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どこにも行けない私たち

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 目を閉じて、闇が降りて、目を開けばそこに朝の光がある。くそ、朝なんて来なければいいのに。寝起きの
靄がかかったような思考でそう考えながら体を起こすと、下腹部と内股が痛んだ。筋肉が引き攣るような痛み。
その痛みは現実だった。昨日だって現実だった。こなたと寝てしまったことも現実だった。
 夢だったらよかったのに。
 そんな風に思ってしまった自分が、一番情けなかった。



 どこにもいけない私たち(レイニーロジック・Ⅱ)



 思ったよりもずっと平静でいられた自分に、私は驚いていた。朝は普通に家族におはようといって一緒に
ご飯を食べたし、つかさの顔だってしっかり見ることができた。通学路は二人でいつも通り並んで歩いたし、
会話だっていつも通りの、昨日のテレビがどうとか、漫画がどうとか、今朝のニュースがどうとか、つかさ生
きに入りの芸能人の話とか、とりたてて芸のないありふれた会話だった。
 そしてそれは、風速十五メートルくらいだった私の心を、とりあえず凪いだ状態にはしてくれた。昨日のこ
とが私にどんな影響を刻んでしまっているのか、私は考えることをやめた。そうしてしまうのがいいんだと思
った。
 だけど、こなたはどうなんだろう。
 一度そのことを考え始めると、隣でにこにこと笑っているつかさが、ひどく遠い存在のように思えた。表面
上はいつも通り、つかさと同じ場所に居るつもりだった。でも違った。私はもう、その場所には居られないの
だと、つかさの笑顔に気付かされた。
 バスから降りると、雨が降り出していた。つかさが鞄の中から折りたたみ傘を出して、広げる。ぼんやりと
雨を落としている灰色の空を見上げていた私を、どうしたの? とつかさが覗き込む。
「雨なんか降らなきゃいいのにね」
「え?」つかさが首を傾げる。「でも、雨は大切だよ? 降らないと困ったことになっちゃうってテレビで言
ってなかった?」
 そんなことはつかさに言われるまでもなく分かっていた。単なる私の気分の問題だ。
「つかさは、雨は好き?」
 私の質問に、つかさは、うーん、と考え込む。
「雨は雨だから、好きとか嫌いとか、そんなの考えたことないかなぁ。だって、どうにもならないことだもん」
「そっか」
 そんな会話を交わしながら、私たちは学校に向かって歩いた。


 四時間目が終わり、昼休み。いつものように弁当箱を持って立ち上がった私は、教室を出ようとして、けれ
どそこで一度足を止め、そして教室の中へ引き返した。日下部みさおと峰岸あやのの二人の所へ行く。
「日下部」
「ん? 柊か」
「今日、一緒してもいい?」
「向こうはいいのか?」
「うん」
 どうぞ、と峰岸が場所を空けてくれる。私はその空けてくれた場所に弁当箱を置いて、近くにあった席の椅
子を引っ張ってくると、腰を下ろした。
「なんだ、妹とケンカでもしたのか?」
 からかうように日下部がそう聞いてくる。私は小さく笑って、肩を竦めたりしながら「あんたじゃあるまい
し」と答える。
 弁当箱を空けると、色合いも鮮やかな、手間のかかってそうな料理。今日の当番はつかさだった。つかさの
作るものは、どんどん豪華に、そして美味しくなっていっている。それは間違いなく私にはないものだ。
「お、今日の柊のは上手そうだな。妹さんが作ったんだな」
「あの子、こういうのは上手いからね」
「柊は下手だけどな」
「あんたもだろ」
 にゃはは、と日下部は笑う。その笑い声の明るさに、私は救われるのが半分、絶望させられるのが半分とい
う複雑な心境だった。私はあんな風には笑えない。一人だけ薄い透明な膜に包まれているような違和感。少し
意識を逸らすと、周りにあるもの全てが遠く感じてしまう。
「雨、強くなってきたね」
 峰岸の言葉に、私は窓を見る。グラウンドには水たまりができはじめていた。水捌けのいいこの学校のグラ
ウンドにしては珍しいことだ。
「やだな、雨」
 ふてくされたように、日下部は言う。まったくね、と私は呟いた。そのつぶやきを聞いて、日下部が何故か
目を輝かす。
「お、柊もそうか? 雨嫌いか?」
 仲間を見つけたとでも思ったのだろう、日下部は嬉しそうだった。
「そうね」私は日下部から目を逸らして、言った。「今なら嫌いになれるかもしれない」
 日下部はそうか、と笑って、
 峰岸は小さく首を傾げていた。
 そして、私はこなたから逃げているんだな、と今更ながらに気付いてしまった。



 図書室で時間を潰していくことに決めたのは、やっぱりそういうことなのだろう。私は逃げる理由を探して
いる。いつまで探し続けるのだろう。いつまで逃げ続けるのだろう。数学のテキストを机に広げたまま、頬杖
をついて、肺の中の空気を吐き出した。
 窓の外は、相変わらず憂鬱な雨。私は相変わらず余計なことばかり考えている。新しいページを広げたノー
トは真っ白のままで、広げたテキストはさっきから一度もページ数が変わっていない。余計なことばかりだ。
意味のないことばかりだ。
 私は逃げている。
 ため息と一緒に放り出したペンは、机の上をころころと転がって、床に落ちた。



 気持ち悪くなるほどに距離感のない雨の音が、誰もいない校舎内に響いていた。時計を見ると、もう早い部
活動は終わってしまいそうな時間だった。ずいぶんと図書室で時間を潰してしまったものだ、と私は考える。
それから、携帯電話を取り出して、つかさにメールを打った。図書室で勉強をしていたので少し遅くなります、
と父さんに伝えておくように。変に心配して向こうから電話がかかってくるかもしれないからだ。
 あ、と思わず声が漏れた。私は自分が、体操服を入れたサブバッグを教室に置いたままにしていたことに気
付いた。まあ、憂鬱な時は全てが上手くいかないものだ。雨が降っているならなおさらだ。そんな慰めにもな
っていない言葉を自分にかけて、階段を上る。上の階へ来ると、さっきまでさざ波のようだった音が、潮騒く
らいの音量に変わった。吹奏楽部の金管の音だった。金管の少し長めの咆吼と、コツコツと何かを叩いてリズ
ムを刻む音。
 私は誰もいない廊下を歩き、自分の教室へ向かう。誰もいない廊下というのは不思議な感じがした。そこら
辺でウサギでも手招きしてくれたら、一人で勝手にアリスの気分でも味わえるのかもしれない。
 自分の教室のドアに手をかける。何故か私は一瞬躊躇した。その躊躇を振り切るように、勢いをつけてドア
を横に滑らせた。
 教室の中は、暗かった。そこにあるもの全てがひっそりと息を潜めて、静寂を破った乱入者である私の、次
の行動を伺っているような空気で満ちていた。
 並んだ机。真ん中の列の、後ろから二つ目。私の席。その席で、誰かが寝ていた。夏服の白い背中を覆い隠
してしまうような長い髪。顔は両腕の間に埋まっている。
 その女の子は、腕の間だから顔を上げて、私を見た。
「……おはよう」
 サブバッグを机の横のフックから外して肩にかけながら、私はそう声をかけた。深呼吸二回分くらいの間を
おいてから、彼女はそれに答えた。
「おはよう、かがみ」
「何やってるの」
「寝てた」
「なんでよ」
 それも私の席で。そう言うと、こなたは曖昧に笑って、首を傾げた。

「罰ゲーム」
「はあ?」
「うん、そうだネ、罰ゲーム、ってことで」
 そう言ってこなたは笑う。
「なんの、罰?」
「いろいろ」
「いろいろ」
「そ、いろいろなんだよ、かがみ」
 私は息を吐く。
「放課後教室で寝るのが、罰ゲーム?」
 うん、とこなたは頷いた。
「放課後に一人きりで、かがみを待つのが罰ゲーム」
 でも、かがみが来ちゃったね、とこなたは私から目を逸らして、言った。
「それじゃあ」私は言った。「邪魔しちゃったわね」
「そうだネ」
 何を言えばいいのか、私には分からなかった。今この場で、どんな言葉が紡がれるべきなのか私には分から
なかった。そんな言葉が私の中に存在しているかどうかすら怪しかった。そうだね、と頷いたこなたは、普段
の彼女には見られない、淡い笑顔になっていた。そんな風に表情を変えていくこなたを、私はただ見ていた。
 たぶん、これが現実だった。
 きっとこれが、私の立っている場所だった。
 他の誰とも違っていても、もう私が立ってしまっている場所で、踏みしめている地面だった。
 私はこなたの頬に触れた。
 こなたは立ち上がって、両手で挟み込むように私の頬に触れた。
 唇が触れたのは、一瞬だけだった。こちらの表情を窺うように私を見上げているこなたに、今度は私から唇
を押しつけた。唇を甘噛みし、舌を絡ませた。私の頬に触れていたこなたの手が、ゆっくりと降りていく。
 間違っている。
 私はきっと、間違っている。
 私たちは、たぶん、どこにも行けない。二人で手を繋いで、その場所に座り込んでしまった私たちは、もう
どこにも行けないんだ。
 こなたは私を求めている。そんなことは分かっていた。分かっていたのに、なのに、私はそれに答えてしま
った。流されるように応えてしまった。
 こなたの手は、するりと私の制服の隙間に潜り込み、下着の上から私に触れている。舌を絡ませたまま、私
もこなたに触れた。
 今が放課後の教室だ、とか、
 誰かに見られたら大変なことになるな、とか、
 そもそも女同士で何をしているんだ、とか、
 お父さんお母さんごめんなさい、とか、
 ごめんね、こなた、とか、
 そんなようなこと全部を頭の隅っこに追いやって、意識の棚の中に押し込んで鍵をかけて、私はこなたを求
めていった。

「……べたべたする」
「かがみが情熱的だから」
「うるさい」
 あはは、とこなたが笑う。それは、こんな関係になってしまう前の、私のよく知っているこなたの笑顔だっ
た。だから私も笑った。きっと、私もこんな関係になってしまう前の私のように笑えていたはずだ。
 昇降口で靴を履き替える。雨は止むことなく降り続いている。あ、とこなたが声を上げる。私がそちらを向
くと、困ったように笑って「傘、盗まれちゃった」と言った。
「どうするの?」
「どうしよう……」
 じゃあ、濡れて帰る? 冗談めかしてそう言うこなたに、そうしましょ、と私は真顔で頷いてやった。
「え、ちょ、かがみ、マジ?」
「マジよ、マジ」
 昇降口を抜ける。
 雨は降り続いている。
 こなたの手を引いてやると、諦めたようについてくる。
 いち、にの、さん、で私たちは雨の中へ飛び出した。

 どこにもいけない私たちは、手を繋いで、雨の中を走っていった。





きれいなひと(同シリーズ、ゆたか&みなみ編)














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  • このシリーズ、幻想的……というか幻を見てるような儚さがあって好きだなぁ。 -- 名無しさん (2008-07-01 13:53:57)
  • 多分12-512氏の『ティル・ナ・ノーグの縁で』ですよね。
    神話の単語なので似てるといえば似てますけれど、
    黒井先生でヴァナディールではネトゲものになってしまうw

    どちらも名作で、お二人とも素晴らしい書き手だという点は疑いないですけれど。 -- 名無しさん (2008-02-27 09:11:04)
  • ↓その作品は12-512氏では?
    -- 名無しさん (2008-02-27 02:33:21)
  • この名作が埋もれているのが信じられません。
    何度も見に来てその度に自分の実力のなさに打ちのめされスランプに…という繰り返しですがやっぱり大好きです。

    『ヴァナディールの庭で』(でしたっけ?黒井先生×みゆきさんの作品でしたが…)の後編も待ってます。 -- 名無しさん (2008-02-26 15:41:22)
  • ぞ・・続編をぉぉ希望! -- 名無しさん (2008-01-03 00:32:46)
  • なんだか文を書くのが上手ですね。
    かがみのこの先の未来への不安が絶えず伝わってきて、そのことが文の全体の雰囲気を浮つかない全体のテーマに沿ったいいものにしているなと思いました。
    とても面白かったです。 -- 名無しさん (2007-11-26 01:48:37)
  • たまにはシリアス物も悪くないと思った。

    さりげなく歪アリwww -- 名無しさん (2007-11-12 22:18:25)
  • 救われない感じですがそれがまた良いですね~続編期待してます -- 名無しさん (2007-09-06 21:39:13)

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