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おさんぽ日和

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だれでも歓迎! 編集
「ん、んー……」
 朝日を受けて目を覚ました。枕元の時計を見ると、時刻は朝の十時。
 いつもに比べるとかなり遅い時間だけど、夜中の二時まで原稿をやっていたから、そこ
から数えれば八時間睡眠をとれたことになるわけで、十分に寝たということになるのかも。
まだまだ寝たりないけど、私も女子高生の身でいつまでも寝転がるわけにはいかないよね。
 とりあえず眼鏡をかけて起き――
「兄さん! 何やってんの!?」
 不法侵入者こと兄さんの手から、昨晩仕上げた原稿を取り上げた。
「妹の部屋に同意なしに入り込んでしかも原稿を勝手に読むなんて!」
「ノックはしたんだけど起きてなかったみたいだから。心配しなくていい、寝顔を眺める
ことと原稿を読む以外には何もしてないから」
「それでも十分問題だよ!」
 まったく、自作の漫画を身内に読まれるなんてこの上なく恥ずかしいことなのに……。
え? 寝顔を見られたことのほうがよっぽど恥ずかしいって? そんなことはないっス。
兄さん曰く『妹の寝顔を見られるのは兄の特権』らしく、もう慣れたっス。
「ひより、最近百合ものが増えたよな。オレとしちゃその方が嬉しいんだけど」
「うん、まあ……」
 それはいいモデルがいるからなんだけど……言っちゃまずいよね。
 ちなみに私たち兄妹は漫画や小説の蔵書をある程度共有してて、私が百合ものを読むよう
になったのは、兄さんが百合にハマっていったからだったりする。『マリみて』のような入門
編や、『トリコロ』や『苺ましまろ』みたいな萌え漫画、『百合姫』のような専門者向けの
漫画、『バニラ』のようなややマイナーなライトノベルまで取り揃えてある。
 一部の蔵書は共有してないんだけど、それは多分……私の描くものと同類のものが。
「……ってごまかしてもダメだよ!」
「オレも今起きたところだから、朝飯食おう。パンでいい?」
 うわ。またごまかした。
「それとさ、食ったら散歩行こ。今日はいい日和だからさ」
 兄さんは中指で眼鏡の位置を直した。時々やってる癖だ。
「いいよ。疲れてるし面倒だし」
「おまえ、高校生だろ……」
「いいよね、兄さんは気楽で」
「三月の大学生ほど暇な人種はいないからね」
 朝食のパンを食べながらごねたりしたけど、結局散歩に行くはめになった。

「陽光を遮る雲はなく、空は爽やかな青一色だった。通りを行く人々の装いはその彩を鮮やか
にしている。それは暖かくなったそよ風や小鳥の囀りと共にもうすぐ訪れる春の息吹を感じ
させるものであり……あー鬱陶しい!」
 私たちの見ている風景を言葉にするなら、兄さんが読み上げたような感じだったと思う。
「鬱陶しいと思うんならなんでそんなことやってたの?」
「よく小説とかで長ったらしい情景描写があるじゃん。文豪気取りで無意味に表現を詳細に
する奴がよくいるんだけどさ、実際やってみたら鬱陶しいだけだなって思ったんだよ。まあ、
主人公が感じている退屈さを読者に共有させるために冗長な文章を書くってのは一つの手法
ではあるんだけど、明らかにそうする必要のない場面で話の進行を止めてまで情景描写で
引き伸ばすのは作家の怠慢だと思うんだ」
「ふーん……」
 純文学を読まない私にはよくわからない。ぶっちゃけどうでもいいと思う。
 ただ、小説で散歩のシーンを書くとしたらやっぱり情景描写は必要なんだとも思う。散歩
の目的は、その景色を体で感じることなんだから。
 私が見ているものを言葉にするとしたら……以下略。
「でも、兄さんの言ってることってお兄ちゃんの仕事を全否定してない?」
 私には二人の兄がいて、上の兄をお兄ちゃん、下の兄を兄さんって呼んでる。お兄ちゃんは
物書きとして仕事をしているはずなんだけど……。
「お兄ちゃんがやってるのはゲームのシナリオライターだよ。純文学じゃない」
 お兄ちゃんは私が小さい頃、自分をお兄ちゃんと呼ぶように躾をしていた。そのせいで、
兄さんまで自分の兄をお兄ちゃんって呼ぶようになった。お兄ちゃんは弟にはお兄ちゃんって
呼ばれたくなかったみたいだけど、『お兄ちゃん』の呼び名を奪われたことの当てつけを
含めて、昔からの呼び名で通してる。説明すると随分ややこしい話だ。
 それはともかく、今はお兄ちゃんの話だった。
「今やってる仕事でそのへんのことで揉めてるみたいで、なんか愚痴ってた」
 お兄ちゃんがそんな苦労をしているなんて初耳だった。っていうか……。
「お兄ちゃんがそんな仕事をしているなんて初耳だったよ」
「いや、それは……ひよりには教えられない仕事だったんだよ」
 ……どんな種類のゲームなのかなんとなく察しがついたけど、これ以上追及しないほうが
いいのかな。
「今回は堂々と内容を言えるゲームだったから、気合入ってるみたいだった。今日も原画家
と打ち合わせかなんかあるらしいよ」
 携帯で、お兄ちゃんとのそんなメールを見せてくれた。
 ちなみに兄さんのメアドは『メガネっ娘全力LOVE』をローマ字にしたものらしい。
最初は『メガネっ娘』、次は『メガネっ娘LOVE』、次は『メガネっ娘激LOVE』に
しようとしたけど、どれも先に使われてたとか。世の中広いなぁ。
「まあ今までの仕事も好きでやってたんだけどね……むしろそっちの方が好きっていうか」
 それじゃあ、私の漫画がそっちの方に行っちゃうのは……血?
「だから、ひよりがそういうの描くのを否定はしない。だけど、ひより自身の年齢を考えて
もう少し内容をなんていうか……な?」
「うっ……」
 何て言いたいのか、わかる。分かり易すぎる。
 兄さんはお兄ちゃんに比べてルールに厳しいところがある。私の持っていたBL漫画が
見つかったとき、兄さんは私に説教をして危うく家族会議になりかけた。お兄ちゃんが
『年頃の女の子はこういうのに興味を持つものだから』って説得したおかげで事なきを得た
けど……。
 ……そういえば、兄さんの本棚に百合ものが現れたのはそれ以降のような気が……。
 気にしないことにしておこう。
「イベントの主催者によってはRやXに厳しいだろうから」
 ちなみにRは15禁、Xは18禁のこと。私の年齢だとXの方に引っかかる。
 私が昨晩描いたやつは……エロっスよ。それはもう、かなり濃厚な。
「だから、描くのは構わないけど見せる相手は選べよ」
 兄さん、勝手に読んだのは兄さんっスよ。
 ルールに厳しいっていうのはちょっと違うかもしれない。兄さんのスタンスは『悪いことを
するならしてるって自覚して行動しろよ』っていう感じだ。
 兄さんの言いたいことはわかる。これを出版するのは流石にまずい。っていうかこれって
私の友達をモデルにしたものだから、万が一本人の目に触れたら……。
「うん……」
 確かに、見せる相手は選ばないといけない。勢いだけでやっちゃいけないこともある。
 例えば、男性アイドルを題材にした801同人誌は本人に見せてはいけないという掟がある。
それを守ることでギリギリ成り立っている危ういジャンルだから。誰かがそれを破ったら、
同ジャンルの人たちに迷惑がかかることになる。
「まあ、分かればそれでいいんだよ、な?」
「うん」
 BL漫画の件以来、兄さんはキツイ言い方はしてこない。遠回しな表現を使って浅い角度
で本題に切り込んで、大事なことはいつも最後に言う。私が自分で理解するのを待ってくれ
てるんだよね。
「回避できるトラブルは回避しないとな。いつも言ってるけど、何かあったらオレたちに言えよ」
「大丈夫だよ。今んとこは」
 同人業界はトラブルの種があちこちに転がってるらしいっていう話。
 便利な通信手段の無かった時代から、その本に作者の住所や電話番号を記載するのが今も
習慣として残ってるけど、初めて自分の本を出した時にそれをやりそうになって、お兄ちゃん
たちに慌てて止められたことがあった。それがどんなに危険なことか、今はわかってる。
 かと言って連絡手段がないと、知らぬ間に他人を騙る人が現れるらしい。誰かが私の本を
持って、『私は田村ひよりです』と名乗って悪いことをするとか。嘘みたいな話だけど、昔から
そんな事件はよくあるって聞いた。
 サイトを持っている場合、同じように騙られるケースもある。悪質な場合だと、勝手にその
人のサイト上の作品を製本して売ってしまうとか。お兄ちゃんたちは、まだ私がサイトを持つ
ことを許してくれてない。
 お兄ちゃんたちもそれを心配してるみたいで、いつも口うるさく言ってる。幸い、私はまだ
そんなことには巻き込まれてないけど。一応の妥協として、メールアドレスだけを私の本に
記載してある。
「せっかくひよりは才能を持ってるんだから、つまらないトラブルで躓いちゃいけない」
「才能なんて、そんな……」
「練習して絵が上手くなる人もいるけど、練習しても上手くならない奴だっているんだ。
努力できるってだけで、一つの才能だよ」
 そういえば、兄さんの描いた絵って見たことがない。探せば黒歴史ノートがあるかもしれ
ないけど……今度探してみようかな。
「世の中には自分に才能がないからって才能のある人の足を引っ張るような連中がいるんだ」
 そんな人たちがいろいろトラブルを起こすわけで……。
「オレにはそういう奴らの考えは理解できない。オレにはお兄ちゃんのような文才もなければ
ひよりのような画才もない。オレはただ羨ましいって思うよ」
「…………」
 兄さんは手で顔を隠しながら、指で眼鏡の位置を直した。
「だから、オレはせめてひよりの助けになれれば……ってね」
「お兄ちゃんは?」
「いいよ、あれは」
 ぶっきらぼうに言い捨てた。なんだかんだで仲いいのに。
「そういやお兄ちゃんは仕事が大詰めのときはボロボロになってたよ。ひよりはあんなんに
なっちゃダメだぞ」
「それは……」
 無いとは言い切れないのが情けないところ。それもこれも、みんな締め切りが悪い。
 ……ごめんなさい、悪いのは私っス。ギリギリにならないと出来なくてごめんなさい。
「っていうかひよりもあんなんになりかけてた。あんまり無理するなよ」
「ごめんなさい……」
 いつも反省してるけどやめられないんだよね。できるなら私もやめたいんだけど。
「まあ、その、なんだ……そういうわけだから、たまには外に出ないとなって思ったんだよ。
ずっと篭ってると心が淀んでくるから。今日は散歩にはいい日和だろ?」
 ……そうだ、兄さんはこんな風に私のことを気にかけてくれてる。自分ではいろいろ言って
ても、世間的にはいいお兄さんなのかもしれない。
「それに、ひよりと出かける口実が欲しかったし」
 兄さん、小声で言ったみたいだけど聞こえてたよ?
 訂正。あんまりいいお兄さんじゃない。
「まあ、せっかく散歩に出たんだから景色を楽しむとして――」
 兄さんが辺りを見回して、私もそれに倣った。
「ひより、ここはどこだ?」
「……知らないよ」
 いつのまにか、見覚えのない商店街に来ていた。

「来た道を引き返せば帰れるんだろうけど、あえて別の道を行ってみるのはどう? どうせ
目的地なんかないんだし」
「いいのかなぁ……」
 来た道を覚えてないんだから、引き返せば帰れるっていう保証もないんだけど……。
回避できるトラブルは回避しろって、兄さんが言ったんじゃなかったっけ? ま、いっか。
 今まで目的のなかった散歩に『知ってる道を見つける』っていう目的が加わっただけで、
さして切迫した状況でもないから別にいいのかもしれない。『景色を楽しむ』ことはしなく
なったけど、『景色を観察する』ことに力が入るようになった。
 知らない道といっても、商店街の店舗のバリエーションがそれほど違うわけでもなくて、
総菜屋、揚げ物屋、八百屋、本屋、床屋、眼鏡屋と大した違いはないように思う。
 漫画家として、観察することは大事なんだけど、それを楽しめるかといえばそうでも
なくて……。
「ひより、ちょっと眼鏡洗ってもいいか?」
「うん、いいよ」
 兄さんは眼鏡屋の店先にある洗浄器で超音波にかけて、慣れた手つきで水を拭き取って
クリーナーをレンズに薄く塗った。その指で鼻当てや耳に当たる部分にもそれを塗る。
「こっちの方にも塗っとくと、劣化を防ぎやすくなるらしい」
「それなら、真ん中の部分も塗らないの? よく触ってるし」
「ブリッジは……そういえば、よく触ってるか」
 そこ、ブリッジって言うんだ。
 一通り塗った後は眼鏡拭きでさっと拭いて終わり。
「ひよりのも洗うぞ」
「あっ」
 いきなり眼鏡を外されて、洗浄器に入れられた。超音波をかけるのに、一分待たされる。
 その時間が暇なのはわかるけど、なんで私をまじまじと見てるんスか?
「眼鏡っ娘は眼鏡をかけていてこそ眼鏡っ娘であって、眼鏡を外すと可愛いっていうのは
邪道だって言うんだけど」
「そうなんだ……」
 誰が言ったんだろう。
「例外もいるんだよね」
「そうなんだ……」
 もうなんと言っていいやら。時々ついていけないことを言い出すのは、同じオタクの血が
流れてるからかもしれない。
「蝶番は緩んでないしクリングスは変な曲がり方してないし、大丈夫だね」
 いつの間にか拭き終わったみたいで、その眼鏡をかけてくれた。
 なんだかちょっと照れくさい。
「店員さんに言われたことあるんだけど、眼鏡は自分の眼と同じくらい大事にしろって」
 その眼鏡を通して見ると、さっきまでとは比べ物にならないほど、視界が綺麗になった。
見上げる青空も、通りを行き交う人たちも、全てが鮮明に見えている。
 今まで、自分の眼鏡がこんなに汚れてたことにも気付かなかったんだ……。
「世界は、なるべく綺麗に見えたほうがいいよ」
「うん……そうだよね」

 この商店街は、確かに『特徴が無い』の一言で纏められるかもしれない。
 でも、よくよく観察してみれば、そんなことはない。
 コロッケ屋の店の奥のテレビは、競馬番組が映っている。あのおじさんは仕事の合間を
縫ってレースの結果を待ちわびているのかもしれない。
 八百屋の店主とおばさんが立ち話をしてる。単なる世間話かもしれないし、値段の交渉を
してるのかもしれない。
 そこにいる人たちは、活き活きしてる。中にはそうでない人もいる。
 それに気付くかどうか、世界がどんな風に見えているかは、私次第なんだ。
 それは、なるべく綺麗に見えていたほうがいい。
 美容院から出てきた若い女性は、恋人とのデートを待ちわびているのかもしれない。
 さっきのコロッケ屋のおじさんが嬉しそうなのは、馬券が当たったからかな。
 本屋から、高校生っぽい女の子二人が出てきた。今日は暖かいのに手を繋いで歩いてる。
……うわ、すごく嬉しそうに見詰め合ってるよ。なんか、左の女の子が右の子の耳に口を
寄せて囁いてるよ。あれは愛の囁きってヤツっスか? 『好きだよ』『何言ってんの』みたい
な感じで百合百合な睦言を交し合ってるんスか? それとも左の子が持ってる本は『カーミラ』
みたいなエッチな雑誌で、これから初体験をするためにその本を……。
 二人きりの部屋、一緒にそれを読んで、文字通り手探りで互いの体を……
 自重しろ、自重しろ私ー!!
 いかん――こんな腐った目で世界を見てしまっては……。
「ひより、前から聞こうと思ってたんだけど……」
「へ?」
 兄さんは、いつになく真剣な顔つきだった。
「問題は沢山あると思う。父さんたちも許してくれないかもしれない」
 何を言ってるんだろう?
「オレも……正直、戸惑いはある。それでいいのかって」
 いいから、本題に入って欲しい。
「だけど、ひよりがそれで幸せになれるっていうんならオレは受け入れる。何があっても
オレはひよりの味方だから」
「はあ……ありがと」
「正直に言ってくれ。ひよりは女の子が好きなのか?」
「ちょ、ちょっと! 何言ってるの!?」
「もしオレが百合ものを読ませたのが原因っていうなら、オレにも責任あるから……好きな
子はいるのか? アメリカ人の留学生か? 部活の先輩か? 真剣に愛し合っているんなら
オレは全力で応援する。どうせオレはひよりとは結ばれないんだから」
「違うって! しかもどさくさに紛れて変なこと言わないで!」
「まだ告白してないっていうんなら、経過をオレに逐一報告して……」
「兄さん、変なこと考えてない?」
「オレは別にやましいことなんか――ん?」
 また急に辺りを見回したから、私もそれに倣うと、私たちの知ってる道だった。
「もしかして、いつもと通りが一本違っただけ?」
「……そうみたいだね」
 それで迷子って……。
「……あははっ」
 なんだか可笑しかった。笑いがこみ上げてくる。
「意外と身近に知らないところがあったんだな」
「そうだね」

 ……そんなことがあるから、たまには散歩に行くのもいいかもしれない。

「だからさ、オレもひよりのこと全部知ってるわけじゃないけど、それでも受け入れるから」
「だから違うって!」
 でも兄さんと行くのはやめておこう。どうせまたどっか連れて行かれるんだろうけど。
 今日はいい日和だ、とか言って。

-おわり-




















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