記紀
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ゆかりの寺社(御朱印視点)
引続き調査中ですので、掲載もれがあるかも知れません。
【おススメ度 ☆☆★★★】普通の御朱印です。
都道府県 | 寺社名 | 所在地 | 備考 |
山梨県 | 身曾岐神社 | 北杜市小淵沢町上笹尾3401 | 【由】所在地「小渕沢町高天原」は、行政地名ではない。(ビル名のような扱いで、郵便物が届くものと考えら れる。)なお、身曾岐神社は宗教法人かむながらのみちが所有する神社である。 |
奈良県 | 高天寺橋本院 | 御所市高天350 | 【由】天津神たちが住まう場所と伝わる。高天寺橋本院の駐車場に石碑が建つ。 |
和歌山県 | 丹生都比売神社 | 伊都郡かつらぎ町上天野230 | 【由】「当社が鎮座する天野の地は古来、神のみが鎮まる場所とされていました。天野と高野を合わせて神々の 住む天上の「高天原」を意味する地であったのです。」丹生都比売神社の「世界文化遺産」解説文より抜粋 |
熊本県 | 幣立神社 | 上益城郡山都町大野712 | 【伝】大日本史に見える知保の高千穂嶺が幣立神社の所在地である。なお、幣立神社について、『全国神社名鑑 <下巻>』(全国神社名鑑刊行会/1977年)の「事業」欄に「天下一家の会」とある。 |
【おススメ度 ☆★★★★】御朱印が頂けるか不明です。
都道府県 | 寺社名 | 所在地 | 備考 |
岡山県 | 茅部神社 | 真庭市蒜山西茅部1501 | 【噂】高天原比定地である蒜山高原に鎮座する。 |
【おススメ度 圏外】寺社以外の関連施設です。
都道府県 | 施設名等 | 所在地 | 備考 |
茨城県 | 多賀郡 | 多賀郡 | 【噂】新井白石は『古史通』において高天原をひらがなでの読みで言語解釈し、常陸国多賀郡と比定した。 |
群馬県 | 生犬穴 | 多野郡上野村 | 【除】鍾乳洞内の一部エリアの名称としてつけられたものであり、記紀を由縁とするものではない。 |
富山県 | 高天原湿原 | 富山市有峰 | 【噂】高天原湿原や高天原温泉がある。日帰りは困難。 |
長野県 | 高天原山 | 南佐久郡川上村梓山 | 【噂】群馬県側の尾根は、1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故の墜落現場があり、「御巣鷹の尾 根」と命名されている。 |
静岡県 | 山田屋旅館(廃業) | 伊豆の国市長岡1076-1 | 【除】平成26年9月廃業。キャッチコピーは「神々の湯 山田屋」。 |
三重県 | 神路山 | 伊勢市宇治今在家町 | 【噂】三重県伊勢市伊勢神宮内宮の神苑の山。 |
鳥取県 | 八頭町 | 八頭郡八頭町 | 【噂】「天照大神が八上の霊石山(八頭町)伊勢ヶ平にしばらく行宮した後、帰る際に通った道の途中の地点に ある。伊勢ヶ平は高天原という名前ではないものの、暫定的にせよ、中央の政治機関があった所とみなしうる。 ここには天照大神が行宮の際、白兎に道案内されたという伝承がある。」Wikipedia |
鳥取県 | 若桜町舂米 | 八頭郡若桜町舂米 | 【噂】「鳥取県若桜町舂米のわかさ氷ノ山スキー場には「高天原」の地名・伝承が残っている。」Wikipedia |
岡山県 | 蒜山高原 | 真庭市 | 【噂】周辺に「天の岩戸」や「天磐座」と呼ばれていた茅部神社がある。 |
広島県 | 広島市 | 広島市 | 【除】「広島市営 高天原墓苑」。 |
福岡県 | 甘木朝倉地方 | 朝倉市甘木 | 【噂】「産能大教授安本美典先生他多くの学者は、高天原は邪馬台国で、それは甘木朝倉地方であり、邪馬台国の女 王卑弥呼は天照大神であるとしている。」『日本発祥の地 卑弥呼の里 あまぎ』の碑 解説文より抜粋 |
長崎県 | 壱岐市 | 壱岐市 | 【噂】「天ヶ原、高野原等の地名が残り、九州王朝説では天国領域とされている。」Wikipedia |
宮崎県 | 高千穂町 | 西臼杵郡高千穂町 | 【噂】同町には「天安河原」や「天岩戸」が存在する。 |
宮崎県 | 高原町 | 西諸県郡高原町 | 【噂】『三国名勝図會』に「土俗傳へ云、當邑を高原と號するは高天原の略称なり」とあるという。 |
身曾岐神社 |
天地と共に生き合い、自然を教典とする“いのちの信仰”古神道、千載にわたり白川神祇伯王家に伝えられてきた“神ながらの道”――神道 中興の祖・井上正鐵への神伝を経て、その真髄をことごとく相承する身曾岐神社。東に世界遺産にも登録された霊峰富士、南に甲斐駒ケ 岳を眺望し、日本列島の中立に屹立する八ヶ岳の南麗、約12万平方米におよぶ自然豊かな青緑の地に定めた万象調和のまほろば「高天 原」。そこに古神道本宮・身曾岐神社は鎮座します。匠たちの伝統の技が惜しみなく注がれた神明造りの本殿。古神道の神学、「神は火水 なり」を具現した火祥・水祥の両殿。東域には日本伝統文化の象徴として、神池に浮かぶ能楽殿。さらに、門外不出とされた古神道の行法 を伝授する修行の社としての瑞松宮。わが国で唯一、「古神道本宮」の名を冠し、日本の伝統精神文化の原点を正しく伝承する社として、 その神殿群は清々しく甍を連ねています。 |
身曾岐神社 境内案内 |
高天寺橋本院 |
高天寺橋本院の公式サイトへようこそお越し下さいました。 宝宥山 高天寺橋本院は金剛山中腹の広々とした空間の台地にある高野山真言宗の寺院です。 ご本尊の十一面観世音菩薩立像は、木造で高さが5.4mと大きく、「生かせいのちの本像」として信仰を集めています。 当寺院のある場所は日本神話の高天原伝承地とされる場所でもあり、古代より霊地とされてきました。 ご参拝にお越し頂ければ、独特の静寂に包まれた境内のたたずまいを感じ取っていただけることと存じます。 高天寺 橋本院 院主 前田 良仁 |
高天寺橋本院院主ごあいさつ |
丹生都比売神社 |
(前略) 弘法大師が高野山を選んだ理由として、近年、松田壽夫博士が『丹生の研究』で述べているように「水銀の経済的価値を認めていた弘法 大師は、留学先の唐で学んだ採掘と製造の新技術をもたらし、高野山経営の経済的な裏付けを求めた」との説もあります。しかし、文献 的に高野山においても丹砂が採取された記録は残っておらず、確信にいたるものではありません。 当社が鎮座する天野の地は古来、神のみが鎮まる場所とされていました。天野と高野を合わせて神々の住む天上の「高天原」を意味する 地であったのです。唐へ留学する以前、若き弘法大師は山野をめぐる修行の歳月を送り、その中で高野山にも足を踏み入れたといわれて います。根本道場を開く地を求めた弘法大師の脳裏に、それにふさわしい聖地として浮かんだ場所、それが高野山だったのではないでし ょうか。 (後略) |
丹生都比売神社 世界文化遺産 |
幣立神社 |
高天原というのは、人類のふるさとと申しますから、広い意味では宇宙界にあるはずですが、せまい意味では筑紫の屋根といわれる、九 州のまん中の幣立神宮となります。なぜならばその宇宙界から、天神がお降りになった所が、外ならぬ幣立神宮であるからであります。 ですからこの宮を太古から高天原日の宮と名づけて、一世(いせ)の宮と申します。その証しが天神の降臨地に生えたヒノキを、太古か ら一世内宮(いせうちのみや)とあがめ現在は十代目であるが、日本一の巨檜となり、更に一世外宮(いせさとのみや)と仰がれる神杉 を、天御中主尊のお手植え六代目と伝えています。 |
県神社庁 |