風に負けない言葉の強さ ~Mutual_Love
白井黒子は――ほうっとため息をついていた。土曜日の昼近く、いつもの風紀委員(ジャッジメント)の巡回中のこと。
先日までの暖かな小春日和は過ぎて、今日は木枯らしの舞う如何にも冬らしい天気。
ほとんど葉の落ちた道沿いの並木には、落ち残った数枚の葉が風に揺られていた。枝からぶら下がる蓑虫も、長い糸の先でくるくると舞っている。
かさかさと音を立てて、枯葉が足元を駆け抜けるように飛んでいった。
白井は制服の上にコートを着込んで防寒対策としているものの、それでも寒さが身に染みてくるように感じられる。
それは天候だけでなく、彼女の胸のうちにもその原因があったから。
(今日もお姉さまの元気がありませんでしたの……)
美琴が上条と会えなくなってからというもの、白井の精神もガリガリと削られるような生活が続いている。
昼間、学校など人目のあるところでの美琴の様子は、普段となんら変わりはない。
だが寮の自室で皆が寝静まった夜中などに、美琴のすすり泣きと、上条の名を呟く声が聞こえてくるのだから。
上条と会えないことが、それほどまでに彼女の心を痛めつけているという事実が、白井に二重、三重の苦しみを与えていた。
誰よりも美琴のことを慕っている彼女にとって、そのきっかけを作ったのが「自分の発言」かもしれないという懸念が頭をよぎる。
(やはり「あれ」が原因なのでしょうか……)
もちろん自分ではそんなつもりなど毛頭無かったし、そもそも「あれ」が原因だとも思えなかった。
それでも否定しきれぬ心許なさが彼女を不安に苛んでいる。
(お姉さまが上条さんに恋をなされてることぐらい、なんとなくでもお分かりになられてると思ってましたのに)
上条とは普段あまり接点の無い白井には、彼がそれほどまでに鈍感なのだとは知らなかった。
彼女の発言で自らの気持ちを自覚した上条が、真っ先に感じた嫉妬のためにネガティブスパイラルに陥ってしまったことなんて、ふたりにもわからない。
美琴への援護射撃が、いわゆる「Friendly Fire」となっていようとは白井にも想像がつかなかった。
(私はあくまでも、お姉さまの幸せを願っているはずですの。なのに……)
こうして街中を巡回していても、ついつい敬愛するお姉さまのことが気になってしまう。
なんとか集中しようと思ってみても、夜毎に聞こえてくる美琴の哀しみの声が脳裏に甦って、白井の胸を苦悩の色に染め上げるのだ。
美琴の苦悩を解決させてやりたいと思ってはいるが、その原因が分からない以上、解決の糸口さえもわからない。
いっそ上条の元へ乗り込んで、美琴のことをどう思っているのか問い詰めてみようかと思ったこともあった。
しかし彼が美琴以外の女性を想っていたとしたら、却ってやぶ蛇になりかねない。それどころか本当に美琴の心は耐えられなくなるだろう。
そもそも自分とて男女の恋愛なぞ、経験はおろか考えたことすらなかったから、どうするのがいいかなんてわからない。お嬢様学校の常盤台自体に恋愛経験者なんぞそうはいないのだ。
もちろんそこはお年頃の女の子ゆえあれこれと騒ぎはするものの、所詮は夢見る乙女のおとぎ話にしかならない。
むしろこういうことは、箱入り娘たちより、初春や佐天のような普通の女子学生のほうが慣れているだろう。
いっそあの二人にも相談しようかと思ってみたところで、彼女のお腹が空腹を訴えていることに気がついた。
「――もうお昼でしたのね」
時計を見ればすでにその針は午後の時間を指し示している。
美琴のことが心配で、あまり食欲は無かったけれどそれでも何かお腹に入れておこうとは思っていた。
いざという時に燃料切れになって、任務に差し支えるようなことでは風紀委員失格だから。
「ここでも構いませんわね」
近くにあったファミレスに入った彼女の目に飛び込んできたのは、白い修道服のシスターと、隣に座るピンク色した髪の少女。
すでに食事は済ませたのか、テーブルの前にどっさりと積みあがるように残された空の食器の数々。
ピンクの髪の少女は少し引きつった顔をしていたが、落ち着いている様子からその光景は彼女には見慣れたものなのだろう。
(――あれは……)
その彼女らから聞こえてきた「みさかみこと」という言葉に吸い寄せられるように、白井の意識がそちらへ向いた。
どうやら二人は上条と美琴の話をしているらしい。白井は彼女らの話に耳をそばだてていたが、気がつけば彼女たちのテーブルの前に立っていた。
インデックスは月詠小萌とファミレスにいた。それはもちろん上条のことについて相談するためだ。
彼女は昨日の洗いざらいを小萌に打ち明ける。
彼が恋をしていること。それはどうやら片想いらしいこと。そしてその相手のことなどを。
「――そうなのですか。上条ちゃんは片想いをしてたのですね」
「そうなんだよ、こもえ。とうまはみことのことが好きなんだよ……」
「でもその相手さんには既に好きな人がいたと。それで上条ちゃんはあんなに落ち込んでいたのですね。それにしても……」
小萌がじっとインデックスの顔を見つめる。
「――シスターちゃんの方こそ辛くないのですか?」
にこりと優しい笑みを見せた。もちろんそれは彼女の想いを承知しているからのもの。
「それはみんな同じだと思うんだよ。あいさだって……、こもえだってそうでしょ?」
インデックスの方からもにこりと微笑み返す。彼女の手に握られたグラスの氷が、カランと音をたてて崩れた。
彼を巡ってのライバルは多かったけれど、こういう結果になってみれば同じ境遇の者はたくさんいるのだから。
「上条ちゃんも罪作りな男の子なのですよー」
そう言って小萌は――はあっと切なげにため息を吐いた。インデックスも一緒になってふうっと息を吐く。
やがてお互い顔を見合わせて、うふふと笑いを交わす。
「――今度、姫神ちゃんやクラスの女の子たちも一緒にパーティーでもしましょうか?」
「うん! ――私もやけ食いしたい気分かも」
「なら食べ放題のお店にするのですよ」
インデックスが恐ろしいことを口走ったが、そこは大人の余裕を決め込んだ小萌。そもそも一番の被害を蒙るのはそのお店だろうから。
「でもおかしいんだよ……」
インデックスが不思議だという顔をしている。
「どうかしたのですか? シスターちゃん?」
「――みことだってとうまのことが好きなはずなんだよ?」
彼女が言う「みこと」というのが誰なのかはわからないが、それが上条の想い人なのは月詠にもわかる。
少なくとも上条の学年、クラスにはそんな名前の生徒はいなかったから、それは他所の学校の生徒なのだろうと。
「みことさん?」
「うん、みことだよ。短髪とかビリビリって言ったし、とうまはみさかって呼んでるんだよ」
「みさかみことさん……って、もしかするとあの『超電磁砲』の御坂美琴さんなのですか?」
超能力者(レベル5)第三位『超電磁砲』の御坂美琴と言えば、学園都市に知らぬものはいないほどの超有名人だ。
そんな彼女が上条の想い人で、インデックスによれば、美琴の方も彼のことを好いているらしい。
それは言うなれば、大人気トップアイドルが、どこにでもいる普通の冴えない男子高校生と恋をするようなもの。
どこでそんな繋がりが出来たのか小萌には全くわからなかったが、上条のフラグ体質を思えばそれは不思議でもないのだろう。
「相変わらず上条ちゃんはいろんな女の子との繋がりがあるんですねー」
「そうなんだよ、こもえ。全くいつだってとうまはとうまなんだよ」
「しかし本当に常盤台の御坂美琴さんも上条ちゃんのことが好きなのですか?」
その時、まだ半信半疑な顔の小萌に向けて、声が掛けられた。
「そうですの。常盤台のエース、御坂美琴お姉さまの想い人が、上条さんですのよ」
その声にふたりの顔がテーブルの向こうに立っている少女へと向けられた。
そこにいたのは御坂美琴と同じ常盤台の制服を着たツインテールの女子学生。
「こんにちは、インデックスさん」
「あ、くろこ。こんにちはなんだよ」
インデックスと白井が言葉を交わす横で、小萌が白井へと視線を向けている。
それに気づいた白井が、小萌に自己紹介をした。
「はじめまして、お嬢ちゃん。私、常盤台中学の白井黒子ですの」
「はじめましてなのですー。月詠小萌と言います。私はお嬢ちゃんじゃなくて、上条ちゃんの担任なのですよ」
「――は、はあっ!? せ、先生ですの? 小学生とか飛び級とか……」
白井が素っ頓狂な声を出す。
「違いますよー。先生はこれでも大人なんですから」
小萌はいつもの事とにこにこと笑っていた。
それでも真面目な顔に戻ると、白井に同席を勧める。
「白井さん、ここでよかったら座りませんか? さっきの御坂美琴さんのお話を聞かせて欲しいのですよ」
――インデックス、白井、小萌先生の三人が交差した時、ここに新しい物語が始まろうとしていた。
そのころ美琴は上条の姿を探して、ふらふらと街中を彷徨うように歩いていた。
その憔悴しきった姿はまるで、上条がロシアで行方不明になっていた時のよう。
寝不足と心労でぼうっとした顔のまま、これまで彼がいそうなところを順に回っていたのだった。
最初に行った彼の部屋には上条の気配もインデックスの気配も無かった。
次に向かったのはいつもの公園。そして勝負をした川原、あの鉄橋、最後に繁華街へとやってきていた。
もう寮へ帰ろうかそれとも、と思っていた時、背後から聞き覚えのある声がした。
「みことっ!」
振り向いて見たらそれはインデックスだった。
「――みことっ! 探してたんだよっ!」
彼女がなにやら切羽詰ったような顔をしている。
その様子を見て美琴は何事が起こったのかと身構えた。
「どうしたの? インデックス。なにかあったの?」
「みことっ! とうまが、とうまが大変なんだよっ! なにかトラブルに巻き込まれてるのかもっ!」
「――えっ!」
咄嗟のことで言葉が出ない。それでもこの時美琴の頭に浮かんでいたのは、
(――アイツが大変? トラブルに巻き込まれてって……また何か抱えてひとりで突っ走ってたのか、あのバカ!)
「焦った顔をして展望台の方へ走ってったんだよっ! みことお願い! とうまを助けてあげて!」
その言葉に彼女の精気が奮い起こされる。それまでぐるぐると悪いことばかり浮かんでいたが、脳裏からきれいに消え去った。
急に会えなくなったのは何かトラブルに巻き込まれたからだと美琴は思った。
周りを巻き込まないためにひとりで抱えて、ひとりで突っ走る、いつものアイツの悪い癖が出たのだと。
ならばこんどこそわからせてやらねばならない。たったひとりで苦しませるものか。
――私だって、戦える! 私だって、当麻の力になれる!
だからアイツから離れるものか。絶対に離れてやるものか。
この子にだって頼まれたんだ。アイツが……当麻が誰を想っていようと関係ない。
私は、御坂美琴は、上条当麻が大好きなのだから。上条当麻と一緒に戦うのだと決めたから。
「うんっ! 任せておいてっ! アイツは……当麻は私が助けるからっ!」
そう言うなり、美琴は全力で街外れの高台にある展望台へと駆け出していく。
彼女の顔にはもはや憔悴の色は見られない。そこにあるのは、大好きな上条、愛する少年を守ると決めた乙女の勇姿。
人ごみを掻き分けるように走り去る美琴の後ろ姿を、じっと見詰めていたインデックスの肩に何者かが触れる。
「さあ、私たちも行きますのよ、インデックスさん」
「――そうだね、くろこ……」
すぐにふたりの姿がその場から消えた。
その後のこと。街中をふらふらと美琴と同じように彷徨い歩く上条の姿があった。
彼はただ美琴に会いたい、でも会いたくないと複雑な心境を抱えたままに路地裏や通りを行ったり来たりしたが、こういう時に限ってなんのトラブルに巻き込まれることもない。
なにか騒ぎやトラブルに巻き込まれでもすれば、少しは気が紛れることもあるだろうかと思ってみたが、何も起こらなかったのだ。
そうこうするうちに気がつけばポケットの携帯電話が着信を知らせている。もしかして美琴からかと思ったが、表示されていたのは小萌先生からだった。
これはこれで補習かなにかのトラブルだな、と思いながら彼は電話に出た。
聞こえてきたいつもの声は予想通りだったが、ただ少しいつもと違っていた。
「上条ちゃんバカだから、特別授業でーす。それで上条ちゃん、今どこにいますか?」
「せ、先生、今からですか? 今――にいるんですが……」
上条がそう言うと、電話の向こうで小萌先生がぼそぼそと誰かと話をしていたようだったがすぐに、
「――なら今から先生の言う場所に大至急来るのですよー。来なかったら新しい課題を追加するので覚悟してくださいね」
「わかりました。先生……」
――やっぱり不幸だ、と呟きながら指定された場所へと向かう上条。
と、そこへ、
「か、上条さんっ! やっとみつけましたの!」
後ろから声を掛けられた。
振り返ってみれば、はあはあと大きく息を吐いている白井の姿が。
「お、お願いですのっ! お姉さまが……お姉さまがっ……」
「――おいッ!御坂がどうしたッ!」
白井からの言葉に驚いた上条は、咄嗟に彼女の肩をつかんでいた。
そんな上条に、白井は心の中でニヤリとしながらも、それを表に出さないよう言葉を続ける。
「お願いですっ! お姉さまを助けてくださいまし! もう上条さんしか頼れませんの!」
「わかった。何があったかわからないが、とにかく御坂は俺が何とかする……」
さっきまで虚脱状態だった上条の表情が一瞬で変わる。引き締まったその表情は、これまで誰も見たことのない毅然とした男の顔になっていた。
「――教えろ、白井! 御坂はどこにいるんだッ!」
「え、あ、あの高台の展望台、ですの……」
それを聞いた途端、上条は全速力で走り出した。彼の中にはもはや迷いなど何も無かった。
御坂美琴を助けるため、大好きな女の子を助けるために彼は脇目もふらず、一目散に駆けていく。
その後姿に白井はついぼうっと見とれていたが、すぐに彼女は――この類人猿めと呟いた。が、なぜだかその顔く染まっていた。
彼にはさっき小萌先生から言われた特別授業のことなどどうでもよくなっていた。
課題なんていくらでもやってやる。今は美琴を助けることが先決だ、と。
(――待ってろ、御坂! 俺が必ず助けてやるからな!)
街外れの展望台を目指して上条は走り続ける。
(俺は、やっぱり御坂のことが好きだ。俺は御坂美琴とその周りを守るって約束したんだ……)
あの夏の日の約束。残骸事件のとき、白井を助けたときに言われた言葉。
(あの魔術師みたいにいじけてちゃ駄目なんだ。俺は俺のために御坂を助けると決めたんだ。半分だなんて中途半端で終わらせたりするものか!)
そう心に決めただけで、身体が軽くなった。気持ちが楽になった。
駆ける足と同じように、この想いにもどんどんと勢いが乗っていく。
もう止まらない。止められない。止めようとも思わない。
そうして高台の展望台の入り口まで来た時、上条は背後から声を掛けられた。
「上条ちゃん! 待ちなさい!」
その声を無視し、振り切って行こうとしたその瞬間。
「こんの類人猿がああああ!!!」
「げぶふぅぅぉぉおおあああ!!!」
白井のドロップキックが後頭部に炸裂し、上条は走っていた勢いのまま地面に転がっていた。
「――なにしやがる白井! お前、御坂を助けてくれって……」
「人の話を聞かないのはお猿さんと一緒ですの!」
はあはあと息を吐きながら白井に抗議した上条だったが、白井の落ち着いた様子を見てすぐに我に返った。
ふと脇を見れば、なぜかそこにいたのはインデックスと小萌先生。
「へっ? あれ? インデックスに小萌先生、なぜこんなところに?」
「――上条ちゃん。先生はいう通りの場所に来なさいと言いましたよね?」
有無をも言わせぬ小萌先生の迫力に上条ははっと気がついたように一瞬たじろいだ。
しかし今は御坂を助けるという緊急事態がと思い、
「先生! 今は御坂を「――来なければ新しい課題を追加するって言いましたよね?」……はい……」
ずいっと眼前に迫る小萌先生に迫力負けを喫した上条がしゅんとなる。
「あ、御坂さんのことなら慌てなくても大丈夫なので心配要らないのですよ。だから上条ちゃんには今から言う課題をやってもらいます」
「な、なんでせうか、先生……」
慌てなくても大丈夫という言葉に上条はほっとしたが、追加の課題をすることになり、びくびくとしながら答えた。
そんな上条を横からニヤニヤとしながら眺めているインデックスと白井。
小萌は上条の傍によると、彼の顔を見つめながら言った。
「上条ちゃんは御坂美琴さんのことが好きなんですね?」
「はいぃい!?」
一瞬何を言われているのかわからないといった顔をする上条。そんな彼を更に問い詰める小萌。
「――好きなんですよね? 上条ちゃん」
「は、はい、そうです」
そう言うと上条は顔を真っ赤に染めた。
そんな彼を見て――やっぱり可愛いのですーと思いながら、小萌は上条に課題を言い渡す。
「なら上条ちゃんは、その気持ちを正直に御坂さんに伝えてください。それが今日の課題です」
「な、なんですか、先生? 俺に……御坂に振られてこいってことですか?」
言い渡された課題の内容に上条は愕然としたが、そんな彼を諭すように小萌が優しく言う。
「上条ちゃんは御坂さんを助けたいのですよね?」
「そうですけど、それと俺の告白とどういう関係が……?」
「上条ちゃん。あなたはいつも思いのままに突っ走ってばかりいますけれど、たまには自分の気持ちや、周りの人の気持ちにもきちんと目を向ける必要があるのですよ」
「――はい……」
「まあ今までそういうことに無頓着だった上条ちゃんに言っても、すぐにわかるわけありませんけどね」
小萌にはっきりと言われてがっくりする上条だったが、それでもすぐに考え始めた。
(御坂の気持ち、か。そういや俺は……ここんところ、アイツと会わないようにしてたよなあ)
真面目な顔になった上条に、白井がぽつりと言った。
「――お姉さまは上条さんに会えなくなって心配されてましたの」
「……」
「もしかして嫌われるようなことをしたのかと、悩んで悩んで、毎日苦しんでおられましたのよ」
「――すまなかった」
「それは直接お姉さまに言ってくださいまし。それが上条さんの課題なんですの」
「ああ、わかった。ちゃんと御坂に会って謝るよ」
そう言った上条の顔は、何かを決意したようなしっかりとした顔になっていた。
「あなたにはあの約束を守っていただかないといけないのですから」
そう言って白井がにっこりと上条に微笑みかける。それは彼に向けた彼女なりの信頼の証。それを受けた上条もまた彼女に微笑み返す。
「ああ、今度は絶対に忘れたりしないさ」
そう言うと上条は三人に背を向けて、展望台へと登っていく。
真っ直ぐ前だけを見て進む上条に、インデックスの言葉がその背中を押す。
「行ってらっしゃい、とうま! がんばってみことに伝えてくるんだよ!」
上条は一瞬足を止めると、振り返らずにそのまま叫ぶ。
「ありがとう、インデックス。俺は……お前のことも好きだぜ!」
彼はそうして展望台へ向けて走り出していった。
後に残された三人は唖然としていたが、やがて大きくため息を吐いた。わかってないと言わんばかりに。
ここは学園都市を眼下に望む高台にある展望台。周囲には風力発電のプロペラが何本も立っている。
暖かい季節なら、多くの学生やカップルたちで賑わう場所だが、木枯らしが吹く寒い季節には、訪れる人も少なくなる。
ましてこの場所は風の通り道だけに、強く冷たい北風が吹きすさぶ今日のような日には人っ子一人だっていない。
そんな木枯らしが舞う中に、美琴はぽつんとひとり佇んでいた。
インデックスに上条を助けてと言われてこの場所までやってきたが、上条はおろか誰の気配さえもそこには無かった。
もしかして他の場所に? と思い、他を探そうかとも思ったが、白井から電話があってなぜかもう少し待つように言われた。
それからどのくらい経ったのだろうか。吹きさらしの中、コートを着ていても身体が冷えて、訳のわからないままならいっそのこと帰ってしまおうかとも思ったその時。
「――御坂!」
今日までずっと聞きたかった声が、北風を切り裂いて彼女の耳に届く。
一瞬風の音を聞き間違えたかと思い声のした方へ顔を向けると、そこに見たのは、ずっと会いたいと思っていた少年の顔。
「――当麻!」
思わず名前を叫んでいた。これまで呼んだことのない彼の名前が、なぜか素直に彼女の口から飛び出した。
その声に上条が一瞬驚いたような顔をする。が、すぐに彼女の元に駆け寄って、はあはあと息を吐いていた。
そんな彼の顔をじっと見つめながら、美琴が言葉をかける。
「ねえ。なんで私を避けてたの? 何があったの? お願い。教えて……当麻!」
ずっと待たされたことと、やっと上条に会えたことで、美琴の目にはいつしか涙が滲んでいた。
それを見た上条は、改めて自分が美琴を遠ざけていたことの重大さを理解する。
と同時に彼の胸がきゅっと締め付けられていた。想い人の涙を見せられて心穏やかになんていられなかった。
息を整えると上条はじっと美琴の目を真っ直ぐに見つめたまま、素直に話し出していた。
「――俺はあの日、白井から聞いたんだ。お前が、御坂が誰かに恋をしているってことをさ」
「――あの時俺は初めて、自分の気持ちに気がついたんだ。それはもう今更だったけどさ」
「――お前みたいな超能力者のお嬢様が、無能力者の俺なんかにつりあうわけがないんだって思った」
「――最初は会わなけりゃすぐに忘れられるって思ってたんだ」
「――会いたくて会いたくて、どうしようもなかったけど、会ったらまた辛くなるからと思って我慢してた。でも結局は……無理だった」
「――お前が、御坂が幸せになるんだったら、俺は精一杯応援してやろうと思ったけれど、それも無理だった」
「――お前の全てを俺のものにしたかった。傍にいて欲しかったし、お前の心も身体も、視線だって笑顔だって、その涙だって何もかも俺のものにしたいって思ったんだ」
「――御坂美琴さん。上条当麻は貴女のことが好きです。貴女が誰を好きであろうとも、俺は貴女とその周りの世界を守ると約束します」
「こんな不幸体質な俺ですけど、友達で構いません。この気持ちに整理がつくまで、一緒にいてもいいですか?」
黙ったまま立ち尽くすふたりの間を、冷たい風が吹きぬけていく。くるくると風に舞うように、枯葉が何枚も足元を通り過ぎていった。
半ば緊張し、半ば諦めたような顔の上条をじっと見つめていた美琴の目から、やがてぽろぽろと大粒の涙が零れ始めたかと思うと、彼女は叫ぶように答えていた。
「――友達だなんて嫌よっ! 気持ちに整理をつけようだなんて私、絶対に認めないんだから!」
その言葉を聞いて、上条はわかってたといわんばかりに肩を竦める。
最初から勝ち目なんてないものだと思っていたから、彼女のどんな答えでも受け入れる覚悟だけは出来ていた。
「だよなあ。やっぱり俺は「違うのっ!」……えっ!?」
美琴が上条の言葉を遮るように叫んでいた。
「――当麻はずっと私を御坂美琴として見てくれた。私と、私の周りの世界も守ってくれた。私が恋をしてるのは当麻になのよ!」
「――御坂美琴は上条当麻が大好きです」
「なかなか素直になれない私ですけど、恋人にしてくれませんか。――私は当麻と一緒なら、それだけで幸せなの」
「み……美琴っ!」
美琴の言葉がはっきりと上条の耳に届く。その言葉は、強く吹きつける北風にも負けない強さを持っていた。
上条が驚いたように美琴の顔を見ている。彼の目に彼女がゆっくり近づいて来るのが見えた。そうして上条の腕が美琴の体を抱きしめる。
離れた所から、そっとふたりの様子を覗いていたインデックス、白井、小萌先生の三人には、少年の胸に少女が飛び込んでいくのが見えていた。
少年の腕がしっかりと、少女を抱きかかえているのが遠目にもわかる。
どうやら全てが終わったらしい。上条は無事に課題をクリアできたようだった。
「――さて上条ちゃんの課題を採点しに行きましょうか」
小萌が先頭に立って、上条らに近づいていく。
「上条ちゃん。課題は無事、クリアできたようですね」
そう言うと、彼の前でニコリと笑顔を見せる。
ずっと抱き合っていた上条と美琴だったが、三人の姿を見て、慌てたように体を離す。それでも手だけは繋いだままだった。
「小萌先生……」
「御坂美琴さん、ですね」
「はい、あの……」
「私は、上条ちゃんの担任をしている月詠小萌と言います」
「せ、先生……なんですか?」
「……そうです。これでも立派な大人なんですからー」
言いたいことはわかりますと言いたげな小萌の顔。
「御坂さん。恋愛に超能力者、無能力者なんて区別は要りませんが、貴女はまだ中学生なんですから、節度あるお付合いをするのですよ」
「わかりました、月詠先生」
「上条ちゃんもいいですか? オオカミ条さんになりましたなんてこと、先生は絶対に許しませんよ?」
「こ、小萌先生……」
「お目付け役にシスターちゃんと白井さんもいますからね?」
その言葉にインデックスと白井がニヤリと笑う。何かあれば、この二人から即座に小萌の耳に入るだろう。
上条も美琴も小萌からの言葉に、顔を赤く染めながら無言で頷いた。
「では今日の特別授業をがんばった上条ちゃんたちに、先生からのプレゼントです」
そう言うと小萌がどこかへ電話を掛け出した。すぐに相手が出たのか何事か楽しそうに話をし始めた。
「――あ、寮監ちゃんですか? 月詠ですよー。お久しぶりなのですー」
「――ええそうなのです。御坂さんと白井さんですけど、今日はちょっと門限に間に合いませんので……」
「――ええ、白井さんは私が送って行くので大丈夫なのです。御坂さんはうちの頼りになる騎士(ナイト)さんに送らせますから……」
「――まあまあ、その話は今度黄泉川先生と一緒のときにゆっくり聞いてあげますから。また飲みにでも……」
「――ではそういうことで、よろしくなのですよー」
そうして電話を切った小萌は、上条と美琴、そして白井に向かって言った。
「白井さんと御坂さんの今日の門限のことは、いま寮監ちゃんに許可を取りましたから心配要りません」
「「は、はあ?」」
小萌の言葉に美琴と白井の驚きが重なった。あの常磐台中学学外寮の有名人たる鬼の寮監をちゃん呼ばわりしたかと思ったら、あっさりと外出の許可まで出させた。
「あの、月詠先生って、うちの寮監をご存知なんですか?」
美琴が恐る恐るたずねると、小萌は微笑みを浮かべて言った。
「ええ、昔、いろいろとあった頃からのお付合いなのですよー」
ふっと遠くを見つめるような目をしている小萌先生年齢不詳。
そんな彼女の感慨深げな表情に、美琴も白井も彼女に何があったかは知らないまでも、――恐るべし、小萌先生と戦慄を抱くことになったのは言うまでもない。
「――では二人とも今日だけは門限を気にしないで大丈夫です。でも上条ちゃんは御坂さんを、遅くならないようちゃんと寮までエスコートするのですよ!」
そう言うと小萌は、インデックスと白井に――私たちは先に行くのですと声をかけた。
白井のテレポートで姿を消す直前、上条と美琴の耳に祝福の言葉が届く。
「お姉さま、どうぞお幸せに。上条さん、お姉さまを泣かせたら承知致しませんの」
「とうま、おめでとう! みこと、とうまをよろしくなんだよ!」
そうして後に残された上条と美琴。
吹きすぎる冷たい北風に晒されていても、二人にはあまり寒いとは感じられなかった。
風に負けない言葉の力で、その身も心も十分に温められたから。
再び堅く抱き締め合った二人の周りを、くるくるかさかさと枯葉が舞う。木枯らしがふぁさりと髪の毛を揺らす。
二人の身体を寄り添わせるかのように、冷たい風がびゅっと吹き付けていった。
これからどんなに厳しい風が吹いても、絶対に離れないと心に決める。ふたりの恋はお互いを想うためのものだから。
そんな想いを胸に抱いた恋人たちは、じっと見詰め合うと、
――これまでの想いを込めたキスをした。
~~ THE END ~~