黒角:「依頼-蘭方薬の伝承」

 帝国一番の設備が為された研究機関で、実験を重ねる事に充実さは感じていた。新たな兵器の生誕に喜ぶ事は無かったが、期待される事に悪い気はしなかった。レガトゥス兵の開発に伴い、甚大な犠牲を及んだ事を知っている。奇獣の細胞侵襲による人体活性化、成功例によっては人格保持・脳機能向上を期待する事が可能だ。
スクリトゥム、ヴィクサーの運用は致命的な費用不足に直面する。一個体に対して多脚戦車3体分の費用を負担する事は、あまりにも非効率だ。それらを解決し、低コストで戦闘兵器を運用できる事は人命軍にとって最大の好機だったのだろう。

 レガトゥス兵は国3つを壊滅させ、名だたる英雄を半数死なせたらしい。尤も、そんな事私に興味はない。自らの才がどれほどのものかを試したかっただけだ。
しかし・・・そんな私でさえも越えられぬ壁はあった。「ナキ」と名乗るアイツは、「咢」を開発し低コストながらヒューマン本来の潜在能力を最大限に引き出していた。
リスクの支障さえ無く運用可能という、理想的な兵器を開発した事には称賛したいと思った。レガトゥス兵を壊滅させたにも関わらず、不思議と嫉妬心や憤慨も湧かなかった。
 その頃にはナキの謀叛も確信し、私も潮時と感じていた。何せ大陸スケールの混戦だ、コラプサーの魂胆も人命軍の使い捨て運用も元より理解していた。

 また自業自得であったが、愛用している薬物の副作用が深刻化した。他薬剤による緩和も難しい様だった為、良い機会だと思い薬学を追求する事とした。
好き勝手生きる事が私のセオリーだが、自らの命可愛さに知識を求める事に驚きを感じている。私は生きたがりだったらしい。
 人類の61%が死滅したこの世界で、自由気ままに生きてやろうさ。




「して、キミの仲間が扱う【五元】は蘭方薬の由来元が同じと言うのだね?」

 褐色の肌に付着する歪な甲殻をなぞり、大柄な男性が一角の白衣姿の女性に問いかける。

「そうだ。だがアイツは当時の師匠に教え込まれただけで、発祥やら伝承等は興味なかったらしいからな。だが調べてみたら近しい文献を見つけた。水没都市ヤトミコの文書だった事を知って納得したよ、そりゃあ一部知識しか手に入らん。この本だって高い買い物だったぞ。」

愚痴交じりに語るレイラは文献を蠍に渡す。本の中身は損壊箇所があるも、概要部分は二人の知る蘭方薬の他にも膨大な知識が記されていた。

「これをどこで?」

「ゲミュオールの骨董商人から仕入れた。水没都市の遺物と称して高値で扱われていやがった。」

 高価な文献を蠍へ渡す。既にレイラは文献内容を網羅していた。

「面白いもんだな、蘭方薬ってのは。植物と奇獣素材を組み合わせて副作用無しの万能薬を開発出来るんだ。コイツが無きゃあオレもヴィクサーの仲間入りだったぞ。」

「何とも面白い話だね、君だったらヴィクサー化を喜んで行うと思っていたよ。」

「ハァ?馬鹿言うな、消化器官も人工移植対象だったが今の技術じゃ加工品しか食えねえじゃねえか。こう見えても味には五月蠅いんでね。」

 蠍から渡された薬用植物を確認し、劣化しない様に専用容器へと詰めていく。大雑把な振る舞いの多いレイラだが、商品や自らも常用する薬物に関しては人一倍神経質だ。

「さて、取引も終わったし吾輩は失礼しよう。また必要な材料があれば端末で注文したまえ。」

「あいよ、近い内に頼むかもな。」

 満足気に本を摩りながら大柄な男性は店を後にする。元より予定が立て込んでいた為か、少しばかり早歩きで地下街を去っていった。

「・・・おい、もう隠れなくて良いだろ?」

「ほんと?蠍ちゃん帰った?」

 屋根裏に隠れ潜んでいたルプス族の少女が、颯爽と現れる。そしてレイラが飲んでいるコーヒーを勝手に飲み始め、彼女は慣れているのか特に咎める事も無い。

「いや~、良くお喋る出来るね~。彼ってさ[深淵者]じゃん?一応公的なお役職就いててもオレ様なら目も合わせたくないね。野生の勘っていうか?命の危険を感じるんだよね。」

「テメーどうせそれも嘘なんだろ。怖いんじゃなくて、過去にやらかした事件で出くわしたからなんじゃねえのか?」

 バラムの眉が一瞬歪む、どうやら半分正解の様だ。

「にしし、直接見られた訳じゃないんだけどね~~~。オレ様も詰めは甘くないし?」

「ハッ言ってろ。少し店を空ける、テメーじゃ薬の判別も出来ねえだろうから薬品だけは閉めておけよ。ごねる客が居たら痛めつけても構わねえ。」

「あいよ~~~、お大事に~。」

 レイラの食べ残したスナック菓子を頬張り、端末から展開されたメディアビジョンを眺めながらバラムは無気力に手を振った。
犯罪犇めく博打区を堂々と歩くレイラ。登録保証制度を採用した海上都市ヌーフでは、医療・生活制度を受けられない非登録民にとって金銭的支援は全く受けられない。
近年、移民達が設立した箱街や下層地区に住む者達は、何も保証される事も無く命の危険と隣り合わせで生きている。
 彼女もその一人であり、勿論海上都市の登録民地区内部なんて未知の世界だ。そもそも興味も無く、薬学分野も専用端末があれば大抵の知識は得る事が出来る。
今の商売を止めてまで登録民になる必要も無いだろう、それに彼女の治療を必要とする顧客も存在する。

 貨物兼人用エレベーターを利用し、都心駅へ到着する。都心と言えど、あくまで非登録民用のエリアである。
外部業者が貨物運搬に利用する為、管理局の警備部隊達が常に滞在している。駐在所は拘置所の様な扱いで、ここに運ばれる犯罪者も少なくはない。
こんな所で盗みや喧嘩、果てはテロ行為等行おうとも…兵器搭載の警備部隊に逆らう者は移民者か只の馬鹿か。本日も顔半分が腫れあがったコソ泥が捕まっている。

「馬鹿な奴が居るもんだ・・・やるなら地下でやれば良いものを。」

 こればかりはレイラも呆れるばかりだった。無駄な行為を嫌う彼女にとって、突発的な行為は目に余る光景だ。
専用パスを駅員へ見せ、単軌鉄道へ乗り込むレイラ。目的地はヌーフ非管理区市街地エリア(通称:箱街)であり、共通の知り合いの診療所へ向かう予定である。
箱街は管制からも見放された損壊部であるが、住民達による統制がなされ治安は言うほど悪くはない。その事から、敢えて箱街に住み着く登録民も居る程だ。
レイラにとっても、この空気は長く住んでいた「玄永砦」に近しい事から不思議と懐かしさも感じ取っていた。

 駅から歩く事10分弱、公共車両を利用する程でも無かったが街の喧騒さに舌打ちを鳴らす。自らが関係の無い騒音には拒否的反応を示す様だ。
目的地である診療所に到着する。そこには玄関先で喫煙中の男性が佇んでいた。

「あ、レイラちゃん。予定より早いじゃん。」

「んで?顧客はどこだ?オレ様がわざわざ出向いたんだ。さっさと案内しろ。」

慌てて煙草の火をポケット灰皿で消し、ドアを開ける。

「悪い悪い、ほら案内するからさ。」

「後でその銘柄教えろよ。」

「良いよ、気に入ったら1ダースあげる。」

 喫煙者の名前はエイル。女好きそうな顔つきであるが正真正銘、政府認可の元・戦場医師である。
診療所内部は彼の住宅でもある事から、生活用品が敷き詰められている。その為診察室や待合室は別室であるが、隣にキッチンがある為プライバシーは無いに等しい。

「それにしてもさ、君ん所のえーと…スミラちゃんだっけ?」

「シミラだ。どういう間違えしてんだ???

「ええゴメンゴメン!本人に言わないでね、あの子さ…この間来たんだけど救急レベルの怪我するの勘弁してくんない?箱街の大型病院一つあるでしょ?」

「残念だったな、そこは出禁になっちまってんだ。院内で喧嘩相手と出くわして再戦しやがって。」

「ああ、ムステラのオッサンか…。あの子も酔狂だね、自分の目潰した相手に何度も立ち向かうなんて。」

「戦闘民族にテメーの常識を比較しても時間の無駄だ。オレが何度言っても指示を無視する程だからな。んで?このガキが依頼主って奴か?」

 レイラが指差す向こうには、一人の学生服を纏った小柄な少女が座っている。

「こ、こんにちは…。」

「…はぁ、なるほど。アニムス刻印症か。」

 少女を一目見てレイラは疾患名を特定した。しかし当疾患は常識的に伝播されており、戦争経験者や秘術研究者に中には事故に伴い発症する可能性が高い症例である。

「前以てカルテを送った通り、この子の刻印症は特殊でね。確かに刻印症の特徴通りに刺青状の痣が形成されたんだけど、聞き慣れない症状を認めているんだ。」

 右目周囲にピエロメイクの様に月状のアザが形成され、健側の左目は青色の瞳をしているが右目は充血の様に赤い。
しかし、視力に問題は無く寧ろ向上しているとの事だ。発症したのは去年、集団リンチを受け死にかけていたチンピラを救おうと文献で見知った秘術を行おうとした。
通常であれば、学校支給の干渉器とグリアカペルでは即座に損壊し本人に多大なるダメージを与えるだけに終わる筈だった。しかし彼女の場合は違った。

 干渉器もグリアカペルが崩壊しようと、彼女は生身一つで耐え抜き男性一人を治癒した。それもほぼ全快に。
治療後、彼女は全身出血に伴う出血性ショックにより昏倒。数週間の集中治療の末に生還した過去を持つ。以降は短期間リハビリを経て学生復帰を為している。
 そんな彼女に問題が生じた。後遺症である右目周囲の痣から疼痛を感じる様になった。それも強い鈍痛が不規則に生じ、一度学校で倒れ込んだ事がある程。

「いやね、大学病院も秘術関連はまだ完全に理解は出来ていないし。僕も専門学を触った程度だからお手上げ状態だったんだ。鎮痛薬も役に立たずで…。でもね、ウチの娘がこの子と仲良しで。良く勉強を教えて貰ってるんだ…おっとごめん。君には関係無い話だね。」

「ああ、依頼されれば特に問題はねえよ。さて…なるほどねぇ。お嬢ちゃん、秘術じゃない代物を使ったね?」

「え?でも私、秘術を記した本から参考にした筈です…。」

「…え?もしかしてさ咒法だとか言わない…よね?まさか。」

 レイラは呆れた様に一笑いし、テーブルに置いてあったエイルの煙草を一本抜き取る。

「ああそうだ、そのまさかだ。全く…学校も杜撰だな。秘術と咒法の区別も出来んのか、これじゃあ将来有望の若者達が無駄に死んじまうぞ!」

 年季の入ったジッポーライターをポケットから取り出すも、エイルが一連の動作を制止する。

「あ、ここ禁煙だよ。」

「はぁ?何で?前来た時普通に吸えただろ。」

「娘から臭いからって禁止事項になっちゃったの。」

「…チッ。」

 バツが悪そうにレイラはジッポライターをしまう。専用端末を展開し、カルテと先程聞いた症例を記録していく。

「…咒法って何なのか解るかい?お嬢ちゃんは。」

 突然の質問に、驚いたような動作を見せるも冷静を装いながら静かに返答するイサネ。

「え、えと…ウルグスの人達が扱うアニムスは秘術と呼ばれていて、神様から授かった力で…咒法は神様達が扱える技術、でしょうか?」

「半分正解だ。秘術は別に神格獣共から授かった訳じゃねえ、元はオレ達ウルグスが神格獣共の餌食になりたくねぇから対抗手段として編み出したパクリ技術だよ。」

 レイラから伝えられる回答にただ頷くしか出来ず、少しばかり困った表情を見せエイルに助け舟を求めている。

「ちょっとちょっと、大陸渡りした子は齟齬とか気にせず言っちゃうんだね。まぁ確かに教育問題ではあるけど。」

「どうにかしろよ、ヌーフの学園都市部は偏見持ちが多すぎるんじゃないのか。」

「それ僕に言われてもねえ、それで質問といい何か考えでもあるの?」

 予めエイルが用意していたコーヒーを啜り、頬杖を突きながらレイラは嗤う。

「咒法ってのはな、察しの良いお嬢ちゃんなら解るだろうが神格獣共が扱う代物だと何度も言ったな?コイツは相当な呪いなんだぜ?蘭方薬ってのは確かに調合次第では現段階の医術じゃあ解決できない疾患に対応できる最終手段だとオレは思ってる。だからそれでも無理な話があんだ、それが咒法だ。お嬢ちゃんの献身的な行為は称賛に値すると思うが、オレでも厳しいものは厳しいんだよ。それが分かったなら帰らせて貰うぞ?」

「ちょ、ちょっと待ってくれよ!報酬だって弾むって三課の人達言ってたしさ、今までで一番かもしれないよ?」

 例え良い報酬と言われようと、流石のレイラにも限界はある。わざわざ解明されてもいない未曾有の領域に、無知のまま足を踏み入れる趣味は無い。
1人の命を自己犠牲的に救ったイサネを救うなんて善心なぞ持ち合わせていない。そもそも彼女にメリットの一つも無いのだ。

「まぁそういう事だ、期待させちまったか?」

「…いえ、クシティさんにも前例は無いと言われたので。もしかしたら難しいかなと思ってたんです。」

「イサネちゃん…。な、なぁ知り合いとかにさ来訪区育ちの奴いない?そういうアニムスに凄い長けてて咒法も詳しい事か…。」

「いねぇよ、大抵知ってる奴死んじまった。」

 静寂に包まれる診療室内。内心諦めかけていたイサネも、最後の砦と期待していたエイルも俯く。何も言えず表情は曇っていく。

「…コーヒー悪くなかったぞ。」

 コーヒーを飲み干したレイラは、診療所を出ようとした。内心、それなりの報酬を自ら断る事に残念さを感じながらも。
その矢先、聞き覚えのある声が耳に入る。その声は彼女にとって聞きたいとは思えぬ、不愉快でなくとも流石に会う場所を選びたかったと思わせる声だった。

「おいおい、人命軍きっての生物兵器開発者様が弱音を吐くとはな。見物も悪くないものだ。」

「…隠れて聞いていたのか?良い趣味してんじゃねぇのか?テメーは一つも変わってねぇな?ナキ。」

 別室から現れた白衣姿の女性は手の付けられていないコーヒーを掴み、不敵な笑みを浮かべる。

「悪いな。エイルと繋がりがあった事は以前から知ってはいたが、眺めているのも悪くはないかなと。」

「相変わらず理解に苦しむ趣味を持ってんじゃねえかテメー、んで?天才博士のナキ様でも解決出来ない咒法に対する治療法を、持ち掛けたのはテメーっぽいな?」

 状況が変わり、乱暴な振舞いで椅子に座るレイラと対面する様に座り足を組み出すナキ。お互い不敵な笑みを浮かべるも、目は全く笑っていない。
この只ならぬ雰囲気に、エイルとイサネは言葉を発せずにいた。

「…今更、テメーと昔話でも洒落込む気も出ねぇよ。ただ、咢の普及やグリアカペルの義務化も一枚嚙んでる様で。案外稼いでるんじゃないのか?」

「お陰様で。だけど所有権は管制一課に投げたから私の物ではない。特装三課で好きに造らせて貰ってる所だ。お前はドラッグストアとして大盛況みたいだな。」

「値段は張るが、他の馬鹿共よりは純度は良い筈だ。不純物を扱うなんて気に喰わねえからな。」

「国防庁に目を付けられているが、足を掴まれてない事は褒めてやりたい程だ。紅い黒土もそろそろ三課の管轄になりそうで衝突も回避できないだろう。」

「ああそうかい、オレ様は歓迎だぜ?ドンパチは嫌いじゃない、テメーらの偽善組織軍団の見せ場を間近で見れるなら最高の特等席って奴だ。」

「それ以前に、お前が生んだ負の遺産はどうするんだ?残党として各地で暴れ回っているが、中にはお前を探しているらしいぞ?」

「知らん、グラディアだろう?もう存じているからテメーに言われる筋合いは無い。いつでも返り討ちにしてやるよ。」

 腐れ縁故か、悪態をつきながらも案外会話を続ける二人。話す気は無くとも、出る言葉は無いとは言い切れない様だ。
人命軍の同僚同士、お互い悪運が強いのか死線を潜り抜け現在に至る。彼女らの共通点として、自らの欲望に対し忠実に生きている事だ。
立場は全く違えど、根底は変わらない。

「なぁナキちゃん、約束通り会わせたんだしさ。最終手段頼むよ。」

 どうやらエイルは彼女に口裏を合わせられていたらしい。元よりナキを頼る方針だった事を、レイラは察したのか少しばかり呆れた表情を見せる。

「んじゃ、本題に入るか。レイラ、これは餞別だと思って受け取れ。」

 ナキは一冊の古ぼけた書物を差し出す。それを受け取りページを捲るレイラはナキの意図に気付く。

「…これ、蘭方薬に類似した製造法じゃねえか。しかも神格獣を素材にするだと?こんな代物、何処で手に入れた?」

 神格獣を素材にする。その行為自体、忌避されるべき行為だ。今では数多くの教団、連盟、協会による崇拝が徹底されている。
贄として認識していない来訪区の神格獣とは違い、意志は違えど共生を選ぶ神格獣達は大陸に君臨している。
彼らを素材として利用する事は、神格獣との関係性に罅を生じさせるだけでは無い。人類殲滅派の神格獣の逆鱗に触れる可能性だって大きい。

 その様な行為を、ナキは示唆している。特装三課の整備班に所属する身として、あまりにもそれは横暴過ぎでは無いか?
憶測を立てるレイラをよそにナキは話を続ける。

「流出元は無いに等しい。何せ故人から譲り受けた物でね。有害文書と認定され故意に撤去された蘭方薬の資料だが、参考になるか?」

「…どうしても、このガキの治療をしろって言うのか?」

「ここまでの情報があって、流石のドラッグストアでもイサネの刻印症を緩和する事は不可能か。残念な話だ。」

 煽り立てる様な口調に、露骨に苛立ちを見せる。

「あ?まだ何も言ってねぇだろ。」

「まぁまぁ…。」

 レイラはナキに詰め寄る。一触即発な状況だ。

「受けても良いぜ?その依頼。この資料、乱雑ながら神格獣の共通部分を識別して適切素材と生薬の相性を綿密に解析しているのは理解出来た。咒法を受けた患者の症例と共に対症療法も記載している。テメー、全部分かっててくだらねえ小芝居も織り交ぜて来たのか?」

「どうだか。その代わり、報酬は弾むという言葉に嘘偽りはない。」

「…んじゃ、お嬢ちゃん。テメーに適した薬を作ってやるよ。だが、治験兼ねてだからな。何せ、神格獣を素材に蘭方薬なんざ作った事もねぇからな。」

 ずっと曇っていたイサネの表情も、少しばかりか晴れた印象を持たせた。

「ほ、本当ですか…?大丈夫です、少しでも良くなるのであれば…是非!お願いします!」

 深々と頭を下げるイサネと、慌てて隣でエイルも頭を下げる。

「ほんっとうありがとう!ずっと副作用に苛まれるのは辛いからさ、本当に頼むぜレイラちゃん。」

 端末よりビジョンを展開し、ナキより譲り受けた資料を転載させながらレイラは意地の悪い笑い方をしてみた。

「オレ様を誰だと思ってるんだ?薬の知識なら誰にも劣らねえ、ドラッグストアのレイラ様だ。報酬は言い値以外はお断りだがな。」





 エールリア大陸の向かい側に位置するメルゴール大陸は、雷神フールが管轄する大規模自然保護区が存在する。
各地には古来の文明を保持し伝承し続ける部族達が居住地としており、放牧地として独自的な農産業が発達している。
この環境下でフールは生活圏の意思として君臨する。「最も人に近い神格獣」と呼称されている事を、彼は気にも留めていない。

「ほぉ、この様な田舎聖地に来訪するとは。お主らもつくづく変わり者よのぉ。」

 フールは多角多毛の家畜用奇獣にブラッシングしながら軽口を叩く。その言葉に口答えする者は誰もいなかった。
仮にも目の前に君臨するは英雄神、凶刃の雷帝と呼称されるフール・アルルカンである。例えレイラと言えど畏怖の対象だった。

「人類擁護派である英雄神に対し、非常識と思われるが…救神ルインの遺骨を分けてほしい。」

 レイラはイサネの治療薬を探し求める為、わざわざ武装トランスポーターを雇い、護衛を引き連れ遠方はるばるベルナーゼ平原まで行き着いた。
決して彼女に善心は無いに等しい。あくまでこれは未開拓の蘭方薬の調合、因縁のマッドサイエンティストに試されている事を自覚したとて、譲れない性が彼女をここまで動かしている。
彼女が引き連れたであろう護衛役のシミラ、トランスポーターのデシクラとジャーマンは何やら口論を始めている。尤も、デシクラは二人を制止している側だが。

「あぁ!?今何つったオメー!単細胞だって言いやがったな!?」

「ええ、現に単細胞と一言で感情を昂らせているじゃないですか。事実を伝えたまでです、何か問題でも?」

「ふざけんじゃねえぞ家政婦コスプレイヤーだか知らねえけどカニス族舐めてんじゃねえぞ!」

「メ・イ・ド・服です。お間違え無い様に。」

「あ、あのさ…目の前に神様いるんだからよお前ら。」

 ガスマスクとメイド服姿、使い込まれたガントレットを装着したカペル族とテックウェアを纏い大鉈を腰に携えた長身のカニス族が火花を散らす。
ウルグス同士はヒューマーと同様に種族間でいがみ合う事が多い。しかしカペル族は交友関係の幅が広い事で有名であるが、シミラはその例に属する事が無いらしい。
ジャーマンの上司であるデシクラは、この状況に狼狽するしか無かった。

「なんじゃ、マークの所の社員か。血の気が多い様じゃのお。」

「あ、フール様!本当にすいません!コイツにはしっかり言っておきますんで!」

「いってててて!おいデシ!何でオレが神格獣なんかに頭を下げなきゃぁ」

「バッカ!!!!いくらテメェが嫌ってるとは言え人類擁護派なんだぞこの御方は!!!少しは弁えろ!!!」

 ジャーマンの頭を掴み、一緒に深々と頭を下げるデシクラ。
それを見て大爆笑するフールはこのままでは話が進まんと言い、レイラに催促する。

「文面である程度把握はしておったが、要するにルインの骨を素材にするのじゃな?構わんぞ。」

「おおそうか、それじゃあ対価はあるのか?」

「いらん、その代わりに取りに行け。」

 二人の対話で、自らが呼ばれた理由を察するシミラ。

「なるほど、それで私も呼ばれたのですね。」

「そういう事だ、んじゃぁ頼むぞトランスポーター達。」

 レイラの発言に一瞬理解出来なかったトランスポーター二人だが、少しばかり悪感を感じる。

「…あの、俺らって運送ルートが被ってたから送迎を受理したんだけど。え?もしかして」

「ああその通り、ルインの遺骨がある放棄エリアまで走らせてほしい。」

 二人は目の色を変え、一気に青ざめる。
理由は簡単だ。放棄エリアはフールが認知しているとは言え、強力な奇獣達が棲息する不可侵領域だからだ。
その様な場所に赴くなど、装甲車であっても生存率は決して高くはない。
 トランスポーター界隈では、運送ルート内の奇獣棲息エリアは殆ど網羅している。その際に奇獣の危険性等も嫌というほど学んできた。
その為、トランスポーター達は非常に奇獣を恐れる。物資の配達だけで簡単に食い殺される可能性が高いからだ。
用心棒を雇い入れる理由もその事からであり、殉職者も決して少なくはない。

「おいデシ・・・、どうにかして逃げ口作ってくれよ。交渉術なら会社一番だろ????」

「営業の連中と一緒にすんじゃねえ!な、なぁレイラさんよ。俺達はクライアントの希望に応えるのが仕事だけどさ、キャパシティってのがあって」

 レイラはデシクラの言葉を強い口調で遮る。

「予定の報酬額の5倍でどうだ?」

「是非承ります。」

「ハァ!!!!???

 デシクラの切り替えの早さに困惑と怒りを隠せないジャーマンは目を見開いた。
傍らでやり取りを見るも、分ったかの様に早々と装甲車に乗り込んでいる。

「んじゃ、少しばかり荒らしても文句は言わんでくれよ。神様。」

「口から出まかせを、骨は拾わんぞ。」


 曲者揃いの4人を乗せた装甲車は放棄エリアへと進行する。走り続ける事1時間程で到達する環境下は、恐ろしくも世界が一変したかのようだった。
フール達のいた美しい平原とは全く違い、放棄エリアの雰囲気は異様だった。奇獣達の死骸の山、巨大なキノコ群と珊瑚礁、群がる獰猛な生物群に襲い掛かる奇獣。
 ジャーマンはその光景を目の当たりにし、実況するかのように騒ぎ立てる。

「おい!今でっけぇ獣が喰われたぞ!もう帰ろうぜ!なぁ!」

「うるせえぞ!いいから黙って座ってろ、酔っても知らねえからな。」

 念の為と、フールより授かった奇獣避けの加護を受けた咒石を所持されてきた一同。しかし、神格獣嫌いのジャーマンにとっては信じられる筈も無く・・・電源を切っても鳴り止まないラジオを置いているかのようだ。

「・・・少々、いえ静かにして頂いても?これ以上騒ぐのでしたら騒音の元である声帯を切断しなければなりません。」

「やめとけ、腐ってもカプリコーンの社員だ。取引先が無くなってしまったら商売に響く。」

「はぁ、それは残念。」

 二人の会話が聞こえたのか、いくらかジャーマンは声量を抑える。しかし虫の居所が悪いのか、突っかかる様に二人へ問い出す。

「・・・そもそも、何でテメェらはこんなヤベー所に行くんだよ?そこまでして必要な用事なんか?」

「ああ、テメーには理解されねぇ事情だがな。今後の商売の為さ、リスクを背負わずに楽なんて出来ると思うか?」

「チッ・・・リスクなんざとっくの昔から知ってるわボケ。」

 不機嫌気味に返答する彼に対し、シミラはふと思い立ったかのように発言する。

「あぁ、なるほど。カニス族ですね、その耳といい不快感を感じている様子から。私達から感じ取っている薬物臭に吐き気に近い感覚を抱えているのでしょう?」

「おい、ジャーマンそれは本当か?それなら非常用ガスマスクがあるから使え。」

「・・・いらねえよ!デシだって言ってただろ?クライアントの前で不充分な振舞いはするなって。種族事情で気を遣われんのが一番嫌いなんだよ。」

 自らの不快感を誤魔化しているのか、ジャーマンは清涼飲料水を流し込む。

「すまねぇ、お二人さん。コイツも我儘言う癖にいらん所で頑固になるもんで・・・。」

「全く、オレは嫌いじゃないぞ。そういうバカは。」

 レイラは助手席に座るジャーマンに錠剤を一つ手渡す。

「ハ?ナニコレ?俺ヤクは興味ねえぞ?」

「安心しろ、副作用の無い神経安定剤だ。仲間の中には酔いやすい奴がいるんでね、小遣い稼ぎのついでに所持しているんだよ。飲まねえよりはマシだと思って飲んで見ろ。」

「…おう。」

 不信に思いながらも、ジャーマンは意を決して錠剤を飲み込む。錠剤には即効性は無い、その為かジャーマンは不安感を少しばかり抱える。

「副作用が無い時点で不安に思う事は無いだろ?あとは大人しく景色を眺めているかマスクをして目を閉じていれば良い。」

 レイラの予想外な親切さに、流石のシミラも少々戸惑いを感じている。

「珍しいですね、お人好しな振舞いをするなんて。」

「カニス族を見るのは久々なんでどうもソイツを思い出したんでな。1錠くらいだったら請求はしねぇよ。」

 恐る恐る錠剤を飲みこむジャーマン。清涼飲料水を飲み干し、目を瞑り酔いが覚めるのを待ち続ける。

「…礼は言わねえぞ。その同族には感謝するけどな!」

「貰っといて失礼な奴だなお前・・・本当申し訳ない。」

 気にするなと一言吐き、レイラは例の文献を閲読する。文献は古代ヤソノカミ語で記載されており、この場でレイラ以外に解読できる者はいないだろう。
目的地到着までの予定は一刻足らず、各々の作業に集中する事にした。
 レイラに疑問に思う。今まで培ってきた蘭方薬学と比較すると製造法、素材、抽出方法等の殆どが時代錯誤に伴い常識的にかけ離れている。
しかし、最終的には自らの技術で応用しても成分量さえ合致していれば薬品として成立する。従来の薬品はコスト削減の為、成分一致を条件に他素材を活用している。
蘭方薬はそれが通用しないのだ。だからこそ、現地調達という非効率的且高コストな手段が必要だった。

「今更ですが、質問しても?」

「構わんが。」

 少しばかりの沈黙を破る様に、シミラはレイラへ質問する。

「例のナキという人物ですが、元同僚と言う事で。本来であれば断るつもりだった依頼でしょう?何故自らの得にならない事に対し、ここまで行動に移す事が出来るのでしょう。」

「…例えばだが、テメーは何でキュウキを執拗に追い回すんだ?老いぼれの傭兵なんざ拘る必要なんて無いだろう?」

「簡単な話です、借りを返す事と左目を奪い返す事が出来るまで一時も休む事は出来ません。」

「おいおい…そこまで確執があったとはな。そういうこった、あまり語る事でも無ぇがアイツには少なからず対抗心があるんだよ。あんな煽り文句を立てられちゃあ黙ってられるか。」

 強敵との再戦を望むシミラは納得したかのような素振りを見せる。目的は違えどプライドの高いレイラが特定人物一人に対しここまで拘るのは、あまりにも珍し過ぎた。
只の薬物中毒者では無い事も解ってはいたが、しかし疑問に思う部分も現れる。

「今後、患者の事は継続して治療していくのですか?聞いただけですが、学園都市に通う令嬢だとか。下層地区を拠点とする私達の元に通うとなると僅かだけ同情します。」

「まさかシミラの口から同情って言葉が聞けるとはなぁ!流石のオレでも明日には伝染病に倒れちまうかもなぁはっはは!」

 レイラの下品な笑い声に唯一反応するのは酔い止めが効いてきたジャーマンだけであり、苦情を吐くのみだった。

「余計な心配はしてないと思うけどよ、箱街のヤブ医者の診療所を借りる事になった。シミラ、テメーが病院出禁になって何処で治療すんだ?嫌でもヤブ医者の世話になるしか他が無くなっちまったからな。同志達もあの診療所を贔屓するだろうよ。ついでにオレの蘭方薬も売って貰うって訳だ。但し、健全な薬限定と言われちまったがな。」

「なるほど、収入元を手に入れたという事ですね。貴方らしい。」

 彼女の思惑一部が明かされた頃に、デシクラがいよいよかと口を開く。

「談笑中申し訳ないけど、どうやら到着した様だ。」





 我が種族の祖となった神格獣「バラエナ」は、その身を島とし概念として君臨しているという。
その身を以て退廃していく世界を守る為に、自らを糧とした。何故、自己犠牲が出来るのか?
慈悲深き神祖を敬わん無神経さは流石に無い。しかし、その意向に同意できる程の信仰心は持ち合わせていない。

 もし、自らの子孫達が荒廃の根源と気づいたら?

 絶望に打ちひしがれ、世界を断ち切るのだろうか?
自らの想いは託されず、愛すべき我が子が世界壊滅の原因を作り出したなど。一時的快楽を永続的に味わいたいが為に生きているだけと知ったなら。

神様とは、なんと哀れで悍ましい存在か。

 自らを陸とした巨亀は、何を想って絶命し骸を託したのだろう。



「・・・充分な量の骨は回収できた。しかし、ここまでとはな。」

 ルインの心臓部は広大且、強靭な上位奇獣達が蔓延っている。しかし、彼らはレイラ達を襲う事は無かった。高度な知能を持っているのだろうか、こちらの意向が分かり次第距離を保ち始めた。
まるで神殿かの様にルインの巨大な遺骨は都市一つ分を築き上げ、多種多様な上位奇獣達が蔓延っている。彼らを客人かの様に歓迎しているとすれば、善神ルインの意思を読み取っているとも言うべきか。
 人型奇獣も目視出来たが、その場には既に居なかった。干渉する事を拒む者達とレイラは推察した。

「つまらないですね、一匹でも喰らい付いてくれたら腕試しも出来たのですが。」

「やめておけ、オレ達の方が野蛮な外来種扱いされちまう。まぁ、とっくに骨を頂戴してるがな。」

 歪な鱗が連なった4足歩行の奇獣が一同の周囲をウロウロし始める。

「うげっ・・・さっきからすげえうろついてるんだけど・・・大丈夫なんか?」

「おいおい何だお前~?ほれ食って見るか?」

 ジャーマンはポケットに忍ばせている干物肉を与えてみる。奇獣は塩味の効いた肉に驚いた様子を見せるも、それを早々と平らげる。

「おいデシ!奇獣にしては好みは俺達と近ぇかもな!」

「貴方と同じイヌ科かもしれませんね。」

「あぁ!?喧嘩売ってんのか!!」

 一人憤慨しているジャーマンを気に留めず、一同は回収した遺骨を装甲車へ収納する。
各々が車内へと着席し、予想よりも順調に事が進んだ事に違和感を感じていた。

「…流石は人類愛のフール様だこった。自らのテリトリー内の奇獣達は本当に無害なんだな。」

「奇獣達による社会性が確立しているのでしょう。ヌーフよりは平和かと思われます。」

「おいおい…流石に居住地をディスるのは勘弁してくれ。」

 装甲車は難なく帰路を渡る。用心棒として駆り出されたシミラは少々不満げな様子である。
あわよくば、腕試しが行えると思っていたのだろうか。何度か溜息を付いていた。

「やはり不満なのか?随分と退屈そうだが。」

「分かってて質問してます?てっきり奇獣の一体でも収穫するのかと思っていましたが。」

「残念ながら、ベルナール地区の奇獣はフールと不戦協定を組んでいる。その所為かさっきの連中同様に人類の脅威になる事はない。」

「はぁ…なら私は必要なかったでしょうに。」

 ふと、彼女は思いつく。好戦的な人物が丁度助手席に座っている事に。

「ジャーマンと言いましたか、本拠地に着いたら一戦交えても?」

「は?何でよ?誰がテメーなんかと。」

「それは残念、カニス族は保守的な傾向なのは確かでしたね。」

 何気ない一言が、ジャーマンの神経を逆撫でする。

「………あ?今何つった?」

「おい、ジャーマン抑えろ。この後また遠征があるんだぞ。」

 レイラは我慢できなかったのか噴き出してしまう。いくら退屈しのぎとは言え、露骨に喧嘩を売るとは思わなかった様だ。

「おいおいシミラ、そんなに暇を潰したくて仕方ないのか?」

「良いじゃないですか、気になっていたのです。金角運送の犬マタギと知名度のある彼が偶々同行するとは思いませんでした。使用武器も…彼に似ている。」

 シミラが連想する「彼」とは、どうやら左目を奪った傭兵の事を指している。
ジャーマンが所有する狩猟刀は「奇獣マタギ」が所有する伝統的武器であり、その独特な形状から所有者は限られている。
狩猟刀を扱う者は亜種達独自の戦術を会得しており、勿論シミラは重々に知っていた。

 宿敵の事だからこそ脳裏に焼き付けていた。今目の前に奇獣マタギが座っている、僅かにしかない絶好の機会と感じたのだろうか。

「ははぁ、分かったぜ…あのジジイに負かされた口か。それで俺を鍛錬感覚で利用するって事だろうよ。」

「それもありますが、種族間の対立において上位に位置していたカニス族に興味がありました。どれ程の実力があるか、非常に楽しみです。」

「カペル族ってのは好戦的な種族ばっかなのか???良いぜ、喧嘩を売られて買わねえ馬鹿はいねえ。着いたら即刻相手してやる!」

 ジャーマンの返答にデシクラは頭を抱え込む。

「おまぇ…次の遠征先は御曹司護衛も兼ねてる事を忘れるだろ!?」

「だいじょーぶだ!怪我一つせずにコテンパンにしてやるよ!」

 デシクラは呆れ返って完全に諦めた様子だった。どうせ痛い目に遭うのがオチだろうと。
放棄エリアを後にし、先程の殺伐とした風景から一変して平穏な村々が転々と目に入る。劇的な環境変化に驚く事もなく、トランスポーター二人は本拠地に無事戻れた事に安堵した。
 だがそれと同時に、ジャーマンは神経を尖らす。買った喧嘩とは言え、相手は傭兵に準ずる強者なのは承知していた。

「じっくりと、準備を為さって構いません。」

「それはこっちの台詞だ。」





 フールの屋敷内にある一室を借り、ナキから拝借した資料を元に各素材を調合する。何せ今回は神格獣の素材を扱う。未経験の調合となれば学び直しを兼ねて施行する事となる。
干渉器を扱い、微弱アニムスを維持させながら調合過程の品質劣化防止を施す。また製造過程の途中、霊気慰魂散(元来はアニムス酷使に伴う疲労回復等、体調管理に利用される。)を更に抽出し調合させる必要がある。活用素材は従来よりも多種であり、ルインの遺骨は膨大なマナ蓄積量を秘めている事で余計なアニムスを消費しなければならない。

 ただ決まった分量で生薬を調合するだけで済むメジャーな蘭方薬は、素材元が貴重品である事を除けば確実に入手は可能。
しかし今レイラが作り出す蘭方薬は、作れる者も限られてしまう。例え世界壊滅の切っ掛けを作りだした一人であろうと、イサネの治療に貢献できる者は今の所彼女だけだ。

「のぉ、レイラよ。その薬は誰に与える物なのじゃ?」

「個人情報だぜ神様よ。ま、神様特権か…アニムス刻印症どころか咒法を使っちまって副作用に苦しむ気の毒なガキがいてな。依頼者に高額な報酬を頂いてんだ。」

 屋敷内は草原の広がる田舎とは思えない程の都市向きなデジタル思考で、フールの趣味なのだろう。彼の最先端ガジェット品だけでなく、日用品までも近年登場したばかりの日用品が揃えられている。
富裕層のプライベートルームかの様な見事な内装であり、そのお陰かレイラの調合過程にて必要となる道具は充分過ぎる程揃っている。
彼は人とは比べ様の無い程に、恐ろしく寛容な善神なのだろう。レイラが喫煙したとて「最新鋭の空気清浄機があるから」と言い、灰皿持参であれば黙認してくれた。

「…なぁ神様、質問なんだが。」

「はて?」

「オレの素性、存じてんだろ?」

 レイラの発言に屋敷内の空気は静まり返る。そう感じたのはレイラだけなのだろうか。
今目の前に座っているフールは、疑問を持つ事も無く返答する。

「存じられていたとして、良くぞ儂の住処へ赴いたな?」

「事前に連絡を取らなくても了承してくれると思っていたよ。それくらい寛容な神様だと確信はしていた。だが」

「儂らはあくまで環境の一部その物。そこらの水であり、山であり、概念、現象、お主らの信仰含め前提等に囚われる事は無い。」

「人類の常識なんざ関係無いという事かね…深淵者との対立関係は熟知していないが、切っ掛けとは言えオレは決壊寸前の水槽のビビに穴を開けた様な奴だ。ここで嬲り殺されても文句は言えないさ。」

「挑発にしては可愛いものだのぉ。呵呵々!!!」

 人離れした笑い声が響いた後、雷帝の一言にレイラは耳を疑う。

「バラエナはお主の動向を許容しておる。」

「…待てよ、バラエナはルイン同様に自然と同化したんだろう?」

「ルインとは違い、彼奴は生きておるぞ。寧ろ喜んではいたぞ、何せ同種を生み出したからな。」

 同種を生み出した、その言葉にレイラは自ら出した仮定を思い出す。

【レガトゥス及び、アポストルスは由来通り神の使徒であると。】

 既に完成した蘭方薬をよそに、レイラは歓喜を隠し通すのに必死であった。
自らの研究は、決して失敗作では無い事を。命令された末の不本意な面はあったが、兵器だった彼らは神の一端になり得る存在になるのだと。

「ククッ…成程、オレの主神は善悪を気にしねえ性格だって事か。あくまで種の存続、その結論を重視するタイプなんだな。」

「儂らの中で、犠牲を厭わぬ性格じゃったからな。それもあってか、儂はお主を責める事は出来んよ。人格の残ったレガトゥス達の所在は気になるか?」

「今更会うつもりは無いが、何処かで生き永らえてるのか?」

「ああ、お人好しな鮫が住処を作ってやった様じゃ。お主が店住まいの薬物中毒者で安心したわ、大陸規模のやらかしは流石にしないじゃろうて。」

 フールの解釈する大陸規模は、将来レイラの雇い主であろうと実現させる事は難しいだろう。それ程に神格獣は壮大なのだ。

「それに…お主の治療を行う小娘は、多分儂の知り合いじゃろう。貴重な治療師を失っては困るからの。」

「…ハハッ!んじゃあ、ヘタな事をすりゃあブチ殺されちまうかもな!」

「呵々!好きに解釈すると良い!」



 比較的、平和な談話が繰り出される中で屋敷の外ではカペル族とカニス族が死闘に近しい手合わせを行っていた。
しかし決着が着く所だろう、息の上がったジャーマンは狩猟刀を構えたままシミラを睨み続ける。

「チッ…クショウ!どうして当たらねえ!?」

「確かにカニス独自の身体能力…秘術を駆使した攻撃は上位奇獣を簡単に屠れるでしょうね。しかし、地形を抉る程の威力は相当疲れるでしょう?それに」

 ジャーマンの衝撃波、急接近からの猛攻をも至近距離で回避する。掠りもせず的確に急所へ一撃を放つ。
防御機能であるグリアカペルにヒビが入る。これは機能停止を意味していた。

「結局、当たらなければ無駄骨です。実戦経験は恵まれていますが、基本が足りないかと思われます。」

「てんめッ・・・!」

 デシクラがジャーマンの背後より忍び込み、左腕を背部へ回し関節を封じて倒れ込ませる。そのまま起き上がれない様に全体重を乗せ始めた。

「いってててててて!!!!デシ!やめろってギブギブ!!!!」

「グリアカペルがぶっ壊れたんだ!これで手合わせは終了だ!そういう事だからシミラさんも解ってくれるよな?」

「…ふむ、仕方ありません。しかし貴方も見事ですね、勘付かせる事も無く関節技を掛けるとは。防衛術も悪くは無さそうです。」

「あーでもコレは社員研修で学んだ自己防衛術なんでね。あんま参考にならんかと・・・ほら、離したぞ。」

 デシクラの関節技から解放され、ジャーマンはバツの悪そうな顔をしている。

「ケッ…飯奢れよお前。」

「いつも奢ってるだろが。」

 少しばかり満足したのか、機嫌良さげに柔軟を行うシミラの元にレイラが声を掛ける。

「よぉ、終わったんだな。」

「ええ、少しはウォーミングアップになりました。」

「え…今のでウォーミングアップ…?ウソーン」

 シミラの発言にショックを隠せずにいるジャーマン。そんな彼を仕方なく引っ張り装甲車へと投げ込むデシクラ。
レイラはそんな彼にカード端末型小切手を渡す。端末に書かれた金額を見て驚愕する。

「は!?い、いや待ってくださいよ!こんなに貰えないですよ!」

「気にすんな。これでも危険手当分は抜いてある。予約外の追加料込と考えてくれ。」

 時折、チップを受け取る事のあるデシクラは自らの安月給に絶望しながら手元の金額量に立ち尽くす。

「んじゃ行くか、お嬢ちゃんが待ってるからな。」

「良いのですか?そんなに渡しても?」

「贔屓するトランスポーター枠が増えたんだ、商品の運搬を頻繁に依頼するだろうよ。それ含めての報酬だ。そんじゃあさっさと公共列車に乗ろうぜ、ヤソノ弁当が期間限定で販売してんだとよ。」

「アイスも買いたいのですが。」

「いや奢るとは言ってないぞ。」





 箱街の古臭い診療所の一室、5床しか無いベッドの内の一つは本日シーツ交換したのだろうか。小奇麗なベッドで長坐位でレイラの質問に答える少女は、最初の診察と比べ表情は明るい印象を持たせた。
例え以来の薬が調合できたとて、患者のバイタルサインや症状の有無・程度の確認は医療関係者にとっては必須項目とも言うべき確認事項である。

「…バイタルは基準値、症状も大きく変わり無し・・・か。」

「頭痛も昨日少しあったんですけど、片頭痛の時と似てて…。」

「ああ、もしかしたら日常的な片頭痛もコイツが原因かもな。神経系への刺激も起因される可能性がある所為か、片頭痛も疑っても仕方ないだろう。まぁ薬飲んだ後も症状の経過は記録して貰うと助かる。」

「分かりました。」

 レイラの診察を、エイルとその娘であるミミネが見守っている。特にミミネは気を張り詰めて彼女を心配しており、彼女がシルリアを救おうとして全身出血して瀕死になった時も学園で倒れ込んだ時もずっと傍にいた。
あの時の光景を鮮明に覚えており、ミミネは絶対に彼女が救われてほしいと強く願い続けている。

「ねぇ先生!イサネは大丈夫なんですか?その薬を飲んで、本当に助かりますか?」

「おいミミネ、落ち着けって。」

 ミミネの慌てようにレイラは気にせず、淡々と返答する。

「蘭方薬は身体とマナの軌道・循環を改善する事を目的としている。だが、神格獣の素材込なら話は変わっていく。まあ…飲んでみて効果を確認しねぇと分からないがな。まず、内服開始して2日目か。まぁ確かに騒がしい特装三課のアジトにいるよかマシだが、ここもどうなんだ?」

「基本入院はさせてないよ、治安悪いし。非登録者は金にならないし政府からお金入らないしね。」

「ぶっちゃけてくるなテメー。オレでも引くぞ。」

 少しだけ安心したのか、イサネに抱き着くミミネ。そんな彼女にイサネは頭を撫でて、安堵させようと優しく声を掛けている。

「良かった~~~~!元気になったらピクニック行こう!ピクニック~!」

「うん!みんなも誘わないとね。」

 レイラの見解では体内マナの循環は亢進する事なく経過しており、刻印箇所の疼痛は緩和されていると断言しても良い。
流石はルインの素材を使っただけある。一説では神格獣の素材を取り込む事でアニムス向上を期待された時期もあったが、これにより死亡事件を引き起こした団体は少なくはない。
これが蘭方薬の有害書物指定が為された原因であるとレイラは考察している。

「んじゃ、2週間分の処方薬は置いて行く。次の診察は都合の良い日を前以てエイルに伝えておけ、そしたら出向いてやるよ。」

 その場を立ち去るレイラに、イサネは引き留める様に声掛ける。

「あ、あの!まだお金を払って無くて…!」

「ああ、もう貰ったぞ?まずガキの内は生きてる親元の脛を齧れるだけ齧っておけ。」

「…ありがとうございました!私、絶対に治します!」

 イサネの言葉に、慣れぬ感覚を覚える。最近は薬物中毒者、不法者ばかりに安価な薬物を販売していた為か。
久々に真っ当な薬師として仕事をしたからなのだろう。それも含め、レイラは新たな蘭方薬の製法を覚え、更なる探求を深める事が出来た。
これも悪くないものだと、少しばかり可笑しく感じた。


 診療所を後にし、行きつけの店へと出向く。そこはオカマが経営する外装は小汚くとも内装はそれなりに整えたダイニングバー。
店主は就寝しているも、日中はバイトが出勤しているので問題なく軽食と安い酒を嗜む事が出来る。
最近入ったバイトなのか、派手な外見の従業員が増えた様だ。自らも悪目立ちする風貌の為人の事は言えないが、と思いながらも穴の開いたソファーで寛ぐ。

「相席は、構いませんか?」

「構わねえよ。」

「お久しぶりですね、クロトリカブトの購入以来でしょうか。」

「そういえばそうだな、用法容量は一応守っている様だな?随分と平和ボケしてる様で安心したぞ、研究所での喧騒が懐かしいな。」

「記憶が無く彷徨う私に、利用価値があったからとは言え助けて頂いたのは事実ですからね。」

「…元々、仕様素材の内容からして相当な処方代が掛かる筈だったが。テメーどうやってあの額を簡単に出してきたんだ?お陰であの野郎を困らせようと思ったのによ、逆にオレが反応に困っちまったじゃねえか。」

「被験者に対する助成金は、登録民限定で受給が可能でして。どうせならイサネ殿への恩返しを兼ねて、という訳です。」

「ああ、解った。テメーだろ?エイルに依頼する相手を指定させたの。何でアイツがオレの事を初対面以前に知っていたのか、本人は博打区ネットワークだとはぐらかしたけどな。」

「腕の立つ薬師を紹介しておけば、お互いに得はするでしょう?」

「…箱街唯一の医者、トランスポーター、そして人好きの神様、こうやって繋がらせたのもテメーの思惑か?ハッキリ言うが、オレはお前にとって対立組織の一人だぞ?三課にとっちゃあ面倒な奴になっちまったな。」

「ええ、構いません。結果的に…彼女が救われるのであれば。」

「随分と牙が抜けちまったな…実験場を破壊尽くした被験者とは思えねえ変貌だ。」

「…おや、酌が早い事で。お次は?」

「そうだな、奢ってくれるか?」

「お好きにどうぞ。」

「んじゃ、店で一番強い酒にしてくれ。」



 レイラが顔を見上げる。長身で血の様な髪色をした壮年男性と初めて目が合う。

「では、今後とも薬の提供をお願い致します。」

「ああ勿論、変わらず御贔屓してくれよ?サーベラス
最終更新:2023年05月22日 00:47