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二輪の花 第12話

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【第12話:伝えたいこと】

 午後の3時ごろにチャイムが鳴った。
 来客事態は珍しいものではないから、みなみは気に留めずにピアノを弾いていた。
 ペダルを踏みながら、つっかえることなく曲を弾いていく。指使いが音律を覚えていて、頭で楽譜を演奏することなくスラスラとエリーゼのためを弾いていた。
 ワンワンッ、とあまり番犬には役立ちそうにない愛犬、チェリーの咆哮が聞こえる。みなみの母がインターフォンで答える声がかすかに響く。
 少しした後。
「みなみ~、泉さんというかたが着たわよ」
 玄関から、思わぬ来客を告げる母の声に、みなみはピアノを弾く手を止める。
 胸に手を当てると、緊張のあまり脈打つ鼓動がどんどん早くなっていく気がした。
「泉先輩――?」
 鏡台で身だしなみを確認し、特に寝癖などが見受けられないのを確認した後、普段と変わらずゆっくりと階段を下りた。あるいはその足取りは重たかった。
 その間、こなたの来客の理由を考える。すぐに浮かんだ。ゆたかのことだろうと、玄関につくころには身構えた。

 扉を開けると、確かに泉こなたが立っていた。これから1日が短くなる一方の9月とはいえ、半袖で十分通るほど気温は高い。
 こなたは真っ白のワンピース姿で、暑そうに手を団扇のようにあおいでいる。
「……泉先輩、なにか御用ですか」
 こなたとみなみは別段仲がいいというわけではない。趣味はまったく違うし、ゆたかの従姉としてのこなた、あるいはみゆきの友人としてのこなた、としかみなみには印象がない。言うなれば友達の友達だ。
 かがみのことを除けば。それがこの状況を結びつける唯一の接点だった。
「うん、みなみちゃん。ちょっと話したいことがあるんだよ」
「わかりました。私の部屋で話しましょう」
 こなたのその口調には、有無を言わせないものがある。
 みなみも逃げるわけにはいかない、そう思い、どうぞと、ドアを開けて自室にこなたを招待した。
 緊張にせわしく息をする。
「階段を上ってすぐが私の部屋ですから、待っていてください。紅茶と、お菓子をもってきますから」
 リビングとの分岐点で告げる。こなたは「気遣いはいいよ」といったが、みなみは「いえ」と断り、そのままリビングに入っていった。
 みなみの母にお菓子を用意してもらえるよう頼み、みなみはキッチンにある棚からTパック、Tカップを二つずつ取り出し、それからポットに向かった。
 安全のためのストッパーをはずし、お湯をそそぐ。

「みなみの知り合い? それとも、後輩かしら?」
「……違うけれど」
 間の抜けた母の会話を、聞き流し、階段を登った。閉められた自室の扉を前にして立ち止まる。
 ノブを握る。しかしまわす勇気がでない。
 壁に耳をあてると物音がしたので、こなたはきちんとみなみの部屋にいることがわかった。
「……何を、言われるんだろう」
 息を呑んで、それを糧に一気にノブを回した。ガチャっと回る音がやけに大きく感じられた。

「お待たせしました」
「ごめんね、なんだか気を使わせたみたいで」
「いえ、お客をもてなすのは当然のことですから」
「そっか、ああ、座布団かりてるね」
「はい」
 ベッドの隣にある足の短いテーブルにこなたはあぐらを掻いて座っていた。定期テストのときに、ゆたかとみなみが一緒に勉強するところだ。
 こなたは自分の足近くに両手をたらし、背筋を伸ばす。
 みなみはこなたの対となる場所に、いわゆるお姉さん座りをして向き合った。
「これはチーズケーキ?」
「はい。買い置きしていたものですが…」
「ありがとう、いただくね」
 お皿に備えられていたスプーンを左手に取り、こなたはチーズケーキを口に運ぶ。
 みなみはしばらく来客の所作を眺めていたが、みなみも自分のところに置いた紅茶を手に取り、音を立てないように一口、口に運んだ。
 しばらくカチャカチャとお皿とスプーンがすれる音と、二人の呼吸だけが響く。
 節約のため(家自体は裕福だったが、個人的にみなみは実践している)エアコンを付けずにいたが、こなたのことを思い、エアコンをつけますねと確認をとり、リモコンを取り出す。
 いつもより設定温度を2度低く25度にする。
 きっとそれくらいがちょうどいいと、みなみは思った。
 5分と立たない内にお互いの紅茶とチーズケーキが空になる。湯気を立てている紅茶を口に運ぶ音が耳に届いた。
 それはいやな沈黙で、極力みなみはこなたの顔を見ないように勤めながら、見慣れた自室を眺め回すことでかろうじて場をつないでいた。

「……それで」
 こなたは顔をあげ、みなみの顔を見た。
「はい」
 目的はわかっていたから、促すように相槌を打った。
「みなみちゃんは、ゆーちゃんのこと、どう思う?」
「どう……とは? ―――大切な友達ですが」
「そうじゃなくて。みなみちゃんは気づいているよね? ゆーちゃんの異変」
「かがみ先輩の……ことですか?」
 その言葉を出すのは、ひどく狼狽した。
 胸を抉り取られるような、キリリとした痛みに耐えながら。
「やっぱり。ゆーちゃんから?」
「はい」
「そっか」

 会話が途切れた。
 エアコンがやっと作用してきたのか、作動する音が鳴り響き、部屋を冷却する。肌寒いほどにうなりをあげながら送風をしている。
「じゃあ」
 こなたは、強い決意の目で、
「協力してもらえない? 今のこの関係は、おかしいと思う。てゆーかゆーちゃんはわかっているのかな」
「わかっているとは?」
「いや、今はいいや。それよりも、かがみのためにも、協力してほしいんだ」
 かがみのために、というときにこなたの語気が荒かった。
 みなみは黙る。本当は寒くて、鳥肌がたっていそうなのに、服をパタパタと前後に動かし、風を送るしぐさをした。

 ゆたかの顔をみなみは頭に思い浮かべる。
 それから、かすれたような声で、「ごめんなさい、私には無理です」
「どうして!……ごめん」
 大声を出したことを謝り、バツが悪そうにこなたは顔を背ける。みなみは、気にしてませんといい、
「ごめんなさい」
「ゆーちゃんのため?」
「……はい」
「私が主人公だったら、ヒロインであるゆーちゃんのことを、本当に思うなら、私なら鬼になるよ。
 ねえみなみちゃん。優しさ、許すことだけが優しさじゃないんだよ? 本当にゆーちゃんのことを思うなら、お願い、協力してよ」

 こなたの訴え。二つ後輩のみなみに、こなた祈るような気持ちで頼んだ。
 みなみはこなたの瞳から逃れるように、顔を伏せ、黙った。
 まるで永遠のような時間の停止。エアコンの作動音、壁掛け時計の時を刻む音。
 時折聞こえるチェリーの泣き声。

 みなみは悩んだ。どうすればいいのか。
 ……こなたの願いを聞けば、ゆたかを裏切ることになる。ゆたかは、みなみを軽蔑するかもしれない。
 少なくても、ただでさえぐにゃぐにゃに捩れてくっついているみなみとゆたかの関係が複雑になる。
 あるいは切れてしまうだろう。切れた糸は修復しようのない、決定的な線となって二人と分かつ。

「ごめんなさい、先輩」
 どうしてもできなかった。
「……ごめんなさい、先輩。それでも私は、ゆたかと一緒にいたいです。ですから先輩の要求は呑めません」
「みなみちゃん……」
 重苦しい沈黙。今度はこなたも声を荒げることせずに、ただこのときの流れに身を任せていた。

 どのくらい立ったかはわからない。
 時計を見れば、物理的な時間の変化はわかる。しかしこの瞬間は、みなみにはまるで何時間も立ったかのようだった。
「そっか」
 こなたが言葉を吐いた。
「みなみちゃんがそう思うなら、それでいいや」
「すみません、泉先輩」
「ううん、それとお願いがあるんだ」
「お願い、ですか?」
「ゆーちゃんのこと、守ってあげてね――あんな風になってしまったけど、私の、私のかわいい従妹だから」
 こなたの声が震えていた。拳を握りながら、言った後のこなたは唇を強くかみ締めている。
 ゆたかと真っ向から対立しているこなたのその言葉に、暫くの間、みなみは何も言えずに驚いたようにこなたの顔を見つめ返した。
 みなみはゆたかへのまるでとらわれたかの妄執、こなたの願いを何度も何度も考えた後で不器用に笑おうとして失敗しながら、
「はい」
 それを私は、壊す側だけれど――こなたは小さく付け加えた。
「それで話はおしまい。あ、そーだ、みなみちゃん。ピアノ弾けるんでしょ? 弾いてみせてよ」
「あまり、得意ではありませんが……」
「またまた謙遜しなくてもいいよ~ ゆーちゃんからも上手だと聞いているし」
 やや諦観気味に、精一杯こなたは明るく振舞う。みなみはせめてこの瞬間だけでも、泉先輩と仲良くしようと思い、部屋を出てピアノの前に座った。

 帰り際、お邪魔しましたと丁寧にみなみの母親に挨拶をしたこなたは、みなみと一緒に玄関まで来た。
「じゃあ、ごめんねみなみちゃん」
「…いえ」
 チェリーが全速力で駆け出し、こなたの足元までよってきた。
 よしよし、とこなたが頭をなでる。
 それをしばらく見届けた後、みなみは意を決して言葉を発した。
「……先輩」
「なに?」
「私は、協力できませんが――おそらく、田村さんやパトリシアさんに頼んでも無駄だと思いますよ」
「……それは私に対する助言? つまり、もう手が回っているってこと?」
「―――ご想像にお任せします。それと今日のことは私だけの秘密にしますから、安心してください」
「そっか。なんにせよ、ありがとね」
「いえ。私からもうひとつだけ、お願いが」
「お願い?」
 こなたは急にうなり声をあげたチェリーに対し「うひゃあ」と素っ頓狂な声を発し、チェリーから目を離さないようにしながら後ずさりし、一歩引いた。
「かがみ先輩のこと、よろしくお願いします」
 こなたはそれには答えず、ひらひらを手を振った後、チェリーから逃げるように小走りでみなみ家から出て行った。


「――それで先輩、わかってますよね」
「なにがよ」
「ないとは思いますけど、かがみ先輩が私から離れることがあれば」
「――だからこうして嫌でもあんたと一緒にいるんじゃない」
「……そうです、ね」
 同日午後7時ごろに、かがみの携帯に着信音がなった。
 ゆたかからの着信音は通常とは別のメロディが流れるように設定してあったので、かがみは鳴り始めたときからその相手がわかり、忌まわしげにブルブルと震えている携帯電話を内ポケットから取り出し、不在着信に繋がる時間になるちょっと前に、着信ボタンを押した。
 その時は家族と、つかさと一緒だったので、かがみは「――ゆたか………ちゃん? とりあえず二階にあがるわね」と言って、受話器を耳から放し、保留にしてポケットに仕舞った。
 不思議そうにしているつかさ達に「今日はお腹があまりすいていないから、もういいわ」と告げ、足早に部屋を出て階段を上った。

「先輩のかわいい写真が、いっぱいパソコンに入っていて幸せです」
「それで私になんの反応を期待しているわけ? あんたは」
「冗談です。ただ、それを再度知らせてみたくて」
「……話はそれだけ? さっさと切るわよ」
 舌の根が乾ききらないうちに携帯を乱暴に離し、電源ボタンを押そうとしたが、スピーカーから「あ」と呼び止める声が聞こえてきたので、かがみはすんでのところで指を止めて、再び耳に当てた。
「――こなたお姉ちゃんにも、カーネーションを贈ったんですね」
 心臓の脈拍音がゆたかに知られないかという考えがふと頭によぎりながらも、携帯電話越しにそんな感情が伝わるわけがないので、かがみは抑揚に不安の色をにじませないように注意深く応答する。
「それで?」
「いえ、それだけです。私だって貰ってますから。本当に、嬉しかったんです。大切に飾っています」
「そうね」
 それではです、といった声が聞こえてきて、直後に電話の切れた、耳障りで無機質な音がカラカラと鳴っている。
 かがみはもう通じないとわかっていたが、暫くの間、耳に携帯電話を当てたままだった。











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