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『4seasons』 冬/きれいな感情(第二話)

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『4seasons』 冬/きれいな感情(第一話)より続く
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


§3

 ――ずっと、きれいな人になりたいと思っていた。

 男の子は誰でも一度は世界最強を夢見るそうだけれど、女の子は誰でもきれいになった自分を夢見るものだ。
 美しくなりたい。可愛くなりたい。そう思って女の子は誰でもいつか鏡の前に立つ。自分の顔の、体のパーツをいちいちあげつらっては、それがきれいかそうではないかと真剣に思い悩んで、他人と比べて落ち込んだりする。
 男たちは、それが男にもてたくてやっている行為だと思っているようだけれど、実のところそれは少し違う。勿論きれいな自分を褒めてもらえれば嬉しい。素敵だねと云ってもらえれば嬉しい。けれどそれはただ誰かに褒めてもらうことだけが目的ではなくて、きれいだと思える自分がそこに存在していることが重要なのだ。
 だから、例え世界に自分一人だけが取り残されたとしても、私は毎朝身だしなみを整えるだろうし、できるだけ背筋を伸ばして生きようとするだろう。
『誰も見ていないと思っても、お天道さまが見てるんだよ』
 改築前の縁側でそう云ったお婆ちゃんは、本当にきれいな人だった。しわくちゃで、背筋が曲がっていて、杖がなければ真っ直ぐ歩くこともできなかったけれど。私の目にはお婆ちゃんの背筋はいつでも凜と天頂に向けて伸びていたし、その眼差しはどこまでも真っ直ぐに前を向いているように見えていた。
 人と人とが殺し合い、誰かが誰かと一つのものを奪い合う。そんな時代を生き抜いてきた人だ。女性の社会進出なんて夢のようだった時代に、たった一人で娘を育ててきた人だ。そういう人生を生きてきてなお、お婆ちゃんはきれいな人だった。
 私が小学校二年生の頃に亡くなってしまったけれど、その死顔は微笑んでいるように安らかだった。

 そんな風に、きれいになりたいと思っていた。
 見た目だけではなくて、心も体も清潔に。
 たとえばだらしなく過ごしてしまった休日の夜には一日を無駄にしてしまったと落ち込むものだし、本当は間違っているとわかっていることをあれこれと云い訳をしてやってしまったりすれば、あとで必ず後悔するものだ。
 そんなことなら、最初からやらない方がいい。そう思って生きてきた。
 いつでも誰かが見ていることを意識して、だらしない格好はせず、ちゃんと前を向いて、間違っていることは間違っていると云って、そうしてせめてつかさを護れるくらいには強く。
 あの日のお婆ちゃんが、私の目標だった。優しくてきれいで正しくて強い。そんな人間になりたかった。
 けれど気がつけば、いつのまにか私は堅物キャラで通っていた。
 ドラマや少女漫画でよくある、主人公を目の敵にする融通の利かない委員長キャラ。その作品を読んでいるときには、なんてつまらない人間なのだろうと思っていたはずなのに。いざ口を開けば、私の言動はそんなキャラたちにそっくりだった。
 男の子たちにはからかわれることが多かったけれど、それでも私は私が信じる正しくてきれいな行動を取り続けていった。女の子には頼りにされていて友達もよくできたけれど、その反面、男勝りな女の子という扱いを受けることが多かった。他人に自分のことを任せきりで、いつも持ち歩いている手鏡を覗き込んでは男の子にしなを作って媚びを売る。クラスが変わっても大抵一人か二人はいるそんな女の子はいつだって男の子にもてていて、私はなんだかそれが理不尽な気がしていた。
 ずっときれいになりたいと思ってきたはずなのに、いつからか私は違ってしまったのだろうか。私は、きれいな女の子じゃないのだろうか。
 そんな風に悩んで、自分を変えようと思ったこともある。中学二年になった時のクラス割りは、あまり親しい子とは一緒にならなかったから。私はふと思い立って、委員長キャラを払拭しようとしてみたのだ。あまり自己主張せず、同級生を叱りつけたりするなどもってのほかで、可愛い声と仕草を意識しながらおしとやかに歩く。
 けれどそんな試みはすぐに瓦解した。みさおと同じクラスになってしまったのが不運で、そのだらしなさと底抜けの無邪気さとやる気のなさを前にして、私は突っ込みと世話焼きを抑えきることができなかったのだ。
 もっとも、あとであやのに聞いたところによると、私のイメージは最初から委員長キャラで首尾一貫していたようで。成功するはずもない無駄な努力をして周囲から失笑を浴びることにならなかっただけ、よかったのかもしれない。
 今でもあのときの数週間のことを思い出すと、少しだけ顔が赤らむのだった。

 ――ずっと、嫌いだった。

 きれいになりたい、正しくありたいと思っているだけなのに、生真面目で攻撃的に見えているという自分。
 凛々しくありたい、ぴんと背筋を伸ばして立っていたいと思っているのに、少し好意的な言葉をかけられるだけで、途端に動揺して照れてしまう自分。
 そんな自分が醜く思えて、ずっと嫌いだったのだ。

 ――あの日、こなたに出会うまでは。

 あの春の日に、桜に覆われた空の下でこなたが『ツンデレ萌え』と云ってくれたとき、私の中で何かが変わった。
 つい我慢できずにきついことを云ってしまっても『ツンツンモード萌え』と不思議な喜び方をしてくれて。
 私がすぐにつかさの元に行ってしまうことを、他の友達は大抵嫌がったものだったのに。こなたは『双子キャラ最高だよ!』なんて云って、二人纏めて一緒に友達になってくれた。
 私が照れて頭の中が真っ白になってしまったときには、そんな私を楽しそうにみつめては『ツンデレキター!』なんて涙を流しながら喜んだ。
 私が何をしても、どれだけ恥ずかしいことをしても、後で思い出して落ち込んでも、自分で自分のことを嫌いになってしまっても。
 その全てを、こなたは笑いながら受け入れてくれた。『萌え』という一言で、私の全てを肯定してくれた。
 だから、私はやっと自分のことを誇れるようになったのだ。
 こなたに許されたことで、私はずっと憧れていたきれいな自分に、初めて出会えたのだ。

 こなたがいるだけで、私はきれいになれる。

 でも、それではこの感情をどうすればいいのだろう。
 こなたのことが好きだという、このやり場のない感情は。
 口が裂けてもこなたに伝えることができないこの秘められた感情は、こなたに許されることもなく、私の中で渦巻いているのだ。
 あの秋が過ぎて、私は少しだけ落ち着いた。
 以前みたいに、こなたのことをもっと知りたいだとか、こなたに自分のことをもっと知って欲しいだとか、そう思って焦ることもなくなった。
 それはこなたの故郷を訪れて、こなたを産みだしたルーツに触れることができて、簡単には切れることがない絆を結べたと感じたからかもしれない。恋という感情が互いの未知な部分に抱く憧れだと定義するならば、それはすでに恋心とは呼べないものだろう。
 けれど、それでもこなたを好きだというこの感情は、消えることなく残っていて。
 それどころか、以前にも増して強く燃え上がっていて。

 そうして私はそれが醜いと感じている。

 他人の身体を思うさま貪りたいと思っている女の子は、到底きれいとは云えないだろう。

 では、その感情をどうすればいいのだろう。
 もしそれをこなたに云ったならば、きっとまた泣きゲーがどうの百合アニメがどうのとひとしきり世迷い言を並べ立て、そうして最後に『でもそんなかがみ萌え』と云っていつもみたいに受け入れてくれるだろう。
 私には醜く思えるそんな感情も、『それも萌え要素なんだよ』と云って全てそのまま受け入れてくれて、そうしてそれを驚くほどきれいな物に変えてくれるだろう。

 けれど、そんなことが云えるはずもなくて。

 だから私は、こうして一人醜い心を抱えて惑っているのだった。


§4

「ただいまー」
 階下から聞こえてきた声に、私は慌てて顔を上げた。
 一瞬、ここがどこで今がいつなのか、それがわからなくなって混乱する。
 けれど次第に意識がはっきりとしてきて、ここが自室の机の上であることに気がついた。私は机に向かったまま眠ってしまっていたのだった。
 慌てて時計を見たら、まだ家に帰ってきてから一時間ほどしか経っていない。寝ていたのはせいぜい十分くらいだろう。
 夜遅くまで勉強するのはいいとして、それで居眠りしてしまったり眠さで効率を落としてしまったら意味がないじゃないか。そんな風に反省していた私の耳に、トントンと階段を上がってくる跫音が聞こえてきた。そうだ、ただいまというつかさの声で目が覚めたのだ。
 急いで身支度を調えて、挨拶をしようと立ち上がったとき、コンコンとドアをノックする音がした。
「あ、おかえり、どうぞー」
 カチャリとドアを開けて入ってきたつかさは、外が寒かったのか、少しだけ頬を赤くしていた。それがつかさの顔立ちの可愛らしさを引きだしていて、私は改めてこの妹のことをきれいだと思う。
「ただいま。ニット買ってきたよ~」
「おー、ありがとう」
 そう云った私の顔を、つかさはまじまじと見つめていた。そうして突然破顔したかと思うと、口元に手を当てておかしそうにころころ笑い出した。
「な、なによ急に……。私の顔、なんかついてるか?」
「あはは、お姉ちゃん居眠りしてたでしょう?」
「えっ、あれっ、な、なんでわかっちゃったの?」
「ほっぺに数式が書いてあるよ。……三角関数?」
「はうっ」
 慌てて卓上鏡を見ると、居眠りをしていたときにノートの上に乗ていた左のほっぺたに、シャーペンで書かれた文字がくっきりと写っているのだった。
「だ、誰にも云わないでよこんなこと」
 そう云って、鏡を見ながら手でぐしぐしと頬を拭った。鏡の中から見返してくる私は頬を真っ赤に染めていて、やっぱり私はそれがみっともないなと思う。
「あはは、云わないよ。それよりお姉ちゃん、こっち向いて」
「ん?」
 振り向いた私の頬に、冷たい感触が当てられた。つかさが、持っていたウェットティッシュで、私の頬を拭いてくれたのだった。
「あ、ありがと」
 頬に感じるウェットティッシュの感触はなんだかとても心地がよかった。そうして丁寧に私の頬を拭くつかさも、これ以上なく嬉しそうな満面の笑みを浮かべていて。

 私は、こんな時間がもう少し続いてもいいかな、なんて思っていたのだった。

 ※ ※ ※

 その夜のことだった。
「ねえつかさ、聞きたいことがあるんだけど、今平気かな」
「あ、うん、大丈夫だよ」
 振り返ったつかさは、鼻と上唇の間にシャーペンを挟んだ面白顔をしていた。
 つかさの部屋は、ベランダに通じる大きな掃き出し窓があるせいか、私の部屋よりも少しだけ寒く感じた。寒くなってきてからカーテンを厚手の物に取り替えたのだけれど、それでも忍び寄る冷気には勝てないようだった。丹前と膝掛けと厚手のロングソックスで完全武装した面白顔の女子高生の姿は、あまり他人に見せられないと思う。
「ここがちょっとわからないのよね。教えてもらえる?」
 顔はとりあえず無視して私が取り出したのは、勿論問題集でもなければノートでもない。さすがにつかさに勉強を教わるほど、まだ私は落ちぶれてはいないつもりだった。
「あれ? 手袋なの?」
「う、うん、そうだけど……」
「ゆきちゃん用のも、みさちゃん用のも、あやちゃん用のも、ミトンだったよね?」
「そ、そうだけど、ほら、なんとなくミトンは慣れてきたからさ、最後に手袋にも挑戦してみようかなって思ってね?」
「あ、そうだよね、挑戦してみるのは大事だよね」
「……なんかひっかかる云い方だな」
 にこにこと笑っているつかさには何を云っても通じなさそうで。私は精一杯憮然とした表情を浮かべながら、編みかけの手袋をつかさに差し出した。

「あ、ここはほら、指の股の部分が必要だから増し目をして、あとから拾っていけばいいってことだよね。指のところは普通に輪編みで」
 そう云って、つかさは目の前で少しだけ実演してみせてくれた。
「うわぁ、さすがに手の動きが違うわね」
「え、えへへ、でもこんなのやってれば慣れるし」
 照れたようにそう云って、つかさは進めたところを自分でほどいてから返してくれた。私が自分で編まなければ意味がない。つかさもそれをわかっているから、何も云わずに元に戻してくれたのだ。
「こ、こう?」
「あ、ちょっと違うかな? そこは右の針で奥から手前に、こう、こうやって」
 ベッドの上でたどたどしく編み棒を動かす私を、つかさはやきもきした感じで手を動かしながら見ていてくれた。
「こうかな?」
「やん、違うよー、そこはこうやって左の針に移すんだよー」
「あー、もう、難しいなっ」
 そう云ってかしかしと頭を掻く私だった。
 そうしてつかさはそんな私を不思議そうな顔でみつめていた。
「な、なによ?」
「……知らなかった。お姉ちゃんって凄く不器用なんだね」
「はぁ? 今更何云ってるのよ。そんなこと、普段私が料理してるところ見てきたあんたが一番よく知ってるじゃないの。何年一緒に生きてきたと思ってんのよ」
「そ、そうなんだけど……なんでだろう。よくわかんないけど、お姉ちゃんだから、できないんじゃなくて、なんかそうする意味があるんだと思ってたの」
「あはは、なぁにそれー。あんた云ってること変だよ? お鍋を吹きこぼしたり、卵焼き焦がしたり、皮むきでどんどんじゃがいもが小さくなってくことに、意味なんてあるわけないじゃないの」
「だってだってっ、わたしにとってのお姉ちゃんって、ずっと憧れの存在だったんだもん。強くて優しくてなんでもできて」
 ――それに、すっごくきれいで。
 顔を赤らめながら上目遣いに見つめるつかさだった。
 私はまさかつかさにそんなことを云われるなんて思いもしていなくて、思わず手にしていた編み棒を取り落としてしまった。ベッドに置いてあった玉巻に編み棒が当たって落っこちる。それはころころと赤い糸を繰り出しながら転がっていき、やがて部屋の隅で止まった。
「な、なななな、何云ってるのよつかさ」
「……本当だよ?」
 そう云って、にっこりと笑った。
「……ありがとう。でも私、本当はそんなに出来た人間じゃないんだよ」
「うん、最近はちょっとわかるようになったの。お姉ちゃん、わたしのためにずっと無理してたんだなって」
 つかさは、転がっていった玉巻を拾ってくるくると巻きだした。その瞬間私たちの間には赤い糸が架かっていて、けれどすぐに巻き終わって玉巻をベッドに置くと、その絆も消えてしまった。
「――別に、あんたのためじゃないわよ」
「でも、わたしのためになってたから。だからこんな風にお姉ちゃんのために何かできるの、すっごく嬉しいな」
 つかさは、隣に座って落ちていた編み棒を私に握らせた。
 腰を据えて教えるつもりになったのだろう、真剣な顔つきをしていて、きりりと上がった眉尻がなんだか酷く頼もしく見えた。

「あ、ほら、そこはそのまま拾っちゃうと、穴が開いちゃうでしょう?」
「……ほんとだ」
「こう、くるっとねじって拾い目するといいんだよ」
「くるっと?」
「こう、くるっと」
「……わかんない」
 そう云って口を尖らすと、つかさは突然ぷーっと吹き出してケタケタと笑い始めた。
「わ、笑うなー!」
「あはははは、だ、だってお姉ちゃん、凄い可愛いんだもん」
 お腹を抱えて足をぱたぱたさせながら、涙を流して笑い続けるつかさだった。
「ちょっと……笑いすぎだよ」
「あははは、ご、ごめん、なんかつぼに……あははは」
 私のために何かできるのが嬉しい。そう云ったさっきの台詞は一体なんだったのか。
 ――もう放っておこう。
 ひーひー云ってるつかさを無視して、編み物に精を出す。
 くるっとねじって拾い目、か。
 編み地から一本渡っている糸を拾って、ねじってから通そうとするけれど、今一ピンとこなくて上手くいかなかった。改めて私はなんて不器用なんだろうと思う。それは編み物のことだけではなくて、こなたとのことだってそうなのだろう。
 不器用で、融通が利かなくて、生真面目で。
 本当はきっと、もっとスマートできれいな解決方法があるのだろう。でも私にはそんな解決方法は思いつきもしなかったのだ。
 そんなことを考えていると、突然背中にふわりと柔らかい感触が降ってきた。
「――つかさ?」
 気がつくと、つかさに後ろから抱きしめられるような格好になっていた。肩に顎を乗せたつかさの顔が、私の顔のすぐ横にある。
「んーっとね、こうやってねじって、付け根から指先の方に棒を通すんだよ」
 そう云って、後ろから私の指を取って動かしてくれた。なるほど口では説明しづらいと思って、手を取ってみせてくれたのだろう。
 ――でも、これは。
 つかさの吐息が頬にかかって、それが少しだけくすぐったい。
 たまに頬と頬が触れあうと、そのすべすべとした感触に驚いて。
 ふわりと漂う香りは私とは違う、つかさだけが纏っている匂いなのだった。――つかさは、夏頃からは私の真似ではなく、自分で選んだ化粧水を使うようになっていた。
 そうして背中を包み込むつかさの身体は柔らかくて暖かくて、私はその感触に少しだけどきどきしていた。けれどそれ以上に、妹に抱きしめられているというその事実は私の心をほっこりと暖めてくれていて、冬の最中だというのに寒さなんて少しも感じられなかった。
「――あ、こうか!」
「そうそう、それだよー。ごめんね上手く説明できなくって――って、あっ!」
 やっとできるようになって二人で顔を見合わせて笑っていたのに、つかさは突然そんな叫び声を上げると、弾かれたような動作で私の背中から身を引いた。
「どうしたのよ?」
「あ、ううん。その、ごめんねわたし、抱きついたりして迷惑だったかな……?」
 うつむきがちにそう云ったつかさを見ていて、私はやっとつかさの考えを飲み込めた。自分が抱きつくことで、私が変な感情を感じてしまったら困るだろうと。つかさはそう思って身を引いたようだった。
「なぁにそれ、気を遣いすぎだって。心配しなくても、妹に欲情したりしないわよ」
 苦笑して、つかさのおでこを軽く突っついた。
 それは、確かに少しどきどきはしたけれど。そんなことはわざわざ云うことでもないだろう。
「そ、そっか、そうだよね。えへへ、ごめんね。わたしそう云うのよくわかんなくって」
「まあ、家で男の人って云ったらお父さんだけだもんねー」
「そうそう、だからそういうの想像できなくって。お父さんのこと考えても全然なんていうか、ねー?」
 ひとしきり実の父親のことを好き勝手に云い合って、ふと時計を見上げればもうつかさの部屋に来てから二十分ほど経っていた。
「ああ、いけない、そろそろ勉強に戻らないと――」
 そう云って立ち上がろうとしたけれど、それはできなかった。
 後ろから覆い被さってきたつかさが、ぎゅっと私の身体に腕を回して抱きしめていたからだ。
「――つかさ?」
 先ほどとは違う、抱きしめることを目的としたその行為に驚いて、そうして馬鹿みたいに少しだけ胸が高鳴った。

「お姉ちゃん、大学受かったら一人暮らしするって、本当?」

 私の背中に顔を埋めたまま、くぐもった声でつかさが問いかけた。
 ――ああ、そうか。誰かからもう聞いていたのか。
 それは、云おう云おうとは思っていたけれど改めてつかさに云うタイミングがみつからなくて、ずっと云えないままにしていたことだった。
「――うん、慶応に受かったら、だけどね。そう考えてるよ」
「――どうして」
「んー、やっぱり片道二時間とかはきついかなぁって」
「それだけ?」
「相談してみたら、そのくらい負担じゃないくらいの収入はあるからって。いのり姉さんからも背中押されちゃったしね」
「それだけ?」
「家事を全部やらないといけないのは大変だけど、やっぱりそういうの全部つかさに頼りっきりの人生だと情けないからさ」
「それだけ?」
「司法試験の予備校とかもあって、そういうところに通うときにも東京の方が色々便利だよね」
「本当に、それだけなの?」
 その声はいやに近くから聞こえてきて、振り向くとつかさの顔はすぐ目の前にある。今にもおでこが触れあいそうなほど近くで私を見つめるつかさは、少し涙ぐんでいた。
「こなちゃんから距離を取りたいとか、わたしから離れたいとか、そういうことじゃないの?」
 段々と容積を増やしていったつかさの涙は、云い終わると同時にぽろりと決壊して、目尻からこぼれ落ちていく。
 人の涙はどうしてこんなにきれいなんだろう。そんなことを考える。
「――違うよ。そんな部分も少しはあるかもしれないけど、本当にさっき云った理由がほとんどだよ」
 そう云って、肩に置かれたつかさの手に手を重ねて撫でさする。
 ――その時私は、小さな嘘をついた。
 こなたから距離を取りたいなんて思わないけれど、つかさから離れたいとは少しだけ思っていた。
 こんなに優しくて暖かいつかさと一緒にいたら、きっと私は駄目になってしまうから。いつもつかさがいるというだけで安心してしまって、一歩も前に進めなくなってしまうから。
 だから私は、一人でやっていけることを自分に証明しないといけないと、そう思ったのだ。それができなければ、こなたとの新しい関係なんて、到底築くことはできないだろう。
 つかさだってそうだ。本当は一人でなんでもできるのに。もっともっと色々な可能性を持っているはずなのに。私がいることで、私が護ろうとしたことで、私はつかさの可能性を狭めてしまっていた。
 もう、私たちはそれぞれの道を進まないといけない。二人で一人の双子ではなくて。お互いがお互いに依存する関係ではなくて。それぞれに別れたそれぞれの道を。
 あの夏の日に別れてしまった、その道を。
 けれどこれ以上つかさを悲しませたくなくて、私は小さな嘘をついたのだ。
 そんな嘘なんて、私にとっては簡単なものだった。この半年間、もっともっと沢山の嘘を私はついてきたのだから。
「――どうして」
「ん?」
 私の背中に顔を埋めて、いやいやをするように頬を押しつけながらつかさは云った。
「どうして普通の女の子は女の子を好きになれないの? もしわたしがそうできたなら、絶対お姉ちゃんを離さないのに……」
「――そんなこと」
 言葉を続けようとした私の喉から、奇妙なくぐもった音が漏れ出して。
「――そんなこと、云わないで」
 そうして私の瞳からも、涙が次々とこぼれ落ちていく。

 冬の夜。その部屋を二人分の泣き声が満たしていって。

 私たちは、また少しだけ大人になった。





















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コメント:
  • かがみ×つかさ も良い
    ですね! -- チャムチロ (2012-08-15 14:26:38)
  • かがつかフラグ…っ!
    かがみはつかさに欲情しないとか言ってるけどバイなんだから実際はちょっと意識してるんだろうな
    その微妙なかがみのドキドキ感も描写されてて改めて凄いと思った -- 名無しさん (2008-08-13 02:26:16)
  • 続き、続きは~?まだ~? -- 名無しさん (2008-05-31 20:43:12)
  • 何でこんなに続きが気になるのでしょうか……orz

    gj!
    -- 名無しさん (2008-05-30 17:09:56)
  • つかさ……なんて恐ろしい子…! -- 名無しさん (2008-05-30 13:50:02)
  • 大人になるってなんだろう?人を好きになる、愛するってなんだろう?……すごく難しい -- 名無しさん (2008-05-30 06:27:19)
  • ああ、何て切ないんだ…。
    どうかラッキー・スターたちに幸せな春が訪れますように。
    余談ながら、更新されたかどうか一日に八回ぐらいチェケしてます。
    いつも素敵なお話をありがとう! -- ぱぶ (2008-05-30 02:48:32)

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