ポリデュークス
出典:ギリシャ神話
カエサル
出典:ローマ人 ガイウス・ユリウス・カエサル(前100年~前44年)
英語読みではジュリアス・シーザー
ロシア読みでツァーリ(ロシアでは直接皇帝の意)。
彼の称号である「インペラトル(軍事の長)」が皇帝の語源となる。
本来は「インペラトル」は将軍を意味しており、これを使用して皇帝を意味したのはカエサルのみである。
後世では皇帝を意味する「カエサル(ツァーリ)」だが、ローマでは皇帝は「アウグストゥス」と言い、「カエサル」は副帝を意味した。
英語読みではジュリアス・シーザー
ロシア読みでツァーリ(ロシアでは直接皇帝の意)。
彼の称号である「インペラトル(軍事の長)」が皇帝の語源となる。
本来は「インペラトル」は将軍を意味しており、これを使用して皇帝を意味したのはカエサルのみである。
後世では皇帝を意味する「カエサル(ツァーリ)」だが、ローマでは皇帝は「アウグストゥス」と言い、「カエサル」は副帝を意味した。
地中海世界の大半を勢力下におさめていた共和制末期のローマに生まれる。
当時のローマはその肥大化した領土の寡頭制共和政治による統治にゆきづまりの兆候が出ていた。
そのために新たな統治形態の模索・構築がカエサルの命題となっていった。
当時のローマはその肥大化した領土の寡頭制共和政治による統治にゆきづまりの兆候が出ていた。
そのために新たな統治形態の模索・構築がカエサルの命題となっていった。
伝統だけはある名門貴族出身のカエサルは、スッラの終生独裁官時代には東方に亡命をしていたが、スッラが死ぬとローマに戻り、市民側の元老院議員という立場をアピール。民衆の支持を強めていった。
また、軍事的才能は強かったが政治力が弱かったポンペイウスを立て、当時の政財界をまとめていたクラッススを仲間に加えた三頭政治を企画してローマ政界を牛耳ることに成功する。
(娘・ユリアは三頭政治の同僚である将軍ポンペイウスの嫁)
また、軍事的才能は強かったが政治力が弱かったポンペイウスを立て、当時の政財界をまとめていたクラッススを仲間に加えた三頭政治を企画してローマ政界を牛耳ることに成功する。
(娘・ユリアは三頭政治の同僚である将軍ポンペイウスの嫁)
その三頭政治はクラッススの死後、元老院の担ぐポンペイウスとの対立によって崩壊。
ガリア遠征からの帰途にあったカエサルは「賽は投げられた」の名言を吐いてローマに武力侵攻し、激戦の果てギリシアのファルサロスにてポンペイウスを打倒。
ローマの実質的支配者となる。
ガリア遠征からの帰途にあったカエサルは「賽は投げられた」の名言を吐いてローマに武力侵攻し、激戦の果てギリシアのファルサロスにてポンペイウスを打倒。
ローマの実質的支配者となる。
その後は、エジプトで暗殺されたポンペイウスの残党を討つべく各地を転戦。
有名なクレオパトラⅦ世とのロマンスや「来た、見た、勝った」の言葉はこの時期のもの。
最終的にスペインでの決戦に勝利し、内乱を収拾して地中海世界の覇権を握る。
有名なクレオパトラⅦ世とのロマンスや「来た、見た、勝った」の言葉はこの時期のもの。
最終的にスペインでの決戦に勝利し、内乱を収拾して地中海世界の覇権を握る。
凱旋後のローマにて終身独裁官(その実態は皇帝にひとしい)に就任。
地中海世界を有機的に結合させた『ローマという理念』による『世界帝国』の構想を、単独支配によって実現しようとする。
地中海世界を有機的に結合させた『ローマという理念』による『世界帝国』の構想を、単独支配によって実現しようとする。
だがその志なかば、共和制原理主義者・ブルートゥス一味のテロによって暗殺されてしまう。
時に紀元前44年3月15日。
伝統的に独裁者や専制君主を嫌うローマ人の、過激な若者達の激発であった。
時に紀元前44年3月15日。
伝統的に独裁者や専制君主を嫌うローマ人の、過激な若者達の激発であった。
公的には生涯四度婚約し、三度結婚した。
だが「ローマの愛人」と呼ばれるほど女好きで有名。
ローマの貴婦人でカエサルの寵愛をまぬがれるものはいない、とさえ言われた。
因みに若い頃は大変なおしゃれの美男子で同性愛の噂すらあったが、中年以降は禿げ上がった額に悩み、栄誉の月桂冠を常用する権利を贈られた事を喜んでいたらしい。
だが「ローマの愛人」と呼ばれるほど女好きで有名。
ローマの貴婦人でカエサルの寵愛をまぬがれるものはいない、とさえ言われた。
因みに若い頃は大変なおしゃれの美男子で同性愛の噂すらあったが、中年以降は禿げ上がった額に悩み、栄誉の月桂冠を常用する権利を贈られた事を喜んでいたらしい。
「ローマの借金王」と呼ばれ私兵団の維持には多額の借金を抱えていたが、借金の天才でもあった。よく借りる人でもあったがよく散じる人でもあり、それらの金銭は結局兵士(給金や土地)や民衆(見世物や食糧配給)、政治資金としてばら撒かれた。物心両面で人の心を捉える才能に大変に優れていた。
戦陣にあっても兵士と生活を共にし、最良の兵士として陣頭に立つ事もしばしばであった。
指揮官としての軍事的才能も、ガリア征服やその後の内戦での勝利をもっておして知るべし。
さらに飴と鞭、硬軟自在の柔軟な外交手腕ももちあわせ、手ひどい略奪や虐殺をも必要に応じて厭わなかった。
指揮官としての軍事的才能も、ガリア征服やその後の内戦での勝利をもっておして知るべし。
さらに飴と鞭、硬軟自在の柔軟な外交手腕ももちあわせ、手ひどい略奪や虐殺をも必要に応じて厭わなかった。
カエサルの死後、ローマはその後釜をめぐって混乱するが、カエサルが遺言状に養子・後継者として指名していたオクタヴィアヌスがそれを鎮定。
オクタヴィアヌスは元首制を確立してローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスとなる。
カエサルはアウグストゥスによって神格化を建議され、元老院・民会の同意を得て神々の一人に連なった。
ゆえに『神君カエサル』とも呼ばれる。
オクタヴィアヌスは元首制を確立してローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスとなる。
カエサルはアウグストゥスによって神格化を建議され、元老院・民会の同意を得て神々の一人に連なった。
ゆえに『神君カエサル』とも呼ばれる。
カエサルの功績
ラテン語の名著と名高い『ガリア戦記』を著しており、ガリア(現在のフランスのほぼ全域)遠征を行った彼の自記。
簡潔な文体の名文で、キケロ(同年代最高の文筆家)も賞賛を惜しまなかった。
因みに文筆のみならず修辞学や弁論・演説に稀有の才能を有していた。
簡潔な文体の名文で、キケロ(同年代最高の文筆家)も賞賛を惜しまなかった。
因みに文筆のみならず修辞学や弁論・演説に稀有の才能を有していた。
ユリウス暦を制定。
このときは1年は10ヶ月で現在でも12月は「10番目の月」の意である。
それは中世にローマ法王・グレゴリウスが新たに暦を定めるまで人々の生活を律した。
このときは1年は10ヶ月で現在でも12月は「10番目の月」の意である。
それは中世にローマ法王・グレゴリウスが新たに暦を定めるまで人々の生活を律した。
コイントス、カエサル暗号など先んじて現代の様々なものの原型を生み出したとされる。
このようにあらゆる分野に才能を発揮し、その影響は現在にまで及んでいる。
控えめに表現してもヨーロッパ文明社会の根源的創造者と言うべき、まさに英雄の名が相応しい。
控えめに表現してもヨーロッパ文明社会の根源的創造者と言うべき、まさに英雄の名が相応しい。
明彦に女好きの傾向が見られないのはユリウス・カエサルと言う歴史人物をそれほど製作スタッフは意識しなかったせいだろう。
一般名詞としての『カエサル=皇帝』のアルカナにおける暗示やイメージを優先したと思われる。
一般名詞としての『カエサル=皇帝』のアルカナにおける暗示やイメージを優先したと思われる。
その他
副島氏の談によれば、ゲーム上で実現はしなかったが外観は相当巨大なものと考えていたらしく、腹部中央にある人型がちょうど明彦の身長と同サイズだと言う。
(そう考えると、目算でペルソナ・カエサルの体躯は15~20mほどあると考えられる)
(そう考えると、目算でペルソナ・カエサルの体躯は15~20mほどあると考えられる)