ジゲンを穢す者◆YFw4OxIuOI




 「刻を八十四に割りて、その一つを分とす。
  この分をたとうれば、脈一息にあたる。
  分を八つに割りて、その一つを秒とす。
  秒を十に割りて、その一つを糸とす。
  糸を十に割りて、その一つを忽とす。
  忽を十に割りて、その一つを毫とす。
  毫を十に割りて、その一つを厘とす。
  厘きわまりて、雲耀なり。」



「ここも駄目かぁ。シケてんな……シケてるって言葉、わりと気軽に
使っちまうけど、この村はほんっとうにシケてるよな。」

武田赤音は村の民家を一軒一軒回り、そう呟く。
もしかすれば、あの白州のおっさんが没収した「かぜ」が
見つかるかも知れぬと淡い期待を抱きつつ捜索に精を出していたが、
へろな村の半分は捜索し、見つかったのは鞘付きの竹光一振りのみ。
殺傷力は現地調達した木切れにすら劣る、問題外な代物である。
必要がなくとも斬れる刀と聞けば買わずにはいられなくなり
(そして無駄に貯め込んでしまい、後で困ってしまうのだが)
ある程度の目利きが利くようになっていた赤音にとって、
この手の碌でもない駄刀には我慢ならなかった。

「はぁ…。ほんっとうにシケてるよな…。」

万が一これを抜いて確かめずに相手に立ち向かえば、
取り返しのつかない事態になっていたに違いない。
そう考えれば、別の意味で身震いさえ起こる
武田赤音は、別段命など惜しくはない。
今からの人生など、所詮は蛇足であり道楽であるに過ぎぬ。
だが、それでも腰のものを竹光と知らず抜き破れ去るなどという、
剣者としてみっともなさ過ぎる末路は流石に堪えがたいものがあった。
もっとも、得物の確認さえせず抜刀術を行い大失敗をやらかす、
そんなうっかり侍はこのような修羅場になど呼ばれぬであろうが。

――今、どこかで女のクシャミが聞こえたような気がしたがまあ幻聴であろう。

とりあえず、竹光といえど抜かぬなら威嚇用にはなるからと考え直し、
希代の迷刀『殺戮幼稚園』ともども腰に差しておく。
大小がそろったとは言え、両方ともまるで使い物にならぬとは
余りと言えば余りの組み合わせである。
手には三尺余りの半棒。これが当座の得物とは。

武田赤音は、腰に差すだけで闘気を根こそぎ
吸い取りそうな二本差しの感触を確かめながら、
民家の戸を開けて村の捜索を再開をし始めた。


――その時である。


耳に馴染みの音がする。
あの何時聞いても聞き飽きぬ、
あの何時聞いても聞き惚れてしまう、
鋼と鋼が撃ち合う、素晴らしい音色が。

闘争の音色が。
相克の音色が。
刃鳴散らす、雌雄を決する至高の音色が。

そう。これは真剣勝負の音色である。
そしてそれは何合も、何合も続いている。
それが意味することは何か?
それは実力が伯仲しているという証である。

剣の勝負とは、実力差が僅かなものでなければ、
大抵は数合と合わさぬうちに決着が付くものである。
これは経験論であり、確信をもって言える。
武田赤音自身も、そう実力が違わぬはずの兇賊達を、
何人ともなく葬り続けてきたのだから。
それが今、何度も続いてるのであれば、
考えられる事はそれ以外ありえぬ。

しかも、その音色は凄絶を極める。
その音色は遠く離れた赤音の耳に届かせる程のものであり、
そしてそのいつどちらの剣が折れようと不思議でない程の響きは、
刀達の断末魔の悲鳴にも聞こえた。

そして、それだけの音色を互いが打ち出せるということは。
つまりは両者がともに高位の実力の持ち主である事。
剣聖、あるいはそれに準ずる水準の。



――ああ、本当にいい音色だなァ。


強者達が奏でる、夢の協演。いや、狂宴。
その音色には陶酔せずにはいられぬのである。
剣者として。ただ剣者として。
赤音はその音色に魅入られるままに、
ふらふらとした足取りでその刃鳴散らす戦場へと向かう。
二人の斬り合いを見届ける為に。
二人の相克の結果を見届ける為に。


赤音はその刃鳴散らす海岸へと辿り着く。
気づかれぬよう、少し離れた民家の陰からその戦いを眺めることにする。
両者が戦闘状態でなければ、あるいは気付かれたかもしれぬが、
幸いにしてそのようなことはなかった。

天性の脚力を頼みとする少年の神速の剣に、
己が剛力を頼みとする老人の剛の剣。
二人の姿は、二人の剣は、まさに対照的なものであった。
やがて、情勢に変化が起こる。

少年の顔面狙いの剣が老人の目の前を通り過ぎた時に滴が飛び、老人の目に入る。
その千載一遇の好機に一気に畳み掛けようとする少年が、急遽後退を行う。
その直後、落雷の如き轟音と光が少年の元居た場所に閃く。
少年の服の胸元が裂け、足元の地面が大きく爆ぜる。
土の散弾が、周囲にまき散らされる。
その轟音は一際響き、武田赤音の心の琴線をも響かせた。

「へぇ…?」

あの構え。そして、あの威力。
それは武田赤音が最もよく知るものに似て非なるもの。
――示現の太刀。

武田赤音は見惚れてしまった。
老人の剣に見惚れてしまった。
あの神速にして剛も極まる剣に見惚れてしまった。

あれは紛れもなく刈流の“強”と流れを同じくするもの。
いや、ともすればその源流かもしれぬ。
全体重を乗せた渾身の運足による、あらゆる防御を打ち砕く必滅の刃。
それだけは間違いない。
だが、それだけなら驚くに値しない。それなら赤音もとうに身につけている。
だがしかし、その老人から生みだされた速度はまさに次元が違っていた。

このおれを、遥かに凌駕している。
神速。そう、まさに神速である。
武田赤音とて、その師にさえ神速とまで言わしめる剣の腕を持つが、
あれを見た後では自らの剣さえ、児戯のようにすら思えてしまう。

それほどの剣。いや、あれは剣術などという生易しいものではない。
それほどの、魔剣。

――そう。あれは魔剣である。

伊烏義阿の魔剣“昼の月”や、自らの魔剣“鍔眼返し”のように。
有像無像の区別なく、対峙するものを区別なく斬り捨てる暴虐の剣。
人の条理を超えた、だがしかし、人でなければ生み出せぬ至高の剣。
気も狂うような修練や死闘の果てに生まれる場合もあれば、
天才の閃きよって唐突に生まれる事もある。
そして、唐突に消える運命を持つ。
いわば鬼子の剣。

――“雲耀の太刀”?

刈流は示現流の影響を色濃く受けている部分があるため、
直観的に連想した言葉をつい口にしてしまう。

いや。まさかとは思うけどな。
あの丁髷爺さん、もしかして東郷重位とかじゃないだろうな?
あの白州のおっさんといい、一体今何世紀だと思ってやがるんだ。
このおれを、さっさとまともな時代に戻しやがれ。

武田赤音は胸中でその理不尽に抗議する。
だが、いくらその理不尽に異を唱えようと、現実は何も変わらない。
ただ目の前の老人が、己を凌駕する速度を持つ神速の振り下ろしを
先ほど行ったことだけは紛れもない事実である。
たとえあの老人が何者であろうとも。
それだけは揺るぎ無い。

やっぱり、白州のおっさん達をぶった斬るには
先にあんな化物と戦わなきゃならねえってことか。
こりゃあいいや。退屈だけはしなさそうだ。

武田赤音は己の剣を凌駕するものを見せつけれてなお、
恐怖する事無くむしろ傍若無人の魂を更に燃え上がらせた。
刈流と動きを同じくするものである以上、
やはりあの老人の動きは非常に興味深い。
知りたい。もっと知りたい。知り尽くしたい。
あの惚れ惚れするような太刀筋を盗み切ろうと、
武田赤音は目を見開き、戦いの続きを凝視し続ける。
それは、猛禽の類が捕食する獲物を見る視線に酷似していた。

戦いはなおも続いている。
少年が剣を回避された苦し紛れに蹴りを放ち、
老人はそれを受け止めきれず衝撃を受け打ち倒される。
頭を打ち、朦朧となり窮地に立たされる老人。
そしてもう一度、あの魔剣が放たれる為の構えとなる。
少年はそれに危機を覚えて剣を鞘に戻し、今度は抜刀術の構えを取る。




――――― 一閃。




少年は倒れ、老人は生き残った。
少年は明らかに何かの“取っておき”を仕掛けようとしていた。
だが、それは失敗故に不発に終わり、どのような術技であったか、
それは永久に分からずじまいとなる。
老人の二度目の魔剣“雲耀の太刀”は少年を袈裟掛けに斬り、
血飛沫を舞わせ臓腑をばら撒き、大輪の朱の花を海岸に咲かせた。
それは、まるでラフレシアのよう。
ともかく、決着は付いたのだ。

武田赤音の目には、少年の剣が手より滑り落ちたという幸運を差し引いてもやはり、
あの老人の方が一枚上手であったかのように感じられた。
これは別段、同門贔屓というわけではない。
何かあの老人は無理に枷を嵌めているような、
そのような微妙な空気を感じたからだ。

だが、二度にわたる不完全な状態で放たれて、なおもあの魔剣である。
つまり完全な状態で放たれたあの魔剣に対して、抗し得る術は何一つないのだ。

――こりゃ、うかうかしてられないよなぁ?

血が滾る。
気が昂ぶる。
身体中の毛細血管の脈動を感じ、
己の心臓の鼓動さえ耳朶に聞こえる。

血の騒ぎが収まらぬ。
その老人の凄絶な魔剣は、抜け殻だったはずの武田赤音の
剣者としての血を呼び覚ますには十分すぎるものであった。

――ま、今度の人生も少しは楽しめそうかな?

心の中で軽口は叩くが、未だ興奮は一向に冷める気配がない。
そう。これから己と対峙するは、己を凌駕する剣者。
死ぬほど恋い焦がれた運命の女性とまではいかなくとも、
性欲を刺激する絶世の美女を見た時の男の気持ちというのは
得てしてこういったものに類似しているなのかもしれない。

武田赤音は、老人の剣に欲情さえ抱いていた。
かつて、伊烏義阿の剣に恋し、惹かれた純粋な感情と比べれば、
もっと卑俗で下賤な類のものではあるが。
それでもあの老人の魔剣に、強烈な特別の感情を抱いたのは確かである。
己と類似し、そしてなおかつ己を凌駕するその剣に対して。
あれは、このおれが凌辱し穢すべき剣、己が貪り尽くすべき剣。
そして、このおれの剣をさらなる高みに登らせる為の剣であると。

そう。欲情の感情をかき抱かせる絶世の美女(けん)に出会えば、
その心身を余さず貪り尽さずにはいられぬのが雄(けんじゃ)の定め。

口が歪み、半月の形に裂ける。
笑みがふき零れる。その眼は情欲に満ち溢れていた。
だが、その笑みは人がましさを突きぬけ、
もはや獣ですらありえぬほどにおぞましい。
見た者の心を恐慌に誘う、言わば瘴気を帯びた狂気の笑み。
あの獲物はおれのものだ、と心の中に固く誓う。

だが、あの老人とは今戦おうとも勝機は全くない。
技量差は勿論の事、最低限の得物さえ揃ってはいないのだから。
あれを打倒するなら、今よりさらに強くならなければならない。
そして、それに見合う武器を揃えねばならない。
ならば、このような場に長居は無用。
決着の付いた勝負の後始末になど興味はない。
武田赤音は老人に発見される前に、速やかに戦場跡を離れた。


武田赤音は村の外れにて、木の棒で素振りを行っていた。
あの魔剣“雲耀の太刀”を見た興奮が冷めやらぬ内に、
あの老人の魔剣を破る方法を模索したかったのだ。

百本ほどで素振りを終える。
体慣らしを終えて、ほどよく身体を温めると構えを直す。
今度は木の棒を右肩の上へと担ぎ、左足を前にし、右足を引く。
いわゆる刈流の“指の構え”を取る。
武田赤音は、最もこの構えを好んでいた。

状況を仮想する。
敵はあの“雲耀の太刀”を用いる老人。
そう。あの魔剣を用いる畏怖すべき、打ち破るべき老人。
距離は近い。

老人は蜻蛉の構えを取る。
老人の殺意が濃縮され、そして渦を巻く。
それはあくまでも仮想に過ぎぬにも関わらず、
凄まじいまでの重圧感を否応なく感じる。
自らの想像が生み出したものにも関わらず、
そこから逃げ出したいと本能が訴える。
だが、それを武田赤音は鋼の意志で封殺する。


そう。あの魔剣と対峙するのだ。
伊烏義阿の“昼の月”とその質を同等とする。
生半可な事では到底勝てぬ。勝てぬのだ。
それは先ほどの少年との戦いを見ての通り。
その魔剣の所作を寸毫の狂いなく捉える事が出来なければ、
この地に臓物の雄蕊雌蕊と死臭混じりのラフレシアをもう一輪咲かせる事になろう。

想定する老人と、一足一刀の距離に入る。
鋼の稲妻が落ちる。振り落ちんとする。
天の稲妻に挑む愚かなる者を粉微塵とすべく。
その矮小なる存在に相応しき天罰を与えんがごとく。
雷雲は今耀き、下界の虫けらを天の暴威にて蹂躙せんと、
今その光の牙を剥く。

だが武田赤音は、その稲妻の振り落ちる兆候すら見抜く。
勝機、先。


「――――――――――ッッッ!!!」


武田赤音は気を吐いた。

右足で、渾身の力を以て地を蹴り出す。
天雲に反逆する剣を振るわんが為に。
凄まじい勢いで、その身が正面へと射出される。
目の前の天の御使いをその剣で貪らんがために。
そしてその怒涛の勢いは余すことなく剣に乗り、
空気を切り裂いて眼前へと振り落ちる。
雲耀の株を奪わんがために。


――――刈流 強。


眼前の空間を、右上から左下まで切り抜ける。
その神速により発した剣風が、周囲の砂をも巻き上げる。
あの老人は、攻撃動作に入る硬直時間を突かれ……だが、それでも負けだ。
こちらがその速さにおいて負けていた。
いや、これですら遅い。遅すぎるのだ。

敵が何であれ、今の機に、今の剣速で挑まれて回避を成功する者はいない。
だが、攻撃そのものは別だ。
そして剣が敵手の身体に到達するのは、己よりあの老人のほうが速い。遥かに迅い。
先の機を取ったはずの己が、為す術もなく轟音と共に斬り捨てられる場面を想像し、
赤音は激しくかぶりを振った。
…気を入れ直す。

赤音の剣は決して遅くない。
むしろ、その師にさえ神速を認められるほど、尋常ではない速度を生み出せる。
無論、それは刈流の運体あってこそなのだが。
赤音はあの白州の参加者達の中にあってすら、
振り下ろしに限定するなら五本の指には入るだろうと確信している。

だが、その神速の“強”ですら、あの“雲耀の太刀”の前には霞む。
霞んで見える。

分…、秒…、糸…、忽…。
己の剣は忽の域までには到達していると見ている。
だが、あれはその更に先を行く、まさに雲耀なのだ。
あれに抗すべきは、等しく神速の域に到達する魔剣に他ない。
だが、己の魔剣“鍔眼返し”は、神速の“強”にて先手を取ってこその魔剣。

仕手の先を取り攻撃を封じ、防げば押し切る。
躱せば二の太刀にて仕手の後の先の前に仕留める。
相手の如何なる攻撃も、反撃も、防御も完全に封じるが故にこそ、
あらゆる敵を貪り尽くす事が出来る魔剣。
それが我流魔剣“鍔眼返し”。
その魔剣が逆に先手を取られるようでいては、話しにもならぬ。
それでは燕は舞えぬのだ。

敵からまず先の機を取るには、敵の攻撃兆候をしかと見定めなければならぬ。
それだけなら武田赤音の即応能力と眼を以てすれば可能である。
たとえ、あの魔剣であろうとも。

だがこれは、どうしても攻撃開始が確実に相手より遅れるため、
最初からゴールまでの差を付けられたハンデ付のレースとなる。
勝つには敵を凌駕する攻撃速度が必要となる。
武田赤音は、これまでの敵相手にそれが出来た。
赤音の“強”に優る速度などこれまでになく、そうでなければ、
これまでの敵に為す術もなく斬られていたであろうから。
先ほど、まさに赤音が老人との模擬戦で想像した通りに。

あの老人の雲耀に先んじることなくして、勝利する事は不可能。
後の先狙いなど以ての外。
あの剣を防ぐことは敵わず。
それは己の“強”もまたそうであるからこそ、自明。
あの剣を躱すことも敵わず。
“浮草”のような神速の振り下ろしを躱す抜き技も刈流には存在するが、
あれは突進する攻撃には意味を為さぬのだ。
ゆえに、薩摩の猿声を上げての突進には無力。
“浮草”はその突撃の具風にて吹き散らされるが道理。

第一、老人が動かないと仮定したところで、
こちらの“飢虎”のような間合い騙しの術技を仕込む可能性もある。
あの老人の剣と武田赤音の剣は、極めて類似しているが故に。

故にこそ、魔剣。
故にこそ、あの老人の剣には憧憬の念さえ感じた。
その老人の剣に劣情さえ抱いた。

己と流れを同じくする剣を持ちながら、
己を見事に凌駕する厭おしい、愛おしい剣。
故にこそ、あの剣は武田赤音が貪り尽くさねばならなかった。
己があの老人よりも強者であることを証明する為に。
だが、今のままでは勝利はおぼつかない。
今のままでは。そう。今のままでは。
ならば、進化するしか道はない。
今の燕を、さらなる天空の高みに登らせるより道はない。
雷雲の稲光の耀きすら届かぬ、至高の蒼天の高みに。


老人の動きは二度見取っている。
だが、あれだけの情報であの剣を凌駕する事は出来るだろうか?
あの剣を盗み切り、さらにその上を行く事ができるだろうか?

いや。出来るのだろうか、ではない。
為さねばならぬのだ。為さなければ、己が死ぬ。
いや、己が死ぬのは構わない。
だがあれに敗北すれば、己の剣さえもが無意味とされてしまう。
己の伊烏義阿を破った魔剣が、無為と帰してしまう。
己の恋い焦がれた伊烏義阿の剣さえも、共に否定される。

――天の叢雲に、月と燕は覆われる。

それだけは、決して看過できる事ではなかった。

気分を切り替える。
今度は老人の動きを脳裡に描き、そこからあの動きを模倣してみる。
刈流と流れを同じくする剣故なのか、それは意外と身になじんだ。
だが、己の強よりも遥かに遅い。
それも当然であろう。
所詮は劣化コピーにすぎないのだから。

もし、あの名も知らない猿真似師なら
あの剣を完全に模すこともできるだろうが、
残念ながら己に猿真似の才はない。別段、欲しくもないが。
模倣により手に入れた剣など、所詮は紛い者でしかない。
それは己の剣では決してありえぬのだ。

それに、もし仮にこれを完全に模倣できた所で、あの老人には敵わない。
所詮偽物の付け焼刃では、本物の魔剣に対抗すべくもないからだ。
これはあくまでも、あの剣の術理を理解しているかどうかの試しに過ぎない。
数度あの剣の物真似を繰り返して、武田赤音は模倣を終える。

次に、あの老人の動きの優れた幾つかを己の中に取りこむべく、
武田赤音は素振りを再開する。
構えは、再び“指の構え”。
鍛えるべきは“強”。
そしてそれより繋がる“鍔眼返し”。

刀が落ちる。鍔眼が返る。
燕が落ちる。燕が返る。
全身から汗が滴り落ち、その髪を湿らせる。
呼吸が少し荒くなり、生暖かい白い息を吐く。
身体からは汗が蒸発し、湯気を上げている。

試行錯誤を何度となく、何度となく繰り返す。
やがて二十、三十ほど素振りを繰り返した所で、小休止を入れる事にする。
先ほどの稽古ですでに疲弊していたというのもある。
素振りとは違い、実践を想定したものは格段に気力を消耗するのだ。
武田赤音は近くにあった切り株に腰かける。
やがて呼吸が落ち着いてくると、ため息交じりに独り言を漏らす。

「とろくせえよなァ」

――何がだ?

そう、少し以前にはこんな声が近くから返ってきた。
あれは確か、武道館の自主訓練室での出来事だった。
あそこであった若い瀧川衛視との一悶着も、
今では随分と懐かしい過去のように思える。

「決まってんだろ?あの爺さんぶった斬るにゃとろすぎるってことだよ。」

武田赤音は自分の心中からやってきた疑問に、こう独り言で返す。

――あの爺さん?

「そうだよ。あんな剣使う化け物相手じゃ今は敵わねえよなぁ、って話し。」

――あんな剣、だと?

「ああん?見りゃわかるだろ。ジゲン流だよ、ジゲン流。
 それも多分“雲耀の太刀”とか言うすっげえのだよ。
 おれも実物見るのは初めてだけどなァ。
 今のおれの燕じゃ、まず勝てねぇよな…。」

―――。

『待て。あの剣を見たと、そう申すか?』

おかしい。何かがおかしい。
いつの間に、その心中の声は実体すら伴ったのだ?
いや、これは幻覚ではなく、現実。
もしかすれば、最初から実体を伴っていたのかもしれない。

声のする方向を振り向けば、ここより少し離れた所に
長剣を二本腰に差した先ほどの老人が仁王立ちしていた。
身体からは怒気…、いや、怒気というにはあまりにも生温い。
どす黒い殺意を全身に漲らせ、目は憤怒に血走っていた。
その癖、その表情は実に穏やかである。

「そうか、知られてしまったか…。
 それも、ここまで速くにとはな。」

どこかしら薩摩訛りを思わせる丁寧な口調。
だが、その声にはまるで抑揚がなく、
それがなお一層不気味さを引き立たせていた。
込み上げる何かを無理矢理捩じ伏せたような平坦な声。
だからこそ丁寧であり、よく周囲に響くのだろう。

だが、武田赤音は悟っていた。
その声に潜むものが噴火寸前の火山であり、嵐の前の静けさであるという事を。
ならば少しずつ漏れ出す赤黒い感情は、さしずめ火山を伝う灼熱の溶岩か。
その怒りの残滓でさえ、人を殺すには十分すぎる、心を冒す猛毒である。

「しかも、お主はどうやら示現流を知っている…。
 その剣、どこで身につけた?
 いや、どこから盗み出した?」

いや、すでのその口調の隙間から、その殺意のマグマが顔を覗かせつつある。
その大火山からの噴火は間近。
そこから生み出される惨劇もまた間近。

この老人の問いに、素直に答える義理はない。
このままその殺意の爆心地に留まり、
その灼熱の溶岩に熔かされるのをみすみす待つ道理もない。

「――貴様、幕府の隠密か?」

今この老人と戦っても、まず勝ち目はないだろう。
そう。今はまだ、だ。
ならば、答えなどとうに決まっている。


――三十六計逃げるにしかずってか?


武田赤音はかの老人の問いに一切答える事無く、
一切振り返ることなく、脱兎の如く遁走を開始した。
背後からは、猿声を上げ何かを振り上げるような禍々しい気配を感じた。
それは錯覚であると、そう思いたい。
背筋から冷汗が滝のように流れ落ち、もはや凍り付いてさえいる。
待てと呼ぶ声が背中から聞こえるが、その声には非礼を以て返答する。

「はん、待つわきゃねーだろが!この耄碌爺!!」

武田赤音はへらず口を叩きながら疾走する。
だが、振り返らない。振り返ってはならない。
振り返れば、おそらく死ぬ。

武田赤音が背後の老人から死に物狂いに逃げ回る光景は、
まるで黄泉醜女と雷神の追跡を振り切り、
黄泉比良坂を駆け抜ける伊邪那岐命のようですらあった。

【への漆 へろな村中/一日目/黎明】
【武田赤音@刃鳴散らす】
【状態】:健康、疲労(小)
【装備】:現地調達した木の棒(丈は三尺二寸余り)
     竹光
     殺戮幼稚園@刃鳴散らす
【所持品】:支給品一式
【思考】基本:気の赴くままに行動する。とりあえずは老人(東郷重位)の打倒が目標。
     一:とりあえず、背後の追跡者を振りまくべく疾走する。
     二:女が相手なら戦って勝利すれば、“戦場での戦利品”として扱う。
     三:この“御前試合”の主催者と観客達は皆殺しにする。
     四:あの老人(東郷重位)の魔剣を凌駕すべく、己の剣を更に練磨する。
     五:己に見合った剣(できれば「かぜ」)が欲しい。
     六:逃げろや逃げろ逃げろ逃げろ!!
【備考】:人別帖をまだ読んでません。その上うわの空で白州にいたので、
     伊烏義阿がこの御前試合に参戦している事を未だ知りません。

※武田赤音がどの方角に逃げたかは次の書き手様にお任せいたします。

――――あの小僧、生かしてはおけぬ。

東郷重位は憤慨していた。
あの不遜なる少年に憤慨していた。
あの薩摩の剣を心技体全てにおいて穢し尽くした外道に、
腸が煮えくり返る程に憤慨していた。

己の剣を盗まれた。
薩摩の剣を盗まれた。
門外不出の示現流を盗まれた。

盗まれた責は東郷自身にあり。
それだけでも東郷重位は身も震えるばかりの恥辱を感じずには居られぬのである。
しかもその盗んだ男は、女と見まがうばかりの軟弱そうな少年と来ている。
それは武士の風上にも置けぬような、南蛮被れの長履に女者の小袖を羽織る、
ひどく退廃的な女装をした男娼(ツバメ)まがいの男であった。

それが平然と示現流の技を盗むばかりか、
その中にありえぬ「二の太刀」をも組み入れているのだ。
最初の一刀に全生命を賭け、その一刀で敵を両断するか、
さもなくば倒される覚悟を持つというのが示現の精神。
その精神を、あの女男は異端の術技を以て穢しに穢しているのである。

さらにはその少年は礼儀すら知らぬ。いや、礼だけではない。
仁。義。礼。智。忠。信。孝。悌。
これら全てが欠落しているとしか思えぬ愚物である。
あまつさえ、この東郷重位を耄碌爺とまで侮蔑し、
挙句の果てに斬らんと欲する野心さえ抱いている。

これがもし、我より格段に劣る口先だけの相手であれば、
その生命を奪わぬ程度に仕置きを行い、二度と剣を握れぬよう、
喋れぬようにして捨て置くだけですませるであろう
それで心が折れれば、薩摩を軽侮した者達への見せしめにもなる。

だが、あの朱羽相手ではそう簡単には行かぬ。あれは野獣なのだ。
決して見下せる相手ではない。手加減をすれば、此方が食い殺される。
あの男娼(ツバメ)まがいの男が、先ほどの修練で繰り返し見せた剣。
あれはまさに示現の流れを組みつつも、別の術理を持つものであった。
己と技をほぼ同じくするが故に、生半可な相手ではないと確信する。
確かに、今はまだ我には及ばぬ。
だが、この先どのような異形に化けるか知れたものではない。

それは異形の示現の庶子であった。
それはあり得ぬ、あってはならぬ所から現れた。
そしてその庶子は、人の礼節を一切弁えぬ鬼子であった。
決して存在を許されぬ、おぞましき禁断の私生児であった。
ならば、その庶子はその親が責任を持ち間引かねばならぬ。
ならば、あの薩摩を冒涜せし異形の剣は滅ぼさねばならぬ。
薩摩の剣が盗まれた、その忌まわしい事実をも消すために。

――消さねばならぬ。己の名誉の為に。薩摩の未来の為に。

東郷重位はその全身に殺意を漲らせながら、朱の小袖の少年の背を追い続けた。

【東郷重位@史実】
【状態】:健康、小袖の少年(武田赤音)に激しい殺意
【装備】:打刀、村雨丸@八犬伝
【所持品】:支給品一式×2
【思考】:この兵法勝負で優勝し、薩摩の武威を示す
   1:相手を探す。
   2:薩摩の剣を盗んだ不遜極まる少年(武田赤音)を殺害する。
   3:殺害前に何処の流派の何者かを是非確かめておきたい。

【備考】
※示現流の太刀筋は今の所封印したままですが、そのままで戦う事に不安を感じています。
※示現流の太刀筋を小袖の少年(武田赤音)に盗まれた事に強い危機感を抱いています。

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失われた剣を求めて 東郷重位 夢十夜――第二夜『喪神/金の龍』――
浅ましきかな我が武道 武田赤音 真宵

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最終更新:2010年05月24日 21:19