詹は、省なり。給なり。(応劭)
目次
歴史
詹事は、故は秦官。漢はこれを継ぐ。
景帝中六年、長信詹事を長信少府と更名する。
成帝鴻嘉三年、皇后の詹事官を省き、
大長秋に併合する。
哀帝綏和二年、帝の実の祖母、定陶太后を尊んで恭皇太后とし、生母の丁姫を恭皇后として、左右の詹事を置いた。両者の食邑は長信宮、中宮(皇后宮)の如く。
平帝元始四年、長信少府を
長楽少府と更名する。
以後、後漢、魏は置かず。
晋武帝咸寧元年、太子詹事を置いて太子家を掌らせる。
太子太傅・少傅は官属を領せず。
廃置を繰り返しながらも長く存続する。
位
職掌
皇后、太子家を掌る。
属吏
詹事丞
一人、秩六百石。
属官(太子家)
漏刻を知るを掌る。故に曰く率更。
太子、家を称す。故に曰く家令。(張晏)
一人、秩八百石。
一人? 秩四百石。
周衛徼道を主る。
後漢では
太子少傅に属す。
一人? 秩千石。
門衛を主る。
後漢では
太子少傅に属す。
太子廚
一人。
一人。
属官(皇后)
中長秋
不詳。
倉
廐
祠祀
食官
諸宦官
皆屬焉。
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関連項目・人物
詳説
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最終更新:2015年01月18日 21:08