御朱印は自押かも。 |
京都府 | 眞名井神社 | 宮津市中野 | 【社】伊弉冉尊の宮であり、伊弉諾尊が天界から通うための梯子が倒れて天橋立となった。 |
兵庫県 | 伊弉諾神宮 | 淡路市多賀740 | 【社】伊弉諾尊が幽宮を構えて余生を過ごされた地。 |
兵庫県 | 和田神社 | 神戸市兵庫区和田宮通3-2-45 | 【社】蛭子神が淡路島を出て本土に上陸された最初の地が和田岬で、そこにあった森を『蛭子の森』と云い、 神代の昔に蛭子大神が祀られた。 |
兵庫県 | 先山千光寺 | 洲本市 | 【社】淤能碁呂島比定地に鎮守。 |
兵庫県 | 西宮神社 | 西宮市社家町1−17 | 【噂】蛭子命を乗せた葦舟が流れ着いた場所が神戸の西宮神社であるといわれている。 |
兵庫県 | 沼島八幡神社 | 南あわじ市沼島2522-1 | 【-】自凝神社の本務社。 |
兵庫県 | 自凝神社 | 南あわじ市沼島73 | 【社】淤能碁呂島比定地に鎮守。御朱印は沼島八幡神社で拝受可能。 |
宮崎県 | 霧島東神社 | 西諸県郡高原町蒲牟田6437 | 【社】天之逆鉾は、伊邪那岐尊・伊邪那美尊が高天原から鉾を差しおろし、かき混ぜて作った国土に、逆さに 突き立てたものである。 |
【おススメ度 ☆★★★★】御朱印が頂けるか不明です。
都道府県 | 寺社名 | 所在地 | 備考 |
兵庫県 | 家島神社 | 姫路市家島町宮1 | 【社】淤能碁呂島比定地に鎮守。 |
【おススメ度 圏外】寺社以外の関連施設です。
都道府県 | 寺社名 | 所在地 | 備考 |
茨城県 | 天浮橋 | つくば市筑波 | 【噂】女体山御本殿横にある。 |
茨城県 | セキレイ石 | つくば市筑波 | 【噂】ケーブルカー山頂駅から尾根沿いに女体山頂に向かう登山コース上にある。 |
茨城県 | 筑波山 | つくば市筑波 | 【由】淤能碁呂島比定地の一つ。『金烏玉兎集』に「壬申は、二柱の神、高天原より天の逆矛を差下し、 自凝島を造り、築波山に落下し、男体女体と顕れ、鹿島香取両大明神と現れたまひし日なり(壬申、二柱 神自高天原天逆矛差下、自凝島造得、築波山落下、顕男体女体現鹿島香取両大明神日也、)」とある。 |
滋賀県 | 竹生島 | 長浜市早崎町 | 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。並木伸一郎『眠れないほど面白い日本の「聖地」』が典拠?怪しい。 |
京都府 | 大文字山 | 京都市左京区鹿ケ谷大黒谷町 | 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。典拠不詳。 |
京都府 | 天橋立 | 宮津市文殊 | 【噂】『丹後国風土記』に「イザナギが天に通うために橋を立てたが、寝ている間に倒れてしまった。」 とある。 |
兵庫県 | 絵島 | 淡路市岩屋884-4 | 【伝】淤能碁呂島比定地の一つ。江戸期の国学者、本居宣長の『古事記伝』による。 |
兵庫県 | 先山 | 洲本市 | 【由】淤能碁呂島比定地の一つ。伊弉諾、伊弉冉2神が最初に作ったところから「先山」と名付けられた。 |
兵庫県 | 成ケ島 | 洲本市由良 | 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。典拠不詳。 |
兵庫県 | 家島 | 姫路市家島町 | 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。山川振作『記紀「国生み」神話の考察―特に古事記の水蛭子・淡島につ いて―』での説(仮説?)。 |
兵庫県 | 天浮橋 | 南あわじ市榎列大榎列 | 【伝】ここから伊弉諾尊・伊弉冉尊が天沼矛を使って淤能碁呂島を造った。江戸時代の観光資源。 |
兵庫県 | 鶺鴒石 | 南あわじ市榎列下幡多415 | 【由】この石の上につがいの鶺鴒が止まり夫婦の契りを交わしている姿を見て、夫婦の道を開かれ御子様 をお生みになられた。 |
兵庫県 | 諭鶴羽山 | 南あわじ市神代浦壁 | 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。典拠不詳。 |
兵庫県 | 上立神岩 | 南あわじ市沼島 | 【伝】①天沼矛、②天の御柱、③龍宮の華表(表門)、と伝えられる。「上立神岩」を男性器、「下立神 岩」を女性器と見立てたともいわれる。 |
兵庫県 | 沼島 | 南あわじ市沼島 | 【伝】淤能碁呂島比定地の一つ。沼島の「沼」は、天の沼矛の「沼」(『日本書紀』の天之瓊矛の「瓊( ぬ)」)を指すとされる。『新撰亀相記』など。 |
兵庫県 | 平バエ | 南あわじ市沼島 | 【伝】八尋殿のモデルとされ、旧暦3月3日に「平バエ祭」が行われる。「ハエ」とは岩礁を指す方言。 |
兵庫県 | 淡路島 | 【噂】淤能碁呂島の解釈の一つ。淡道之穗之狹別嶋と重複する。 | |
奈良県 | 金剛山 | 御所市高天 | 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。典拠不詳。 |
和歌山 | 沖ノ島 | 和歌山市深山 | 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。菅政友『淤能碁呂嶋考』に基づくか。 |
和歌山 | 神島 | 和歌山市深山 | 【噂】淡嶋は友ヶ島に付属する小島、神島に漂着したと伝えられる。『新撰姓氏録』。 |
島根県 | 島後島 | 隠岐郡隠岐の島町 | 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。隱伎之三子嶋と重複する。 |
島根県 | 十神山 | 安来市安来町東十神町 | 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。十神というのは伊邪那岐、伊邪那美両神を除いた神世七代の神々を祀った ことによる名称とされている。 |
徳島県 | 鳴門の渦潮 | 鳴門市 | 【噂】鳴門の渦潮は天の沼矛で潮をかき回した跡と伝えられる。 |
徳島県 | 飛島 | 鳴門市鳴門町土佐泊浦 | 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。典拠不詳。 |
福岡県 | 小呂島・能古島 | 福岡市西区 | 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。小呂島は、古くは於呂島であったという。 |
福岡県 | 能古島 | 福岡市西区 | 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。 |
宮崎県 | オノコロ島 | 宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井 | 【伝】淤能碁呂島比定地の一つ?あからさまな観光資源(珍スポット)。笑える。 |
紀伊半島 | 【除】淤能碁呂島の解釈の一つ。典拠不詳の珍説。 | ||
日本全体 | 【除】淤能碁呂島の解釈の一つ。典拠不詳の珍説。 | ||
地球そのもの | 【除】淤能碁呂島の解釈の一つ。典拠不詳の珍説。 |
淤能碁呂島
自凝神社 |
国生み神話ゆかりの神社です。 おのころ神社は、沼島の中にあって、イザナギ・イザナミの二神をお祀りしており、地元では、この山全体を「おのころさん」と呼び御 神体として大切にしてきました。山上に向かってつづく階段が天に届くかのようにまっすぐに伸びています。 沼島は、島全体がイザナギ・イザナミによる国土創世の際、「天の沼矛(あめのぬぼこ)」の先から滴り落ちたしずくが凝り固まってで きたという「おのころ島」だとされる場所の一つです。 |
あわじウェブドットコム |
おのころ島神社 |
当神社は、古代の御原入江の中にあって伊弉諾命・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり、古くから「おのころ島」と親しまれ 崇敬されてきました。 古事記・日本書紀によれば神代の昔国土創世の時、二神は天の浮橋にお立ちになり、天の沼矛を持って海原をかき回すに、その矛より滴 る潮がおのずと凝り固まって島となる、これが自凝島である。 二神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て 先ず淡路島を造り次々と大八洲(おおやしま)を拓かれたと記されています。 当神社には伊弉諾命・伊弉冉命の二神がお祀りされており、縁結び、安産の神として知られています。また、この二神は天照大御神様の 親神様です。 昭和57年3月に建立された、高さ21.7mの朱塗りの大鳥居が目を引きます。 |
おのころ島神社 |
筑波山神社 |
山下の南面中腹(270m)に拝殿があり、これより山上の境内地「筑波山」を御神体として拝する古代の形が維持されている。筑波山を 御神体と崇めまつる神体山信仰に発し、古来春秋両季に行われる御座替祭に供へまつる神衣(かんみそ)に御神霊を奉遷して御神体とな す。筑波山縁起によれば、当神社の創祀は遠く神代に始る。天地開闢の初、諾冊二尊が天祖の詔をうけて高天原を起ち、天之浮橋に並び 立ち給う、天之瓊矛(あめのぬぼこ)を以って滄海をかき探り給えば鉾の先よりしたたり落ちる潮凝って、一つの島となる。即ち二神は 東方霊位に当る海中に筑波山を造り得て降臨し給い、天之御柱を見立て、左旋右旋して東西御座を替え給い、相対面なされて夫婦となり 大八洲国及び山河草木を生み給う。次に日神、月神、蛭児命、素盞鳴尊を生み八百万神を生み給う。記紀に伝える「おのころ島」とは筑 波山のことで、この故に筑波山は日本二柱の父母二神、皇子四所降臨御誕生の霊山であり、本朝神道の根元はただ此山にあるのみと伝え ている。 |
筑波山神社 |
先山 |
伊弉諾、伊弉冉2神が最初に作ったところから「先山」と名付けられたお山の頂にある千光寺は、海抜450mにある風光明媚な山上寺院で す。七堂伽藍、銅鐘は弘安6年(1283年)の銘があり国の重要文化財等々を持ち、質量ともに揃った淡路島第一の名刹です。 |
淡路島十三仏霊場 |
絵島 |
淡路島の北端に浮かぶ島で、国生み神話に登場する「おのころ島」伝承地の一つです。海人(あま)が活躍した明石海峡を背景に、長年 の風波に洗われ描き出された造形美がおのころ島に見立てられたと考えられています。古くから景勝地として知られ、多くの和歌にも 詠まれています。 |
淡路島観光協会 |
水蛭子
岩樟神社 |
淡路島の北端、岩屋港の向かいの恵比須神社奥、岩屋城跡がある城山の崖下の洞窟に祀られた神社。イザナギ・イザナミの二柱の神の間 に最初に生まれた、蛭子命(ひるこのみこと)。 エビス様蛭子命は、体がうまくできあがっていなかったために、葦舟にのせられて流されてしまったという神様です。その舟が流れ着い た場所が神戸の「西宮のエビスさん」、つまり西宮神社であり、 西宮のエビスさんの本家は岩屋であるという伝説があります。 また地元では、この洞窟はイザナギ尊のかくれられた幽宮(かくりのみや)であるとも伝えられています。洞窟には、古の祭壇の趾があり、 ここは、現在でも祭器や御神体等の古びた物の納受場所になっています。 |
淡路島観光協会 |
和田神社 |
蛭子大神が淡路島を出て本土に上陸された最初の地が和田岬でそこにあった森を『蛭子の森』と云い神代の昔に蛭子大神が祀られた西摂 最古の聖地です。 古く西宮神社が《産宮参り》と呼びこの地に渡御をされていたのはこの由緒によるものです。 |
和田神社 |
その他
鯛ノ巣山 |
大万木山を中心とする南西から北東に連なる頂稜の東端にある山で、麓の阿井地区から見る姿は独立峰のようですが、背後は毛無山へと 稜線の連なる縦走可能な山になっています。古事記によればイナザギ命とイザナミ命がこの地に降臨され、イザナミ命が身ごもられまし た。このお産をする際に七日七夜岩穴に籠られ、お産をされたと伝えられます。このときお生まれになったのが、天照大神、月夜神、ス サノオノミコトです。この「めでたい」をとり「鯛の巣山」と名づけられました。 登山道は整備されていて、3合目に鯛流水、清流水、6合目にこうもり岩、ブナ・ミズナラなどの林を抜けると山頂からは中国山地の大パ ノラマが広がり、目の前には「猿政山」が望め、神話の里の風景が広がります。 |
奥出雲町観光協会 |
産田神社 |
産田神社は弥生時代からの古い神社で、伊弉冉尊(イザナミノミコト)とその子の軻遇突智神(カグツチノミコト)を祀っている。 『花の窟』が伊弉冉尊の御陵に対して、産田神社は火神の軻遇突智神を生んだがために亡くなった場所として一対的な意味合いがあり、 神々が生活した古郷ともいえる。 古代の神社は建物がなく、ここでは『神籬(ひもろぎ)』(神の宿るところ)と呼ばれる石で囲んだ太古の祭祀台(祀り場)へしめ縄を 張り神を招きました。左右の2カ所残っており、古さをものがったています。 毎年1月10日の大祭の『奉飯の儀』では子供が丈夫に成長することを願って、汁かけ飯、骨付きさんま寿司、赤和え、御酒の膳いただき ます。 産田神社はさんま寿司発祥の地とされています。 |
熊野市観光公社 |
霧島東神社 |
天之逆鉾 高千穂峰(一五七四m)の山頂にあり、霧島東神社の社宝として祀られている。伊邪那岐尊、伊邪那美尊が高天原から鉾を差しおろし、 かき混ぜて作った国土に、逆さに突き立てたものと伝えられる。また、天孫降臨の際に瓊々杵尊が天照大御神から授かった鉾ともいう。 実際に祀られた時期は明確ではないが、霧島山の修験者たちが神話にならって祀ったとされ、少なくとも江戸時代にはその存在は広く知 られていた。霧島山に対する信仰の対象であるとともに戦前までは雨乞いの神ともされ、鉾の前で祭儀を行っていたという。 |
霧島東神社現地看板 |
天橋立・眞名井神社 |
お伊勢さんのふるさと丹後国一宮「元伊勢 籠神社」。その歴史はあまりにも古く、神代までさかのぼるといいます。 特別名勝・天橋立はその昔、籠神社の境内であり、参道でした。伝承によると神代の昔、天にあった男神イザナギノ大神が奥宮眞名井 神社の磐座にいらした女神イザナミの大神のもとに通うための梯子が倒れて天橋立になったと伝えられています。 神代の昔、奥宮 眞名井原に豊受大神をお祭りしてきましたが、崇神天皇の御代に天照皇大神が当社にうつり、與謝宮(吉佐宮)と称し て一緒にお祭りしていたが天照皇大神は垂仁天皇の御代に豊受大神は、雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢におうつりになりました。それに より元伊勢といわれるようになり、その後、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を籠宮と改めました。 |
霧島東神社現地看板 |