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少傅は世子を奉り、以って大傅の徳行を観せ、これを諭し審らかにす。

 太子少傅とは、皇太子に仕える職官である。太子太傅を助けて皇太子を教導し、官属を従えて太子家を運営する。


目次



歴史

 太子少傅もまた、太傅と同じく古官である。『礼記』文王世子に詳しい。
 漢はこれを継ぐ。
 後漢代には詹事の官属を併合し、太子家の家政をも主る。
 晋武帝咸寧元年、太子詹事を置いて太子家を掌らる。太子太傅・少傅は官属を領せず。
 以後、詹事との廃置統合を繰り返しながらも長く存続する。



(前漢)
 不詳。
 太子太傅は秩二千石であり、その下ならば秩比二千石か。


(後漢)
 秩二千石。



職掌

(前漢)
 不詳。後漢と同様か*1



(後漢)
 また輔導を以って職と為す。悉く太子の官属を主る。



属吏

(後漢)
 天子の即位初めは,未だ太子が有らず、官属皆罷める。唯だ舍人は省かず、少府に領属す。

員吏

 十二人(十三人とも)。




属官(前漢)


太子門大夫

 五人、秩六百石。


太子庶子

 五人、秩六百石。


太子先馬

 十六人、秩は謁者に比す(比六百石)。
 太子の前を(かけ)る。
国語』曰く、句踐親しく夫差を先馬に為す。或いは洗馬とも作る。


太子舍人



左右戸将

 左右戸直郎を主る。
 光武帝建武以来これを省く。



 また、太子中庶子の名が漢書には既に幾度か見られる。



属官(後漢)

 天子の即位初めは,未だ太子が有らず、官属皆罷める。唯だ舍人は省かず、少府に領属す。

太子率更

 一人、秩千石。
 庶子・舍人の更直を主る。職、光禄勲に似る。宮殿門戸の禁、郎将屯衛の士を掌る。


 無員、四百石。
 三署中郎の如く。


 無員(一説に十三人)、二百石。
 更直宿衛し、三署郎中の如く。良家の子、孫を選ぶ。


太子家


  • 太子家令
 一人、秩千石。
 倉穀飲食を主る。職、司農少府に似る。

  • 太子倉令
 一人、六百石。
 倉穀を主る。

  • 太子食官令
 一人、六百石。
 飲食を主る。


太子僕

 一人、秩千石。
 車馬を主る。職、太僕の如く。

  • 太子厩長
 一人、四百石。
 車馬を主る。


太子門


  • 太子門大夫
 二人、六百石。
 職、郎将に比す。四府掾属より選ぶ。諫大夫の如く(興服志)。


太子中庶子

 五人、六百石。
 職、侍中の如く。


太子洗馬

 比六百石。
 職、謁者の如し。太子出づれば、則ち直一人前に在り、威儀を導くに当たる。
 郎中より選び補す。


太子中盾

 一人、四百石。
 周衛徼循を主る。


太子衛率

 一人、四百石。
 門衛士を主る。



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関連項目・人物



詳説





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最終更新:2015年01月18日 21:04

*1 ただし、太子家官属のうち、家政を運営する職は詹事に属した。当初太子少傅(或いは太傅)に属したのは、太子を親衛する官に限られる。詹事が省かれるに伴い、官属が併合されたのだろう。