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2007年4月から同年9月にかけてテレビ神奈川・関西テレビ他で放送されたサンライズ制作の巨大ロボットアニメ。全26話でのちにDVD化された。
ナムコのアーケードゲーム『アイドルマスター』を原作としておりメディアミックス企画“PROJECT IM@S”の一環として制作された。
原作とは大きくかけ離れた設定であるが、スター・システムを採用している為設定は異なるが原作のアイドル達が登場する。
純粋に巨大ロボットアニメとして観た場合そこそこの面白さは在りメディアミックス展開などもそこそこやっていた。ファンの中には『スーパーロボット大戦』への参戦を希望する者も居たが、2015年12月にモバイルゲーム版にてそれが叶う事となった。
が、設定の違いや登場人物の扱いなどが原因(*1)で殆どの原作ファンがそっぽを向いてしまい、公式からも殆ど無かった事にされた(*2)挙句原作で天海春香を演じていた中村繪里子からも「(『XENOGLOSSIA』の)春香が自分じゃなくてよかったと思うようになった」など苦言とも取れる発言をされた結果黒歴史となった。
また、『月刊コンプエース』にて漫画版が凡そ1年連載されたが1巻以降は何故か単行本化されなかった。作画の黒崎まいりは自身の公式サイトで「(1巻以降は)単行本化の予定はない」と語っている。何があったのか?
因みに公式は本作を「ゼノグラシア」と言っているが、正しくは「ゼノグ“ロッ”シア」である。意味も「妖精」だとか「超自然的な存在の言葉を理解する巫女を指すもの」だとか説明してるが、正しくは真性異言(しんせいいげん)(*3)を意味する。要するに作品内容と全く関係の無い単語である。
公式は色んな意味でもっと勉強した方が良い。
かつてテレビ東京系列で毎週火曜夕方に放送されていたPCエンジン情報番組。1989年4月放送開始。
主な番組の構造としては、番組キャストが様々な企画に挑戦するバラエティパートとPCエンジン関連の紹介などを行うゲーム情報パートの二つに分けられる。
しかし、ゲームと無関係なバラエティに時間を大きく割いており肝心のゲーム部分のコーナーがほとんどおまけレベルであった。そういった内容だった為かゲームのアピールをして欲しかったスポンサー側にとっては大変不評だったらしく、1992年3月に惜しまれつつも打ち切り終了となった。
番組そのものの人気は当時の同時間帯のTV番組の中でも大分健闘していた方で、番組黄金期には全国視聴率10%超えが当たり前だった事がある程。
当時のTV視聴者からは「PCエンジンは全く知らないがこの番組の存在は記憶に残っている」という者も少なくなく、ゲーム番組としては微妙でバラエティ番組としては非常に優秀という複雑な評価を得ていた。
なお本番組終了後にもいくつかのPCエンジン系番組が放送されたが、番組内容が微妙だった事とPCエンジン自体の勢いに陰りが見えはじめていた事もあり、どれも短命に終わっている。
因みに以降の番組の変遷は「聖PCハイスクール」(2クールで終了)→「そのまんま東のバーチャル情報局」(約3クール)→「そのまんま東のバーチャルZ」(1クール)である。
2016年10月2日から約1年間テレビ朝日系列にて放送された特撮ドラマ。及び作中で主人公が変身するヒーローの名称。
最早説明不要の、石ノ森章太郎原作の日本で最も有名なヒーロー番組の一つ『仮面ライダー』シリーズの28作目にして同シリーズ生誕45周年記念作品。
言うまでも無く元々仮面ライダーは主に昆虫がモチーフのヒーローである。『仮面ライダー龍騎』以降は何故かへんてこな仮面ライダーにされる事が多いが今回遂にゲームをモチーフにしてしまった。実際「前々作では不採用になった」との事で今回の企画にもスタッフ等からの反対意見が多かったらしく、主人公のエグゼイドが公表された時はユーザーの間で賛否両論となるなど公式内外で物議を醸している。
ヒーローや怪人のデザインなどあらゆる所にゲームの要素が採り入れられている。基本登場するゲームは架空の物だが、特別編では『パックマン』『ファミリースタジアム』『ゼビウス』などバンダイナムコの実在のゲームも登場した。
テレビ東京で放送されていたゲーム紹介番組。1998年4月~2002年9月に放送。
『ファミ通』と提携しており、伊集院光が司会を担当。テレビゲームを題材にしたバラエティ番組となっている。
しかし「深夜帯の時間」と言う事もあってか、番組中期以降の企画やゲストとのゲーム対戦の罰ゲームが「遊んでいるTVゲームのメモリーカードデータを消去」「携帯電話をトラックや爆弾でぶっ壊す」などの過激なものが入り、人によっては「浜さん・光のちょっといい話」「ファミ通 News Express」「今週の人気ゲームトップ10」以外は抜かしている人もいた。
勿論、伊集院もその被害者でもある。
同じくテレビ東京で放送されていたゲーム紹介番組。1994年4月~1999年9月に放送。元々は「ファミッ子大作戦」(1986年5月~1988年3月)から始まり「ファミッ子大集合」(1988年4月~1991年3月)→「Theゲームパワー」(1991年4月~1994年3月)からゲーム王国になり、以後も「ゲームEX」(1999年10月~2003年9月)→「GAME JOCKEY」(2003年10月~2005年6月)→「GAME JOCKEY2」(2005年7月~2007年6月、本作のみBSジャパンで放送)まで続いた。
司会は江戸屋子猫(現四代目猫八)と林家いっ平(現二代目三平)。しかしいっ平はともかく子猫は紹介されるゲームに関しても全く興味がない表情を見せるなどゲーム番組の司会としてはあるまじき行動をしていた(そもそも子供向けの番組なのに落語家が司会とはこれいかに)。
紹介されるゲームはカルチャーブレーンを筆頭にアクレイム、ケムコ、コナミ、バンダイ、バンプレストなどサードの中でもマイナー企業が多く、SFC全盛期の任天堂や『ドラゴンクエスト』のエニックス、『ファイナルファンタジー』のスクウェアなどは全く触れられていなかった(*4)。ただ、任天堂にはマリオクラブがあるため如何ともし難いかも知れないが…。
登場したゲームもメジャー級ではなく玄人好みのマイナー系(エコーナイト、ロストチルドレン、エイブ・ア・ゴーゴー等)。それをコスプレ姿で必死にアピールする担当者を内心面白いと思いつつ冷ややかな目で見た子供も多かっただろう。
番組終盤には『SD飛龍の拳』などを使った視聴者による対戦が行われていたが賞品が勝てば当時普及しきっていたSFC本体→PCエンジンDuo→プレイディア。負ければ使ったソフトというかなり微妙なセレクトだった。また視聴者プレゼントにダイヤモンドネックレスなど対象年齢を誤った賞品が多かった。
こちらも爆弾級クソゲーはさすがにないがカルチャーブレーンファンならば絶対に覚えておきたい番組ではある。
テレビ朝日で放送していたゲーム紹介番組。『ファミ通』との提携番組。1994年4月~1998年3月に放送。
初代司会者は今田耕司・東野幸治、2代目司会者は伊集院光。
深夜に放送していたが、途中でテレビ局変更により『ゲームwave』へと移行する。
CS放送のフジテレビTWOにて2週間に1回(リピート放送有)されている番組。2003年11月放送開始。2012年4月分(第16シーズン)よりフジテレビONEにチャンネルが移行する。過去に放送されたのはまとめてフジテレビNEXTで放送されることもある。またバーチャルコンソールや新作の宣伝としてみんなのニンテンドーチャンネルに出張版が存在する。メイン出演者はよゐこの有野晋哉。番組中では「有野課長」(初期は「主任」→「課長代理」)と呼ばれ、常に作業着を着ている。
当初はレトロゲームや地元のゲームセンターの紹介、ゲームクリエイターなどへのインタビューなどを中心とした構成であったが、メインコーナー「有野の挑戦」でスタッフの力を借りながら難関レトロゲームをクリアする姿が人気を博し、第3シーズンからは「有野の挑戦」が番組の中心となっていった。
「挑戦」で扱うタイトルはファミコン・スーファミ・PCエンジン・メガドライブなどのいわゆる「レトロゲーム」を中心としているが、PSやN64のタイトルが選ばれたこともある(*5)。近年は「レトロ」の定義が広がってきたのか、PSやSSのソフトをプレイすることも増えてきた。
その種類は誰でも知っているメジャーなゲームから隠れた名作、マニアックな作品、コアなバカゲー、伝説のクソゲーと多岐にわたり、本Wikiや姉妹Wikiに載る作品も多数登場している。ちなみに、番組最初の挑戦タイトルは『たけしの挑戦状』だった。
挑戦のルールとして朝からゲームを新規にスタートし、深夜になるまでにエンディングを見る(および指定された条件を満たす)ことにより成功となる。それまでひたすらにゲームをする。到達出来なかった場合は失敗となるが、稀に持ち越し後日再挑戦となる。挑戦失敗となった場合には番組のADが引き続きプレイし日が変わろうが次の朝が来ようがエンディングまでやらされる羽目になる。
それまでバカキャラと『めちゃイケ』『黄金伝説』などの活躍で脚光を浴びていた相方の陰にずっと隠れていた有野が名声を高めるきっかけとなった番組であり、有野ファンにとってもクソゲーファンにとっても意義がある番組である。また、「たまに行くならこんなゲームセンター」(通称:たまゲー)では貴重な筺体やエレメカが登場することも多く、そちらのファンにも人気があるようである。
他にも、24時間生放送を敢行したりと変に気合いが入っているのも特徴。
後にバンナムからDSで有野がゲーム立案を務めた『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』が発売。更に1作目が好評だったために『2』も作られた。どちらとも評価が高い。
テレビ東京で毎週木曜夕方に放送されていた任天堂1社提供の番組。司会は俳優の渡辺徹と歌手の本田理沙であったが、その後女性司会者は加藤紀子→須藤温子→こずえ鈴と交代、番組名も「スーパーマリオクラブ」(1990年10月~1993年9月)→「スーパーマリオスタジアム」(1993年10月~1996年6月)→「64マリオスタジアム」(1996年7月~2000年9月)→「マリオスクール」(2000年10月~2001年3月)と変わっていった。1990年から2001年までの11年の長きにわたって続いていたため、子供時代に見ていた人も多いのではないだろうか。
爆笑問題、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)、バカルディ(現・さまぁ~ず)など当時売り出し中のお笑いコンビを始めとする芸能人が多数ゲスト出演しており、「マリオスクール」時代には、まだ子役であった声優の平野綾が「マリオバディ」(マリオスクールに通う生徒)の1人「アヤ」として出演していた。ニコニコ動画的には強烈なインパクトを残した前嶋崇之君が有名だろうか。
また、現在はニコニコ動画の「ニコニコチャンネルGTV」のMCで、「大竹まことのただいま!PCランド」のレギュラーであった渡辺浩弐が「スーパーマリオクラブ」から「64マリオスタジアム」までコメンテーター兼スタッフで参加。同じく「ニコニコチャンネルGTV」に出演しているジャンクハンター吉田が、「ドンキー吉田」の名でマリオスクール時代に出演していた。
番組開始当時はファミリーコンピュータ後期であったが、勢いがまだ続いていたこともありファミコン関係の宣伝も少なくなかった。その後スーパーファミコンとゲームボーイが発売されてからはSFCとGBの内容を多く占めるようになり、今までのゲームになかったSFCの新しいゲーム表現がテレビに流れ心躍らせた子供は数知れない。特に勝ち抜き王者決定戦やゲストコーナーでは「ドクターマリオ」「スーパーマリオカート」「ドンキーコング」のプレイ実況で見た当時の視聴者の子供たちが感化し、ソフトを親にねだったり、買った者も少なくないだろう。それだけ宣伝効果があり、任天堂一強時代を象徴する番組と言える。
ちなみに、最後の「マリオスクール」は半年間という異例の早さで終了(それまでは約3年は続いていた)。この終了の背景は長年視聴者の間で謎とされていたが、ジャンクハンター吉田本人の証言によって視聴率低下による打ち切りであったことが明らかにされた。(ソース)
当時は64末期であり、時代は既にプレイステーションが主導になっていた時代である。番組もその当時のWHF(ワールドホビーフェア)もGCが登場するまでネタ切れ感が半端ないぐらいヤバかったのでぶっちゃけ謎も何もないのだが(扱えるのが『ミッキーのレーシングチャレンジUSA』ぐらいしかないという冗談じゃ済まないネタ切れ状態、しかもそれすら旬を過ぎていたわけで、当然視聴率も落ちる)。
その後、2010年のクリスマスに突然の復活。司会はもちろん渡辺・加藤コンビでアリキリなどの常連芸人も出演。平野綾もビテオレターで出演し、SFC・64時代から進化したWiiのゲームで対戦した。
テレビ朝日で放送されている音楽番組で、1964年8月放送開始の長寿番組である。普段はゲームと縁の薄い番組だが、『ドラゴンクエストⅢ』(FC)全盛期に題材としてこれを扱った際、当時の司会の故・黛敏郎氏が「こんなものは音楽と認めない」「無機質な音源」と発言、某誌では読者の苦情の投稿も採用された。
その後、2010年8月28日にまさかの「ゲーム音楽特集」が組まれ『マリオ』『ドラクエ』『ファイナルファンタジー』といった有名どころをピックアップ。テレビ朝日の厚顔無恥ぶり態度の柔軟さを見せた。
この放送ではすぎやまこういち・植松伸夫両氏(*6)のほか、ゲーム好きで知られ『大乱闘スマッシュブラザーズX』に参加した声楽家・錦織健氏が出演、「今は大人買いが出来るようになった」「『スマブラX』は自分のCD、6万枚を越えて最も売れた曲!」「『ファイナルファンタジー』のタイトルコールの時にかなり力が入っていた」とコメント。同じく『スマブラX』に参加した声楽家・高橋織子氏もTV初出演となった(*7)。
最後はかつて同番組が物議をかもした『ドラクエⅢ』の「そして伝説へ…」がすぎやまこういち氏の指揮で演奏された。
また翌2011年の10月9日のすぎやまこういち特集では、DQシリーズより「序曲」「魔王との対決」「この道わが道」が演奏された。
2015年11月22日には「ゲーム音楽史」特集を組んでおり、ゲーム音楽はすっかり定期企画の1つと化している。
テレビ東京で放送されていたゲーム紹介番組。『Vジャンプ』との提携番組。1993年5月~1994年3月に放送。
子役三人とCGキャラクターの暗黒大魔王マシリト、ブイブイがメインに番組を進める。
ゲーム内容もエニックスやスクウェア作品に関しては抜群に豊富であるが、『ロマンシング サ・ガ』の開発者インタビュー時にはバックにラスボスのゲーム画像を起用していた。
裏番組がかの国民的アニメ『サザエさん』だったことからわずか一年で番組は終了した。
2008年11月9日にmondo21で放送された、タイトル通りクソゲーを紹介する単発番組。その後、2009年11月~2010年4月に「新・伝説のクソゲー大決戦」としてレギュラー放送された。
自称ゲーマー芸人達が二組登場し、クソゲーを紹介しその回のクソゲーチャンピオンを決定すると言う内容。
しかし肝心の芸人達が若手という言い訳が出来ないほどトークが下手で、随所で挟むギャグも寒い場合が多い。
更に、肝心の紹介クソゲーも『シャドウゲイト』『10ヤードファイト』『レリクス 暗黒要塞』『アスピック』と一貫性が全く無い。
クソゲーと分類されないようなゲームにも難癖つけて紹介し、その寒々しいトークで強引に笑わせようとしている。
とは言う物の、からすべりしたその雰囲気はこの番組に限らずmondo21の番組全てに言える事なので、知らない人が見て「このゲームはクソゲーなのか」と言う誤解を受ける心配は無い。
視聴者は「クソゲーや微妙、鬱ゲーをmondo21が紹介したらどうなるのか」と言う観点で見ている。
有料アニメチャンネルAT-Xで2010年5月から3ヶ月おきに放送されている番組。声優の杉田智和と中村悠一がMCを勤める。
番組内容は二人がゲストと一緒に1つのテレビでゲームをするというシンプルなもので、マンションの一室で非常に淡々と進行していく。
しかし、あくまでもゲームをするだけであって、クリアしようという気はまったくなく、とりあえず触って遊ぶという、ゲーム紹介要素が強い。
最大の特徴は二人とゲストの声優暴露トークと、かなりのマニアックな内容の会話。
会話内容は歴代『キングオブファイターズ』『ゾンビリベンジ』『くにおくん』シリーズや『レフトフォーデッド』と幅広く、視聴者に一定のゲーム知識を求める。
なお、二人の会話内容はかなりはっちゃけており、杉田智和と中村悠一にある種のアイドル的幻想を持っている場合は、それが悉く打ち砕かれる。
フジテレビで放送していた、芸能人のトーク番組。
たまにゲームの話をする芸能人もいるが、大抵は「『どうぶつの森』にはまっています」などのライトユーザーが多い。
だが稀にコアなゲームファンも登場するので、侮れない番組でもある。
2009年に発売された、クソゲーを紹介するというコンセプトのDVD。
出演者は杏野はるなとそのマネージャー、スピードワゴンの小沢一敬、井戸田潤の2人の計4人。紹介ソフトは『スクーン』『エスパ冒険隊』『パンツァーフロントB型』『激突!四駆バトル』『バトル昆虫伝』『バイオ戦士DAN インクリーザーとの戦い』の計6本である。
しかし、メーカーに配慮しているためかはっきりとした文句はなく、プレイは1面クリアだけだったり戦車を数台壊して終わりなどのお粗末なものである。
唯一エンディングまで攻略したエスパ冒険隊は最初スピードワゴンが少しやって1度クリアしたことのある杏野がレベルMAXのパスワードを使って進めるだけである。
トーク内容はだらだらと喋っているだけで編集もほとんどなし。特にスピードワゴンは両名とも明らかに投げやりで、ゲーム自体に興味なさげ。特典映像の「杏野はるなが見せるエンディング!」では杏野は声すら出てこず、単にエンディングを流すだけである。
肝心のソフトのチョイス自体おかしく、そもそも一般的に「クソゲー」扱いされていないソフトまで混じっている。統一性もなく、このDVDにおいて「クソゲー」とは何を指しているのか不明。
テレビゲームを題材としたいちDVDとしても酷い出来で、Amazonレビューなどでは「このDVD自体がクソ」と言われている始末である。
米日にて1993年に公開された、ハリウッドによって実写化されたスーパーマリオの映画。
クッパを演じたのがあのデニス・ホッパーだったりと、恐ろしく豪華なキャストで構成されているあたり、いかにマリオが人気だったのかが伺える。製作費は50億円。
ヒロインは『スーパーマリオランド』で知られるデイジーで、なんと映画の序盤でタマゴから産まれるなど、良くも悪くも清々しい位の原作無視っぷりが特徴。
ピーチ姫が登場しないことに違和感を持つ人が多いと思われるが、海外ではピーチという言葉にはあまりよくない意味合いがあったため、映画公開当時はピーチ姫はピーチという名前ではなかった。そもそもデイジーはそのことを考えてヒロインとして生まれたキャラクターである。
マリオの職業・配管工の設定が大いに活かされていたり、舞台がブルックリンだったり、クッパが恐竜だったり、ヨッシーがリアルな恐竜だったり、ボム爆弾(ボムへい)で大騒ぎしたり、工具は配管工の命だったり、ルイージの本名が「ルイージ=マリオ」だったり・・・。突っ込みどころ満載である。
意外なことに、任天堂は今作を無かったことにしていない。ニンテンドードリームでも紹介されることがあり、完全に無きものとはされていないようだ。それだけでなく、生みの親である宮本茂氏も好意的なコメントを残している。
ちなみに映画公開当初は、SFCの周辺機器「スーパースコープ」が発売された時期でもあり、劇中でもマリオとルイージがスーパースコープを使用するシーンがある(CMでもそのシーンが登場していた)。
マリオシリーズとしてみると違和感があるかもしれないが、一作品としては十分楽しめる映画であるので一度視聴してみてほしい。
因みに主演俳優のボブ・ホスキンスは2014年4月29日に急性肺炎で亡くなっておりもうこの世に居ない。生前マリオを演じた事については「忌々しい悪夢である」とガーディアン紙のインタビューに答えている
+ | 海外での一評価 |
2001年に公開されたCGアニメ映画。総監督を坂口博信、アニメーションスーパーバイザーをアニメ界の大御所・金田伊功、キャラクターデザインを『ガンダムW』『ファイナルファンタジーⅨ』などで知られる村瀬修功、主題歌をL'Arc~en~Cielが担当という豪華スタッフで製作されたのだが……スクウェアを傾けた、ギネスクラスの大赤字(*11)をたたき出した問題作である。
後のエニックスとの合併はこの映画の大コケが原因である…なんてことが実しやかに囁かれる(実際にはあまり関係ないのだが)ほどの大コケっぷりで、スクウェア側からしてみれば最大の黒歴史だろう。
こけた理由としては当時圧倒的に人気だった『ハリー・ポッターと賢者の石』と『千と千尋の神隠し』に人が流れた…わけではなく、先行公開された海外での評価が酷すぎたことなどがあげられる。
宣伝は読売グループ独占で行ったが読売グループは前者の監督と深い縁があるためそればかり宣伝していた。
映画としては「普通のどうでもいい(駄)作品。」程度である。だが『ファイナルファンタジー』のビッグネームを掲げ、坂口氏が主導になって携わっており、そのため映画をあまり見ない層の『FF』ファンからも注目された挙句の評価だというのは留意していただきたい。
余談だが、このすさまじい赤字により当時放送していたテレビアニメ『FF:U ~ファイナルファンタジー:アンリミテッド~』は当初4クール予定であったものが急遽打ち切られてしまう事態が発生。『FF:U』は当時それなりの人気があり、ファンは無念の涙を流した。スタッフも納得できなかったのかドラマCDや小説で最後までストーリーの補完を試みたものの努力も空しく完結に至ることはなかった。また『ゼノギアス』のDISC2のほとんどがイベントシーンになってしまったのは開発スタッフが映画の製作に回されてしまったからだという逸話も存在している。それだけスクウェアのこの赤字は多大な影響を及ぼしたのである。
「デジキューブが倒産したのもこの影響だ」と言われたりするが、これとはあまり関係がなくむしろ合併による影響の方が大きい。
「最も愛された『ファイナルファンタジー』!」とも言われる『ファイナルファンタジーⅦ』の続編。ゲームではないが「フルCGアニメ」と言う事で発売当初はそれなりに好評だったが、スクウェアエニックスお得意の完全版商法を今作でもやってしまった為結果的に賛否両論となった。
因みにテレビ番組『情報7daysニュースキャスター』の「たけしの三面記事新聞」と言うコーナーでビートたけしが失敗作として紹介した。
1995年10月からTBS系ラジオで放送中の深夜番組。「中二病」という言葉はこの番組から生まれた。
ゲーム好きの伊集院光らしく、よくゲームに関連した話題が出ている。
かつてTBS系のAMラジオ局で放送されていた、ナムコ一社提供によるラジオ番組。1981年4月~1996年6月に放送。
ただし、制作は独自の会社で行っていたため、系列外でも放送されていた地域がある。
番組の合間に入るCMは、基本的にこの番組でしか聴けないナムコのゲームのラジオCMが流れた。特にアーケードゲームのCMは規制で放送出来ないだけに、非常に珍しいものであった。
パーソナリティは初代が大橋照子、2代目は斉藤洋美、3代目は大原のりえ。構成作家はラジオ番組「欽ちゃんのドーンといってみよう!」などでハガキ職人の地位を築いた鶴間政行。
初代と2代目は「ラジオたんぱ」のヤロメロ3人娘の2人である(もう一人は小森まなみ)。「娘」と言っても番組開始時に既に大橋照子は30代であり、「歳」「オバサン」と散々リスナーのネタにされた。
略称はもちろんラジアメ、の他にもなぜかアメラジというのも。またDJ時代で区別するため「照アメ」「洋アメ」とも言われた。
当時は深夜番組=下ネタが多いという中ほとんど用いられず「深夜番組なのに健全」というよくわからないレッテルを貼られてしまった。故に学校の教師でも聞いていると言う事態が発生し明らかにネタ作りのためにテストで変な問題を作成するという者まで現れた。
ちなみに国のアメリカとは全く無関係なのに何故こんな番組名なのかというと、企画会議でネーミングが難航し、休憩を入れようと「俺アメリカンのコーヒーを!」と頼んだときにひらめき「中身が薄い番組だからアメリカンにしよう」というのがきっかけである。
このタイトルだけを見た新聞社は番組内容を誤解し、新番組紹介では「アメリカのホットな話題を紹介」と全く違うことが書かれてしまった。
奇遇にも初代DJの旦那さんがアメリカに転勤になり一緒に渡米したため、2代目DJに移行した後一時期アメリカから照子なホットな話題を届ける状態になった。
番組内容は大きく分けて、
本番組がナムコゲームファン以外でも有名になった理由の一つとして、当時機器メンテのために停波していた日曜深夜において「日本で最も遅い時間帯に放送していた」ことにある。さらにその時間帯での発信局がほぼ日本の中心にあたる東海ラジオだったため、
AM波の届きやすさも幸いし「徹夜しててラジオ局をはしごしてたらいつの間にか聞いていた」というリスナーや「野球放送を聞いていたら寝てしまい、DJの甲高い声で目が覚めたらこの番組だった」という人もいたからである。
一時期、インターネットラジオにて一部有料で復活・再放送されていた。
ラジオ関西系で放送されていた、アトラスの名物広報「流星野郎相原」がパーソナリティを努めるラジオ番組。アトラス提供にも関わらず他社ゲームの話題が大半という豪快な番組だった。
番組終了後、氏はアトラスを退社し、業界を転々としていた模様。
さりげなく『ペルソナ2罪』の中で、この番組をパロった「流星野郎のSOUND MAX」なるラジオ放送が公開録音されているイベントが存在した。