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 そうじろうは佇んでいた。
目の前の道、ずっとゆけば、あの街に続いている気がして。
(いや、あの時に続いている気がする)
まだ健康だったかなたとあの街で…能登半島で過ごしていた時代に。

*

 遠い昔、彼はいつも嘯いていた。
孤独を恐れずに生きていくと。
一人ぼっちと呼ばれる状態であろうと、それを恐れない強さを手に入れる事を、
夢見ていた。
オタクと蔑視される彼は結婚などできないと信じていた。
どうせ死ぬ時は一人だ、とも。
だから、寂しさを押し込める事のできる、孤独から自分を守っていける強さが欲しかった。
(強い自分を、守っていこう…)
その決意を胸に、日々をこなしていた。
言い寄る女子を悉く拒絶して学校生活を送ってきた。
彼女たちを拒む度避ける度、彼は孤独になっていった。
(これでいい、これでいいのさ。憧れの自分に、近づいてきてる…)
 アイロニカルな笑みに哀しみを隠し、彼は己を鼓舞していた。
 だが、幾ら拒んでも避けても、執拗にそうじろうに話しかける女子も居た。
それが、幼馴染のかなただった。当時の彼女の苗字を、即ち彼女の旧姓を、
不思議な事にそうじろうは覚えていない。
 いつも一人で過ごしているそうじろうに、かなたは積極的に話しかけてきた。
時には、弁当を持ってきたこともある。
バレンタイン・誕生日・ハロウィン・クリスマスと、
イベントがある度にかなただけはいつもそうじろうにプレゼントを持ってきた。
他の女子は一度拒否されれば、もう持っては来なかったのに、
かなただけは何度拒絶されても贈り物を止めはしなかった。
 中学卒業後もかなたは、そうじろうと同じ高校へと進学してきた。
そして拒むそうじろうと構うかなたという図式は、ここでも以前と同じように展開された。
それだけではない。そうじろうは石川から遠く離れた地、埼玉の大学への進学を希望していたが、
何とかなたも同じ大学を受験するというのだ。
その事を知ったそうじろうはかなたを問い詰めた。
「何でお前はそうやって俺に付き纏うんだ。
お前なら、もっと上のクラス狙えるだろ」
と。
 それに対し、かなたは微笑みながら返した。
「ほっとけないよ。いつも寂しそうに強がってるそう君、ほっとけないよ。
それに、私の夢も幸せも、そう君の傍らにあるから…。
私の事、嫌いで構わないから、傍に居させて下さい」
 寂しさに包まれていた胸中を、見抜かれていた。
「傍に…居て下さい」
本当の思いから逃れていた少年は、漸く素直になれた。
 そして双方共に大学合格が決まり、石川出立まで後数週間と迫った日、
そうじろうはかなたを自転車の荷台に載せて──

*

 この道、ずっとゆけば、あの時のあの街に続いている気がした。
かなたを自転車の荷台に載せて、能登半島を駆け巡ったあの冬の日に。
2月の北陸だというのに、不思議と寒くなかった。
後ろでかなたがそうじろうを抱きしめていたからかもしれない。
 そうじろうの目に映る能登半島の景色は新鮮で、美しかった。
生まれて初めて、自分が生まれた県に愛着を抱いた。
自分とかなたが育った街に、初めて愛着を覚えた。

 それから幾年か経ち、埼玉の地で二人は結婚した。
子供も生まれた。だが、かなたの道はそこまでだった。
生まれた子が物心付かない内に、かなたは人生の幕を閉じた。
産後の肥立ちが悪かったのだ。
 そうじろうは泣いた。
あの街に居た頃は拒んでも避けても、付いて来た彼女。
なのにこの街では、求めても縋っても、彼女は遠くへ行ってしまった。
 だからこの道を、ずっとゆきたい。
あの街に続いている気がするから。
かなたが付いて来てくれた、あの街へ。

*

 かなたが死んだ後の人生は、ありきたりな父子家庭のそれだったろう。
だが、年々妻に似てくる娘を見る度、そうじろうの胸に痛みが走った。
思い出さない訳にはいかなかったからだ。
 それに、自分の本当の想い──(俺は本当は…寂しかったんだ…)──に気付いていた彼は、
いつしか人生に疲れていた。
伴侶として愛してくれる女性は最早傍らに居ない、その想いが彼の胸に突き刺さった。
支えは最早、娘のこなただけだった。
 だが、そのこなたも今年大学を卒業して一人暮らしを始めている。
故に今や──
(昔望んでいた通りの、一人ぼっちの人生か。
本当は望んじゃいなかったのにな)
 そうじろうは苦笑した。
勿論、こなたのアパートに訪れる事はできる。呼び出す事も。
だが、そんな資格はあるのだろうか。
何時までも娘に構う、そんな資格が。

 歩き疲れ、佇むと、故郷の街が浮かんでくる。
丘を巻く坂の道、そこにかなたの生家があった。
脳裏に蘇るその景色が、そうじろうを叱っているような気さえした。

 学生時代、そうじろうとかなたは、かなたの両親の猛反対を押し切って強引に結婚した。
それ以来、かなたと両親との関係は殆ど途切れた。
一応、彼女が大学卒業するまでは、学費及び生活費が送られていた。
だが、卒業と共にかなたと生家の関係は完全に潰えた。
(今にして思えば、俺が関係を断ち切らせたようなもの、か。
かなり無理矢理かつ強引に結婚したしな)
 当時は分からなかったが、今は分かる。
娘は可愛い。ずっと手許に置いておきたい、それが適わずとも、
せめて月に一回は会いたい。そう思える程に、娘は可愛い。
だがその娘を、自分は完全に奪い去ってしまった。
そしてかなたの遺骨を生家に送らずに、自分の一存で処分してしまった。
そんな自分に対するかなたの両親の声が、聞こえてくるようだった。
(その幻聴を、何度も聞いたさ)
『私たちは、愛しい娘と大学卒業と同時に引き裂かれた。
貴方の手によってね。なのに貴方は、自分の娘が大学を卒業してもなお会おうと云うのか。
私達が貴方の手によって阻まれた幸福、それを享楽しようというのか』
(俺は…自分勝手だな。かなたのご両親から娘さんとコンタクト取る術立っておきながら、
俺だけは何時までも娘と会いたいと思うなんて)
「そんな僕を叱ってる…そんな俺を叱ってる声を、何度も聴いたさ」
(だから俺には、もうこなたと会う資格なんて無いんだ)
 涙を堪えて、そうじろうは己を痛罵した。

*

 この道、ずっとゆけば、あの街に続いてる気がする。
その駅、あの列車、乗り継げば、石川に行ける。
北陸に、能登半島に、あの街に行ける。
今行けば、あの時に戻れる気さえする。

この駅、この改札、潜り抜けて、あの列車、乗り継げば、
あの懐かしい街に戻れる。
かなたを荷台に載せて、冬の早朝を疾駆した幸福が込められた街に。
(今更、どんな顔して戻る?幸福があの街にあったとして、
そいつを享楽する資格が俺にあるとでも?
…帰ろう)
そうじろうは身を翻した。
(石川ではなく、埼玉の家に)

*

 人の群れを掻き分けながら、駅の中を歩く。
(どんな挫けそうな時だって、決して涙は見せないで、生きていこう)
 そうじろうの耳に、幻聴が響く。
『貴方はそんなに強くない…』
懐かしい声だ。
(分かってるよ)
幻聴だと分かっていながらも──或いはこの声は幻だと自分を騙しながら──
そうじろうは心の中でその声に答えた。
『お願いだから強がらないで?こなたに頼って?
それが無理なら、私の所に来て?
一緒に、あの街に帰ろうよ』
(無理だよ。俺にその資格はない。それに、孤独も昔々望んだ事さ。
それに耐える強さ、死ぬまでには手に入れてやるよ)
『そうやってボロボロになってく愛しい人を見続ける私の身にもなってよ。
迎えに行くから、だから』
 靡きたかった。魅力的な提案に乗って、もう一度かなたの体温を感じたかった。
だが、戻るわけにはいかない。
(断るよ。大昔みたいに…お前と一緒に能登半島を自転車で駆け巡る前の俺みたいに、
お前の誘いは悉く断らせてもらうよ。
望んでいた孤独だ。堪能させてくれ)
『嘘っ。本当は私と一緒に居たいくせに…。そうじゃなきゃ、こなたと一緒に居たいくせに。
それでも無ければ…せめてあの街で蟄居していたいくせに…。
別に今すぐ私の所に帰ってこなくてもいいから。
せめて生まれ故郷には戻って?今居る街は…埼玉は、忘れたい思い出が詰まった街でしょ?
辛いだけだよ…』
 かなたの言うとおりだった。
全てを見透かされている事を感じながらも、そうじろうは尚も拒んだ。
(勝手に決めるな。俺の意思は、俺が決める事だ)
 魅惑的な提案を、頑ななまでに断った。
その理由は、そうじろうにも分からなかった。
こなたとも距離を置き、故郷とは程遠い関東の地で果てる事を己への罰としているのだろうか。
かなたの親から娘を奪った自分に対する罰としているのだろうか。
──或いは、単にかなたの前でかっこつけたいだけなのかもしれない。
こなたと別れた生活を始めた途端、思い出を求める自分を見せる事に抵抗があり、
それ故かなたの声で紡がれる魅惑的な提案を悉く蹴っているだけなのかもしれない。
かなたの胸に飛び込みたい、思い出の街に飛び込みたい、
だが今更それを決行してしまう事が、酷く惨めな事に思えているのも事実だ。
 考え事をしている内に、いつしかかなたの声は消えていた。
代わりにそうじろうの脳裏を占めるのは、やはり過去の思い出だった。
かなたと過ごした楽しい日々に対する懐古の念が、脳に押し寄せてくる。
後ろ髪を引くように、そうじろうを駅のホームへと誘っていた。
 それでもそうじろうは駅の出口目掛けて、一心不乱に歩き続けた。
心なしか歩調が早くなっていく。
思い出、消すため。

*

 いつしか駅を抜けていた。
知っている景色だ。家へと繋がる、景色だ。
いつも通りの、幸手の町並みがそうじろうを迎えていた。
 だが、いつもと違う点があった。
(次は、幻覚か…)
駅出口の直ぐ傍にあるベンチ、その前に髪の長い一人の女性が立って、
そうじろうを見つめていた。
よく知っている人間だ。こなたに似ている。
背丈も髪の長さも、愛娘に似ている。
違う点があるとすれば、その目元だろう。
こなたよりも優しげで真っ直ぐな瞳、そしてこなたにはある泣きボクロが、
この女性には無い。
更に言えば、醸される雰囲気も違う。こなたが生気に満ち溢れているのに対し、
その女性には生気というものがまるで感じられなかった。
(次は、かなたの幻か…)
亡妻、泉かなたその人だった。旧姓を、そうじろうは覚えていない。

 かなたは何も声を発さずに、駅を指差した。
その仕草は、故郷に帰ろう、そう言っているように映った。
 そうじろうはかなたの指差した方向へと首を振り向かせ、視界に駅を収める。
(この道、故郷へ続いても……

……
………
俺は行かないさ)
「行けない」
 かなたに対し向き直り様に放たれた言葉は、紛れもなく本音だった。
俺は行かないさ、本当はそう言いたかった。
だが、その言葉は心に留まり、代わりに心に留めておくはずの本音が漏れ出ていた。
(何やってるんだろうな、俺は。幻聴が聞こえたり、幻見えたり…。
ま、どうせ春の陽気に当てられて、感傷的になってるだけだ。
明日になれば、いつもの俺に戻るよ…きっとね)
 日々に終われ、生活をこなし、心にも無い物語を紡ぐ、そんな生活が埼玉の家では待ってる。
(今日だけだよ、こんなセンチメンタルなのは。
こなたの居ない生活に少し慣れなくて、春特有のメランコリックな気分に陥ってるだけだ。
だから、明日は…
明日はいつもの俺さ)
いつもの自分に戻って、孤独の中で生きていこう、そう決意した。

 だからこの幻との会話も邂逅も今限りだ、そう思い、かなた見つめた。
暫く見詰め合った後、かなたが口を開いた。


『帰りたい?』

(「    」)

「帰れない」

『嘘吐き』
哀しそうな声で、かなたはそう返してきた。
 そうじろうの身体が震えた。
やはり、見抜かれていたのだ。
だが、それでもそうじろうは
「さよなら」
別れの言葉をどうにか紡いだ。
『…さよなら』
その言葉と共に、かなたは消えた。
哀しそうな顔を、そうじろうの記憶に焼きつけて。

 そうじろうは歩き出した。家に向かって。
いつもの生活に向かって。
かなたに見咎められていた想いこそが、胸中に留まっていたその想いこそが、
彼の本音だった。
その本音を、今度は声に出して呟いた。

   帰りたい
  Country Roads.

<FIN>



















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  • たまらない -- やるよだろう (2013-02-26 01:59:01)

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