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南の島 (前編)

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南の島 (前編) ◆76I1qTEuZw



 ……手掛かりが、ねぇ。

 このおれ、名簿の上ではご丁寧にも浅羽たちの知ってる『榎本』という苗字だけ・下の名前なしで載っているこのおれは、普段は正誤も不確かなデータの洪水に溺れる寸前、アップアップともがきながら日々奮闘してるわけだ。だから時には、ガラじゃあないこと承知の上で、いるかどうかも分からん神様に祈っちまうこともある。つまり「どうかおれのとこまで下らない情報を回さないようにして下さい」、ってな。こりゃどう考えても嘘だろ、と思うようなネタでも、耳に入っちまったら裏を取るくらいの事はせにゃならん。んで、そんなクソつまらん仕事でもいくつか重なったりすると、3日くらい家にも帰れず風呂にも入れず、ってことにもなる。
 同僚っつーか仕事仲間の女に言わせりゃ、おれは「今アジアで一番ヤバい男」、なんだそうだ。まあ流石にその評価は冗談半分だとしてもだ、今おれのとこに集まってくる情報ってのは確かにヤバい。知ってるだけで十分殺される理由になっちまうような話、ってモンが、もう数える気すら失せるほどゴロゴロとあったりする。
 ってか、よく生きてるなぁ、おれ。
 いや、生き残るための努力は散々していたんだけどな。それでもだよ。

 知らねーほうが幸せなことってのは、実際多いんだ。
 世界の真実とか。
 この世の「ほんとうのこと」とか。
 知ったところで得はない、知ったからには無視できない、そんなモンが世の中にはいっぱいある。
 一度知っちまったら戻れない。無垢な頃には戻れない。
 そして、分かっちゃいるけど、戻りたい。
 いや、ふと戻りたい、と思っちまうような夜もある、ってくらいか。おれだって、UFO特番見て無邪気に笑える立場を羨んじまう時はある。普段はバカにしてる連中が、羨ましく思える時もある。

 ……にしてもだ。
 いくらなんでも、こりゃあんまりだ。
 いくらなんでも、情報が少なすぎる。
 人よりは理不尽に慣れてるつもりだった。困難は越えてきたつもりだった。
 だけどまあ、ここまで打つ手がないってのも、久しぶりだ。
 下らん情報よこさんで下さい、って祈ったのは俺だけどな。大事な情報はちゃんと回せってんだ。ったく。そんなんだから「神は死んだ」とか適当なオッサンに言い切られちまうんだよ、神様。

 伊里野と浅羽のバカを、早々に保護する。
 そしてこのイベントをひっくり返して、3人揃って脱出する。
 そんな目論見が簡単に進むはずはないとは分かってはいた。分かっちゃあいたんだ。 
 だけどどうやら、おれの当初の見通しよりも状況は苦しいらしい。まさか2人の手掛かりすらロクに集まらないとは思わなかった。夜が明ける前に、せめて取っ掛かりくらいは掴めると思ってたんだけどなあ。
 ここ数時間の間に出会えた人間が、たった2人。
 うち1人は眠り姫。
 「人間ってこんなにも起きねーもんなんだな」、という驚き以上の情報のなかった金髪女。
 もう1人は、着物の上に真っ赤なジャケットを羽織るという、驚きのファッションセンスの小娘。
 こいつとは言葉を交わせたが、やっぱり大した情報は持っちゃあいなかった。

 しかし――考えてみれば、さっきの会話は傑作だったな。
 いや、馬鹿にしている訳じゃない。この場にはいかにも相応しく、でも、こういう場でもなきゃあり得ない会話だな、と思ったら途端におかしくなってきやがった。
 何て言ったんだっけな。
 そう、「殺し合いには乗ってない」、だ。
 深く考えることなく、自然と口をついて出ていた。深く考えることなく、着物の女もそれに応じていた。
 普通「殺し合い」ってモンは、「乗る」も「乗らない」もない。殺るか殺られるか、それとも和解するかだ。逃亡や痛み分けを選択肢に加えてもいい。
 少なくとも、「貴方は殺し合いに乗ってますか」「乗ってますよ」「私もです、では正々堂々恨みっこなしで」なんて言葉を交わした後にドンパチ始めるようなモンじゃあない。そんなものは、普通は「殺し合い」とは言わない。そりゃ決闘か、あるいはゲームの類だ。
 でも、なんでだろうな。この場においては、妙にしっくり来ちまう。
 悪趣味極まりない椅子取りゲーム。
 あのお面の男が言外に匂わせた通り、他の連中を殺してでも生き残りを目指すのか。
 それとも、ふざけんじゃねぇ、とばかりにゲーム自体の否定に走るのか。
 「殺し合いに乗ってますか」、という質問で問うているのは、つまりはこの二択だ。
 お前はどっちなんだ、ってな。
 そして後者の容易ならざる道を選ぶ連中は、思いの他多いようだ。さっきの着物娘もそうだし、その知り合い――あの言い方だと、少なくとも2人以上はいるだろう――もそうだ。これならなんとかなるかもしれん。

 ただ……ウチの連中はなあ。
 あの娘の知り合いと違って、「殺し合いに乗るほどバカ」、かもしれねぇんだよなあ。

 まずは浅羽だ。
 こいつはバカでヘタレだ。水前寺のようにキレるわけでもなければ、根性があるわけでもねぇ。
 ほんと、フツーの中学生だ。
 悲しいくらいに、無力で平凡な中学生だ。
 ……だからこそ、ホンキの覚悟決めてハリキリやがった時の行動が読めない、ってのはある。
 伊里野以外はいらない、伊里野さえ生き残ればそれでいい……そう思い詰めて暴走する可能性は、十分あるって訳だ。なにせそうなるように、おれたちが陰に陽にイロイロ仕掛けてったんだからな。
 自業自得? まあそうかもしれん。
 無謀さという面から言っても、伊里野を掻っ攫ってあてもなく逃げ続けるのも、58人を敵に回して殺していくのも、そう大差ない。少なくとも、浅羽の視点では大差ないはずだ。あいつ、おれが追いかける気無くして手ェ抜いてるってこと、知らないしな。

 だがしかし、自業自得って言うなら、伊里野の方こそまさにソレだろう。
 『子犬作戦』。そう呼ばれていた極秘任務。
 空っぽのアリスに学校に通わせて、いろんなコトを経験させて、「浅羽がいるから死にたくない」と思わせる。
 そして、最終的には、「浅羽のためなら死んでもいい」、というレベルにまで持っていく。
 暗号名(コードネーム)、「パピー=浅羽直之」。
 無知な「アリス=伊里野」が拾い、可愛がり、情の移った『子犬』。
 その子犬が取り上げられそうになれば、そりゃ無気力なアリスも必死で戦うってもんだ。いや、わざわざ取り上げる必要すらない。そこはエイリアンがやってくれる。世界に危機が迫っている、このままでは子犬も一緒に殺されるぞ、と、優しく真実を教えてやるだけでいい。そして、唯一残されたブラックマンタのパイロット・伊里野には、そこまでしてでも戦ってもらう必要があった。
 まったく、本当にロクでもない計画だ。立案者や実行者の顔が見てみたいとも思うが、テキトーにそこらの鏡を覗けば簡単に見れちまう、ってのがさらにロクでもねぇ。
 こっちの目算通りに伊里野の気持ちが動いてくれていた場合、「浅羽1人を生き残らせるために」伊里野が殺し合いに乗る公算は決して低くない。
 低くないというか、ぶっちゃけ、かなり高い。
 あの狐男の言ってることは必ずしも信用できるとは限らない、ってとこまで考えてくれりゃあいいんだがなあ。
 伊里野は決してバカって訳じゃないんだが、そこまで融通の効く頭か? って言うと、正直疑問だ。妙に生真面目な所もあるし、ルールをブチ壊す、って発想自体が難しいかもしれん。なにせ楽しい休日のデートにさえ、誰も守ってない校則の細則に律儀に従い、堅苦しい制服姿で出かけていくような奴だ。
 ……あー、今更ながらに面倒くさくなってきた。
 あの頑固者をいったいどーやって説得すりゃいいんだ、まったく。

 ……どうしたもんだかな。
 海にほど近い道に沿って、ブラブラと南下しながら、おれはぼんやりと考える。
 ってか、ミスと言うならこっちに進んだことがおれのミスか。城がある中心の方に向かっていたら、もっと多くの人間と接触できたかもしれない。そうすりゃもう少し情報も集まってたかもしれない。
 もちろんそれは、生き残り狙いでかつ実力に自信ある危険人物との遭遇率をも上げる行為だし、先のことを考えたらそんなリスクは易々とは取れねぇし、伊里野のバカも理性が残ってりゃそんな馬鹿はやらんだろうし、となれば、あえて辺縁の方を回った方がなんぼか遭遇率は上がるだろう……っていう計算だったんだがな。
 ちなみに浅羽のアホについては知らん。アホ過ぎて最初っから計算が立たねぇ。死なない程度に痛い目にでもあって、大人しくなってくれりゃあいいんだが。

 とりあえず前提として、あいつらが「殺し合いに乗っている」ものとしよう。嫌な予測だがな。
 その上で、説得するとしたらどうやりゃあいいのか。
 ……やっぱ、「2人揃って帰れるなら帰りたいだろ?」、って方向から攻めるしかねえか。
 例えば、こんな感じか。

『おい、実はな。狐面の男たちを出し抜いて、みんなで帰る方法はあるんだ。
 1人は『最後の1人』として正々堂々と脱出。残りは『死んだフリ』して誤魔化して脱出だ。
 おっと焦るな。具体的な方法は、まだここじゃ言えない。虫はついてないと思うが、集音マイクか何かでこっちの声を拾われてる可能性はゼロじゃない。だからギリギリまで伏せておく必要がある。
 それにな、おれの知ってる方法は、ちと成功率に不安があるんだ。人数にも制限がある。だからこの方法は予備プランとしておいて、他の方法も模索したい。もっと確実な策があれば、そっちに乗り換えたい。
 あー、だから他の連中にはおれのプランのことは言うなよ。なんで? って、おれたちの知り合いだけで人数制限を突破しちまうからだよ。よその連中に割り振る余裕はねえし、万が一にも横から掻っ攫われたりしたらたまらんからな。いいか、絶対だぞ』

 ……ん?
 いや実際には、そんなものは無いんだけどな。
 てか、もしあったら苦労しねぇよ。そんな、魔法みたいに「死んだフリ」で誤魔化す技術、なんてな。
 浅羽はともかく伊里野の奴は、「方法はこれから探す」なんて言っても信用しねぇだろ。だからこその嘘だ。
 そして実際問題、最後の最後まで脱出方法が見つからなければ、伊里野1人だけでも帰す必要がある。何が何でも帰す必要がある。
 帰してどうなるかなんて分かったもんじゃないが、例えばおれと伊里野と浅羽、3人だけが最後に残っちまって、うち1人しか生きて帰れないとなったら、おれの立場上、ここは伊里野を選ぶしかない。
 そんな選択を迫られた時点でこっちの負けではあるが、それでも、選ぶしかない。

『伊里野、これからおれと浅羽は『死んだフリ』をして狐面の男たちを騙そうと思う。
 おまえは『優勝』扱いで一足先に帰ってくれ。こっちの『死んだフリ』作戦は、たとえ上手く行っても、戻るのに時間がかかるんでな。
 もし万が一、おれらが帰り着くより先に世界に何かあったら、伊里野、おまえに任せる。悔しいがおれや浅羽じゃ、何かがあってもどうにもならん。おれや浅羽にマンタは動かせねえ。おれの代わりはいるが、おまえの代わりは居ないんだ。
 あー、心配しないでも、すぐに追いつくさ。そして追いついたら、おまえと浅羽は上手く逃がしてやる。南の島にでもどこにでも行って、2人で静かに暮らせるよう、手配してやるさ。約束だ。
 頼むぜ。おれたちの帰るところを、よろしく頼む』

 ……と、伊里野を言いくるめておいて、浅羽を引っ張ってその場を離れる。
 少なくとも伊里野から見えなくなるくらい、伊里野がおれらのやることに介入できないくらいまで離れる。
 でもって、たぶん事情が呑み込めてないであろう浅羽のバカに向けて、ズガン! と一発。
 続けて自分の頭に銃口を押し当てて、ズガン! と一発。
 これで晴れて伊里野は『最後の1人』になって、椅子取りゲームの優勝者になって、元のところに返されて、自分でタイコンデロガのマンタのとこまで行って、決して帰ってくるはずのないおれたち、いや、浅羽のために、ちゃんと最後の戦いに出撃してくれる……はずだ。
 ってか、これでダメなら、おれはもう知らん。あとは木村のアホどもの責任だ。
 ここまでお膳立て整えてやれば、アッチに残された連中だけでもなんとかやれるだろ。あとはもう知らん。

 これが、おれの想定する『最悪の事態』だ。
 最悪でも最低でもここまでは引っ張ってきたい、と願う展開だ。
 おれだってできれば死にたくはない。やり残したことは山ほどあるし、薄給とはいえ給料まだ貰ってねえし、そもそも、世界のために自分を犠牲にするなんておれのガラじゃあない。
 神様に祈る以上に、ガラじゃない。
 だけどなあ。
 おれのやってきたことを考えると、おれ1人「死にたくない」ってのは筋が通らないんだよなあ。
 ああ、残念ながら、通らない。
 それくらいのことを、既にやってきた。
 散々やってきた。
 全部が全部、おれの望んだことでもなかったが――おれに責任がないと言ったら、嘘になっちまう。
 だから、『最悪でも』この程度は守らなきゃならんわけだ。因果な稼業だよな、ほんと。

 改めて手持ちの支給品を確認する。
 1つ目は拳銃。あの眠り姫の荷物から抜き出してきた奴だ。分かりやすく扱いやすい代物だが、それだけに決め手に欠ける節がある。弾数に限界があるのも痛い。
 2つ目は刃物。『無銘』とか言うらしい。軍用のコンバットナイフとは対極に位置するような、薄手で軽くて鋭い刀子。おれも接近戦は専門じゃないけどな、かなり軽いし扱いやすいし、持っていても損はねえ。
 3つ目は手榴弾。いわゆるポテトマッシャー型が3本で1セット。ちと古い型のモノではあるが、威力だけならかなり強烈。いや、強烈な分かえって使いどころが難しい。こりゃあ手加減できねえもんな。
 4つ目は、これはちょっと変わっている。『武器』ではなく『情報』だ。その名を『10人名簿』という。あの眠り姫の荷物にもあった共通支給品の名簿、そこから漏れた10人の名前が載っている名簿だ。10人分の名前だけが載っている名簿だ。『情報戦』、って意味では多少なりとも優位を得られたことになるんだろうが、今のところ何の役にも立っていない。気になる名前もなければ、伏せられていた名前にも法則性がないんだ。まあ、今後どういう風に生きてくるか分からない以上、あえて捨てるほどのモンでもないわけだが。

 ……うーむ。
 拳銃を頂戴したことで相当バランスはよくなったが、それでも状況を楽観視できるほどの戦力じゃない。
 やっぱあっちのリボルバーも貰ってくるんだったかなあ。
 でも、液体火薬とかいう正体不明の代物に命預けたくねえしなあ。うーむ。

 ともかく、今あるもんでやれるだけやるしかない、ってことだな。
 この戦力で、浅羽と伊里野を探す。見つけて、必要なら説得する。そして守り抜く。最後、どうしようもなくなったらペテンにかけて伊里野だけ残して自殺する。
 ……こんなとこか。 無駄にあれこれ考えた割には、結論は実につまらんもんだ。

 ああ、いい加減そろそろ、次の『誰か』と出会いたいもんだぜ。


    ◇   ◇   ◇


「…………忘れ物」

 いざ出発せん、と意気込んだ所に水を差すようで心苦しかったが、土屋康太は道を引き返した。
 同行者である朝比奈みくるは、しかし嫌な顔ひとつせず、とてとて、と可愛い歩幅でついてきてくれる。
 その気遣いが嬉しくもあり、また、この場に限ってはちょっとした問題でもあった。

「何か必要なものでもあったんですか?」
「…………生理現象。トイレ」
「あ、ご、ごめんなさい」

 やむなく使った言い訳は、トイレ、の一言。
 みくるは反射的に赤面して、しかし次の瞬間には「あれ? でもさっきは確か……」と首を捻っていたが。
 その真意を問う間もなく、先ほどのコンビニ前まで戻ってきていた。元々そう離れていたわけでもない。

「じゃあ私、ここで待ってますね。あ、荷物持ってましょうか」
「…………頼む」

 こんな所に1人放置しておくことの危険性だとか、大事な荷物を預けていってしまうリスクだとか。
 そういったことに一切考えが及ぶことなく、土屋康太はデイパックを手渡し、たった1人でコンビニの中へ。
 いやまあ、本当に用を足すだけなら店の中で待っていて貰っても構わないのだが……しかし。
 小恥ずかしさゆえに外で待っていてくれる、というのなら、今はかえって都合がいい。

「…………標的確保」

 雑誌コーナーの前をごく自然な足取りで通過しつつ、その腕が神速で動く。
 チラリと視線が窓の外――朝比奈みくるの方へ。大丈夫、彼女はこちらを見ていない。
 そのまま何食わぬ顔でコンビニのトイレに直行。
 便意も尿意も一切ないが、それでもこの個室には用がある。

 手の中にあったのは、雑誌コーナーの片隅にあった2冊の雑誌。
 「子供は見ちゃいけません」、という意味の表示の結界に守られていた、保健体育的な意味での一級資料。
 ありていにいえば、どこにでもあるようなエロ本である。

 もちろん、みくるは可愛い。
 みくるはエロい。
 みくると一緒にいると嬉しい鼻血が絶えない。
 彼女と最初に出会えたことは、彼にとってこの上ない幸運と言っていい。
 が、だからといって、それさえあれば後は何もいらない……とはならないのが土屋康太という男。
 人呼んで、『寡黙なる性識者(ムッツリーニ)』。
 先ほどコンビニで荷物整理をする傍ら、視界の片隅でちゃんと並べられたエロ雑誌を物色しロックオンしていたというのに、不可解な気絶とそれに伴うドタバタで忘れかけていたのは痛恨の極みである。
 しかし、それも過去のこと。土屋康太改めムッツリーニは、ぐっ、と拳を握る。
 こうして「さりげなく」コンビニに戻ることができ、「みくるに違和感を悟られることなく」かの本を確保できた。
 その場に並んだ十数冊の中から、表紙を一瞥しただけで選別した極上の2冊。
 ムッツリーニほどの熟練者ともなると、逆にエロ本から「呼ばれる」感覚すら覚えることがある。もちろんその感覚が全てというわけでもないが、しかし、この2冊が間違いなく「大当たり」であることは分かる。
 確信を持って、断言できてしまう。

 目の前には至高の2冊。
 このトイレという密室の中、今すぐじっくりと検分したくなる衝動に駆られるが、しかしムッツリーニは超人的な意志力でもってその誘惑を振り切った。
 ダメだ。
 今はダメだ。
 外にみくるを待たせている。
 みくるはみくるで、大事な「探求」の対象だ。今ここで本に溺れて彼女との絆を損ねるわけにはいかない。
 本はいつでも読める。後でじっくり読み返すことが出来る。対するみくるは、いつまでも待たせておくわけにはいかない。『トイレ』、という口実で稼げる時間もたかが知れている。早く戻らねば。

 ……そこまで考えて、ムッツリーニははたと気付く。
 デイパックがない。
 そうだ、店に入る時に、みくるに預けてきてしまった。
 あまりのさりげない親切に、深く考えることなく手渡してしまったのだ。
 これではこの『お宝本』を持ち出せない。
 このままでは、朝比奈みくるにエロ本を持っている姿を見られてしまう。それだけは、まずい!

 再び棚に戻して、後ほど改めて引き返し回収するか?
 ……いや無理だ。そんな機会は期待できない。
 他の真面目な雑誌も確保し、レジに出す時のようなサンドイッチ状態を作り上げ、堂々と手に持っていくか?
 ……いや無理だ。無邪気に「どんな本を持ってきたんですか?」と尋ねられたらそこで轟沈間違いなしだ。
 価値の高いページだけ切り取って、折りたたんでポケットに収めて出て行くか?
 ……いや無理だ。そもそも、それだけの取捨選択の時間がないから問題なのだ。瞬時には選べない。
 ここはこの『お宝本』をさっぱり諦める?
 ……いや、それこそ無理だ! そんな妥協に走ったら、自分が自分でなくなってしまう!
 果てしなき性の知識の追求者として、諦める、という選択肢だけはありえない!

 ではどうする。
 どうする。
 どうする。
 考える時間すら、もうロクに残ってはいない。そろそろみくるも焦れはじめてもおかしくない。
 どうする、さあどうする、ムッツリーニ――?!


    ◇   ◇   ◇


「あ、土屋くん、大丈夫でしたか? その、時間かかってたんで、心配しちゃいました」
「…………(コクコク)」
「お腹、痛いんですか? ずっと押さえてますけど……。もしそうなら、無理しなくていいですよ?」
「…………(ブンブン!)」
「本当に? 汗も凄い出てますけど……」
「…………大丈夫。腹痛とか、そういうことじゃ、ない」
「なら、いいんですけど……??」

 大丈夫。まだバレてない。大丈夫。大丈夫、大丈夫――!


    ◇   ◇   ◇


 まあ、要するに。
 朝比奈みくると土屋康太の2人には、未だここが殺し合いの場である、という実感が無いのだった。


    ◇   ◇   ◇


 わたしは港を離れて、北に進んで、橋を渡った。
 拳銃と刃物、いちおうそれなりに対応できる武器は揃っていたけれど、でもこれじゃまだ足りない。
 あさばを守るには、あさば以外をぜんぶころすには、まだ足りない。

 とくに拳銃は、命中精度に不安のあるトカレフ。
 どっちかって言ったら、北の方の銃。
 構造は知識としてなら知ってたけど、まだわたしはこれを撃ったことはなかった。そもそもの精度も、そんなに高くないって聞いてる。当たれば威力は十分だけど、遠くから狙撃できるようなものじゃない。
 なんとか近づいて、たくさん撃たなきゃころせない。
 どっちみち接近しなきゃつかえないなら、音がしないぶん、包丁の方が便利かもしれない。

 もうちょっといい武器があったら違ったけど、だからわたしは、あえて端っこの方から回ろうと思った。
 まんなかの方に行くひとは、きっと装備や技術に自信があるか、他の目的がある。
 自信がないひとは、端っこの方をうろちょろしてるはず。
 そういう人を襲って、武器になるものをどんどん集めていけば、そのうちなんとかなる。
 マンタだって最初っから今の装備が揃ってたわけじゃない。スカンクワークスとかほかにもたくさん、みんなが武装を開発して装備してって、少しずつ増えて取り替えていって、ああなった。
 だったら、わたしもそうすればいい。
 ころしてでも、うばいとる。

 ……と、太い道路が三叉路になっているあたりに、動く人影がみえた。
 わたしはサッと電柱の陰にかくれて様子を見る。
 2人組だ。
 男の子と、女の子。
 のんきに喋りながら、道のまんなかをあるいている。
 一瞬トカレフを構えそうになったけど、やめた。この距離じゃあたるかどうか分からない。
 相手は2人いるし、うまく1人をころしても、そこでもう1人の反撃をうけたらたまらない。
 せめて片方、動きを止めてから――なら、いっそのこと――

「こ、こんにちわ……いえ、こんばんわ、かな?」
「…………話がしたい」

 わたしが隠れるのをやめてちかづくと、2人はおそるおそる声をかけてきた。
 ひらひらした、ウェイトレスみたいな服を着た女の子と、それを守るように立つ、眼鏡の男の子。
 思ったとおりだ。このまま、待っていれば、

「あの、私、朝比奈みくるっていいます。それで、こっちは……」
「…………土屋康太」
「あのそれで、その、あなたは……って、あれ? その制服……?」

 女の子の方がわたしの服を見て首を傾げていたけど、こたえる必要はなかった。
 2人が近づいてくるのを待って、素早くわたしは、背中に隠していた包丁を抜いて、
 まずは近い位置にいた男の子の方に、身体ごと体当たりするように飛び掛って、


    ◇   ◇   ◇


 ザクッ、と、どこか小気味良い印象すらする大きな音が、夜の闇に響いた。
 続けて、2回、3回。
 白い髪の少女が身を引くと同時に、土屋康太は腹を押さえて崩れ落ちる。

「え……? つ、土屋くん!? これって……え?」

 一部始終を至近距離から見ていた朝比奈みくるは、しかし、咄嗟に何が起こったのか理解できなかった。
 じりっ。思わず1歩引いたみくるに、その少女は、

「まず、ひとり」
「っ……!? ふ、ふえっ!?」

 よく切れそうな細身の刺身包丁を手に、まったくの無表情のまま、向き直った。

 まだこれが殺意を露にされてでもいれば、違ったかもしれない。
 けれどもその少女は、全く感情を欠落させた顔のまま、ロボットのように歩を詰めて、
 その包丁を、振り上げて、

 街灯にぎらり、と光った刃の輝きに、ようやく朝比奈みくるの頭脳は我が身に迫る危険を察知した。

「ふ、ふわぁ?! や、やめてくださいぃぃ!」

 全く緊張感のない声で、それでも彼女にできる精一杯の反応でその場を飛びのく。
 凶刃が容赦なく振り下ろされ、一瞬前までみくるがいた空間が切り裂かれる。
 いや、避け切れていない。
 紙一重――薄皮一枚、いや、スク水一枚残し、既に着慣れてしまったメイド服が大きく切り裂かれる。
 さらに、二閃、三閃。
 闇雲に振り回すだけの刃を、闇雲に逃げるだけのみくるが奇跡的に避け続ける。
 背中が裂かれ、スカートが裂かれ、数本の髪の毛と共にカチューシャが宙を舞う。
 中途半端にはだけたエプロンが垂れて、足にからまる。無様に転倒する。
 白い髪の少女の、無感情な目と視線が合う。
 ようやくそこに至って、包丁では埒が明かないと見たのか、少女はベルトに挟んであった拳銃を抜く。
 そして、突きつける。
 外しようのない至近距離。死そのものを体現する虚無的な銃口。
 泣くことすらできず、虚ろに引きつった表情のまま、みくるは己の死を覚悟して、

「…………そこまで、だ」

 ジャキッ。
 くぐもった声。
 拳銃を構えたまま、少女の首だけが、ゆっくりと動く。
 みくるも、尻餅をついた格好のまま、つられて振り返る。

 腹部を三度も刺されたはずの土屋康太が、
 吐血でもしたのか、口元から胸元あたりまでを鮮血で染め上げた土屋康太が、
 見るからに血の気の失せた顔の眼鏡の奥に、それでも確固たる意思の光を湛えて、
 膝立ちの格好で、ロケット弾を少女に向けて構えていた。


    ◇   ◇   ◇


 膠着状態だった。
 白い髪の少女は、拳銃をみくるに、視線を康太に向けたまま動かない。
 土屋康太もまた、ロケット弾を肩に担いだまま、動かない。
 そして、みくるも少女の足元で腰を抜かしたまま、動けない。

 この状況で康太が先に引き金を引けば、少女は死ぬ。バラバラになって、間違いなく死ぬ。
 けれどみくるもきっとタダでは済まない。RPG-7という武器の威力を考えれば、この距離は近すぎる。
 しかし、少女の方も迂闊には引き金を引くことが出来ない。
 少女の立場に立ってみれば、みくるが殺された途端、康太のためらう理由も消えうせることになる。
 かといって、銃口を康太の方に向けるのも考え物だ。
 何しろ腹部を三度も刺されてなお起き上がってきたタフネスだ。果たしてこの中途半端な距離で、中途半端な威力の拳銃で、瞬時に仕留められるものだろうか。
 さらに、銃口を逸らした途端に、今は大人しくしているみくるが動き出す危険がある。もし取っ組み合いにでもなったら、2対1という人数の差がそのまま生きてくる。
 とはいえ、銃口が向けられているうちは、みくるの側から動き出すことはできないわけで――

 不気味なほどの沈黙が、夜の街を包み込む。
 誰も、迂闊に動けない。 
 しかし――こんな危うい膠着が、そうそう続くはずもない。
 暗がりで分かりにくいが、土屋康太は激しく出血しているようだ。遠目に見ても顔色が良くない。
 いつまでも、持つという保障はない。
 いや、そう大して持つはずがない。
 あの血が吐血だというなら、腹部の傷は消化器まで達しているということで、それはつまり命に関わるような怪我であり、素人の手に負えるかどうかはともかく、早く手当てをしないと危険な傷なわけで――

 朝比奈みくるは焦る。
 なんとかしなきゃ。
 なんとかしなきゃ。
 なんとかしな――

 ――ザッ。

「……あー。なんというかだな、おまえら」

 唐突に、足音がした。

 振り返れば、そこに男がいた。
 いつから居たのか、まるでやる気のなさそうな態度で、佇んでいた。
 パッと見、年齢がよく分からない。大人であることは確かだが、中高生から見て「おじさん」と呼ぶべきなのか「お兄さん」と呼ぶべきなのか迷ってしまう、それくらいの年に見える。
 そしてその手には、一丁の拳銃。
 銃口は天に向けられてはいるが、素人目にも男が銃を持ち慣れているのは分かる。
 人生に疲れきったように見える猫背気味の姿勢が、その実、全く隙がない。
 3人の視線を一身に集めながら、男はバリバリと頭を掻く。
 フケが盛大に飛び散る中、男はどこかうんざりした口調で、軽く言い放った。

「とりあえずここはどちらも痛み分けということで、一旦引いてはくれないかな」


    ◇   ◇   ◇



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