とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

Part16

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恋、はじまる


「…………」
「…………」
 夕方、目を覚ました上条は同じように目を覚ました美琴と無言で見つめ合っていた。
 もっとも両者とも冷や汗をかいているやたらと緊張感のある見つめ合いなので、甘いひとときなどといった物とはまったく縁遠い見つめ合いではあったが。

「あ……」
 いつ電撃を浴びせかけられるのだろうか、などと思いながら上条がようやく口を開いた。ちなみに彼は未だに美琴の膝に頭を埋め続けている。
「あの、御坂さん?」
「何よ」
 低い声で美琴は返事を返す。
「わたくしは、何故にこのような格好で寝ているのでございましょうか?」
「そ、それは……」
「もも、もしかしてひょっとして、万が一のことなんですが、恐れ多くも御坂さんがわたくし上条当麻の頭を……」
「違うわよ! これは偶然よ、偶然! 偶然アンタの頭が私の膝の所に来て膝枕みたいになっただけで、私の方からしたわけじゃ! ああもうこのスケベ! 早くどきなさいよ!」
 顔を真っ赤にして早口に言い訳をした美琴は、自分の膝を枕にしている上条の頭をポカポカと殴りつけた。
「いて! わかった、どく! どくから! それ以上殴んな!」
 上条は美琴の攻撃から自らの頭をかばうように立ち上がった。

「いってーな。これ、俺が悪いのかよ」
 立ち上がった上条は不満たらたらといった様子で美琴を見た。
 そんな上条から美琴はぷいと目を逸らせた。
「……そうよ」
「どこが?」
「それは、その……あ、アンタが寝ちゃったから! ほら、他にも行きたいとこあったのに、夕方になっちゃってるじゃない! どうするのよ、この状況!」
「あ」
 美琴に指摘され、上条はきょろきょろと辺りを見回した。確かに周りの景色も自分達の体もオレンジ色に染まっており、その色合いは今の時刻が既に夕方、しかもかなり日没に近い時間だということを示していた。
 大人の男女であればむしろこれからがデートの始まりだと張り切るところであるが、上条達はまだ高校生と中学生。ましてや付き合ってもいない二人なので、デートはこれでお開きである。
「そっか、もう夕方か。じゃあ今日のデートは……」
「そう。今日のデートはもう終わり。全部アンタのせいよ、馬鹿」
 少し唇を尖らせる美琴に対して上条はばつが悪そうに頭をかいた。
「俺のせいって……。じゃあ起こしてくれりゃよかったのに」
「それは、しょうがないじゃない。だってアンタ、ものすごく疲れてたみたいだし。さすがに、起こすの、忍びなくて……」
「悪い」
上条は申し訳なさそうに頭を下げた。
 美琴はそんな上条に向かって静かに首を横に振った。
「ううん。もういいわよ。アンタは疲れてたんだし、結局私もいっしょに寝ちゃったんだから、責任は私にもあるし。だからアンタのせいって言葉も取り消すわ」
「…………」
「だからね、お互い後腐れなし。今日はもう、これで終わりにしましょう!」
 美琴はパチンと手を叩いて明るい口調でそう言うと、上条に背を向け自分のバッグを開けた。



「…………」
 上条は帰り支度をする美琴を黙って見ていた。
 やや調子の外れた鼻唄を歌いながらバッグの中身を確認している彼女からは、これといった感情の揺れは伺えない。
 だが美琴の調子は普通であるにも関わらず、上条の方は彼女を見ているうちに自分の胸の奥に奇妙な感情が生まれつつあるのを感じ取っていた。

――気持ちわりい。

 上条は思わず右手で心臓を押さえていた。
 決して痛みというわけではないのだが、心臓や肺が内側から直接引っかかれるような、そんな気持ち悪さを感じたからだ。胸の奥の奇妙な感情がその原因であろうことは、上条にもなんとなく理解できた。

 上条が言葉にできない感情と戦っている間も美琴の作業は進んでいき、結局すぐに美琴は帰り支度を整えてしまった。
 美琴はパンパンと手を叩いた。
「さて、ゴミも片付けたし帰る準備はこれで完了!」
 そう言ってうなずく美琴の様子に、上条の胸の奥の奇妙な感情はものすごい勢いで一つの形に成長していった。

「う、あ……」
 上条の胸の奥に生じた感情は寂しさ。
 とは言うものの、先週の日曜に吹寄と対峙した際美琴が感じたような、あのような絶望的な感情ではない。
 あくまで終わるのは今日のデートだけ。美琴が上条の目の前から永久にいなくなってしまう要素など、どこにもないのだから。
 けれど、それでも上条は寂しかった。
 美琴ともっといっしょにいたい、美琴と同じ空気を味わっていたい、そう強く思った。
 さながらその気持ちは、相手との別れを惜しむ、付き合いたての恋人同士のそれに近いものだった。
 もちろん上条にそのような自覚はまったくないのだが。

「み、御坂、まつ、マ、待って、くれ」
 美琴から離れたくない、上条の中に生じたそんなある種純粋な感情はいつの間にか上条の口を介して美琴を呼び止めていた。
「? 何?」
 バッグを手に取ろうとしていた美琴は、小首を傾げて上条を見た。
「あ、の、その……」
 美琴に声を掛けた瞬間、しまったと思った上条は声を詰まらせる。自分には美琴を止める権限も、そうする大義名分もないことに気づいたからだ。
 当然、ただなんとなく寂しいから、などと言った、言い訳にもならない理由で止めることだってできない。
「どうしたのよ?」
 しかしそんな上条の苦悩など知るよしもない美琴は、上条についと顔を近づける。
「お、え、あ……」
 美琴が近づいたことにより上条の鼻腔をくすぐる、女の子特有の匂い。それがますます上条の思考を混乱させる。
「いう……あ、あ……あ!」
 進退窮まった、そう上条が思った瞬間彼の目に飛び込んだのは既に東の空に昇り始めていた月だった。
 月齢は10ほどであろうか、満月まで後もう少しといった様子のそれを指差した上条は、美琴ともう少しいっしょにいたい、ただそれだけを願いながら口を開いた。
「あのな御坂、月!」
「はい? 月?」
 美琴はますます首を傾げる。上条が何を言いたいのかまったくわからないからだ。
 だが上条はそれでも言葉を続ける。
「そう、月、月だ! 今確かに月は出てるんだけど、まだ太陽も出てて月だけじゃないから、その、月だけになるのを待って、いっしょに、月を見ないか? それまで散歩でもしてさ」
「…………」
「嫌、か? でも、せっかくの、俺から誘った初めてのデート、なんだから……」

――何言ってんだ俺、意味わかんねーよ。

 軽い自己嫌悪に陥りながら必死で言葉を繋げる上条だったが、やがてその声は小さくなっていった。
「…………」
 そんな上条の様子を見ながら美琴は黙ってベンチに腰掛けた。
「ど、どうしたんだ御坂?」
 動揺の様子を隠さない上条を美琴はじっと見つめた。
「アンタね、女の子を誘うならもう少し説得力のあること言いなさいよ。どうして満月でもないのにお月見しなきゃいけないわけ」
「す、すまねえ、頭悪くて」
「そんな言い方じゃ誰も誘えないわよ。そんなので誘えるのなんて、よっぽどの物好きくらいね」
「そうか」
 上条はがっくりと肩を落とした。
「でも」
「?」
「わ、私は、その、物好き、みたい……」
 美琴は顔を上条から背けた。
「御坂……」
「散歩とかしなくたってここで月は見えるんだから、ここにいるわよ。それでいいわよね。それにここの方が、街の灯りで月が邪魔されることも少ないと思うわよ」
「あ、ああ」
「言っとくけど、完全に日没して月明かりだけになるのを待つだけだからね。そ、それから、変なことしたら怒るわよ」
「ありがとう、御坂」
「……うん」
 美琴がうなずいたのを見た上条は、おずおずと彼女の隣に腰掛けた。



 二人はベンチに並んで座り、しばらくの間互いに何も言わずじっと空を見上げていた。
 やがて美琴がぽそりと口を開いた。
「ねえ」
「?」
「今日は、ほんとにありがとうね、誘ってくれて」
「なんだよ、あらたまって。礼を言うのはこっちの方じゃねーか。俺なんかの誘いを受けてくれて、こっちこそありがとうだ」
「何よ、私だって礼を言われるようなこと、なんにもしてないじゃない」
「何言ってんだよ、映画代奢ってくれたし、弁当作ってくれたじゃねーか。十分すぎる」
「じゃあ、お互いありがとうってことかしら?」
「だな」
 上条達は互いに目を向けることこそなかったが、二人揃って小さく微笑んだ。

 美琴は小さく咳払いをして、いったん言葉を句切った。
「あの、話変わるんだけど、アンタさ、明日からも課題出るんでしょ?」
「ああ、間違いなくな」
「明日からも一人でやるの?」
「当然」
「私が、手伝ってあげようか。前みたいに?」
 上条は思わず美琴の方を向いた。
「い、いいのか?」
「うん。それにお弁当も、また、明日から作ってあげようか?」
「それも、いいのか? お前の迷惑に、ならないのか?」
「別にいいわよ。アンタ、今日のお弁当、すごく喜んでくれたし」
「…………」
 上条は美琴から顔を背け、体を小さく揺らした。
「どうしたのよ」
「悪い。いや、その、大したことないはずなのに、なんかやたら嬉しくって」
「…………」
 体の揺れが治まった上条は美琴の方を向いた。
 しかし頬の引きつり具合から彼が緩みそうな顔を必死で固定しているのがわかり、それが美琴にはやたらおかしかった。
「じゃあ、できるんなら明日から早速頼んでいいか? あれ、やばい。なんか俺、今、かなり嬉しい」
「うん」
 美琴は嬉しそうにこくりとうなずいた。



 しばらくして再び美琴が口を開いた。
「そう言えばさ、アンタ。こんな時間まで表に出てて今日の晩御飯は大丈夫なの? あのシスター、アンタの帰りを待ってるんじゃないの?」
「ああ。インデックスなら、たぶん大丈夫だ」
「どういうこと?」
「俺、課題が大変だって言ったろ? だから正直言ってインデックスの面倒見てる余裕がなくてな、俺の担任の先生に預かってもらってるんだ。今日の夕飯までは面倒見てもらうことになってる」
「そう、なの」
「だから、完全に夜になってから帰ってもなんの問題もないんだ」
「ふーん。担任の先生にね……」
 上条の言葉を聞きながら、美琴は胸の奥にちくりと痛みが刺すのを感じていた。

 学園都市に住む学生には共に住む保護者はいない。だから保護者代わりの人間が必要となる。
 美琴達のような寮住まいの人間にとってのそれは寮監であり、上条達のような人間にとってのそれは学校の担任である。
 つまりインデックスは上条の保護者にその存在を認知されている、ということである。
 同居しているのだから当然といえば当然なのだが、美琴はそのことがほんの少し、悔しかった。



 そんな話をしているうちに時間は過ぎていき、とうとう太陽は完全に西の空に溶けていった。それと同時に月の高度もかなり高い位置に来ていた。
 上条が必死で作った二人きりの時間も、とうとう終わりである。

 美琴がつまらなそうに口を開く。
「日、落ちたわね」
「ああ」
「月、見たわよね」
「ああ」
「じゃあ、これで終わり?」
「ああ」
「そう……」
 美琴はじっと月をにらみつけた。

――馬鹿。どうしてもっとゆっくり昇らないのよ。

 完全に八つ当たりのようなことを考えながら月をにらみ続けていた美琴だったが、やがて目を閉じ微笑みを浮かべた。
 精一杯の詫びのつもりなのだろうか、そんな美琴を月が優しく照らした。

――でも、今日はこれ以上わがまま言ったら罰が当たるかもしれないわね。

 上条から誘いを受けた今日のデート。
 どのような考えからなのかわからないが、意外にもそのデートは上条からの提案で夜になるまで続いた。
 最初から最後まで上条からの意思で行われた、奇跡と呼ぶ他に当てはまる言葉がないようなデート。
 それだけで今日はもう、十分幸せだったではないか。
 それ以上を望むのはやはりわがままが過ぎる。
 そう考えた美琴はまぶた越しに感じられる月明かりをその身に浴びた。

 美琴の脳裏は今、上条のことで占められており、周りにまったく注意を払っていなかった。
 だから彼女は自分の身に起ころうとしていることに気づけなかった。



 一方、完全に日が落ちたことを確認し、これで美琴とのデートが本当に終わることを理解した上条は胸に去来する寂しさを必死で堪えていた。
 もっと美琴といっしょにいたい、本心ではそう思っていた。
 けれどこれ以上はダメだ。
 夕飯の面倒は見てもらっているとはいえ、インデックスがそろそろ帰ってくる時間だろうし、何より上条自身の勝手でこれ以上美琴を拘束することはできない。
 そんなことをしては紳士上条当麻の名折れだ。
 それに朝からこんな時間まで美琴といっしょに穏やかな時間を過ごすことができたのだ。
 不幸な自分にとってこれ以上の幸せを望むのはあまりにも図々しすぎる、そう思った。
 それに明日からだって美琴には会えるのだ。勉強も見てもらえるし、何より弁当を作ってもらえる。
 寂しいことなんて何もない。
 だから上条は自分の中の弱い心を必死で抑えつけて美琴の方を見た。

「…………!」

 美琴の姿を見た上条は思わず言葉を失った。
 月明かりに照らされた美琴。
 その姿はなんとも形容できないほど、神秘的だった。
 上条はごくりとつばを呑み込み自分の体を見た。美琴の側にいるのだから、上条にだって月の光は注がれている。
 けれど上条の体はただ月に照らされているだけ。そう上条には思えた。
 翻って美琴はどうだろう。上条はあらためて美琴を見た。

 やはり美琴の様子は自分とは違う、上条にはそう思えて仕方なかった。
 なにしろ美琴の体には月の光が粒子として舞い降りている、今の上条にはそう見えていたのだ。
 キラキラと輝く月光の粒子が美琴に降り注ぎ、その体で飛び跳ね、彼女の周りを舞っている。
 満月ではない、それよりも光量の劣る今日の月だからこそ起こせる美。
 本当に神秘的で、美琴が何かの魔術を使っているのではないかとさえ思われた。
 少なくとも今の美琴の姿は何かの神に祝福されている、それだけは上条の中に確信としてあった。

 上条は今初めて、心の底から、美琴のことを、美しいと思っていた。

 美琴の姿に目を奪われた上条の心臓が、ドクンと強く鳴った。
 再びつばを呑み込んだ上条は、はっとして自分の手を見た。
 ぷるぷると震えており、何かの行動を起こしたそうにしていた。もちろん上条は自分の手が何をしたいのかわかっていた。
 それは今し方上条自身の中に生まれた欲望が命ずる行動だったからだ。
 けれど上条は必死で自分の手、そして自分の中に生まれた欲望を抑えつけていた。
 そんなことをしては取り返しの付かないことになってしまう、上条の理性が必死で彼の中の欲望にそう語りかけていた。
 上条が欲望を解放してしまえば目の前の少女を傷つけてしまう、上条の理性は何よりそれを恐れたのだ。
 けれど上条の目には未だに美琴の美しい姿が映っている。
 その姿はどんどん上条の中の欲望を強くしていっていた。

 そしてついに、上条当麻の理性は、欲望の前に屈することになった。

 上条はつばを呑み込む。
 今日何度目かわからないそれをした上条は、抑えつけるような低い声を出した。
「御坂、ごめん」
「え……!」
 上条は自らの欲望、彼の願いが命じるままに美琴の華奢な体を抱きしめた。



――あれ、どうしてコイツの顔が私の側にあるの?

 美琴は初め、自分の置かれている状況を理解できていなかった。
 彼女にわかったのは上条が今まで感じたことがないほど自分の側にいることや、彼のぬくもりや体の感触までもが感じられるということだった。
 そして美琴の耳に聞こえてくるのは上条がついているのであろう、荒い呼吸音だけ。

――ああ、そうか。コイツ、私を抱きしめてるんだ。え。抱、きしめ、てる……!

 上条が自分を抱きしめているという事実を美琴が認識したのは、上条の体温や感触が美琴の脳に届いてから二秒後のことだった。
「ふぇ」
 当然のように美琴の脳はオーバーヒートを起こす。
「みゅみゃ、にゅにょにゃあぁ……」
 だが偶然上条の右手が美琴の頭に触れていたため、かろうじて自分だけの現実の崩壊による漏電だけは防げていた。

――どうしてコイツは、私を抱きしめてるんだろう?

 予想外の状況に対する混乱と漏電を終えた美琴の脳は、ようやく正常運転を開始し始めようとしていた。
 上条がこのような行動を取った理由を知らなければならないし、そのことに対して自らもなんらかのリアクションを取らなければならない。

 しかし、
「ふにゃ」

――なんか、考えなきゃいけないんだけど、気持ちいいし。嬉しい。

 美琴が何かを考えようとするたびに、上条から感じられるぬくもりが彼女の思考を阻害した。

――もう、このままでいいのかな?

 しかも上条は抱きしめる以上のことは何もしてこない。ただ美琴のことをしっかりと抱きしめ、頭を優しく撫でるだけなのだ。
 比較しては悪いのかもしれないが、ルームメイトである白井黒子のように胸を触ろうとしたりなどといった性的なことは何もしてこない。
 ただひたすら上条は美琴のことを優しく抱きしめていた。
 その行動や彼のぬくもりは、麻薬のように美琴の脳を侵し始めていた。
 いつまでもこのままでいたい、美琴がそう思い始めた時、上条が口を開いた。

「み、御坂。その、ごめん、あの、嫌なら、突き飛ばして、くれたらいい、から」
「…………」
 美琴は自分の耳を疑った。
 美琴が上条に対して抵抗らしい抵抗は何もしていないにもかかわらず、上条は自分が嫌がっていると思っていたからだ。

 確かに普段の美琴であれば相手が上条であろうが誰であろうが、男性に抱きしめられるようなことがあればその相手に能力を使って全力で報復するであろう。
 しかし今の美琴は違っていた。
 上条のことだけを考え、彼と過ごす今の時間を大切に思っていた今このときだけは、美琴の心は普段よりずっと素直になっていたのだ。
 そんな素直な美琴は上条のぬくもりを、感触を、嫌だとは決して思っていなかった。
 なのに上条はそんな自分の気持ちを誤解していた。
 哀しくなった美琴は、自分の気持ちを上条に伝えようと思った。
 上条に誤解して欲しくない、そう考えた美琴は言葉ではなく、上条の体を抱きしめるという行為で上条に対して返事をした。
 上条からの抱擁を自分は決して嫌がっていない、美琴は必死で上条にそう伝えようとしていた。



 一方、美琴を抱きしめた瞬間、上条の心にたぎっていたマグマのように熱い欲望は一瞬にして冷めてしまっていた。
 あんなにも触れたかった、抱きしめたかった美琴なのに、それが達成できた瞬間、彼女を傷つけたのではないか、嫌われるのではないかという恐怖が上条の脳裏を駆けめぐったのだ。
 どうしよう、大変なことをしてしまった、それが今の上条の心の大半を占める言葉だった。

 今日上条は美琴と共に一日を過ごした。
 上条の記憶では、戦いなど関係なく、純粋に娯楽のために女性と共に一日を過ごした経験は、これが始めてである。
 そんな相手である美琴ともっといっしょに過ごしたい、そう思う気持ちは決して間違ってはいないはずである。
 けれどだからといって自分より年下の中学生の女の子を抱きしめるという行為が許されるとは、上条にはとても思えなかった。
 それに気の強い美琴がこのような行動を許すとも思えなかった。
 その証拠に美琴は抵抗らしい抵抗をしてこなかった。
 これはかなり怒っているせいだろう、上条はそう判断した。
 だから上条は美琴の体を放そうと思った。美琴にこれ以上嫌われないために。
 しかし上条の中にわずかに残っていた欲望、美琴の体温や彼女の髪や首筋から漂う女の子特有の匂いが、上条の決意を邪魔した。
 美琴の体を抱きしめたいという欲望と、美琴に嫌われたくないという理性、その二つの間で上条ができたことは美琴の髪を優しく撫でること。
 そして美琴自身に上条の行動を拒否してもらうことによって、欲望を抑え込むことだった。

「み、御坂。その、ごめん、あの、嫌なら、突き飛ばして、くれたらいい、から」
 上条は意を決して美琴に声を掛けた。
 しかし上条の期待に反し美琴の取った行動は、上条を抱きしめ返すというものだった。

――コイツ、何やってんだ?

 上条は美琴の行動がまったく理解できなかった。
 美琴は自分に抱きしめられることに対して怒りを覚えているはず。
 なのに美琴は上条を突き飛ばすどころか逆に自分から抱きついてきた。
 上条は思った、これはもしかすると密着状態から電流を流そうとしているのかと。
 だから上条はそっと美琴の体から右手を離した。
 これは御坂美琴という電撃使いの少女に対する行動としては、自殺行為以外の何物でもない。
 しかし今の上条は美琴にならどんなことをされても構わない、そう考えていた。
 気が動転している上条の中では、彼が美琴をこれ以上なく傷つけたということが確定してしまっていたのだ。
 上条は静かに目を閉じ、美琴からの攻撃を待った。

「…………?」
 しかしいくら待っても美琴は上条に何もしてこない。
 それどころか上条が体を少し動かすと、離れまいとしてますます美琴は強く抱きついてくる。
 まるで何かを自分に伝えようとしている、そんな感じまでした。

 二人はそのままの体勢で五分ほど抱き合っていた。



「…………」
 美琴はもしかしたら嫌がっていないのかもしれない。
 上条の脳裏に誰かがそう語りかけてきた。
 上条の理性は即座にその言葉を否定した。
 しかし次の瞬間、上条の中の欲望はその言葉を肯定した。
 更に言うなら美琴を抱きしめた時からずっと上条が感じている、彼女の体の柔らかさや体温、匂いといった五感を直接刺激するものは、既に現段階で上条の理性のほとんどを崩壊させており、また同時に上条の欲望を強くしていた。

 結局常に紳士であると自称しているはずの上条は、再び欲望の軍門に下ることになった。

 上条はそっと美琴の腕をほどき、ゆっくりと彼女の体を自分から離した。
 上条はじっと美琴を見つめる。
 美琴もじっと上条を見つめ返している。
 互いの瞳には、互いの顔だけが映っていた。

 ふいに上条の脳裏に昼間観た映画のワンシーンが浮かんできた。
 主人公とヒロインが艱難辛苦の末、ようやく互いの気持ちに正直になり口付けをかわすシーン。
 上条にはいつの間にかその二人が自分と美琴の姿に重なっていた。
 見ると、美琴はいつの間にか顔を上げ、目を閉じていた。
 意を決した上条も目を閉じ、ゆっくりと美琴に顔を近づけていった。



――これってやっぱり、そういうことでいいのよね。

 上条が自分の腕をほどいた時、美琴はやはり抵抗らしい抵抗をしようとは思わなかった。
 上条と離れたくないという自分の心はきっと上条に届いたはず、そう確信めいたものがあったからだ。
 今の自分の心を素直に表現すれば、きっと上条は応えてくれる。上条の目に映った自分の顔を見た瞬間、美琴はそう思った。
 だから美琴は上条を見上げ、そっと目を閉じた。
 この行為が何を示しているのか、もちろん美琴にはわかっている。
 雰囲気に流されているだけだ、確かにその考えは否定できない。
 けれど今の美琴にとってはこれが一番自然なことだと思ったのだ。
 心のままに、素直に自分の想いを表現した結果が今美琴がしている行動なのだ。
 そして上条は、そんな美琴の気持ちに応えようとしてくれている。
 美琴はじっと上条が自分に触れてくれるのを待った。



「御坂……」
 上条はぽそりと美琴の名前を呟いた。
 美琴は閉じた目にぎゅっと力を込め、唇にも力を込めた。
 トクン、トクンとどちらの物ともわからない、きっとどちらの物でもあろう心音が二人の間に響いた。
 それは二人の体の距離がほぼないということを示している。
 美琴は期待した、次の瞬間に来るであろう、生まれて初めての感触に。
 上条は歓喜した、不幸ばかりの自分に訪れる、初めての人間らしい幸福に。

 そうして、二人の距離は、ゼロに――。



「☆ね※◎さ×●ぶ□ま△――――!!」
「へぶぼぅぶあ!!」
 上条と美琴の唇が触れあう寸前、得体の知れない叫び声と何かがひしゃげたようなうめき声、そして何かが吹き飛ばされるような音がしたため美琴は動きを止めて立ち上がった。
 結局二人の距離はゼロにはなることはなかった。

「…………」
「お姉様お姉様お姉様お姉様お姉様――!」
「え、え……あれ?」
 美琴は地面に倒れている上条と、自分の腰にへばりついている白井黒子を交互に見やって首を傾げた。
「よくわからないけど、とりあえず離れなさい」
 美琴は白井の首根っこをひっつかんで無理矢理自分から引きはがすと、血の涙を流しながら自分を見つめる白井をにらみつけた。
「アンタはいったい、何やってんのよこんな所で!」
 しかし白井も負けていない。滝のように涙を流しながら美琴に食ってかかった。
「それはこちらのセリフですわお姉様! お姉様こそ、日も暮れたというのにこんな公園で何をなさってらしたんですの? しかも、黒子が風紀委員の活動で留守なのを見計らって!」
「え」
「ほら、答えて下さいまし! わたくしを差し置いて何をなさってらしたと言うんですの?」
「あ、あの、そのね、えと……」
「まあ、わたくしとて多くは聞きません。上条さんと映画を見たことも、お弁当を食べあったことも、膝枕をなさったことも、今回は大目に見て差し上げましょう!」
「あ、アンタ、なんでそんなことを! っていうか知ってるんじゃないの!」
「で、す、が!」
 白井は溢れる涙を拭おうともせず美琴をにらみつけた。
「最後のアレはなんですの? あ、あなあんなあんな、あんな類人猿と、きききききききっしゅを! キスをしようとするなんて!」
「あ、あれは、だから、その……」
「温厚なわたくしもこればっかりは絶対許せません! お姉様の初めては、ふぁーすときっす、から文字通りの純血まで、全部黒子の物で……へぶっ」
 段々怪しいことを叫びだした白井を、美琴は怒りのままにとりあえず一発殴った。
「調子に乗るな、この馬鹿! だいたいアンタ、いつからどうやって私達のこと監視してたのよ!」
「膝枕までは風紀委員の監視カメラで! それ以降はわたくしのこの両眼でですわ! けどそんなの、どうでもいいことではありませんの!」
「いいわけあるか――!! 結局アンタ、全部見てたんじゃないの――!!」



「いてててて……。ハァ……。俺、帰ってもいいのか?」
 その頃、白井に蹴られた頭をさすりながら起き上がった上条は、いつ果てるともないケンカを続ける美琴と白井を見て、盛大なため息をついた。

 こうして、初めて上条から美琴を誘ったデートは、うやむやのうちに終わることとなった。


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