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神生み

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記紀


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古事記【原文】 古事記【現代語】 日本書紀【現代語】 日本書紀【原文】 備考
次に海と川と山を生み、次に木の祖先である
句句廼馳を生んだ。次に草の祖先である草野
姫(野槌)を生んだ。
次生海、次生川、次生
山、次生木祖句句廼馳
、次生草祖草野姬、亦
名野槌。
伊弉諾尊と伊奘冉尊は相談し、「私達は大八
洲国や山川草木を生んだ。そろそろ天下を治
める者を生むべきだ。」そこで一緒に日神を
生み出し、大日孁貴(天照大神、天照大日孁
尊)と名付けた。
既而伊弉諾尊・伊弉冉
尊、共議曰「吾已生大
八洲國及山川草木。何
不生天下之主者歟。」
於是、共生日神、號大
日孁貴。大日孁貴、此
云於保比屢咩能武智、
孁音力丁反。一書云天
照大神、一書云天照大
日孁尊。
三貴神出生(伊弉冉)
├岐阜県:恵那神社
├岐阜県:血洗神社
├島根県:鯛ノ巣山
└島根県:陰陽竹
この御子は、華やかに光り麗しく、国中を照
らした。二神は喜び、「我が子たちはたくさ
んいるが、こんなに凄い子はいない。この国
ではなく、高天原の仕事をさせよう。」
此子、光華明彩、照徹
於六合之內。故、二神
喜曰「吾息雖多、未有
若此靈異之兒。不宜久
留此國。自當早送于天
而授以天上之事。」是
時、天地、相去未遠、
故以天柱舉於天上也。
当時は、天と地はそんなに離れていなかった
ので、天御柱をたどって、天上に送り上げた
是時、天地、相去未遠
、故以天柱舉於天上也
次に月神をお生みになられた。太陽に次いで
光り輝いていたので、太陽と並んで治めるの
がよいとし、これもまた天に送った。
次生月神。一書云「月
弓尊、月夜見尊、月讀
尊。」其光彩亞日、可
以配日而治。故、亦送
之于天。
次に蛭児を生んだが、この子は三年経っても
足が立たなかったので、天磐櫲樟船に乗せて
、風のままに放流した。
次生蛭兒。雖已三歲、
脚猶不立、故載之於天
磐櫲樟船而順風放棄。
次に素戔嗚尊(神素戔嗚尊、速素戔嗚尊)を
生んだ。この神は勇敢で残忍な神だったが、
常に泣きわめくため、国内の人々を多く若死
にさせ、青山を枯山にした。
次生素戔嗚尊。一書云
「神素戔嗚尊、速素戔
嗚尊。」此神、有勇悍
以安忍、且常以哭泣爲
行。故、令國內人民多
以夭折、復使靑山變枯
「国内の人々(國內人民)」は、どこからや
って来たのだろう。
それで父母の二神は素戔嗚尊に、「お前は大
変無道である。だから天下を治めることがで
きないので、遠い根国に行きなさい。」と言
って、追放した。
故、其父母二神、勅素
戔嗚尊「汝甚無道。不
可以君臨宇宙。固當遠
適之於根國矣。」遂逐
之。
別伝1では、伊弉諾尊が「私は天下を治める
べき子を生もうと思う。」と言い、左手で白
銅鏡を取った時に生まれた神が大日孁貴であ
る。右手で白銅鏡を取った時に生まれた神が
月弓尊である。また、首を回して後ろを見た
時に生まれたのが、素戔嗚尊である。
一書曰、伊弉諾尊曰「
吾欲生御宇之珍子。」
乃以左手持白銅鏡則有
化出之神、是謂大日孁
尊。右手持白銅鏡則有
化出之神、是謂月弓尊
。又廻首顧眄之間則有
化神、是謂素戔嗚尊。
このうち大日孁貴と月弓尊は、ともに人格者
だったので、天地を照らし治めさせられた。
素戔嗚尊は、乱暴者だったため、下にくだ
して根国を治めた。
卽大日孁尊及月弓尊並
是質性明麗、故使照臨
天地。素戔嗚尊、是性
好殘害、故令下治根國
。珍、此云于圖。顧眄
之間、此云美屢摩沙可
梨爾。
別伝2では、日と月とが生まれた後、蛭児が
生まれたが、三歳になっても足が立たなかっ
た。最初、伊弉諾尊と伊奘冉尊が、柱を回ら
れたときに、女神が先に喜びの言葉を言われ
たが、陰陽の道理にかなっていなかったため
、蛭児が生まれた。
一書曰、日月既生。次
生蛭兒、此兒年滿三歲
、脚尚不立。初、伊弉
諾、伊弉冉尊巡柱之時
、陰神先發喜言、既違
陰陽之理、所以、今生
蛭兒。
次に素戔嗚尊が生まれた。この神は性質が悪
く、常に泣いたり怒ったりしていたため、国
の人々が多く死に、青山を枯山にした。それ
で父母が、「お前にこの国を治めさせると、
失敗するだあろうから、お前は遠い根国を治
めなさい。」と言われた。
次生素戔嗚尊、此神性
惡、常好哭恚、國民多
死、靑山爲枯。故、其
父母勅曰「假使汝治此
國、必多所殘傷。故汝
、可以馭極遠之根國。
次に、鳥磐櫲樟船を生み、この船に蛭児を乗
せて放流した。次に火の神の軻遇突智を生ん
だ。そのとき伊奘冉尊は、軻遇突智のために
火傷をして、お亡くなりになった。その亡く
なる際に、横たわったまま土の神である埴山
姫と、水の神である罔象女を生んだ。軻遇突
智は埴山姫を娶って稚産霊を生んだ。この神
の頭の上に蚕と桑が生じた。臍の中に五穀が
生まれた。
次生鳥磐櫲樟橡船、輙
以此船載蛭兒、順流放
棄。次生火神軻遇突智
、時伊弉冉尊、爲軻遇
突智、所焦而終矣。其
且終之間、臥生土神埴
山姬及水神罔象女。卽
軻遇突智、娶埴山姬、
生稚産靈、此神頭上生
蠶與桑、臍中生五穀。
罔象、此云美都波。
別伝3では、伊奘冉尊が火産霊を生むとき、
子のために焼かれて死んだ。その神の死なれ
ようとするときに、水の神・罔象女と土の神
・埴山姫を生み、また天吉葛を生んだ。
一書曰、伊弉冉尊、生
火産靈時、爲子所焦而
神退矣、亦云神避。其
且神退之時、則生水神
罔象女及土神埴山姬、
又生天吉葛。天吉葛、
此云阿摩能與佐圖羅、
一云與曾豆羅。
別伝4では、伊奘冉尊が、火の神・軻遇突智
を生もうとするときに、熱に苦しめられて嘔
吐した。これが金山彦という神となった。次
に小便をされ、罔象女が生まれた。次に大便
をされ、埴山媛が生まれた。
一書曰、伊弉冉尊、且
生火神軻遇突智之時、
悶熱懊惱。因爲吐、此
化爲神、名曰金山彥。
次小便、化爲神、名曰
罔象女。次大便、化爲
神、名曰埴山媛。
別伝5では、伊奘冉尊が火の神を生むときに
、体を焼かれてお亡くなりになった。それで
紀伊国の熊野の有馬村に葬った。土地の人が
この神をお祭りするには、花のときに花をも
ってお祭りし、鼓、笛、旗をもって歌舞して
お祭りする。
一書曰、伊弉冉尊、生
火神時、被灼而神退去
矣。故葬於紀伊國熊野
之有馬村焉。土俗、祭
此神之魂者、花時亦以
花祭、又用鼓吹幡旗歌
舞而祭矣。
三重県:産田神社
三重県:花窟神社
別伝6では、伊弉諾尊と伊奘冉尊は協力して
大八洲国を生み出した。そして、伊弉諾尊が
、「我らの生んだ国は、朝霧がかかっている
が、良い香りがいっぱいだ。」と言って、霧
を吹き払われた。その息が級長戸辺命(級長
津彦命)という風の神になった。
一書曰、伊弉諾尊與伊
弉冉尊、共生大八洲國
。然後、伊弉諾尊曰「
我所生之國、唯有朝霧
而薫滿之哉。」乃吹撥
之氣、化爲神、號曰級
長戸邊命、亦曰級長津
彥命、是風神也。
また、飢えて気力のないときに生んだ子を、
倉稲魂命という。生んだ海の神たちを、少童
命という。山の神たちを山祇という。海峡の
神たちを、速秋津日命という。木の神たちを
句句廼馳という。土の神たちを埴安神という
。そして、のちに万物が生まれた。
又飢時生兒、號倉稻魂
命。又、生海神等號少
童命、山神等號山祇、
水門神等號速秋津日命
、木神等號句句廼馳、
土神號埴安神。然後、
悉生萬物焉。
既生國竟、更生神。故
、生神名、大事忍男神
、次生石土毘古神訓石
云伊波、亦毘古二字以
音。下效此也、次生石
巢比賣神、次生大戸日
別神、次生天之吹上男
神、次生大屋毘古神、
次生風木津別之忍男神
訓風云加邪、訓木以音
、次生海神、名大綿津
見神、次生水戸神、名
速秋津日子神、次妹速
秋津比賣神。自大事忍
男神至秋津比賣神、幷
十神。
このように国々を生み終って、更に神々をお
生みになりました。そのお生み遊ばされた神
樣の御名はまずオホコトオシヲノカミ、次に
イハツチヒコノカミ、次にイハスヒメノカミ
、次にオホトヒワケノカミ、次にアメノフキ
ヲノカミ、次にオホヤヒコノカミ、次にカザ
モツワケノオシヲノカミをお生みになりまし
た。次に海の神のオホワタツミノカミをお生
みになり、次に水戸の神のハヤアキツヒコノ
カミとハヤアキツヒメノカミとをお生みにな
りました。オホコトオシヲノカミからアキツ
ヒメノカミまで合わせて十神です。
此速秋津日子・速秋津
比賣二神、因河海、持
別而生神名、沫那藝神
那藝二字以音、下效此
、次沫那美神那美二字
以音、下效此、次頰那
藝神、次頰那美神、次
天之水分神訓分云久麻
理、下效此、次國之水
分神、次天之久比奢母
智神自久以下五字以音
、下效此、次國之久比
奢母智神。自沫那藝神
至國之久比奢母智神、
幷八神。
このハヤアキツヒコとハヤアキツヒメの御二
方が河と海とでそれぞれに分けてお生みにな
った神の名は、アワナギノカミ、アワナミノ
カミ、ツラナギノカミ、ツラナミノカミ、ア
メノミクマリノカミ、クニノミクマリノカミ
、アメノクヒザモチノカミ、クニノクヒザモ
チノカミであります。アワナギノカミからク
ニノクヒザモチノカミまで合わせて八神です
次生風神・名志那都比
古神此神名以音、次生
木神・名久久能智神此
神名以音、次生山神・
名大山上津見神、次生
野神・名鹿屋野比賣神
、亦名謂野椎神。自志
那都比古神至野椎、幷
四神。
次に風の神のシナツヒコノカミ、木の神のク
クノチノカミ、山の神のオホヤマツミノカミ
、野の神のカヤノヒメノカミ、またの名をノ
ヅチノカミという神をお生みになりました。
シナツヒコノカミからノヅチまで合わせて四
神です。
此大山津見神・野椎神
二神、因山野、持別而
生神名、天之狹土神訓
土云豆知、下效此、次
國之狹土神、次天之狹
霧神、次國之狹霧神、
次天之闇戸神、次國之
闇戸神、次大戸惑子神
訓惑云麻刀比、下效此
、次大戸惑女神。自天
之狹土神至大戸惑女神
、幷八神也。
このオホヤマツミノカミとノヅチノカミとが
山と野とに分けてお生みになった神の名は、
アメノサヅチノカミ、クニノサヅチノカミ、
アメノサギリノカミ、クニノサギリノカミ、
アメノクラドノカミ、クニノクラドノカミ、
オホトマドヒコのノカミ、オホトマドヒメノ
カミであります。アメノサヅチノカミからオ
ホトマドヒメノカミまで合わせて八神です。
次生神名、鳥之石楠船
神、亦名謂天鳥船。次
生大宜都比賣神。此神
名以音。次生火之夜藝
速男神夜藝二字以音、
亦名謂火之炫毘古神、
亦名謂火之迦具土神。
迦具二字以音。
次にお生みになった神の名はトリノイハクス
ブネノカミ、この神はまたの名を天鳥船とい
います。次にオホゲツヒメノカミをお生みに
なり、次にホノヤギハヤヲノカミ、またの名
をホノカガヒコノカミ、またの名をホノカグ
ツチノカミといいます。
因生此子、美蕃登此三
字以音見炙而病臥在。
この子をお生みになったためにイザナミノミ
コトは御陰が燒かれて御病気になりました。
火の神・軻遇突智が生まれるとき、その母で
ある伊奘冉尊は、身を焼かれてお隠れになっ
た。そのとき、伊弉諾尊が恨んで言われたの
が、「ただこの一人の子のために、我が愛妻
を犠牲にしてしまった」そして、伊奘冉尊の
頭や足のあたりを這いずり回って、泣き悲し
み、涙を流された。その涙が落ちて神となっ
た。これが丘の上の木の下に現れる神で、啼
澤女命という。
至於火神軻遇突智之生
也、其母伊弉冉尊、見
焦而化去。于時、伊弉
諾尊恨之曰「唯以一兒
、替我愛之妹者乎。」
則匍匐頭邊、匍匐脚邊
而哭泣流涕焉、其淚墮
而爲神、是卽畝丘樹下
所居之神、號啼澤女命
矣。
多具理邇此四字以音生
神名、金山毘古神訓金
云迦那、下效此、次金
山毘賣神。次於屎成神
名、波邇夜須毘古神此
神名以音、次波邇夜須
毘賣神。此神名亦以音
。次於尿成神名、彌都
波能賣神、次和久產巢
日神、此神之子、謂豐
宇氣毘賣神。自宇以下
四字以音。
その嘔吐でできた神の名はカナヤマヒコノカ
ミとカナヤマヒメノカミ、屎でできた神の名
はハニヤスヒコノカミとハニヤスヒメノカミ
、小便でできた神の名はミツハノメノカミと
ワクムスビノカミです。この神の子はトヨウ
ケヒメノカミといいます。
故、伊邪那美神者、因
生火神、遂神避坐也。
かような次第でイザナミノミコトは火の神を
お生みになったために遂にお隱れになりまし
た。
伊弉諾尊はついに、腰に下げた十握剣を抜い
て、軻遇突智を三段に切った。その各々が神
となった。また、剣の刃からしたたる血が、
天安河のほとりにあるたくさんの岩群となっ
た。これは経津主神の先祖である。また、剣
の鍔つばからしたたる血が注がれ、神になっ
た。その名を甕速日神という。次に熯速日神
が生まれた。その熯速日神は、武甕槌神の先
祖である。または甕速日命、次に熯速日命。
次に武甕槌神が生まれたとも言われる。また
、剣の先から滴る血が注がれて神となり、そ
の名を岩裂神という。次に根裂神。次に磐筒
男命が生まれた。ある言い伝えには、磐筒男
命と磐筒女命と言っている。また、剣の柄頭
から滴った血が神となった。その名を闇龗と
いう。次に闇山祇。次に闇罔象が生まれた。
遂拔所帶十握劒、斬軻
遇突智爲三段、此各化
成神也。復劒刃垂血、
是爲天安河邊所在五百
箇磐石也、卽此經津主
神之祖矣。復劒鐔垂血
、激越爲神、號曰甕速
日神、次熯速日神、其
甕速日神是武甕槌神之
祖也、亦曰甕速日命、
次熯速日命、次武甕槌
神。復劒鋒垂血、激越
爲神、號曰磐裂神、次
根裂神、次磐筒男命、
一云磐筒男命及磐筒女
命。復劒頭垂血、激越
爲神、號曰闇龗、次闇
山祇、次闇罔象。
天安河原
└宮崎県:天安河原
自天鳥船至豐宇氣毘賣
神、幷八神。
天鳥船からトヨウケヒメノカミまで合わせて
八神です。
凡伊邪那岐、伊邪那美
二神、共所生嶋壹拾肆
嶋、神參拾伍神。
すべてイザナギ・イザナミのお二方の神が、
共にお生みになった島の数は十四、神は三十
五神であります。
是伊邪那美神、未神避
以前所生。唯意能碁呂
嶋者、非所生。亦姪子
與淡嶋、不入子之例也
これはイザナミノカミがまだお隱れになられ
る前にお生みになりました。ただオノゴロ島
はお生みになったのではありません。また水
蛭子と淡島は子の中に入れません。
別伝6に黄泉国編があるため、別伝7~11
は、黄泉国編の後ろにある。


ゆかりの寺社(御朱印視点)

引続き調査中ですので、掲載もれがあるかも知れません。

【おススメ度 ☆☆★★★】普通の御朱印です。

都道府県 寺社名 所在地 備考
岐阜県 恵那神社 中津川市中津川字正ヶ根3786 【由】伊装册命が天照大神を産み、その胞衣を祀っている。
三重県 花窟神社 熊野市有馬町130 【-】産田神社の本務社。
三重県 産田神社 熊野市有馬町1814 【伝】伊弉冉尊が火神の軻遇突智神を生んだがために亡くなった場所。御朱印は花窟神社で拝受可能。
宮崎県 天安河原宮 西臼杵郡高千穂町岩戸1073-1 【由】天岩戸神社西本宮から岩戸川に沿って徒歩で約10分、天照大神が岩戸にお隠れになったさい、
天地暗黒となり八百万の神がこの河原に集まり神議されたと伝えられる大洞窟。別名「仰慕ヶ窟」とも
呼ばれています。

【おススメ度 ☆★★★★】御朱印が頂けるか不明です。

都道府県 寺社名 所在地 備考
岐阜県 血洗神社 中津川市阿木6872-1 【由】伊装册命が天照大神を産み、その胞衣を洗ったところ池が赤く濁ったことから、血洗の池と呼ぶようになった。

【おススメ度 圏外】寺社以外の関連施設です。

都道府県 寺社名 所在地 備考
島根県 鯛ノ巣山 仁多郡奥出雲町上阿井 【伝】伊弉冉尊が身ごもられ、七日七夜岩穴に籠られてお産をされた。このとき生まれたのが、天照大神、
月夜神、素戔嗚尊。この「めでたい」をとり「鯛の巣山」と名づけられた。
島根県 陰陽竹 安来市伯太町横屋 【伝】イザナミが出産の際比婆山に登り、手に持っていた杖を地中に立てたところ、根を出し葉を広げ陰陽
竹になったといわれています。


鯛ノ巣山
大万木山を中心とする南西から北東に連なる頂稜の東端にある山で、麓の阿井地区から見る姿は独立峰のようですが、背後は毛無山へと
稜線の連なる縦走可能な山になっています。古事記によればイナザギ命とイザナミ命がこの地に降臨され、イザナミ命が身ごもられまし
た。このお産をする際に七日七夜岩穴に籠られ、お産をされた
と伝えられます。このときお生まれになったのが、天照大神、月夜神、ス
サノオノミコトです。この「めでたい」をとり「鯛の巣山」と名づけられました。
登山道は整備されていて、3合目に鯛流水、清流水、6合目にこうもり岩、ブナ・ミズナラなどの林を抜けると山頂からは中国山地の大パ
ノラマが広がり、目の前には「猿政山」が望め、神話の里の風景が広がります。
奥出雲町観光協会

産田神社
産田神社は弥生時代からの古い神社で、伊弉冉尊(イザナミノミコト)とその子の軻遇突智神(カグツチノミコト)を祀っている。
『花の窟』が伊弉冉尊の御陵に対して、産田神社は火神の軻遇突智神を生んだがために亡くなった場所として一対的な意味合いがあり、
神々が生活した古郷ともいえる。
古代の神社は建物がなく、ここでは『神籬(ひもろぎ)』(神の宿るところ)と呼ばれる石で囲んだ太古の祭祀台(祀り場)へしめ縄を
張り神を招きました。左右の2カ所残っており、古さをものがったています。
毎年1月10日の大祭の『奉飯の儀』では子供が丈夫に成長することを願って、汁かけ飯、骨付きさんま寿司、赤和え、御酒の膳いただき
ます。
産田神社はさんま寿司発祥の地とされています。
熊野市観光公社

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