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 奉車都尉は、前漢代中期以降に置かれた職官。天子の御乗輿車を司った。
 本任は天子の外出に随行する儀仗職であるが、霍光はこの官を以って二十数年間武帝に仕え、宮中では侍中加官されて左右に侍し、謀反を討った。このため漢代では外戚等の天子の信任厚い人物が任じられる顕官となった。後漢では明帝期の竇固がこの官で匈奴を伐っている。
 では逆に尚書などに加官されて儀礼の一角を担った。


目次



歴史

 武帝が置く。
 武帝後元元年、侍中僕射の莽何羅(馬何羅)とその弟重合侯馬通が謀反し、駙馬都尉金日磾、奉車都尉霍光騎都尉上官桀がこれを討つ。
 中興後は、光禄勲に文属(書類上の所属)する。
 明帝永平十五年、奉車都尉竇固駙馬都尉耿秉涼州に屯す。以後三年に渡り北匈奴を伐つ。



(前漢)
 秩比二千石。


(後漢)
 無員(或いは三人)、秩比二千石。
 光禄勲に文属する。



職掌

 御乗輿車を掌る。



属吏・属官

 不詳。



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関連項目・人物



詳説





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最終更新:2015年01月30日 23:07