Beholder Vs SwordSorcerer◆YFw4OxIuOI


伊烏義阿は宵闇の城下町を駆ける。
ただ怒涛の如く、奔馬の如く、駆ける。駈ける。翔ける。
疾走により抉られた地面が砂埃を巻き上げる。
周囲に散乱していた紙屑が、疾走により生まれた風で宙を舞う。

ただ己が倒すべき、愛おしき、厭おしき仇敵を求めて。
あの朱羽の男を求めて。己と相争う生ける雌雄剣を求めて。
天空を駆ける蒼月は、ただ同じく天を舞う燕を、鍔眼を探し求める。

伊烏義阿は疾走を続ける。
武田赤音の行方について、別段何か当てがあるわけではない。
ただ、仇敵がすぐ傍にいるかもしれぬのに
ぶらぶらと悠長に歩き回るのが堪らなくもどかしかく、
その身体を温めておきたかったからである。

そして、そしてこうして目立つ場所にて疾走を続ければ、
いつしか同じこの“御前試合”の参加者達と遭遇する可能性が高い。
それが武田赤音ならよし。
そうでなければ、出会った他の参加者達から奴の事を引き出せば良い。

武田赤音なら、あの凶人ならおそらくこの“御前試合”など歯牙にもかけず、
ただ本能と欲望の赴くままに破壊と殺戮を繰り返しているに違いないだろうから。
そしてあの退廃的な少女の如き容姿と、
外見に反する狂犬の如き立ち振る舞い。
あれほどのどぎつい個性なら、すぐにでも噂になるだろう。
ならばこの御前試合の参加者に残らず当たっていけば、いずれは辿り着ける。

だが、出会った者がこの御前試合とやらの優勝を目指しているのなら?
あるいは己と武田赤音との相剋の障害になるのであれば?
ならば、この剣にて全て斬り捨てればよいだけの事。
もはや殺人に禁忌の感情は抱かない。
この身は既に殺しに慣れており、もはや悪鬼以外の何者でもないのだから。
武田赤音とのもう一度の相剋の為、前に道がなければ屍の橋で築き上げる。
自らが生み出すであろう、無数の怨霊を糧として。
そう決意したはずなのだから。


そして、城下町にて初の遭遇はなされた。
だが、それは伊烏義阿の望む武田赤音を知る者ではなく、
ただこの御前試合に乗った人斬りの類ではあったが。

「んーむ。“井上真改”か…。いいね。」

伊烏義阿の行く道を遮るように城下町の通りの中央に立ち、
そこでは腰に二本の鞘を差した黒傘の男が微笑んでいた。
抜き身の日本刀を、そこに映る自身の顔を眺めながら。
舐めるように、愛おしむ様に。
おぞましく。そしてさも愉しそうに。
うふふ、うふふ、と哄笑する。

「その斬れ味と美しき作風から朝廷より十六葉の菊紋を許され、
“大阪正宗”とまで絶賛されたこの刀が見つかるとはね。
 今腰にあるなまくらとは、全てが比べものにならん。」

――これなら、あの“伊東甲子太郎”などとほざく、
とうの昔に死した元同僚の名を騙る士族様も斬れようものだ。

鵜堂刃衛は腕を振るう。
風が斬り、夜空を舞う葉を何かが撫でる。
ひらり、と木の葉が二つに割れる。

伊烏義阿は足を止める。
常軌を逸した狂喜の表情。
そのまるで隠そうともしない、溢れ出すばかりの殺戮への情欲と闘気。
彼の意図するところは言わずとも明らかである。

「だがな。刀が最も美しく映える瞬間はな。
 人の生命を吸い、その身が紅く濡れそぼる時だ。
 …貴様も、そうは思わないかね?」

黒傘の男は、ここに来て初めて伊烏にその顔を向ける。
伊烏はこの不気味な男を見て即座に障害と見なし、
不意打ちの機会を窺ってはいたのだが、
この独り言の最中にもまるで隙というものがなかった。

「いや、俺はそうは思わない。」
「うほおう。そういうと?」

伊烏義阿の思いもよらぬ反論に、鵜堂刃衛は好奇の視線を送る。
それは人のものとは到底思えぬ視線だが、彼が一向に臆する事はなかった。

「刀剣は道具。それを繰る術技も、やはり道具に過ぎぬ。
 道具は力あるからこそ、存在するだけで抑止の意義がある。
 そして、時にはその威を示さねばならぬ事もある。」

「…だがな。人は刀剣や術技に使われる為にあるのではない。
 出来得るなら、それは“抜かずの宝刀”であり続けられるならそれで良いのだ。」

――剣を突き詰めた先に、無想の境地というものがある。

戦いとは常軌を逸した騙し合いの場であり、そこには無数の駆け引きが存在する。
己の心をひた隠しにし、敵の腹の底を探り、相手を騙し勝利を簒奪するのが定石である。
正直さや誠実さは絶無の、畜生の闘争よりなお性質の悪い、悪意咲き乱れる世界である。
だが、そういったひたすらに泥臭い、小賢しい卑劣なやり取りとは
一次元上の所に、この『無想の境地』は存在する。

 何も考えず、己を無とする。
 己を無とし、世界に自己を含有する。
 敵は我の心を測れず、我は敵の心を掴める。
 この境地があれば、もはや敵に敗北する事はない。
 いや、突き詰めれば、敵と戦う必要さえなくなる。
 全てを知れば、敵を避ける事も、敵を作らない事も容易だ。
 世界と己との調和。
 刈流ではその領域に到って、修行の完成とする。

そうして、剣者はまさに生きながらにして“抜かずの宝刀”となる。
無想の境地とは、別段刈流のみの独創的な発想という訳ではない。
駆け引きと騙し打ちの名手である宮本武蔵の『五輪書』にも、類似した発想は窺える。
いや、別段強くは意識されていないだけで、それはどの流派にも等しく存在するのだ。

剣の術とは殺人の術。それはまぎれもない事実である。
だが、それのみではない。それのみでは、決してないのだ。
心身を鍛え、己を向上される側面をも併せ持つが故に。

血生臭い斬り合いの果てに、おぞましき騙し合いの果てに、
初めて得られる悟りの境地というものも確かに存在はする。

伊烏義阿は、この修羅道に堕ちた人斬りを見ることで、
結局は己が到達し得なかった刈流の教えの境地を、
死して悪鬼と化した今更になって思い出していた。

「綺麗事は止せ。若造。そうほざく貴様の目…。俺と同じ人斬りの目をしているぞ。
 それとも、そうしてまだ自分を騙し続けねば、満足に人も斬れん腑抜けということか?」

鵜堂刃衛はただ哂う。
鵜堂刀衛は、目の前の蒼き青年の奥底に眠る悪鬼を確かに見たが故に。
そして、蒼き青年もそれに釣られて“哂った”。

それはまさに陰々滅々たる、自嘲の笑み。
己の途轍もない愚かさと、心弱さを蔑む笑み。
己の犯した償い切れぬ罪を悔悟した果てにある、
決して取り返せぬ、その美しき過去を偲ぶ、
擦り切れた心の持ち主のみが出せる枯れた微笑。

「…貴様の言う通りだ。綺麗事は所詮絵空事に過ぎず、
 もはや今の俺に尊き剣の道を語る資格はない。」

 今は亡き師や門弟に顔向けできる立場でもなければ、
 その剣の教えを完成させる事も永久に出来ぬ。
 俺が今振るえるのは、卑しく浅ましき犬畜生の剣のみだろう。

――――武田赤音と同じようにな。

伊烏義阿は、心中でこう付け加える。

「貴様の言うとおりだ。今の俺はすでに殺しに慣れている、只の人斬りだ。」
「…では、同じ人斬り様同士、丑三つ時の往来で出会えばする事は一つだな?」

鵜堂刃衛は満面の笑顔で猛る。
伊烏義阿は仏頂面の無言で頷く。
もはや互いに言葉は不用。続きは剣にて語るべき。

「さあ、来い俺と同じ人斬り様よ!」

鵜堂刃衛は大きく猛り、狂喜する。
心の底から愉快に、呵々大笑する。

伊烏義阿は昂ぶらず、荒ぶれず。
ただ、心中でこれから己が生み出す骸の数を数えた。

――――15。

伊烏義阿は地を蹴る。
鵜堂刃衛は迎え撃つ。

剣鬼達は、今ここに死闘を開始した。


伊烏義阿は抜刀はせず、左手で鞘を握り親指だけをかけた、居合腰の体勢で駆ける。

――うふふ。抜かぬ、なぁ?

二人の間の距離はそう遠くない。五間あるかないかの距離である。
殺意を漲らせながら前方に駆けて、まさか握手を求めに来るという事もないだろう。
それでいて、一向にその剣を抜く気配がないとあらば敵手の意図することはただ一つ。

抜刀術のみである。
それは抜刀が即ち斬撃を意味する。予備動作といったものは存在しない。
しかも、それが神速のものである事は想像に難くない。
そうでなければ、不意打ちもなにもない今の局面において、
最初から引き抜かれた剣に間に合うはずもないのだから。
つまりはこの男が余程の誇大妄想狂でもない限りは、
己の居合抜刀に絶対の自負を持つ腕前という事になる。

――この男。つまりは抜刀斎と同じく、神速の抜き手という事か。

――これはいい!素晴らしい!あの抜刀斎との来るべき再戦の、これはよい準備運動にもなる!!

「うふふ。居合あいアイ…。」

伊烏義阿は駆ける。ただし、その速度と歩幅は一定にせず、だが一貫して疾走。

5.0……4.7……4.0……3.5……2.9……2.5……。

地を蹴る足がまるで統一性のない、出鱈目な拍子を刻みだす。
四足獣の疾走する足音のほうがまだ捕捉し易いとしか思えぬ、
無秩序も極まる全力疾走。だが、これが既に技なのであろう。
間合いを見誤らせ、こちらの後の先を繰り出す時期を逸させる為の。

焦りで斬撃が速過ぎても、呆然となり反撃が遅過ぎても、
それは等しく居合抜刀の餌食となる。
そしてしかと間合いを把握し、一足一刀まで手を出さなかった場合も、
おそらくは大きく前方に跳躍して、その間合いを奪い去るであろう。
そう、この混沌の歩法は良く知っている。

――この「懸り打ち」にも似た歩法。
薬丸自顕流か、あるいはその流れを組むものか?

確かに、これは非常に読み辛い。静止していなければ、俺とて見誤る。
この男が一枚上手だが、同じ歩法を用いた薩摩の狗どもは飽きるほど斬って捨てた。

「うふふ…。」

あの男の剣がもし想像通りに示現の流れを組み、
その威が居合用に手を加えられたものであれば、
如何なる防御をも打ち砕く、剛力にして神速の
閃刃が迫ると考えるべきであろう。
ならば、その居合抜刀を剣にて防ぐか躱す事を企図して、
抜き放たれた後の無防備を狙うは、愚の骨頂。

ならばこちらの為すべき事は一つ。
勝機此先之先二有!

二本足の蒼狼は疾走し、一足一刀の間合いに入る。
その右手が、剣の柄に添えられる。

「うふ!」

黒傘の凶眼が光る。蒼白く光る月夜よりも妖しく、魔力に満ちる。
そして、その瞳は伊烏義阿なる蒼き剣客を真正面から捉える。

「……ッ!」

伊烏の全身に形容し難い痺れを感じる。
その腕が途端に鉛の重量を得る。
その足が唐突に駆動を拒否する。
首が固まり、胸筋は吸気を放棄し、
挙句はその心肺さえもが怠慢を起こし始める。
意識さえもが、暗くなり始める。

――金縛り、だと?

伊烏義阿は唐突の事態に動揺する。
金縛りの原因を、その源泉を唯一自由な意識で以て模索する。
そう。あの視線に捉えられ、その眼光が輝いてからだ。
一度死した身なれど、この身体に一切の持病はなく、
また不調も感じられはしない。
ならばこう考えるしかない。

あの人斬りの視線にて、俺は金縛りにされた。

因果関係を考えれば、そうとしか考えられない。
これまでの勢いが付いていたが故に、
唐突の停止に姿勢が崩れ前のめりになる。
蒼き剣鬼は無防備となり、まさに斬首を待つ罪人が如く
黒傘の処刑人に首を差し出す格好となる。

それはまさに剣の条理を覆す、一切の常識を覆す魔剣。


――――二階堂平法、魔剣『心ノ一方』。


自らが手繰り寄せた隙を見逃さず、黒傘は突撃する。
怒涛のように。津波のように。
その殺意の圧力のみで押し潰さんが如く。
鵜堂刃衛はその剣を水平に、左から右へと薙ぎ首を落とさんとする。


――――二階堂平法、一文字ノ型。


このままでは、ただ平伏するがままに首を刎ねられるのみ。
いわば、絶体絶命の窮地。
このままでは、武田赤音と再戦する前に、その生命は潰えてしまうだろう。
それは嫌だ。それは嫌だ。それは嫌だそれは嫌だそれは嫌だそれだけは絶対に嫌だ
それは何故だ認められぬ許されぬ赦されぬ負けてはならぬ決してあってはならぬ!!

――舐めるな!妖術師!!

武田赤音がいるというのに。
武田赤音と戦えるというのに。こんな処で不様に死ねるものか!!

心肺の怠慢により消えかけた意識が、魂の咆哮により今鮮烈に蘇る。
脳漿を沸かせるまでの激怒。
臓腑が煮え滾るまでの憎悪。
頑ななる敗北への拒絶。無為なる死への拒絶。
武田赤音とのもう一度の相剋への道を阻害する、
眼前の剣客に対する、瘴気さえ帯びた高濃度、高純度の殺意。
もはや狂恋にも等しい、武田赤音に対する度し難いまでの妄執が、
伊烏の剣気を極限にまで、眼前の凶眼の戦士を凌駕するほどに高める。

伊烏義阿はそのどす黒い闇の剣気より、その不動の戒めを完全に解いた。
心肺がその駆動を再開する。全身の痺れが吹き飛ぶ。手足の動きが蘇る。
――そしてさらにその姿勢から跳ね上がり抜刀する!
だが、それは通常の間合いから考えれば、少々速きに過ぎる抜刀。
素人なら間違えようとも、玄人なら間違えようのない致命的失態。

この目測では、その居合は鵜堂刃衛に届きはしない。
確かに今の機なら黒傘の振るう横薙ぎの刃よりは速いが、
それが当たらなければ扇風機程の意味さえないのだ。
鞘から引き抜かれたのが、速過ぎたのだ。

伊烏義阿の独自の歩法で間合いを奪うやり方を、
鵜堂刃衛は『心ノ一方』で思考を奪うやり方で、
見事やり返した形となったのだ。

――フン、つまらぬな。
いや、先程の戦での効き目の薄さから、
念には念を入れ心肺を止める積もりで用いた
極大の『心ノ一方』すら一瞬で脱した剣気のみは、
称賛に値すべきか。

一秒が限りなく細分化され、それが百秒にも感じられる中で、
鵜堂刃衛は軽い失望に鼻を鳴らした。
目の前の蒼い青年の速過ぎる刃は目の前を通り過ぎ、
そしてこちらの一文字の型は外れる事無く、
蒼い青年の首筋を捉えるであろう。

――さらばだ、若造。未熟なる人斬り様よ。うふふ。

鵜堂刃衛は自らの焦りから来た失敗に無念を浮かべ、
あるいは迫り来る死に恐怖しているであろう
敵手の表情を眺めんとその視線を顔に向ける。
この興醒めも極まる一合を、せめてその苦悶にて
この俺を興じさせよと言わんばかりに。

だが。
だが、しかし。

目の前の青年が浮かべる貌は、こちらへの憐みのみであった。
そしてその視線は鋭くこちらの喉を捉えて離さない。
敗北への諦観も、悲壮感も、そこには一切が存在しなかった。

――解せん、どういう事だ?

不意に思いなおす。
居合に絶対の自負を持ち、間合いを狂わせる絶妙な歩法を用いる敵が、
極大の「心ノ一方」の呪縛をもほぼ一瞬で解く程の剣気を持つ難敵が、
己の失態を、迫り来る敗北と死の刃を、理解できぬ筈があろうか?

それはない。それは絶対にありえない。ならば、考えられることはただ一つ。
すなわち己の術技が完璧であり、己の勝利を確信しているという事である。

それ即ちこちらの危機。致命的危機。
背筋が凍り付く。氷塊を背中に詰められたような怖気。
第六感が、こちら側の死の警報を大音量でかき鳴らす。

鵜堂刃衛はその役立たずの理性より剣者としての本能と勘に従い、
その剣を止め後方へと大きく跳躍した。理由はまだ理解できない。
だが、この場に留まるは危険だ。そう確信する。

後退とほぼ同時に首筋を風が撫で、少し遅れて赤い線を引く。
だが、それは首の皮一枚を掠めただけに留まり、
そこから血飛沫を上げる事はなかった。

見れば先程の蒼き青年は、異形の握りで鍔元ではなく柄頭を握り、
奇形の抜刀術にて大きく間合いを取り喉を正確に狙い抜いていた。
それはまさに長蛇の如き延びを見せる、執念深き獲物への襲撃。
間合い騙しの抜刀術。


――――刈流 長蛇。


つまり、己が抱いた勘は正しかったという事か。
黒傘は背に冷汗が伝うのを感じた。だが、まだ危機は去ってはいない。
唐突な後退故体勢が大きく崩れ、動揺を隠せぬ鵜堂刃衛。
異形の握りが故に、二の太刀が至難の伊烏義阿。

果たして、追撃を行うは伊烏義阿が一足先であった。
伊烏義阿は抜き放たれた刀剣を鞘に収めることなく、
そのままに剣を右肩の上へと担ぎ、左足を前にし、右足を引く。
いわゆる刈流の“指の構え”を取る。

左足はそのままに、右足を蹴り出す。
体が前で飛び出し、体重移動の力が発生する。
それに剣を連動させる。一方で、腕の力は徹底して抜く。

逃さない。逃しはしない。

打ち下ろしによる全ての体重を乗せた力も。
未だ反撃に移れぬ状態にある標的も。

轟、と唸りを上げて眼前の空気を切り裂く。
全体重の加重が乗った渾身の一撃が、袈裟に駆け抜ける。


――――刈流 強。


鵜堂刃衛は反撃を捨てていた。速度は今は向こうが上。
崩れた姿勢から無理に反撃に移ったところで、敵の巻き返しが圧倒的に速い。
ならば相手の攻撃を躱すことに専心し、まずはその体勢を立て直すが上策。

ゆえに、その砂塵を巻き上げる神速にして剛の振り下ろしは、
回避に徹した鵜堂刃衛を捉える事はなかった。
その袈裟掛けは黒傘だけを捉え、それを見事二つに割る。

だが、さらに執拗なる追い討ちの刃が鵜堂の腕に迫る。
それはさながらに、寄せては返し、寄せては返す、
小浜に打ち寄せる小波がごとき剣の襲来。


――――刈流 小波。


「…くっ。」

ここに来てようやく体勢を立て直した鵜堂は、剣にてその小手を受け流す。


だが重い。途轍もなく重い。
こちらの腕に痺れが走る。
腕に力が入っている様子はまるでなかった。
全身の力を乗せているが故なのだろう。
余分な腕に力が入れば、全身の力の伝達は為せないのだから。
素晴らしいまでの脱力と弛緩が為せる、神速と剛力。

鵜堂刃衛でなければ、大阪正宗でなければ、
その剣ごと真横に断ち割られていたであろう。
素晴らしいまでの、執拗なまでの剣の舞。
あの“人斬り抜刀斎”と比肩しうる程の。

そのどれもが必殺の一撃であり、生半可な反撃など許さぬものである。
これまでは回避に専念していたからこそ躱しえたものだ。
だが、これまでもそう上手くいくとは限らない。
冷汗が頬を伝い、極限の緊張感で肌がひり付く。
膝が震えるのは、武者振るいか?それとも恐怖か?
殺るか、殺られるか。
そのギリギリの一線の中での、壮絶なる殺し合い。

――うふふ。人斬りとは、やはりこうでなくてはならん。

双方は再び間合いを大きく取る。
その距離は先程よりさらに離れおよそ六間。
伊烏の最大の得手は抜刀術の中に有り、
鵜堂が奥の手を用いるにも時が必要であるが故に。
双方が睨み合う中、鵜堂は口を開く。

「貴様を殺す前に一つ聞きたい。貴様のその剣、流派は何だ?」
「…刈流。」

黒傘を失った人斬りはさも愉しげに、嬉しげに蒼鬼に問う。
端正な顔立ちの蒼鬼は、呟くようにそれに応じる。

「聞かぬ名だ。だが、その剣は古流の、飛天御剣流と比肩しうるものと見た。」
「…その腕で刈流を知らぬとは意外だ。だが今の貴様の剣、二階堂平法と見た。」

今では無くなった、己が打ち捨てたも同然の刈流だが、
その名は一時は全国に轟いていたはずの古流兵法を、
これほどの剣者が知らぬという事があるのだろうか?

伊烏義阿は疑念を抱く。
何かの偶然、あるいは失念であろう。伊烏は疑問をそう納得することにした。
そして自らの疑念…ほぼ確信めいたものであるが。それを口にした。

「うふふ。いかにも。しかし、先程の失敗から念には念を入れ、
 極限まで強くかけた『心ノ一方』が解かれるとは思わなかったぞ。」
「…松山主水大吉のみに許された魔剣、今ここに蘇るという訳か。」

今全身全霊で以て殺し合っている者達とは思えぬ、
互いの術技を称賛するのどかなやり取りが繰り広げられる。
張りつめた空気が、殺気が、目に見えて弛緩する。

これが丑三つ時の城下町の往来でなければ。
これが抜き身の刀をぶら下げているのでなければ。
それは剣を志す者達の評論会にも見えたでろう。
だが、これは次なる局面への息継ぎに過ぎぬもの。
両雄はそれを充分に心得ていた。

剣者として。ただ剣者として。
そこには住まう世界や時代の違いも何もかもが無く。
伊烏義阿と鵜堂刃衛は、互いの持つ術技に感嘆の念を抱いていた。

「だが、『先程の失敗』とは何だ?
 つまりは貴様の魔剣から逃れたものが、すぐ近くにいるということか?」
「うふふ。気になるか?人斬りに何かものを尋ねたいなら、それは力づくで聞き出す事だな。」

蒼い着流しの青年は、次の疑問を口にする。
目の前の人斬りは確かに優れた剣者であるが、やはり人斬りは人斬りである。
この血に飢えた狼が一度捉えた獲物をそう簡単に見逃すはずがなく、

そして逃していなければその剣は血を吸っている事が必定。
そして最初の会合の際に、鵜堂刃衛の剣は血に濡れそぼってはいなかった。
だからこそ、「目の前の人斬りから逃れたものがいる」と、伊烏義阿は判断した。

「…わかった。ではそうしよう。」
「だが、それは不可能だ。」


伊烏の間髪入れずの即断に、即答で以て返す鵜堂。
己の眼の前に磨き上げられた剣をかざし、
そこに映し出される己自身を喰い入るように眺めながら。
鵜堂刃衛はただ声もなく、哂った。

「『心ノ一方』、貴様に効かぬなら己自身に掛けよう。
 だが、誇れ。この俺にこれを引き出させたのは、
 あの人斬り抜刀斎に続いて、貴様が二人目だ。」

人斬りの口元がニィィと釣り上がる。
再び張りつめ出した空気が、致命的何かの到来を告げる。
今から鵜堂が起こすであろう、“それ”を防げ。
“それ”を決して起こしてはならぬ、と。
剣者としての本能が、そう伊烏に訴えかける。

だが、伊烏義阿はそれをあえて見送った。
今から疾走し奇襲を仕掛けた所で到底間に合わず、
おそらくはそれに対する備えもあるだろうと
判断したのも理由の一つとしてある。

だが。
だが、それ以上に。

剣者として。ただ剣者として。
敵手の最大の術技をこの目で確かめた上で、
それを凌駕したいという純粋なまでの欲望が
本能が訴える危機を抑え込んだ。

「人間なんて生き物は存外“思い込む”に脆い。」
「病になったと思い込めば本当に体調が悪くなり、
 呼吸が出来ないと思い込めば本当に息が苦しくなる。」

「『心ノ一方』とはその脆さをついて、己の気合で相手を居竦ませ不動にする。
 一種の瞬間・集団催眠術というのがその術理か。」


伊烏はそう得心する。別段、神智による魔術というわけでは決してない。
だからこそ、その己の気合いが相手を凌駕すれば術自体は打ち破れるのだ。
そしてそれが人知による産物であるからこそ、
その開祖も暗殺死という非業の死を迎えたのであろう。

「その通りだ。察しがいいな。そして、思い込むことは実際に身体に作用する。」
「術者(オレ)とてその例外ではない!!」

鵜堂刃衛は喝声を上げる。
鵜堂刃衛の目が怪しく光る。
その眼光が捉えるは、鵜堂刃衛自身。
己を限界にまで高める為に、
鵜堂は己に暗示をかける。

「我!不敗!也!」

全身の筋肉が、みちみちと音を立てて隆起する。
その黒い全身衣装がはち切れんばかりに延びる。

「我!無敵!也!」

髪がざわざわと、ゆらめく。
己自身に纏わりつかせたさらなる剣気により、
その存在がさらなる重圧感を得る。

その極限にまで高められた剣気が夜霧を払い、天空の月をより一層、皓々と輝かせる。
己がより高次の存在へと変貌したと、全身の筋肉がそれを誇らしげに訴える。

「我…最強なり!」

暗示は、変身は今ここに完了した。
その姿はまさに鬼が憑いたとしか思えぬ異形。
その身はもはや人にして人ならず。
それに名をあえて付けるなら、悪鬼とでも呼ぼうものか。


「心ノ一方“影技”“憑鬼の術”」
「成程。自分自身に強力な暗示をかけ、潜在する全ての力を発揮させたということか。」

そこにはあの人を愚弄したような狂笑はなく、
ただ己に絶対の自負を持つ誇り高き魔眼の暴君がいた。

鵜堂刃衛は無造作に真横に歩き、傍にあった石灯籠に対して、
これまた無造作に片手で剣を振るう。

伊烏義阿の眼を以てしても視認できた太刀筋は、半数までか。
その伊烏でさえ見切れぬ、人の条理を超越した高速剣が駆け抜けた後には、
見事なまでに細分化された、鋭利な切断面を持った石の塊が残った。
もはや目を凝らさなければ、それが過去どのような物体であったか、
判別することは難しいであろう。

対象が人間なら、より無残な事になるのは必定である。
人も剣も、等しく粉微塵に粉砕される。
鬼が取り憑いた人間に、只人が勝てる道理無し。

伊烏義阿に告げていた剣者としての本能は、確かに正鵠を得たものであった。
だがあちらが鬼を憑かせた人斬りであるならば、
こちらは死してなお怨念で動く鬼と化した人斬り。
断じて只人などではない。

彼が人の存在を超越する、その身に鬼を憑かせた魔眼の暴君(Beholder)であろうとも、
我こそはその戦場の常軌を逸して羽ばたく魔剣士(SwordSorcerer)に他ならぬが故に。

「いざ勝負!!」
「……来い。」

鵜堂刃衛と伊烏義阿は、構え、共に駆ける。
双方は確信する。切り札を用意する以上、
これがお互いにとって最後の一合になると。
その接触は、どちらかの生命が潰えるのは、刹那の未来。
双方の疾走は地を抉り、風を切り裂いた。


鵜堂刃衛はこの局面に刺突を選んだ。
居合の斬撃よりも間合いが伸びるが故に。
敵の抜刀より先に標的を捉えうるが故に。
それも己の扱う片手平刺突ではなく、
あの元新選組三番隊組長、斎藤一の“牙突”の模倣を用いた。

鵜堂刃衛という男。かつては新撰組にその席を置いていた頃。
実は数々の優れた魔剣をその傍で盗み見てもいたのである。
己の剣を、さらなる高みに届かせるがために。

だがやはり魔剣は魔剣。生み出した本人の為にある異形の剣を、
何度見た所でそう易々とは盗み取れるものではない。

だが、それでもある程度の完成度は得る事は出来た。
それが今の“牙突もどき”である。
これでも、己の片手平刺突より遥かに速く繰り出す事は出来る。
だがしかし、その後に隙だらけになる時間も長かった為、
到底そのままでは使い物になるものではなかったのだが。
そう。そのままでは。

だが、憑鬼の術にて極限にまで高められた身体能力でなら?
二つの魔剣を掛け合わせれば?

それは贋作の術技でありながら、本物を遥か凌駕しうるものとなりうる。
あの抜刀斎よりも迅速に、敵の臓腑を抉る事も可能となる。

人斬り抜刀斎との戦闘において、それを為さなかった理由は一つ。
神速の抜刀術相手には、それを放ったあとの無防備になる
「後の先」狙いこそが最も有効であると睨んだが故に。

故に、疾走と異形の構えにて抜刀斎の思考をも奪わんとした。
そして先手を釣り出して神速の抜刀を躱し、
そこに反撃を加える事こそが最上であると判断したが故に。
鵜堂刃衛は知る由もないが、その発想は確かに
刈流の“奔馬”にも通じるものがあった。

だが、前回はそれで抜刀斎に敗れた。
そして前回の失敗も踏まえ、今度はそれ以外の必勝を期す策を練る。
眼の前の抜刀術使いは、あの人斬り抜刀斎と質を同等とする。
ならば、その居合抜刀を躱された後の備えもあると考えるべきである。

ならば、その最大の隙は抜いた後の無防備を狙うのでなく、
抜かせる前に何としても仕留めることこそが肝要である。
それこそが、以前の敗北により得られた教訓であった。

それは可能か?抜刀斎に互する神速の居合抜刀を凌駕する事は可能か?
それは可能である。現在の“憑鬼の術”にて高めた己の身体と、
斎藤一より盗み出した“牙突もどき”の、二つからなる備えがありさえすれば。
それで仕留める。仕留め切る。二の太刀など不用。
今度は己が抜刀術と同じ欠点を背負うが、
何者も逃れ得ない神速は回避を至難とする。

――勝てる。

――確実に勝てる!

鵜堂刃衛は狂乱の暴牛が如き猛突撃で以て、神速の居合使いに対峙する。
突撃であるが故に、刺突であるが故に、抜き技などというふざけた技は通用しない。
刺し貫くべきは、心臓。回避される可能性を、限りなくゼロに近づける為に。
その神速の突きはまさに居合をも超越し、その心臓を見事抉り抜く事であろう。

勝機此後之先二無、勝機此先二有!

その脚力、そして剣速、全てが目の前の青年を凌駕する。
奴の腰の刀は、刺突より間合いの劣る斬撃であるにも関わらず、
いまだ一向に抜かれる気配がない。
それどころか、柄にさえ延びてはいなかった。

鵜堂刃衛はその事に訝る。

先程の策のような、異形の握りで間合いを伸ばた所で、
その速度はこちらが凌駕している。我が剣は先に到達する。
そして互いの脚から生み出された速度から、
走行しながらの回避は一切不可能と断する。
敵の「後の先」も、この局面では有り得ない。
もはやいかなる策を用いようが、この鵜堂刃衛には意味が無い。

鵜堂の腕は唸りを上げ、切り裂かれた空気が悲鳴を上げる。
そしてただ一つでも只人の手に負えぬ、その二つの魔剣からなる相乗効果は、
揺ぎ無いより確実なる鵜堂刃衛の勝利を、刹那の未来に約束するであろう。

「俺の勝ちだ若造!!」

相手がさらなる必勝の策を秘めていようと。
負ける道理など、何一つ考えられない。
――だから、そんなことはあり得ないのだ。

そう、唐突に。
そう、唐突に。何の前触れもなく。
目の前の蒼い青年は、己の約束された勝利は、
眼前より見事消失したのだった。

鵜堂刃衛は刺突の姿勢のまま、
茫然と、ただ呆然とその視線だけで虚空を仰いだ。
特に何を思っての動作でもない。
唐突なる不条理に見舞われ、己の過信が裏切られ、
狐につままれたような未来にただ困り果てた結果、
自然とした動作が偶然そうであっただけである。

だが。しかし。
だが。しかし。

蒼い着流しの青年はその袖をはためかせ、
虚空(そこ)にいた。
上空(そこ)にいたのだ。

紺色の衣を、翼のように広げ。
迅る右手は、今度こそ刀に置き。
満月を背に、その身を照らしながら。

頭上(そこ)は虚ろなる空などでは、断じて無かったのだ。


(飛翔)
呆けた心が、一つの単語を紡ぎ出す。
それは確かに飛翔だった。地を這う只人に行えるものではない。
あの人斬り抜刀斎にも、“飛天”御剣流を以てしても、
ここまでの跳躍は…。否、飛翔は不可能ではないのか?

(そうか)
一方で得心する。
間合いが接したその刹那、この敵は踏み込んでくる代わりに、
抜刀の代わりに、疾走の勢いを利用して跳躍を為し
我の二つの魔剣からなる神速を躱したのであった。

そしてそれはただの跳躍に留まらず。
伊烏義阿は天空にてその身を宙転させる。
その期するところは。

宙転抜刀。
居合使いにとって、抜刀とは即ち斬撃を意味し。

全ては一動。
回避、飛翔、宙転、抜刀、そして斬撃。
そしてその必殺を期した斬撃は――。


完全死角――――背後から、敵を穿つ。


何者にも逃れ得ぬ、担い手に確たる勝利を約束する斬撃。
敵手には悪夢としか思えぬ、攻防一体にして不条理の剣。

それは万全を期して用意した、鵜堂刃衛の二つの魔剣を以てしても止められず。
それはまさに剣の条理を覆す、一切の常識を覆す魔剣。
伊烏義阿は剣の常軌を逸して、今天空へと羽ばたいた。




――――我流魔剣 昼ノ月。



そう。伊烏義阿もまた、鵜堂刃衛と同じく魔剣を有していた。
過去より蘇った鵜堂刃衛の魔剣でなく、現代に生み出された魔剣。
伊烏義阿なる剣鬼が生み出した、いわば鬼子の剣。




――――魔剣。




鵜堂刃衛は、その背から噴火の如き鮮血をほとばしらせ、
膝から崩れ落ちるようにうつ伏せに地に堕ちた。


「んーむ。この感触…、いいね。」

その厚い岩盤と化した筋肉を引き裂かれ、
脊髄に達した筈の致命傷を受けてなお、
己の剣を凌駕され、敗北と絶望を与えられてなお、
鵜堂刃衛は狂笑をその貌に浮かべていた。

いや、その笑顔は敗北を与えられたが故のもの。
そは一点の曇りもない、純然たる完全敗北。
努力も創意工夫も、何もかもを嘲弄するがごとき魔剣を相手では。

こうなればもはや、ただ笑うしかない。
憤怒も悲嘆も、一切を感じはしない。
むしろ、ある種の清々しささえこの敗北には感じさせる。

「素晴らしい。素晴らしいぞ…。
 あの人斬り抜刀斎を、飛天御剣流をも超える殺しっぷりとはね…。」
「……。」

伊烏義阿に答えはない。己が知らぬ流派を連呼し、
遠い何者かを思い焦がれる剣鬼を相手に、
かけるべき言葉など何も見当たらぬ。
だがその姿は、何故か武田赤音に執着する自分を連想させた。

「…そう言えば、約束…だったな。何か聞きたくば力づくで聞けと…。」
「ああ、話してもらおう。貴様が知っている事を、全て。」

陰々滅々たる口調で、伊烏義阿は尋ねる。

「では、貴様は武田赤音という名の、女のような外見の男を知っているか?そいつを探している。」
「……知らぬな。俺が逃がしたのは川添珠姫と名乗る少女と、伊藤甲子太郎“を”名乗る士族様のみだ。
 名簿に他の新撰組時代の知り合いの名は多々あったが、全て俺とは敵対関係なのでね。」


そう言い捨てると、鵜堂刃衛は満面の狂笑を伊烏に向ける。
それは歓喜に満ちていた。それは悦びに満ちていた。
どこにでも敵を作りながら、孤独の中を生きながら、
それでいてなんら後悔することなどなく、死に瀕してなお満面の至福の笑顔。
剣狂者の果ての姿が、そこにはあった。

だが、伊烏義阿は構わず疑問を口にする。
前者はともかく、伊藤甲子太郎“を”。
確かに、目の前の人斬りはそういった。
つまりは偽名であると、そう言いたいのか?

「……伊藤甲子太郎“を”、名乗るだと?」
「ああ。騙りか同姓同名の別人か。あるいは本人か…。まるでわからん。
 だが、この鵜堂刃衛も一度人斬り抜刀斎に敗れ、死して蘇った存在だ。
 だから、あいつも案外蘇った存在かもしれん。一度は騙りかとも疑ったがな。
 よくよく考えてもみれば、俺は伊藤の顔などほとんど覚えておらん…。」

内容は理解できぬ部分も含んではいるが、一つ気になる部分が含まれていた。
そう。この男もまた「蘇った」といったのだ。

「…死して、『蘇った』か。この俺もそうだ。」
「うほおう…。貴様もまた、そうだったのか…。だが、どうして死んだ?」

鵜堂刃衛は、素直な疑問を口にする。
だが若き剣者の死に様ど、
業深き人斬りの死に様など、
考えなどしなくとも普通は一つしかない。

まさかとは思うが。
まさかとは思うが。

この鵜堂刃衛を凌駕する至高の剣客を、さらに凌駕する剣客がいるのか?
そんな事が有り得るのか?
鵜堂刃衛は、さらなる歓喜と愉悦に胸を躍らせる。

「…俺も剣に敗れて死した。武田赤音という男によってな。」
「うふ。うふふ。うふわははははははあ!!!!そうか、そうなのか!!!」

鵜堂刃衛は呵々大笑する。
おぞましく。そしてさも愉しそうに。
うふふ、うふふ、と哄笑する。

「貴様すら破る男がいると言うのか?私を完殺した、貴様ですら?!」
「うふふ。これから向かう地獄が楽しみでならんわ!
 これだからこそ人斬りは、何度死んでも辞められぬ!!
 …冥土の土産だ。貴様の名を、先程の魔剣の名を聞いておこうか?」

伊烏義阿は、剣狂者の問いに拒む事無く答える。
それが剣者にとって最上の手向けであるが故に。

「…伊烏義阿。そして、使うは魔剣“昼ノ月”。」
「そうかそうか。その名前、決して忘れぬぞ…。」

鵜堂刃衛はそれを聞き満足げに目を瞑るが、
すぐ思い出したように眼をカッと見開く。

「最後にご褒美だ。一つ有益な情報をやろう。」
「…なんだ。」

「人斬り抜刀斎…。名簿にある“緋村剣心”という男を尋ねるがいい。」
「…何故だ?」

「なぁに。そいつも貴様と同じ抜刀術を使う、甘っちょろい人斬り様だからだよ。
 その男なら同じ腑抜けのよしみで、貴様を助けてくれることがあるかもしれん。」

伊烏義阿は、この死に瀕した男の真意を掴みかねていた。
己を殺した敵に塩を送るつもりでいるのは理解できる。
だが、己を斬った者同士を出会わせて、一体何を望んでいるのだろう?

「人斬りは所詮何度死んでも人斬り。他のものには決してなれはしない。
 俺も…、貴様もな…。そしてあいつもだ。そうあいつに、伝えておけ…。」
「…ああ、確かに伝えよう。」

深く頷く。
己の好敵手に対してのみ抱く、憎悪すら超えた特別な感情。
この男にとっての“人斬り抜刀斎”に抱く感情も、
自分が武田赤音に対して抱く感情も、
えてして同じようなものなのかもしれない。
それだけは、理解できた。

まるで恋い焦がれるような、それ以外は目に付かぬような。
何度死しても決して忘れられぬ、救いようがない、妄執。
その身が生きていなければ、在り方はもはや怨霊にも等しい。

己も、この男も、そういった狂気の念に囚われている点においては
なんら変わりがないということか。そう思うと、自然と笑みが零れた。

可笑しく。ただ可笑しくて。
伊烏は声もなく、己を哂った。

「先に冥土で待っているぞ…。その時は…、武田赤音とやらも連れて来い…。
 その時は心行くまで…、何度でも…、地獄で死合おう。」

「…来るがいい、何度でも。そしてその度に貴様を斃す。」
「…いいね。同じ人斬りとして、極上の手向けだ。」

鵜堂の死してなお続く挑戦に、決意で答える伊烏。
この男の戦いの螺旋は、そして己の戦いの螺旋は、
もはや何度死した所で永久に終わることなどないだろう。

うふふ。と一言笑い声を残して、鵜堂刃衛は今度こそ逝った。


殺人狂であった。
人斬りであった。
御世辞にも褒められぬ、人格破綻者であった。

だが、剣者としてはどうだろうか?
それだけは称賛すべきものであった。
そして二度死してなお折れぬ鋼鉄の意志は敬服にさえ値した。
ならば、これほどの剣客を斬った誇りだけは、
この胸に抱き続けても良いだろう。

伊烏義阿は鵜堂の死体を仰向けにし、腕を組ませ両眼を閉じさせた。
簡素ながらも、剣者としての礼を尽くす。
だがやがて思い直し、傍らにあった行李の中身を移し、
腰に差した鞘と足元に落ちた剣を拾う。

「…貰っていこう。」
「それと“井上真改”か。こちらも頂いて置くぞ。」

刀は今の所、村正の一本で事足りている。だがしかし、刀も所詮は消耗品。
斬り続けていれば徐々に消耗はするし、いかな名刀と言えども限界はある。
そして何より、ここには砥ぎ師などいないのだ。

ならば、斬れる刀は手元に残すに越したことはない。
伊烏義阿はそう思い、二本目の剣を手に入れた鞘にしまった。

想像した通り、大阪正宗は石灯籠を破壊した後にあってなお、刃零れ一つ付いてはいなかった。
それは勿論持ち主の技量もあってのことだろうが、希代の名刀の素晴らしさをも物語っている。
これからの助けになるやもしれぬ。伊烏はそう考える。

至高の剣客を倒した誇りと希代の名刀。
それらを新たに手にして、伊烏義阿は再び城下町を駆け出した。
来るべき宿敵(アカネ)との、再びの相剋の為に。

――蒼い剣鬼は、蒼月を背に宵闇を疾走する。

【鵜堂刃衛@るろうに剣心 死亡】
【残り七十一名】

【とノ参 城下町/一日目/黎明】
【伊烏義阿@刃鳴散らす】
【状態】健康、胸に強敵を倒した誇り
【装備】妙法村正@史実、井上真改@史実
【所持品】支給品一式×2
【思考】基本:武田赤音を見つけ出し、今度こそ復讐を遂げる。
     一:もし存在するなら、藤原一輪光秋二尺四寸一分「はな」を手にしたい。
     二:己(と武田赤音との相剋)にとって障害になるようなら、それは老若男女問わず斬る。
     三:とりあえずの間は、自ら積極的にこの“御前試合”に乗ることは決してしない。
     四:人斬り抜刀斎(緋村剣心)か伊藤甲子太郎に出会ったら、鵜堂刃衛の事を伝える。
【備考】:本編トゥルーエンド後の蘇生した状態からの参戦です。
     自分以外にも、過去の死から蘇った者が多数参加している事を確信しました。

【共通備考】:とノ参の城下町に、鵜堂刃衛の背中が裂けた死体が仰向けで寝かされており、
       腰にはなまくらの打刀が一本佩いたままになっています。
       傍らに、バラバラにされた石灯籠が一つ放置されています。

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浅ましきかな我が武道 伊烏義阿 悪鬼迷走
人斬りと女子高生、そして…… 鵜堂刃衛 【死亡】

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最終更新:2010年05月22日 07:59