元旦の晴れ着は振袖で
「さあ、出来たわよ。パパに見せてらっしゃい……」
ここは神奈川県某所にある御坂家。
元旦の朝、そう言って娘、美琴の背中をぽんと叩いた、母、美鈴。
「――これを着られるのも、今年で最後なんだしね」
ちょっと寂しそうに、そう言葉を繋いだ。
その母に着付けを手伝ってもらい、振袖姿を披露するのはこの家の娘、久しぶりに学園都市から実家に帰省してきた御坂美琴。
窓から差し込んでくる穏やかな初春の陽を浴びて、彼女が左手薬指にはめている白銀色の指輪がきらりと輝いた。
それは彼女が住んでいる学園都市で、同棲中の恋人から贈られた婚約指輪(エンゲージリング)。
今年の六月に、彼女は御坂の家を出て、彼の元へと嫁ぐことになっている。
だから元旦の晴れ着として、振袖姿を見せるのも、今年で最後、というわけだ。
「うん。ありがとね、ママ」
そう言うと、美琴は居間へと向けて部屋を出て行った。普段の活発な彼女とは違い、大和撫子のような淑やかな物腰で。
娘の後姿を見送った美鈴は、散らかった小間物を片付けながら、ほっと一息吐いた。
いつもと違う姿を見せて、彼を惚れ直させなさいと煽ったのは自分なのだが、こうも差が激しいと彼も戸惑うかな、とその婚約者の顔を思い出したら、ニヤリと笑みが漏れた。
居間の方から夫が娘を褒める声がする。
その声を聞きながら、ふと娘と同じ年齢の頃、同じように母に言われたことを思い出し、美鈴は過ぎてきた年月をしみじみと思い起こしていた。
彼女が夫、旅掛と結婚したのも、今の美琴と同じ頃だった。
父に結婚を反対されて、駆け落ち同然に家を飛び出したから、今も父との行き来はほとんどない。たまに母と電話でやり取りをするぐらいだ。
夫の方も同様で、御坂家には親戚付き合いをするようなところは無きに等しいが、今年は娘のおかげで、新しい親戚が増える。
娘の嫁ぎ先の実家は偶然にもすぐ近所であり、そこのご両親とも以前から家族ぐるみの付き合いだ。
お互い子供が学園都市にいて、六年前に娘の大覇星祭を見学に訪れた際に知り合ったその家族だが、あちらの家もとある事情で我が家同様、付き合う親戚は少ないらしい。
娘の婚約者である彼が持って生まれた体質のせいで、親戚中から爪弾きにされていた、ということを以前に聞いた。
その彼はいつも何がしかの不幸に見舞われているらしいのだが、一緒にいる娘の幸せそうな表情を見ている限り、そんなことは無いようにしか思えない。
彼の能力とか、体質のことはよくわからないが、学園都市の超能力者たる娘を虜にするぐらいだから、よく出来た男なのだとは思う。
それに娘には言っていないが、自分も昔、彼に命を救われたこともあった。
まあ我が夫のお眼鏡に適ったわけだし、娘の男を見る目は確かなようだとも思っている。
「彼、美琴ちゃんになんて言うかな?」
いかんせん彼は、女性に対して相当に鈍感なようで、娘もそれには散々手こずらされたらしい。
そのくせ、父親譲りのフラグ体質のおかげで、相当ヤキモキさせられたこともあったようだ。
高みの見物を決め込んでいた自分にとっては、色々と娘を弄るネタに事欠かなかった訳で、あちらの母親共々、散々楽しませてもらえた。
多分、娘は彼と結婚したら、彼女のように、相当なやきもち焼きになるだろう。まあ、嫁は姑に似るともいうし。
もっとも今でも時折、彼に能力をぶつけているようだから、姑に似るというよりは、類は友を呼ぶと言った方がぴったりなのかもしれない。
そんな娘の相手をする婚約者の彼には、多少同情を禁じえない思いもあるが、彼にとっては満更でもないらしい。
娘の力を受け止められるのは、世界中で自分だけしかいないのだと、惚気ていたことを思い出した。
「――後で詩菜さんに教えてもらおっと」
これでまた娘を弄るネタが出来たと内心ほくそえんだ美鈴だが、その楽しみも半年後には終わってしまうことを思うと、同時に寂しさも感じていた。
美鈴が居間に戻ると、夫はすでにほろ酔い状態になっている。
「ちょっとパパ。これから上条さん家にお邪魔するんだから、飲みすぎちゃだめじゃない」
「ええ? たまの正月ぐらいいいじゃないか、ママ。美琴ちゃんからも言ってくれよ」
空になったお銚子を、盃の上で逆さに振っている旅掛に、美琴があきれたように言う。
「パパ、それぐらいにしておいたら? どうせ当麻の家に行ったら刀夜さんとも飲むんでしょ?」
「そうそう、酔いつぶれて困るのはこっちなんだからね、パパ」
そう言いながら美鈴は、彼の手からお銚子を取り上げる。
折角の興を削がれて、残念な顔をする旅掛だったが、傍らの振袖姿の娘に目をやると、しみじみと言った。
「蝶よ花よと育てたのに、もう他所の男のものになるんだよなあ」
珍しく夫が漏らした愚痴に、美鈴はクスッと笑う。
「なによ、寂しくなったの?」
「ん? まあ大切な娘の振袖姿も、今年で最後かと思うとな」
「それはそうよね。ママも美琴ちゃんを弄るネタがなくなって寂しくなるわ」
その会話の意味を知る娘、美琴の顔に、申し訳なさが浮かんだように見えた美鈴は、娘に向かって微笑んだ。
「そんなことより美琴ちゃん。早く当麻くんにその姿、見せてあげなくていいの?」
「あっ!?」
一番大切なことを忘れていたという顔をする娘が、椅子から立ち上がると、どたばたと玄関へ走っていく。
「あーあー、折角の大和撫子が台無しだわ、あれじゃ」
「後から行くから、当麻くんや刀夜さんたちによろしく言っといてくれ」
はーいと背中で返事を返す美琴の後姿は、これから恋人に会いに行く女の子の幸せそうな背中に変わっている。
旅掛と美鈴は、そんな娘を見ながら、かつて歩んできた自分たちの姿を重ね合わせていた。
「パパ。娘を取られた気分はいかが?」
「ん? どうだろうな。君のお義父さんとはさんざんやりあって、俺は娘の結婚に絶対反対はしないと決めてたんだがね」
「それで自分が同じ立場になって、どうだった?」
「まあ、多少はお義父さんの気持ちが実感できたかな。それでも俺は、自分が決めたことは最後まで守り通すつもりだよ?」
そんな夫の言葉をかみ締めるように、美鈴はしみじみと言った。
「まあ、男親にしてみれば、自業自得みたいなものだしね」
「ん?」
酔いが抜けきらないまま、赤い顔の旅掛が不思議そうな顔をする。
「私を父さんから奪ってきたんだから、あなたも当麻くんに美琴ちゃんを奪われるのよ」
「そうかな? お義父さんにしてみれば、奪ったかもしれないが、俺は違うぞ」
「どう違うのよ?」
美鈴がわからない、といった顔をした。
旅掛はそんな妻に、
「当麻くんに足りないものを、示しただけだがね?」
まるでいたずらっ子のような顔をする夫に、美鈴は吹き出した。
「あなたはやっぱり、最後まで負けず嫌いだわ。美琴ちゃんとそっくりね」
「――美琴ちゃんとそっくりなんじゃない。美琴ちゃんがそっくりなんだ」
そう言って、彼は妻にウインクを投げかけた。
気持ちが落ち着いてみれば、自分たちの心の中に、ぽっかりと空洞が空いたような気もしている。
娘を嫁にやると寂しくなる、というのは、なによりも愛情を注ぐ相手が減ることが、一番の原因なのかも知れない。
そんなことを感じた美鈴は、思わずぽつりと呟いていた。
「ねえ、あなた。もう一人子供を生んでおいたほうがよかったかしら?」
美鈴の言葉に、旅掛はしばらく黙ったままでいた。酔いも手伝ってか、彼はちょっと気持ちが大きくなっている自分に気が付かない。
自分は世界中を廻って、足りないものを示すコンサルタントだ。
旅掛は、自分の妻に足りないものはなんだろう、と酔っ払った頭で考える。
以前からずっと妻に隠していたことを、今なら打ち明けてみてもいいかもしれない、と思う。
彼女はきっと驚くか、おそらく最初は大激怒するかもしれないが、それでも最後は自分の提案を受け入れることは間違いないだろうと感じていた。
そういう愛情たっぷりの女性だからこそ、自分は惚れて、妻にしたのだから。
「なあ、美鈴。……一万人の娘がいたら、素敵だとは思わないか?」
唖然とした妻の顔を、彼はしてやったりという表情で眺めていた。もちろん半ば冗談めかして、言ったつもりだ。
だが酔っ払いの頭脳は、肝心のことを見落としていることに気が付かない。
「そのうちの一人は、今は中学三年生のはずだよ。あの頃の美琴ちゃんとそっくりだから、これから毎年、元旦に振袖を着せる楽しみがあるってもんだ」
普通に考えて、一万人の娘なんてあるはずがないと彼は思う。浮気をするにしたって、一万人の娘を作るなんてありえないことだから。
旅掛は、久しぶりの我が家で迎える正月に、つい気が緩んでしまっていた。
彼の誤算は、仕事の忙しさにかまけて、なかなか妻の相手をしてやれないことで、彼女が欲求不満気味だったこと。
自分が思っている以上に、妻が自分のことを愛していることと、美琴の母親だけあって、実はかなり一途な女であることだ。
そのことに気が付いたときはすでに手遅れで、浮気をしたと勘違いした美鈴に泣かれ、彼女に足りなかった愛情を、身体で示す羽目になってしまったのだった。
~~ THE END ~~