悪鬼迷走 ◆EETQBALo.g



 鬱蒼とした林を抜け帆山城下に入った赤石剛次は、渡し橋の先の白塀へと目を留めた。
「……む?」
 日常これ死闘の男塾においては、生首も血文字もそう驚くべきものではない。
「イカレた野郎がいやがるな」
 下級生を男塾名物・義呂珍に載せたこともある二号生筆頭は、文面に対してのみ無感動に
感想を呟き、それからふと周囲に耳をそばだてた。
 誰か駆けて来る。気配を隠す気はないらしい。
 向こうもこちらに気付いたのか歩調を緩め、やがて薄闇の先から濃紺の着流しが姿を現した。
 塀の上の晒し首にどこか面差しの似た、陰鬱な印象の若い男である。

 男は自分に似た生首と血書とを数瞬凝視し、ほとんど表情を変えず赤石に視線を移した。
「卒爾ながら一つ尋ねたい」
 こいつの仕業ではない。男の理性的な態度と陳列物に対する反応から赤石はそう断定する。
 薄闇の中でも赤石の観察眼と動体視力は常人を遥かに凌ぐ。
 文章を読み取る目の動きと速度を見れば、初見かそうでないかは瞭然だ。演技でそこまで
再現できる者はそういない。

 武田赤音という者を探している、と男は言った。
「長髪で背は低く声の高い、一見女のような男だ」
「ああ、そんな奴ならさっき会った」
「!! どこだ!?」
 血相を変える男に、特に隠す理由もないので教えてやる。
「そこを渡った林の中だ。躾の悪い犬みてえにキャンキャン吠えかかってきたんでな、
少し遊んでやった」
 やはりか、と男はひとり得心する。
「案内痛み入る。――御免」
「待ちな」
 城下外へと方角を転じて駆け出す男を赤石は呼び止めた。

「背中に返り血が付いてるな、あんた。今誰か殺ってきただろう」

「…………それが?」
 男がゆっくりと振り返る。無表情で、両腕をだらりと垂らしたまま。
 冷え冷えと吹きつける殺気に赤石は眉一つ動かさず、鋭い眼光で男の両眼を射抜く。
 腰に二刀の男、背に木刀の赤石。いずれも武器には手を掛けず、両者は無言で睨み合う。
 男がまさに地を蹴ろうとした時、

「……ふん。いい死合だったようじゃねえか」
 男は静止し、両眼がわずかに細められる。
 その暗黒の奥に、赤石は確かな剣者の誇りを見出していた。

「俺からも一つ聞かせてくれや。武田って野郎は、あんたの何だ?」
 赤石が問うた刹那、男の双眸に無数の感情が炸裂した。
 荒れ狂う濁流の如きそれを見て赤石に理解できたのは、負、それだけである。
 劇的な反応は一瞬、すぐ元の昏い瞳に激情を沈めた男は、低く、はっきりと答えた。
「仇敵だ」

 しばし重苦しい沈黙の睨み合いが続き、やがて、
「行きな」
 先に視線を外したのは赤石だった。
「あんたは修羅だが外道じゃねえようだ。あっちの“いぞう”って野郎ほど見境なしに
イカレてもいねえ。……あんなガキを血眼で追う理由が少し気になった、それだけだ」

 銃の弾道をも見切る赤石の超人的眼力をもってしても、男がただ一度手に染めた、
畜生にも劣る卑劣な所業を見抜くことはできなかった。
 既に男は復讐に狂い抜き、外道に堕ち果てた鬼なのだ。

「…………俺の目的は赤音だけだ」
 赤石と生首の方を見ずにそう言い捨て、男は再び地を蹴る。
 城下の外へ消える男を見届けることなく、赤石もまた町中へと前進を再開した。

 ◆

(なるほど。強い奴を集めたって話はまんざら嘘でもなさそうだ)
 民家を適当に物色しながら赤石は考える。
 最初の雑魚と違い、あの居合使いはこの御前試合に呼ばれるだけのことはある。
 腕力はおよそ赤石の敵ではないが、隙のない所作と疾駆の敏捷性、研ぎ澄まされた殺気は
いずれも一定以上の実力を窺わせる。それなりの者から早くも一勝を挙げているあたり、
充分死合うに足る強者だと思われた。
 ほぼ背面にのみ返り血を浴びている点も興味深い。ただの抜き胴でああはなるまい。
 単に特殊な戦闘状況や偶然の悪戯かもしれないが、何か変わった技の使い手かもしれない。
 曲芸じみた敵味方を見慣れている赤石は、どんな面白剣法でも別段驚きはしないが。

 戦って腰の刀を奪う選択肢もあったが、赤石はあえて見送った。
 ただ一人の敵を斃すためだけに心のドスを研ぎ上げ、己の戦場に向かわんとする男の
道を阻むのは野暮というものだ。気ままに放浪する今の赤石ならなおさらである。
 狼が子犬を狩るような、奇妙な実力差の仇討だが、男なりの事情があるのだろう。
 あの男は弱者を嬲って楽しむ外道ではないと赤石は見る。
 男が負の想念に雁字搦めに呪縛されていようと、それが彼の剣に瑕疵を生もうと、
因縁深き一人の未熟な剣士が命を落とそうと、それらは彼らの問題であって赤石の
関知するところではない。
 いずれ男の戦いはあっけなく終わるだろう。再会の機会があれば勝負したいものだ。

(さて。まずは刀だが……正直、期待薄かもな)
 並の打刀では赤石の剛剣に耐えられない。せめて丈夫そうな段平があればいいが。
 土壇場で裏切られてポッキリ折れる鈍刀よりは、最初から木刀の方がまだマシかもしれない。

 生首の状態を見た限り、まだ血文字の狂鬼はそう遠くへは行っていないようだ。
(桃に全部預けてきちまったからな。あいつの代わりに鬼ヶ島で鬼退治でもしてやるか)

 刀を得るのが先か、鬼と遭遇するのが先か。それは今後の運次第だ。
 だが得物の不利など、赤石の闘志をいささかも殺ぐものではない。
 狂気を極める男塾、二号生筆頭・赤石剛次。相手が狂鬼ならば不足はない。
 鬼に遭うては鬼を斬り、仏に遭うては仏を斬る。一文字流斬岩剣に斬れぬ物なし。
 一号生筆頭に託した愛刀・一文字兼正は、心の中で今も赤石と共にある。



「…………ん?」
 ふと先ほどから感じ続けていた些細な違和感の元に思い当たり、赤石は太い首を傾げた。
「男みてえな女だったか? ……まあいいか、多分あいつで間違いねえだろう」


【へノ弐/民家/一日目/黎明】

【赤石剛次@魁!男塾】
【状態】健康
【装備】木刀
【道具】支給品一式
【思考】基本:積極的に殺し合いをやるかどうかは保留。だが、強い相手とは戦ってみたい。
一:刀を捜す
二:“いぞう”に会ったら斬る
三:濃紺の着流しの男(伊烏義阿)が仇討を完遂したら戦ってみたい

※七牙冥界闘・第三の牙で死亡する直前からの参戦です。ただしダメージは完全に回復しています。
※武田赤音と伊烏義阿(名は知りません)との因縁を把握しました。
犬塚信乃(女)を武田赤音だと思っています。
※人別帖を読んでいません。

 ◆

 さて、赤石剛次に惨敗し、再起困難なまでに自信を失ったかに見えた少女・犬塚信乃は、
意外にも早い復活を果たしていた。
 一言で言うと馬鹿に絡まれたからである。

「やあ、そこな美しいお嬢さん。悪漢共のうろつく中、こんな場所に夜一人ではさぞや
心細かろう。だがこの九能帯刀が来たからには心配無用。さあ、顔を上げたまえ」

 木立の間から道着の若者が気障なポーズで堂々と現れた時、悄然と佇む信乃の心の暗雲に
一条の光明が射した。見るからに怪しさ全開の男に一目惚れしたからではない。
 赤子の時から身に帯びた、神通力という名の呪いが消えかけているのではないかと
期待したのである。“美しいお嬢さん”確かにこいつはそう言った。
 思えばさっきのごつい男も、よく見ればお前は女だと太鼓判を押したではないか。

 母・伏姫の行き過ぎた特殊な嗜好――可愛い男の子好き――の影響で、健やかな
発育を遂げているにも関わらず、周囲からは常に男扱いされること十六年。
 ある意味犬士の使命よりも重い宿命を背負う己が、あるべき姿に戻る日が来た。
 もう年頃の娘らしく着飾っても女装呼ばわりされない。女湯だって楽勝だ。
 密かに噛み締める信乃のささやかな幸福は、しかし直後に無情にも粉砕された。

「……ん? なんだ貴様。凛々しき美少女かと思えば、ただの女顔の男ではないか」
 二度と聞きたくなかった台詞が、多感な少女をしたたかに打ちのめす。
 少女は目を伏せ俯き、小さな両肩を微かに震わせた。

「……」
「ん?」
「……たしは……」
「聞こえんぞこの軟弱者め」

「――私は、れっきとした、女だ!」

 どれほど落胆し消沈していようとも、それだけは信乃の断固譲れぬ一点であった。
 きっ、と顔を上げ、正当なる抗議と訂正と自己主張を行う。

「ふん、見え透いた嘘を。貴様が女であるわけがない」
「さっきの奴と正反対の結論じゃないか! 根拠を言え根拠を」
「ならば愚かな貴様に教えてやる。貴様が女ならばこの状況でボクの姿を見た瞬間、
あまりの気高さ格好良さに見惚れ、感涙に咽ばぬはずがないからだ!」
 ああ、すごく既視感を感じるこの馬鹿。
 思わず遠い目で過去を見る信乃の鼻先に、すらりと白刃が突きつけられた。

「うわっ!?」仰け反り後ずさる信乃。「……何をする!」
「男ならば話は別だ。いざ尋常に立ち合え」
 いつの間に抜いたのか、九能と名乗る男は棟を向けた刀を青眼に構えていた。

「お前、殺し合いに乗っているのか!?」
「誰がそんな野蛮な真似をするものか。一人も殺めず華麗に勝利する、それがボクのやり方だ。
貴様もこの風林館高校の蒼い雷・九能帯刀の、刀の錆となるがいい」
「殺す気ないのかあるのかどっちだよ!? っていうか何その恥ずかしい二つ名、自称?」
「見れば貴様も刀持つ身、よもや嫌だとは言わせん。行くぞ!」
「え、ちょ、待――」
「問答無用! えーい突き突き突き突き突きーーっ!!」
「うひゃあああっ!?」

 辛くも避けられたのは、嫡男として幼少から父に叩き込まれた剣の鍛錬の賜物、というよりも
半ば生存本能であったろう。構えも何もなく横っ飛びに飛び退き、そのまま地面に転がる。
 髪一筋を道連れに、超高速の連続突きが一瞬前まで信乃の真後ろにあった大木を深々と抉っていった。
「……な、……」
 幹にぽっかりと大穴を開けたその非常識な破壊力に信乃は絶句する。

「よくぞ我が渾身の突きを躱した。ならばこれはどうだ!」
「……ちょちょ、ちょっと待った! タンマ!! ストーーーーップ!!!!」
 ぶんぶんと両手を振り、信乃は全速力で九能の間合いの外まで後退した。
 これほどの技を行使して、薄手の刀身がまるで損なわれていないとはどんな絶技なのか。

「殺す気満々じゃないかこの嘘吐き!」
「ふっ、安心しろ。棟打ちだ」
「突きに棟打ちもへったくれもあるかボケーー!!」
「む? ……言われてみれば確かに。困った、これではボクの必殺の連続突きが使えんではないか」
「言われなきゃ気付かんのか! うっかり必殺される方の身にもなれ!」
「だが忌々しき早乙女乱馬にはいつも全く効かんぞ?」
「普段どんな化物と戦ってたんだよお前? ていうかよくそれで必殺とか名付ける気になったな。
とにかく、まともな人間が今の食らったら普通に必ず死ぬから」

 信乃は与り知らぬことだが、この九能帯刀という男、木刀でブロック塀を易々と切り裂き、
突きの剣圧だけで銅像を破壊する業前の持ち主である。周囲がデタラメ過ぎて霞んでいるが。

「むう、止むを得ん。人への突きは封印するしかあるまい」
「……そもそも、私の刀はこの通り折れてる。立ち合い自体が無理な話だ」
「なんと、それでは剣を交えるまでもなくボクの勝ちではないか。戦う前から勝利を約束
されているとは、ふっ、つくづく女神の寵愛を独占した自分の魅力が恐ろしい」
「……否定はしないけどなんかすっげえムカつくなおい」

 落ち込みから浮上する早道とは、運動、そして波長の合う人間との会話である。
 空気を読まず人の話を聞かぬボケの権化・九能帯刀との出会いは、不本意ながら
ツッコミが呼吸とほぼ同義の日常を送る犬塚信乃にとって、この時有益だったといえる。
 信の犬士・犬飼現八にも似た自己陶酔っぷりを垂れ流す男に条件反射を返すうち、
信乃はすっかり普段の調子を取り戻していた。人生何が幸いするかわからない。

(そうだ、いつまでもうじうじ悩むのは私の柄じゃない。村雨に相応しくないのなら、
頑張って相応しくなればいいんだ。よーし、今に見ていろよ筋肉男!)

 一度は折れた矜持を立て直した信乃は、刀を納めた九能にほっと安堵する。
 なんだかんだ言っても彼の不戦勝宣言は事実であり、今のままでは黒幕の元まで
辿り着き、村雨を取り戻すなど夢のまた夢だ。
 まずは当座の得物の調達だ。いつまでもここに燻ってはいられない。

「……とにかく、お前の勝ちってことでいいから。私はもう行くぞ、じゃあな」
 九能におざなりな別れを告げ、信乃は胸を張って新たな旅の第一歩を踏み出した。

 ◆

 ――そして半刻の後。
 街道へ出る林の外れまで来たところで、信乃は歩みを止めた。

「……おい。なんでついてくる」
「ついてくる? はっ、馬鹿なことを。貴様がずっとボクの進路を塞ぎ続けているのだ」
「馬鹿はお前だ! 勝ったんならこっち来ないでさっさとどっか行けよ」
「本当に馬鹿だな貴様は。あんな辺鄙な場所にいては天下一など取れるはずがあるまい」
「くっ……馬鹿に馬鹿って言われた……二回も……」
 確かに信乃自身、林を抜けようと歩いていただけに反論できない。屈辱的だ。
「……それに」
「?」
「あの男も、経験を積めと言っていたのでな。たまには敵に塩を貢がせてやるのも一興だ」
「……誰だよあの男って」

 九能の宿敵・早乙女乱馬は格闘家であり、白州の武芸者達とは異質の存在である。
 男――服部武雄――の言った通り、高校剣道界期待の星とはいえど、純粋な日本剣術の
達人との戦闘経験が九能はまだまだ足りない。
 九能もまた緒戦で手痛い敗北を喫したことを知らぬ信乃は、いきなり神妙な空気を
漂わせた唯我独尊男に訝り、何か悪いものでも食べたのだろうと結論づけた。

「しかし地味でむさ苦しい男ばかりだなこの島は。もっとエレガントに華を添えれば良いものを」
「いろいろツッコミたいが、まずお前殺し合いだって忘れてるだろ……って、……! 待て」
 信乃は耳を澄ませ、全身に緊張を漲らせた。
 林と街道とを隔てる背の高い藪を掻き分けて、何か近づいて来る。
 獣? いや、この島に徘徊するのは――
「ん、新手か?」
「しッ、……」

 まずい、相手がこちらに勘付いた。速度を上げ一直線に向かってくる。
 どうしよう、まさかこんなに早く次の参加者と遭遇するなんて。信乃の心臓が早鐘を打つ。
 今の自分は無手に等しく、この男は基本能力と持ち技はすごいが馬鹿だ。
 そして信乃と同様、人殺しの経験もその意志もない。
 戦でためらいなく兵を屠る百戦錬磨の猛者に会ったら、果たして抗しきれるのか。

 結城の城が落ち、妖怪共を蹴散らして一人逃げた時でさえ、自分には愛刀と村雨があった。
 その後は稀に例外はあったとはいえ、村雨と荘助達がほぼずっと一緒だった。
 自分は村雨と仲間の存在に、いつの間にか頼り過ぎていたのかもしれない。
 私は犬士だ、武士だ、侍だ――そう己に言い聞かせるも、信乃の足が恐怖で震え出す。
 剣なきお前はただの小娘だ、ともう一人の自分が囁く。
 しっかりしろ。怖い。しゃんと立て。怖い。怖い――

 目の前の藪が、がさり、と大きな音を立てて薙ぎ倒された。



「赤音ぇっっっ!!!!」
「ひょえええええっ!!??」



 その場の時間が静止した。

 頓狂な声を上げてその場に腰を抜かした信乃。
 鬼のような形相から一転、根暗そうな仏頂面の眉間に困惑の皺を寄せた長身の青年。
 二人はしばし凝然と見つめ合い――

 そして、頼りたくないが今信乃が頼りにするしかない唯一の男は。

「なにっ、天道あかね? どこだ? おさげの女もいるのか?」
 信乃には理解不能の台詞を吐きつつ、なんかやたらとキョロキョロしていた。

 ◆

 陰気な男は言葉少なに、己の不注意と人違いである旨を詫びた。

「まったく、紛らわしいにも程がある」
「お前は黙ってろ。――いいんだ、こちらこそ大袈裟に驚いてすまなかった」
 別に信乃が謝ることではないのだが、円満解決のための社交術である。
 目を合わせたこちらまで再びどん底に沈みそうな暗闇魔人であることを除けば、
知性と生真面目さが感じられる端正な青年の印象は決して悪くない。この島、いや
今までの人生で信乃が出会った中ではかなり真人間の部類に入る。
 危惧していたような人斬りの類でなかったのは幸いだったと信乃は思う。

「で。さっき呼んでた、えーと、赤音? って人を探してたのか」
 男は頷いた。
「小柄で長髪、声が高く色は白い。派手な女物の朱い小袖を羽織っていることが多い」
「うーん、悪いけど役に立てないな。私もこいつもそんな目立つ人は見てない」
 と信乃は九能を指して答える。何かが心の隅に引っかかったが多分気のせいだ。
「そうか。邪魔をした」
「それらしい人を見かけたら、探してたって伝えようか?」
 男はしばし黙考し、かぶりを振った。
「……いや、それには及ばない。万に一つの人違いということもある」
 確かに、自分も暗がりの出会い頭だったとはいえ誤認されたのだし、まして信乃は
探し人の顔も知らないのだ。悪意ある参加者が赤音という人物を詐称する可能性も
ないとは言い切れない。
 人々から集めた噂を元に、青年はあくまで彼自身の足で探し出すつもりなのだろう。
「我欲のままに凶刃を振るう狂犬のような男だ、気を付けろ。……ではな」
「ちょっと待て」
 紳士的な忠告と挨拶を決めて去ろうとする青年を信乃は呼び止めた。

「…………なんだ」
 心なしか振り向いた男の暗闇が濃くなった気もしたが、そんなことはどうでもいい。
「いざボクと――」
 馬鹿を鉄拳で黙らせ、微笑と共に信乃は優しく問いかける。
「確認するぞ? ……その、赤音って女装癖のある腐れ外道を探してたんだな?」
「……? ああ」
 信乃は肺の限界容量まで空気を吸い込んだ。



「だから私は!! お!! ん!! な!! だと言うにーーーーーー!!!!!!」



 魂の叫びが周囲に谺した。

「まったくお前もさっきの男もこの馬鹿野郎も荘助達も父上も伏姫もどいつもこいつも
年頃の娘を捕まえて男だ女装だと揃いも揃って目が玉子なのかお前らちゃんと胸だって
こんなにあるだろうがしかもそんな変態極悪人とどうやったら間違えるんだよ!!!」

 正当な抗議ではあるのだが、約半分は蓄積された鬱憤の爆発、つまり八つ当たりである。

「胸? はっ、ただのたるんだ贅肉ではないか」
「黙れお前もそれを言うか! って、……消えた!?」
 正面にいたはずの男の姿がない。
 背後の馬鹿に一瞬気を取られた隙に消失していた。

 さては奴も人型妖怪か? 信乃は慌てて周囲を見回す。
 闇に紛れて潜んでいるのか、それとも妖術で視覚を欺いているのか――

 ――――いた。
 あまりにも“下方”に存在していたため、長身の男を見上げる格好であった信乃には
すぐに発見することができなかったのだ。

 見下ろしたすぐ先に、濃色の斑模様の背中がある。
 窮屈そうに長い手足を折り曲げているにも関わらず、妙に綺麗な姿勢である。
 男は正座の状態から、両手を地面に付いて前屈している。
 手だけではなく額も付かんばかりに、そのまま高速の腕立て伏せを行っている。
 足裏から伝わってくる振動から察するに、本当に額を打ち付けているのかもしれない。

「すいません」

 最大級の謝罪および全面降伏の姿勢。
 いわゆる土下座であった。

「ごめんなさい」

 文句なしの完璧な土下座であった。
 土下座流という武道流派が存在するならば間違いなく皆伝であろう、非の打ち所なき
理想的な土下座であった。やや語彙が幼児的ではあるが。
 早乙女玄馬がこの場に居合わせたならば、見事な猛虎落地勢であると絶賛したに違いない。

「……いや……まあ、……わかってくれればいいから。とにかく顔を上げてくれ」

 陰のある二枚目がコメツキバッタよろしく年下の少女に平伏するの図。
 図らずも互いのトラウマを直撃し合う形になってしまったとは露知らず、少女は
“言い過ぎたこっちも謝り返すべきか、でもさすがに土下座返しはちょっとなあ、
それともツッコミ待ち?”などと思い悩み、青年は沸騰やかんの如き少女の怒りに怯え、

「ん? 貴様もボクに降参するというのか下郎? はっはっは、よし、苦しゅうない」

 三人の中で最も状況の見えていない少年は、どこまでも独自の思考回路を持っていた。

 ◆





 ――――人生、何が災いするかわからない。





 ◆

「あーもう、いいから馬鹿殿は下がっとれ!」
 恐る恐る顔を上げる青年の前にノコノコ出て行った九能に、いつも通りツッコむ信乃。
 まったくこの男がいると、まとまる話もまとまらない。主催もなんでこいつを呼んだのだか。
 座敷牢とかに隔離しておいた方が世のため人のためではなかろうかと半ば本気で思う。

「……おい?」
 目の前で棒立ちのまま動かぬ九能に信乃は不審を覚える。
 何を阿呆みたいに突っ立ってるんだろうこいつは。馬鹿だけど。
 本気で悪いものでも食ったか、新手のボケか?
 もう一度鉄拳が必要か、と信乃が思い始めた時――道着の背中がぐらりと傾いだ。

「…………え?」

 ほんの短い間信乃と道程を共にした少年が、横ざまに、ゆっくりと倒れてゆく。
 呆然とした表情の青年と目が合った。
 引き延ばされた時間の中、少女と青年はしばし凝然と見つめ合う。

 青年の着物の柄はなぜか増えていた。

 青年は正座から片膝を立て、横薙ぎに刀を振り抜いた体勢で佇立していた。



 ――――刈流 座の一



 着座からの抜刀斬撃で少年の胴を真一文字に裂いた男が、未だ呆然の表情のまま立ち上がり、
屍を越えて肉薄するのを見ても、信乃の現実認識は一向に追い付かなかった。
 多分自分も今同じような顔をしてるんだろうなあ、などとぼんやり考えながら、男が血刀を
担ぎ上げ、自分に向かって袈裟に振り下ろす様をただ見ていた。
 それが少女の見た人生最後の光景となった。

(…………荘助)
 暗転した視界の中で、長い間共に旅した槍使いの少年の姿が一瞬だけ浮かび、消えた。


 ◆

 刀身を改めると刃毀れや血曇りはなく、棟で打ち合った形跡はあったが歪みや損傷に至る
ものではなかった。よく知る刀工の腕はもちろん、使い手の技量もまた相当のものであったろう。
 前途有望な少年であった。
 親切に人探しを手伝おうとしてくれた少女であった。
 話し合いで手を打つか、せめて棟打ちで済ませることもできたはずだ。
 なのに少年の腰の物を目にした瞬間何もかもが消し飛び、気付いた時には斬っていた。
 己に振るうことが許されるのは、もはや本当に外道の、卑しく浅ましき犬畜生の剣のみなのだ。
 とうに捨て去ったと思っていた罪悪感に責め苛まれつつ、伊烏は慨嘆し自嘲する。

 遺体から奪い取った藤原一輪光秋を鞘に戻し、腰に差すことなく行李を開ける。
 己のための一刀でないことは一目見た時にわかっていた。
 けれども宿敵との正しい決着のためには、どうしても必要な一刀であった。
 刀一振りのために伊烏は二人を殺した。
 かつて許婚の命を奪い、天駆ける月を墜とした燕の愛刀を、二人の持ち物と共に行李に納める。
 少女の傷と鏡映しの、逆袈裟の形に幻の傷が痛んだ。

 今後も聞き込みを続けるなら、どこかで着替えを調達する必要がある。
 じき夜も明ける。返り血まみれの人斬りに声を掛けられて話をしようと思う者はいまい。
 肝の座った猛者でも、先刻の白髪の男のように不審を覚えるだろう。
 誰もがあの鵜堂刃衛のように、力ずくで訊けば答えてくれるわけではないのだ。
 それに己の前に立ち塞がる者は斬るしかないとはいえ、無用の殺生はもう極力避けたい。

 復讐とは全くの無関係、かつ攻撃の意志もなかった無辜の者を、結果的に騙し討ちの形で
斬り捨てた。その事実が、予想を超える精神的疲弊となって伊烏に圧し掛かっていた。
 赤音の愛人を殺し、拉致した姉を彼の目の前で斬首したことに対する罪の意識はもはやない。
 だが今回の彼らは完全なるとばっちりである。斬らずに済む選択肢はいくらでもあった。
 少女に至っては全くの無手。呼び止めたのにも深い意味はなく、障害ですらなかったのだ。
 二人の骸を整えて瞼を閉じさせた伊烏は、心の中で詫び、冥福を祈った。
 これで――17。

 とにかく、まずはここを離れよう。藪と林に遮られたこの場所では魔剣は使えない。
 深い疲労感を覚えつつ、伊烏義阿は足取り重くその場を後にした。


【犬塚信乃@里見☆八犬伝 死亡】
【九能帯刀@らんま1/2 死亡】
【残り六十七名】

【へノ弐/林の入口/一日目/黎明】

【伊烏義阿@刃鳴散らす】
【状態】健康、罪悪感、精神的疲労(大)
【装備】妙法村正@史実、井上真改@史実
【所持品】支給品一式×4、藤原一輪光秋「かぜ」@刃鳴散らす
【思考】基本:武田赤音を見つけ出し、今度こそ復讐を遂げる。
一:どこかで着替えを調達する。
二:もし存在するなら、藤原一輪光秋二尺四寸一分「はな」を手にしたい。
三:己(と武田赤音との相剋)にとって障害になるようなら、それは老若男女問わず斬る。
四:とりあえずの間は、自ら積極的にこの“御前試合”に乗ることは決してしない。
五:人斬り抜刀斎(緋村剣心)か伊藤甲子太郎に出会ったら、鵜堂刃衛の事を伝える。
※本編トゥルーエンド後の蘇生した状態からの参戦です。
※自分以外にも、過去の死から蘇った者が多数参加している事を確信しました。
※着物の全身に返り血が付着しています。

※へノ弐、林の入口に、二人の遺体と空の行李、折れた打刀が放置されています。
※信乃の叫び声が周囲に聞こえた可能性があります。


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孝と剛 赤石剛次 ただ剣の為に
孝と剛 犬塚信乃(女) 【死亡】
最期の戦いは終わらない 九能帯刀 【死亡】
Beholder Vs SwordSorcerer 伊烏義阿 焦燥の中で

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最終更新:2010年05月28日 20:09