| (姓名) | |
| 姓氏 | 袁 |
| 名 | 遺 |
| 字 | 伯業 |
| 本貫地 | 汝南郡汝陽県 |
| 家柄 | 汝陽袁氏 |
| 官歴 | 長安県令 山陽郡太守 揚州刺史(袁紹署) |
| 評 | 長大して能く学に勤める者は、惟だ吾れと袁伯業のみ。(曹操) |
| 死去 | 袁術の敗る所となる。沛国に走り、兵の殺す所となる。 |
「世に冠する懿 さ、時に幹する量(器量)を有し、その忠允亮直は、固 に天の縱とする所です。載籍を包羅し、百氏(百家の学)を管綜し、高みに登りて能く賦し、物を観ては名を知るがごときは、これを今日に求めて、邈 か俦 も靡 いものです」
「長大して能く学に勤める者は、惟だ吾れと袁伯業のみ」
*1 三国志武帝紀注は「太尉朱儁」とするが、朱儁が太尉となるのは反董卓の起兵以後なので時期が合わない。張超は中平二年(185)に右車騎将軍となった朱儁の別部司馬を務めているので、袁遺が推挙されたのはその頃だろう。