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レイニーロジック

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 百合というものはつまり、俗語である。男性同士の絡みを薔薇と称するのに対して、女性同士の絡みを百合と言う。そのくら
いの知識は、私にもあった。逆に言えば、そのくらいの知識しか私にはない、ということでもある。
 まあ、小説とかには、ライトノベル等にはわりと出てくる単語ではあるから、そういうものが存在することは知っていた。知
ってはいたが、まさか自分がそれにどっぷりつかってしまうようになるなんて、少し前の私は考えたこともなかった。
「……どうしたもんかなぁ」
「何が?」
 私の腰にしがみつくようにしながらそう言ったのは、昨日までの友人、泉こなただった。今日からはいったいどんな関係性に
なるんだろう。それを上手く言い表す言葉が今の私には見当たらない。
「というか腰を触るな背中くすぐるな!」
「かがみは背中が弱いよネ」
「うるさい」
 拳でぐりぐりこなたの頭を押さえつけて彼女の怪しい手の動きを止めると、私は小さく嘆息した。まったく、なんでこういう
ことになってしまっているのか。いろんな原因があるのだろう。たまたまこなたが遊びに来たときに妹であるつかさが出かけて
しまっていたこと。魔が差したというか、その場の勢いというか、そんな感じなのかもしれない。状況とタイミングな変な方向
に噛み合ってしまった結果、そういうことになってしまっているのだろう。
「んー」
 今現在の状況。
 両親は神社の仕事。
 姉二人は友達と遊びに行っている。ひょっとしたらデートかもしれない。まあ、正直どっちでもいい。
 つかさはみゆきと買い物に行っている。
 まあ要するに、今は家には私とこなたしかいなくて、そしてその家にいる二人はそういうことになっちゃっているわけだ。
 と、そんなことを考えているといつの間にかこなたが私の背中によじ登るようにして体を密着させていた。顔がすぐ耳元に。
こなたが息をする度にその吐息が耳にかかってくすぐったい。
「かがみ、かがみ」
「なに?」
「呼んでみただけー」
 ツッコミたい気持ちをぐっと堪える。しょうがない。ちょっとくらいはいいだろう。こなたは私に後ろから抱きついた形のま
まで、動きを止める。お互い服着てないから、こう、密着する感触がなんとも。
 私は、こなたのことが好きなのだろうか。
 うん、仮に好きだとしよう。その場合、これからの私とこなたの関係はどうしたらいいのだろう。まさかおおっぴらに私はレ
ズです、なんで公言して回るわけにはいかないだろう。私にとっても、そしてこなたにとってもメリットなんてなんにもない。
 周りからどんな風に思われるのだろうか、なんてことは私にだって分かっている。そして私だってこういうことにならなけれ
ば、周りで好き勝手なことを思う側だったことは間違いない。
「かがみ、怒ってる?」
 私の耳朶にこなたの声が触れた。
「……怒ってるわけじゃないわよ」
「本当?」
「本当」
 視線を窓の外に向けると、静かな雨がガラスを濡らしていた。こなたと体をくっつけたまま、私はそれをただ見ていた。
「雨はね、好きなんだ」
 不意に、こなたがそんなことを言う。私はそんな彼女に視線を向けようとして、けれど首を回すことができそうになかった
ので、すぐに諦めた。
「夕立みたいな唐突に降ってきて唐突にいなくなる雨も、静かに降り出して、いつまでも降り続ける雨も、私は好きなんだ」
 こなたが少し、頷いたような気がした。
「そんな雨みたいに、好きだよ」
 こなたが私の背中から離れる。私はやっと振り返って、こなたの顔を見ることができた。
「なんて言ったら、かがみは笑う?」
 何も身につけていないくせに一切隠そうとしないこなたに、こっちの方が恥ずかしくなってしまう。私は彼女から視線を外
して立ち上がると、脱ぎ散らしてあった服を手に取り、身につけ始めた。
「たぶんね」私はこなたに背中を向けたまま、言う。「笑うわ」
「そっか」
「気障すぎるし、意味がよくわからないもの」
「そうだネ」
「もっとシンプルなほうがいいんじゃない?」
 何か飲み物を取ってくる。そう言い残して私は部屋を出た。

 気怠い体を引きずるように台所へ行って冷蔵庫を空けると、冷やしてあった麦茶を取り出す。グラスを二つ出して、そこに
氷を放り込む。それらを全部お盆に載せて、私は自分の部屋に戻る。
 冷蔵庫が低いうなり声を上げている。
 それを聞いて、私は今更ながらに、今この家には私とこなたしかいないんだ、と実感した。
 この実感が最初から私にあったら、現在は何か変わったものになっていただろうか?

 手がふさがっていたという免罪符を持ってノックをせずに部屋にはいると、こなたは私が出て行ったときと同じような格好
で、同じような場所にいた。違っているのは、普通に座っていたのが、膝を抱えた格好に変わっていることくらいだった。そ
れが重要な変化なのかどうか考えようとして、やめた。今日はいろいろおかしい。
 テーブルの上にお盆を置くと、二つのグラスに麦茶を注ぐ。こちらに来るかと思っていたこなたは、それでもベッドの上で
膝を抱えたままだった。
 今日は私が変で、きっとこなたも変だ。これは修復できるような変化なのだろうか。
 私は小さく頭を振る。
「私は」こなたが言った。「どうしたらいいのかな」
「とりあえず、服を着るのがいいと思うけど」
 からん、とグラスの中の氷がぶつかって音を立てる。何かに似ている、と私は思う。麦茶の水面から顔を出した氷と、それ
の何倍もの体積を持っている、水中に隠れた氷。氷山の一角。
「かがみが、好きなんだよ」
「私も、あんたが好きよ」
 お互いのその言葉は、防音材に遮られて地面に落ちていくような言葉だった。どこにも響かない。どこにも反射しない。
「あんたは、私の前に、好きな人はいなかったの?」
「いたよ」こなたは頷いた。
「その人の何が、どんなところが好きだったかって、説明できる?」
「それ、意味あるの?」
「さあ?」私はなるべく軽そうに見える仕草で、両手を開いた。「でも、雨みたいに好きだったんでしょ?」
「かがみは?」
「私?」
「前に好きだった人のこと、説明できる?」
「できるわよ、私は」
 そうなんだ、と言ってこなたは黙り込んだ。そしてそのまま、しばらくの間私たちは黙っていた。つけっぱなしにしている
テレビからは相手ピッチャーと正対しているイチローの姿が流れていた。私はぼんやりとそれを見ていた。名前も知らないピ
ッチャーが振りかぶる。それに合わせてイチローが全身の筋肉を引き絞るようにほんの少しだけバットを引く。
「かがみのことが、好き」
 私は思わず振り返った。さっきとは違う、私の何かに響く声だった。何に響いたのかは分からなくても、何かに。いつのま
にかこなたはベッドを降りて、私のすぐそばにいた。すぐそばで、真っ直ぐ私を見ていた。真剣で、どこか危うい彼女の目。
 だから、私は動けない。
「かがみは、どこにもいかないで」
 触れるのを恐れるように、だけどこなたは手を伸ばす。背中を向けたテレビからは歓声が聞こえていた。イチローはヒット
を打ったのだろうか。確かめたい気持ちを堪えて、私はこなたの手の中に冷えた麦茶の入ったグラスを押しつけた。氷山の一
角、と私は思う。沈んでいる部分の方がずっと大きいことを考える。
「雨が好きなのは、どうして?」
「わからない」
「私を好きなのは、どうして?」
「わからない」
「そこに、意味はあると思う?」
「たぶん」
 私は、かって自分が思いを寄せていた人のことを思い出す。伝えられないままで終わってしまった自分の想いのことを思い
出す。忘れていた何かが、ぼんやりと浮かび上がってくる。私はこなたに触れた。こなたも私に触れた。
 ごめん、とこなたは言った。
 謝るな、と私は言った。
 からん、と溶けていく氷が悲鳴のように音を立てた。
 触れた唇は、酷く冷たかった。


 こなたがいなくなった部屋で、私はこなたがそうしていたように、ベッドの上で膝を抱えていた。こなたは不意に立ち上が
って「帰る」と言って、私もそれを止めなかった。テレビからはイチローの今日の試合についてのインタビューが流れている。
 携帯電話が、メールの着信を告げる。送信者のところに泉こなたの名前。

 いい雨だよ

 件名もない、それだけの、たった五文字のメール。私はそれを見て携帯電話を畳むと、ベッドを降りて、部屋を出た。廊下
をいつもの三割り増しの速さで駆け抜け、玄関でサンダルをつっかけ、外に出る。
 雨だ。
 私は軽くステップを踏んで、庭に出た。先ほどよりもいくらか強さを増した雨が遠慮無く私を濡らしていく。それを受け入
れるように、私は両手を広げて、灰色の空を見上げた。私や、私が立っている地面や、生えている植物、建物、無機物、まっ
たく区別することなく雨を落ちてくる。
 雨の中で、私は私に触れたこなたの手の感触を思い出しながら、目を閉じた。
 そこに意味はあるのかな、なんて考えてみる。
 私は明日、どんな顔でこなたと、そして友人達と会うのだろう?
 そんなことを、考える。


















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  • 暗い話なのにきれいだな、と感じる。 -- 名無しさん (2008-04-24 21:17:29)
  • 静かなこの展開は最高だ、感動しました。 -- 名無しさん (2007-08-26 22:30:48)
  • すごく綺麗な文章で好きだ。続きも楽しかったよ -- 名無しさん (2007-08-08 03:17:00)
  • 素晴らしい! -- ちゅう (2007-08-07 00:32:20)

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