痛くても大丈夫
寒い冬が終わり、暖かさに釣られて硬いサクラの蕾もほころび始める季節。
学校からの帰り道。御坂美琴は猛烈な腹痛に襲われていた。
「(うー、痛い。いや、痛いのはいつものことなんだけど、さすがに今回はいつもより痛いかもしんない……)」
少々訂正が必要だった。今彼女が感じている痛みは、正確に言えば腹痛ではない。
月のモノ、女の子の日など、人それぞれによって多様な表現方法があるが、医学的に言うと月経、分かりやすく言うと生理というやつである。
女性である以上は、約月1回の周期でこれが訪れるのだが、今まさしく美琴にこれが訪れていた。
そして美琴はこのときに併発する痛み、生理痛がかなり重い部類に入っていた。
痛む期間は長くないものの痛みは強烈で、生理痛によって寝込むことはしょっちゅうだったりする。
そして今、美琴はその強烈な生理痛に襲われながらも常盤台学生寮を目指して歩いていた。
だが今回は普段よりも一層痛みが強く、立っているのすらしんどくなってきていた。
「(あー……頭痛までするのは久々かも……)」
ズキズキと血管が激しく脈動しているような、そんな痛みが美琴のこめかみを中心に広がってゆく。
暖かくなり始めたとはいえ日が陰れば一気に冷え込むし、風はまだまだ冷たい。
そんな中にいるにもかかわらず、美琴の額には汗が浮かぶ。
「(黒子に、迎えに来てもらおうかな…?)」
自分を慕う後輩にSOSを訴えようと携帯電話を取り出す。
生理痛ごときで呼び出すのもかわいそうかと思ったが、今回ばかりはちゃんと寮にたどり着けるかもあやしい。
携帯電話のカーソルを、美琴の後輩である白井黒子の電話番号へと合わせる。
そして発信ボタンを押そうとした瞬間、美琴は強烈なめまいに襲われた。
両足を踏ん張ってなんとか踏みとどまろうとするが、強い頭痛と目の奥がフラッシュを焚いたようにチカチカするせいで平衡感覚を失ってしまう。
「っ……ぁ……」
足がもつれるままに美琴の体は傾き、そのまま地面と衝突せんと倒れこんでいく。
ぶつかると思いながらも何も出来ずに、美琴は目を瞑って襲い来る衝撃にそなえた。
しかし美琴の体が受け止めた衝撃は硬い地面の感触ではなく、暖かくも柔らかい何かだった。
「(……あ…れ…?)」
そしてその何かは美琴の体を力強く抱え込む。
「――、――――! ――――、―――――! ――!!」
同時に何か慌てたような声が聞こえるが、今の美琴にはその声の主が誰なのかも、何を言っているのかも理解できなかった。
ただ、自分の体をしっかりと支えてくれている何から伝わってくる温もりが心地よくて、安心できて。
「(なんか、もう…いいや)」
痛みは治まらないどころかさらに強くなり、意識を保つことも難しくなってきていた。
この痛みに逆らって意識を保たせることがバカらしくなった美琴は、痛みに流されるままに意識を手放すことにした。
額を覆うヒヤリとした温度。頭の下にある柔らかい感触。全身に篭る温かさ。
そして優しく前髪を梳かれる感覚に、美琴の意識は唐突に浮上した。浮上する意識そのままに美琴は目を開く。
「お、気が付いたか?」
美琴の目に映ったのは、視界一杯の想い人の姿。すなわち、上条当麻。
「ふぎゃあああああああ!!!!!」
「うぎゃあああああああ!!!!!」
そのあまりのサプライズに、思わず美琴は絶叫した。
それにつられて上条も大きな叫び声を上げた。もっとも、上条が叫んだ原因は美琴が無意識の内に漏らした電撃なのだが。
「おまっ! いきなりビリビリすんじゃねえ! 上条さんは一応倒れたお前を介抱してやった恩人なんですよ!?」
この仕打ちはあんまりじゃねーか! という声と共にパキン、といつもの電撃を打ち消される音と感覚。
しかし今回はどうも打消しがワンテンポ遅れたらしく、上条は涙目な上に若干煙を噴いている。少しだけ美琴の電撃を食らってしまったようだ。
「わ、悪かったわよ! でも! アンタがいきなり近くにいたからっ!?」
勢いに釣られて起き上がった美琴。そのまま謝罪と言い訳をしようと口を開いていたら、再びめまいに襲われて言葉が途切れてしまう。
「おい! お前倒れたって言っただろ! 起きたばっかなんだから暴れないで大人しくしとけって!」
ふらりと上半身をふらつかせた美琴を見た上条は、慌てて美琴を支えようと両手を添えるが、その両手はちょうど彼女の胸を包み込んでしまった。
「…ん?」
上条は両手のひらで感じた柔らかさに疑問を感じる。
いくら女の子である美琴の体が男の自分より柔らかいものだとしても、これはちょっと柔らかすぎないか? と
その柔らかさの正体を確かめるべく、上条は手に力を入れてそれを握ってみる。否、力を入れたり抜いたりして揉んでみる。
「あっ! ちょ、バカ! やめっ!……んぅ、はあん!」
いきなり上条に胸を揉まれた美琴は急いでそれを止めさせようとした。
しかし体に力が入らない上に、上条の右手に触れられているせいで電撃を生み出せない。
遠慮なくグニグニを胸を揉まれて何か変な気分になってきた美琴は、自分でも思っていないような声を出してしまう。
そして、その声によって上条は己が何をしたのかようやく気付いた。
「あの、御坂さん。これはその、決してやましい気持ちはなかったわけでして…」
気付くと同時に光の速さで両手を離す。
離したついでに双方を頭上へ持って行き、降参のポーズをとって美琴に対する悪意や邪気は無いとアピールしてみる。
だが、乙女の体を弄んだ者に与えられるのはいつだって極刑と相場は決まっている。
「くたばれエロ野郎!!!!」
顔を真っ赤にした美琴の涙ながらの電撃が辺り一帯に炸裂した。
「――んで、たまたま俺が通りかかった時にお前がぶっ倒れたわけだ」
あれから数分。
周辺を黒焦げにした乙女の電撃はヒーローすらもこんがり焼き上げたのだが、このヒーローは体が頑丈なのが売りである。
美琴が無意識ながらも手加減していたのも要因の一つだろうが、上条はものの数分で普通に喋れる程度に回復していた。
その後再び体をふらつかせた美琴を横に寝かせ、上条は美琴が倒れた時のことを話していた。
それによれば、遠目に美琴の姿を見つけて声を掛けようとしたらしい。
だが、明らかに様子がおかしかったが故に急いで駆け寄ったところ、そのまま倒れこんだので、慌てて受け止めたらそのまま気絶してしまった。
なのでとりあえず、とあるお嬢様が蹴飛ばす某自販機のあるこの公園まで運び、意識が戻るまで介抱していてくれていたというわけだ。
なるほど、上条に抱き止められたから痛くなかったのかと美琴は思った。
「(あれ? 抱き止められた? それって…)」
その意味を理解した瞬間、美琴の顔はトマトのように真っ赤になった。
「おわ! 大丈夫か御坂!」
公園に運び込んだ時と同じく、膝枕をして(二回目は美琴にだいぶ抵抗されたが)美琴を介抱していた上条は、いきなり顔を赤くした美琴に驚く。
熱を測ろうと右手を額に近づけた瞬間、パキン! と幻想殺しが能力を打ち消す音がした。
「お前な! こんな時まで漏電するんじゃありません!」
全く! と右手で美琴の額をピタリと覆う上条。
そんな彼を見上げながら美琴は弁明の言葉を探すが、思考が混乱しすぎていて上手く言葉を選べない。あうあうと目を回しかけていたら、
「あー、そっかー」
と何か納得したかのように上条が息をもらした。
「な、なによ! なにがそっかーなのよ!」
「いやさ、よく考えたらお前今体調悪いんだもんなー。体調悪いんなら漏電したって仕方ねえよなーって思って」
悪かったなー、と額にくっつけたままだった右手でぐしゃぐしゃに美琴の髪を撫で回す。
「ちょっ! やめなさいってば! 髪が乱れる!」
首を振って避けようにも上条の膝の上では逃げ場が無く、されるがままに頭を撫で回される。
そうしてすっかり髪がぐしゃぐしゃになる頃、上条はようやく手を止めて呟いた。
「調子が悪い時ぐらい休んだって、罰は当たったりしないぜ?」
その悪い子を叱るような、聞かん坊を諭すような声音をむずがゆく思った美琴は、苦し紛れに反論する。
「…しょうがないじゃない。月に1回は必ずあるんだから。いちいち休んでちゃキリがないわ」
上条は最初、美琴の言葉の意味が分からなかったが、少し考えればすぐに分かった。
「そっか。女の子だもんな」
上条が吐き出したこの言葉に深い意味は無かった。
しかし美琴はドキリとした。だって、自分を女として見ていないんじゃないかと散々疑っていた相手が、その疑問を覆す発言をしたのだから。
そして上条もまた、今になって、己の吐き出した言葉について考えていた。
「(そうだ。御坂も、女の子なんだ……)」
それから。
症状が落ち着いた美琴を常盤台寮まで送り届けて。
連絡もなしに帰りが遅くなったせいで白い同居人からお叱りを受けた後、上条は夕飯の準備をしながら今日の出来事を思い返していた。
「あいつもあんな顔するんだな…」
それは美琴の寝顔についての感想だった。公園に運んで横にした直後は、それはそれは苦しそうな顔だった。
しかしハンカチを濡らして汗を拭ってやり、額に当てて冷やし始めた頃から徐々に苦痛の色は消えていき、起きる直前は穏やかな顔つきになっていた。
その顔は、いつもの勝気なものや凛としたものとは違い、安心しきった様子でへにゃりと頬を緩ませた、なんとも可愛らしいものだった。
「いや~。しかしアレはなかなか可愛かったなぁ…」
あんな可愛い女の子が身近にいたなんて、つい先程まで上条は自覚していなかった。
公園で美琴を介抱していた時に呟いた自分の言葉。その言葉が自分に浸透した時、上条は自分の鼓動が早く、強くなるのを感じた。
もしかすると、この感覚は、この感情が……