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二等辺三角形(2)

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 街路樹の枝葉と夏の眩しい太陽が、道に塀に複雑な網目模様を描き出す。
 この季節特有の強いコントラストをさらに強調するように、蝉の合唱が遠くに近くに鳴り響く。
 小さなころから見慣れた風景。
 歩き慣れた、近所の並木道。
 しかし、私にとってはそうでも、初めての人には珍しく映るようで。
「なんかさ~……さっきから思ってたんだけど、でっかい家ばっかじゃねえ?」
 日下部先輩は、先ほどからしきりに周囲を見回している。
「岩崎さんちもさ、こんな感じ?」
「はい。みなみちゃんのお家、お金持ちなんです」
 かと思うと、ゆたかの言葉に反応して私のことを上から下までしげしげと眺め回したり。
「なるほどぉ……お嬢様ってヤツですかってうおっ?! ――っと、とと……へへ」
 余所見のしすぎで何かに躓いて転びかけたり。
「わ、大丈夫ですか?」
「あっはは。ごめんごめん」
 賑やかな人だ。
 私はもともと、申し訳ないのだけれど、こういったタイプの人は得意ではない。しかしこの
日下部先輩には、何故だか通常以上の苦手意識が働いている気がする。ゆたかが慕って
いる相手だし、普段お世話になっている先輩の友人でもあるのだから、そんなことではいけ
ないとは思うのだけど。
「あ、そだ」
 と、照れ笑いから何かに気付いた顔になった先輩が、ゆたかを振り返って言った。
「な、小早川。ヒザとか擦ってない?」
「はい?」
 ゆたかが首を傾げる。
 私も分からない。転びかけたのは先輩だし、しかも実際には転ばなかったのだし。一応
目を向けてみたが、ゆたかの足にも歩き方にも特に異常は見られない。
「ほら、さっきの。あたしは大丈夫だったんだけど、そっちはどーかなって」
「……ああ。いえ、大丈夫です」
「そっか。ならいーんだ」
 しかしゆたかは何かに思い当たったようだ。
 ……「さっきの」か。
「っと、それと、も一つ。ついでに思い出したんだけど、また忘れる前に言っとくよ」
「あ――はい……」
 答えながら、ゆたかはちらりと私を見上げた。
 『いいのかな?』――そう言っている。どうしようか――しかし逡巡しているうちに、先輩は
気にすることなく話し始めてしまう。
「協力してくれるって言っただろ? やっぱアレ、いいわ」
 また、ちらり、と見上げてくるゆたか。私は――とりあえず小さく頷いた。特に意味は込めて
いない。他に動くに動けないだけだ。
「いえ、その――えっと。やっぱり、生意気でしたか……?」
「ううん、そじゃなくて。自分で言うよ、あたしが。だからいい」
「はあ……」
 先輩は、少し上を向いた頭の後ろで手を組んで、口元は薄く微笑んでいて。だけど目だけは、
先ほどゆたかに紹介を受けたときに見せた、決意の色を湛えていた。
「やっぱさ、自分で言わねーとなって思うんだよ。あたしの問題なんだし」
「……わかりました。頑張ってください」
「ん。あんがと」
「いえ」

 ……終わった、かな。
 どうやら離れなくても大丈夫だったらしい。
 それにしても、話の内容は理解できなかったけど、意外としっかりとした考え方の持ち主の
ようだ。見直した。
 などと失礼なことを思っていると、
「……」
「……」
 目が合った。少し焦る。
 けれど先輩の方も焦っている様子なのは何故だろう。
「え、えっと……わかんなかった、よな?」
「……。……はい」
 今の、ゆたかとのやりとりの意味なら、確かに分からなかった。が、まさか――私のことは、
気にしていなかったのではなく、気が回っていなかっただけ、ということなのだろうか。
「そか。ならいいんだ。あ、訊くのはナシで……」
「……はい。わかってます」
「ごめんね、みなみちゃん」
「……気にしないで」
 気にはなるけど。またさっきみたいになられても困るから。
 ……あとで、ゆたかだけに訊いてみよう。

  ・
  ・
  ・

「あ、着きましたよセンパイ。ここです」
 間もなく私の家に到着した。
 ゆたかが弾んだ声で言いながら指差し、先輩がそちらに顔を向ける。
「おー…………はぁ~……」
 感動しているのか、呆れているのか。歓声とため息の中間みたいな声。隣でゆたかが苦笑いを
しているのにも気付いていない。
「……すげートコ住んでんだなぁ」
「……いえ、まぁ……」
 率直な感想を受け、曖昧に言葉を濁す。
 こういった反応をされるのは初めてではないけれど、どうしても上手に返せない。すごいのは
家だけで、あるいは私の両親で。その下に生まれたというだけの私では、否定するのも肯定
するのも間違っている気がするから。
 誤魔化すように、門扉に手をかける。
「えっ。は、入るの?」
 手が止まる。
 ……はい?
「どうかしたんですか、センパイ?」
「あっ、いや――ごめん、小早川。岩崎さんも。ちょっと、き、緊張……」
 確かに。背筋が伸びきってしまっている。
 さすがにここまでの反応は初めてだ。
「……開けて、いいですか?」
「う、うんっ。――あっ! でもいいのかなっ! あたし、こんなカッコだし……」
「……」
 ええっと……
 とりあえず、高級ホテルでも、パーティー会場でもないのですが……

「あ、あはは……確かにちょっと、緊張しちゃいますよね……」
 思わずゆたかに視線を向けると、苦笑いをしながらフォローを入れてくれた。
「でもほら、わたしも普段着ですし。ってゆーか大きいけど普通の、みなみちゃんの家ですから」
「や、でも、おまえのソレ、かわいいじゃん」
「そ、そんな……普通ですよ」
「でもあたしそんな服持ってねーし。どこで買うんだ?」
「えっと……どこって言われても……普通のお店ですけど」
 しかしそのまま二人で喋り始めてしまう。ゆたかが相手だと先輩も緊張しないでいられるようだ。
私はまだ、怖がられているのだろうか。そういえば、私だけ「さん」付けで呼ばれている。
「――あっ。ご、ごめんねみなみちゃん。つい……」
「うあっと! そうだ、ごめん」
 二人が、慌てた様子でこちらに向き直る。
 ……顔に出てしまっただろうか。
「……いえ、大丈夫ですから……開けていいですか?」
「う、うんっ」
 ぎこちない頷き。
 ごくり、と唾を飲み込む音。
 暑さのためではない汗を背中に感じた。
 ……いつのまにか私まで緊張してしまっている。必要以上に慎重な動きで門扉の留め金を外し、
心なしかいつもより固い手ごたえを感じながら押し開けた。
「……どうぞ」
「うん。――行きましょ、センパイ」
「お、おじゃまします」
 私とゆたかに続き、被っていた野球帽を脱ぎながら、先輩も門をくぐる。
 まだ、庭ですが……
「……うわ……ひろっ」
 第一声は、比較的予想内。しかし、
「おおっ、パラソルだ。すげー……うあっ! 芝生? ホンモノだー……いちにぃ、二階建てか……
あっ!? あれ――ってなんだっけ。バルコニー? すっげー、ジュリエットだ。初めて見た」
 そんなものにまで? と思うほどの、ありとあらゆる感嘆の声が次々と挙がる。まさに手当たり
次第といった感じ。……ジュリエット?
 ともかく、物心ついたころから見続けて、見慣れているものにこれだけ驚かれると、自分の方が
おかしいのではと思えてくる。
「すっごく喜んでるね、日下部センパイ」
 口に手を添えながら、ゆたか。
 先ほどまでの苦笑いが、普通の、楽しそうな笑顔に変わっている。
「うふふ、ジュリエットだって。やっぱり女の子だよね?」
「…………あぁ」
 『ロミオとジュリエット』か。なるほど。言われてみれば、真っ先に思い浮かぶのは、バルコニー
でジュリエットが苦悩するあのシーン。
「わたしは、『タイタニック』かな。どっちかって言うと」
 言って、ゆたかは軽くかかとを上げて爪先立ちになり、両腕を伸ばして目を閉じる。その姿勢
で船の舳先――この場合は、あのバルコニーか。そこに立つ彼女を、日下部先輩が後ろから
支える光景が脳裏をよぎった。
 ……どうして自分ではないのだろう。
「あれ?」
 と、元の姿勢に戻ったゆたかが何かに気付いた声を上げる。

 ――何を考えているんだ私は!

 失礼じゃないか。ゆたかにも、先輩にも。
 おかしい。今日の私はどこかおかしい。

「みなみちゃん、チェリーちゃんは?」
「ちぇりぃ?」
 いつの間にか先輩までそばに来ていた。焦りが加速する。
「え、えっと……」
「あ、犬です。みなみちゃんの。可愛いんですよ?」
「へーえ。犬まで飼ってんだ」
「は、はい。えっと……」
 濁した言葉で答えながら、逃げるように顔を巡らせる。しかし――そういえば、静かだ。チェリー
の鳴き声も、田村さんの声も聞こえない。私が出ている間に諦めた……もとい、仲良くなれたの
だろうか。
「……たぶん、裏の方……さっきも、いたから」
 意外と冷静な声を出せたことに、言ってから気が付いた。意識が一旦余所に向いたおかげか。
だけど、まだ少し、二人を見るのは恥ずかしい。だから目は合わさずに告げる。
「……上がりましょう」
 返事は待たなかった。
 ゆたかと、先輩も、今度は畏まることなくついてくる。代わりに声を潜めた話し声が届いた。
「……怒らせたかな? 騒いで」
「……それは、ないと思います」
 そう。怒ってはいない。
 ただ……
「……ただ、ちょっと照れて困ってるかもです」
「……うぅ、そっか。ごめん。気をつけるよ」
 ありがとう、ゆたか。
 でも、さっきの変な想像までは見抜いていないよね……?

 ドアを開け、玄関をくぐる。
 靴を脱ぎながら様子を窺い見てみると、先輩は敷居を跨ぐ直前で、脱いでいた帽子を被りなおし、
入りながらまた取っていた。
「お、おじゃまします」
「おじゃまします」
「……ただいま」
 ……礼儀正しく振舞おうとしている、のだろうか。悪い人ではないとは思うのだが、やはりよく分か
らない。
 そのあとも、大きな声を出すことはなかったけれど、
「はぁっ……涼し……
天井たけー……
やっぱ絵とかあるんだ……
うわっ、高そぅ……
え? なにコレ……?
へえー……はぁー……
――って玄関まで冷房してんの?」
 田村さんとパトリシアさんの待っている部屋に至るまで、ほとんど休むことなく続く囁き声と
ため息。並んで歩く二人を先導しているという形のせいもあって、実に落ち着かない。なるべく
意識しないよう心掛けつつ、目的のドアの前に立ち、ノックする。
「――ぁ、はいっスー」
 田村さんのものと思われる声。やはりチェリーへの挑戦は、結果はさておき終わったようだ。
ドアを開けると、彼女はゆっくりとソファーから起き上がるところだった。
 ……あれ、今……

「あ、岩崎さん、おかえりー」
「おかえりなさいデス。Oh、ユタカ、無事デシタか」
「こんにちは、田村さん、パティちゃん。ごめんね、遅くなっちゃって」
「……ただいま」
 とりあえず挨拶を交わす。
 しかしそれよりも、私は別のことに気を取られていた。
「ブジならモゥマンタイです。気にしないキニシナイ」
「そうだよー? ちょっと心配しちゃったから」
「ごめんね、ありがとう」
 今の田村さんの動きから考えると、起き上がる前、その頭は隣に座っているパトリシアさんの
膝の上に乗っていた計算になる。要するに膝枕。私の家に来てからずっと、長時間庭でチェリー
の相手をしていたから、体調を崩したのかも知れない。
 しかし、膝枕か。
 先日、皆で花火大会に行ったとき、人ごみに酔ったゆたかにしてあげたことを思い出す。
「……」
 ……ちょっと待って。
 どうして、浮かんだ映像の中で、ゆたかの頭を膝に乗せているのが、私ではなく――
「Hum? ドナタですカ?」
「え? あれ、日下部先輩じゃないっスか」

 !?
 私、いま――今度は、何を……!

「え? おー、あんた確かちびっ子の……って、え? ガイジンっ?」
「せ、センパイ……。――そっか、田村さんは知ってたんだ」
「うん。泉先輩から、ちょくちょくね。直接話したことは……あったかな?」
「Oh、コナタのお友だちデスか。――ドゥも、Patricia Martin デース♪」
「えっ!? ちょっ、まっ! あ、あたし英語は……」
「イヤイヤ、日本語っスよ先輩。てゆーか、だからどうしてここに?」
「あ、え、あ、えっと……」
「あはは……来る途中で会ってね。少しお話して……えっと、もう少しお話したかったから、来て
もらったの。あ、それと。かがみさんの、お友だちだよ?」
「お……おう、そうだぜ。あんなちびっ子と一緒にすんな」
「What? ドゥイゥことでショウ?」
「えっ、あ、だっ、だから――あ、あい、あむ……」
「……良いリアクションっスねぇ」
 会話が弾んでいる。
 妙に遠くに聞こえる。ほとんど頭に入らない。だめだ。しっかり――しっかりしないと――
「みなみちゃん? どうしたの?」
「っ!?」
 ゆたかが振り向いた。
 続いて全員の視線が向けられて、思わず一歩、後ずさる。
「岩崎さん?」
「ミナミ?」
 不審なものを見るような、視線、視線、視線。
「あ――……の、飲み物、入れてくるっ」
 ほとんど叫ぶように言い捨てて、私はそのまま廊下に飛び出した。

  ・
  ・
  ・

 揺れるガスコンロの炎と、熱に濁った鈍い銀色をぼんやりと眺めながら、曖昧な頭で考える。
 おかしい。
 今日の私は明らかにおかしい。どうして変な想像ばかりしてしまうのだろう。どうして、逃げ出し
たりしたのだろう。

 逃げた?

 そう、逃げた。
 こうしてお湯を沸かしているのも、たぶん少しでも時間を稼ぐため。冷蔵庫には先ほど田村さん
とパトリシアさんに出したグレープフルーツのジュースがあるし、お湯だって新たに沸かさなくても
電気ポットに入っている。
 なのにこうして、私は逃げている。
 みんなから。ゆたかから。日下部先輩から。

 日下部先輩。

 そう。
 正確には、彼女に会ってから、だ。おかしくなったのは。それまでは普通だったように思う。
 彼女のせいにはしたくない。
 悪い人ではないし、何よりゆたかが慕っている。彼女のことを悪く思えば、きっとゆたかは悲し
むだろう。それだけはしてはいけない。
 だけど――
「――あ、いたいた」
「!」
 不意の声に、弾かれるように振り返る。
 視線は、水平。
「せん、ぱい……」
「おう。やっぱ広いな、ここ。迷うかと思ったぜ」
 今まさに頭に浮かべていた人物、日下部先輩が立っていた。
 その顔に滲んだ、どこか気まずそうな微笑みに、何故だか心が冷えるのを感じた。
「……なんでしょう」
「あ、うん。コレ」
 そう言って先輩が差し出したのは、両手に持った二つのグラス。腕の動きにあわせて、溶け
残った氷がくるりと回る。
「メガネの一年とガイジンの。ついでにな。あ、手伝いに来たついでな? 五人分だし」
「……」
 自主的に来たのだろうか。それとも誰かに言われたのだろうか。
 言われたとすれば、それは誰にだろう。
「……いえ、大丈夫です」
 疑問を押し殺した、愛想のない返事。
 グラスを受け取り、シンク脇の食器洗浄器へと仕舞いながら、横目で調理台を流し見る。
トレイに乗せられた新しいグラスが五つ。ガムシロップ、ミルクとレモンリキッドも添えてある。
隣にはティーポットと砂時計。茶葉もすでに投入済み。
 ……ああ、ストローがまだだ。


「あー……紅茶? アイスティー」
 こくり、頷く。
 ヤカンが湯気を噴き始めた。火を止め、沸きたてのお湯をポットに注ぐ。
「そうなんだ……はは……」
「……」
 我ながら、思う。もう少し愛想よくできないのかと。相手は先輩だというのに。ただ年が上だと
いうだけではなく、良い人だと分かってもいるのに。現にこうして手伝いに来てくれたし、グラスも
持ってきてくれた。なのに、どうして。
「えっと……ごめんな? 騒がしくしちまって。やっぱ来ない方がよかったかな」
「いえ……」
 ヤカンをコンロに置きなおし、砂時計をひっくり返す。
 そして首を左右に。
「ゆたかは、喜んでいます」
「うん……や、でも、小早川はよくてもさ、やっぱ岩崎さんちだし」
「……」
「んー、まあ……そんじゃ、それ。紅茶。飲んだら帰るよ」
「……すみません」
 目を伏せて謝る。
 それはつまり、肯定だ。私は先輩を引き留めようとはしていない。
「……」
「……」
「……ははっ」
 笑い声がした。先輩の。
 愛想笑い、ではなかった。顔を上げる。
「なんか、そーゆうトコ、似てるよな」
「似てる……?」
「小早川と」
 ……なんだって?
 似てる? 私とゆたかが?
「よくわかんないトコで謝ったりとか。あと、笑ったりしたときの……フンイキ? 最初はちょっと
おっかないと思ったんだけどさ、笑うと、なんかすっげえ優しい感じになんだよな」
 羨ましいよ、と先輩は笑った。
 確かに、先輩の笑顔は「優しい」というより「元気な」感じだけど、それだって十分に魅力的だ。
それに、そもそも私がゆたかのように笑えるわけがない。
「じゃ、あたし戻るよ。なんかいても役に立たねっぽいし」
「え……」
 言うが早いか、先輩は逃げるように廊下の奥へと消えてしまった。さっき部屋を飛び出した私も、
あんなふうに見えたのだろうか。それを見て、皆はどう思ったのだろうか。
 私は、どう思っているのだろうか。
 先輩のことを、どう思えばいいのだろうか。
 ……分からない。
 気が付くと、砂時計が止まっていた。













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