しらびゃうし【白拍子】
平安時代に起こった歌舞の名。また、それを舞う遊女。
困窮した巫女が舞で生計を立てるようになったのが始まりと一般には言われており、
水干(すいかん)に立て烏帽子(えぼし)、太刀をさした男装で、神仏の起源、恋愛、慶賀などを
題材とした朗詠や今様、戯れ歌などを歌いながら舞った。
平安においては最下層の身分であったが、貴族や武士の館に出入りする者も多かったため、
中には高い教養を持つ者や、義経の愛妾・静御前のように、貴人の寵愛を受ける者もいた。
困窮した巫女が舞で生計を立てるようになったのが始まりと一般には言われており、
水干(すいかん)に立て烏帽子(えぼし)、太刀をさした男装で、神仏の起源、恋愛、慶賀などを
題材とした朗詠や今様、戯れ歌などを歌いながら舞った。
平安においては最下層の身分であったが、貴族や武士の館に出入りする者も多かったため、
中には高い教養を持つ者や、義経の愛妾・静御前のように、貴人の寵愛を受ける者もいた。
山の辺に、すすきの新しい穂が揺れる頃。
嵯峨の川べりに、今日もまた、真白の影が佇んでいます。
玻璃に閉じ込めた星のような、蒼の瞳。月明かりに煌く、翡翠のような髪。
夜風と水の歌の中、さやけき月影に浮かぶ姿は、この世ならざるもののように優美で非現実的
です。きっと男性が見れば怖れと好奇心を、女性が見れば恋心をかき立てられるでしょう。
嵯峨の川べりに、今日もまた、真白の影が佇んでいます。
玻璃に閉じ込めた星のような、蒼の瞳。月明かりに煌く、翡翠のような髪。
夜風と水の歌の中、さやけき月影に浮かぶ姿は、この世ならざるもののように優美で非現実的
です。きっと男性が見れば怖れと好奇心を、女性が見れば恋心をかき立てられるでしょう。
そんな彼――いや、彼女の手には、想い人の文と、木簡と、一本の筆。
足元に置かれた小さな硯と筆を見ると、歌でも詠んでいるように見えますが、よく見ると硯には
墨の一滴さえついていません。
彼女が手にした筆のようなそれは、髪を束ねてこしらえた粗末なもの。それを湿らせているのも、
すぐ前を流れている川のせせらぎです。
足元に置かれた小さな硯と筆を見ると、歌でも詠んでいるように見えますが、よく見ると硯には
墨の一滴さえついていません。
彼女が手にした筆のようなそれは、髪を束ねてこしらえた粗末なもの。それを湿らせているのも、
すぐ前を流れている川のせせらぎです。
「ゆたかは、凄い……」
手にした恋人の文と、自分のたどたどしい線を見比べて、ため息をつきます。
時間が経つのも忘れて、時には夜が白む頃まで練習を続けて……それなのに、何度綴っても、
手本のように書けないどころか、間違えないようにするので精一杯。
「ゆたか……」
それでも、彼女はまた筆を動かします。
いつかこの書道具で、いとおしい人に恋の歌を返したい……そんな夢を見続けながら。
手にした恋人の文と、自分のたどたどしい線を見比べて、ため息をつきます。
時間が経つのも忘れて、時には夜が白む頃まで練習を続けて……それなのに、何度綴っても、
手本のように書けないどころか、間違えないようにするので精一杯。
「ゆたか……」
それでも、彼女はまた筆を動かします。
いつかこの書道具で、いとおしい人に恋の歌を返したい……そんな夢を見続けながら。
第一話 ―― まわるこの空、みなゆた ――
あれは、まだ夏の盛りだった夜。
「みなみちゃんっ」
もう恒例になった、秘密の時間。気の早い虫達の声に紛れてきた私に、御簾(みす)を上げて
くれていたゆたかが、その小さな手を振ってきた。
「みなみちゃんっ」
もう恒例になった、秘密の時間。気の早い虫達の声に紛れてきた私に、御簾(みす)を上げて
くれていたゆたかが、その小さな手を振ってきた。
「くぁぁぁ~っ、この世は地獄っス!ゆーちゃんがあんな男装趣味に寝取られるなんて詐欺ッス!」
「キープ KOOL ヒヨリンっ、ヒアイズ殿中デスヨ!」
「平気っス、この痛みにはもう慣れたっス!例え心が千々に乱れても、ゆーちゃんの笑顔を守る、
それが平安の世に生きる女房の……ってあんたいつの間にっ!?」
背後から漂ってくる、涙で袖を濡らしながら悶絶する何かの気配。相変わらず不気味だけれど、
小早川邸ではよくあることなので、気にせず廂(ひさし)からお邪魔する。
「キープ KOOL ヒヨリンっ、ヒアイズ殿中デスヨ!」
「平気っス、この痛みにはもう慣れたっス!例え心が千々に乱れても、ゆーちゃんの笑顔を守る、
それが平安の世に生きる女房の……ってあんたいつの間にっ!?」
背後から漂ってくる、涙で袖を濡らしながら悶絶する何かの気配。相変わらず不気味だけれど、
小早川邸ではよくあることなので、気にせず廂(ひさし)からお邪魔する。
「体は、もう平気?」
「うんっ、一晩休んだらもうすっきり。久しぶりに絵巻作りに熱中しちゃった。他にも今日は、
こなたお姉ちゃんから文が届いて……」
「うんっ、一晩休んだらもうすっきり。久しぶりに絵巻作りに熱中しちゃった。他にも今日は、
こなたお姉ちゃんから文が届いて……」
挨拶の後は、別れの時まで世間話。
世間話と言っても、自分には話せるようなことなんてないから、殆どはゆたかの話に耳を傾けて、
笑ったり、頷いたり、慰めたりするだけ。それなのに、ゆたかは凄く喜んでくれる。
前に『ごめん、ゆたかみたいに話せなくて……』と俯いた時も、ゆたかは落ち込むどころか、
みなみちゃんが聞いてくれるだけで嬉しいんだよって、背伸びして頭を撫でてくれた。
ゆたかは、本当に優しい。
でもやっぱり、聞いているだけじゃなくて、いつか一緒に、歌や物語の話ができたらなって思う。
こんなこと、今まで考えたこともなかったのに。私なんかには分不相応な願いだって、
ちゃんと分かっている筈なのに。
けれど、どうしようもない。だって私はこんなにも、ゆたかに惹かれてしまっているのだから。
世間話と言っても、自分には話せるようなことなんてないから、殆どはゆたかの話に耳を傾けて、
笑ったり、頷いたり、慰めたりするだけ。それなのに、ゆたかは凄く喜んでくれる。
前に『ごめん、ゆたかみたいに話せなくて……』と俯いた時も、ゆたかは落ち込むどころか、
みなみちゃんが聞いてくれるだけで嬉しいんだよって、背伸びして頭を撫でてくれた。
ゆたかは、本当に優しい。
でもやっぱり、聞いているだけじゃなくて、いつか一緒に、歌や物語の話ができたらなって思う。
こんなこと、今まで考えたこともなかったのに。私なんかには分不相応な願いだって、
ちゃんと分かっている筈なのに。
けれど、どうしようもない。だって私はこんなにも、ゆたかに惹かれてしまっているのだから。
「絵巻……?」
「うん……って、うぇわぁっ!?」
私が文台の絵を覗こうとした瞬間、ゆたかが大慌てでしがみついてきた。
「ゆっ、……!?」
「あ……ごごごめんねっ、別にその、びっくりさせちゃって……でも、みなみちゃんに見られちゃう
って思ったら急に恥ずかしくなっちゃって、私はまだへたっぴだから……」
「そんなことない、ゆたかは……」
大好きな人にくっつかれて、無表情な肌を自分でも分かるくらい真っ赤にしながら、精一杯の
言葉をかける。でも、可愛らしく恥ずかしがるゆたかを励ましたい気持ちは空回りして、
結局また言葉足らずになってしまう。
「うん……って、うぇわぁっ!?」
私が文台の絵を覗こうとした瞬間、ゆたかが大慌てでしがみついてきた。
「ゆっ、……!?」
「あ……ごごごめんねっ、別にその、びっくりさせちゃって……でも、みなみちゃんに見られちゃう
って思ったら急に恥ずかしくなっちゃって、私はまだへたっぴだから……」
「そんなことない、ゆたかは……」
大好きな人にくっつかれて、無表情な肌を自分でも分かるくらい真っ赤にしながら、精一杯の
言葉をかける。でも、可愛らしく恥ずかしがるゆたかを励ましたい気持ちは空回りして、
結局また言葉足らずになってしまう。
どうして自分は、こんなに口下手なんだろう。
ゆたかみたいに身分もあって学問もできれば、きっと分かりやすく話せるのに、今の自分には
どんな風に伝えたらいいのか分からなくて、そんな自分が嫌いになる。
けれど……どうしても分からないことは、もう一つ。
こんなに素敵なのに、こんなに私にないものを持っているのに、どうしてゆたかは、
自分に自信が持てないんだろう。私がゆたかに幻滅するなんて、あるわけないのに……。
ゆたかみたいに身分もあって学問もできれば、きっと分かりやすく話せるのに、今の自分には
どんな風に伝えたらいいのか分からなくて、そんな自分が嫌いになる。
けれど……どうしても分からないことは、もう一つ。
こんなに素敵なのに、こんなに私にないものを持っているのに、どうしてゆたかは、
自分に自信が持てないんだろう。私がゆたかに幻滅するなんて、あるわけないのに……。
「……この絵、ゆたかが?」
「うん、ひよりと作ってるお話。昔から絵巻が好きだったから、ちょっとお手伝い、かな」
とりあえず、これ以上この状態が続くのが辛くて、話題を変える。
けれどそれが、『今の私』の始まりだった。
「でも、ひよりみたいにうまく描けなくて、描くたびに落ち込んじゃう感じで」
「ゆたかの絵は綺麗……この文字は、ひより?」
「そうだけど……どうしてわかったの?」
「うん、ひよりと作ってるお話。昔から絵巻が好きだったから、ちょっとお手伝い、かな」
とりあえず、これ以上この状態が続くのが辛くて、話題を変える。
けれどそれが、『今の私』の始まりだった。
「でも、ひよりみたいにうまく描けなくて、描くたびに落ち込んじゃう感じで」
「ゆたかの絵は綺麗……この文字は、ひより?」
「そうだけど……どうしてわかったの?」
その瞬間、照れて小さかったゆたかの声が少し大きくなった気がした。
それが嬉しくて、手紙の中の、ある場所を指差して、
「このあたり、ゆたかの文だともっとこう……」
何だろう、優しいというか、温かい感じがするというか……。
目の前の文と、頭の中にあるゆたかの文を重ねてみるけど、その違いが言葉にできない。
もっとうまく伝えたくて、記憶にある線を何度も指先でなぞりながら、懸命に言葉を捜して……。
それが嬉しくて、手紙の中の、ある場所を指差して、
「このあたり、ゆたかの文だともっとこう……」
何だろう、優しいというか、温かい感じがするというか……。
目の前の文と、頭の中にあるゆたかの文を重ねてみるけど、その違いが言葉にできない。
もっとうまく伝えたくて、記憶にある線を何度も指先でなぞりながら、懸命に言葉を捜して……。
「みなみちゃんっ」
突然、ゆたかが今までにない大声を上げた。
もしかしたら知らないうちに、嫌なことを言ってしまったのだろうか。
さっきの文の感想とか、自分は誉めているつもりでも、本当は酷く失礼だったのかも知れない。
慌てて謝る私。ところが。
「ごめん、変なこと話して」
「ううん、そうじゃなくて、今の……もしかして私の文、覚えてくれてたの?」
「うん、私は舞だけで、文字なんて読めないけど、ゆたかがくれたものだから、分からなくても
覚えておきたくて……それで、ここはゆたかの最初の文と同じだって……」
突然、ゆたかが今までにない大声を上げた。
もしかしたら知らないうちに、嫌なことを言ってしまったのだろうか。
さっきの文の感想とか、自分は誉めているつもりでも、本当は酷く失礼だったのかも知れない。
慌てて謝る私。ところが。
「ごめん、変なこと話して」
「ううん、そうじゃなくて、今の……もしかして私の文、覚えてくれてたの?」
「うん、私は舞だけで、文字なんて読めないけど、ゆたかがくれたものだから、分からなくても
覚えておきたくて……それで、ここはゆたかの最初の文と同じだって……」
不安で怯えがちだった顔が、途中からどんどん火照ってきて、思わず俯いて小声になっていく。
けれど、始めびっくりしていたゆたかの顔は、逆にますますほころんで……
「みなみちゃんっ、みなみちゃんみなみちゃんみなみちゃんっ!!」
いきなり私の手を取って、ぶんぶん振るってきた。
「これ、ひよりのお話の中に出てくる歌で、『言はぬをも言ふにまさると知りながら……』って
書いてあるんだけど、この歌、私がみなみちゃんに送った歌を元にしたんだって!
だから書き出しが同じだし、他の所も似てるんだけど、半年も前なのに覚えててくれたんだっ、
すごいよっ!!」
「そんなこと、私は――」
けれど、始めびっくりしていたゆたかの顔は、逆にますますほころんで……
「みなみちゃんっ、みなみちゃんみなみちゃんみなみちゃんっ!!」
いきなり私の手を取って、ぶんぶん振るってきた。
「これ、ひよりのお話の中に出てくる歌で、『言はぬをも言ふにまさると知りながら……』って
書いてあるんだけど、この歌、私がみなみちゃんに送った歌を元にしたんだって!
だから書き出しが同じだし、他の所も似てるんだけど、半年も前なのに覚えててくれたんだっ、
すごいよっ!!」
「そんなこと、私は――」
別にすごくなんて……そう続けようとしたけど、できなかった。初めて言葉を交わした時を思い
出させる最高の笑顔で、ゆたかが真っ平らな胸に飛び込んできたから。
どうしよう、抱きしめ返すなんて畏れ多いし、それ以上に恥ずかしいし……。
胸の中のゆたかを見つめたり目を逸らしたりを繰り返す私。
でも、恥ずかしさを触れたい気持ちが上回って、ゆたかへそっと両手を回しかけた時。
「……あ、そうだ、みなみちゃんっ」
ゆたかがぴょんっと立ち上がると、何かを思いついた風に私の腕を引っ張った。
「ね、みなみちゃん、こっちに座って」
「――??」
幸せの醒めやらぬうちに、ゆたかは例の絵の前に私を座らせた。さらに舞うような足取りで
文台を占領していた絵や詞書を移動すると、真新しい紙を敷いて私の隣にくっついてくる。
心の中であたふたする私をよそに、ゆたかはてきぱきと準備をして……
「みなみちゃんは、『天地の詞(あめつちのことば)』は分かる?あめつちほしそら……っていう」
「そんな、別に……」
「それじゃあ、今教えてあげるね」
出させる最高の笑顔で、ゆたかが真っ平らな胸に飛び込んできたから。
どうしよう、抱きしめ返すなんて畏れ多いし、それ以上に恥ずかしいし……。
胸の中のゆたかを見つめたり目を逸らしたりを繰り返す私。
でも、恥ずかしさを触れたい気持ちが上回って、ゆたかへそっと両手を回しかけた時。
「……あ、そうだ、みなみちゃんっ」
ゆたかがぴょんっと立ち上がると、何かを思いついた風に私の腕を引っ張った。
「ね、みなみちゃん、こっちに座って」
「――??」
幸せの醒めやらぬうちに、ゆたかは例の絵の前に私を座らせた。さらに舞うような足取りで
文台を占領していた絵や詞書を移動すると、真新しい紙を敷いて私の隣にくっついてくる。
心の中であたふたする私をよそに、ゆたかはてきぱきと準備をして……
「みなみちゃんは、『天地の詞(あめつちのことば)』は分かる?あめつちほしそら……っていう」
「そんな、別に……」
「それじゃあ、今教えてあげるね」
変な面倒をかけてしまうような気がして、誤魔化そうとした私を遮って、笑う。
「天地の詞っていうのは、私達が使ってる四十八の文字を一回ずつ使った詞で、文字を習う時に
一番最初に覚える詞なの」
まだ展開について行けないけど、頷いてしまう私。
するとゆたかは、改めて背筋を伸ばして、筆に墨を含ませた。そして……
「じゃあ、始めるから、見てて」
促された視線の先で、筆が舞い始めた。
「あ、め……つ、ち……」
ひとつひとつ、まっさらな紙の上で幾つもの線が交わって、色々なかたちを作っていく。
ゆたかの文で見覚えのあるもの、それまで見たことのなかったもの、簡単なもの、複雑なもの。
そう、ゆたかは私のために、書きものを教えてくれていた。
「天地の詞っていうのは、私達が使ってる四十八の文字を一回ずつ使った詞で、文字を習う時に
一番最初に覚える詞なの」
まだ展開について行けないけど、頷いてしまう私。
するとゆたかは、改めて背筋を伸ばして、筆に墨を含ませた。そして……
「じゃあ、始めるから、見てて」
促された視線の先で、筆が舞い始めた。
「あ、め……つ、ち……」
ひとつひとつ、まっさらな紙の上で幾つもの線が交わって、色々なかたちを作っていく。
ゆたかの文で見覚えのあるもの、それまで見たことのなかったもの、簡単なもの、複雑なもの。
そう、ゆたかは私のために、書きものを教えてくれていた。
「な、れ……ゐ、て……っと」
これが普段、私が声に出している言葉だとは分かっても、かたちと音がまだ結びつかなくて、
ゆたか達には当たり前のものが、私には使い方を知らない道具のように馴染まなくて。
……けれど、私は思わず魅入っていた。
あの時読めなかった文字が、ここに散りばめられている不思議に。
あの時記されていた文字を、歌うように、流れるように綴っていくゆたかの姿に。
これが普段、私が声に出している言葉だとは分かっても、かたちと音がまだ結びつかなくて、
ゆたか達には当たり前のものが、私には使い方を知らない道具のように馴染まなくて。
……けれど、私は思わず魅入っていた。
あの時読めなかった文字が、ここに散りばめられている不思議に。
あの時記されていた文字を、歌うように、流れるように綴っていくゆたかの姿に。
「あめ、つち、ほし……ゆ……ゆわは、これ?」
「うん、ゆわ、さる、おふせよ……」
何も知らない私に、ゆたかは丁寧に教えてくれる。ゆたかの口にした文字を追いかけながら
指先でなぞっていると、ゆたかは嬉しそうに笑ってくれて、いつの間にか私まで、
不慣れな笑顔を作ってしまう。それは今までになかった時間で、酷く幸せで、楽しくて……。
「うん、ゆわ、さる、おふせよ……」
何も知らない私に、ゆたかは丁寧に教えてくれる。ゆたかの口にした文字を追いかけながら
指先でなぞっていると、ゆたかは嬉しそうに笑ってくれて、いつの間にか私まで、
不慣れな笑顔を作ってしまう。それは今までになかった時間で、酷く幸せで、楽しくて……。
「じゃあ、みなみちゃんも、何か書いてみて」
「私が?」
「うん、分からない所は教えてあげるから、好きなことばを書いてみて?」
手渡された筆。まだゆたかのぬくもりが残っている、愛用の筆。
どうして初めてが、こんなにいい筆なんだろう。こういう道具は、ゆたかみたいに上手な人が
使うもので、私なんかが使うものではなくて……。
「私が?」
「うん、分からない所は教えてあげるから、好きなことばを書いてみて?」
手渡された筆。まだゆたかのぬくもりが残っている、愛用の筆。
どうして初めてが、こんなにいい筆なんだろう。こういう道具は、ゆたかみたいに上手な人が
使うもので、私なんかが使うものではなくて……。
「これは使いたくない、ゆたかの大切なものだから、痛めたり汚したりしたら悪いし、別の……」
「だめ」
「ゆたか、やっぱり……」
「だめ」
「明日……」
「だめだよ。みなみちゃんの初めての文字だもん、私が見てる所で書いて欲しいな」
「意地悪……」
「だめ」
「ゆたか、やっぱり……」
「だめ」
「明日……」
「だめだよ。みなみちゃんの初めての文字だもん、私が見てる所で書いて欲しいな」
「意地悪……」
本当は、書きたいことばは決まってた。
大切なことばだから、できるならうまく書きたかったけれど、仕方がない。
「ごめんね、わがまま言って。でも……恥ずかしくて嫌なだけなら、お稽古だと思って、見せて」
「……わかった」
ゆたかみたいにうまくできないけど、それでもいいなら――
心の中の私にそんな言葉をかけて、筆を構える。
記憶の中の筆跡と、目の前にある『天地の詞』を照らし合わせて……
「これで、合ってる?」
「うんっ、連綿もばっちり!本当に覚えてくれてるんだ……ありがとう、みなみちゃんっ」
めいっぱいほころびながら、私に飛び込んでくる。
その日私が書いた言葉は、あんなに拙かったのに、ゆたかと私を、こんなに幸せにしてくれた。
「ゆたか……」
小早川邸を出た後、私は夜風の涼やかな川辺にやって来ていた。
その手には、あの夢のような時間の後、別れ際にゆたかがくれた大切なもの。
大切なことばだから、できるならうまく書きたかったけれど、仕方がない。
「ごめんね、わがまま言って。でも……恥ずかしくて嫌なだけなら、お稽古だと思って、見せて」
「……わかった」
ゆたかみたいにうまくできないけど、それでもいいなら――
心の中の私にそんな言葉をかけて、筆を構える。
記憶の中の筆跡と、目の前にある『天地の詞』を照らし合わせて……
「これで、合ってる?」
「うんっ、連綿もばっちり!本当に覚えてくれてるんだ……ありがとう、みなみちゃんっ」
めいっぱいほころびながら、私に飛び込んでくる。
その日私が書いた言葉は、あんなに拙かったのに、ゆたかと私を、こんなに幸せにしてくれた。
「ゆたか……」
小早川邸を出た後、私は夜風の涼やかな川辺にやって来ていた。
その手には、あの夢のような時間の後、別れ際にゆたかがくれた大切なもの。
『待って、これ……』
『これは駄目、これがないと、ゆたかも……』
『大丈夫、今は使わなくなった道具だから、みなみちゃんが使って』
『本当に……いいの?』
『うん。でもその代わり、いつかこれで文を作って私に見せて。約束……だよ?』
『これは駄目、これがないと、ゆたかも……』
『大丈夫、今は使わなくなった道具だから、みなみちゃんが使って』
『本当に……いいの?』
『うん。でもその代わり、いつかこれで文を作って私に見せて。約束……だよ?』
ゆたかが手にしていた、私が初めて手にした筆。ゆたかのために、特別に作られた小さな硯。
私のために目の前で教えてくれた、天地の詞。
そして……私のための新しい紙。
本来なら明らかに、私なんかには分不相応な贈り物。
私のために目の前で教えてくれた、天地の詞。
そして……私のための新しい紙。
本来なら明らかに、私なんかには分不相応な贈り物。
「……」
月明かりの中、天地の詞を広げてみる。
「あめ、つち、ほし、そら、やま、かは、みね、たに……」
まだ自分には、どの字がどの音かを結びつけるのも大変な、四十八の文字。
この中から三十一字を選んで、ゆたかに送る歌を作って……
そうやって文を書き交わすことができるようになったら、どんなに幸せになれるだろう。
……でも。
月明かりの中、天地の詞を広げてみる。
「あめ、つち、ほし、そら、やま、かは、みね、たに……」
まだ自分には、どの字がどの音かを結びつけるのも大変な、四十八の文字。
この中から三十一字を選んで、ゆたかに送る歌を作って……
そうやって文を書き交わすことができるようになったら、どんなに幸せになれるだろう。
……でも。
「ごめん……」
ゆたか、やっぱり……これは使えない。
今まで触れたことさえなかった――それもゆたかが愛用していた大切な品々を、私なんかが
汚してしまうなんて、どうしても勿体無かったから。
腰に佩かせていた太刀を、すらりと抜き放つ。夜闇の中、角度を変える毎に黒漆のように、
あるいは銀月のように輝く刀身を、一摘み持ち上げた髪に添えて……。
ゆたか、やっぱり……これは使えない。
今まで触れたことさえなかった――それもゆたかが愛用していた大切な品々を、私なんかが
汚してしまうなんて、どうしても勿体無かったから。
腰に佩かせていた太刀を、すらりと抜き放つ。夜闇の中、角度を変える毎に黒漆のように、
あるいは銀月のように輝く刀身を、一摘み持ち上げた髪に添えて……。
「――っ!」
ちょっと見ただけでは分からない程度に何度か髪を切り、長さを揃え、大雑把に纏め上げて、
自分用の筆にする。
ゆたかが『綺麗な文』じゃなくて『私の文』を待っているとは分かっている。
でも、やっぱりゆたかに送る文は、あの時書いたようなたどたどしい文字じゃなくて、
かつてゆたかがくれた文のように、この紙に負けないように書きたかったから。
だから、お願い。もうちょっとだけ……
『綺麗な私の文』が書けるようになるまで、こっそり頑張らせて、ゆたか……。
ちょっと見ただけでは分からない程度に何度か髪を切り、長さを揃え、大雑把に纏め上げて、
自分用の筆にする。
ゆたかが『綺麗な文』じゃなくて『私の文』を待っているとは分かっている。
でも、やっぱりゆたかに送る文は、あの時書いたようなたどたどしい文字じゃなくて、
かつてゆたかがくれた文のように、この紙に負けないように書きたかったから。
だから、お願い。もうちょっとだけ……
『綺麗な私の文』が書けるようになるまで、こっそり頑張らせて、ゆたか……。
あめ、つち、ほし、そら……。
満天の星空の下、彼女の澄んだ声が響きます。
道端で見つけた木の皮を紙の代わりに、川の水を墨の代わりにして、藪で取ってきた笹に
髪を結わえた筆で、教わったばかりの詞を綴ります。
ゆたか、みなみ、こひ、きみ……。
足元に置かれた筆と硯は、彼女と恋人を繋ぐ夢の通い路。
大好きなひとの笑顔を思い浮かべながら、彼女は月が山の端にかかる頃まで、
その手を休めることはありませんでした。
満天の星空の下、彼女の澄んだ声が響きます。
道端で見つけた木の皮を紙の代わりに、川の水を墨の代わりにして、藪で取ってきた笹に
髪を結わえた筆で、教わったばかりの詞を綴ります。
ゆたか、みなみ、こひ、きみ……。
足元に置かれた筆と硯は、彼女と恋人を繋ぐ夢の通い路。
大好きなひとの笑顔を思い浮かべながら、彼女は月が山の端にかかる頃まで、
その手を休めることはありませんでした。
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- こういうみなゆたもすごくいいなぁ・・・。 -- 名無しさん (2008-09-26 20:20:24)
- くあぁぁぁ〜〜!!(絶叫
なんだこのGJすぎるゆたみなわぁぁぁ〜〜〜〜!!!!(絶叫二回目
続きを!!続きをぷり〜〜〜〜〜ず!!!!(絶叫三回目 -- にゃあ (2008-09-15 21:33:39)