◆
声をかけた男、
小野忠明は、まさに獲物を求めてさ迷う鬼と化していた。
仏生寺弥助との戦闘の後、川からあがると、城へ向かって歩を進め、ここにたどり着いたのだ。
途中、目立たぬ場所で衣服を脱いでしぼり、水気を切りはしたが、火をおこして温まったりはしなかった。
そんなことをできる状況ではないのはもちろんのこと、今の忠明の身体は、温める必要がないほど昂ぶっていた。
ほんの少し、すれ違いがなければ、途中多くの剣客と刃を交えたかもしれない。
しかし、忠明の通る道には、丁寧に寝かされた老人、無惨にも両手首は離れ、縦に両断された女、頚動脈を噛み千切られた男、心の臓をひとつきにされた若者
など、激戦の跡を伺わせる痕跡のみであった。
当初は城に入るつもりであったが、剣気の残滓を求めて歩き回っていたところ、和やかに談笑している四人の男女と出会ったのである。
ここが通常の街道であれば、舌打ちのひとつもして捨て置くところであっただろう。
しかしここは戦場である。場違いな光景に、忠明は憤慨すると同時に、疑念もわきあがっていた。
ここに来て最初に、恐ろしい化物に出会った。夢想剣で倒した(と思い込んでいる)が、他にも人外の者がいることは十分にありうる。
特に女二人の方は、見たこともない装束である。
さらに男の方も、一方は顔立ちの整った優男。もう一方は実際のところは威丈夫だが、その所作はいかにも軟弱に見える。
彼奴らは人を化かす、狐狸精の類ではないかと考えたのだ。
「皆さん、少し下がっていてください。私がお相手します。」
伊東も一目見て察した。この男は話し合いが通じる者ではない。
まず、格好からして、半首、手甲を身につけている。明らかにここを戦場とみなしているようだ。
そしてその動作。まだ構えてはいなかったが、木刀を右手に持ち、殺気とも狂気ともとれる、禍々しい雰囲気を醸し出している。
油断なく刀の柄に手をかけ、それでもまずは言葉を発したのは、伊東という男の性分であったろう。
「始めまして。私は
伊東甲子太郎と申します。殺しあうつもりはありません。少しお話を伺いたいのですが。」
その名乗りに、忠明は予想外の反応を示した。
「イトウ…だと?おぬし、一刀流の縁者か?」
「?…ええ。確かに私は一刀流の一派、北辰一刀流を修めましたが…」
言い終わらぬうちに、忠明は伊東を急襲した。
予想はしていても、ここまで劇的な反応をされると、伊東も反応しきれるものではない。
即座に抜刀するが、構えが不十分なままだったために受け止めきれず、肩口を強かに打ちつけられる。
伊東の左肩には自身の刃峰が食い込み、右肩には木刀・正宗が食い込む。右肩はわずかに服が裂けた。
「――ッッ!!」
木刀にもかかわらず、真剣のような切れ味と頑丈さに、伊東は驚愕した。
鍔迫り合い…というよりは、一方的な押し相撲で押し込まれたが、不意に力が抜け、一旦距離が離れる。
横合いから服部が飛び込んできたため、ひとまず忠明が後退したのだ。
「伊東さん!大丈夫ですか!?」
「ええなんとか。」
「あの木刀、普通のものとは違うみたいです。気をつけて。」
超常現象には慣れている綸花が前に出てささやく。木刀・正宗がこの男の力の一因であることは見抜いたが、あくまで一因のようだ。
この男そのものからもただならぬ力を感じることができる。
本来であれば油断なく身構えなくてはならないところだが、ここへ来て立て続けに剣鬼たちと対峙している伊東は変に冷静になってしまい、ややうんざりとした口調でつぶやいた。
「まったく、天下一を争える剣豪が集っているようですが、皆さん意外と礼儀を知らないものですね。
それでも先程の方は名乗りはしたものですが。」
その言葉に、忠明がわずかに反応する。
イトウという名と、一刀流の縁者ときいて、感情が高ぶっていることもあり、怒りのままに飛びかかったのだが、
天下一を争える剣豪という言葉にプライドをくすぐられたのだ。
そこで、先刻化物――
佐々木小次郎へむかってしたのと同様に名乗りを上げる。
「フン、ならば名乗ってやろう。俺は上総の住人にして
伊藤一刀斎が一番弟子、
そして公儀の武芸師範を務める男、日下開山、小野次郎右衛門忠明!
俺の知らぬところで一刀流を騙るとは無礼千万。さては貴様ら、妖怪変化の類だな!?
ここで叩き斬ってくれる!!」
その名乗りに、伊東も先程話していた人物帖と記憶をたぐりよせ、得心する。
「なるほど、小野派一刀流開祖の次郎右衛門忠明殿ですか。誤解されても無理はありませんね。
私は分派の弟子で、イトウといっても字が異なりますし、一刀斎殿やあなたと縁を連ねる者ではありません。
あなたと敵対するつもりもありません。」
伊東は忠明の表情を見ながら説明していたが、ひとつの結論に達した。
「…と、いっても、刀を納めてくれそうにないですね。」
「当たり前だ!我が流派に分派などない!一刀流を騙る痴れ者めが!俺の目はごまかせんぞ!!」
その言葉をきいて、伊東は説得を諦めた。自分でも理解するのに時間がかかったのだ。
相手は感情が高ぶっているようで、到底理解してもらえないだろうし、理解してもらえたとしても、あらためて襲い掛かってくる可能性が高い。
厳密には、小野忠明自身は存命時、伊藤一刀斎より後継者とされ、将軍家に召抱えられたに過ぎない。
小野派一刀流という流派も子の忠常以降が称したものであるし、ましてや分派の北辰一刀流といわれても、全く意味がわかるものではなかった。
「剣術の開祖の人、やっぱり凶暴な人が多いんですね。」
「自分を強く見せて勝ち続けないと、食べていけないからですよ。
宮本武蔵とかも色々な伝説があるけど、実は仕官するために脚色してたってきいたことがあります。」
「おい、お前たち…。」
服部が、こちらも変に冷静な感想を言いながら前に出た珠姫と綸花を見て、驚いて止めようとする。
先程まで死体に怯え、服部に不審の目を向け、また自分の立場に不安を持っていたはずの二人である。
こんなに積極的に前に出るとは意外であった。
まず振り返った綸花が答える。
「ごめんなさい伊東さん、服部さん。でも私、もう人を置いて逃げ出すなんて嫌なんです。」
「私もです。足手まといかもしれないけど、戦わせてください。」
伊東も二人を止めようとして、その表情を見て考え直した。
剣によって迷いを振り切ろうとしているのは、いつの時代の剣士も同じか。
既に二人とも戦闘にまきこまれ、自らも刀を振るっている。
度重なる剣豪との遭遇、眼前での新見の死、そして情報交換によって、この受け入れ難い現実をそれぞれなりに受け止めつつあるようだ。
先刻は助けてもらったことだし、今後生き残るためにも、この戦場に慣れておかなくてはならない。
ここからどう育っていくかは、彼女たち次第だろう。
だが、いや、だからこそ、重要かつ危険な部分は、伊東か服部が引き受けなくてはならない。
「お二人は気を引くだけで結構です。一対一の試合をするつもりで構えていてください。隙をついて、我々が止めます。服部君、いいですね?」
「承知!」
服部が短く答える。
服部も、迷いがふっきれたかといったら嘘になる。
しかし死んだはずの同志、伊東と会うことができ、また心中わだかまりはあろうが、話をきくこともできた。
この三人を守ること。それだけは今迷うことなき使命である。
四人はじりじりと忠明を囲むように移動した。
忠明の方もざっと獲物を見定め、一番の手練れであろう伊東を正面に構えつつ、血気盛んそうな服部の方にも油断なく気を配る。
しかし一番手はそのどちらでもなかった。
「いきます!」
忠明から見て右側に陣取った積極的な反応に、伊東はやや驚いてそちらを見たが、止める間もなく綸花が前に出た。
伊東は知らなかったが、綸花は人間以外を相手にした実戦には慣れているし、先程も人に向けて奥義を放っている。
人を斬るのは怖い。しかし目を背けていては、生き残ることもできない。
それに…
「ハアッ!」
気合一閃、綸花は居合いの構えから剣を抜いた。凰爪流奥義、七つ胴おとしである。
先刻の老人は、剣気と、かまいたちに刃を併せるという神業でこの術をしのぎきったが、今度は木刀。
直撃すれば刀ごと輪切りになるはずであった。
「ウオオォォッ!」
しかし忠明は、その技を受けなかった。大きく後ろに跳び、かまいたちをかわしたのだ。
初めて技を見たにもかかわらず、常人ではなしえない判断と身のこなし。しかしそれは、綸花の想定内であった。
「やっぱり!」
相手は幽霊や化物とは違う、一流の剣士である。受けるか避けるかされるのは想定内であり、それゆえにためらいなく奥義を放つことができた。
避けてくれたことに内心ほっとしつつ、刃を逆さにして、大きく飛びのいた忠明に踏み込んだ。
しかしそこで、綸花の思惑ははずれてしまう。
「ヤアアァァッ!!」
「甘いわ!」
体勢を崩したと思っていた忠明は、踏み込む直前には体勢を立て直していた。
ただの打ち合いであれば、技量は忠明の方が上である。綸花の打ち込みはガッチリと防がれた。
「オラァ!」
「アッ!」
鍔迫り合いの最中だというのに忠明は左手を離すと、綸花の髪の毛をひっぱり間合いをとって、右手一本で大きくなぎ払った。
腕力の差をわかった上とはいえ、おそるべき豪腕である。
首を狙ったであろうその一撃はややはずれたものの、側頭部をしたたかに打ち付けられ、綸花の身体は大きく吹き飛ぶ。
正宗は名刀とはいえ木刀である。片手で力の込め方も不十分な一撃だったこともあり、斬られはしなかった。
だが、綸花の側頭部には大きな痣ができ、意識を失って倒れこんだ。
「ハアッ!」
その様子を見ても、伊東はいちいち動揺したりはしなかった。
仮にも新撰組に所属していた者である。集団戦闘において、せっかくつくってくれた隙を逃すほど間抜けではない。
この場で最優先すべきは、まずこの男を無力化すること。だが…
「ダアッ!」
「ガッ!」
避けるどころか忠明は距離を詰め、空いた左手を伊藤の柄に沿える。刀を奪い取りはできなかったが、伊東の斬撃は力を殺され、受け流される。
戦国時代の剣術は特に、柔術を含めた総合格闘術である。相手の腕をとる、足を払う、組討・体術に類する技は多岐に渡る。
伊東もそれは心得ていたはずであったが、その経験と技術は、忠明の方に一日の長があった。
忠明も無理な体勢から間合いを詰めたのでバランスを崩すが、すれ違いざまに刀の柄を頭部に打ちつける。
もろに後頭部を殴られた伊東は、その衝撃に昏倒した。
「伊東さん!」
間髪いれずに服部が踏み込む。この中では唯一、殺意をもった踏み込みであった。
伊東は殺さず止めると言っていたが、なりふりかまっている状況ではない。しかし…
「まだまだぁ!」
服部としては迷いのない刺突を繰り出したつもりだった。
しかしバランスを崩したはずの忠明が、既に正眼に構えている。
その身のこなしに驚愕しながら、服部はとっさに刀身を横にし、相手の剣を受ける構えになっていた。
躊躇ったわけではない。このまま突っ込んだら犬死となることを直感が告げ、防御にまわったのだ
傍目には奇妙に見えたかもしれないが、先程の新見との立合いで身につけた、迷いの中の刹那の護身術といってよい。
それほどまでに忠明の動きが早かった。
「グウッ!」
受けきったはずの唐竹割りを受けきれず、受けた刀と肘が大きく下がる。結果として、木刀・正宗の剣先が服部の脳天をしたたかに打ちつけた。
頭蓋が割れるには至らなかったが、額からは血が流れる。
「打ち込んでおいて防ぐだけとは、無様なものだな青二才!!」
「ガハッ!」
力が弱まったところで、忠明は服部の腹に前蹴りを入れて間合いをとった。
もし立っていたらそのまま袈裟斬りにするところであったが、脳震盪を起こしていたらしく、服部はその場に膝から崩れ落ちた。
「フン!他愛のない。」
忠明は鼻で笑ったが、伊東も服部も、そして綸花も、決して剣術で劣っているわけではない。
それぞれが逡巡や迷いを抱えていることもあるが、それを差し引いても、今の忠明の動きは尋常なものではなかった。
全てが見える。いつも以上に動ける。
木刀・正宗を一流の剣鬼が手にしたとき、恐るべき力を発揮している。
そして激しい動きの中で、もう一人が、怯むことなく立っていることも、もちろん把握している。
忠明は倒した三人には目もくれず、すぐに珠姫に向き直った。
「女、お前独りだ。」
「そうですね。」
珠姫は、手が出せなかったのは、足がすくんでしまったわけではない。
礼に始まり礼に終わる、一対一の剣道を学んできた珠姫は、この中で最も集団戦は苦手であった。
伊東を卜伝から助けた際も、伊東が転倒したところからだった。
今自分がつっこんでも、足手まといになるだけ。
相手がどんな手練れであろうと、一対一で対峙した方が、まだ勝機があると考えたのだ。
その前に三人が斬殺されてしまわないかということだけが心配だったが、どうやら命には別状がなさそうだった。
ほっとすると、むしろ腹立たしさがこみあげてきた。
度重なる荒々しい実戦を見て、恐怖を通り越して憤りを感じてきたのだ。
残念ながら剣豪が正義の味方でないことは、卜伝との戦闘で身をもって知った。
先ほどの新見と服部の戦いでは、新見が「逃げろ」といったのも、服部の主張ではまやかしだという。
本当のところはわからないが、確かに逃げろと言いいながらすぐ服部にむかって反撃し、身を伏せたり振り向きざまに斬ったり突いたりと、泥臭い戦いを目の当たりにした。
戦場の殺し合いは、必ずしも向かい合ってするものではない。
野蛮で、生々しく、手足、口まで使う。なんでもありだ。
そこに善悪も主義主張も何もあったものではない。
さらにこの小野忠明という人物、それらを割り引いても、洗練されているように見えない。
悪人だとしても、もう少し戦い方があるはずなのに。
そう。失ってはならないものを失っている。剣の道に対する心だ。
――自分の流儀でやろう。
そう考えた珠姫は、やや距離が離れていることもあったので、一旦構えをとき、木刀を脇に持った。
そして忠明にむかって一礼する。
さすがに間合いを詰めて蹲踞まではできるような空気ではなかったので、改めて中段に構えなおす。
形式的でいて無駄のない、その一連の動作に、思わず忠明も問いかけた。
「…おぬし、流派は?」
「剣道。」
「剣道?それが流派の名か?」
「はい。」
短い応えに、忠明が首を傾げる。「剣道」という言葉は、忠明の時代にはまだない。
だが、剣の道そのものを意味していることくらいはわかる。
自らの名を冠するわけでもなく、技の特徴を示すわけでもないその流派は、一体どんなものなのか。
「参ります。」
忠明の思考を中断するように珠姫が言葉を発したので、忠明も正眼に構えた。
「キヤアアァァァァッ!!」
「オオオォォォッッ!!」
気合のかけ声とともに、珠姫から剣気が発せられる。
忠明もつられるかのようにかけ声をあげた。
心地よい剣気だ。その意気やよし。しかし力量はまだ未熟。
倒れている者たちの方が、まだ戦場の機微をわかっていたというもの。
かかってきたところを一刀のもとに…。
「胴ッッ!!」
「グウッ!?」
見事な胴がきまり、忠明が顔をしかめる。
痛みはあるが、骨や臓腑への影響はない。しかし、自らは触れることすらかなわず、胴をきめられてしまった。
――なぜだ!?俺には見えていたはず!
ならばこちらから、と、小手を狙う。しかし…
「面ンッ!!」
「ガッ!?」
今度は珠姫の小手抜き片手面が決まった。半首をつけていたこともあり、昏倒することはなかったが、またしても触れることすらできなかった。
――馬鹿な!一度ならず二度までも!?
脳天と脇腹に残る痛みに歯を食いしばりながら、忠明は構えなおした。
「真剣なら二度死んでますね。」
珠姫は依然中段の構えを崩さず、つぶやくように言った。
◆
今、珠姫が忠明を翻弄できている理由は、三つある。
ひとつは忠明が、いつの間にか珠姫のペースにのせられていたことである。
珠姫の礼を見て対峙した影響か、忠明は先程までのように服や髪をつかんでいない。柄で殴り飛ばしたり、蹴ったりもしていない。
無意識のうちに、戦場でのなりふりかまわぬ戦いから、道場で弟子に対して試合をするかのように、己に枷をつけていたのだった。
ふたつめは、意図したわけではないが、最初に胴を狙ったことである。戦国時代の兵法は、一般的に胴に弱いと言われている。
戦場では胴丸をきりつけても効果がないため、面、小手と併せ、鎧の隙間を狙う組討が中心であった。
当然、胴に対する攻撃も防御も、形としては未熟である。
忠明が生きた当時は、戦場への剣術から道場の剣術へと変遷する過渡期であるが、忠明自身戦場経験が豊富であるが故に、隙ができたことは否めない。
みっつめは、先程までと打って変わって、木刀・正宗の特徴が不利に働いていることである。
新免無二斎が危惧したとおり、感情が高ぶる代わりに自身の身体能力を極限まで引き上げる木刀・正宗は、
乱戦や奇襲の中でのとっさの動きでは大いにその力を発揮できるが、心理戦も含めた一対一の試合となると、実に扱いづらい代物となる。
全てが見え、思う以上に身体が動くが故に、それを制御することに、忠明は戸惑っていた。
しかしそれでもまだ、珠姫の勝ち目は薄い。
剣道であれば、今の二回の打突で二本、試合終了だったかもしれない。
しかしここは実戦。相手が倒れるだけのダメージを与えなければならない。
一方で、もとから忠明の方が力量は勝っているし、当たれば一撃で戦闘力を奪われこと間違いない。
時間がかければかけるほど、忠明も慣れてくる。そうすると勝ち目は遠のくばかりだ。
この状況を打破するためには何かを揺るがさねばならない。揺るがせるとしたら心技体の中では、心。
幸い、今の二撃で動揺してくれている。追い討ちをかけるため、相手のプライドを利用し、それを挫く。
珠姫は静かに口を開いた。
「技量ではわたしの遥か上をいくあなたが何故これほど遅れをとるのか…
答えは私の学んだ剣道です。剣道は、全ての剣術を併せたもの、剣を振るう道を極めたものです。」
嘘である。現代剣道は、武術というよりは心身の鍛錬を目的とした、いわばスポーツである。
剣を振るう術としてはある意味最も洗練され、進化した形へと昇華していったが、人殺しの術というわけではない。
しかし、それを気づかせてはならない。そのために、精一杯の虚勢で言い放つ。
「あなたのいる場所は、我々は既に四百年前に通過していますッ!!」
「――!!」
忠明は気づいただろうか。思わず怯み、後ろへ下がってしまったことを。しかし次の瞬間、反転して怒りのままに灼熱する。
「うおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!」
隙だらけの八相の構えからの袈裟斬り。
八相の構えは現代剣道では型としてはあるものの、ほとんど使われない。動きとしては無駄が多いからである。
大きく刀を振りかざすその構えは、どちらかというと、相手を威圧するためのものだ。
しかしそれが有効なのは相手が動揺すればのこと。今の珠姫には迷いはなかった。
そして剣道が剣術に上回っていること。それは、切る動きから打ち込む動きへと変化したこと。
踏み込みの早さと無駄な動きの少なさは、一瞬ではあるが、潜在能力を引き出された剣豪の動きすら上回った。
「突きいいいぃぃぃぃぃぃっっっ!!」
室江高校の者がいれば、「アトミックファイヤーブレード」とでも言ったことだろう。
両者の剣が交錯した。
◆
「ムッ!?…ゲホゲホゲホ!」
忠明が我にかえったとき、目の前には森がひろがっているだけだった。
胸が疼き、激しくせき込んだが、どうにか深呼吸をする。骨が折れているようだが、肺腑には問題ないようだ。
「夢想剣…か。」
もはや忠明も驚かなかった。
渾身の突きをくらったことまでは覚えている。右胸の痛みが、何よりの証拠だ。
そこで頭が真っ白になり…今こうして立っている。
一人は倒したのだろうか。少なくとも他の三人はまだ生きていたはずだが、いなくなっている。
地面には血溜まりがあるが、抱え上げたのか、途中でなくなっていた。
今となっては彼らが妖怪であったかなどわからない。生死もわからない。
しかし忠明にとっては、もはや妖怪だろうと人間だろうと、どうでもよくなってきていた。
―――勝てる。俺は勝てる。
忠明は確信した。
とにかく四対一で勝ったのだ。それも、前回は無意識であったが、今回は最初の三人までは確実に自分の腕による大勝利である。
ただ、前回感じた満足感を得られなかったのは、この胸の痛みと、全身の疲労…そして己の未熟さを痛感したせいであろう。
勝てることはわかった。夢想剣を開眼したことも自覚した。しかし、夢想剣に至るまでの最後の立ち合いは、いささか無様であった。
あの娘の言葉…一刀流を四百年前の剣術と揶揄するとは腹立たしいことだが、明らかに技量不足と思えた相手に、
夢想剣を使うまで追い詰められたことも事実である。
妖怪でなければ異国の者か。装束も見たことがないものだったし、どこの国かはわからぬが、確かに洗練された剣術であった。
「剣道」という言葉も、全ての流派を併せたということか。ご大層な物言いだが、分からぬでもない。
言葉も通じるようだし、唐(から)かその近くで、よほど剣術に秀でた国があるのだろうか。
もし技量が互角で、あれほどの剣術を駆使する者がいたら…
「俺は負けんぞ。異国の剣にも!妖怪にも!柳生にも!!」
忠明は自らの想像した脅威を振り払うかのように叫ぶと、先刻まで四人が座っていた倒木に、正宗を打ち下ろした。
まるで斧のように、正宗は深々と食い込み、木片を散らす。負傷はしたが、その腕力はいささかも衰えてはいない。
「少し休まねばな。」
ひとしきり怒りを発散させた後、忠明はそうつぶやくと、周囲を見回した。
いかに自身の強さを確信しようとも、傷の手当はせねばならぬ。
いきなり城に入るつもりであったが、まずはどこかで手当をすべきであろう。
そういえば先ほどは捨て置いたが、多くの死体があった。
薬の入った行李などが近くに打ち捨てられていることもあろう。
はずれであっても、城下町を探れば、痛み止めがどこかにあるかもしれぬ。
もう一度深呼吸をし、わずかに顔をしかめた後、忠明はその場を去って行った。
【ほノ仁/城下町へ向かう街道/一日目/朝】
【小野忠明@史実】
【状態】:右胸肋骨骨折 顎に打撲 疲労大 感情は少し沈静化
【装備】:木刀・正宗、半首、手甲 服は生乾き
【所持品】:なし
【思考】 :十兵衛を斬り、他の剣士も斬り、宗矩を斬る。
一:どこかで休む。
二:俺は勝てる!相手が誰だろうと、恐るるに足らず!!
三:
斎藤弥九郎(名前は知らない)は必ず自らの手で殺す。
四:剣道にわずかに興味。使い手に会うようなら必ず殺す。
【備考】
※木刀・正宗の力で身体能力が上昇し、まだまだ感情が不安定です。ただし、本人はその事を自覚していません。
※夢想剣開眼を確信しましたが、自在にくり出せるものではありません。
※会場に妖怪の類もいるのではないかと考えています。
※木刀・正宗の自律行動能力は封印されています。
◆
「行ったか…」
忠明が去った森のやや北、低木の茂みで、安堵の息を漏らす人影があった。
時はわずかに遡る。
坂本龍馬と斎藤一がその場にたどり着いたのは、まさに珠姫と忠明が相対しているところであった。
北の山付近で合流を目指しているときいた斎藤が地図を確認し、森を抜けることを提案した。
途中どこからともなくきこえてきた声に、
岡田以蔵や
新見錦といった知り合いの名が出たことに驚き、歩きながら人物帖を確認していたのだが、全てを見る間もなく、戦いの気配を察し、駆けつけたのだ。
二人が森を抜けたとき、珠姫が奮闘しているのが見えた。相手は手練れであるようだが、珠姫が圧倒している。
「あれは甲子太郎と一緒にいたキュートガールじゃ!やりおるのう。」
「待て。様子がおかしい。」
すぐにも駆け寄ろうとする龍馬を斎藤が押しとどめた。
お互いの距離はおよそ二十間。声をあげればきこえるかもしれないが、一対一の立ち合いで声をかけることは、時に味方に隙を生むこともある。
そして何よりも、駆け寄ろうとしたその瞬間、即ち珠姫の突きが見事に決まった瞬間、忠明の雰囲気が大きく変わったのだ。
突きが喉に当たっていれば、木刀とはいえ致命傷であったろうが、偶然なのか故意なのか、喉からははずれ、忠明の右胸を強打した。
忠明は大きく後ろに吹き飛ばされる。おそらく肋骨の骨くらいは砕かれたであろう。
忠明は体勢を立て直して構えるが、激しくせき込み、血の混じった唾を吐き出す。
肺腑にいたる重傷かどうかはわからない。しかし、刀剣を振るう際、胸部の痛みは大きく影響するだろう。
そこで珠姫は、小手を狙ったようだった。剣をおとし、戦闘力を削ぐつもりであったようだ。
それに対し、忠明の反応はやや遅れ…いや、ほとんど動いていない。下がりもしなければ、防御もしなかった。
にもかかわらず。
次の瞬間、珠姫は額を割られ、倒れていた。
結果だけ見れば小手抜面。ただそれだけ。
だが、どこをどう動いたのか、龍馬や斎藤から見てもわからなかった。始まりと終わりしか見えてない。
忠明は斬った後も静かに構え、佇んでいる。殺気はなく、意識もないようだ。
しかし隙がない。そして何より、龍馬と斎藤の身体が、本能が、戦ってはならないと警告し続けている。
「夢想剣…」
「だろうな。」
龍馬がごくりと唾を飲み込んでつぶやき、斎藤が短く応じる。
二人とも夢想剣を見たことがあるわけではない。しかし古今東西剣術の心得がある者としては、話くらいはきいたことがある。
伊藤一刀斎のそれが有名であるが、他にも中西一刀流浅利義明が山岡鉄舟に極意を伝えたとか、千葉周作が剣術の心得のない茶坊主に一夜伝授したとか、
真偽は別にしても夢想剣に類する逸話は尽きない。
後ろかなら容易く斬れるように見える。しかし、近付けばおそらく、夢想剣の餌食となるだろう。
珠姫は、立ち合いの途中であったためそのことに気づかず、いわば夢想剣にのみこまれてしまったといってもよい。
改めて周囲を見回すと、伊東、綸花、そしてどこかで合流したのか、服部が倒れている。酷いものであった。
いずれも軽傷ではあったが、頭に一撃を受けており、すぐに起こして逃げ出せるような状況ではない。
「どうする?」
「どうするって…このままにしとくわけにはいかんき。」
相手の意識がないのなら、身を隠すことはできないだろうか。
そう判断し、忠明の意識がないことを祈りながら、手分けしてまず三人を一番近くで身を隠せそうな茂みに隠した。
行李を拾うことも忘れなかった。
その後、忠明の様子をうかがい、こわばった身体を無理やり動かして、血をぬぐいながら珠姫も運んだのは、龍馬のせめてもの意地だった。
このまま珠姫を放っておいたら、どんな惨いことをされるかわからない。腹いせに切り刻まれる可能性も十分あった。
呑気なようにも思われるが、龍馬はなんとなく察していた。
夢想剣は、襲い来る敵を斬る。それが解かれるのは、戦う必要がないと判断された時。
そのため、龍馬たちが隠れてはじめて、忠明が我に返ったのは、必然といっていいだろう。
我に返った忠明も、疲労と痛みと感情の高ぶりのせいか、注意力散漫になっており、こちらを察知はしなかった。
無論これらは龍馬の推測であり、賭けであったが、この判断に限っては、神仏は龍馬たちに味方してくれたようだった。
そして、忠明が完全に見えなくなったところで、安堵の息をついたのである。
「行ったか…」
龍馬のつぶやきに、斎藤がやや苦々しげに尋ねる。
「本当にこれでよかったのか?」
「最初に止めたがは斎藤君じゃろうが。」
「今なら斬れるかもしれん。」
「だめじゃだめじゃ。斬るのも勘弁じゃが、返り討ちになった時の後始末も御免こうむる。」
「チッ」
龍馬の返答に、斎藤が舌打ちをした。
龍馬の考え方に苛立ったわけではない。この男が人を斬るのを嫌がっていることは知っている。
「返り討ちになる」という龍馬の言葉に、反論できない自分に苛立ったのだ。
今の状態なら難なく斬れそうだが、再度夢想剣を放たれては勝ち目がないことを、歴戦の剣士は知っていた。
自分たちは冷静に状況を把握し、適確に行動した。そのはずだ。だが結局のところは…
と、その時、傍らで呻き声がきこえた。
「甲子太郎、目が覚めたか。」
「――!龍馬殿!?それに…?」
「斎藤君じゃ。ルックスはチェンジしておるがミステイクはナッシングじゃ。」
「…皆さんは無事ですか?」
「…。」
英語混じりの軽口に戻った龍馬だったが、伊東の質問に、再び沈痛な面持ちに戻って沈黙する。
伊東も、答えを待つ前に周囲を見回して状況を察し、無言のまま首を振った。
ここに、坂本龍馬、斎藤一、伊東甲子太郎、
服部武雄と、ほぼ同じ時代の、腕も立ち、知恵も回り、比較的気心の知れた者たちが四人集まったことになる。
また、21世紀育ちで、化物とも戦ったことのある
外薗綸花の存在は、腕もさることながら、その知識は貴重なものといえる。
力を合わせ、策を練り、強い決意とゆるぎない志を持てば、他の剣豪たちとも、そして主催者とも、互角以上に戦える勢力となっている。
だが彼らにそんな自覚はなかった。現実はどうだろう。剣鬼たちを殺さずに止めるとなると、結局のところは…
「すまん。隠れるだけで精一杯じゃった…。」
龍馬がうなだれる。伊東の顔もさえなかった。
殺し合いを止めると宣言しておきながら、女子供にまで剣を持たせ、しかもその一人を犠牲にして、挙句に相手を止めることができないとは、なんと無様なことだろう。
「龍馬殿、斎藤君、我々は、とんでもないところに来てしまったのかもしれません。これからどうすればよいでしょうか?」
呆然とつぶやく伊東に、さすがの龍馬も、そして幕末を生き抜いた斎藤も、すぐに答えることはできなかった。
【ほノ弐/森の入口北側/一日目/朝】
【伊東甲子太郎@史実】
【状態】呆然自失 珠姫を守れなかった罪悪感 疲労大
上半身数個所に軽度の打撲 右肩にかすり傷 後頭部にダメージ
【装備】太刀銘則重@史実
【所持品】支給品一式(食糧一食分消費)
【思考】
基本:殺し合いを止める。
一:同士を集めこの殺し合いを止める手段を思案する。次は
柳生十兵衛?
二:殺し合いに乗った人物は殺さずに拘束する…が、自分の力でできるだろうか?
【備考】
※死後からの参戦です。殺された際の傷などは完治しています。
※人物帖を確認し、基本的に本物と認識しました。
【服部武雄@史実】
【状態】脳震盪、額に傷(流血中)、腹部にダメージ、迷い、気絶中
【装備】
オボロの刀@うたわれるもの
【所持品】支給品一式(食糧一食分消費)
【思考】
基本:この殺し合いの脱出
一:伊東に従う。
土方歳三と
近藤勇をどうするかは会った時次第
二:坂本龍馬を探し出して合流する
三:剣術を磨きなおして己の欠点を補う
四:
上泉信綱に対しては複雑な感情
【備考】
※人物帖を確認し、基本的に本物と認識しました。
※まだ龍馬たちとの合流、珠姫の死を知りません。
【外薗綸花@Gift-ギフト-】
【状態】左側部頭部打撲・痣 気絶中
【装備】雷切@史実
【所持品】支給品一式(食糧一食分消費)
【思考】
基本:人は斬らない。でももし襲われたら……
一:伊東さん、珠姫さん、服部さんと共に龍馬さんを探す
二:服部への警戒は解消。しかし過去の人物たちの生死の価値観にわずかな恐怖と迷い。
三:脱出方法を探るため、柳生十兵衛と会ってみる
【備考】
※登場時期は綸花ルートでナラカを倒した後。
※人物帖を確認し、基本的に本物と認識ました。
※まだ龍馬たちとの合流、珠姫の死を知りません。
【坂本龍馬@史実】
【状態】健康
【装備】日本刀(銘柄不明、切先が欠けている) @史実
【所持品】支給品一式
【思考】
基本:殺し合いで得る天下一に興味は無い
一:状況を把握する
二:伊東、斉藤たちと同行する
三:小野忠明(まだ名前を知りません)を強く警戒。
【備考】
※登場時期は暗殺される数日前。
※人物帖はまだしっかり見ていません
【
斉藤一@史実】
【状態】健康、腹部に打撲
【装備】徳川慶喜のエペ(鞘のみ)、打刀(名匠によるものだが詳細不明、鞘なし)
【所持品】支給品一式
【思考】
基本:主催者を斬る
一:状況を把握する
二:小野忠明(まだ名前を知りません)を強く警戒。隙あらば斬る。
三:伊東さんと合流したが、さてどうするか…。
【備考】
※この御前試合の主催者がタイムマシンのような超科学の持ち主かもしれないと思っています。
※晩年からの参戦です。
【川添珠姫@BAMBOOBLADE(バンブーブレード) 死亡】
【残り五十二名】
※珠姫の支給品(食糧一食分消費)は龍馬が回収し、四人分一緒に茂みに置いてあります。
※ほの仁の森の入口付近に、新見の死体と支給品、墓標代わりの打刀があります。
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最終更新:2010年12月02日 20:09