am(1) /// / どこ:3 \ 14:
seren:
klel:
lumi \ [
istivet ] \ どこ、どの場所 \ [
vetyolom] \ am自体は「どこ」という名詞で、「どこで」ではない。どこでというときは副詞にする。たとえば
ti in-il am ima?のように。かといって「どこで」というものの全てが副詞になるわけではない。日本語に惑わされないように。たとえば
ti ke-i amの
amは
onに来る代詞であって副詞ではない。格組を参考に副詞か代詞か選ぶように \ 日本語の疑問詞に当たるものは形骸的な用法を持つが、アルカのは額面どおりの意味しか持たない。それは疑問文を疑問文として保護するためである。アルカでは質問することは重要視されているので形骸的な疑問文は嫌われる。日本語のように形の上では疑問文だが実際には疑問になっていないということなど考えられない。相手が誠実に答えるほどバカを見る。そのようなことをしているとやがて質問者も回答者も忌憚なく質問をしあわなくなる恐れがある。ゆえにアルカでは形骸的な疑問文は使わない \ 「お前何言ってんだよ」では本当に「何」を聞いているのではない。この場合はtoを使わず
ala ti ku-i toという。「何ちんたら歩いてんだよ」の何はなぜに当たるものだが、これも理由を聞くというよりは単なる非難である。これも
esは使わず
ala ti lof-i tix soaという。「お前どこ見てんだよ」も実際に「目です」などと答えれば余計に相手を怒らせる。これもamは使えない。
ala ti in-i anという。また、非難だけでなくからかいや皮肉にも日本語は疑問詞を使う。「泣いてあたしに謝ったのはいつのことだっけ?」という場合、
omは使わない。
ti kel-in map ti vant-a an kont ena?という \ [
ova ] \
lei tu xa-a mex koa その本はどこかこの辺りにあった \
an akt-a la ka xe 彼とは何処かで会った \
ti ra-e am? あなたはどこに住んでいるんですか? \
ti ket-a il am? あなたはどこの出身ですか? \
am(2) /// / 利益間接受身動詞:2 \ 14:
seren:
klel:
lumi \ [
yuo ] \
ulは
onという利益を受ける。間接受身文を作る。日本語の「~てもらう」「~てくれる」などに相当。
an am-a la ke-e(彼に行ってもらった)この場合、私は彼に何も頼んでいない。彼が行ったことによって自分が利益をこうむっている場合に使う \
最終更新:2008年02月13日 17:46