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 孫観は、後漢後期の人物。兄に孫康。子は孫毓
 臧覇らと共に徐州に割拠した一人。一時徐州呂布に協力していた。これが敗れると曹操に帰順したが、彼らの半独立の地位は文帝曹丕の代まで続いた。


情報

(姓名)
仲台(仲臺)
本貫地 泰山郡
孫康
官歴 騎都尉 北海太守 青州刺史 仮節 振威将軍
爵位 呂都亭侯
「将軍は深重に被創し、しかれども猛気ますます奮う」(曹操
死去 太祖の孫権を討つのに従い、戦って(きず)を被り、薨ず。
,渾名 嬰子
孫毓


事跡

 臧霸とともに兵を起こし、陶謙に従って黄巾を討って騎都尉を拜した。
 建安三年(198)、曹操と戦う徐州刺史呂布を援護した。
 曹操が呂布を破ると、臧霸を使わして兄の孫康呉敦尹礼らと共に孫観を招き、厚遇した。
 北海太守となった。
 臧霸は青州徐州二州の統治を曹操より任せられると、孫観もまた臧霸と戦伐をともにし、常に先登となり、青州徐州の羣賊を征し定めて*1、その功は臧霸に次いだ。
 孫観は呂都亭侯に封じられ、兄の孫康もまた功を以って列侯に封じられた。袁氏との戦いで出征した曹操と南皮県にて会い、子弟を遣わして鄴県に入居させた。
 後に偏将軍を拜し、青州刺史に遷った。曹操に従って孫権濡須口に征して仮節となった。孫権を攻めている最中、流矢のあたるところとなって、左足を傷つけたが、顧みずに力戦した。曹操は労って曰く、
「将軍は深重に被創し、しかれども猛気ますます奮う。まさに国の為に、身を愛すべからずや?」
 振威将軍に転じたが、(きず)は甚しく、卒した。子の孫毓が後を嗣ぎ、彼もまた青州刺史に至った。


年表




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関連項目・人物

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最終更新:2016年04月25日 22:47

*1 当時青州の領域を実質的に支配していたのは、袁紹の子の袁譚。