侍御史の率。故に大夫を称すと云う。(応劭)
御史大夫とは、
丞相の副として朝政を補佐する
上卿である。
三公の制が施行されると、
大司空に取って代わられ、その職権も大きく異なるものとなった。
以下は、前漢の御史大夫について記述する。
目次
歴史
故の秦官。
漢はそれを継ぎ、
丞相の副を掌る。
成帝綏和元年、
三公の分立に伴い、名を改めて
大司空とした。大司空はは水土の事を掌るため、
御史を率いる権限は失われた。
御史中丞を司空
長史とし、別に中に留め、この職責は故の如くであった。
哀帝建平二年、復して御史大夫、御史中丞とした。
元壽二年、また三公を置いて大司空と為し、御史中丞を御史長史と更名した。
中興すると三公の制が固定したため、御史中丞は
少府に属した。
献帝の建安十三年に到って後漢王朝に初めて御史大夫が置かれたが、その職掌は
司空の如くであったという。
魏晋では再び三公が置かれ、御史大夫の官は朝廷にはない。ただし、禅譲前の
魏王国、
晋王国や、晋の渡江後の華北に割拠して王を号した諸国(
五胡十六国)は、漢初の王国の例に倣って御史大夫を置いている。
位
上卿、一人。中二千石、銀印青綬。
職掌
丞相の副を掌る。
御史を率いて百官を理める。
属吏
御史丞
一人、秩千石。
三十人(四十五人中、[侍御史]]の十五人を除く)、六百石。
印綬を持たず。
百官を
理める。
御史
寺に留まり、御史大夫に属す。御史寺は
司馬門内に在り。
十五人を
侍御史として
御史中丞の下に置く。
一人、千石。
殿中に在る
侍御史を主る丞。故に御史中丞と言う。
殿中蘭臺に在し、図籍秘書を掌る。外は部刺史を督し、内は侍御史員十五人を領して、公卿の奏事を受けて章を按じ、挙劾(検挙弾劾)した。
御史のうち十五人。
衣は絳(火紅色)。殿中に給事する。宿廬は
石渠門の外に在り。
侍御史のうち二人。
侍御史のうち二人。
不詳。或いは、
宣帝が侍御史のうち二人を枕元に置いたことを云うか。
胡廣曰く、「孝宣帝、
路温舒の言に感じ,秋季の後、讞を請う。時に帝は宣室に幸じ,齋居、而して事を決す,侍御史二人に令し、
治書御史ここ起す。後に因りて別に置く。冠は法冠、秩百石(正しくは六百石か)、印綬が有り。
符節郎と共に
廷尉の奏事を平し,罪の軽重を当てる。」
不常置。武帝よりの制。
出でて姦猾を討ち,大獄を治めた。
刺繡の施された衣は尊寵の証。直指とは、直言指事、而して行い、私に阿ること無しを謂う。
直指繡衣、繡衣使者、繡衣御史などとも。
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関連項目・人物
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最終更新:2014年12月30日 23:31