「…あら?」
午前零時を回ってから程無いころ、柊みきはふと目を覚まし、隣にいつも一緒に寝ているはずの柊ただおがいないことに気付いた。
こんな夜更けに、部屋を抜け出す特別の事情など、ないはずだった。
「一体、どうしたのかしら…?」
少々の不安に顔を曇らしながら、みきは自室を抜け出し、そして安堵した。
居間から、少々の明かりがもれていたのである。
みきが居間の扉を開けると、案の定、ただおがこちらに背を向けた格好で座っていた。みきはくすりと笑い、
「どうしたの?」
と、声をかけた。
その声にただおは、ゆっくりとこちらを振り向き、そして目を細めて、
「……みきか。いや、眠れなくてね」
といい、穏やかに笑った。どことなく、疲れているように感じ取れる笑いだった。
みきも釣られて笑い、
「私も同じ。お茶でも飲む?」
「…ああ、いただこうかな。悪いね」
「いえいえ」
みきは言うやいなや、台所へ移動し、湯を沸かし、湧くまでの間に湯飲みと茶葉を用意する。
程なくして、湯が沸き、手馴れた手つきでお茶を淹れると、みきは居間へと、二人分の湯飲みを持っていく。
「どうぞ」
「ありがとう」
みきから湯飲みを受け取ると、ただおは受け取ったお茶を一口すすった。
みきも、自分の分のお茶を一口すすり、しばし、二人分のお茶をすする音が部屋にこだまする。
二人とも、身体と心があったかくなるのを感じて、自然と顔もゆるんでくる。
暫くたってから、ただおが湯飲みをテーブルに置くと、みきが話の口火を切った。
「……やっぱり、明日のこと?」
言葉の終わりが省略されているが、眠れない原因を聞かれていると、ただおはすぐに分かった。
ただおは咳払いしてから、
「……まあ、多分、そうだろうと思うよ。何といっても、明日はかがみとつかさの晴れの舞台なんだ。親の私としても感慨深いよ。こないだ入学したと思ったのに…もう卒業なんだと思うとね」
ただおの言うとおり、明日は、かがみとつかさの卒業式が行われる予定となっていた。明日と言っても、既に十二時を回っているので、今日のことになる。
何となく、ただおの弱々しげな様子に、みきは艶笑すると、
「あらあら。いつになく弱気ね」
それに対し、ただおは肩をすくめ、
「何となく寂しくてね。つかさはともかく、かがみは東京に出て一人暮らしをしたいと、常々言っていたからね。
確かに、十八歳は未成年だけど、今は、十八歳をもって成年とすべきという意見もあるんだ。私は、二人とももう立派な大人なんじゃないかなと思っている。だからこそ……」
「寂しい?」
「うん。何か急に、親元を離れていくような気がしてね。あんなに手をかけたかがみたちが、子供じゃないんだなと思うと、ね……」
いのりやまつりが高校を卒業するときのただおは、こんなに弱々しげな様子を見せなかった。ただお自身は、それを、もう手をかける子供がいないせいだと思っていた。
これまでは、いのりやまつりが卒業しても、手のかかるかがみたちがいた。だから、寂しさをそれで紛らわすことが出来た。しかし、そのかがみたちも、もう高校を卒業する。
もはや、二人は手のかかる子供ではないのだ。これからは、親の力を借りずに、世間の荒い波を乗り越えなくてはならない。
ただおは、それが一番不安だったのだ。立派な大人だと認めている一方で、まだまだ未熟なところもあると、ただおは思っていた。矛盾するようだが、そう思っているのだから仕方ない。世間の荒い波を乗り越え、生きていけるかどうか、それが親として一番不安であった。
いのりやまつりがきちんと生活していることで、これが杞憂に過ぎないということを、ただおは分かっていた。しかし、そうは思っていても、やはり不安になってしまうのだった。
みきもどことなく寂しげな表情を見せながら、
「確かにそうね。でも、この三年間で、二人とも随分成長したわ。見かけでは、分からないけど……精神的に物凄く成長したわよ。この長いようで短い三年間、とても楽しかったでしょうね」
「だろうね。学校のことを話す二人は、とても楽しそうだったよ。毎日が楽しくて仕方がない……そんな顔だったな」
「そうだったわね。本当に……楽しそうだった。私たちもそうだったわよね?」
自らの高校時代のことを聞かれ、ただおは苦笑いしてから、
「あの時は、色々あったね。……私たちが、高校を卒業してからもう何年になる?」
ただおの質問に対し、みきは、少し考え込むと、
「そうね……三十年近くじゃない?」
「そうか。もう、そんなになるのか。……光陰矢のごとしとはよく言ったものだよ。私たちの三十年間も、かがみたちの三年間も、あっという間に過ぎてしまった」
「でも、充実した三十年間、三年間だったじゃない。私たちも子供たちも、これまで矢のごとし日々を生きてきて、そしてその間、とっても充実した日々だったじゃない。ならば、そんな後悔したような口ぶりはすべきじゃないと思うけど」
「はは……。みきには敵わないな。そう、いつでも……」
ただおは、何気なしに天井を見上げ、自らの青春時代を回想する。
ただおとみきは、小中高を共にした、いわば幼馴染みの関係である。しかも、家族ぐるみで、二人は仲が良かったのだった。
いつも一緒にいる仲のよい二人を、周囲の人々はお神酒徳利と密かに呼んだ。お神酒徳利とは、酒を入れて神前に供える一対の徳利で、一対であることから、いつも一緒にいる仲のよい二人を指すことがあった。
そんな二人であったが、若い頃の主導権は常に、みきが握っていた。昔のただおはどこか抜けたところがあり、しっかり者のみきがそれを正すことが多かったのだ。そんな関係は、およそ高校卒業まで続いた。
そして、高校生活の途上で、二人は恋に落ちた。その原因が何だったかは、今は二人とも覚えていないし、また思い出す必要も無かった。二人にとっては、恋に落ち、そして現在も良好な関係を保っているという事実さえあればそれで満足だった。
それはともかくとして、最初、二人は大いに悩んだ。これまで、恋愛関係などを超越した信頼関係を、二人は幼馴染みという環境の中で構築していた。それが、いつしか、急に恋愛感情というものへと変貌を遂げた。
おかしなことに、このとき、二人とも「相手を恋愛の対象と見ていいのかどうか」という同じことを悩んでいたらしい。しかし、ここでただおは、友人の後押しを受け、みきに告白する。みきも、それを受けた瞬間、悩みが吹っ切れて、喜んでそれを受諾したのだった。
こうして晴れて恋が成就した二人は、後々のことを考え、早々と両家の家族に報告する。つまりは、将来の結婚を前提とした付き合いであることを報告するのだった。これに、両家とも好意的な反応を示したが、みきの家族はそうした反応を示しながらも、条件を出したのである。
みきの家は、由緒正しき関東最古の大社を守る一家である。当然の事ながら、後年、宮司を任せるべき人物が必要であった。そして、みきの家族は封建的な家であり、宮司には男子をもってあてるしかないと考えていた。しかし、みきに兄弟はいなかったのだ。
そこで、みきの家族は、結婚の条件として、ただおが神職の資格を取得し、鷹宮神社の宮司としてふさわしき人物になる、というのを出してきたのである。ただおは、新たな悩み事に頭を痛めた。神社の仕事など務まるだろうか、と。
しかし、最終的に、ただおは、その条件を呑むことに決めた。決めた要因は色々あるが、やはりといっていいのか、みきの力が大きかった。みきの精力的な後押しによって、ただおは神職になる決意を固めたのである。
そうして、ただおは、神職過程のある大学を卒業し、資格を取得すると、みきの父親の下で修行を積み、遂に一人前と認められたのである。
このとき、ただお、みきは二十四歳。こうして、晴れて二人は結婚を認められ、そして結婚したのだった。
「あの頃の私たちは、若かったな。今の子供たちのように、活き活きとしていた」
しみじみとした喋りに、思わずみきは吹き出してしまう。
「ふふっ……。何だか、年寄りみたいよ?」
「……そうかな。私も年なのかもしれない。いつ死んでもおかしくないよ」
「あら、そんなこといわないでよ。あなたに先立たれるなんて縁起でもないわ」
「……いや、すまない。縁起でもなかったな。だが……」
と、ただおは、そこで言葉を切る。何やら、思わせぶりだった。
「だが……? 続きは何?」
「……いや、私が死ぬなんて縁起でもない、と、君は言ってくれた。だから、妻に大切にされている私は幸せ者だと思ってね。……それとも、私の愚かな勘違いかな?」
その言葉に、みきは、思わず赤面する。愛する夫に自分も愛されているという事実に、心の底で密かに喜んだのだ。何か、熱いものが胸にこみ上げてくるようだった。
そして、心の底で、ただおの妻でよかったと再認識するのだった。
「ありがとう」
「……ん?」
「あなたの勘違いなんかじゃないわ。私は、あなたの事を愛しているし、あなたは私の事を愛してくれている。私たちって、本当に幸せ者だわ。子供たちはすくすく育って、一人前の大人になろうとしている。これ以上の幸せが、果たしてあるかしら?」
「さあ、私には分からない。だが、私たちの愛が昔から続いているということは、確認できたよ」
「ふふ。あなたったら……」
全く、ただおの言うとおりだった。二人は、倦怠期などを知らない、模範的な中年夫婦だった。それは、子宝にも恵まれたことが証明してくれるだろう。
今でこそ、落ち着いた雰囲気の二人だが、昔はやはり若く、一日に何回も情を交わしたものだった。特に、いつもは穏やかなただおが唯一、強気になる瞬間であり、みきはそのギャップも楽しんでいた。二人の緊密な関係は、お神酒徳利の名にふさわしいものだった。
ただおは、そのことをも回想する。みきの身体は若く、実に魅力的だった。そしてそれを独り占めしているという、支配的な喜びと相まって、二人の性生活は激しいもので、点火した男の欲望に対し、みきは全面的な協力をもって応対していたのだ。
最後に情を交わしたのはいつであろうか、とただおは考える。今でも枕を並べて寝てはいるが、その回数は激減していた。
しかし、精神的なつながりは、ちっとも希薄ではなかった。恐らく、互いを求め合わなくとも、二人の心は通じ合っており、それで満足しているからだろうと、ただおは考えていた。
「……ねえ」
みきは、あたりをはばかるような小声で、言った。実際は、はばかる必要は無いほど、あたりは静穏であったが。
「ん?」
「何か、いやらしいことを考えていたでしょう。あなたがいやらしいことを考えているときは、いつもその目をしているわ」
それを聞き、ただおは慌てて顔をそらす。その動きのおかしさに、みきはまた吹き出した。
「……やっぱり、みきには敵わないよ。本当に、素晴らしいよ。私なんかの妻で、実に勿体無い」
「何を言うのよ。あなたこそ、私なんかの夫で実に勿体無いと思うわ。もっと、自分を高く評価したほうがいいわよ?」
「はは……。そういうところが敵わないんだよ……」
そして、二人は双方のおかしさに、笑いあった。
その後も、二人の会話はずっと続いた。時が過ぎるのを忘れた二人は、子供の高校卒業直前という時期とも相まって、話題が尽きることは無かった。
「……今は何時かな?」
長い時間が経ってから、ただおは、ちらりと壁の時計を見やった。時刻は、既に午前一時半に近かった。
「……私はそろそろ寝ようと思うんだが、ちっとも眠気が無い。みきはどうだ?」
「私も全然ないのよ。目が冴えちゃって……困っちゃうわね」
「ならば、私に名案があるんだ」
「眠気が出る方法の?」
「その通り。ただ、この方法を実行するに当たっては、細心の注意を払う必要があるんだよ。まず聞くが、今は疲れていないか?」
「いいえ、疲れていないわよ」
このとき、みきはまだ質問の意図が良く分からなかった。
「もう一問質問しよう。今から、少し騒いでも子供たちは起きないかな?」
ここまできて、みきは、ただおの言わんとすることがようやく分かった。
こんな機会は、今では、非常に稀である。そして、ただおがそれを望むなら、こちらも誠意ある対応をしなければならない、とみきは思った。
みきは艶やかに笑い、
「勿論よ」
といった。夫を魅了するような笑いだった。
そして、みきは、内心、これを喜んでいた。それを見抜いたただおは、やはり、若干、欲求不満であったのかもしれない、と、思った。勝手な推測だから、真実は問わないことにしたが。
ただおは、しばしみきの顔に見とれてから、頭を振ると、
「では、行こうか」
言いながら立ち上がり、みきを寝室にいざなった。
みきも立ち上がって、
「ええ。……何ヶ月かあとに、兄弟が出来るといったら、子供たちは喜ぶかしら?」
「さあ、どうだろう。そもそも、出来るかどうかさえわからないけどね」
ただおはそう言って、柔和な笑顔を返した。みきも笑顔を返す。二人の心が、間違いなく通じ合っているということは、誰が見ても明らかであろう。
その後、二人の姿は、寝室へと消え、その夜、寝室の電気が消されることはなく、その夜のお神酒徳利は、まるで自らに入れられた酒に酔うように、乱れていたという。
午前零時を回ってから程無いころ、柊みきはふと目を覚まし、隣にいつも一緒に寝ているはずの柊ただおがいないことに気付いた。
こんな夜更けに、部屋を抜け出す特別の事情など、ないはずだった。
「一体、どうしたのかしら…?」
少々の不安に顔を曇らしながら、みきは自室を抜け出し、そして安堵した。
居間から、少々の明かりがもれていたのである。
みきが居間の扉を開けると、案の定、ただおがこちらに背を向けた格好で座っていた。みきはくすりと笑い、
「どうしたの?」
と、声をかけた。
その声にただおは、ゆっくりとこちらを振り向き、そして目を細めて、
「……みきか。いや、眠れなくてね」
といい、穏やかに笑った。どことなく、疲れているように感じ取れる笑いだった。
みきも釣られて笑い、
「私も同じ。お茶でも飲む?」
「…ああ、いただこうかな。悪いね」
「いえいえ」
みきは言うやいなや、台所へ移動し、湯を沸かし、湧くまでの間に湯飲みと茶葉を用意する。
程なくして、湯が沸き、手馴れた手つきでお茶を淹れると、みきは居間へと、二人分の湯飲みを持っていく。
「どうぞ」
「ありがとう」
みきから湯飲みを受け取ると、ただおは受け取ったお茶を一口すすった。
みきも、自分の分のお茶を一口すすり、しばし、二人分のお茶をすする音が部屋にこだまする。
二人とも、身体と心があったかくなるのを感じて、自然と顔もゆるんでくる。
暫くたってから、ただおが湯飲みをテーブルに置くと、みきが話の口火を切った。
「……やっぱり、明日のこと?」
言葉の終わりが省略されているが、眠れない原因を聞かれていると、ただおはすぐに分かった。
ただおは咳払いしてから、
「……まあ、多分、そうだろうと思うよ。何といっても、明日はかがみとつかさの晴れの舞台なんだ。親の私としても感慨深いよ。こないだ入学したと思ったのに…もう卒業なんだと思うとね」
ただおの言うとおり、明日は、かがみとつかさの卒業式が行われる予定となっていた。明日と言っても、既に十二時を回っているので、今日のことになる。
何となく、ただおの弱々しげな様子に、みきは艶笑すると、
「あらあら。いつになく弱気ね」
それに対し、ただおは肩をすくめ、
「何となく寂しくてね。つかさはともかく、かがみは東京に出て一人暮らしをしたいと、常々言っていたからね。
確かに、十八歳は未成年だけど、今は、十八歳をもって成年とすべきという意見もあるんだ。私は、二人とももう立派な大人なんじゃないかなと思っている。だからこそ……」
「寂しい?」
「うん。何か急に、親元を離れていくような気がしてね。あんなに手をかけたかがみたちが、子供じゃないんだなと思うと、ね……」
いのりやまつりが高校を卒業するときのただおは、こんなに弱々しげな様子を見せなかった。ただお自身は、それを、もう手をかける子供がいないせいだと思っていた。
これまでは、いのりやまつりが卒業しても、手のかかるかがみたちがいた。だから、寂しさをそれで紛らわすことが出来た。しかし、そのかがみたちも、もう高校を卒業する。
もはや、二人は手のかかる子供ではないのだ。これからは、親の力を借りずに、世間の荒い波を乗り越えなくてはならない。
ただおは、それが一番不安だったのだ。立派な大人だと認めている一方で、まだまだ未熟なところもあると、ただおは思っていた。矛盾するようだが、そう思っているのだから仕方ない。世間の荒い波を乗り越え、生きていけるかどうか、それが親として一番不安であった。
いのりやまつりがきちんと生活していることで、これが杞憂に過ぎないということを、ただおは分かっていた。しかし、そうは思っていても、やはり不安になってしまうのだった。
みきもどことなく寂しげな表情を見せながら、
「確かにそうね。でも、この三年間で、二人とも随分成長したわ。見かけでは、分からないけど……精神的に物凄く成長したわよ。この長いようで短い三年間、とても楽しかったでしょうね」
「だろうね。学校のことを話す二人は、とても楽しそうだったよ。毎日が楽しくて仕方がない……そんな顔だったな」
「そうだったわね。本当に……楽しそうだった。私たちもそうだったわよね?」
自らの高校時代のことを聞かれ、ただおは苦笑いしてから、
「あの時は、色々あったね。……私たちが、高校を卒業してからもう何年になる?」
ただおの質問に対し、みきは、少し考え込むと、
「そうね……三十年近くじゃない?」
「そうか。もう、そんなになるのか。……光陰矢のごとしとはよく言ったものだよ。私たちの三十年間も、かがみたちの三年間も、あっという間に過ぎてしまった」
「でも、充実した三十年間、三年間だったじゃない。私たちも子供たちも、これまで矢のごとし日々を生きてきて、そしてその間、とっても充実した日々だったじゃない。ならば、そんな後悔したような口ぶりはすべきじゃないと思うけど」
「はは……。みきには敵わないな。そう、いつでも……」
ただおは、何気なしに天井を見上げ、自らの青春時代を回想する。
ただおとみきは、小中高を共にした、いわば幼馴染みの関係である。しかも、家族ぐるみで、二人は仲が良かったのだった。
いつも一緒にいる仲のよい二人を、周囲の人々はお神酒徳利と密かに呼んだ。お神酒徳利とは、酒を入れて神前に供える一対の徳利で、一対であることから、いつも一緒にいる仲のよい二人を指すことがあった。
そんな二人であったが、若い頃の主導権は常に、みきが握っていた。昔のただおはどこか抜けたところがあり、しっかり者のみきがそれを正すことが多かったのだ。そんな関係は、およそ高校卒業まで続いた。
そして、高校生活の途上で、二人は恋に落ちた。その原因が何だったかは、今は二人とも覚えていないし、また思い出す必要も無かった。二人にとっては、恋に落ち、そして現在も良好な関係を保っているという事実さえあればそれで満足だった。
それはともかくとして、最初、二人は大いに悩んだ。これまで、恋愛関係などを超越した信頼関係を、二人は幼馴染みという環境の中で構築していた。それが、いつしか、急に恋愛感情というものへと変貌を遂げた。
おかしなことに、このとき、二人とも「相手を恋愛の対象と見ていいのかどうか」という同じことを悩んでいたらしい。しかし、ここでただおは、友人の後押しを受け、みきに告白する。みきも、それを受けた瞬間、悩みが吹っ切れて、喜んでそれを受諾したのだった。
こうして晴れて恋が成就した二人は、後々のことを考え、早々と両家の家族に報告する。つまりは、将来の結婚を前提とした付き合いであることを報告するのだった。これに、両家とも好意的な反応を示したが、みきの家族はそうした反応を示しながらも、条件を出したのである。
みきの家は、由緒正しき関東最古の大社を守る一家である。当然の事ながら、後年、宮司を任せるべき人物が必要であった。そして、みきの家族は封建的な家であり、宮司には男子をもってあてるしかないと考えていた。しかし、みきに兄弟はいなかったのだ。
そこで、みきの家族は、結婚の条件として、ただおが神職の資格を取得し、鷹宮神社の宮司としてふさわしき人物になる、というのを出してきたのである。ただおは、新たな悩み事に頭を痛めた。神社の仕事など務まるだろうか、と。
しかし、最終的に、ただおは、その条件を呑むことに決めた。決めた要因は色々あるが、やはりといっていいのか、みきの力が大きかった。みきの精力的な後押しによって、ただおは神職になる決意を固めたのである。
そうして、ただおは、神職過程のある大学を卒業し、資格を取得すると、みきの父親の下で修行を積み、遂に一人前と認められたのである。
このとき、ただお、みきは二十四歳。こうして、晴れて二人は結婚を認められ、そして結婚したのだった。
「あの頃の私たちは、若かったな。今の子供たちのように、活き活きとしていた」
しみじみとした喋りに、思わずみきは吹き出してしまう。
「ふふっ……。何だか、年寄りみたいよ?」
「……そうかな。私も年なのかもしれない。いつ死んでもおかしくないよ」
「あら、そんなこといわないでよ。あなたに先立たれるなんて縁起でもないわ」
「……いや、すまない。縁起でもなかったな。だが……」
と、ただおは、そこで言葉を切る。何やら、思わせぶりだった。
「だが……? 続きは何?」
「……いや、私が死ぬなんて縁起でもない、と、君は言ってくれた。だから、妻に大切にされている私は幸せ者だと思ってね。……それとも、私の愚かな勘違いかな?」
その言葉に、みきは、思わず赤面する。愛する夫に自分も愛されているという事実に、心の底で密かに喜んだのだ。何か、熱いものが胸にこみ上げてくるようだった。
そして、心の底で、ただおの妻でよかったと再認識するのだった。
「ありがとう」
「……ん?」
「あなたの勘違いなんかじゃないわ。私は、あなたの事を愛しているし、あなたは私の事を愛してくれている。私たちって、本当に幸せ者だわ。子供たちはすくすく育って、一人前の大人になろうとしている。これ以上の幸せが、果たしてあるかしら?」
「さあ、私には分からない。だが、私たちの愛が昔から続いているということは、確認できたよ」
「ふふ。あなたったら……」
全く、ただおの言うとおりだった。二人は、倦怠期などを知らない、模範的な中年夫婦だった。それは、子宝にも恵まれたことが証明してくれるだろう。
今でこそ、落ち着いた雰囲気の二人だが、昔はやはり若く、一日に何回も情を交わしたものだった。特に、いつもは穏やかなただおが唯一、強気になる瞬間であり、みきはそのギャップも楽しんでいた。二人の緊密な関係は、お神酒徳利の名にふさわしいものだった。
ただおは、そのことをも回想する。みきの身体は若く、実に魅力的だった。そしてそれを独り占めしているという、支配的な喜びと相まって、二人の性生活は激しいもので、点火した男の欲望に対し、みきは全面的な協力をもって応対していたのだ。
最後に情を交わしたのはいつであろうか、とただおは考える。今でも枕を並べて寝てはいるが、その回数は激減していた。
しかし、精神的なつながりは、ちっとも希薄ではなかった。恐らく、互いを求め合わなくとも、二人の心は通じ合っており、それで満足しているからだろうと、ただおは考えていた。
「……ねえ」
みきは、あたりをはばかるような小声で、言った。実際は、はばかる必要は無いほど、あたりは静穏であったが。
「ん?」
「何か、いやらしいことを考えていたでしょう。あなたがいやらしいことを考えているときは、いつもその目をしているわ」
それを聞き、ただおは慌てて顔をそらす。その動きのおかしさに、みきはまた吹き出した。
「……やっぱり、みきには敵わないよ。本当に、素晴らしいよ。私なんかの妻で、実に勿体無い」
「何を言うのよ。あなたこそ、私なんかの夫で実に勿体無いと思うわ。もっと、自分を高く評価したほうがいいわよ?」
「はは……。そういうところが敵わないんだよ……」
そして、二人は双方のおかしさに、笑いあった。
その後も、二人の会話はずっと続いた。時が過ぎるのを忘れた二人は、子供の高校卒業直前という時期とも相まって、話題が尽きることは無かった。
「……今は何時かな?」
長い時間が経ってから、ただおは、ちらりと壁の時計を見やった。時刻は、既に午前一時半に近かった。
「……私はそろそろ寝ようと思うんだが、ちっとも眠気が無い。みきはどうだ?」
「私も全然ないのよ。目が冴えちゃって……困っちゃうわね」
「ならば、私に名案があるんだ」
「眠気が出る方法の?」
「その通り。ただ、この方法を実行するに当たっては、細心の注意を払う必要があるんだよ。まず聞くが、今は疲れていないか?」
「いいえ、疲れていないわよ」
このとき、みきはまだ質問の意図が良く分からなかった。
「もう一問質問しよう。今から、少し騒いでも子供たちは起きないかな?」
ここまできて、みきは、ただおの言わんとすることがようやく分かった。
こんな機会は、今では、非常に稀である。そして、ただおがそれを望むなら、こちらも誠意ある対応をしなければならない、とみきは思った。
みきは艶やかに笑い、
「勿論よ」
といった。夫を魅了するような笑いだった。
そして、みきは、内心、これを喜んでいた。それを見抜いたただおは、やはり、若干、欲求不満であったのかもしれない、と、思った。勝手な推測だから、真実は問わないことにしたが。
ただおは、しばしみきの顔に見とれてから、頭を振ると、
「では、行こうか」
言いながら立ち上がり、みきを寝室にいざなった。
みきも立ち上がって、
「ええ。……何ヶ月かあとに、兄弟が出来るといったら、子供たちは喜ぶかしら?」
「さあ、どうだろう。そもそも、出来るかどうかさえわからないけどね」
ただおはそう言って、柔和な笑顔を返した。みきも笑顔を返す。二人の心が、間違いなく通じ合っているということは、誰が見ても明らかであろう。
その後、二人の姿は、寝室へと消え、その夜、寝室の電気が消されることはなく、その夜のお神酒徳利は、まるで自らに入れられた酒に酔うように、乱れていたという。
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- いい話だ -- 名無しさん (2009-04-21 07:09:12)
- ↓家族で乱交ですね
わかりますw -- 名無しさん (2008-11-09 22:30:13) - 5人目はむしろ男の子で!そうすれば・・・ -- 名無しさん (2008-08-18 04:03:05)
- うらやましい
-- jio (2008-06-24 00:08:07) - こんな美人な奥さんがいてうらやましい -- jio (2008-06-04 00:00:15)
- みきさんが50近いとは・・・、
原作の絵からはとても思えないw -- 名無しさん (2008-05-14 11:22:05) - ↓×4
まるで鬼嫁の旦那にでもなったかのような物言いだなw
正直みきさんが50近くだってことに(ry -- 名無しさん (2008-05-14 00:05:11) - いいお話ですね。
5人目も女の子なんだろうな、とか妄想してしまいました。 -- 桜花 さくら (2008-05-09 17:25:03) - かなりお年をめされた方の中にもらきすた厨がいるってことですねwwww -- みみなし (2008-04-27 14:50:59)
- こういうのいいですね
-- jio (2008-04-27 00:40:49) - 若くて激しいエロもいいが、こういう落ち着いた夫婦愛のエロさも良いもんだ
結婚なんてのは実際には地獄だがなフゥハハハーハァー! -- 名無しさん (2008-04-26 20:09:53) - なんかいいな -- 名無しさん (2008-04-26 19:21:21)