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国生み

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記紀


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古事記【原文】 古事記【現代語】 日本書紀【現代語】 日本書紀【原文】 備考
矛先から滴った潮が固まり、一つの島が出来
た。磤馭慮島である。
其矛鋒滴瀝之潮、凝成
一嶋、名之曰磤馭慮嶋
淤能碁呂島
├茨城県:筑波山
├滋賀県:竹生島
├京都府:大文字山
├兵庫県:おのころ島神社
├兵庫県:絵島
├兵庫県:先山
├兵庫県:成ケ島
├兵庫県:家島
├兵庫県:諭鶴羽山
├兵庫県:沼島
├兵庫県:淡路島
├奈良県:金剛山
├和歌山:沖ノ島
├島根県:島後
├島根県:十神山
├徳島県:飛島
├福岡県:小呂島・能古島
├福岡県:能古島
├その他:紀伊半島
├その他:日本全体
└その他:地球そのもの
二神はこの島に降り立ち、夫婦で国土を生む
こととした。
二神、於是、降居彼嶋
、因欲共爲夫婦産生洲
國。
そこで磤馭慮島の柱を、男神は左より回り、
女神は右から回って、二神は顔を合わせた。
便以磤馭慮嶋爲國中之
柱柱、此云美簸旨邏而
陽神左旋、陰神右旋、
分巡國柱、同會一面。
その時、女神が先に「まあ嬉しい。いい男と
逢えました。」と言ったが、男神は喜ばない
。「男から先に言葉を掛けるべきであろう。
なぜ、女から先に声を掛けたのだ。不吉なの
で、改めて周り直そう。」と言われた。
時陰神先唱曰「憙哉、
遇可美少男焉。」少男
、此云烏等孤。陽神不
悅曰「吾是男子、理當
先唱。如何婦人反先言
乎。事既不祥、宜以改
旋。」
二神はやり直し、今度は男神が先に「なんと
嬉しいことか。良き少女と逢えるとは。」と
言われた。
於是、二神却更相遇、
是行也、陽神先唱曰「
憙哉、遇可美少女焉。
」少女、此云烏等咩。
そして女神に「あなたの体はどのようになっ
ているのか。」と尋ね、女神は「私の体には
、雌の元の部分がある。」男神は、「私の体
にも、雄の元の部分がある。これらを合わせ
ようと思う。」と言われた。そこで陰陽が交
じり合い、夫婦となった。
因問陰神曰「汝身、有
何成耶。」對曰「吾身
有一雌元之處。」陽神
曰「吾身亦有雄元之處
。思欲以吾身元處合汝
身之元處。」於是、陰
陽始遘合爲夫婦。
子が生まれるとき、まず淡路洲が生まれたが
、不満足な出来であった。そこで名付けて淡
路洲(吾恥=アハジ)と言う。
及至産時、先以淡路洲
爲胞、意所不快、故名
之曰淡路洲。
それから大日本豊秋津洲を生んだ。 廼生大日本日本、此云
耶麻騰。下皆效此豐秋
津洲。
次に伊予二名洲を生んだ。 次生伊豫二名洲。
次に筑紫洲を生んだ。 次生筑紫洲。
次に億岐洲と佐度洲を双子で生んだ。世の中
の人が、双子を生むことがあるのはこれによ
るためである。
次雙生億岐洲與佐度洲
、世人或有雙生者象此
也。
次に越洲を生んだ。 次生越洲。
次に大洲を生んだ。 次生大洲。
次に吉備子洲を生んだ。 次生吉備子洲。
これによって初めて大八洲国の名が出来た。 由是、始起大八洲國之
號焉、
対馬島、壱岐島、及びその他の小島は、潮の
泡が固まって出来た。あるいは、水の泡が固
まって出来たとも言われている。
卽對馬嶋壹岐嶋及處處
小嶋、皆是潮沫凝成者
矣、亦曰水沫凝而成也
於是天神、諸命以、詔
伊邪那岐命・伊邪那美
命二柱神「修理固成是
多陀用幣流之國。」賜
天沼矛而言依賜也。
天の神様は、伊邪那岐命と伊邪那美命の御二
方に、「この漂っている国をしっかりと作り
固めなさい。」と命じ、天沼矛を授けられま
した。
別伝では、天神が伊弉諾尊と伊弉冉尊に「豊
葦原千五百秋瑞穂之地に行き、あなた達が治
めなさい。」といわれて、天瓊戈を授けた。
一書曰、天神謂伊弉諾
尊・伊弉冉尊曰「有豐
葦原千五百秋瑞穗之地
、宜汝往脩之。」廼賜
天瓊戈。
故、二柱神、立訓立云
多多志天浮橋而指下其
沼矛以畫者、鹽許々袁
々呂々邇此七字以音畫
鳴訓鳴云那志而引上時
、自其矛末垂落之鹽累
積、成嶋、是淤能碁呂
嶋。自淤以下四字以音
それでこの御二方の神樣は天浮橋から海面に
矛を降ろし、音を立ててかき回して引きあげ
ると、矛の先から滴り落ちて淤能碁呂島が出
来ました。
そこで、二神は天上浮橋に立ち、戈を刺して
地を探した。戈で海をかき回し、引き上げた
時に、その戈から垂り落ちた潮が固まって嶋
ができた。名を磤馭慮嶋という。
於是二神、立於天上浮
橋、投戈求地。因畫滄
海而引舉之、卽戈鋒垂
落之潮、結而爲嶋、名
曰磤馭慮嶋。
天浮橋
├茨城県:天浮橋
├京都府:天橋立
└兵庫県:天浮橋
天沼矛
├徳島県:鳴門の渦潮
└宮崎県:霧島東神社
於其嶋天降坐而、見立
天之御柱、見立八尋殿
その島にお降りになり、天之御柱と八尋殿を
建てられました。
二神はその嶋に降り立ち、八尋之殿と天柱を
建てた。
二神、降居彼嶋、化作
八尋之殿、又化竪天柱
天之御柱
└兵庫県:上立神岩
八尋殿
└兵庫県:平バエ
於是、問其妹伊邪那美
命曰「汝身者、如何成
。」
伊邪那岐命が伊邪那美命に「あなたの身体は
、どんなふうにできていますか。」と尋ねら
れましたので、
陽神が陰神に「あなたの体はどのようにでき
ているのか。」と尋ねられ、
陽神問陰神曰「汝身有
何成耶。」
答曰「吾身者、成成不
成合處一處在。」
「私の身体には、出来上がっていない所が一
か所あります。」とお答えになりました。
陰神は「私の体はできており、陰元という所
があります。」と答えられ、
對曰「吾身具成而有稱
陰元者一處。」
伊弉諾の宮
└京都府:眞名井神社
爾伊邪那岐命詔「我身
者、成成而成餘處一處
在。故以此吾身成餘處
、刺塞汝身不成合處而
、以爲生成國土、生奈
何。」訓生、云宇牟。
そこで伊邪那岐命は「私の身体には、出来過
ぎた所が一か所ある。だから私の出来過ぎた
所をあなたの出来上がっていない所に挿して
国を生み出そうと思うがどうだろう。」と仰
せられたので、
陽神が「私の体もできあがり、陽元という所
ができた。そこで、私の陽元と、あなたの陰
元とを合わせたいと思う。」と言われた。
陽神曰「吾身亦具成而
有稱陽元者一處。思欲
以吾身陽元合汝身之陰
元。」云爾。
伊邪那美命答曰「然善
。」爾伊邪那岐命詔「
然者、吾與汝行廻逢是
天之御柱而、爲美斗能
麻具波比此七字以音。
伊邪那美命は「それがいいでしよう。」と答
えられました。そこで伊邪那岐命が「二人で
天之御柱を廻りあってから、寝室でうまく交
接しよう。」と仰せられ、
如此之期、乃詔「汝者
自右廻逢、我者自左廻
逢。」約竟廻時、
「あなたは右からお廻りなさい。わたしは左
から廻って逢いましょう。」と約束して廻っ
た時、
さっそく二神が天柱を回ることとし、陽神が
「あなたは左から回り、私は右から回ること
にしよう。」と決めて回った。
卽將巡天柱、約束曰「
妹自左巡、吾當右巡。
伊邪那美命、先言「阿
那邇夜志愛上袁登古袁
。此十字以音、下效此
。」後伊邪那岐命言「
阿那邇夜志愛上袁登賣
袁。」
伊邪那美命が先に「本当に立派な青年ですね
。」といわれ、続いて伊邪那岐命が「本当に
美しいお嬢さんですね。」といわれました。
二神が会った時、先に陰神が「なんと良き男
でしょう」と言い、その後に陽神が「なんと
良き乙女なのだ」と言われた。
既而分巡相遇、陰神乃
先唱曰「姸哉、可愛少
男歟。」陽神、後和之
曰「姸哉、可愛少女歟
。」
各言竟之後、告其妹曰
「女人先言、不良。」
雖然、久美度邇此四字
以音興而生子、水蛭子
、此子者入葦船而流去
それぞれ言い終ってから、女神に「女が先に
言ったのはよくない。」とおっしゃいました
が、しかし、水蛭子をお生みになりました。
この子は葦船に乗せて流してしまいました。
このようにして夫婦となり、最初に蛭兒が生
まれたが、この子は葦船に乗せて流してしま
った。
遂爲夫婦、先生蛭兒、
便載葦船而流之。
水蛭子
├兵庫県:岩樟神社
├兵庫県:和田神社
└兵庫県:西宮神社
次生淡嶋、是亦不入子
之例。
次に淡嶋をお生みになりましたが、これも御
子の数には入りません。
次に淡洲が生まれたが、これも、子供の数に
は入れない。
次生淡洲、此亦不以充
兒數。
淡嶋
└和歌山:神島
於是、二柱神議云「今
吾所生之子、不良。猶
宜白天神之御所。」卽
共參上、請天神之命、
爾天神之命以、布斗麻
邇爾上此五字以音ト相
而詔之
かくて御二方は、「私達の生んだ子がよくな
い。これは天の神様に尋ねるべきだ。」と連
れだって天の神様に会われ、言われたとおり
に占いをしたところ、
二神は天上に戻り、このことを報告した。天
神は太占で占い、
故、還復上詣於天具奏
其狀、時天神、以太占
而卜合之、
「因女先言而不良、亦
還降改言。」
「女性が先に言ったのがよろしくない原因で
す。帰って改めてやってみなさい。」とのこ
とでした。
「原因は、婦人が先に言葉を掛けたからだ。
戻って、やり直すがよかろう。」と言われ、
地に戻る日時も占いで定めた。
乃教曰「婦人之辭、其
已先揚乎。宜更還去。
」乃卜定時日而降之。
故爾反降、更往廻其天
之御柱如先、於是伊邪
那岐命先言「阿那邇夜
志愛袁登賣袁。」後妹
伊邪那美命言「阿那邇
夜志愛袁登古袁。」
帰られてから、また天之御柱をまた廻り、今
度は伊邪那岐命から「本当に美しいお嬢さん
ですね。」とおっしゃり、続けて伊邪那美命
が「本当に立派な青年ですね。」と仰せられ
ました。
二神は改めて、陽神が左から、陰神が右から
柱を廻り、出会った時に、今度は陽神が先に
「なんと良き乙女なのだ。」と言い、次に陰
神が「なんと良き男でしょう。」と言われた
故二神、改復巡柱、陽
神自左、陰神自右、既
遇之時、陽神先唱曰「
姸哉、可愛少女歟。」
陰神、後和之曰「姸哉
、可愛少男歟。」
それからは、二神は同居して子を生んだ。そ
の名を大日本豐秋津洲といい。
然後、同宮共住而生兒
、號大日本豐秋津洲。
如此言竟而御合生子、
淡道之穗之狹別嶋。訓
別、云和氣。下效此。
このようにされたところ、御子の淡路の穗之
狭別島をお生みになりました。
次に淡路洲。 次淡路洲、
次生伊豫之二名嶋、此
嶋者、身一而有面四、
毎面有名、
次に伊豫の二名島をお生みになりました。こ
の島は身一つに顏が四つあります。その顏ご
とに名があります。
次に伊予二名洲。 次伊豫二名洲、
故、伊豫國謂愛上比賣
此三字以音、下效此也
、讚岐國謂飯依比古、
粟國謂大宜都比賣此四
字以音、土左國謂建依
別。
伊豫国を愛比賣といい、讚岐国を飯依比古と
いい、阿波国を大宜都比賣といい、土佐国を
建依別といいます。
次生隱伎之三子嶋、亦
名天之忍許呂別。許呂
二字以音。
次に隱岐の三子の島をお生みなさいました。
この島はまたの名を天之忍許呂別といいます
次生筑紫嶋、此嶋亦、
身一而有面四、毎面有
名、故、
次に筑紫の島をお生みになりました。やはり
身一つに顏が四つあります。顏ごとに名がつ
いております。
次に筑紫洲。 次筑紫洲、
筑紫國謂白日別、豐國
謂豐日別、肥國謂建日
向日豐久士比泥別自久
至泥、以音、熊曾國謂
建日別。曾字以音。
それで筑紫国を白日別といい、豊国を豊日別
といい、肥国を建日向日豊久士比泥別といい
、熊曾国を建日別といいます。
次に億岐三子洲。 次億岐三子洲、
次生伊伎嶋、亦名謂天
比登都柱。自比至都以
音、訓天如天。
次に壹岐島をお生みになりました。この島は
またの名を天比登都柱といいます。
次生津嶋、亦名謂天之
狹手依比賣。
次に對馬をお生みになりました。またの名を
天之狹手依比賣といいます。
次生佐度嶋。 次に佐渡島をお生みになりました。 次に佐度洲。 次佐度洲、
次生大倭豐秋津嶋、亦
名謂天御虛空豐秋津根
別。
次に大倭豊秋津島をお生みになりました。ま
たの名を天御虛空豊秋津根別といいます。
ここまで水蛭子は漂流中。
次に越洲。 次越洲、
次に吉備子洲。 次吉備子洲。
故、因此八嶋先所生、
謂大八嶋國。
この八つの島がまず生まれたので大八島国と
いうのです。
これらを大八洲国と呼ぶ。 由此謂之大八洲國矣。
瑞はズイと読み、姸哉はアナニエヤと読み、
可愛はエと読み、太占はフトマニと読む。
瑞、此云彌圖。姸哉、
此云阿那而惠夜。可愛
、此云哀。太占、此云
布刀磨爾。
別伝では、伊弉諾尊と伊弉冉尊との二神は、
天霧の中に立たれ、「国が欲しい。」と言っ
て、天瓊矛を刺して探すと、磤馭慮嶋を見つ
けた。矛を抜いて喜び、「ああ善かった。国
があった。」と言われた。
一書曰、伊弉諾尊・伊
弉冉尊二神、立于天霧
之中曰「吾欲得國。」
乃以天瓊矛、指垂而探
之、得磤馭慮嶋。則拔
矛而喜之曰「善乎、國
之在矣。」
別伝では、伊弉諾と伊弉冉の二神は、高天原
から「国があるはずだ。」と言い、天瓊矛で
かき回すと、磤馭慮嶋が出来ました。
一書曰、伊弉諾・伊弉
冉二神、坐于高天原曰
「當有國耶。」乃以天
瓊矛、畫成磤馭慮嶋。
別伝では、伊弉諾と伊弉冉の二神が相談し、
「水の上の油のように浮いているものの中に
国があるだろう。」と言い、天瓊矛で一嶋を
探りだした。名を磤馭慮嶋という。
一書曰、伊弉諾・伊弉
冉二神、相謂曰「有物
若浮膏、其中蓋有國乎
。」乃以天瓊矛、探成
一嶋、名曰磤馭慮嶋。
別伝では、陰神が先ず「なんと良き男でしょ
う」と言ってみたが、陰神が先に声を掛ける
のは良くないのでやり直し、今度は陽神が先
に「なんと良き乙女なのだ」と言われた。そ
して遂に、合交しようとしたが、その方法が
判らなかった。その時、鶺鴒が飛んできて
、首と尾を振り動かした。二神はこれを見て
、合交の方法を理解した。
一書曰、陰神先唱曰「
美哉、善少男。」時以
陰神先言故爲不祥、更
復改巡、則陽神先唱曰
「美哉、善少女。」遂
將合交而不知其術、時
有鶺鴒、飛來搖其首尾
、二神見而學之、卽得
交道。
鶺鴒
├茨城県:セキレイ石
└兵庫県:鶺鴒石
オノゴロ島以外に陸地がない時に、どこから
鳥が飛んできた・・・。
( ゚д゚)ハッ! ノアの箱舟か?
別伝では、二神は夫婦となり、先ず淡路洲と
淡洲を胞として、大日本豊秋津洲を生んだ。
次に伊予洲、筑紫洲、億岐洲と佐度洲の双子
、越洲、大洲、最後に子洲を生んだ。
一書曰、二神合爲夫婦
、先以淡路洲・淡洲爲
胞、生大日本豐秋津洲
。次伊豫洲、次筑紫洲
、次雙生億岐洲與佐度
洲、次越洲、次大洲、
次子洲。
別伝では、最初に淡路洲、次に大日本豊秋津
洲、伊予二名洲、億岐洲、佐度洲、筑紫洲、
壱岐洲、最後に対馬洲を生んだ。
一書曰、先生淡路洲、
次大日本豐秋津洲、次
伊豫二名洲、次億岐洲
、次佐度洲、次筑紫洲
、次壹岐洲、次對馬洲
別伝では、磤馭慮嶋を胞として、淡路洲を生
んだ。次に大日本豊秋津洲、伊予二名洲、筑
紫洲、吉備子洲、億岐洲と佐度洲の双子、最
後に越洲を生んだ。
一書曰、以磤馭慮嶋爲
胞、生淡路洲。次大日
本豐秋津洲、次伊豫二
名洲、次筑紫洲、次吉
備子洲、次雙生億岐洲
與佐度洲、次越洲。
別伝では、淡路洲を胞とし、大日本豊秋津洲
を生んだ。次に淡洲、伊予二名洲、億岐三子
洲、佐度洲、筑紫洲、吉備子洲、最後に大洲
を生んだ。
一書曰、以淡路洲爲胞
、生大日本豐秋津洲。
次淡洲、次伊豫二名洲
、次億岐三子洲、次佐
度洲、次筑紫洲、次吉
備子洲、次大洲。
別伝では、陰神が先ず「なんと良き男でしょ
う。」と言って陽神をリードし、淡路洲を生
んだ。次に蛭兒を生んだ。
一書曰、陰神先唱曰「
姸哉、可愛少男乎。」
便握陽神之手、遂爲夫
婦、生淡路洲、次蛭兒
然後、還坐之時、生吉
備兒嶋、亦名謂建日方
別。
それからお還りになった時に吉備兒島をお生
みになりました。またの名を建日方別といい
ます。
次生小豆嶋、亦名謂大
野手上比賣。
次に小豆島をお生みになりました。またの名
を大野手比賣といいます。
次生大嶋、亦名謂大多
麻上流別。自多至流以
音。
次に大島をお生みになりました。またの名を
大多麻流別といいます。
次生女嶋、亦名謂天一
根。訓天如天。
次に女島をお生みになりました。またの名を
天一根といいます。
次生知訶嶋、亦名謂天
之忍男。
次に知訶島をお生みになりました。またの名
を天之忍男といいます。
次生兩兒嶋、亦名謂天
兩屋。自吉備兒嶋至天
兩屋嶋、幷六嶋。
次に兩兒島をお生みになりました。またの名
を天兩屋といいます。吉備の兒島から兩兒島
まで合わせて六島です。

ゆかりの寺社(御朱印視点)

引続き調査中ですので、掲載もれがあるかも知れません。

【おススメ度 ☆☆☆☆★】ゆかりの御朱印が頂けます。

都道府県 寺社名 所在地 備考
兵庫県 岩樟神社 淡路市岩屋 【社】①蛭子神が産まれた地。②伊弉諾尊が隠れ給うた幽宮。御朱印は石屋神社で拝受可能。
兵庫県 石屋神社 淡路市岩屋799 【社】淤能碁呂島比定地に鎮守。岩樟神社の本務社。
兵庫県 おのころ島神社 南あわじ市榎列下幡多415 【社】淤能碁呂島比定地の一つ。自凝島神社の塩砂は天沼矛から滴り落ちた塩とされ、安産のお守りとされて
いる。

【おススメ度 ☆☆★★★】普通の御朱印です。

都道府県 寺社名 所在地 備考
茨城県 筑波山神社 つくば市筑波1 【社】淤能碁呂島比定地に鎮守。
三重県 花窟神社 熊野市有馬町130 【伝】産田神社の本務社。
三重県 産田神社 熊野市有馬町1814 【伝】伊弉冉尊が火神の軻遇突智神を生んだがために亡くなった場所。御朱印は花窟神社で拝受可能。
滋賀県 竹生島神社 長浜市早崎町1821 【噂】淤能碁呂島比定地に鎮守。御朱印は自押かも。
京都府 眞名井神社 宮津市中野 【社】伊弉冉尊の宮であり、伊弉諾尊が天界から通うための梯子が倒れて天橋立となった。
兵庫県 伊弉諾神宮 淡路市多賀740 【社】伊弉諾尊が幽宮を構えて余生を過ごされた地。
兵庫県 和田神社 神戸市兵庫区和田宮通3-2-45 【社】蛭子神が淡路島を出て本土に上陸された最初の地が和田岬で、そこにあった森を『蛭子の森』と云い、
神代の昔に蛭子大神が祀られた。
兵庫県 先山千光寺 洲本市 【社】淤能碁呂島比定地に鎮守。
兵庫県 西宮神社 西宮市社家町1−17 【噂】蛭子命を乗せた葦舟が流れ着いた場所が神戸の西宮神社であるといわれている。
兵庫県 沼島八幡神社 南あわじ市沼島2522-1 【-】自凝神社の本務社。
兵庫県 自凝神社 南あわじ市沼島73 【社】淤能碁呂島比定地に鎮守。御朱印は沼島八幡神社で拝受可能。
宮崎県 霧島東神社 西諸県郡高原町蒲牟田6437 【社】天之逆鉾は、伊邪那岐尊・伊邪那美尊が高天原から鉾を差しおろし、かき混ぜて作った国土に、逆さに
突き立てたものである。

【おススメ度 ☆★★★★】御朱印が頂けるか不明です。

都道府県 寺社名 所在地 備考
兵庫県 家島神社 姫路市家島町宮1 【社】淤能碁呂島比定地に鎮守。

【おススメ度 圏外】寺社以外の関連施設です。

都道府県 寺社名 所在地 備考
茨城県 天浮橋 つくば市筑波 【噂】女体山御本殿横にある。
茨城県 セキレイ石 つくば市筑波 【噂】ケーブルカー山頂駅から尾根沿いに女体山頂に向かう登山コース上にある。
茨城県 筑波山 つくば市筑波 【由】淤能碁呂島比定地の一つ。『金烏玉兎集』に「壬申は、二柱の神、高天原より天の逆矛を差下し、
自凝島を造り、築波山に落下し、男体女体と顕れ、鹿島香取両大明神と現れたまひし日なり(壬申、二柱
神自高天原天逆矛差下、自凝島造得、築波山落下、顕男体女体現鹿島香取両大明神日也、)」とある。
滋賀県 竹生島 長浜市早崎町 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。並木伸一郎『眠れないほど面白い日本の「聖地」』が典拠?怪しい。
京都府 大文字山 京都市左京区鹿ケ谷大黒谷町 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。典拠不詳。
京都府 天橋立 宮津市文殊 【噂】『丹後国風土記』に「イザナギが天に通うために橋を立てたが、寝ている間に倒れてしまった。」
とある。
兵庫県 絵島 淡路市岩屋884-4 【伝】淤能碁呂島比定地の一つ。江戸期の国学者、本居宣長の『古事記伝』による。
兵庫県 先山 洲本市 【由】淤能碁呂島比定地の一つ。伊弉諾、伊弉冉2神が最初に作ったところから「先山」と名付けられた。
兵庫県 成ケ島 洲本市由良 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。典拠不詳。
兵庫県 家島 姫路市家島町 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。山川振作『記紀「国生み」神話の考察―特に古事記の水蛭子・淡島につ
いて―』での説(仮説?)。
兵庫県 天浮橋 南あわじ市榎列大榎列 【伝】ここから伊弉諾尊・伊弉冉尊が天沼矛を使って淤能碁呂島を造った。江戸時代の観光資源。
兵庫県 鶺鴒石 南あわじ市榎列下幡多415 【由】この石の上につがいの鶺鴒が止まり夫婦の契りを交わしている姿を見て、夫婦の道を開かれ御子様
をお生みになられた。
兵庫県 諭鶴羽山 南あわじ市神代浦壁 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。典拠不詳。
兵庫県 上立神岩 南あわじ市沼島 【伝】①天沼矛、②天の御柱、③龍宮の華表(表門)、と伝えられる。「上立神岩」を男性器、「下立神
岩」を女性器と見立てたともいわれる。
兵庫県 沼島 南あわじ市沼島 【伝】淤能碁呂島比定地の一つ。沼島の「沼」は、天の沼矛の「沼」(『日本書紀』の天之瓊矛の「瓊(
ぬ)」)を指すとされる。『新撰亀相記』など。
兵庫県 平バエ 南あわじ市沼島 【伝】八尋殿のモデルとされ、旧暦3月3日に「平バエ祭」が行われる。「ハエ」とは岩礁を指す方言。
兵庫県 淡路島 【噂】淤能碁呂島の解釈の一つ。淡道之穗之狹別嶋と重複する。
奈良県 金剛山 御所市高天 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。典拠不詳。
和歌山 沖ノ島 和歌山市深山 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。菅政友『淤能碁呂嶋考』に基づくか。
和歌山 神島 和歌山市深山 【噂】淡嶋は友ヶ島に付属する小島、神島に漂着したと伝えられる。『新撰姓氏録』。
島根県 島後島 隠岐郡隠岐の島町 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。隱伎之三子嶋と重複する。
島根県 十神山 安来市安来町東十神町 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。十神というのは伊邪那岐、伊邪那美両神を除いた神世七代の神々を祀った
ことによる名称とされている。
徳島県 鳴門の渦潮 鳴門市 【噂】鳴門の渦潮は天の沼矛で潮をかき回した跡と伝えられる。
徳島県 飛島 鳴門市鳴門町土佐泊浦 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。典拠不詳。
福岡県 小呂島・能古島 福岡市西区 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。小呂島は、古くは於呂島であったという。
福岡県 能古島 福岡市西区 【噂】淤能碁呂島比定地の一つ。
宮崎県 オノコロ島 宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井 【伝】淤能碁呂島比定地の一つ?あからさまな観光資源(珍スポット)。笑える。
紀伊半島 【除】淤能碁呂島の解釈の一つ。典拠不詳の珍説。
日本全体 【除】淤能碁呂島の解釈の一つ。典拠不詳の珍説。
地球そのもの 【除】淤能碁呂島の解釈の一つ。典拠不詳の珍説。

淤能碁呂島


自凝神社
国生み神話ゆかりの神社です。
おのころ神社は、沼島の中にあって、イザナギ・イザナミの二神をお祀りしており、地元では、この山全体を「おのころさん」と呼び御
神体として大切にしてきました。山上に向かってつづく階段が天に届くかのようにまっすぐに伸びています。
沼島は、島全体がイザナギ・イザナミによる国土創世の際、「天の沼矛(あめのぬぼこ)」の先から滴り落ちたしずくが凝り固まってで
きたという「おのころ島」だとされる場所の一つです。
あわじウェブドットコム

おのころ島神社
当神社は、古代の御原入江の中にあって伊弉諾命・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり、古くから「おのころ島」と親しまれ
崇敬されてきました。
古事記・日本書紀によれば神代の昔国土創世の時、二神は天の浮橋にお立ちになり、天の沼矛を持って海原をかき回すに、その矛より滴
る潮がおのずと凝り固まって島となる、これが自凝島である。
二神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て 先ず淡路島を造り次々と大八洲(おおやしま)を拓かれたと記されています。
当神社には伊弉諾命・伊弉冉命の二神がお祀りされており、縁結び、安産の神として知られています。また、この二神は天照大御神様の
親神様です。
昭和57年3月に建立された、高さ21.7mの朱塗りの大鳥居が目を引きます。
おのころ島神社

筑波山神社
山下の南面中腹(270m)に拝殿があり、これより山上の境内地「筑波山」を御神体として拝する古代の形が維持されている。筑波山を
御神体と崇めまつる神体山信仰に発し、古来春秋両季に行われる御座替祭に供へまつる神衣(かんみそ)に御神霊を奉遷して御神体とな
す。筑波山縁起によれば、当神社の創祀は遠く神代に始る。天地開闢の初、諾冊二尊が天祖の詔をうけて高天原を起ち、天之浮橋に並び
立ち給う、天之瓊矛(あめのぬぼこ)を以って滄海をかき探り給えば鉾の先よりしたたり落ちる潮凝って、一つの島となる。即ち二神は
東方霊位に当る海中に筑波山を造り得て降臨し給い、天之御柱を見立て、左旋右旋して東西御座を替え給い、相対面なされて夫婦となり
大八洲国及び山河草木を生み給う。次に日神、月神、蛭児命、素盞鳴尊を生み八百万神を生み給う。記紀に伝える「おのころ島」とは筑
波山のことで、この故に筑波山は日本二柱の父母二神、皇子四所降臨御誕生の霊山であり、本朝神道の根元はただ此山にあるのみと伝え
ている。
筑波山神社

先山
伊弉諾、伊弉冉2神が最初に作ったところから「先山」と名付けられたお山の頂にある千光寺は、海抜450mにある風光明媚な山上寺院で
す。七堂伽藍、銅鐘は弘安6年(1283年)の銘があり国の重要文化財等々を持ち、質量ともに揃った淡路島第一の名刹です。
淡路島十三仏霊場

絵島
淡路島の北端に浮かぶ島で、国生み神話に登場する「おのころ島」伝承地の一つです。海人(あま)が活躍した明石海峡を背景に、長年
の風波に洗われ描き出された造形美がおのころ島に見立てられたと考えられています。古くから景勝地として知られ、多くの和歌にも
詠まれています。
淡路島観光協会

水蛭子


岩樟神社
淡路島の北端、岩屋港の向かいの恵比須神社奥、岩屋城跡がある城山の崖下の洞窟に祀られた神社。イザナギ・イザナミの二柱の神の間
に最初に生まれた、蛭子命(ひるこのみこと)。
エビス様蛭子命は、体がうまくできあがっていなかったために、葦舟にのせられて流されてしまったという神様です。その舟が流れ着い
た場所が神戸の「西宮のエビスさん」、つまり西宮神社であり、 西宮のエビスさんの本家は岩屋であるという伝説があります。
また地元では、この洞窟はイザナギ尊のかくれられた幽宮(かくりのみや)であるとも伝えられています。洞窟には、古の祭壇の趾があり、
ここは、現在でも祭器や御神体等の古びた物の納受場所になっています。
淡路島観光協会

和田神社
蛭子大神が淡路島を出て本土に上陸された最初の地が和田岬でそこにあった森を『蛭子の森』と云い神代の昔に蛭子大神が祀られた西摂
最古の聖地です。
古く西宮神社が《産宮参り》と呼びこの地に渡御をされていたのはこの由緒によるものです。
和田神社

その他


鯛ノ巣山
大万木山を中心とする南西から北東に連なる頂稜の東端にある山で、麓の阿井地区から見る姿は独立峰のようですが、背後は毛無山へと
稜線の連なる縦走可能な山になっています。古事記によればイナザギ命とイザナミ命がこの地に降臨され、イザナミ命が身ごもられまし
た。このお産をする際に七日七夜岩穴に籠られ、お産をされた
と伝えられます。このときお生まれになったのが、天照大神、月夜神、ス
サノオノミコトです。この「めでたい」をとり「鯛の巣山」と名づけられました。
登山道は整備されていて、3合目に鯛流水、清流水、6合目にこうもり岩、ブナ・ミズナラなどの林を抜けると山頂からは中国山地の大パ
ノラマが広がり、目の前には「猿政山」が望め、神話の里の風景が広がります。
奥出雲町観光協会

産田神社
産田神社は弥生時代からの古い神社で、伊弉冉尊(イザナミノミコト)とその子の軻遇突智神(カグツチノミコト)を祀っている。
『花の窟』が伊弉冉尊の御陵に対して、産田神社は火神の軻遇突智神を生んだがために亡くなった場所として一対的な意味合いがあり、
神々が生活した古郷ともいえる。
古代の神社は建物がなく、ここでは『神籬(ひもろぎ)』(神の宿るところ)と呼ばれる石で囲んだ太古の祭祀台(祀り場)へしめ縄を
張り神を招きました。左右の2カ所残っており、古さをものがったています。
毎年1月10日の大祭の『奉飯の儀』では子供が丈夫に成長することを願って、汁かけ飯、骨付きさんま寿司、赤和え、御酒の膳いただき
ます。
産田神社はさんま寿司発祥の地とされています。
熊野市観光公社

霧島東神社
天之逆鉾
高千穂峰(一五七四m)の山頂にあり、霧島東神社の社宝として祀られている。伊邪那岐尊、伊邪那美尊が高天原から鉾を差しおろし、
かき混ぜて作った国土に、逆さに突き立てたもの
と伝えられる。また、天孫降臨の際に瓊々杵尊が天照大御神から授かった鉾ともいう。
実際に祀られた時期は明確ではないが、霧島山の修験者たちが神話にならって祀ったとされ、少なくとも江戸時代にはその存在は広く知
られていた。霧島山に対する信仰の対象であるとともに戦前までは雨乞いの神ともされ、鉾の前で祭儀を行っていたという。
霧島東神社現地看板

天橋立・眞名井神社
 お伊勢さんのふるさと丹後国一宮「元伊勢 籠神社」。その歴史はあまりにも古く、神代までさかのぼるといいます。
特別名勝・天橋立はその昔、籠神社の境内であり、参道でした。伝承によると神代の昔、天にあった男神イザナギノ大神が奥宮眞名井
神社の磐座にいらした女神イザナミの大神のもとに通うための梯子が倒れて天橋立になった
と伝えられています。
神代の昔、奥宮 眞名井原に豊受大神をお祭りしてきましたが、崇神天皇の御代に天照皇大神が当社にうつり、與謝宮(吉佐宮)と称し
て一緒にお祭りしていたが天照皇大神は垂仁天皇の御代に豊受大神は、雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢におうつりになりました。それに
より元伊勢といわれるようになり、その後、天孫彦火明命を主祭神とし、社名を籠宮と改めました。
霧島東神社現地看板

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