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溶けゆく先に紫煙は泣く

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 カチ、と時計の針が鳴り、壁に掛けられた時計が十二を示した。
 みゆきは嘆息を一つ零すと、机に置かれて充電器の刺された自身の携帯を寂しげに見つめた。
 サブディスプレイの表示は何も変わらず、デジタルの時計が淡々と時を刻んでいる。そこを見ても結果は明らかなのに、諦めきれずに折り畳み式の携帯を開くとそこにもやはり、何も変わらない待ち受け画面が表示されるだけだった。メールの画面を開いて新着メールを問い合わせてみても、"新着メールはありません"と苛立ちさえ覚えるメッセージが映るのみ。
 そうしてまた一つ、みゆきは嘆息した。
 親友にメールを送ってから数時間が経った。以前ならば、返信を返さないままに終わる友人ではなかった。少なくとも、日付が変わる前には返事のメールが来ていたのに、日付が変わった今でも返事は返って来ない。送ったメールが自分に帰ってくるよりは大分良い状況ではあるが、それでもみゆきは心配の念を頭から追い出す事が出来なかった。
 カチ、とまた一つ時計が時刻を刻む。
 残酷な時の流れは親友を遠ざけるばかりのように思えた。
 もう何時間待っているのだろうか。何時もならとうに眠りに就いている時間なのに、それでも待ち続ける理由は何処にあるのだろう。答えは最初から決まっているものの、何の変化も起こらない中では不毛な努力を続けているようにしか感じられなかった。
 先の見えない未来に向かって、徒労ばかりが募っていく。どうしてこんな事になったのだろう。幾ら考えても答えは見つからず、そしてそれを見つけられない自分に腹が立ってしまう。
 自分がもっと頼れる存在であったなら、親友は相談を持ち掛けてくれたかも知れない。自分にもっと力があったなら、こんな所で立ち往生をしていなかったかも知れない。そう思う度に色んな何かが欠落している事に気付く。どんなに広い知識を持っていようとも親友を助けてあげれていない。これまで培ってきた知識はみゆきの中で霞んでいた。
 カチ、と時は進み続ける。
 机の上に置かれた携帯は、静かに佇むばかりだった。




溶けゆく先に紫煙は泣く




「ゆきちゃん……」
 眼に見えて落ち込んだ表情をして自宅のインターフォンを鳴らしたのは良く知る友人だった。普段の朗らかな明るい笑顔は影を潜め、そこには暗澹とした雰囲気が漂っている。何処か静謐さを感じさせる天気の日だった。
「取り敢えず、中に入って下さい。話しが聞きたいです」
 その表情だけで此処に来た理由が良くないものだと感じ取ったみゆきは直ぐにその友人を家の中へと招き入れた。何時もなら、そこで満面の笑みを称えてくれる友人の表情はそこでも暗く、嫌な予感を彷彿とさせながらみゆきは友人をリビングに通した。そして、話の合間にでも、と言う理由で台所にお茶を淹れに行った。
 何も無く話すにはその内容はかなり重いものであると、直感的に感じ取ったのだ。
 お茶を入れている間も、みゆきは訪ねて来た友人の事を考えていた。彼女が暗くなる理由など一つしか思い当たらない。何故なら彼女は高校を卒業してから大きく変わり、人見知りの性格も前ほどではなくなって大学でも上手くやっていると聞いていたからだ。生活に何の不安もない以上、必然的に友人が暗くなる理由は思い当たった。
 ――それは、みゆき自身にも降り掛かっているものだったのだから。
「今日は、どうしたんですか? つかささん」
 お茶を二人分、テーブルに置いてからみゆきはまずそう問い掛けた。
 その瞬間につかさの表情が曇る。泣きだしたい衝動を必死に押し殺しているようにも見えるその様子を、みゆきは真剣な眼差しで見つめ続けた。急がなくても良いのだ。落ち着いて、あった事を話せば良い。人の悩みを聞く上で、みゆきはそれを心掛けていた。この友人は、とびきり強い精神を持っている訳ではないと理解していたからだ。
「……お姉ちゃんがね」
 暫くの間を置いてから、つかさはか細い声で呟いた。それはまるでみゆきに聞かせているようではなく、自分に対して語りかけるかのようで、みゆきは黙ってそれを聞いた。
 再び舞い戻る沈黙。時計が刻む音が、やけに耳に付いた。
「連絡……くれないの」
 絞り出すような声。けれどそれは確かにみゆきに届いた。
 つかさは今にも泣きそうな表情をしながらも続ける。元々華奢な体は更に弱々しく見えて、みゆきは言い知れない不安を覚えた。つかさが言葉を紡ぐ度、想いが伝わってくる。それは姉への愛情や、姉への信頼。しかしその全てが報われていない事を思わせるような、そんな想い。何かが揺らいでいた。
「メールしても、電話しても、返してくれないし出てくれない」
 そこまで言って、つかさは顔を手で覆った。そうして、自らの激情を必死に出すまいと、震える声でまた言葉を紡ぎ出す。それでもみゆきは毅然とした態度で耳を澄ました。
「……っ、私、どうすればいいのか分からなくて……!」
 最後に込められた感情が激しい濁流となってみゆきに流れ込むかのように全ての想いを伝わらせた。
 とうとう堪えられなくなった涙を零し、唇を震わせてつかさは泣いた。
 みゆきは眉を下げて、その瞳に優しげな光を称えると座っていた椅子から立ち上がり、ゆっくりとつかさの隣の椅子に腰かけた。そして、幼子に母親がそうするように、つかさを両腕で抱え込むようにして抱き寄せると何も言わずにその腕に力を込めた。背中に回される腕は本当の赤子のように頼りなく、抱き締めた小さな体躯は今にも崩れ落ちそうなくらいに脆く思える。そんなつかさを、みゆきはただ黙って包み込んだ。
 どれくらいの時間が経過したのだろうか。自分の胸の中ですすり泣くつかさは落ち着くのにまだ時間が掛かりそうだった。そんな時にみゆきの頭の中を過ったのは、前に企画した同窓会の事だった。
 高校を卒業して二年と半年の歳月が過ぎた時、各々の近況報告を兼ねた同窓会をみゆきは企画した。大学は楽しかったし、寂しいという訳ではなかったが、かつて親しい付き合いをしていた友人達に久し振りに会いたくなったのだ。その旨を数人に話した所、満場一致で同窓会を行う事になった。
 今思い返してみれば、そこから何かがずれ始めのかも知れない。親友の一人が欠けた同窓会が、仲間内の意識を変えてしまったのだ。それでも全員が気にしないように努めていたが、心の内では誰もが感じ取っていた変化だっただろう。常にみんなを纏めていた、彼女が居ない同窓会がもたらしたそれを。



 その時の同窓会に参加したのは五人だった。
 ゆかりが自宅を使う事を快く受け入れてくれた為、高良宅で行う事になった同窓会には五人しかいなかったのだ。全員が集まった時、誰もがその異変に気付いていて、最初は気まずい雰囲気が流れた。その中でも一層気まずそうにしていたのは唯一の欠席者であるかがみの妹のつかさだった。
 彼女はかがみに一番近しい者であったから、かがみを呼ぶ役目にあったのは必然的につかさだった。この場に来る事を当然だと信じて疑わなかったつかさが誘いを断られた時の様子は誰が見ても傷ついているように見えた。それまでは普通に接していたのに、いきなり姉が無愛想になってしまったのは自分の所為だと思い込んでいたからだ。
 だからこそ、その同窓会では欠席者を気にしないように楽しむとみんなが決めた。そうでなければ、楽しいはずの同窓会は通夜を行うかの如く暗いものに変貌してしまうと危惧したのだ。
 料理が得意な峰岸とこなたとつかさが作った豪華な料理を食卓に並べ、成人した事もあってその場には酒も同じようにして置かれていた。食を進め、酒を飲んで行く内に程よい酔いが全員に回った頃、話は弾み、前のような明るい五人がそこに並んでいた。話す話題には困る事はなかった。それこそ昔の出来事や今の状況など、それは無限にあるように思えた。
 例えば日下部がインターハイに出場した事や、峰岸の彼氏との経過、つかさが大学で起こしたドジ騒動にサークルで活躍しているこなたの事。そのどれもが楽しくて、その場からは笑い声が絶えなかった。
 しかし、その雰囲気を一人が打ち破ってしまったのだ。先刻までは楽しげな会話を交わして、時にはみんなをからかって。年に似合わない子供っぽさを発揮していたこなたが、唐突に黙りこくってしまった。
 酒が回っていた事もあり、眠くなったのかも知れないと、みゆきが今日は泊まっていって下さいと提案した時に、こなたは閉ざしていた唇をゆっくりと開いた。
 既にその時には、こなたが言おうとしている事を誰もが感じ取っていた。盛り上がっているこの場でも、決定的に欠けた何かがあるという違和感を見過ごす事など出来はしなかったのだ。
 例えば、鋭い指摘をこなたに飛ばす声だとか、つかさの大学生活に対して心配する発言であるとか、前にはあったはずのやり取りがそこからは欠けていた。つまるところ、かがみと言う人間の存在が欠けているという事はそれ程までに全員に違和感を与えていたのだ。明るい所に差す陰、それは空白の席に差し込み続けていたのだから。
「かがみ……何で来なかったんだろうね」
 その一言が空気中を伝わって各々に届いた時、先刻の盛り上がりがまるで偽りのものであったかのように場は静まり返った。重い沈黙が辺りを包み込む中で、最初に口を開いたのはこの出来事に対して罪悪感を感じているつかさだった。
「……分からない。ただ、行けないとしか言ってなかったから……」
 俯くつかさの肩に手を置いて、次いで峰岸が言葉を発する。
 彼女にはかがみに何があったかなど分かりはしなかったが、それでも責任を感じる必要のないつかさが不憫に思えた。
「忙しいんじゃないかな。柊ちゃん、頭の良い所に行ったから……」
「それでも、理由も話さずに断るなんて事、今までは無かったよ」
 峰岸の言葉を遮るようにしてこなたは反論する。それがこの場に相応しくないものだと、頭では分かっていても抑える事は出来なかった。それは、かがみが何も自分に相談を持ち掛けてくれない不甲斐なさだとかが関わっていたのかも知れない。そんな事はこの場に居合わせる全員が感じている事だったが。
「相談したくない内容だったんじゃねーの? ほら、色恋沙汰とかさ。柊はそう言うの話したがらないだろうし」
 日下部がそう言った時、こなたは血相を変えて反論した。
 如何なる理由があったとしても、同窓会に来られない旨が"行けない"だけでは日下部が言った事に信憑性は無いに等しいのだ。来られない理由に、脚色など幾らでも付けられるのだから。
「それでも、"行けない"だけなんて不自然過ぎるじゃん! 少し前までは普通に連絡取って、電話だってしてたのに、こんな時だけ行けないだけなんておかしいよ!」
 それが火種だった。こなたの激昂を引き金に、日下部までもが熱くなってしまい、収集の付かない論争が繰り広げられる事になってしまった。楽しい同窓会は一瞬の内にその色を変えたのだ。
「だからってお前は柊を疑うのかよ! 人間なんだから言えない事の一つや二つくらい誰にだってあるだろ!」
「そんなのない! かがみは困った事があったら相談するし、それが当たり前だった!」
「それはお前の我儘だろ! ……人は何時までも同じな訳じゃない」
「そんなの……! かがみはっ……!」
 こなたはそれを最後に俯いて黙ってしまった。
 呼吸を荒くし、必死に泣くのを堪える姿は痛々しい。そして日下部もそれは同じだった。友達なら相談する。だが、かがみはそうしなかった。それは他でもない自分達が役不足だからに他ならないと、彼女自身も考えていたからだ。
「みさちゃん、もういいから、ね?」
「こなたさんも……落ち着いて下さい」
 二人の口論が収まったのを見計らって、峰岸とみゆきがそれぞれを落ち着かせる為に声を掛ける。その様子をつかさは茫然と眺めているだけだった。心配していたのは自分だけではなかった。責任を感じているのも自分だけではなかった。全員同じ気持ちだったのだ。それは嬉しい事でもあり、またかがみの事が気に掛かってしまう事でもあった。
 そしてその場ではかがみに対する悶着は一応の落ち着きを見せる事になる。後日、かがみに連絡を取った所返事は普通だった事もあって、やはり何か言えない事があったのだろうという事になった。
 それでも胸に残る蟠りは消えずにその残ったままだったが。


「……あの時に気付くべきだったんです。かがみさんが何か思い詰めているかも知れない事に、私達は」
 約半年前、そこで気付くべきだったと、みゆきはそう言った。
 それは責任感が高い彼女だからこそだったのかも知れないが、みゆきは薄々と感じていたのだ。理由までは分からなくとも、親友の心境の変化を。思えば同窓会が終わって数日が経った時には既にかがみの様子がおかしかった。メールに対する返信は殆どの場合において一言だけの簡素なもの。そして、その返事すらも途絶えたのが、一週間前だ。
「今度こそ何か行動を起こしましょう。このままでは、いけないと思います」
 みゆきはつかさの背中を優しく摩りながらそう言った。薄々気付いていながらも何もしなかった自分。そして事態はとうとう深刻な所にまで来てしまった。眼に見えてはっきりとしている状況を知っていて、それを指を咥えて見ているだけなんて、もう出来そうになかった。今何かをしなければ、大切な親友が戻って来ない危機感さえ感じていたのだ。
「だから、つかささんも協力してくれませんか? かがみさんを想う気持ちがあるのなら、泣かないで問題に立ち向かいましょう。泣いているだけでは何も変わりませんから」
 力強い言葉だった。こと、つかさに関してはみゆきのその言葉は他の誰が発する言葉よりも力強い響きを持っているように思えた。せり上がってくる感情の波を抑えて、つかさは唇を噛む。直ぐに泣くのを止めるなんて事は出来そうになかったから、せめて返事くらいはみゆきと同じように強くと、顎に更に力を込めた。
「うん……ありがとう……ゆきちゃん」
「いいえ、お友達ですから」
 そうして二人はくすりと笑い合った。
 胸に同じ思いを秘めて。止まった時を動かそうと心に決めて。
 それがどんな結果をもたらすのかはまだ分からない。それでも二人はこの現状を変えようと奮闘する事を決めたのだ。同じ気持ちを共有する友人達と、共に尽力する為に。
 この後、つかさが落ち着いて帰宅した後、みゆきはかがみにメールを送る事になる。それは他の友人達と決めた内容であり、例えそれに対して返信が来なかろうと、する事は決めていた。
 止まって、同じ時を刻み続けていた時計の針はゆっくりとその身を動かし始める。カチ、と頼りなさげに響くその音は、何よりも力強い未来へ進む歩みの音だった。



 心が沈むような鈍色の空が私を出迎えた。
 午前九時、起きるには早すぎとも思えるこの時間に眼が覚めてしまったのは昨日の事で頭が上手く働かないからだろう。落ち着いたと思っていた思考回路は今でも混雑したままだったから、落ち着いて眠りに興じる事も出来なかった。
 朝、目覚めてベランダに出て見れば、薄暗い曇り空の下に霧が広がっていた。昨日はよく見えていた街の光景も霞んでいる。朝特融の粘り気を伴った口ではあったけれど、私は何時もの習慣で煙草に火を付けていた。自分の健康を損ねる事で、心に安らぎを得る事が出来るのならば決してこの代償は高くないと思えるのだ。それが刹那の間だけであっても。
 紫煙を喉に通すと、思った通りに寝起きの喉には厳しいものがあった。煙草独特の苦みがある味が舌に広がり、喉を痛めつける煙は思わず咳を私に出させる。それでも赤い火がフィルターに到達するまで私は煙草を吸うのを止めなかった。中途半端が嫌だったのだ。既に、とても中途半端な位置に居る癖に、そこから来る嫌悪感から逃げ出していた。
 どうしようもなく私は弱いままだった。
 昨日、みゆきからメールが来て、それを無視した事によって全てと決別したと思っていたのに。過去のしがらみから逃げる事が出来ずにこうして引き摺っている。所詮、逃げだす事も出来ず、立ち向かう事も出来ず、私はずるずると生きて行くのだろうと、根拠のない確信さえ感じていた。
 惰性的に日々を過ごし、黒白の世界に怯えながら時は過ぎて行くのだ。
 それはまるで、壊れて動かなくなった時計の針を無理やり自分で動かしているようなものだった。私は、自身が望まない未来へと歩を進めているのだから。そしてそれを受け入れているのだから。
 もう自分でどうにか出来るとは思えなかったのだ。何時か差し伸べられるかも知れない救いの手を、頭の中に描いては消す、その繰り返し。その手を受け取る資格など私には在りはしない。私はいずれ、大学を卒業して、誰にも知られず、誰にも干渉されず、誰にも救われず、たった一人で朽ちて行くのがお似合いだ。
 何時までも過去に縋ったまま、それだけを生きる糧にして惰性的に生命を保つだけ。それが私が描く私自身の未来像。これ以外の未来像など、想像する事もしたくなかった。
「……」
 気付いて見れば私はずっとベランダに佇んでいた。この季節でも朝はまだ少しだけ肌寒い。僅かに身を震わせて、私は家の中へと戻った。背後に広がる世界をなるべく眼に入れないように気を付けながら。少しでも現実から逃げ出そうと、惨めに背中を向けながら。弱くてもいい。それが私に出来る最大の生き方なのだから。
 ソファに沈み込んで、何も映っていないテレビに目を向ければそこには死んだ魚の目のような淀んだ光を称えた私が映っている。世界の色んな光景を映し出すテレビなど、もう随分前から見るのを止めている。理由は勿論、私の眼に映る光景がモノクロにしか映らないからだ。
 生ける屍のような私を見つめていると、何故こんな事になってしまっているのだろうか、と今更な事を考えてしまう。私の眼に映る光景がモノクロになってしまった理由とか、私の今の状況とか、そんな事が。
 その答えは簡単に見付ける事が出来る。そして、こうなった原因は全て私にあると、自責の念に押し潰されそうになるのだ。思い出せば数年前、意気揚揚とこの街に越して来たのがそれの始まりだったのかも知れない。
 大学に進学した私は、これから始まるだろう新しい生活に対して期待以外の感情を持ち合わせていなかった。まるで幼稚園生が小学生に上がる時のような、そんな感情でいっぱいだった。
 けれど、現実は違った。
 大学に行って分かった事と言えば、人間と人間の間にある関係の希薄さ。誰もが自分の事を考えて、他人の事などついで程度にしか思っていない。極論なのかも知れないけれど、少なくとも私が感じた印象はそれだった。
 高校生の頃は全てを曝け出せるような友達が周りに沢山居た。信頼して、信頼されて、そんな心地のいい関係が当たり前だった。思春期と言う若さ故の時期のお陰だったのかも知れないけれど、それでもあの関係に偽りなどは微塵も感じなかった。そんな居心地のいい環境に慣れ過ぎていたのだ。大学に入って、その事を痛感した。
 友達が居なかった訳ではない。むしろ、多い方だったと思う。その時は楽しかったのだ、大学生活が。
 けれど、それが一変するのは唐突だった。積み上げた積み木を崩すかの如く、それは容易いものだった。
 私の外見は悪くはなく、むしろ良い方だったのだろう、大学に入ってから私に話しかけて来る男性は少なくなかった。自意識過剰とかではなく、高校生に異性との関わりが少なかった私にとって、それは本当に多いもののように感じたのだ。
 ある日、一人の男が私に告白した。別に私はその人の事を特別意識していた訳ではなかったから、特に悩む事もせずにその告白を断った。それが、火種だったのだろう。
 その男の人は女性からの人気も高くて、テレビに出ているようなアイドルにも劣らない人だった。そんな人が私に好意を向けていた事は意外でもあり、嬉しくもあった。けれどそれは私だけで。周りからの人気が高かったのは、つまりそれだけその男性に好意を向けている人も多いのだ。それが私に告白して来たのが、周りから気に入られるはずがなかった。
 その日を境に仲良くしていた女友達が次々と私に皮肉を言い残して離れて行った。それまでは普通に遊びに行ったり、仲の良い付き合いをしていた友達が、蜘蛛の子を散らすように私の元から去って行った。
 ――良いね、外見が整った人は。
 ――何で断ったんだろうねー、自分にそんなに自信があるのかしら。
 ――遠まわしに私達を蔑んでるんでしょ?
 そんな言葉を吐かれた気がする。私に罪の意識は無かったから――言いがかりを付けられているとしか思えなかったのだ――私はそんな言葉に対して強気に振舞った。友人がそんな事を言われたショックはあったけれど、それでも理不尽な暴言に対して寛容な態度は取れなかった。
 そして、その末に訪れたのは孤独。
 周りには誰も居なかった。色々相談に乗ってくれていた友達ですら、居なくなった。
 些細な事で拗れて、消えた人間関係は友達と言えるものではなかったのだ、と私はその時に理解した。
 悲しかった。寂しかった。怖かった。そして何より腹立たしかった。
 誰にも相談出来ず、かつての親友達に話すのは余りにも惨めに思えて、私が逃げ込んだのは結局楽しかった高校時代の、眩しい記憶の中だった。思い出だけは色褪せる事無く残っていたから。あの頃は本当に毎日が楽しくて、居心地が良かった。心が荒んでしまった私には、それが何よりの特効薬だった。
 けれど、効果のある薬ほど副作用は付きものなのがこの世の道理だ。私は過去に囚われて、そこから抜け出す事が出来なくなった。楽しかった頃を思い出すだけで、充足した日々が戻ってきた気がした。そんな事は天地が引っ繰り返ったってありはしない事なのに、馬鹿な私はそんな簡単な事にさえ気付く事が出来なかった。
 それでも依存してしまっていたのだ。あの頃の記憶――その思い出に。色褪せた私の視界にそれは映らないけれど、心の中でそれは確かな彩りを持っていた。だからこそ、私は特効薬の強い依存性に当てられてしまった。現実から目を逸らして、過去ばかりを見ているようになってしまった。
 そして、今に至るのだ。
 何かを見ているようで、その実何も見ていない私。それが自分でも許せなくて、そして親友達を裏切ってしまった事実が私を苛める。顔を合わせる事が苦痛になるだろう事を、理解していた。
 だから、突き放してしまえば大丈夫と、そう思った。何か連絡が来てもそれに返事さえしなければ、向こうも諦めてくれるだろうと。それが私の望む結果であり、そして望まない結果でもあった。
「……なんなんだろう……私」
 誰かが傍に居てくれたのなら、この問いに答えてくれたのかも知れない。けれど、私の体重を受けて沈んでいるソファには私以外の姿は無くて、勿論部屋の何処にも私以外の人間は居なかった。
 どうしようもなく悲しくて。どうしようもなく寂しくて。どうしようもなく怖くて。どうしようもなく腹立たしくて。私は一人涙を流した。情けない嗚咽を部屋に響かせて、咽び泣いた。
 もう全てどうでも良くなった。もう全てに意味を感じられなくなった。あのベランダの柵を乗り越えて、身を投げてしまえば楽になれる、そう思うほどだった。けれど、そんな勇気は少しも出なくて。そんな自分が嫌で、一層泣き声を大きくした。もしかしたら隣の部屋に聞こえているかも知れない。でも、そんな事を気にする余裕は無かった。
 ――その時。
 私の泣き声だけが聞こえるはずの室内に、違う音が響き渡った。
 それは、誰かの来訪を私に告げる音。甲高い音が特徴の、私の家のインターフォンの音だった。
 二度、三度、と同じ音が室内に響き続ける。私が応対していないにも関わらず、何度も何度も。それは私に期待と不安を与える音だ。思い出が新しい形で具現化するかも知れないと、両極端に分かれながらもそれはある種の確信だった。何故なら、不安も期待も、同じものに属していたから。
 気付けば、曇ってはっきりしない視界で私が見ているのは自宅のドアだった。開けてはいけないと、そう分かっているのに私はドアノブに手を掛けている。覗き穴は見る事が出来なかった。見てしまえば、もう一生このドアに触れる事が出来ない気がしたのだ。
 心臓が五月蠅く脈を打っている。それに呼応するかのように、私の手はゆっくりと緩慢な動作でドアノブを捻り始めている。がちゃんと、扉が僅かに開く音がした。涙は止まらない。霞む視界で、そしてそこに見える光景に色が無くとも、私はドアを開く。ゆっくりと、ゆっくりと、自身を焦らすかのように。
 ドアが開き切った後、そこにあるのは私が見て来たモノクロの人では無くて。私の人生の中で誰よりも彩りを持っている人たちがそこには居て。その先に見える空さえも色を持っているような気がした。
「おはようございます。……かがみさん」
「お姉ちゃん、久し振り、だね」
「やっほー、かがみん! 何か変わったねー」
「柊ちゃん、大丈夫だった?」
「柊ー! 会いたかったぜー!」
 みんな、違う声。みんな、違う顔。あの時とは違うけれど、本質は何も変わらない。直ぐに理解するのだ、此処に居るみんなが、私の友人であると。
 声が出なかった。挨拶を返そうとしても喉から絞り出されるのは嗚咽ばかり。みんなの中に飛び込もうとしても、震える足には力は入らず、私はその場にへたれ込む。
 そんな私を気に掛けて、みんなは揃って心配の声を投げかけて、私の身体を支えてくれる。まるで昨日の事を思い出すかのように感じられる温もりが暖か過ぎて、今自分が居るこの世界が全て私の作りだした偶像のような気さえした。
 ――そうだ。
 私はみんなの手を受け取りながら、考える。
 昨日みゆきからメールが届いた時に、言葉ではっきりと拒絶しなかったのはこの温もりが忘れられなかったからだ。それどころか、アドレスだってそのままにしておいたのだ。はっきりと拒絶したなんて、どの口が言えるのだろう。
 私は拒絶など全然していなかった。
「ごめん……っ! 本当に……ごめん……!」
 やっとの思いで紡ぎ出せるのはこの言葉だけだった。挨拶よりも、久しぶりの再会を喜ぶ言葉よりも、何よりこの言葉を伝えたかった。私はみんなを裏切っていたのだ。みんなの好意を無下にしてしまっていたのだ。
 だからこそ、一番に伝えなければいけない言葉はこれだった。
 あれほど孤独を受け入れようとしていたのに、恋しかった温もりを目の当たりにしてみればそんな決意はことごとく崩れ去ってしまっていた。私は、この瞬間に新しい生き方を見出したのだと思う。みんなと再会して、こうして触れ合って。孤独なんて最初から私には無理だった。辛かったら甘えれば良かったのだ。変な意地を張らずに、素直になって。

 "あの頃のような生活に戻れますように――"

 昨夜、紫煙を纏う月に捧げた願いが頭の中を木霊する。決して叶わない願いではなかった。こうして、今この状態がそれを示している。自分が変われなくとも、信じていた仲間達は駆けつけてくれた。それだけであの願いが叶ったように思えた。
 でも、もしかしたら。
 そう、"もしかしたら"と私は思うのだ。
 私が抱え込んでいた負の感情が紫煙に溶けて消えて欲しいと、そう思った時に、確かにその願いは紫煙に溶けていて。そしてそれは消える事無く、私達との間に空いた空白を長い間彷徨って親友達の元へと辿り着いてくれたのかもしれないと。ロマンチストな性格になったものだと、心の中で微笑んで、私は空を見上げた。
 そこには、眼に掛かっていたフィルターを一気に取り払ったかのような世界が見えた。
 黒白の失せた青い空が、眩しい日差しを提供してくれ眩い陽光が、確かに在った。




――end.

















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  • あれ?なんか読んでたら目から汁が出てきたぞ? -- 名無しさん (2009-04-14 01:24:28)
  • ・゚・(つД`)・゚・ -- 名無しさん (2009-02-20 03:11:51)
  • ここから幸せが始まりますように -- yomirin (2009-02-19 13:47:32)
  • 高校から大学に進学するときの人間関係におけるギャップがうまくかけていて面白いと思います。
    -- 名無しさん (2008-03-23 00:42:46)

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