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上戸

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上戸 03/04/28

  酒を飲むと感情が極端に爆発する人がいる。

  所謂なになに上戸という人たちで、彼等の生態もなかなか興味深い。しかし何故人によって爆発する感情のタイプが違うのだろうか。似たような性格の二人がいても、泣き上戸と笑い上戸にそれぞれすっぱり分かれることもある。

  こういう疑問は直ぐに解決できないので意識の奥底に沈む。そしてふと思い出してみたときに少し弄繰り回してはまた沈める。それを繰り返しているうちにある日突然すべての辻褄がぴったり合うときがやってくる。

  泣き上戸笑い上戸怒り上戸その他の上戸はこれすべて後天的な学習効果によるものである。つまりこういうことだ。泣き上戸を例に取ってみよう。何かひどく悲しいことがあり、落ち込んでいる。ともすれば涙が溢れそうだ。そんなとき、ふと酒を飲んでみる。自分から飲むか勧められて飲むかはどうでもいい。悲しくて悔しくて泣きそうなとき、お酒を飲んで綺麗さっぱり忘れてしまおうと企てるこの行為、年に二・三度ぐらいなら問題はないだろう。

  ただ、御存知のように酒を飲むと理性が開放され抑えられていた感情が増幅される。悲しいことがある度に飲むと、当然忘れてしまう前に悲しい感情が増幅される。それを爆発させてしまえば後はすっきりするかもしれないが、それを繰り返しているうちに「悲しいから飲む」ではなくて「酒を飲んだら悲しくなる」と、

   体と心が学習してしまうのだ。

  こうなると、別に悲しくなくても酒を飲んだら勝手に悲しくなってしまい、いろいろ思い出すうちにまた泣きが入ってくる。かくしてここに泣き上戸が完成する。笑い上戸も怒り上戸も似た経緯を辿りそのようになる。うれしくて楽しくて仕方がない時にだけ酒を飲んでいると、いつのまにか飲むだけで楽しくなってくるのだ。腹が立ち憤激しているときに鬱憤晴らしの酒を飲んでいると、なんでもなく、ただ飲んでいるだけの時にも、何故か不思議に怒りが込み上げてくる。

  このような心と体の学習効果というものは簡単には拭い去ることができない。だから意識的に「笑い上戸になりたい」と考えるならば「楽しいことがあったときに限って飲む」ことを心掛ければよい。悲しいときだけの自棄酒しか飲まないという人の酔態は見ていて微笑ましくもあるが、毎回同じだと「泣き上戸を学習するより悲しくならない方法を学習せい」とも思うし、何より飽きる。

  もうひとつ、酒を飲むと助平になる者がいる。この属性も男女を問わないのだが、これはアルコールで精神が開放されただけではなくて、酒を飲んだ後に必ず体を開放することを繰り返すうちにいつのまにか「酒=その気になる」と学習してしまうだけなのだ。

 
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