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Elder youth -episode1-

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だれでも歓迎! 編集
 そうじろうは久方振りにアルバムをめくっていた。病弱でいつも寝込んでいた姪のゆたかが来て、
急に妻のことを思い出したからだった。
「かなた、天国で元気にしてるか?」
 目を閉じれば、セーラー服を翻して手を振っている妻が──当時の幼馴染がどこまでも鮮明に浮かび上がって、
手元の白黒など、まったく及びもしないものだった。
 それでも、在りし日の追憶に浸ってページをめくるうち、遠くで鐘が鳴った気がした。
厳密には、そんなぼんやりした声が、そうじろうの耳元で聞こえた気がしたのだった。
「そう君、私は今も、元気で、幸せですよ。こなたもすくすく育って、そう君も元気そうで……」
 ハッと気が付くと、もう宵闇が迫っていた。思っていたよりアルバムに見入っていたらしい。
もうすぐ、エプロン姿のこなたがドアをノックするだろう。
「たまには、こなたに呼ばれる前に行こうかな」
 そうじろうはゆっくりと立ち上がって、部屋を出た。階段を降りると、こなたが目の前にいた。
「あ、お父さん、丁度良かった。今からご飯だよ」
「だから来たんだよ。もう腹ペコでな、今なら二人前食えるかもしれないぞ?」
「変なお父さん……まぁいいや、すぐ来てね」
 こなたの後を着いていって、ダイニングに入ると、香ばしいチーズの匂いが漂ってきた。
「今日はラザニアだよー」
「おお、また懐かしい一品を持ってきたな。お前あのBOX欲しがってたもんな」
「だって萌えばっかりじゃ飽きちゃうでしょ。たまにはレトロなのも欲しいからね」
「うむ、それでこそ俺の娘だ」
「ところが、今月は倹約のために肉は入ってないんだよ」
「なにっ、そんなところまで再現してるのか!? 流石こなただっ!!」
 明らかに年齢を超越した会話が親子でなされているので、一つ世代が違うゆたかは困っていた。
「え? へ? こなたお姉ちゃんもおじさんも、何言ってるの……?」
 それを聞いてそうじろうはコホンと咳払いを一つして、年不相応にはしゃぎたい気持ちを抑え、二人に言った。
「そうだな。早く食べないと冷めるから、まずはいただきますだ」
 食卓がそうして囲まれた後も、そうじろうの頭には色々な想いが渦巻いていた。
「かなた……」
 食事の間にも終始ニコニコと笑っているところで、二人の少女に「どうしたの?」と頻りに何度も問われたが、
まさか「かなたが『元気にしてる』って言ってたぞ」とは言えなかったので、適当にはぐらかすことに決めたそうじろうだった。



 昭和5*年。ある秋晴れの土手。
 鉄筋コンクリートがそろそろ珍しくなくなってきて、1ドルが250円に届いていた頃。
「かなたー、こっちこっちー!」
「かなたちゃーん、早く来てねー!」
「速いよ、そう君。ちょっと待って──きゃあっ」
 まだまだ新しいセーラー服を着た小さな女の子と、少しずつ汚れ始めた学ランを着た大きな男の子が、走っていた。
もう一人、土手でポニーテールとスカートを揺らしながら、精一杯手を振っている少女もいる。が、
女の子が一人転んで、男の子の動きが止まる。悲鳴と共に『そう君』と呼ばれた男の子が振り返り、転んだ女の子に走り寄る。
「かなた、大丈夫か?」
「大丈夫だけど、そう君、速いよ~」
 プクッと頬を膨らませて、『かなた』と呼ばれた少女は立ち上がろうとして、膝を折った。
「どうした、かなた!?」
「足を挫いちゃったみたい……」
 泥こそついてはいないものの、膝頭を擦り剥いて、うっすらと血が滲んでいた。そこに足首を捻挫したとなると、
『そう君』はしゃがみこんで口を開いた。
「な、何するのそう君?」
「こういうのはな、ツバつけとけば治るんだよ」
 そう言ってかなたの膝に唇を触れさせたのだから、たちまちかなたの顔は真赤になった。
「そそそ、そう君、な、なにやってるの!?」
「こうして舐めときゃ良いんだって」
 そして砂混じりの唾液をペッと吐くと、かなたの腕を取って立ち上がった。
「ほら、掴まれ」
「掴まれって……そう君、どうするの?」
「いいから早く」
「う、うん」
 『そう君』はかなたに肩へと手を回させ、首を通してしっかりと掴ませた。すると『そう君』は徐に座り込み、
かなたの両太股を抱えて立ち上がった。
 かなたが悲鳴を出す暇も与えず、『そう君』は颯爽と走り出した。背負っていた鞄は今、歯でガッチリと咥えている有様で、
かなたの鞄は胸に抱えていた。
 二人が走り出すと、先に河原まで下りていた少女が手を振りながら叫んだ。
「ほらほらー、早くしないと遅れちゃうよー!」
「おーう、あっえおー!!」
 恐らく『待ってろー』だと思われる声を閉じた歯の間から搾り出すと、一層スピードを上げて土手を駆け下りていった。

「おそーい、泉君。かなたちゃん軽いんだから、もっとスピード出しなさいよね」
「おい、おい。はるか、それはないん、じゃないか? はぁ、はぁ……」
 ビシッと指を突きつけられたそうじろうは、息も絶え絶えに呟いた。いくらかなたが軽いとはいえ、
鞄を歯で挟んだ上に走るのは重労働が過ぎる。
「それに、かなたちゃん真赤だよ」
「え?」
 後ろを振り向くと、太股を抱えられたかなたが首まで紅に染まってぼけらっとしていた。
目の焦点は合っていない。身体を降ろした後もぺたんと座り込んで、二人が目の前で手をひらひらさせても、無反応だった。
「はるか、これは……俺が悪いのか?」
「ええ、悪いわね」
 『はるか』と呼ばれた少女は辛辣に言うとかなたの傍らまで歩いていき、ほっぺたをむにーっとつねった。
かなたにはそれで効いたらしく、涙目になって抗議する。
「はるはーん、はんでふねるのー?」
 はるかはそれが面白いと思ったらしく、『はめへー』と繰り返すかなたの頬をうにうにと弄ぶ。
「なぁ、はるか。お前の方がひどくないか?」
「え、何が?」
 ケタケタと如何にも楽しそうな笑い声を上げた後、かなたを解放するはるか。かなた本人はそれで正気に帰ったのか、
「ひどいよ、はるちゃん……」と拗ねた。
「あのね、かなたちゃん。そうでもしないといつまでもここに座ってたでしょ? まったくウブなんだから、もう」
 抓った場所を労わるように擦るはるかと、何も出来ずに事の成り行きを見守るだけのそうじろう。
苦笑いを浮かべて立ち上がろうとしてまたふらつき、支えてもらうかなた。
「いつまでもこんな日が続けばいいね、泉君、かなたちゃん」
「そうだな、はるか」
 冗談を言い合って笑い合ううちに、はるかが西の空を大きく指した。
「ほら、見えた!!」
 指の先には、先程のかなたに負けず劣らずの真赤な太陽が雲の切れ目から顔を出して、今まさに沈もうとしていた。
お互いの顔を見ると、皆々オレンジ色に染まっていて、些細な顔色の変化ならもう読み取れないほどだった。
 夕焼け。もうじき高層ビルが立ち並びそうな気配を帯びていて、ここからの景色はいつまでも見れる程、
ありふれた存在ではもうなくなっていた。
「ねーねー、もしマンションが建っちゃったらさ、みんなでそこに住まない?」
「あ、それグッドアイディア! いいな、いいよ、はるか!」
 早速そうじろうは同意を示した。もし三人の日々がいつまでも終らないとしたら、どんなにか楽しいだろう。
「でしょ? 交代でご飯作って、家賃とかも三人で頑張って払ってさ……そうだなぁ、大学になったら引っ越そう!」
「気が早いね、はるちゃん。ひょっとしたら就職するかもしれないんだよ?」
 目を落とせば川の水もオレンジ色に輝き、横を向けば電車が高架線の上をガタゴトと走り去るのが見える。
銀色の車体もまたオレンジを照り返して、川向こうのグラウンドも、その向こうの屋根も、そのずっと向こうの雲まで、
何もかも鮮やかなオレンジ色だった。
「いやいや、かなたちゃんの場合は……泉君と結婚してお嫁さんだ、人妻だー!!」
「ななっ、何言ってるの、はるちゃん!?」
「そうなれば扶養何とか? で家賃払わなくても何とかなるかもねー。
 ……そうしたら私は独身かー、誰かステキな男の子を見つけなきゃね」
「は、はるちゃん!」
「冗談だよ。私たちはいつまでも一緒。ね、泉君?」
「あ、ああ」
 だが、『もしかなたと結婚できたら……』という想いは、少しずつそうじろうの心に広がっていった。
『いやいや、はるかも悪くないんじゃないか?』と心のどこかが反論して、思わず口に出してしまった。
「俺は、どっちも選べないなぁ……」
 それを敏く聞きつけたはるかは尋問を開始する。
「それじゃ、どっちと結婚するのよ?」
「選べない、俺には、選べない……!」
 血の涙を流すそうじろうに、更なる追い討ちがかなたからかかる。
「そう君、私たちのこと、嫌い?」
 そう言われて、慌ててそうじろうは修正に入った。
「そ、そんなことはないぞ! ただ、一人としか結婚できない世の中を変えてやりたいだけだ」
 調子のいいことを、とはるかに小突かれながら、三人は夕日と、夕日に染まる世界をいつまでも眺めていた。
東の空はもう藍色になりかけていて、そこに一筋伸びている飛行機雲が少しずつぼやけていくのを、三人は見つめていた。

 そしてすっかり日が暮れると、はるかは二人を夕食に誘った。学校を出てから『先に行ってて』と言ってどこかへ消えたのは、
その食材を買うためだったらしい。そうじろうが袋の中をのぞくと、確かに将来『料理』になりそうなものが入っていた。
「今日、お父さんもお母さんもいなくてね、一人なんだけど、三人分のご飯を作った方が美味しいから」というのが理由だが、
かなたは本音をちゃんと知っていた。
「はるちゃんってね、すっごく怖がりで、一人でトイレに行くのがやっとなの」とは、かなたの弁。
実際問題、はるかは修学旅行の時もわざわざ隣で寝ていたかなたを起こして、
旅館という施設では廊下に出る必要すらないトイレへと無理に付き添わせたくらいだった。
「元気印のはるかが、ねぇ……信じられない」
「それは昼のうちだけみたい」
 はるかの家はそうじろうやかなたの家とは学校を挟んで反対側にあり、更に土手ははるかの家から近かった。
だから、二人は家へ帰らずにそのまま土手を──かなたの鞄ははるかに持たせ、そうじろうは胸に鞄を抱えて──登り、
電車の立てる音がけたたましい高架線の下を潜って、もう暗くなった路地から団地の一角へと滑り込んだ。
そしてそのままはるかの家まで行き、家の電話を借りて、各々の家へ『今日ははるかの家で食べるから』と伝えた。
 家に入る直前に、そうじろうはかなたの痛そうな顔を見るのが辛くて、はるかに聞いた。
「はるか、包帯とか、とにかくテーピングできるもの持ってないか?」
「あ、はいはい。ちょっと待っててね」
 返事のない『ただいま』もそこそこに、はるかは家の中へ入って行き、薬箱を持ってトテトテと玄関に戻ってきた。
「いや、家の中でいいから……」
「あ、そうだったね、ごめんごめん」
 てへへ、と笑ってはるかは引き返していく。それが薬箱のあった方向だったものだから、
「だから、しまうんじゃないよ!」
「あー、そうだったそうだった」
無駄な二度手間が重なった。それでも、慣れた手つきで幼馴染の足首をテーピングする段になると、
そうじろうは途端に真剣な顔になった。
「捻挫は下手するとずっと痛むからな、かなたは笑ってた方がいい」
「そう君……」
 手早いテーピングが終ったのを見届けると、はるかはエプロンを取り出して着込んだ。
「それじゃ、ちょっと待っててね。おいしいご飯作るから」
 そしてダイニングに二人を招き入れて椅子に座らせると、腕をまくり、気合を一つ入れて台所へ入っていった。
「おう、楽しみにしてる」
「楽しみだね、そう君」
 そう言ってテキパキと……否、はるかは相当にノロノロと準備を始めた。まるで他人の家にいて、
どこに何があるのか良く分かっていないかのようにあっちこっちを歩き回って包丁、まな板、鍋などと取り出していた。
洗米をするのもぎこちなく、誤って洗剤を入れようとするのを慌てたかなたに止められる始末で、
炊飯器に至っては散々迷った挙句、「これだ!」と適当にボタンを押したが、明らかな間違いに気付くのはもう少し後のお話。
 そして、大根を輪切りのつもりで乱切りにしている最中、そうじろうがぼそっと言った言葉が、本格的な波乱の始まりだった。
「そういえば、お前の苗字って『樹本』だったんだな。忘れてた」
「あぁ、泉君それひどーい」
 後ろを振り向いた瞬間、打ち下ろした包丁は大根をすり抜けて、親指の爪に沿うように根元の皮膚を切り裂いた。
「う、うわぁっ!!」
 一瞬のことで思わずはるかは包丁を投げつけ、それは危うくそうじろうの耳たぶを突き抜けそうなギリギリの場所を、
どういう訳かまっすぐ飛んでいって、壁に突き刺さった。そして包丁は自重で柄からポロリと床へ落ちた。
ゴツ、という木の音に続いて、金属音が部屋に響く。
「そう君、大丈夫!?」
 そうじろうは直立不動で突っ立っていた。かなたに肩を軽く揺すられて、やっと恐怖世界から現実世界へ帰還した。
「い、今のは流石に死ぬかと思った……」
「そう君、大丈夫、どこも怪我してない!? あぁっ、はるちゃん、血出てる、大丈夫!? 救急車呼ぼうか?」
 かなたはすっかりパニックでさっぱり要領を得ない。逆に頭がまともになってきたそうじろうはかなたを宥めすかした。
「おい、かなた。俺は元気だ。はるかもちょっと指を切っただけだ。な、大丈夫だ」
 ボディビルダーのようにポーズを作って、そうじろうは自分が健全であることを全身で告げた。一方、はるかにも言う。
「いいか、はるか。料理が初めてならそう言えば良いだろ……かなた、ボケボケに見えて結構料理できるんだぞ?」
「そう君、ボケボケはちょっと私にシツレイじゃないかな?」
 ジト目で迫られるかなたに、「ああ、そうだな。かなたはそんなにボケてないよな」と曖昧な訂正をした。
一方で完全に放置され気味のはるかは、自分の指をペロペロと舐めながら、
「とりあえず、その包丁取ってくれないかな……いたっ」
料理の続きをしようとして、指を押さえた。少々舐め取っただけでは止血しないほど傷は深かったようだ。
 それを見かねたかなたも現実に復帰して、他人の家ながらに陣頭指揮を執り始めた。
「まずは消毒ね。そう君、はるちゃんをお願い。私は料理を作る、から……?」
 制服のまま台所に入ったかなただったが、非常に不思議な光景に溢れていた。何故か乱切りにされている大根。
まだ包装がかかったままの鶏肉。塩抜きされていない乾燥ワカメ。小ぶりの白菜、ジャガイモ、豆腐。
白菜にもジャガイモにも土がついたままで、豆腐は買ったままにボウルの中で水と遊んでいた。
「はるちゃん、何を作ろうとしてたの……?」
「えーっとね、肉じゃがと、豆腐の味噌汁」
 あっけからんとはるかは言うが、材料は微妙以上に合致していない。
「それじゃ、鶏肉と白菜はどう使うの?」
「え、肉じゃがの肉って鶏肉じゃないの? あとジャガイモの他に入ってるアレって白菜でしょ? あと大根」
「お前は普段どんな肉じゃがを食ってるんだ……豚肉だろう、肉じゃがは。それに一緒に入ってるのはタマネギだ」
 どうやら、食事に関する知識は『出された食事を受け取るだけ』のものだったらしい。
味噌汁に入れる具が昆布ではなくワカメだと分かったのがむしろ不思議なくらいだった。
「あれ、そういえば味噌汁のダシは?」
「え、ダシ? なにそれ?」
「……ダメだこりゃ」
 流行りの言葉でオチを括った後、そうじろうははるかを連れて居間に引っ込んだ。
暫くしてマキロンが沁みる悲鳴が聞こえてきたが、かなたは溜息を吐くばかりだった。
「さあ、何を作ろうかしら……豆腐の味噌汁はいいとしても、肉じゃがという訳には……ん?」
 何故か、ブルームがついているキュウリが乱切りで皿に乗っていた。これは一体何に使うのか最初は想像しかねたが、
「まさか、味噌汁に入れる気だったんじゃ……」
今考えれば十分ありえる話なのが、かなたをぞーっとさせた。ひょっとしてワカメをダシに使う気だったのだろうかと思うと、
断って家に帰っていたら次の日にはるかが欠席することも、簡単に思い浮かんだ。
 しばらく頭を捻っていたかなただったが、ふと思いついて手をパチンと叩き、早速作業に取り掛かった。
「これなら大丈夫だわ!」
 戸棚を探すと、ちゃんと調味料も道具も一式揃っていた。かなたは目の前の材料に挑戦の眼差しを向けた。
「さぁ、あなたたちを今から美味しく料理しますからね~」
 心なしか、材料たちが『助かった』と安堵しているように見えたのは、かなたの気のせいではなかったのかもしれない。
それは、既に切られた大根とキュウリも例外ではなかった。

 居間に、心地良く刻まれる包丁の軽いリズムが聞こえてくる。それが終ると、ガスコンロに火を点けるカチッという音がして、
何かを水の中に入れたのがはっきり聞こえた。
「何を作ってるんだろうな……」
「分からないけど、多分肉じゃがじゃないモノ」
「あはは、それは言えてるな」
「むぅ……泉君のバカ」
 本人としては事実を肯定したに過ぎない言葉で、はるかは拗ねてしまった。
親指に巻かれた包帯を解けないように弄りながら、そうじろうにプイと背中を向ける。
「おいしいご飯、作ろうと思ったのに……」
「わ、悪かったよ」
「ホントに悪いと思ってる?」
「あ、ああ」
 それじゃ許してあげる、と言ってはるかはそうじろうへと向き直った。なんということもない、いつもの学校生活、
そんな他愛ないおしゃべりをしているうちに、えも言えぬ匂いが家中に広がっていった。
「お、そろそろできるんじゃないか?」
「そうかもねー……」
 給食を食べてから相当の時間が経っているはずで、誰も彼も腹ペコのはずなのだが、はるかは曖昧に返事をした。
そして、さっきの話を忌避したのか、それとも土手の続きなのか、食べ物の代りに、突然話題を切り替えた。
「ねぇ、泉君。私と、かなたちゃん。結婚するなら、どっちがいい? いーい、絶対、どっちか。『どっちも』はなし。
『どっちとも結婚したくない』も、もちろんダメ」
「え……?」
 そうじろうの心臓が、バクンと動いた。そのままどんどん鼓動が強くなっていって、頭に血が昇っていく。
のぼせかかった頭を必死に深呼吸をして、この前習ったばかりの『素数』を数えて、何とか何とか落ち着きを取り戻そうとした。
「ねぇ、どっち?」
 ぐい、と顔を近づけて、はるかは詰問する。
「どっち!? 私? かなたちゃん?」
 どうしてこんなにも強い口調で言われるのか、まるで今のそうじろうには理解できなかったが、顔を背けて、ボソリと言った。
「か……かなた。かなた……かな、多分。いや、かなただ」
「どうして!?」
 尚も続く詰問に、そうじろうは辟易した。だが、ここではっきりさせておかないと、はるかが暫く口も利かない状態になるのを、
そうじろうは良く知っていた。だから、不自然に思われないくらいゆっくり、ゆっくりそろそろと答えた。
「そうだな……かなたの方が女の子っぽい、から……?」
 そうじろうは、未来の自分にぶん殴られそうな、最悪の回答をしてしまった。
「……」
 答えがない。はるかは何も返さない。恐る恐るそうじろうがはるかの方を向くと、目に涙をいっぱい溜めたはるかが、
突き刺すような鋭い視線をそうじろうに送っていた。
「は、はるか……?」
「確かめてみる?」
 そうじろうがはるかの言葉を全く飲み込めないでいる間に、傷のない左手でそうじろうの左手を取った。
そしてそのまま、自分の胸に当てる。
「ほら。ブラの上からじゃ分からないけど、ちゃんと私だって胸、あるんだよ?」
 そうじろうの手を掴んだまま、服の上から胸のラインを行ったり来たりさせる。突き刺すような視線は今や緩み、
潤んだ瞳でそうじろうを見つめる。肝心のそうじろうは、ゴクリと唾を飲み込んで、口を真一文字に結んでいた。
 そして、
「いい、泉君。もしかなたちゃん以外と結婚したりしたら、」
そうじろうの口へと、自らの唇を寄せていく。
「絶対許さないからね……」
 涙の混じったファーストキスは、そうじろうにとってもはるかにとっても、ちょっぴりしょっぱかった。

「ご飯出来たよー……あぁーっ!!」
 お互い紅色に染まった顔と視線をあっちこっちに向けていた二人は、突然の悲鳴に意識が覚めた。
「何よ、何よ、何なのよぉー!」
 こそばゆくてもじもじとした、しかし何時までも保持しておきたい空間をぶち破られて、はるかは喚きに喚き立てた。
「は、はるちゃん……これ……コンセント……?」
 居間へと入ってきたかなたは、蒼い顔をして炊飯器へと指を向けた。そこには、沈黙した炊飯器が横たわっていた。
普通湯気を立てているはずのそれは、温かさのアの字も見せてはいなかった。
「一体、どのボタンを押したの?」
「こ、これ……」
 はるかが指差したのは事もあろうに「保温」のボタンだった。炊く前に押しては意味がない。
蓋を開けると、何とも冷たそうな『米』が、水に浸かったままで食べられない硬さの方を保有していた。
「どうしようもないから、今から炊くしかないわね……」
 さっきとはまるで違う涙を両の目に浮かべながら、「炊飯」のボタンを改めて押した。
三人分の米飯。炊き上がるまで、まず以って40分はかかるだろう。
「……ど、どうしよう、そう君?」
 かなたはオドオドとそうじろうに聞く。もちろん、名案は出てこない。
「食べ物のことを考えなければ、お腹は減らないはずよね……」
 はるかは腕組みをして考え、そして単純な結論に辿り着いた。
「では、トランプやろう! ね、二人とも。そうしよう?」
「トランプ?」
 かなたが聞き返すと、はるかは大きく頷いた。
「そう、トランプ。待っててね、今取ってくるから」
 ダイニングから消えて暫く経つと、はるかはトランプを持ってきた。54枚の、ありふれたカードを、よく切り混ぜる。
「3人でババ抜きってのもねぇ……大富豪もそうだし……あ、7並べはどう? ルールは大丈夫?」
「大丈夫だよー。そう君も大丈夫だよね?」
「ああ、なんとかな」
 蓋の閉じた鍋と炊飯器を一先ず置いて、三人はトランプに興じることにした。
例え3人でも「8」や「6」を出さない限りは以降のカードは全て場に出ないため、中々の戦略性が求められる。
「パスは3回まで、出せるカードがある時は必ず出すこと」と高らかに宣言し、カードを配り始める。
「ところではるちゃん、ジョーカーは?」
「……あ」
 結局、全員に行き渡ってからジョーカーを取り除く形になった。ペナルティとして、52÷3の余り1ははるかが持つことになった。
「それじゃ、行くぜー!」
 3人でもこれが結構熱中し、4回ほど勝負が終ると、もうご飯は炊き上がっていてふっくら、それでいて全戦全敗のはるかも、
膨れっ面でムスッとカードの山を見続けていた。

「それじゃ、改めてご飯ね」
 食器係にはるかが任命され、来客用の茶碗やコップを取り出そうとする。が、それがどこか分からず結局全員で探した。
 食器が見つかると今度はかなたがやや固めのご飯を茶碗に盛る。はるかが水の分量を間違えた結果がこれで、
『ベチャベチャしてるよりずっと美味いから大丈夫だ』と、そうじろうは微妙にフォローし切れていないコメントをした。
 さて、かなたが腕によりをかけた今日のメニューは、大根が入った鶏の水炊きと、ジャガイモが新たに加わった味噌汁。
そして、どうにも御せないキュウリは軽く水洗いした後に味噌を添えて、漬物代りにした。
冷蔵庫の中に幸運にも残っていた長ネギを鍋に入れて、あのハチャメチャな肉じゃが計画からはかなりましな組成になった。
「おー、白菜をこう使うとは、流石だなかなたは」
「えへへ、そんなことないよ」
  テレながら味噌汁を椀に入れてそうじろうへ出す。並々と注がれていて気を付けないと零れてしまいそうだ。
「ちょっ、かなた、これは零れるって」
「わっ、わぁっ」
 何とかかんとか零れずに食卓には運べたが、今日何度目かの冷や汗に二人とも苦笑いした。
「さぁ、食べよ。いただきまーす」
「「いただきます」」
 丁寧に手を合わせたり、言うだけ言って箸を伸ばしたりと三者三様の『いただきます』の後、楽しい食事が始まった。
「今日の買い物の時ねー、どうしようか迷っちゃったのよ。味噌汁の具は何にしようかなーって。
 そしたら突然、人にぶつかっちゃって。謝って前を向いたら、キュウリが『私を買ってー』って私を見てたのよ」
「そりゃ病気だ、はるか。眼科に行くんだ」
「あー、泉君それはひどいんじゃない?」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて」
 はるかにとって、一人で寂しく、明らかに色々間違った夕食を摂るよりは、よっぽど素敵な時間だった。
そうじろうが男らしく振舞おうとして三回もお代りした後に自爆してエビオスのお世話になったり、
作ったはずの本人が少食で余り食べなかったりと、ややあって見事に全部空になったのは偶然の為せる技か。

「「ごちそうさまー」」
「はい、お粗末様」
 かなたが洗い、そうじろうが拭き、そしてはるかが片付ける。そんなローテーションで始まった食器洗いはしかし、
なぜかどうしてか、はるかはコップが並んでいる場所に茶碗を置いたり、箸入れにしゃもじを入れたりで、
またしても首になり、風呂の湯が溢れていないか監視する係に変更された。というよりか、自分で立候補して飛んで行った。
食器は、洗って拭き終ったものをあとでまとめて片付ける方針に変更した。
「なぁ、かなた」
「なに?」
 そうじろうは、さっきもう一人の幼馴染に問い詰められた質問を、ソフトに変えて聞いた。
「もし、将来結婚するなら、どんなタイプがいい?」
「どうしたの、急に?」
「いいから、どんな人だ?」
 焦り気味に聞いてきたそうじろうに対し、かなたは洗う手を止めて、顎に指を止める仕草をした。
「うーん、……そうだなぁ、私のことを『好きだー!!』って言って、毎日抱きしめてくれる人、かな」
 そう微笑んで、かなたはまた洗い物に戻った。ついでに、『そう君はどんな女の子が好み?』と聞くのも忘れない。
「俺は……だな、こう、背が低くて、髪が腰まであって、そう、あと、可愛いんだ」
「随分具体的なのね」
 全部の食器をテキパキと洗い終え、そうじろうが受け持つ籠へ次々と入れていったが、渡された手は遅々として進まない。
「もちろんだ、だって俺が好きなのは……」
 好きなのは……とあと2回ほど言って尻すぼみになり、意を決して深呼吸をした頃、はるかの大声が家中に響いた。
「はるかちゃーん、泉くーん、お風呂できたよー!!」
「うおあぁっ!!」
 出てきた声は、残念ながら絶叫だった。















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  • ラザニア・・・・・・・・・「宇宙船サジタリウス」ネタですね。 -- 名無しさん (2007-12-29 22:36:52)

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