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 袁遺は、後漢後期の人物。袁紹袁術の従兄。
 誅董卓の起兵に山陽太守として参加し、後に袁紹によって揚州刺史に派遣されるが、袁術に敗れて逃亡先で殺された。


情報

(姓名)
伯業
本貫地 汝南郡汝陽県
家柄 汝陽袁氏
官歴 長安県 山陽郡太守 揚州刺史袁紹署)
長大して能く学に勤める者は、惟だ吾れと袁伯業のみ。(曹操
死去 袁術の敗る所となる。沛国に走り、兵の殺す所となる。


事跡

 長安令となる。
 河間郡人の張超朱儁*1に推薦して、袁遺を称えて云うには、
「世に冠する(うるわし)さ、時に幹する量(器量)を有し、その忠允亮直は、(まこと)に天の縱とする所です。載籍を包羅し、百氏(百家の学)を管綜し、高みに登りて能く賦し、物を観ては名を知るがごときは、これを今日に求めて、(はる)(ともがら)()いものです」
 曹操もまた称して、
「長大して能く学に勤める者は、惟だ吾れと袁伯業のみ」
 初平元年(190)、山陽太守として誅董卓の起兵に参加し、酸棗県に駐屯した。
 軍が解散して群雄が割拠すると、袁紹によって揚州刺史に任じられたが、初平四年(193)頃、対立した袁術に敗れ、沛国に奔り、兵に殺されるところとなった。


年表




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関連項目・人物

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最終更新:2016年04月29日 04:06

*1 三国志武帝紀注は「太尉朱儁」とするが、朱儁が太尉となるのは反董卓の起兵以後なので時期が合わない。張超は中平二年(185)に右車騎将軍となった朱儁の別部司馬を務めているので、袁遺が推挙されたのはその頃だろう。