陵桜学園高等部。そのグラウンドで野球部員たちが練習を重ねていた。
ノックを受ける野手たちの横でピッチャーとキャッチャーが約十八メートルの間隔を
開けて向かい合っている。
なぜか距離を置いて女の子二人がバッテリーを見つめていたが、彼は特に気にすることも
なく、おおきく振りかぶってキャッチャーミットめがけてストレートを投げた。
「オッケー、いつもどおりいけてる」
キャッチャーの返球を受け取って、そのサインに従い、次はスライダーを投げた。合図も
なしにとれるほど甘いスライダーを投げるつもりはない。球は鋭い曲線を描きキャッチャー
ミットに収まる。並みのバッターなら間違いなく空振りさせられていただろう。
彼は伸びのあるストレートとキレのあるスライダーでもってエースナンバーを託されていた。
彼自身、その自覚は持っている。陵桜学園は何度も夏の甲子園に出場し、準優勝まで
行ったことのある名門だ。そして彼もまた甲子園を目標としていた。
「次はアレの練習だ」
彼は返球を受け取って構えに入った。ストレートとスライダーには自信を持っているが、
それだけでは埼玉にひしめく強豪には通用しない。変化球のバリエーションを増やせば
戦うための手札を増え、打者にとっては選択肢が一つ増えることになる。目下の課題は
スローカーブの習得だった。これを極めれば、速球により脅威を与えることになる。
彼は手の感触を確認し、その一球を投じた。ボールの回転は球速を殺し、そのまま緩い
弧を描いてキャッチャーミットに収まった。
その一球だけを見れば完璧と言っていい出来だったのだが――
「だめだ、余計な力が入ってる!」
キャッチャーは叱責した。わざと遅い球を投げるスローカーブは、投げる側にとっても
勇気のいる球種である。その気負いはピッチングフォームにそのまま現れていた。目線、
球の握り、フォーム、全てがぎこちなく、見る者が見れば一目でわかってしまう。どんな
球であろうと来るとわかっていれば打ちごろでしかない。
それから彼は何度もスローカーブを投げた。理想的なのは、全ての球種を全く同じ
フォームから投げられることだ。しかし、二十球、三十球と投げても、彼は理想には
近づけない。
「お前なあ、とりあえず力抜けよ」
キャッチャーは痺れを切らして立ち上がり、ピッチャーに歩み寄る。
「そんなんじゃすぐ疲れて、五回ももたないぜ」
キャッチャーはピッチャーの肩を叩き、背中を叩いた。無駄に力が入っているのが、
筋肉の固さから伝わってきた。
「女の子が見てるからって緊張すんなよ」
「バカ、そんなんじゃないよ」
相棒の言葉に、ピッチャーは苦笑した。そちらの方にちらっと目線をやる。
「結構かわいいじゃん。後で声かけてみねえ?」
「やめとくよ。どうせお前目当てだろうし」
お前は昔からモテるからな、と心の中で付け加えた。それに、男子高校生たるもの
人並みに女の子に興味はあるが、今はスローカーブの習得で手一杯だ。
「――っ!」
なぜだか急に体が震えた。
「どうした?」
「いや、なんか悪寒が」
「悪寒? いや、実は俺もなんだけど……」
一体どんなときに悪寒がするのか、彼らの人生の経験則から知ることはできなかった。
「それより練習戻ろう」
「はいはい」
それを受けて、キャッチャーは元の位置に戻った。いつのまにか全身の緊張が抜けて
いることをピッチャーは自覚していた。
(まったく、お前はよくできた女房だよ)
わずかに微笑を浮かべ、彼はおおきく振りかぶった。
ノックを受ける野手たちの横でピッチャーとキャッチャーが約十八メートルの間隔を
開けて向かい合っている。
なぜか距離を置いて女の子二人がバッテリーを見つめていたが、彼は特に気にすることも
なく、おおきく振りかぶってキャッチャーミットめがけてストレートを投げた。
「オッケー、いつもどおりいけてる」
キャッチャーの返球を受け取って、そのサインに従い、次はスライダーを投げた。合図も
なしにとれるほど甘いスライダーを投げるつもりはない。球は鋭い曲線を描きキャッチャー
ミットに収まる。並みのバッターなら間違いなく空振りさせられていただろう。
彼は伸びのあるストレートとキレのあるスライダーでもってエースナンバーを託されていた。
彼自身、その自覚は持っている。陵桜学園は何度も夏の甲子園に出場し、準優勝まで
行ったことのある名門だ。そして彼もまた甲子園を目標としていた。
「次はアレの練習だ」
彼は返球を受け取って構えに入った。ストレートとスライダーには自信を持っているが、
それだけでは埼玉にひしめく強豪には通用しない。変化球のバリエーションを増やせば
戦うための手札を増え、打者にとっては選択肢が一つ増えることになる。目下の課題は
スローカーブの習得だった。これを極めれば、速球により脅威を与えることになる。
彼は手の感触を確認し、その一球を投じた。ボールの回転は球速を殺し、そのまま緩い
弧を描いてキャッチャーミットに収まった。
その一球だけを見れば完璧と言っていい出来だったのだが――
「だめだ、余計な力が入ってる!」
キャッチャーは叱責した。わざと遅い球を投げるスローカーブは、投げる側にとっても
勇気のいる球種である。その気負いはピッチングフォームにそのまま現れていた。目線、
球の握り、フォーム、全てがぎこちなく、見る者が見れば一目でわかってしまう。どんな
球であろうと来るとわかっていれば打ちごろでしかない。
それから彼は何度もスローカーブを投げた。理想的なのは、全ての球種を全く同じ
フォームから投げられることだ。しかし、二十球、三十球と投げても、彼は理想には
近づけない。
「お前なあ、とりあえず力抜けよ」
キャッチャーは痺れを切らして立ち上がり、ピッチャーに歩み寄る。
「そんなんじゃすぐ疲れて、五回ももたないぜ」
キャッチャーはピッチャーの肩を叩き、背中を叩いた。無駄に力が入っているのが、
筋肉の固さから伝わってきた。
「女の子が見てるからって緊張すんなよ」
「バカ、そんなんじゃないよ」
相棒の言葉に、ピッチャーは苦笑した。そちらの方にちらっと目線をやる。
「結構かわいいじゃん。後で声かけてみねえ?」
「やめとくよ。どうせお前目当てだろうし」
お前は昔からモテるからな、と心の中で付け加えた。それに、男子高校生たるもの
人並みに女の子に興味はあるが、今はスローカーブの習得で手一杯だ。
「――っ!」
なぜだか急に体が震えた。
「どうした?」
「いや、なんか悪寒が」
「悪寒? いや、実は俺もなんだけど……」
一体どんなときに悪寒がするのか、彼らの人生の経験則から知ることはできなかった。
「それより練習戻ろう」
「はいはい」
それを受けて、キャッチャーは元の位置に戻った。いつのまにか全身の緊張が抜けて
いることをピッチャーは自覚していた。
(まったく、お前はよくできた女房だよ)
わずかに微笑を浮かべ、彼はおおきく振りかぶった。
彼らを見つめる見物人が二人いた。田村ひよりとパトリシア・マーティン。
「あのキャッチャー、なかなかの美形デスね」
「ピッチャーのほうも純朴そうな感じで好感もてるね」
彼女らに投球とそのフォームから実力を推し量るだけの眼力があるはずもなく。
「ニホンゴではキャッチャーのことをニョーボーと呼ぶらしいですネ」
「女房、妻のことね。バッテリーには特別な信頼関係が必要だから」
「となると、やぱりピッチャーが攻めでキャッチャーが受けですネ」
「セオリー通りに行けばそうなるね」
男を品定めする女が可愛く見えるほどに、その目線は汚れきっていた。
『だめだ、余計な力が入ってる!』
キャッチャーの叱責が聞こえた。
「ナニがダメなんですカ?」
「さあ?」
彼女らに彼らの練習の意図はわからず、しかしその表情から真剣さだけは伝わってきた。
彼らが黙々と練習するので間が持たなくなり、ひよりが口を開く。
「そういえば、例えで会話のことをキャッチボールって言うんだよね」
「コブシとコブシで語り合うってヤツですね!」
「そうそう。こうしている間もあの二人の間では……」
と、そこで再びキャッチャーの叱責が響いた。
『とりあえず力抜けよ』
力抜けよ。力抜けよ。力抜けよ。
そのフレーズがひよりの脳内で何度もリフレインする。
「おおおおおおおおおおお……」
「ヒヨリ、どうしたのデスカ?」
一人わななくひよりを、パティは不思議そうに見つめた。
「キャッチャーの攻めもいけるかもしれないっス」
「おお、ナニか思いついたのデスネ!?」
パティは歓喜の声をあげ、何かのきっかけになったらしいバッテリーに視線を戻した。
『五回ももたないぜ』
(ご、五回ももたない!? 四回はもつんスか!?)
ひよりの腐女子フィルターは都合のいい音声だけを脳に通した。
「オー! 腰に手を回してマス!」
実際には肩や背中に触っているだけなのだが、パティの腐女子フィルターは以下略。
「練習再開したのかな? ああいう言葉少なに分かり合うのって男同士って感じだよ」
「と、いうコトは……」
「よし、行ける……今回はこれ決まりっス!」
「久しぶりにボーイズラブの新作ですネ!」
「うん、早速ネームを描かなくちゃ!」
自分と同じく何かに打ち込む者に勝手にエールを送って、ひよりはグラウンドを
後にした。
「あのキャッチャー、なかなかの美形デスね」
「ピッチャーのほうも純朴そうな感じで好感もてるね」
彼女らに投球とそのフォームから実力を推し量るだけの眼力があるはずもなく。
「ニホンゴではキャッチャーのことをニョーボーと呼ぶらしいですネ」
「女房、妻のことね。バッテリーには特別な信頼関係が必要だから」
「となると、やぱりピッチャーが攻めでキャッチャーが受けですネ」
「セオリー通りに行けばそうなるね」
男を品定めする女が可愛く見えるほどに、その目線は汚れきっていた。
『だめだ、余計な力が入ってる!』
キャッチャーの叱責が聞こえた。
「ナニがダメなんですカ?」
「さあ?」
彼女らに彼らの練習の意図はわからず、しかしその表情から真剣さだけは伝わってきた。
彼らが黙々と練習するので間が持たなくなり、ひよりが口を開く。
「そういえば、例えで会話のことをキャッチボールって言うんだよね」
「コブシとコブシで語り合うってヤツですね!」
「そうそう。こうしている間もあの二人の間では……」
と、そこで再びキャッチャーの叱責が響いた。
『とりあえず力抜けよ』
力抜けよ。力抜けよ。力抜けよ。
そのフレーズがひよりの脳内で何度もリフレインする。
「おおおおおおおおおおお……」
「ヒヨリ、どうしたのデスカ?」
一人わななくひよりを、パティは不思議そうに見つめた。
「キャッチャーの攻めもいけるかもしれないっス」
「おお、ナニか思いついたのデスネ!?」
パティは歓喜の声をあげ、何かのきっかけになったらしいバッテリーに視線を戻した。
『五回ももたないぜ』
(ご、五回ももたない!? 四回はもつんスか!?)
ひよりの腐女子フィルターは都合のいい音声だけを脳に通した。
「オー! 腰に手を回してマス!」
実際には肩や背中に触っているだけなのだが、パティの腐女子フィルターは以下略。
「練習再開したのかな? ああいう言葉少なに分かり合うのって男同士って感じだよ」
「と、いうコトは……」
「よし、行ける……今回はこれ決まりっス!」
「久しぶりにボーイズラブの新作ですネ!」
「うん、早速ネームを描かなくちゃ!」
自分と同じく何かに打ち込む者に勝手にエールを送って、ひよりはグラウンドを
後にした。
――その夜、彼らは一晩中謎の悪寒に襲われたという。
コメントフォーム
- 体育会系=軍人=武将=ホモセクシャル
うん、ひより達は間違ってないね! -- 名無しさん (2011-04-29 16:42:23)