忠誠いろいろ ◆cNVX6DYRQU


犬坂毛野は早足で歩きながら、隣にいる女人……奥村五百子の顔をそっと伺う。
毛野の名を聞いた時に見せた妙な反応について、さり気なさを装いつつ、前に会った事があるのか聞いてみると、
「自分は見ていないが里見の八犬士は肥後でも有名だ」という、要領を得ない答えが返って来た。
犬士が既に八人揃って里見家に正式に仕官したような言い方であるのも妙と言えば妙だが、
それだけなら噂が肥前まで伝播する内に内容が歪んだと考えればまあ納得できる。
問題は、五百子の言葉を信じるならば、自分達の噂が遠く肥後にまで伝わっている事になるという点だ。
確かに自分達は多少は世間の評判になり得るような騒動を幾つか起こしはした。
しかし、その程度で肥後にまで噂が広まるというのはまず考えられない。
現に関東でも毛野の名はそうは知られていないし、里見家との縁まで知っているのはごく限られた者のみだ。
ここから考えると、五百子の言葉は疑わしく、実際は別の筋から自分の事を知ったと考えられる。
にもかかわらず肥後で噂を聞いたなどという虚言を使っているのならば、この女はかなり胡乱な人物だと言えるだろう。

以上は五百子の言葉を考察する事で得られる結論……だが、彼女の面相から得られる印象はそれと相反していた。
毛野には風鑑の心得がある。風鑑とは要は観相術の事で、表に出た相を分析してその者の内面や運命を知る技術だ。
見るべき相としては手相や黒子、声質などもあるが、最も重要なのは身体中の気が集まる顔の相。
毛野は先程から五百子の顔を見てその相を鑑定していたが、その結果は上の推測とはまるで一致しない。
信義に溢れ、有為の人物を多く救い、国に尽くし、生涯誠を貫く人物……それが五百子に関する毛野の見立てである。
言動から推測される人物像は大嘘つきなのに、相はこの上なく誠実な人物のもの。この矛盾が毛野を戸惑わせていた。

加えて、朧にいきなり斬り付けたあの行動も毛野の戸惑いの原因になっていた。
確かに朧の風体を見れば怪しむのも当然だが、素性を問い質す事もなく殺しに掛かるのは流石に乱暴すぎだ。
この行動だけを見れば五百子は粗暴で無思慮な人物だと断定したくなるが、ここでも風鑑がその判断に異を唱える。
朧……あの男の顔には主に刃を向ける不忠の相、そして兄を斬る不悌の相が浮かんでいたのだ。
但し、異形の耳を見るに朧は尋常な人間では有り得ず、遠い異国の出身か、禽獣が年を経て化けた者であろう。
禽獣や夷狄ならば、未だ教化が到らぬ故に人倫を知らず、性が善なのにもかかわらず不徳を為す事も有り得る。
この場合、朧に倫理を教えてやって、犯す筈の罪を犯さぬように導いてやるのが霊長たる人間の務め。
そう思ったからこそ朧を徒に疑わなかった毛野だが、実際には単に性悪な妖怪だったのかもしれない。
そして、五百子が何らかの手段で朧の本性を見抜いて斬り付けたのであれば、責めるいわれは何もない事になる。
五百子の言動と人相、互いに矛盾する二つのどちらが彼女の本質を表しているのか……毛野は惑っていた。

考え事をしていたせいか、毛野がその気配に気付いたのは五百子が立ち止まった後だった。
気配の源である森に目を遣ると、中から男が歩み出て来る。かなり憔悴した様子だ。
「肥前佐賀、奥村五百子と申します。率爾ながら、御名前を伺いたく」
そんな男を警戒する様子も、気遣う様子もなく淡々と呼び掛ける五百子。
だが、毛野は知っている。この何気ない様子から五百子は即座に相手を殺す事が出来るということを。
素早く男の人相を観察すると、忠烈の士の面構えだ。しかし、非業の死を暗示する凶相も出ている。
そう見立てた毛野はそっと五百子に近付き、「あれは忠烈の士だ」と囁く。
五百子が単に血を好むだけの女で、彼女に不意討ちされて殺されるのがこの男の凶相の由来ではないかと危惧したのだ。
その上で毛野は五百子の動きを警戒する。
こう釘を刺したのを無視して五百子が男を斬ろうとするようであれば、毛野の観相が外れであったと断じて良かろう。

「済まぬが、人別帖を見せて頂けぬか?こちらの人別帖には不審の点があってな。見ろ……」
毛野と五百子の尋常でない様子に気付かぬのか、男はそう言って行李から人別帖を取り出しつつ歩み寄って来る。
(人別帖か……)
そう言えば人別帖をきちんと調べていなかった事を今になって毛野は思い出す。
仲間の犬士達がこの場にいるのか、朧や五百子の名が人別帖に有るのかも確かめていない。
俄かにそれが気になり始め、男が五百子に手渡そうとする人別帖を覗き込もうとする毛野。
この時、男が仕掛けて来た。

前触れなく抜き打ちに切り込んできた男の刃を、五百子は素早く抜き掛けた刀で防ぐ。
間を置かずに二人は空いた手で互いの腕を掴むと、同時に繰り出した蹴足が衝突し、その勢いで互いに腕をもぎ離す。
この一連のやり取りの間、毛野は虚を衝かれて反応できなかった。
人別帖に気を取られていた上に、五百子の方が男を不意打ちする事を警戒していたのだからこれはまあ仕方がない。
逆に、不意打ちを受けながら、それを予期していたかの如き素早さで反応した五百子の方が異常だと言えよう。
もちろん、五百子は男の不意打ちを予期していた訳ではない。ただ、このような事態に慣れきっていただけだ。
葉隠に曰く、朝毎に懈怠なく死しておくべし。
鍋島武士でも実践している者は僅かであるこの教えを、五百子は忠実に守っている。
毎朝、観念の中で様々な死に方を体験し、死の覚悟を養う。
そんな生活の中で、五百子は己の考え得る限りの死に様を想像して来た。
親しげに話しかけて来た者に不意を討たれて死ぬ、などというありふれた死に方は、それこそ幾度体験したか数え切れない。
故に、男の突然の攻撃に対しても動揺する事も怖れる事もなく、即座に対応できたのだ。

不意打ちを奥村五百子と名乗る女に外された佐々木只三郎だが、状況は自分に有利だと考えていた。
攻撃を防がれたとはいえ、只三郎は五百子の間合いの内に入り込んでおり、この距離では小太刀を持つ彼が数段有利。
無論、五百子は間合いを離そうとするだろうし、もう一人の小柄な男も介入して来るだろう。
しかし、只三郎も小太刀の技に関しては絶対の自信がある。
五百子に間合いを離させず、逆にその身体を盾にして男の手出しを防ぐ……それを可能とするだけの技が、只三郎にはあった。
五百子が刀を抜き放つのと同時に、只三郎はソハヤノツルギを翻して攻め立てる。
十分に間合いが近ければ、取り回しの良い小太刀の方が太刀よりも手数の点で有利。
それを最大限に利用し、五百子を防戦一方にしてその動きを思いのままに操るのが只三郎の戦術だ。
だが……

ソハヤノツルギが走り、五百子の肌から血が飛沫く。
しかし、舌打ちして飛び離れたのは有利な筈の只三郎の方だった。
手数を活かした只三郎の攻めに対して、五百子は防御を放棄して反撃して来たのである。
慌てて飛び退いて五百子の攻撃をかわしたものの、そのせいで只三郎の攻撃も掠り傷を与えるに留まった。
それよりも重大なのは、せっかく詰めた間合いを自分から手放してしまった事。代償が掠り傷一つではとても割に合わない。
「貴様……死人か」「然り」
只三郎の呻きと五百子の短い答えが交錯し、それを掻き消すように男の気合が響く。
二人の身体が離れて同士討ちの危険がなくなった事に力を得た男が脇差を抜いて打ち掛かって来たのだ。

只三郎のソハヤノツルギと男の脇差が激しく絡み合う。
武器の質と小太刀の技では只三郎が優位だが、その体格に似合わぬ身体能力に支えられた激しい剣は決して馬鹿にできない。
まして、あの不気味な女を加えての二対一では……
退く事を考え始めた只三郎に対し、脇差の男が問い掛けて来る。
「お前、何者だ!?どうしてこんな事を!」
「……俺は佐々木只三郎」
事ここに到っては名を秘すのも無意味。そう考えた只三郎は名乗りを挙げる。
意外な事に、その名前に反応したのは無表情で刀を構えていた五百子の方であった。
「貴殿が佐々木殿か。御高名は聞き及んでいる。幕臣ながら骨のある御仁だと」
幕臣ながら……か。幕府を侮っているともとれる発言だが、幕臣に骨のある者が少ないのは只三郎も常々思っていた事だ。
「俺などはそう褒められた男ではないさ。主君がこのような愚行を為すのを止める所か、気付きもしていなかったのだからな
 せめて幕府の最後を美しく飾る為、迷惑であろうがお前達の命は俺が貰い受ける」
決意を発露して構えを取る只三郎だが、それを聞いた男は戸惑いを見せ、五百子の鋭い殺気も僅かに鈍る。
「何を……何を言ってるんだ、お前は!?」
叫ぶ男に対し、只三郎は二人の拍子を測りつつ答えを返す。
「どうも俺のような微禄の者が何を進言したとて、上の方々はまともに聞いてはくれぬようだ。だが、俺が勝ち抜けば……
 如何なる願いも聞き届ける……そうまで言った以上、俺が勝ち残れば献策が容れられる公算が高い。そういう事さ」
そう言うと同時に、只三郎は後ろに跳躍し、身を翻して森の中に駆け込む。
只三郎の言葉に呆れたのか怖れたのか、二人の殺気が薄れ、その場を離脱する隙が生まれたのだ。

「追っては来ぬか……」
森の中で二人が追って来るのを待っていた只三郎だが、その気配がないのを知って刀を納める。
木の茂る森の中ならば、二対一でもやりようがあったのだが……そう思いつつも、只三郎はどこかほっとしていた。
脇差の男はともかく、あの女は明らかにおかしい。自分で言っていたように本当に死人なのかもしれない。
清河の事も考え合わせると、この御前試合にはかなりの割合で亡霊が参加しているのだろうか。
「死人が相手となれば闘い方を変えねばならぬな」
そう、亡霊と戦う事を考えた只三郎が第一に感じたのは恐れなどではなく、ただ困惑。
既に死んでいる者は己の死を恐れぬのやもしれず、そうなれば尋常な人間との戦いを前提に編まれた剣術では不便がある。
清河の戦い方もあの狡猾な男にしては妙であったし、五百子には有利な状況を作りながら思わぬ不覚を取った。
死人を打ち破るには如何なる剣を用いれば良いか……只三郎の考えは既にそこに到っている。
全ては幕府の為に。幽鬼でこそないが、彼もまた一種の鬼と言えるのかもしれない。

【はの弐 森の中/一日目/早朝】

【佐々木只三郎@史実】
【状態】健康、精神的肉体的疲労
【装備】ソハヤノツルギ、徳川慶喜のエペ(柄のみ)
【所持品】支給品一式
【思考】
基本:主催者の命に従い、優勝する
一:何故清河が…?
【備考】※この御前試合の主催者を徳川幕府だと考えています。
※斉藤一の名前を知りません。
※参戦時期は清河八郎暗殺直後です。

只三郎が逃げ去ると、五百子はあっさりと刀を納め、毛野もそれに倣う。
森の中では小太刀の達人である只三郎は手強い相手だし、視界が利かぬ為に同士討ちの危険さえある。
毛野としては、後を追って只三郎の発言の真意を問い質したい気持ちもあったのだが……
「あんたの目利き通りだったね」
いきなり五百子に言われて、毛野は意味がわからずに戸惑う。
「試合に優勝して己の進言を主に容れさせる為に闘おうとは、見上げた忠義の心たい」
目を細めた表情を見ると、皮肉ではなく本気で只三郎の心意気と毛野の風鑑に感心しているらしい。
「ま、待ってくれ。それはつまり……」
あの男の言う通り、この非道なる御前試合を開催したのが幕府だと認めるつもりなのか。
仮にそうだとしても、己の進言を容れさせる為に無関係の者を殺すのが忠と言えるのか。
まずはこのような非道な催しは即刻中止するように諌言するのが忠の道なのではないか。
御前試合に荷担して幕府に非道を為さしめれば、むしろその不徳の為に幕府が滅びる因を作る事になるのではないか。
言い連ねる毛野に対し、五百子は不同意のようではあるが、敢えて議論しようとはしなかった。ただ、
「崩れるものを無理に崩すまいとするのは見苦しいたい。その点、佐々木殿はさすがに潔い」
とだけ言い、その言葉がまた毛野を混乱させる。
つまり、五百子は幕府の崩壊が不可避だと言うのか。そう言えば、只三郎も幕府の最後を飾るなどと言っていた。
確かに、応仁の乱以来、幕府の権威の凋落振りには目を覆うものがあるが。
「だが、当代の御所様は有徳の君と聞く。そう簡単に幕府が倒れるとは……」
「盛衰は天然、善服は人の道。それとこれとは関係ないたい」
「なっ!?」
五百子の思わぬ発言に毛野は絶句する。盛衰は天然……つまり天、神仏の為す事。
それはその通りだが、何を栄えさせて何を滅ぼすか、それを神仏が定めるにあたっての基準は当然、その者の善悪だ。
毛野の印象としては五百子はかなり学の有る女人であり、この因果応報の理が理解できないはずがないのだが。
五百子には誠があり、只三郎には忠がある。毛野の風鑑はそう告げるが、その見立てと現実の間には何か違和感が有る。
もしや、自分と彼等では誠や忠といった徳目の基準に大きな差異があるのでは。
そんな有り得ない疑いを抱きそうになるほど、毛野の心は戸惑いに揺れていた。

【はの参 森の外/一日目/早朝】

【奥村五百子】
【状態】:左手に刃傷、肩に掠り傷
【装備】:無銘の刀
【所持品】:支給品一式
【思考】 ひとまず殺し合いに乗る気はない。
1: 犬塚毛野を名乗る少年と行動を共にする。
2: この凶事は妖怪やそれに類する者の仕業ではないか。
【備考】
※1865年、20歳の頃より参戦。
※犬塚毛野のことを、八犬士の犬塚毛野の役を演じている旅芸人か放歌師の類と考えています。
※オボロの事は、狐か狸の変化と考えています。また、それら妖物がこの凶事の原因かと考えています。

【犬坂毛野@八犬伝】
【状態】:健康、戸惑い
【装備】:脇差
【所持品】:支給品一式
【思考】
基本:主催者の思惑を潰し、仲間の元に戻る。試合に乗った連中は容赦しない。
一:五百子と同行する。
二:五百子が八犬士の何かを知っているのか気になる。
三:智の珠を取り戻す。
四:主催者に関する情報を集める。柳生十兵衛との接触を優先。
【備考】
※キャラクター設定は碧也ぴんくの漫画版を準拠
※漫画文庫版第七巻・結城での法要の直前から参加です。
※智の珠は会場のどこかにあると考えています。
※オボロを妖怪変化の類だと認識しています。



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忠臣、亡霊と会い、少女、闇に消える。 佐々木只三郎 悪夢の終わり
怪力乱心を語らず 奥村五百子 過失なき死
怪力乱心を語らず 犬坂毛野 過失なき死

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最終更新:2010年12月02日 20:56