原語
和訳
名詞
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ト、トビラ、扉、
戸
、
門
、
襖
、障子、
口
、門戸
-
~戸:
+
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... |
網戸、開き戸、引き戸、落とし戸、遣戸、揚げ戸、潜り戸、切戸、舞戸、板戸、雨戸、木戸、岩戸、屋戸、大戸、中戸、脇戸、袖戸、桟戸、帯戸、枢戸、折り戸、車戸、鎧戸、鼠戸、猿戸、妻戸、鏡戸、編み戸、枝折り戸、簀戸、筵戸、杉戸、葦戸、柴戸
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-
入
り口、出口、出入り口、
戸
、玄関、戸口、玄関口、門口
接辞
漢字一字
やまとことば
備考欄
辞書
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説明
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廣辭林新訂版
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(名) [一]と。とびら。 [二]門戶。出入口。
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新訂大言海
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(名) (一)戶。扉。 (二)入口。出入口。
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角川国語辞典新版
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名 戸。とびら。
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大英和辭典
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〔名〕[一]戶,扉〔トビラ〕,門. [二]門口〔カドグチ〕,戶口,開キ戶,入路. [三]入口(町ナドノ),軒〔ケン〕(何軒目ナドトイフトキノ),家. [四]出入口,出入道,通路,道路.
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直訳音写語は「戸」か。
カタカナ語話者はこの語の日本語をすっかり忘れているのか知らないが、「日本人が」、或は、「日本語で」今も用いる語は普通に「
扉
」(国際音声記号 /tobiɾa/)。
この語の日本語的響きは、「ど」が語頭に来た時、それが
唯
の音である場合、近代の俗語で「ドデカイ」や「ドアホ」などの「甚だ」という接頭語の意味となり、その
後
に「あ」という意味無き
唯
の
一音
が加えられているのは、そもそも語尾が「あ」で終わる日本語(和語)は前の音がア段でない場合、日本語には存在しないため、驚いたり、何かに感付いたりする時に発する感動詞の「あ(あっ、あぁ)」となり、「甚だ、あ」という意の甚だ意味不明な語ぐらいの響き。
或は、日本語が拙いどっかの外人が多く日本語で「
扉
」の概念を表すのに語尾で「
戸
」となれば、日本語が未熟なだけに連濁を知らず、これを一つの単語と勘違いして、なぜに乳児でも発音できる口を開けば出る音(喃語)の「あ」が口から漏れ出して長音的に聞こえるもの(
戸
あ)ぐらい発音がマヌケ、或は「ど」という
一音
をはっきりと発音できずに延ばして発音してしまう舌が未発達(構音障害)の人ぐらいの響き。ダッサい。
字面は、何も意味をなさない、マンガなどで空白部分を埋めるために添えられた「ゴゴゴゴゴ」や「キィィィ」、「ドオオオ」などの擬態語のようなもの。
「玄関
戸
あ」「半
戸
あ」など、前に修飾語があったら尚更「語尾の「あ」って何。何のために付けてんの」と日本語母語話者は普通思うという話。
また、一部のカタカナ語話者はこの物事・概念を指すのに、そいつの辞書にはこの語しか存在しないかのように使っているため、「
扉
」という言葉を知らないか、「
扉
」がどういう物・概念を指す言葉なのか分からないほどになっているか。或いは、別語として理解しているのかも含め、未開が未開なだけに確かめがたい。
「日本語大丈夫か」などの話ではもうなく、日本語が母語ではないという証左であろう。
そうならば、逆に言い換えて謂うが、カタカナ語話者が「どあ」と称するものを日本語で全て「
扉
」と言い、英語の「door」の日本語に於ける訳語も「
戸
」又は「
扉
」と言う。「回転
扉
」「玄関
扉
」「自動
扉
」などと日本人・日本語母語話者は普通にこれらを呼ぶ。また、「
扉
」は複合語などで連濁が起こらず、全て「
扉
」と読む。
この物事を指す言葉が英語からの借用語などいう言語がそうそう無いのも原始時代よりある概念だからであり、日本語に於いては「
戸
」という言葉が昔から用いられている。
「
扉
」は戸にある動くものを言う。英語の於けるdoorの入口などの意を持つ多義、或は抽象性と完全に対応する語は「
戸
」であって「扉」はその狭義。
昭和頃まではこの概念を当たり前のように、日本人が共通してそれを呼称していた、定まった呼び名・訳語として有った「戸」を必ず挙げており、日本国民は皆、この言葉を使っていたことも分かり、また英和辞書で「どあ」などいう響きのダサい何を指しているかも分からない音写語は当たり前のように書いていないし、書くはずもあるまい。
また、「戸」は造語の性格が強く、あらゆる語に濁音化(
戸
)して付き、「戸」のことを指す。
「
木戸
」は木製の戸の意、「開き
戸
」は
引戸
に対する押し引きで開閉する戸の意、「落とし
戸
」は上下に開閉する戸の意など。
戸を数えるのに現在は「~
枚
扉
」という言い方もある。
同義等式
原語単位
door=戸
カタカナ語単位
ドア=戸
附箋:D ト 英語
最終更新:2025年06月11日 19:29